2008/05/06

立夏の蠅(5月5日)

 この日、昼過ぎからお訪ねしたお寺の部屋で、蠅の飛ぶ音を耳に
しましたが、立夏とはいえ、蠅は早すぎるだろうかと、わが耳と目
の確かさに、いささかの不安を感じました。

 このお寺は、県中部の佐川町にある青源寺で、土佐藩主山内家の
筆頭家老だった、深尾家の菩提寺として1603年に創建された、
庭の美しい禅寺です。

 このお寺の住職のお母さまは、93歳で現職の保育園長をされて
いるという元気なおばあちゃまで、以前から親しくさせていただい
ていますが、この日は、保育のお仲間が何人かお寺にお出でになる
と聞いて、遊びにうかがいました。

 認定こども園の制度への心配など、保育にまつわるお話はもとよ
り、ご住職のお母さまの思い出話などを楽しく聞くうちに、ブ~ン
ブ~ンという音と、硝子戸に虫のはねが当たる音が聞こえます。

 ちらりと横目で見ると、蠅のように見えましたが、お話をしなが
らそっぽを向くわけにもいきませんので、後ははねの唸る音を聞く
だけでした。

 そうするうちに、いつの間にか、音の主はどこかに姿を消しまし
たので、再びお話しに、気持ちを集中させることが出来ました。

 後になって考えてみますと、高知では一昨日、日中の最高気温が
30度を超えましたので、蠅が出てもおかしくはありませんが、そ
れにしても、5月の初めに、蠅は早すぎないかと気になりました。

 ところが、季節の暦を見ると今日は立夏、しかも、季語の本によ
れば蠅は夏の季語ですので、はてさて、我が目と耳に自信を持つべ
きかどうか、いささかの迷いが残っています。

|

維新の残り香(5月4日)

 4日午後、高知市内で、維新を切り開いた偉人たちの足跡をたど
る、歴史探訪に参加しました。

 新堀川・はりまや橋界隈歴史探訪と名付けられた、このイベント
は、わが夫婦が住んでいる、マンションの周辺をめぐる企画でした
ので、勉強がてらにと考えて、ツアーの途中から途中まで、つまみ
食いで参加をしました。

 僕が一緒にまわったのは、ジョン万次郎がアメリカから持ち帰っ
た知識と情報を、本にまとめて龍馬に教えた河田小龍をはじめ、土
勤皇党の領袖の武市半平太や、幕末から明治を支えた人材を数多く
育てた、陽明学者の岡本寧浦といった人物のゆかりの土地ですが、
その他にも、きら星のごとき先人の名が並ぶのを見ると、明治はこ
こから始まったといっても、大袈裟でない気がしてきます。

 そんな中で、面白かったことの一つは、武市半平太の道場で、柿
をふるまった時の志士たちの反応で、中岡慎太郎は、「かたじけな
い」と言って口にしませんでしたが、吉村寅太郎は一つ食べた後、
「うちの柿よりうまい」と社交辞令を言いました。

 これに対して坂本龍馬は、どうぞと勧められる前から柿を手に取
って、まずいところは食べ残したと言うことですが、その解説を聞
いていた参加者からは、「いかにも龍馬らしい話やねえ」という声
がもれました。

 その龍馬の初恋の人は、やはり半平太の門下生だった、平井収二
郎の妹ですが、反対をされて龍馬と別れた彼女は後年、「龍馬と再
会出来なかったことは、女子一生の痛恨」と語ったそうですから、
龍馬のやんちゃぶりは、女性には魅力的だったのでしょう。

 この他にも、やはり半平太の教え子で、彼の釈放を求めて奈半利
川の河原で斬首された清岡道之助の妻が、川に落ちた夫の首を柄杓
ですくって、同志のなきがらとともに葬ったといった話を聞きます
と、志を維新にかけた人々の思いが、このあたりに漂っているよう
な、不思議な気持になりました。

|

国の形を考える(5月3日)

 この日、施行から61年目を迎えた日本国憲法は、僕とは同い年
になりますので、これを機に、憲法とこれからの国の形について考
えてみました。

 戦前の明治憲法を制定するにあたって、政府の命を受けた伊藤博
文が、調査のためにヨーロッパに渡ったのは1882年、それを基
に、大日本帝国憲法が公布されたのが1889年ですから、調査を
始めてから7年の歳月がかけられています。

 その際、内容を見てもいないのに、憲法が出来たことに酔いしれ
ている国民の姿を見て、その愚かさを嘆いたのは、本県出身の中江
兆民でした。

 また、福沢諭吉は、他の国では、民衆の力の高まりなど、国の大
乱を受けて憲法が制定されているのに、わが国では、そうした大衆
的な高まりがないまま憲法の発布に至ったことに、不安を投げかけ
ていますが、いずれも、明治憲法の制定に至る特質を言い表した、
慨嘆や不安であったと思います。

 これに対して、ポツダム宣言を受諾した後、いわゆるマッカーサ
ー草案を含むいくつかの案を基に、現在の日本国憲法が施行された
のが1947年、今から61年前の今日のことですが、こちらは、
敗戦という国の一大事を受けて制定されたという点で、明治憲法と
は違った出自を持っています。

 このため以前から、自主憲法を制定しようとの表現で、憲法の改
正を目指す動きがありましたが、現在の憲法が還暦を迎えた昨年5
月に、憲法を改正するのに必要な手続きに関する法律が成立して、
2年後の2010年の5月に、この手続法が施行されることになり
ました。

 とはいえ、そのことを、がむしゃらに推し進めてきた安倍政権の
終焉とともに、改正に向けての熱気は薄れつつあるようですが、明
治憲法の制定がそうであったように、憲法の中身を考えることは、
これからの国の形を考えていくことにつながります。

 ですから、平和憲法の堅持に異存はありませんが、本格的な地方
主権の実現や地球環境への姿勢、さらには、格差が進む中での生存
権や子供にかかわる視点など、憲法の改正と絡めて議論を深めるべ
き課題は、数多くあると思います。

 自分が、いくつまで現役として活動できるかはわかりませんが、
これから数年の間に、憲法を基にした、新しい国の形づくりの議論
が進むかどうかを、関心をもって見守っていきたいものです。

|

そんな事故が(5月2日)

 2日午後、市内の知人から、数ヶ月前に、東南アジアのある国で
起きたという事故の話を聞いて、そんな事故があったのかとびっく
りしました。

 それは、日本のゼネコン数社が、ジョイントベンチャーで請け負
った大型工事で、設計または組み立てに問題があったのか、足場が
崩れて、多くの死傷者が出たと言います。

 しかも、日本人の技術者には被害がなく、現地の人だけが死傷し
たために、反日感情という点からも、大きな問題を残しました。

 しかし、この事故が大きく報道されると、その後の日本からの援
助に、ブレーキがかかるといけないと考えたその国の政府が、極力
報道を抑えたため、あまり大きなニュースにはならなかったそうで
す。

 そんな事故のニュースに、接した記憶がありませんでしたので、
初めて聞く話にびっくりしたのですが、この事故によって、日本の
技術に寄せられていたこれまでの信頼が、揺らいだことは間違いな
いようです。

 この方もそうですが、海外で仕事をしている方と話をしますと、
安い価格で勝負をしてくる華僑系や印僑系はもとより、都合のよい
規格を押し付けてくる、欧米系の企業を相手に、大変な苦労がうか
がわれます。

 その中で、日本企業の売りは、安かろう悪かろうに陥らない技術
力ですが、今回の事故で、その信用にかげりが出たとしたら、後が
またやりにくくなるというのが、この方の心配でした。

 それ以上、突っ込んでは聞きませんでしたので、事故の詳しい経
緯もつかめてはいませんが、これほどの事故が、国内ではあまり報
じられないといったことが、この時代にも起き得ると知って、その
ことにも少し驚きました。


|

2008/05/04

陳情心理学(5月1日)

 1日午後、知人の経営者から、自民党の幹部に陳情をした際の体
験談を聞いて、そんなやり方もあるのかと感心をしました。

 昨年の参議院選挙前の話ですが、この方は、全国組織の業界団体
の役職者を務めているため、他の幹部と一緒に、自民党の幹部のも
とに陳情に出かけました。

 それは、あるホテルのスイートルームを使った事務所で、待合室
から陳情のための部屋に入ると、全然関係のない業種の3つの団体
が、一つのテーブルに並んで座らされて、一つの団体ごと、10分
ほどの陳情の時間が与えられます。

 その都度、他の二つの団体は、自分たちには関係のない陳情を聞
かされるのですが、それと同時に、陳情を受けた党の幹部が、「わ
かりました、私がやりましょう」と言うやいなや、かたわらに控え
る秘書に「おい、○○局長を呼んでくれ」などと、指示するのを目
の当たりにします。

 知人によれば、シナリオがあるかのような見事な進め方で、こう
して、他の業界の陳情に対する対応も聞かされることで、誰もが、
この先生は、幅広い分野に大変な力を持っていると、感じさせられ
てしまうと言います。

 自分は、政党の幹部のもとに、陳情に出かけた経験があまりあり
ませんので、こうした場面に出くわせたことはなかったのですが、
なるほど、自らの力を誇示するために、こんな手があるのかと感心
をしました。

 田中角栄さんの時代を知りませんので、昔からあった手法かどう
かはわかりませんが、人間の心理を、巧みに突いた作戦かもしれま
せん。

|

無神経の連鎖か(4月30日)

 この日、ガソリン税の暫定税率の復活が、衆議院の採決で決まり
ましたが、与党側も、これに対する民主党の側も、いささか無神経
の連鎖が過ぎるのではと感じました。

 この日、高知の市内でも、明日からガソリンが、再び値上がりす
るのに備えて、スタンド横の路上には、給油待ちの車の長蛇の列が
できていました。

 そう言えば、昨夜、市内のマンションで開いた懇談会で、スタン
ドの関係者の方は、4月初めに、暫定税率が一旦なくなった際に、
200万~300万円の損害を受けたと話されていましたが、連休
を前に政府の要人は、30日に暫定税率の復活が決まっても、税率
が低い時に仕入れた分があるから、連休中に混乱が起きることはな
いと思うと、悠長な話をされていました。

 こうした、スタンドの事情もですが、公共交通機関が発達してい
ない地方では、大都市以上に、車が生活の足ですので、ガソリン代
は大きな意味を持っていますが、たぶん総理は、そのことを十分に
わかっていないと思われます。

 ただ、自民党にしてみれば、3日前の山口の補欠選挙の結果、後
期高齢者の医療制度の影響で、これまで厚い支持層だった高齢者の
支持が、失われつつあることが見てとれますので、暫定税率を、ど
うしても確保しておきたいという従来からの支援層を、これ以上失
いたくないという心理が働いても不思議ではありません。

 逆に言えば、ここで、世論を恐れて暫定税率の復活を見送れば、
こうした層の支持も失いかねないと考えたのでしょうが、国民の暮
らし並びに、スタンドを経営する側の立場などを考えると、いささ
か無神経な判断ではないかと思うのです。

 一方、迎え撃つ民主党も、ここは粛々と、議会の中で反対を通せ
ばそれで十分なのに、あえて、議会をボイコットしてプラカードを
掲げたり、議長の議場入りを邪魔したりといった行動に出ました。

 こんなことをすれば、暫定税率の復活に反対の人も、おいおい、
民主党は何をしているんだと、疑問を感じると思うのですが、それ
を感じ取るだけの、神経を持ち合わせている人がいないのでしょう
か。

 といったわけで、なんとも言えず、無神経の連鎖を感じた一日で
した。

|

日々是発見(4月29日)

 この日は、午後から夕方にかけて、高知大学の学生が中心になっ
て取り組んでいる、地域おこしの発表会に参加した後、夜は高知市
内で、あるマンションの住民の方々と懇談会を開きましたが、これ
まで気づかなかった発見がいくつかありました。

 お昼間の会は、南の風社という地元の出版社が、高知大学の学生
とともに取り組んでいる、「いなかインターン」という事業をテー
マにした会でした。

 この「いなかインターン」という事業は、嶺北地方と呼ばれる、
高知市の北側の中山間地域で、有機無農薬の農業や、染め木を使っ
たアクセサリー作り、さらには、ネットを通じて、全国へ世界へと
届けられている犬小屋のキット製作など、元気に頑張っている人の
もとに、大学生が、数週間から数ヶ月インターンをすることで、お
互いを高めていこうという取り組みです。

 この日の会では、インターンを経験した学生から、体験に基づく
発表が行われましたが、こうした訓練によって、日本人が不得意と
されるプレゼンテーションの技術が、確実に磨かれています。

 中には、高校生の頃には、引っ込み思案がマックスの状態だった
のに、その自分が、こうして人前で話をしているのが信じられない
くらいという学生もいて、インターンの内容だけでなく、体験発表
の効用も一つの発見でした。

 この会が、夕方の5時過ぎまでありましたので、そのまま高知市
内にとんぼ返りをして、あるマンションの住民の方々との、懇談の
会にのぞみましたが、ここでも、これまで気づかなかった発見が、
いくつかありました。

 それは、発見というより、自分の知識の足りなさを確認したとい
った方が、正確かもしれませんが、ある方からは、「暫定税率を復
活させるにしても、周知期間はいらないのだろうか。税率を上げる
議決をしたら、翌日から税率アップでいいのか」との質問を受けま
した。

 また、別の方からは、「25パーセントのアップか、それとも据
え置きかではなく、10パーセントか15パーセントを元に戻そう
といった議論は出来ないのか」と指摘されました。

 まったく答えられないという訳でもないのですが、この他にも、
その場では的確な答えの出しにくい質問があって、なるほど、こん
な疑問を持っている方がいるんだなと、新たな発見をした思いがし
ました。

|

地球を包む新聞紙(4月28日)

 28日午後、県中部を流れる物部川を見晴らす、知人の職場兼自
宅を訪問して、古新聞で地球を包み込むという、面白いアイディア
を拝聴しました。

 このアイディアの源になったのは、古新聞を折って作る手提げ袋
で、四万十川と環境にこだわった物づくりを手がけている、「四万
十ドラマ」という会社が売り出して、評判を呼んでいます。

 すでに、アメリカの美術館やイギリスのブティックに輸出される
など、国際的な広がりもみせていますが、もともとは、四万十の地
元のおばちゃんが作り方を編み出した、とてもローカル色の濃いア
イテムです。

 それに目をつけたのが通販業界の大手で、間に入った広告代理店
が新聞協会にも声をかけて、古新聞を使った手提げ袋と、その作り
方を解説した小冊子をセットにした商品を、売り出すことになりま
した。

 そこには、古新聞をゴミにしないこととともに、紙の袋を使うこ
とで、石油化学製品であるポリ袋などを減らしていこうという、環
境に関する二重の思いが込められていると言いいます。

 それに加えて、たとえば、トヨタの全面広告のページを使って、
袋を折るとした場合に、「TOYOTA」の文字や車のボディを、
自由自在に袋の側面に出すことが出来るとのことで、企業の環境P
Rにも活用が可能です。

 さらに、この活動を全世界に広めることで、古新聞で地球を包み
込んでいきたいというのが、壮大な目標でしたが、こんなグローバ
ルな運動を、高知ローカルから発信していければ、とても素晴らし
いことだと思いました。

 知人の職場でこの話を聞いた後、お隣の自宅に移ってお茶をいた
だきましたが、デッキ越しに揺らめく物部の川面と、新緑の映える
光景は、古新聞で地球を包む壮大な夢と同様、うらやましいもので
した。

|

親戚めぐり(4月27日)

 この日は、四国三郎の異名のある吉野川に沿った、県中部の本山
町で、午前中は川岸のツツジを、午後は、公園のシャクナゲを満喫
しました。

 吉野川の支流の一つ、汗見川の川岸には、自然のツツジがあちこ
ちに群生していますが、以前から話には聞いていたものの、実物に
お目にかかったことがありませんでした。

 この日は、本山町の公園で、シャクナゲを見ながらお弁当を広げ
るというのが、当初の目的でしたが、ちょうど川岸のツツジも見ご
ろと聞いて、岸のツツジをよく知る知り合いの方に、案内をしても
らいました。

 植物は浮気者なので、すぐ他の品種と混じり合ってしまうため、
純粋な種を守っていくのが難しいとか、川が氾濫してツツジが流さ
れるたびに、群生地が広がっていったといった解説をうかがいなが
ら、下流から上流にかけての見どころを、およそ1時間かけて楽し
みました。

 この後、吉野川の本流に沿ったシャクナゲの公園、帰全山(きぜ
んざん)公園に向かいましたが、橋を渡る途中、一緒に出かけた地
元の方から、早明浦ダムができる前には、ここでも鵜飼いをしてい
て、自分も鵜の紐を操ったことがあるといったお話を聞きますと、
数々の大型事業によって得たものと失ったものとを、100年たっ
て振り返った時には、どんな評価になるのだろうかと、感傷的な気
分にもなります。

 肝心の公園のシャクナゲは、今年は裏年で、花の付き方が少しさ
びしいとのことでしたが、お弁当を広げながらよもやま話をするに
は、十分の背景で、この日が投開票日の山口の補欠選挙や、それを
受けての、ガソリン税の暫定税率の再値上げのことなど、トピック
な話題に話の花が咲きました。

 おなかも満ちて、あらためて公園の中を散歩してみますと、これ
までシャクナゲの花を、誤解していたことに気づきました。

 というのも、言葉の響きから、芍薬と混同していた嫌いがあるか
らですが、シャクナゲの花を間近に見れば、見た目はツツジと変わ
らない花弁がついています。

 家に帰ってから、広辞苑を開いてみたところ、シャクナゲはツツ
ジ科のツツジ属とありましたので、ツツジの親戚に関して、また一
つ勉強ができました。 

|

食の巡礼(4月26日)

 26日の夜は、一昨日に続いて、高知の食材を生かした、スロー
フードを楽しむ会に参加しましたが、会の中で、ご挨拶をする機会
をいただきましたので、一昨日の会で仕入れた食の巡礼の話を、受
け売りしてしまいました。

 この日のスローフードの会には、一昨日の食事会で、イタリアン
の腕をふるって下さった料理研究家の女性が、来賓として参加され
ていて、イタリアの地図をもとに、各地の食材などについてスピー
チをして下さいました。

 そのお話を受けて、何かひと言とマイクを向けられましたので、
ふと思いついて紹介をしたのが、一昨日会で、その方から聞いたお
話でした。

 それは、多くの方に高知に来てもらうためには、何をすればいい
のかで、その答えの一つとして、この方が提案されたのは、30代
前半のカリスマシェフを育てるという知恵です。

 すでに、東北には、そうしたシェフの評判が、多くのお客様の呼
び込みに、つながっている地方があるとのことで、野菜や果実をは
じめ、魚介や地鶏など、全国的にみても食材がきわめて豊富な高知
が、これに取り組まない手はないとのご提案でした。

 さらに、そうした料理人の誕生が、イタリアンやフレンチだけに
とどまらず、様々な分野に広がっていけば、四国お遍路と同じよう
に、食べ歩きの巡礼の道が生まれるというのが、この方が教えて下
さった、食の巡礼のコンセプトでした。

 かなり前から、出来るといいねと言われてきたアイディアの一つ
ですが、県内の食に対する感性も高まってきていますので、具体的
な一歩を踏み出すための、お手伝いが出来ればと思いました。


|

2008/04/27

あの方の消息(4月25日)

 25日夜は、女優の司葉子さんを囲む会に同席をして、高知との
ご縁や、映画にまつわるお話を聞きました。

 司さんは、知事時代に理事長をしていた牧野記念財団で、理事を
していただいている関係で知り合いましたが、久しぶりに高知に来
られると聞いて、囲む会に同席させてもらいました。

 司さんが初めて高知を訪ねたのは、菊田一夫原作のドラマ、「忘
却の花びら」が映画化された昭和32年と言いますから、今から半
世紀以上も昔のことになります。

 向かった先は、ロケ地の室戸岬でしたが、高知にはまだ、飛行機
も飛んでいない時代でしたので、地の果てに行く思いがしたそうで
す。

 そんなお話を聞きながら、あらためて司さんに目をやると、とて
も、昭和20年代に銀幕にデビューした方とは思えません。

 自分自身、還暦を迎えてからは、強がりも込めて、今の日本人の
年齢は七掛けだと言い張っていますが、司さんを見ていると、まさ
に50歳を超えたばかりの感じで、人生七掛け論もまんざらではな
いと独り合点していました。

 とはいえ、共演者の中には、鬼籍に入られた方も少なくないので
すが、その中で、昭和37年に引退をされたた原節子さんは、今も
お元気で、司さんとは時々音信があると言います。

 原さんは、司さんよりさらにひと回り上ですが、本や新聞を読む
のがお好きで、政治の話題にもものすごく詳しいため、電話をする
と、1時間くらい話をしてしまうとのことでした。

 そこで、少し図に乗って、原さんは、なぜ突然引退をしたのかと
聞いてみたのですが、「さあねえ」と、意味深な表情でかわされて
しまいました。

|

知る人ぞ知る話(4月24日)

 24日夜、高知で開発された、「土佐はちきん地鶏」のお料理を
いただきながら、土佐の地鶏の話に耳を傾けました。

 この夜開かれたのは、高知の食材を使ったイタリアンをいただく
会で、メインディッシュに使われた、「土佐はちきん地鶏」のお料
理に合わせて、土佐の地鶏の解説がありました。

 このことは、前にも聞いたことはあるのですが、日本の鶏の主な
品種34種類のうち、4分の1近い8種類が高知原産で、その中に
は、日本最古の鶏もいると聞くと、あらためて、土佐は地鶏王国な
のだと気づかされます。

 このうち、日本最古の鶏は、その名もずばり「地鶏」と言います
が、弥生時代に日本に渡来した当時の鶏の祖先の、形や性質を最も
多く残しています。

 また、中国料理の店の名前にも使われている「東天紅(とうてん
こう)」は、尾の羽が1メートルにもなりますので、土佐藩主の参
勤交代の際には、槍の先などに下げた、大鳥毛に使われたと言われ
ますが、それとともに、コケコッコーの鳴き声が20秒を超えるこ
ともあるほど、長く鳴く鶏として知られています。

 このため、かつては、「モーニング歌姫」という愛称が付けられ
ていましたが、「雄しか鳴かないのに、歌姫はおかしい」という、
もっともな指摘があって、愛称が「モーニングテノール君」に変わ
ったという経緯があるそうです。

 この他にも、闘争心の強い「軍鶏(しゃも)」や、家畜では唯一
の天然記念物である「尾長鶏(おながどり)」など、いずれもそう
そうたる顔ぶれですので、地鶏王国を実感しながら、「土佐はちき
ん地鶏」のささみのソテーに舌鼓を打ちました。

 ただ、全国的な地鶏ブームの中で、このことが、うまく活用され
ているかと言えば、決してそうではありませんので、知る人ぞ知る
で終わらせるのはもったいないと、あらためて感じました。

|

みんなでほめ合おう(4月23日)

 23日夜出席した、若手の経営者との意見交換の席で、声かけ役
をして下さった方がまとめに語った言葉に、わが意を得たりの思い
がしました。

 この日は、朝早くから、県の西部に出かけましたので、高知の市
内に戻った頃には、日も暮れかけていましたが、その足で、知人の
声かけで集まって下さった、異業種交流の、若手経営者の方々との
懇談会に出席しました。

 もちろん、業種によって事情は違いますが、押し並べて厳しい環
境の中で、外に向けて新しいビジネスを売り出していきたいという
思いを持った人が、何人もいることに心強さを感じました。

 ただ、それにあたって、どこに相談しに行ったらいいかわからな
いとか、役所に、マーケティングの手伝いをしてほしいといった質
問を受けますと、そうした窓口もいくつか用意したはずなのに、ま
だ知られていなかったり、敷居が高いと感じられたりしているのか
なと、もどかしい思いもしました。

 それに対して、とにかく動きまわることで、人や情報のつながり
を、「1+1=2」といった足し算ではなく、掛け算にしていかな
いといけないと、アドバイスして下さった方の意見にも同感しまし
たが、さらに、わが意を得たりと感じたことがありました。

 それは、参加者に声をかけて下さった方が、先輩の立場から若い
経営者の方々に、今夜の会のまとめとして投げかけた言葉で、高知
県民は、人が成功すればねたむし、逆に失敗をすれば、ほらみろ言
った通りだろうと、お互いをくさし合うことが多すぎるという指摘
でした。

 それをやめて、もっとお互いをほめ合い、励まし合って盛り立て
ていけば、県外に向けてビジネスを成功させる人が、もっと出てく
るはずだという話です。

 このことは、日頃から感じ続けていることで、僕もよく口にして
いる県民への苦言ですが、外から高知に来た者ではなく、同じ高知
の先輩が言ってくれることに、違った刺激と伝わり方があるのでは
と期待しました。

|

魚の話を話の肴に(4月22日)

 この日は、朝早くに家を出て、愛媛県との境にある、旧本川村の
中野川で、毛ばりを使った渓流釣り、フライフィッシングを楽しみ
ました。

 などと言いますと、あたかもベテランの釣り師かのように聞こえ
ますが、実はこの日が初体験でした。

 種を明かせば、以前、僕がパーソナリティーをしていたラジオ番
組に、この川で釣り場の管理をされている方に、出演願ったのがご
縁の始まりでした。

 ただ、現役の知事時代から、一度体験してみたいと思っていたも
のの、結局は、約束を果たせぬまま知事を退任してしまいましたの
で、この日あらためて、挑戦することになったのです。

 インストラクターを務めて下さったのは、大阪から、奥様のふる
さとの高知にIターンをした方で、フライフィッシング専用の管理
区域の中を、下流から上流へといざなってくれます。

 とはいえ、すべてが初めてですから、目に見えないほど細い釣り
糸に、自分で毛ばりをつけるのはとても無理で、インストラクター
の技に頼るばかりです。

 そんなわけで、当方は、万端整った後に釣り竿を受け取るや、や
おら竿を振るって、毛ばりを水面に投げ込むのですが、後ろの木の
枝に引っかかるは、水面の岩に挟まるはで、貴重な毛ばりを何度と
なく付けかえていただく羽目になりました。

 この毛ばりは、鶏の羽毛などを使って、季節ごとに、川面に現れ
る虫や幼虫の姿に似せて作るものですので、丹精込めた作品が無残
に消えていくのを、ただただ申し訳なく思うばかりです。

 考えてみれば、餌を使った釣りと違って、これほど手間暇のかか
る、非効率な釣りはありませんが、それだけに、魚との知恵比べを
楽しむという、とても高尚な釣りでもあります。

 途中、水面から魚影が見える場所もありましたが、こちらから、
相手が見えているということは、相手からも、人の姿が見えていま
すので、こういう時には、岩陰に隠れるなど、こちらの姿をみられ
ないようにしながら、毛ばりを投げなければなりません。

 などなどのうんちくを楽しみながら、上流へ向かうこと2時間余
り、もう駄目かと思っていたところに、見事引っかかってくれたア
マゴ(高知ではアメゴと言います)がいました。

 ところが、こちらは、また岩に引っかかったのかと思って、何度
か竿を引いたのですが、それが怪我の功名で、針が抜けないまま、
たも網のもとまで来てくれました。

 取ったら放すのがルールの、キャッチ・アンド・リリースですの
で、記念の写真を撮りまくった後、たもに入れたまま川に戻してあ
げましたが、その際にも、魚は水温の低いところにいるため、手で
握ると、人の体温で魚がやけどをしてしまうということで、これも
また、うんちくを増やすお話でした。

 後で聞くと、インストラクターの方も、釣れればいいけれど、ま
さかそれはないだろうと思っていたそうで、「橋本さんは、何か強
い星を持っているのだろう」と持ち上げられましたが、これぞまさ
に、ビギナーズラックだったのでしょう。

 ということで、生まれて初めての、フライフィッシングによるア
マゴ釣りを肴に、自慢話とうんちく話ができそうだと、ほくそ笑ん
だ一日でした。

|

わかりやすい書類を(4月21日)

 この日は、女性の方々とのミニ集会を、市内の何か所かで開きま
したが、話題の一つは、役所から送られてくる書類のわかりにくさ
でした。

 わが家も、夫婦そろって60歳を超えましたので、年金やら介護
保険やら、様々な文書が送られてきますが、僕が読んでも、内容が
よくつかめないものが数多くあります。

 ましてや、我々以上の高齢の方が読んだら、何が書いてあるかわ
からないのが、当り前ではないかと思います。

 この日開いたミニ集会には、お年寄りもおられましたので、どこ
でも、後期高齢者の医療保険のことが話題になりましたが、よく聞
いてみると、新しい制度の内容と趣旨を理解した上で、あれこれ言
われているわけではないようなのです。

 というのも、たとえば、問題になっている、保険料の年金からの
天引きのことも、徴収する側から見て取りはぐれがないというだけ
でなく、払う側から見ても、支払いが滞っていたために、医療費を
満額請求されるような事態を、未然に防ぐことができるといった利
点があることをお話すると、それもそうだねえというお答えが返っ
てくるからです。

 もちろん、この制度は、はじめに財政の事情あり気で導入されて
いますから、内容そのものにも、財政論が先走った問題点があるこ
とは否めませんが、それ以前に、法律が成立してから十分な時間が
あったにもかかわらず、正直でかつ分かりやすい説明が、全くなさ
れていなかったことに、多くの方が、不安と不満を感じられている
ことがわかりました。

 そんなことを考えるうちに、先日お会いした方が話されていた、
採用されやすい申請書の書き方の話を思い出しました。

 この方は、大学の教授や産業振興にかかわる仕事をされていまし
たが、文部科学省の科学研究費や、経済産業省などの補助金を取る
ための、申請書の書き方が、誰も上手でないことに気づいて、相手
に通じやすい文章の作り方をパンフレットにまとめました。

 これと同じで、お年寄りが相手なら、お年寄りにもわかる説明を
することが、これからの政治には欠かせないことですので、新しい
制度ができた時に、正直で分かりやすい説明文を作る専門家が、作
れないものかと考えました。

 そうすることで、「天引き」のことはもとより、「後期高齢者」
や「姥捨て山」といった、言葉だけが独り歩きする議論ではなく、
新たに導入される担当医の制度で、何がどう変わるのかといった、
内容にかかわる議論が深まるのではないでしょうか。


|

«ジャッジをする力(4月20日)