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2005年1月

2005/01/31

当然の法理(1月26日)

 26日午後、最高裁判所は、外国籍の職員の管理職への登用を、一律に拒否している東京都の措置は、憲法や法律に違反しないとの判決を言い渡しましたが、結果的には、外国籍の人の、公務員への採用を認めた内容で、時代の経過を感じさせる判決でした。

 もう10年も前のことですが、外国籍の方の公務員への採用を認めていなかった、当時の制度に疑問を持って、受験資格から、日本国籍に限るとした、いわゆる国籍条項の撤廃に取り組みました。

 そもそも昔も今も、外国籍の人が、公務員になることを禁じる法律の規定は、どこを探しても、何一つありません。

 これに対して、国は、日本人しか公務員になれないのは「当然の法理」だという、理屈のための理屈を盾に、かたくなに国籍条項の撤廃に抵抗をしましたが、その後、高知県をはじめ多くの自治体で、形には違いがあっても、国籍条項の撤廃が進んできました。

 そんな中、今回の裁判は、管理職への登用資格を拒否された外国籍の東京都職員が、法の下の平等を定めた憲法に違反するなどの理由で、争っていたものですが、最高裁は、外国籍の職員を管理職に採用するかどうかは、自治体の裁量に委ねられているので、これを一律に拒否したとしても、そのことをもって、憲法違反や労働基準法違反にはならないと 原告敗訴を申し渡しました。

 しかし、その反面で、外国籍の人を公務員として採用することを、この裁判に至る前提として認めている訳ですし、争点になった管理職への採用すら、各自治体の、自由な判断に任すことを明言していますので、原告の方には残念な結果でも、外国籍の人に、公務員への門戸を開くという面では、大きな意味を持つ判決になりました。

 高知県が、国籍条項の撤廃を言い出した時、旧自治省の担当者が、入れかわり立ちかわり、「説明」に来られたことを思い起こしますと、大きな時代の流れを感じますし、最高裁に見向きもされなかった「当然の法理」とは、一体何だったのだろうとも思います。

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2005/01/26

去りゆくドンたち(1月25日)

 25日の夜、NHKの海老沢会長が、辞任の会見開きましたが、西武の堤さんといい海老沢さんといい、面識のある方々が表舞台から姿を消すことに、いちまつのさみしさを感じます。

 海老沢さんは、政治部畑と社会部畑という違いこそあれ、NHKの記者時代の大先輩として、また上司として、教えてもらったことも数多くありますが、大きな事件や事故が起きたときには、休みの日でも近くにいなかったことがないと言うくらい、運と勘の強い人でした。

 また、情と縁を大切にする人ですので、知事になってからも、何かとお世話になりましたが、来年の大河ドラマに、土佐藩の初代藩主、山内一豊とその妻千代の出世物語、「功名が辻」が決まった時にも、いち早く知事室に、その旨のお電話をいただきました。

 まさに、その同じ日に、奇しくも堤さんからも、電話をもらったのですが、その内容は、プロ野球の再編に絡むもので、「パリーグの球団の合併は、将来は1リーグ制に向かわざるを得ないので、その際に出来てくる、3軍の選手の受け皿づくりを、四国独立リーグの立ち上げを目指している石毛(元オリックス監督)と、話しあってみてほしい」といったものでした。

 早速、石毛さんとも話をしましたが、将来プロ入りを目指す若手の、活躍の場を作りたいといった石毛さんの構想と、堤さんの思いには、かなりのずれがありましたので、そのことを堤さんに話に行こうと思っているうちに、再編問題は選手会のストへと発展しましたし、やがて、読売の渡辺さんも堤さんも、その場から、姿を消すことになりました。
 
 その石毛さんの手がけた、四国独立リーグが、この4月からスタートすることになりましたので、県内の企業への協力要請のため、25日、石毛さんが高知に来られたのですが、夜の会合でお会いしますと、話はいつの間にか、堤さんのことに及びました。

 堤さんの際立ったワンマンぶりは、2人の共通の思い出ですが、石毛さんが、鈴木宗男元議員を最後まで支えた、  千春さんのことをあげて、「世話になった人たちが、手のひらを返すようなことをするのは見苦しい。こういう時こそ、誰か堤さんを守る人が、出てこないものでしょうか」と言われたのが、ある種スポーツマンらしくて新鮮でした。

 鈴木議員と言えば、この間、北海道の方とお会いした時、「彼がいなくなったために、ロシアとの秘密のルートが切れて、カニの値段が上がったという噂がある」と話していましたが、ことの真偽はともかくとして、そうした噂が真実味をおびるくらい、北海道のドンには、力があったということでしょう。

 ひるがえって、相次いで表舞台から消えていくドンたちには、どんな噂話が残るのだろうと思いますが、ちょうど、石毛さんと話をしているさなかに辞任会見をした、海老沢さんは、運と勘の強い人ですので、まだ使い果たしていない運が、残されているような気がしてなりません。

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幹事のいない宴会(1月24日)

 24日、医療保険の関係者から、メールを受け取りましたが、老人医療費がふえ続ける実態を、「幹事のいない宴会」と例えた表現は、なかなか当を得たものだと、感心をしてしまいました。

 三位一体の改革の影響もあって、高知県の財政は、厳しくなる一方ですが、その原因の一つは、老人医療費や介護保険での県の負担分が、ふえ続けていることですので、このことへの対応について、様々な角度から議論をしてきました。

 このため、事情を知る関係者の方が、医療費がなぜふえ続けるのかの考察を、メールで伝えて下さったのですが、まず第一に指摘されていた点は、今の医療保険制度が、フリーアクセス(誰でもいつでも診療を受けられる)を前提にした出来高払いであるうえ、治療に当たっては、医師の判断が優先される反面、その医療技術に対する評価制度がないことです。

 また、院外処方が急速に普及してきたため、保険医療機関と保険薬局の双方が評価を受ける結果、その分診療報酬が高くなることや、老人医療の実施主体である市町村と、財政の主体である、支払基金や国・県とが分かれているため、保険料の徴収事務や、財政上の責任のない実施主体には、医療費の増加を抑えようという動機づけが働かないといったことも挙げられています。
 
 これらの分析の上に立って、老人医療を、「幹事のいない宴会」に例えているのですが、その心は、「誰でもいくらでも飲めて(フリーアクセス)、飲んだ分だけ店の売り上げはふえるため(出来高払い制度)、費用が際限なくかさむ上、かかった費用は全部割り勘になって回ってくる」というものでした。

 お年寄りの医療費を、飲み会に例えることに、品がないと眉をひそめる人もいるでしょうが、実に当を得た表現だと思いました。

 また、それだけに、糖尿病を始めとする、生活習慣病への対策など、一次予防に力をいれた、治療から予防への具体的な転換が、ますます必要になっていると感じました。

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2005/01/25

「セントレア」の語源(1月22日)

 22日は、中部地区の高知県人会に出席のため、名古屋に出張しましたが、間もなくオープンする、中部国際空港の愛称「セントレア」の、裏の語源を教わりました。

 中部国際空港は、今年3月末から愛知県で開催される、「愛・地球博」にあわせて、東南アジアや欧米と中部地区とを結ぶ空港として、整備が進められてきましたが、いよいよ来月17日に、「セントレア」という愛称で開港の運びとなりました。

 そこで、名古屋出張の際にお会いした、地元の経済界の方に、新空港のセールスポイントをうかがうと、本格的なフレンチのレストランから、銭湯までそろった空港とのお返事が返ってきました。

 聞けばこの銭湯では、お風呂につかりながら、離発着する飛行機を眺められるとのことで、風呂好きの日本人の心を巧みにとらえた、かなりの知恵者がいたものだと感心をしましたが、一般のお客様だけでなく、いわば業務用の利用も想定されていると言います。

 なぜかと言えば、スチュワーデスなど上空の機内で勤務する方は、髪の毛にイオンが着いて、シャワーくらいでは落ちなくなるため、かなりの人が、銭湯を利用して髪を洗うのではないかとの、読みがあるからとのことでした。

 また、「セントレア」という愛称にも、「銭湯のあるレアな(めったにない)空港」という、裏の語源があると教わりましたが、本来の語源は、セントラル・エアポート、つまり中部地区の空港を略したものだそうです。

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漁夫の利を得るのは誰か(1月21日)

 このところの放送や紙面を見ますと、従軍慰安婦問題をテーマにした、NHKの番組をめぐって、当のNHKと朝日新聞との間で、批判の応酬が続いていますが、取材の手法や危機管理の在り方など、事実関係を知らない第三者の目にも、なんとも言えない危うさと不安が映る出来事です。

 この問題には、そもそもの発端になった、番組そのものの内容と製作の経過、それに対する政治家の「介入」のとらえ方、さらには、朝日新聞の取材をめぐる出来事と、報道に関わる重要な問題が、いくつも折り重なっているため、いささか焦点がわかりにくくなっています。

 このうち、政府与党の関係者とNHKとの関係については、20年間、NHKの取材現場で働いたものとして、予算という人質を取られている報道機関の弱みも、その中で、幹部も含めて職員が、結構したたかに権力と闘っている実態も、知っているつもりですが、今回のことは、事実関係を知りませんので、安易な評論は出来ません。

 また、問題の番組も見ていませんので、これまた評価が出来ませんが、4分間を削る前と、削った後の違いや、バランスをとるために挿入された、識者の意見が入る前と後の違いを、見てみたい気はします。

 そうした中で、危うさや不安を感じるのは、朝日新聞の取材をめぐるトラブルで、自分自身が、取材をする側からされる側にまわった、10年余りの間の経験からも、デスクから現場に至るまで、推測や評論を排して、取材を通じた事実の積み重ねの上に、バランスを持った評価を加えていく力が、かなりおとろえてきていると感じています。

 今回のことが、それに当たるかどうかはわかりませんが、NHKに対する取材では、取材源は全て表に出ていますので、その取材の過程で得た事実や証言と、その情報をどう評価したかを明確にすることで、上に述べたような危惧が、的はずれかどうかは明らかになるはずです。

 一方、こうした取材力への不安以上に、その後この問題が、朝日新聞とNHKとの対立に構図を変えてきたことと、その際の両社の危機管理の在り方に、いささかの危惧を感じています。

 と言うのも、インタビューという、ある種単純な取材をめぐって、こうした争いを続けることは、広く国民に信頼されてきた、報道機関両者にとって、決してプラスになることではないからです。

 ですから、NHKが、内部告発をした番組制作者の記者会見に、即座に反応したことは、わからないではありませんが、ここは両社とも、自社の組織を守るための危機管理ではなく、権力に対して、報道の自由を守るための危機管理に、もっと心をくだいてほしいと感じています。

 そうでないと、どちらの勝利で、ことが決着するにしろ、これまで、国民に強い影響力を持ってきた報道機関への信頼が、大きく揺らぐことになりますが、そのことで誰が漁夫の利を得るかを、よく考えないといけないからです。

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憲法改正の視点(1月20日)

 20日の午後、東京で開かれた、林野庁主催の森づくりのシンポジウムに、パネラーとして参加しましたが、会場の質問に答える中で、憲法改正の焦点は9条だけではないとの、自分なりの問題意識の一端をご披露してみました。

 会場からの質問は、「間伐などによる森づくりを、地域ごとにばらばらに進めるのではなく、計画的に、また一体的に取り組むべきではないか」との内容で、炭酸ガスを吸収することで、地球温暖化の防止に寄与する、森林の役割などを考えれば、しごくもっともなご意見です。

 しかし、山の現場の現実を見ますと、多くの人が故郷を離れてから、かなりの年月が経過する中で、地元にいない、「不在村地主」と呼ばれる人がふえてきた上、相続を重ねる中で、所有権も細かく分割されていっています。

 このため、国有林や、県が市町村が持つ公有林ならともかく、民有林の手入れをしようとすれば、他人の土地に勝手には入れませんから、東京や大阪まで行って、一人一人の所有者の了解を得ないといけないことになります。

 その一方で、もし了解が得られたとしても、その人がお金を負担しないで、行政がそれを肩代わりするとなれば、税金を使って、個人の土地の森林の価値を、つまりは、個人の所有物の、財産価値を高めるという問題が生じます。

 こうしたことから、地球温暖化や災害の防止、さらには、広い意味での自然環境の保護のために、より公益的な視点から、森林を管理していくとすれば、土地の所有が、時代とともに細かく分割されていく、現在の相続制度のあり方も含めて、憲法にまでさかのぼった議論が必要になります。

 この日は、たまたまパネラー席のお隣に、自民党の新憲法起草委員会のメンバーである、舛添要一さんがおられたこともあって、憲法改正の焦点は9条だけではないと言った、かなり大上段に振りかぶった答えをしてしまいました。

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自治体日本研究所(1月19日)

 19日の夜、東京の麹町で、このたび全国知事会の会長を退任される、岐阜県知事の、梶原さんの労をねぎらう会が開かれましたが、地方の自立に向けた、意気軒昂なお話をうかがいました。

 梶原さんは、今期で岐阜県知事を退任されるため、自動的に、全国知事会の会長の職も、退かれることになりますが、三位一体の改革の中で、国からの移譲を求める、3兆円分の補助金と負担金のリストを、地方の側でまとめるようにとの、国から投げかけられた球を、見事に打ち返せたのも、ひとえに、粘り強さとおとぼけも含めた、梶原さんの力のたまものでした。

 このため、この後も正念場が続く、補助金改革や地方交付税の見直しの流れの中で、誰が次の会長職を引き継ぐかは、かなり重要なテーマですので、この席でも、石原東京都知事に対する梶原さんの評価など、興味ある話が聞けました。

 また、青年会議所やロータリークラブ等のように、「直前」会長として参加してはといった話も出ましたが、梶原さんは、当面は岐阜に居を構えて、「自治体日本研究所」を立ち上げたいと意気盛んでした。

 と言っても、事務所を置いた研究所ではなく、ネットの上に作る、ホームページや掲示板スタイルの研究所を目指すとのことで、永田町や霞ヶ関に代表される日本とは違う、全国の自治体がまとまった、「もう一つの日本からの主張」が、基本的なコンセプトのようでしたが、そこにいたメンバーは全員、強制的に、会員になることを約束させられました。

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てにをはの語感(1月18日)

 18日の午前、東京のホテルで、高知の野菜をPRする記者発表に出席しましたが、標語のてにをはを変えた方が、インパクトがあるのではないかと感じました。

 県では、本県出身の漫画家、やなせたかしさんに、ショウガ、ナス、ピーマン、キュウリ、ミョウガ、シシトウ、オクラなど、生産量の大きな11種類の野菜の、キャラクターを作ってもらっていますが、このキャラクターを使ったテレビCMを、今月21日から、近畿地区で放映することになっています。

 このため、やなせさんにも出席していただいて、高知野菜のキャンペーンをしたのですが、キャッチコピーの言葉を見て、もうひと工夫した方がいいのではと感じました。

 と言うのも、手もとのパンフレットには、「高知野菜で地球を救え」という、コピーが書かれていたのですが、自分の感覚では、「高知野菜が地球を救う」の方が、訴える力が強いのではと思ったのです。

 単に、てにをはを変えるだけのことですが、それだけでも、伝わる語感はずいぶん違うはずです。

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「ぷらっとこうち」の悩み(1月15日)

 15日の午後、県がネット上に開いている、県民の皆さんのための意見交換の場、「ぷらっとこうち」の運営委員の方々と意見交換をしましたが、県の職員の参加が得にくいなど、悩みの尽きない話でした。

 「ぷらっとこうち」は、県民参加型の事業の一つですが、県民の皆さんの建設的な意見と、それに対する県の側の考え方が、ネット上で向きあう中から、官と民との、新しい関係が生まれてくることを期待しています。

 ところが、県が運営しているサイトなるがゆえに、県の仕事や職員への不満や批判が、数多く書き込まれるため、それに嫌気のさした人が、尻込みをしてしまう実態もあります。

 一方、県の職員の側には、公務員の肩書きを背負って発言をするからには、上司の許しがいるし、そうでないと、後で、「県の職員が、こう答えていたじゃないか」と突っ込まれた時に、辛い立場になるといった思いがあります。

 あわせて、県の職員の中には、あまり役に立つ情報や意見もないので、正面からはおつきあいしかねるという、冷たい反応が数多くあります。

 このため、サイトでのやり取りを通じて、県と関わりが持てると思っていた人には、その期待を裏切ることになっていますし、それをセールスポイントに、このサイトの利用を呼びかけていた人をも、戸惑わせる結果になってきています。

 そうした問題点を解決するために、どんな手法が考えられるかについて、色々な角度からの意見が出ましたが、ひと言で県民参加とか、県民と向きあうといっても、そのためには、まだ多くの壁を取り除かないといけないと感じました。

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2005/01/24

男も通う女子大(1月14日)

 14日午前、高知女子大学の学長と、大学改革について意見交換をしましたが、その中で、高知女子大学という名前を大切にするのなら、男子が通う女子大学があっても、良いのではという話しになりました。

 高知女子大学は、看護学部を中心に、半世紀の歴史を持つ大学ですが、県がお願いをした、改革検討委員会からは、「女子大の共学化」をはじめ、「社会科学系の学部の新設」や「学部の改変」、さらには、「併設している短期大学の廃止」といった提言を受けています。

 このため、学長と意見交換の場を設けたのですが、共学化そのものへの疑問とともに、たとえ共学になるにしても、いち早く、女子大という名前を消してしまうと、大学の競争力が失われるのではないかと言った思いが、根強くあることがわかりました。

 ただ、高知女子大学の、現役学生のアンケートを見ても、「女子大学だから入学をした」という学生は、わずか1パーセントしかいない状況ですし、ここ数年のうちに、県立の女子大を共学化した、山口や熊本の場合も、受験者の数などは減っていませんので、周囲の条件の違いはあるにしても、女子大をやめたからといって、そのことによって直ちに、大学の競争力が失われるとも思えません。

 そこで、「しばらくは、高知女子大学という名前のまま、男子学生の募集もしたら」と提案をして、学長とも意見が合ってしまったのですが、後で考えてみると、履歴書に、「高知女子大学卒」と書く男子学生の気持ちにも、配慮してあげないといけないなと思いました。

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花粉とシックホーム(1月13日)

 13日の午後、高知市内の病院で、花粉症の検査をしましたが、担当の先生から、シックホーム対策への協力を求められました。

 僕は、かなり以前から、花粉症の季節になると、くしゃみや鼻づまりに悩まされていますが、今年は、去年の何倍から何十倍もの、花粉が飛び散ると予測されているため、例年より早めに、アレルギーの専門医のもとを訪ねました。

 幸いなことに、血液検査の結果では、杉の花粉以外にアレルギーはないことがわかりましたが、花粉症の予防の薬をもらって帰る際に、先生から一通の手紙を手渡されました。

 読んでみますと、新建材に含まれる、ホルマリンなどの作用で、住宅や学校に入った人が頭痛や不快感を訴える、いわゆるシックホーム症候群の対策を進めているとのことで、県庁の中に、担当の部署をつないだチームを、立ち上げてほしいとの要請でした。

 このため、県庁に帰った後、早速、関係者に声をかけましたが、シックホームをおこさない、シックレスホームを提供することは、森林の活用といった産業振興の面からも、大きなテーマですので、森林局も巻き込んだ大きな動きにしたいものです。

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高知競馬の活路(1月12日)

 12日午後、ライブドアの堀江社長と、県庁でお目にかかりましたが、インターネットを通じての馬券の発売など、窮状に陥っている高知競馬を救うための、起死回生のアイディアに期待を感じました。

 現在も、インターネットでの馬券の発売はありますが、使い勝手が悪いと言うのが一般の評判です。

 一方、高知競馬は、他県で開催されている地方競馬が、経営不振のために、次々と姿を消している中で、ハルウララのブームなどを演出しながら、どうにか息をついでいますが、それでも売上げは、毎年落ち込む一方で、ますます厳しさを増しています。

 このため、プロ野球界への進出表明で、その名をはせたライブドアに、高知競馬の救世主として、名乗りをあげてもらいましたが、早速、インターネットを使った馬券の発売や、実際のレースを利用しての、バーチャル・ゲームの開発といった企画が進んでいます。

 さらに、堀江さんは、有名人が持っている馬を、高知に呼んで開催する「芸能人カップ」や、食べ物に焦点を置いた売り方など、様々なアイディアを持たれていますので、この力が、高知競馬の起死回生につながればと、大きな期待を感じました。

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創知の杜(1月11日)

 11日の午後、高知工科大学の学長らが提案している、小中一貫の寄宿学校の計画に関して、学長らと意見交換をしましたが、文部科学省の調査費もついたため、その可能性についての具体的な検討が、求められる段階になりました。

 「創知の杜」と呼ばれる、この構想は、郡部の山村などに、小中一貫の全寮制の学校を設立することで、魅力のある学校づくりを進めるとともに、山間の地域に、新しい核を生み出していこうというもので、政府の骨太の方針の中にも、そうした趣旨の文言が入れられたことから、文部科学省の来年度予算には、全寮制の学校の調査研究が盛りこまれています。

 このうち1000万円が、高知県に割り当てられますので、「創知の杜」に向けた調査を、具体的に進めることになりますが、収支の仕組みと運営の形態や、公立の枠内での教員の確保など、難しい課題も数多くあります。

 さらには、小学生を親元から離して寮に入れることに、疑問を投げかける声もありますので、もう少し幅広い議論も必要になりますが、その一方で、スピード感が求められる時代ですので、18年度に向けて、方向性を判断しないといけないと考えています。

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2005/01/11

ゲリラも津波で(1月9日)

 9日午後、スリランカ人の友人からの電話で、あの大津波による被害が、スリランカの内戦の原因になっている、分離独立派のグループにも、大きな影響を与えていると聞きました。

 スリランカの北部から東部にかけての地域では、分離独立派によるゲリラ活動が続いていて、長い間、内戦の原因になっていましたが、この日の話では、今回の津波による被害で、ゲリラの指導者が亡くなったとの情報もあるとのことです。

 それ以前に、ゲリラの拠点になっている、北部のジャフナ半島や東北部の地域が、壊滅的な被害を受けたとの話もありましたが、政府側は、この機会に、ゲリラ側に援助の手を差しのべることで、和平への動きをさらに確かなものにしたいようです。

 今回の地震と津波による被害は、日がたつにつれ、その規模の大きさが明らかになってきますが、災害そのものだけでなく、そこから派生して起きる様々な出来事が、それぞれの国の政治や経済に、今後とも、予想しない影響を与えていくのだろうと感じました。

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三位一体の余波(1月8日)

 8日は、朝から夕方まで一日かけて、来年度に向けての、各部局の予算案の説明を受けましたが、三位一体の改革の余波を受けて、地方では組みにくくなっている予算のあることを知りました。

 それは、例えば、環境関連の予算ですが、電気製品にエコマークのラベルを貼るなど、財政が極めて厳しい時に、あえて取り組む必要があるのだろうかと、いささか疑問を感じる事業もありました。

 が、よく聞いてみますと、これまで、循環型の社会づくりを進めるための広報予算として、地方に配られていた補助金が、三位一体の改革の流れの中で、霞ヶ関の役所が、従来のように補助金の形で持っていたのでは、地方に税源移譲されるか、財務省にめし上げられるかのどちらかだといったことから、地方への補助をやめて、一括して国が吸い上げる傾向が見えるというのです。

 このため、事業として、今一つ食い足りないとは分かっていても、循環型社会づくりを進めるための、広報や啓発の意味を込めて、あえて予算に組んだということでした。

 地域に身近な仕事は、財源ともども地方に移していこうというのが、三位一体の改革の本来のねらいですが、国の省庁が、なかなか権益を手放そうとしない中では、こうしたゆがんだ形が、色んな場面に出てくるのではと心配になりました。

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歴史資料の価値(1月7日)

 7日の昼前、歴代に伝わる宝物資料の一式を、県に譲っていただいた、山内家のご当主に、感謝状を贈呈しましたが、資料の中には、龍馬の暗殺に関する調査資料や、古い写真類なども含まれていますので、これからの研究が楽しみです。

 去年高知県では、土佐藩主だった山内家に伝わる、宝物や数々の資料およそ3万6千点余りを譲り受けましたが、その中に含まれていた、古今和歌集の写本の一つで、「高野切」と呼ばれる国宝を、7億円で購入する代わりに、その他の品物は寄贈を受けるという形を取ったため、この財政の厳しい時代に、国宝とは言え、和歌集の写本に、何億円もの予算を使うのはもったいないといった議論になりました。

 もちろん、「高野切」だけでも、十分にそれだけの価値はありますし、その他の資料を含めれば、鑑定評価の結果でも、ゆうに10数億という価値がありますので、金額に問題はないのですが、そんな金銭的な物差しだけでは測れない、数々の価値があると思っています。

 例えば、資料の中には、龍馬が暗殺された直後に、土佐藩から派遣された「調査団」が、暗殺現場周辺で聞き取り調査をした文書や、幕末の藩主だった山内容堂が、自由民権運動で知られる板垣退助を、支援していたことを示す資料などのほか、幕末からの古い写真も百枚ほどありますので、初代の一豊以来の資料を調べていけば、その価値は、いくらでも汲みだせるような気がします。

 このため、来年度からは、学芸員も少し補強することにしていますが、長い目で見て、評価される仕事にしていきたいと思います。

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2005/01/07

病院を観光資源に(1月6日)

 この3月に、高知市内に開院する、新しい医療センターには、多くの人が視察に訪れることが予想されていますが、6日の夜懇談をした、若手の経済人の方から、この視察ツアーを、観光収入に活かす知恵を考えてはどうかとの、提案を受けました。

 この高知医療センターは、いずれも高知市内にあった、県立中央病院と高知市民病院を統合した上で、オリックスを幹事社とするPFI方式で整備をした、全国でも初めての試みの病院です。

 このため、来月のプレオープンの後は、病院や自治体の関係者など、大勢の視察が予想されていますが、病院側では、1日に200人までの、受け入れ態勢が出来ていると言います。

 そうなりますと、視察に来て下さった方々が、そのまま日帰りで帰ってしまうか、それとも、1泊か2泊してくれるかで、地域への経済効果も、大きく違ってくることになります。

 そこで、この視察ツアーを、観光収入につなげられないかという話になった訳ですが、例えば、視察の希望が相つぐといった、売り手市場であれば、宿泊をしてくれる人だけを受けいれるとか、院内での説明を午前9時からにすることで、どうしても、1泊か2泊しないといけない日程にするとか、色々なアイディアが出ました。

 そう言えば、以前、デンマークで、ストックホルム市役所を見学した際に、料金を取られたことがありましたが、これだけ経済も厳しい時代ですから、何でも経済効果につなげようという、どん欲な知恵が必要だと感じました。

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父に贈る、父を送る言葉(1月5日)

 5日午後、食品の卸では全国でも大手の、旭食品の創業者の一人、竹内寿明さんの告別式に参列しましたが、式の終わりにあたって、親族を代表してマイクの前に立たれた、息子さんのご挨拶は、故人の生きざまやお人柄を、よく表したものでした。

 挨拶をされたのは、現在、旭食品の会長を務める、ご次男の克之さんですが、寿明さんが、去年の秋、入院にあたってご自宅を出られる際に、数十年に渡って書きとめた、会社の経理や、子供への仕送りの内容などを綴った手帳を、手渡されたというお話からは、故人の几帳面な性格とともに、その時すでに、ご自身の最期を気取られていたことが、問わず語りに伝わってきます。

 また、企業人として、功なり名とげた方が入る病室と言えば、特別な個室を思い浮かべますが、寿明さんは、こよなく愛した旭食品の本社ビルと、関連のホテルの見える部屋がいいと、あえて6人の相部屋に入られたということで、その一事だけで、お人柄がわかる気がしました。

 その寿明さんの享年は、数えの米寿でしたが、おととし、寿明さんのお母様が、105才で天寿を全うされた時、克之さんには、「これで、ようやく俺の番がきた」と漏らされていたということで、そんな言葉の中からも、親思いの系譜がうかがえました。

 参列者への挨拶の中に、父を送る言葉を込めた克之さんにも、その系譜は、しっかりと受け継がれているようでしたが、自分もいつの日か、送られる立場になった時、息子から、こんな言葉を贈ってもらえる父親でありたいものだと思いました。

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仕事始めにあたって(1月4日)

 4日午前、今年初めての庁議にあたって、部局長を始めとする幹部職員に対して、去年印象に残った出来事をテーマに、年頭の思いを述べましたので、その概要をご紹介します。

 去年の出来事の中で、まず印象に残ったのは、災害が多かったことですが、1年に5回も台風が上陸をした高知県だけでなく、全国で台風や集中豪雨、さらには地震による被害が相次ぎましたし、年の暮れには、スマトラ沖の地震による大津波といった、痛ましい災害も起きました。

 まさに、温暖化の進展などに対する、地球の悲鳴が聞こえてきそうな1年でしたが、それだけに、間もなくロシアが、京都議定書を批准する今年は、温暖化防止に向けた対策が、世界的な、また国を挙げての課題になってきます。

 その点で高知県は、温暖化の原因となる、炭酸ガスを吸収する機能を持つ森林が、県土の84パーセントを占める、全国一の森林県ですし、それもあって、全国に先駆けて、森林環境税を導入した県ですので、炭酸ガスの吸収源としての、森林の価値を活かさない手はありません。

 そこで、難しい課題があることは、十分承知をしていますが、大手の企業に、高知県の森林の整備を手助けしてもらった上で、それを、排出権取り引きに活用できるような仕組みを、考えていきたいというのが第一の思いです。

 一方、年末年始の休暇中、テレビでCNNを見ていますと、さすがニュース専門チャンネルだけに、ほぼ一日中、津波被害のニュースを流していましたが、その内容からも、住民の間に、津波に対する意識や知識がなかったことが、いかに被害を大きくしたかが、よく伝わってきました。

 ですから、南海地震への備えが、緊急なテーマになっている本県では、まずは、大きな地震が来たら、すぐに逃げるという意識を、県民の皆さんに徹底することと、逃げるための道と場所の確保に、全力で取り組もうというのが、災害ずくめの昨年を振り返っての、二つ目の思いでした。
 
 去年の話題の中で、次に印象深かったのは、三位一体の改革ですが、去年1年の流れは、切り口や立場によって、前向きにも批判的にも評価できるものでしたし、何よりも論争が専門的で分かりにくいため、国民の間に、この問題に対する感心や理解が深まらないという、もどかしさを感じた1年でした。

 ところが、そんな思いで、年末に放送された、「白い巨塔」の総集編を見ていましたら、「なるほど、こういう考え方もあるな」と、ひらめくシーンがありました。

 それは、原告である、亡くなった患者の奥さんと息子が、「裁判での争いは難しい話ばかりで、自分たちには、ちっとも分からない」と嘆くのを聞いて、代理人の弁護士が、「そうか、僕は戦い方を間違えていたのかもしれない」とつぶやくシーンで、そのことを機会に裁判は、財前教授の手術で患者の死が早まったかどうかを争う、専門的な医学論争から、手術以外の治療法を含めて、余命の限られた患者に、残された人生をどう過ごすかの、選択肢を示していたかどうかを争う、インフォームド・コンセントの有無をめぐる裁判へと、内容を変えていきます。

 この医療裁判と同様に、三位一体の改革をめぐる議論も、専門的な用語ややり取りが多いため、一般の方の理解や関心が深まらないわけですから、手続きの進め方など、別の視点からの戦い方が、求められているのではないかと感じました。

 また、三位一体の改革に関連して、先月29日付の読売新聞の記事には、財政的な危機を前に、「政策の取捨選択やサービスの削減、さらには、負担増をお願いせざるを得ない。本県に本当に必要なものは何かを議論する」と述べた、僕の12月議会での発言が引用された上で、出直し選挙を受けて、「知事は、腹をくくったのかもしれない」と締めくくられていました。

 腹をくくったかどうかは、やがて分かるにしても、この厳しさを、どのように理解してもらうか、県民の皆さんに正面から向きあった、説明責任の在り方が問われています。

 そして、去年の出来事で、もう一つ印象深かったことは、自分自身の出直し選挙でしたが、足かけ14年前の最初の選挙が、何の組織にもとらわれない、草の根の県民に向きあった候補者が、全国で初めて、知事に選ばれた選挙だったとすれば、去年の選挙は、そうした、ごく普通の県民が、無党派の知事候補に、正面から向きあい返してくれた、これも、全国で初めての選挙だったと自認しています。

 それだけに、出直しの選挙を通じて、僕が受けとめた、こうした感触を理解してくれる職員とともに、県民と真正面から向きあった、県政の形を作り上げていくことが、残された3年間の、現在の任期中の、緊急の課題だと受けとめています。

 最後の部分は、少し抽象的で分かりにくいかもしれませんが、幹部職員に向けた、年頭にあたっての話の概要を、ご紹介しました。

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2005/01/04

告白始め(1月3日)

 お正月は、書き初め、出初め、仕事始め等、「○○初め」や、「○○始め」が目白押しですが、今日3日を、勝手に「告白始め」と命名して、一つ告白をしたいと思います。

 それは、「長野県の蓼科に、小さな別荘を買いました」という告白ですが、実は、この年末年始は、初めてこの家で過ごしました。

 このため、高知に戻ってから必ず受ける、「年末年始は、どこで過ごしましたか」という質問に対して、嘘をつくのもしんどいなと思って、高知に帰るこの日を、「告白始め」にすることにしました。

 もう一つしんどいのは、一昨年の選挙の際に、「高知の山を買って、山持ちの仲間入りをします」と公言をしながら、事情があって、それが実現できていないことで、「それなのに、よその県に別荘を買うとは何事か」と、きついお叱りを受けることも目に見えていますが、山の方は手続きを進めていますので、いただいた退職金の使い道は、自ら告白する方が良いと考えました。

 こうした経過で、この年末年始は、雪におおわれた非日常的な光景の中での、休暇になりましたが、その分、気分も一新されて、今年も続く難局に立ち向かっていこうという、気力がわいてきた気がします。

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初夢ではないけれど(1月2日)

 2日朝、目ざめてみると、今年も初夢らしい夢は、見ることができませんでしたが、以前この欄でもご紹介をした、「宇宙酒」の夢は、今年中に実現できそうな気配です。

 毎年、その名にふさわしい夢を見たためしがないため、初夢には、あまり期待をしていませんでしたが、今年もご多分にもれず、仕事がらみの夢で、ちょっとうなされた程度で、初夢は終わりました。

 が、いくら知事がうなされたとはいえ、高知県にとっては、決して夢のない年ではありませんし、少しでも、夢を感じられる年にしたいと思っています。

 その一つが、以前、この欄でも採りあげた、高知県の作った日本酒の酵母を、宇宙に打ち上げた上、こうして宇宙旅行を体験した酵母を使って、「宇宙酒」を作ろうという、県の酒造組合の夢です。

 何を途方もない話をと、当初は取り合ってくれなかった人達も、段々と感心を持つようになって、徐々に話が盛りあがってくる中で、いよいよ、今年9月27日に、カザフスタンのバイコノル宇宙基地から打ち上げられる、ロシアの宇宙船ソユーズに、高知県の酵母を乗せてもらう話が、現実味を帯びてきました。

 もちろん、費用の手当をはじめ、酵母の安全性の立証など、課題も残されていますが、うまくいけば、他の発酵食品への応用など、様々な工夫が考えられますので、初夢に終わらさないように、したいものだと考えています。

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職場復帰から1ヶ月(1月1日)

 去年の出直し選挙の結果、無事職場復帰を果たしてから、1ヶ月がたちましたので、少し長いブランクになりましたが、新しい年の始まる今日付けから、ココログへの寄稿を再開します。

 県議会で、僕に、辞職を勧告する決議案が可決されたのを受けて、知事の職を辞したのは、去年の10月12日のことでしたが、翌13日から選挙が終わった11月の末までは、連日、県内の各地を飛び回りました。

 特に、11月11日から17日間の選挙期間中は、お家の門前であれ、収穫中のショウガ畑であれ、手を振って下さる方がいれば、勇んで選挙カーを降りて、ほとんどの方と握手をしていきましたので、かなりハードなエクササイズでした。

 日頃からの運動不足のため、普段ならば、こんな過酷な運動には、とても耐えられないのですが、これが選挙となると、疲れ知らずのエネルギーが出てくるから不思議です。

 そんなわけで、選挙が終わるまでは、ハイテンションで過ごせたのですが、57才の身には、やはり厳しい試練だったのか、選挙後わずか2日の休日で、12月1日に前線復帰してからは、なかなか根気が戻ってきませんでした。

 結局、それから10日余りの間は、連日、9時間から10時間も眠りこけるありさまでしたので、結果的に、ココログへの寄稿も、休刊を続けることになりました。

 それでも、せめて2004年を振り返って、記憶に残る出来事をいくつか、自分中心にまとめてみようかとも思いましたが、それもできないまま、年を越してしまいました。
 
 しかし、このままでは、だらだらと日々が過ぎてしまいますので、去年12月1日の職場復帰から、1ヶ月が過ぎたのを機会に、年始から再び、ココログに挑戦することにしました。

 これからも、よろしくお願いをします。

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