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2004/07/06

毛利さんの奥様と(7月2日)

 高知新聞の創刊百周年を記念する、講演会とパネルディスカッションに参加するため来高された、宇宙飛行士の毛利衛さんご夫妻と、夕食を共にする機会がありましたので、奥様の彰子さんから、色々とお話をうかがいました。

 毛利さんは、僕より一つ年下ですので、世界で初めて宇宙飛行を体験した、ガガーリン少佐の、「地球は青かった」や、アポロの月面着陸を、中学から大学の時期に体験した世代ですが、ご本人は、宇宙開発の競争に参加できない日本人は、宇宙飛行士にはなれないだろうと考えていたそうです。

 ですから、今から20年あまり前に、「日本人の宇宙飛行士募集」の新聞記事を見つけた、奥様の彰子さんが、「これ受けてみたら」と持ちかけた時にも、毛利さんの答えは、「面白そうだね」といった程度でした。

 一方、彰子さんは、立花隆さんが、宇宙飛行士を取材した、「宇宙からの帰還」という本を読んだのがきっかけで、宇宙飛行士に興味を感じていたため、書類による一時審査の結果が、予定の期日になっても伝えられなかった時には、宇宙開発事業団に電話をして、「どうなっているんでしょうか」と問い合わせたほどで、ご本人の言葉を借りれば、「すっかり、受験生の母親の心境」でした。

 無事、宇宙飛行士に採用された後も、当時TBSのカメラマンだった秋山さんに、日本人宇宙飛行士第一号の座を奪われたり、スペース・シャトルのチャレンジャーの事故による、7年間の空白があったりと、夫婦ともども、様々な心の葛藤がありました。

 それだけに、アメリカでの2年間の準備を経て、勇躍エンデバーに乗り込んだ毛利さんが、宇宙に向けて出発をした時には、彰子さんも、その様子を現場で見送りました。

 その時のことを彰子さんは、「スペース・シャトルが上がっていく時に、ズズズズという地響きが伝わって来るんですが、その地面から伝わって来る震えと、自分自身の胸の震えが重なって、何とも言えない思いがしました」と振り返っていますが、そのお話を聞いていて、二人三脚のゴールならではの感動が、こちらにも伝わってきました。

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