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2004年10月

2004/10/19

しばらくお休みします

13日づけで高知県知事を辞職しました。13年前の知事選挙をめぐる取材と、新しい県政のビジョンづくり、さらには県民のみなさんに向けた説明のため、しばらくこのコーナーはお休みします。

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2004/10/07

障害者スポーツの曲がり角(10月6日)

 6日の午前、アテネで開かれたパラリンピック、つまり障害者のオリンピックに参加した、高知県の選手とコーチの方が、帰国報告に来てくれましたが、障害者スポーツの世界でも、「プロ化」が進んで、大会そのものが曲がり角に来ているとの話を聞きました。

 そのお話によりますと、障害者の分野でも、フルタイムで練習をしている選手がふえているとのことで、国の費用で選手の生活を見ている国もあれば、アーチェリーのように、障害者も健常者と一緒に競技できる分野では、賞金の出る大会に出て生活費を確保する、本格的なプロもいるとのことでした。

 こうした傾向は、ソウルの大会以降、顕著になったということですが、日本では、長野県で開かれた、冬季のパラリンピックでの、日本人選手の活躍が、リハビリ型スポーツから、競技型スポーツに向けての動きに、一気に火をつけたとのことです。

 ただ、その結果、リハビリを兼ねた、障害者の社会参加を目指して、活動してきた指導者からは、これまでの取り組みは何だったんだろうという声も起きているということですし、ボランティアで、国際大会に出場する選手の、選考に当たっている役員が、選に漏れた選手から、訴えられるといった事態も起きているということでした。

 こうしたことから、わが国としても、今後どの方向を目指すのか、判断の岐路に立たされているとのことでしたが、世間から注目を浴びれば、当然のように、商業化やプロ化が進んでいく時代ですので、とても難しい問題だと思いました。
 

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地道な仕事の大切さ(10月5日)

 5日の午後、出納長が、長期間不在になっていることについて、幹部の職員と意見交換をしましたが、地道でも欠かせない仕事についている職員を、どう評価していくか、その視点の大切さを指摘されました。

 高知県では、議会の理解を得られなかったこともあって、公金の出し入れの責任者で、知事や副知事とともに特別職でもある出納長が、この4月から、半年余りにわたって不在になっています。

 そのことで、出納の仕事そのものに、特段の支障が出たことはないのですが、もともと出納の仕事は、行政には欠かせない仕事ながら、その反面、縁の下の力持ち的な、目立ちにくい仕事ですから、特別職の出納長がトップにいるという重しが、仕事の重みの実感にも、つながっている面があったかと思います。

 特に、日頃の仕事の中で、公金の扱いについて、是正を指摘しても、同じことをくり返す部署が多いといったことから、仕事の手応えへの、物足りなさもあるでしょう。

 こうしたことから、意見交換をした職員からも、地道ながら、欠かせない仕事への評価を、指摘されたわけですが、評価はもちろんのこと、指摘事項が、相手側にきちんと守られるような、仕組みが必要ではないかと感じました。

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2004/10/06

大河はつらいよ(10月4日)

 4日の午後、東京渋谷のNHKに、海老沢会長を訪ねて、2年後の大河ドラマ「功名ヶ辻」の中で、少しでも高知の出番をふやしてくださいと、お願いしてきました。

 まずは、ドラマの担当の方に、おととい掛川市で開かれた「一豊公・千代様サミット」で、ゆかりの自治体の首長から、様々な注文が出た話をしますと、「いや、それならまだ良い方です。来年の義経と弁慶は、全国のあちこちに伝説が残っていますから、例えば、弁慶が子どもの頃に、お手玉に使った石なんていうのもあるんです」とのことで、世の中、上には上があるものだと感心させられました。

 ただ、会長によると、舞台が一ヶ所しかないと、なぜあそこだけをと、全国から批判が寄せられるため、ゆかりの土地が多い方が、その点では助かるとのことで、当然のことながら、作り手の苦労と経営側の判断とには、違いがありました。

 また、会長の話では、吉川英治や司馬遼太郎といった、大家の原作者が作った、登場人物のイメージは、読者の頭に強く焼きついているそうです。

 このため、例えば、宮本武蔵の場合には、お通役の女優が大柄すぎるといった苦情が寄せられたということで、会長からは、「くれぐれも、原作のイメージを崩さないように」とのお達しが、スタッフに出されていました。

 人気ドラマの担当者と言えば、花形の仕事ですが、いろいろな声に挟まれて、さぞ大変なことだろうと、少し同情してしまいました。

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時代はまわる(10月2日)

 2日の日中は、静岡県の掛川市で開かれた、「一豊公・千代様サミット」に出席しましたが、色々な意味で、時代を感じる一日でした。

 このサミットは、土佐藩の初代藩主の山内一豊と、その妻千代の、故郷や領主として務めた土地など、二人と縁のある、11の自治体が開いているもので、今年で11回目になります。

 会場になった掛川市は、関ヶ原の戦いの論功で、一豊が土佐24万石を与えられる前、5万石の領主をしていたところで、掛川城の復元を機会に第1回のサミットが開かれた時にも、参加したことがあります。

 掛川駅に着くと、迎えに出て下さった市長さんが、「10年前の写真がありますよ」と、駅のコンコースに飾られていた、第1回のサミットの、写真パネルを見せてくれましたが、写真の中の僕の髪は黒々としていて、黒から白へと、オセロのような10年の転回を感じました。

 今年は、2年後の2006年のNHKの大河ドラマに、一豊と千代をモデルにした、「功名ヶ辻」が決まったばかりということもあって、つま恋のヤマハ・リゾートの会場は、600人をこえる人で超満員です。

 パネルディスカッションの主役は、各自治体の首長さんたちですので、会場内の席で、皆さんの話に耳を傾けていますと、隣にいたNHKの局長さんが、「イチローが打ちましたよ」と、小声で話しかけてくれました。

 それが、日米の間の戦争を挟んだ、84年という時代を超えて、イチローが、大リーグの最多安打記録に並んだこと知った瞬間でしたが、再び舞台に目をやると、一豊と千代にまつわる蘊蓄と思い入れが、次々と披露されます。

 木曽川町長(愛知県。一豊の出身地とされる) 「わが町にあった城が落とされて、父を亡くした少年時代の一豊が、命からがら城を抜け出して、川を渡って逃げる物語を、私がミュージカルにしました」
 
 近江町長(滋賀県。千代の出身地とされる) 「豊臣方から、徳川方へと鞍替えするにあたって、その旨を伝える密書を運んだのは、田中某という、わが町の人でした」

 虎姫町長(滋賀県。はじめて4百石の石高を得る) 「雪がしんしんと降る中での、夫婦の姿を是非」

 長浜市長(滋賀県。5千石の領主になる) 「城主になって2年目の、天正14年に、町屋敷の年貢を免除しましたが、このおかげで、近隣から多くの商人が越してきて、商業の町として栄えるようになりました。これは、戦国版の経済特区政策と考えられないでしょうか」

 掛川市長(静岡県。5万石の領主だった) 「朝鮮出兵の際に、一豊は秀吉から、歌を作れと言われたのですが、家康が出兵に反対であることを知っていた千代が、あまり急がずに、先延ばししていればいいと、夫に助言をしたと言われます。これは、イラク派兵への態度決定にも、重なりあうものがあるように思うのですが」

 考えてみれば、一豊は戦国の時代に、信長、秀吉、家康という、極めて個性的で猜疑心も強い、3人の天下人に仕えて、最後まで生きのびた武将ですので、61才という生涯の中でも、時代は次々とまわっていったのだろうなと思いました。

 そのサミットからの帰り道、駅まで送ってくださった市役所の方と、会場になった、つま恋・リゾートをはじめ、ヤマハ・グループの創始者だった、川上源一さんの話をしていますと、その方が、おととし亡くなった川上さんの葬儀の際の、印象的な出来事を話してくれました。

 それは、誰にも、知らされていなかったことでしたが、2千人をこえる参列者の前に、黒のドレスに身を包んだ中島みゆきさんが現れて、「こんな時代もあったねと」と、彼女のヒット曲の一つ、「時代」を歌って、そのまま式場を後にしたというのです。

 そう言えば、あの歌は、ヤマハの開いている、コンテストの優勝作だったなと思いながら、「まわるまわるよ時代はまわる」という一節を、声も出さずに口ずさんで、今日の1日を振り返っていました。

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2004/10/05

県議会での質問戦(9月28日〜10月1日)

 9月28日から30日までは、県議会の本会議で、また、10月1日は予算委員会で、一日中、質問を受けていました。

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わが母校の躍進(9月27日)

 27日の午後、小泉内閣の新しい顔ぶれが決まりましたが、自民党の三役も含めて、僕の出身校の先輩や後輩が、引き続き重要な地位を占めています。

 その学校は、東京の港区にある麻布高校ですが、中高一貫の自由の気風の強い学校で、僕にとっては、とても居心地のいい場所でした。

 ただ、見方を変えれば、都会育ちのお坊ちゃんの集まりと、言えなくもありませんから、手練手管にたけた人の多い政界では、これまで、あまり名を残す人がいませんでした。

 それが、麻布の卒業生である、兄の龍太郎が総理になった頃から、がぜん表舞台に顔を出すようになってきて、小泉内閣では、その後有名人になった、前の官房長官の福田康夫さんをはじめ、平沼赳夫さん、谷垣禎一さん、鈴木俊一さん、中川昭一さんと、次々と主要なポストを占める人が出てきました。

 今回も、与謝野馨さんが政調会長に就任した他、谷垣さんが財務大臣に、中川さんが経済産業大臣に留任していますので、麻布勢は健在という結果になりましたが、それだけ、二世議員の定着化が、進んできた証とも言えると思います。

 と同時に、地方からものを見る目が身についた者からすると、国の政策が、いよいよ都会よりの判断に傾いていくのではないかと、いささか気になります。

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2004/10/04

分けあう気持ちをここでも(9月25日)

 25日の朝、徳島県の藍住町にオープンした、高知競馬の、場外馬券売り場の開所式に参加しましたが、以前この欄でも指摘した、持てるものとそうでないものとの間の、分けあう気持ちの大切さを、この分野にも感じています。

 地方競馬は、どこも大変厳しい経営状況で、昨年度も、全国の大半の施設は赤字を記録しましたが、そうした中、高知競馬は、ハルウララの話題もあって、単年度では黒字になりました。

 とは言え、売上げそのものは、前年に比べて大幅に落ち込んでいますので、黒字になったのは、売上げの範囲で全てのコストを賄おうという、関係者の身を切るような努力の結果にすぎません。

 このため、少しでもマーケットを広げようとの思いで、東京の大井競馬と共同で開設したのが、高知競馬としては初めての、県外の発売所になるこの施設ですが、多額の赤字を抱える団体ですから、自ら出資するのではなく、建設から運営までを、全て民間の会社にまかせる形になっています。

 ただ、こうした地方競馬の厳しい経営環境の背景の一つには、中央を地方が下支えをするというピラミッド型で、日本の競馬界が成り立ってきたにもかかわらず、中央競馬の側には、その収益の一部を地方と分けあおうといった工夫が、全く見られないことがあげられます。

 地方交付税や、プロ野球の再編問題、さらには、地上波テレビのデジタル化に向けての課題にからめて、この欄でも、持てるものとそうでないものとの間の、分けあう気持ちの大切さを、指摘したことがありますが、競馬界にもそれと同じことが言えそうです。 

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小さな失敗のうちに(9月24日)

 24日の午後、県内の企業家の方と、話をする機会がありましたが、小さな失敗を見つけたら、出来るだけ早く公開をした方が良いと、強調されていたのが印象的でした。

 この方は、電子製品などの、部品を作っている会社の社長さんですが、かつての幹部社員の中に、小さなミスを、出来るだけ隠そうとする人がいて、これではいけないと悩んだことがあったそうです。

 その社長さんが感心をしたのは、大手の電機メーカーの例で、その会社では、「こんな失敗があった」とか、「こんなクレームがあった」といった、小さなミスの報告にあたるビラが、各部署ごとに貼り出されていたといいます。

 これを見て、小さな失敗のうちに、その情報を公開して、会社全体で共有することが、大きな失敗を未然に防止する、秘訣だと悟ったということでしたが、とかく小さなミスを隠したがる結果、きず口を広げがちな、行政という組織をあずかる者にとっては、とても耳の痛い話でした。

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よさこいソーランの起源(9月23日)

 高知の真夏のお祭り「よさこい」は、10年余り前に、北海道の札幌で、「よさこいソーラン」が始まったのをきっかけに、全国に広がりましたが、23日の午後、知事公邸でお目にかかったお年寄りから、50年前に、「よさこい」が始まった翌年に、すでに札幌の大通り公園で、「よさこい」が踊られた歴史のあったことを知りました。

 この方は、もうかなり年輩の方ですので、昭和29年に、高知商工会議所が、「よさこい」を始めた時の事情を、よくご存知なのですが、そのお話によると、当時は、「徳島の阿波踊りがあるのに、そんなことを始めても」と言った空気が強かったそうです。

 それでもと、50年前に、第1回の「よさこい」が開かれたのですが、その翌年に高知で開かれた、ある全国大会が、その翌年の昭和31年には、札幌で開催されたため、その年に、高知のチームが札幌まで出かけて、大通り公園で、「よさこい」踊りを披露したことがあるということでした。

 その話を聞くまでは、「よさこい」と札幌とのご縁は、10年余り前に始まった「よさこいソーラン」が起源だとばかり思っていましたので、そんな昔から、つながりあったのかと驚きました。

 「よさこいソーラン」をきっかけに、「よさこい」は、今では、全国の200ヶ所以上のお祭りやイベントに、採りいれられるようになりましたが、「よさこい」と札幌との間は、見えない糸ででも結ばれているのかもしれません。

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役所を見る目(9月22日)

 22日の午後、県内の中小企業の経営者らと、意見交換をしましたが、役所に対する厳しい目を、あらためて感じました。

 この方々は、長年にわたって、異業種交流の会を開催されているグループですので、どちらかと言えば、新しいビジネスへの提案などがうかがえるのかと思って、会場に出かけたのですが、案に相違して、県の仕事への疑問や不満が相つぎました。

 その中の一つが、公務員の給与に関することで、県の財政が危機に瀕していることから、向こう3年間、一般の職員で3パーセント、管理職で5パーセント、給与を削減する方針を立てたことは、評価をしてもらえました。

 しかし、この方針を受けて、職員団体の幹部が、県内の中小企業の仲間達にも、悪い影響を与えかねないといった趣旨の、コメントを出していることに対しては、「勝手に中小企業を引きあいに出してもらいたくない」とご立腹でした。

 役所の側には、それなりの理屈がありますが、そればかりでは、県民の目線とのずれが、ますます広がりかねないと、自戒の念もふくめて噛みしめました。

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深層水のタラソテラピー(9月21日)

 21日の午後、室戸市の海洋深層水を使って、タラソテラピーの建設を計画している東京の企業と、県と市の三者の間で、進出協定が結ばれました。

 この会社は、メイクアップ・アーティストの会長のもと、化粧品のメーカーとしてスタートしましたが、これまでにも室戸市で、海洋深層水を使った化粧水のほか、塩やにがりを作る工場を、立ち上げてくれています。

 その会長さんが、同じ室戸市に、深層水を活かしたタラソテラピーを作りたいと、申し出てくれたのは、もう数年も前のことで、一緒にフランスのノルマンディーまで、タラソテラピーの施設の視察に、出かけたこともありました。

 ところが、室戸市は、台風の常襲地域ですので、建設予定地にある防風林に、手を入れることへの不安や反対も、地元には根強くありましたが、ようやく住民の皆さんの理解が得られて、事業が進み出すことになりました。

 海洋深層水を活用したビジネスは、高知県が、全国に先駆けて手がけた事業で、現在は、関連製品の年間の出荷額が、135億円にまで伸びていますが、他県の参入もあって、競争は年々厳しくなっています。

 それだけに、室戸の深層水に含まれている、ミネラル成分の効用の科学的な裏づけや、ブランド化による差別化が求められていますが、深層水を使ったタラソテラピーの実現は、室戸の海洋深層水全体のブランド化にも、大きな効果があるものと期待をしています。

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