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2005年5月

2005/05/25

道州制に未来はあるか(5月20日)

 20日午後、高知市で開かれた、全国の自治体職員の有志の会に出席しましたが、現在議論されている道州制に関しては、少し否定的な考え方を示しておきました。

 この会は、全国の180余りの自治体の職員が、任意に参加している会で、今日の会では、1時間ほどにわたって、僕が、会員の方からの、一問一答形式の質問にお答えをしました。

 その中に、道州制の展望に関する質問もありましたが、僕が知事になりたての頃、大分県の知事をされていた平松さんたちが、盛んに主張していた道州制の議論には、地方分権のために、より強い受け皿となる基盤を、地方の側から提唱していこうという、前向きの考え方や攻めの考え方があったと思います。

 これに対して、現在、国の調査会などを中心に議論されている道州制は、地方から、分権や自立を目指す戦略的な取り組みとは違って、市町村合併への誘導がそうであったように、財政の効率性の視点からのみ、ひもとかれているように感じられます。

 言い方をかえれば、国の権限を残したまま、国が地方を支配下に置いておくのに都合のよいように、都道府県レベルの財政のサイズを整えておこうという、国の統治論の視点に立った、道州制の議論に変質してきているように思うのです。

 ですから、こうした思いを率直にお答えしたのですが、その一方で、四国4県の、広域連携が進んでくることも間違いありませんので、現実面での連携の強化と、制度面での道州制の議論の危険性とを、どう色分けして考えていくか、これもまた難しい課題です。

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指定管理者制度の不安(5月19日)

 19日午前、県の文化財団の関係者と、指定管理者制度に関して意見交換をしましたが、美術館などの施設の運営が、文化事業にさほどの関心を持たない企業の手にわたる可能性も、否定できない現状を認識しました。

 文化施設やスポーツ施設などを、行政が直接運営したり、外郭の団体が運営したりする場合、とかくお役所仕事になって、コストが割高になる上、柔軟なサービスが提供できない例が多いといったことから、民間の企業や団体にも、施設の管理や運営に参入する道を開こうというのが、指定管理者の制度です。高知県でも、来年4月からの実施を目指して、対象となる施設ごとの方針をまとめています。

 その際、県では、県立の牧野植物園や美術館などの場合、ある程度きめ細かい条件をつければ、たとえ公募をしたとしても、文化政策上の問題などが、起きる可能性は少ないと判断していますが、その考え方は、少し甘すぎはしないかというのが、今日の関係者の話でした。

 それによると、まず外部から参入しようとする企業なり団体なりは、現在その施設で働いている人をそのまま雇用しなくても、運営の体制を組めますから、県関係の財団が、現状の雇用をそのまま引き継がざるを得ないとすれば、それだけでも、コストの競争でハンディを背負うことになります。

 さらに、参入を目指す企業などにとってみれば、初期投資なしに、建物と展示物の使用権を、わがものにすることが出来るわけですし、文化貢献をしているという、宣伝材料も手に入りますので、現在、施設の運用に年間支払われている額の半分ほどの金額で、手をあげたとしても、十分もとが取れる計算になります。

 こうしたことから、美術館であれば、関連の財団などが美術館を運営している会社をはじめ、施設管理や印刷、展示企画など、様々な業種の企業が、触手をのばしてもおかしくないというのが、関係者の指摘でした。

 また、その結果、文化事業にさほどの思い入れを持たない企業が、別の思惑から、指定管理者に参入した場合などには、小中学校との連携をはじめ、地域に根ざした文化活動が、十分には果たせなくなる恐れがあります。

 そもそも、指定管理者の話が出てきた時には、コストの面でもサービスの面でも、役所の直営よりは、県民にとってプラスになることは間違いないから、全面的に公募をしてみてはどうかと考えたものでした。

 確かに、一般的な施設の運営を考えた場合、この考え方は、原則的には当たっていると思いますが、今日の話を聞きながら、県にとって、文化政策などの核になる施設で、民間にとっても、別の意味で魅力のある施設の場合には、公募の手法には、よほど慎重になる必要があると感じました。

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空飛ぶフグは(5月18日)

 18日午前、沖縄からの帰りに、福岡経由で小型のジェット機に乗りましたが、ふと下関のフグのことを思い出しました。

 と言うのも、もうかなり前のことですが、今の機種より大きな飛行機が飛んでいた福岡・高知線が、中止になるという話になった時、高知市内のふぐ料理屋のおかみさんから、「うちは、下関のフグを、この飛行機に乗せて運んでいるんですが、どうにかなりませんかね」と、陳情を受けたことがあるからです。

 その後、以前の機種よりは、ずっと小さなジェット機で、この路線は復活しましたが、沖縄からの帰路の乗り継ぎで、久しぶりにこの飛行機に乗りました。

 機上の人として、前線が近づく中の、雲の多い上空を飛んでいた時、なぜか、そう言えば、あの時話のあったフグは、今もこの飛行機で、高知に運ばれているのだろうかと考えてしまいました。

 今度また、あのお店に行くことがあったら、尋ねてみようと思っているうちに、飛行機は無事、高知龍馬空港に到着しました。

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ユビキタス県庁(5月17日)

 17日午後、那覇市のホテルで開かれた、「地域からIT戦略を考える会」に出席しましたが、今年のテーマが「ユビキタス」だったことから、将来は、ユビキタス県庁といったものが出現するのだろうかと、想像をめぐらせました。

 この会は、情報化に関心の高い7県の知事が、メンバーになって開いているもので、今年で6回目になりますが、今年のテーマは、ユビキタス社会と行政の関わりといった、いささか難しいものでした。

 このユビキタスというのは、ラテン語で、神々がどこにでも宿るといった意味だそうですが、パソコンや携帯など、IT化のために作られた道具を使った、これまでのネットワーク型の情報化とは違って、ICタグやセンサーを利用することで、野菜でも、机でも、コップでも、本来IT化のために作られたわけではないものも情報化していくという、「いつでも、どこでも、何でも、誰でも」型の、情報社会を意味しています。

 ところが、我々行政の側は、ようやく、ネットワーク型の技術を活用する基盤が、動き始めたところですので、ユビキタスの活用を問いかけられても、なかなかそこまで思いがいたりません。

 このため、議論はあまり深まりませんでしたが、話を聞いているうちに、ふと、この技術が一般化した時には、県庁の仕事はどんな形に変わるのだろうかと思いましたので、講師の先生に、「ユビキタス県庁」のイメージはどんなものでしょうかと、質問をしてみました。

 いささか突飛な質問だったせいか、しっくりとした答えはもらえませんでしたが、電子メールによるパブリックコメントや、電子申請など、ネットワーク型の技術は、県庁にも大きな変化を与えていますので、ユビキタスの技術によって、県庁は、さらに大きく変わるのだろうなと感じています。

 そのことは、今のところは予感にすぎませんが、それが、今よりも、仕事のしやすい場所になるかどうかは予想がつきません。

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地域活性化協力隊(5月16日)

 16日の夕方、出張先の沖縄県那覇市で、琉球大学の学生とお茶をしましたが、古き良き文化を大切にしたいという、熱い思いを持った青年たちの存在を知りました。

 ホテルに着いて間もなく、高知県出身で、よさこい鳴子踊りをとり入れた、チャンプルー祭りを運営している琉球大学生に、会いにお出でよと声をかけたところ、一緒に活動をしている地元の学生も、後から訪ねて来てくれました。

 彼らの活動の母体は、その名も地域活性化協力隊といって、お祭りのほかにも、フリーマーケットやキビ刈りなど、若者がやりたい企画を実現していくのが信条です。

 中でも、後から来た首里出身の彼は、地元の汀良町(てらまち)に伝わる獅子舞の踊り手ですが、「重さが6キロもある獅子頭を、頭の上に掲げたまま、前傾姿勢で口を下に向けるのが、他の地区の獅子舞にはない特徴だ」など、話の端々に、故郷への思いが伝わってくる青年で、「観光もいいけれど、それによって、町の風景が消費されるのがさびしい」と憂います。

 そこで、彼らが始めたことの一つは、那覇市内の昔ながらの街並みを取材して、冊子にまとめる作業で、最初に選んだのは、国際通りから少し奥に入った、古くからの飲み屋街「桜坂」でした。

 後で、地元の人に尋ねてみますと、今も頑張ってお店を開いている、ママさんたちの平均年齢は、60から65才を越えているだろうという話でしたから、冊子の編集メンバーにとっても、さぞや趣のある取材だったろうと思います。

 この他にも、空き部屋になっている、長屋風の街並みの二階を、大学生の寮や下宿に、よみがえらせることが出来ないかなど、熱い思いの数々を、たっぷりと聞かされましたが、高知出身の彼も、出来れば地域おこしのNPO活動を、生活の糧にしていきたいとのことでしたので、こうした若者のグループが、全国でネットワークを組んでいければ、新しい力になるなと、頼もしく感じました。

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2005/05/23

レストラン「しゃえんじり」(5月15日)

 15日午後、梼原町で開かれた、地域づくりのシンポジウムに参加しましたが、四万十川の流域で、レストランを始めたという女性の話が、とても前向きで励みになりました。

 このレストランは、市町村合併によって四万十市となった、旧西土佐村の口屋内という、四万十川沿いの小さな集落にありますが、昔から地域を支えてきた林業の不振に加えて、それに変わる収入の源だった、公共事業の減少もあって、他の中山間の地域と同様に、仕事の場を確保することが難しくなっていました。

 こうなりますと、普通なら、駄目だ駄目だと愚痴をこぼすことで、終わってしまいがちですが、ここでは、何人かの人たちが、仕事がなくなっているのなら、自分たちの手で、新しい仕事を作っていこうという前向きな発想で、地元の食材を使ったレストランを始めました。

 その名が、「しゃえんじり」と聞いて、僕は一瞬、どこの国の言葉かと思いましたが、シンポジウムで一緒にパネラーをつとめた、このお店の経営に携わる女性に尋ねてみますと、四万十川流域にあたる幡多地方の方言で、野菜畑の意味だということでした。

 例えば、「しゃえんじりで、大根とってきて」といった使い方をするわけですが、最近では、あまり使われなくなっているらしくて、名前を聞いての反応は、僕のように、「どういう意味ですか」というものと、「懐かしい言葉だねえ」という、二通りにわかれるそうです。

 お料理は、その名の通り、地元の野菜を使った家庭料理ですが、グループの人たちは毎晩のように、あれやこれやと議論しながら、お店の経営を楽しんでいるということで、「あんたら、酒も飲まんで、よう毎晩おそうまでやるね」と、つれ合いからも感心されるとのことでした。

 とにもかくにも、仕事がないのなら、新しい仕事を考えようという姿勢が、すごいと思いましたし、「しゃえんじり」という名前が、何よりも洒落た響きに聞こえました。

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「チェックしますからね」(5月14日)

 14日から高知市で、車椅子ツインバスケットボールの全国大会が開かれましたが、ご臨席をいただいた高円宮妃殿下から、知事さんのホームページに、ツインバスケットのことを紹介してくださいねと、ご依頼を受けました。

 ツインバスケットボールというのは、頚椎の損傷など、通常の車椅子バスケットの選手よりも、重い障害を負った人たちのために、日本で作られた競技で、高いゴールの他に、高さ1点2メートルの、低いネットのゴールが設けられていることから、ツインという名がついています。

 どちらのゴールに入れても、点数は同じですが、選手の持っている身体能力に応じて、高いゴールしか狙えない、鉢巻きのない選手、低いゴールの周りにあるサークルの、外から球を打つ白い鉢巻きの選手、そして、低いゴールのすぐそばから球を入れることの出来る、赤い鉢巻きの選手と、選手の動きは三つに分かれています。

 それに加えて、選手の能力によって、1点から4点までの持ち点がついていて、合計の持ち点がオーバーしない範囲で、選手の組み合わせを変えることが出来ます。

 その結果、障害の程度の違う人たちが、対等の条件で、一緒に団体競技を楽しめる上、最も障害の重い人もポイントゲッターになり得るという、優れたルールになっていますので、発祥の地である日本では、全国大会が開かれるほど裾野が広がってきていますが、外国では、ルールが難しすぎるという理由で、なかなか普及が進んでいません。

 かく言う僕も、この日まで、ツインバスケットなるものを、よく知らなかったのですが、大会にご臨席を頂いた、高円宮妃殿下の久子さまには、前夜の懇親会の時から、とにかく面白いスポーツだからと、お勧めを受けていました。

 確かに、障害の程度の違う選手の組み合わせや、守備のとり方の面白さなど、通常のバスケットとは違った技術と、頭脳の伴うスポーツで、久子さまも言われるように、障害者だけでなく、体力の落ちたお年寄りと子供たちの組み合わせなどにも、応用できるスポーツではないかと思いました。

 観戦後に、久子さまが、「知事さんのホームページに、必ず紹介してくださいね。今晩、チェックしますから」と言われますので、「日記風のブログに必ず書きますが、ちょっと仕事が立て込んでいますので、2,3日の余裕を下さい」とお願いをしました。

 そのお約束がようやく果たせますが、皆さんも、是非一度、車椅子ツインバスケットボールを、観戦してみて下さい。

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中国三千年の歴史(5月13日)

 13日の午後、帰国中の、高知県上海事務所の所長と懇談をしましたが、お役所仕事に関する、興味ある見解を聞きました。

 と言うのも、上海事務所長は、商社員として、長く中国で勤務をしていた人なので、高知県庁という役所の一員になって、勝手が違ったことはないかと尋ねたのです。

 すると、中国も日本も、公務員の考え方や、お役所の仕事の仕方に違いはないので、何も戸惑いはないとの答えでした。

 それだけでなく、縦割り仕事で、よその部署のことには我関せずといった気風は、中国の方がさらに徹底をしていて、さすが科挙の国だと感心をするということで、日本のお役所仕事は、中国から、それらを学んだだけではないかという見解でした。

 その話を聞いて、そうか、お役所仕事も、中国三千年の歴史にはかなわないのかと、変なところで感心してしまいました。

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千代と一豊の読書マニュアル(5月12日)

 12日午前、県立図書館の新しい館長と、利用サービスの担当者が、来年のNHKの大河ドラマで、司馬遼太郎さんの「功名が辻」が放映されるのを機会に、図書館に所蔵している、一豊と千代に関連する資料を網羅したマニュアルを作って、届けてくれました。

 「千代&一豊・完全読書マニュアル」と題した小冊子は、辞書や辞典類を中心にした、「5分で知りたいあなたへ」から、有名な内助の功の話の出所や、土佐に来る前の二人の足どりなどを、史料集や古文書なども含めて紹介する、「原史料から知りたいあなたへ」まで、五つのテーマに分かれていて、それぞれのテーマ別に、発行年代の古い順に並べられています。

 また、写真や地図を使ったビジュアルなものや、子供向けの本などには、網掛けがしてあって、小中学生の調べ学習に使えるような、心遣いがされています。

 大河ドラマの放映を機会に、二人に関係する本を読んでみたいとか、調べ物をしてみたいという人はもちろんですが、旅行代理店をはじめ、交通関係の会社などにも配って、例えば、タクシーの運転手さんがお客さんに話をする時の、ネタさがしに使ってもらいたいといった、深謀遠慮のあります。

 大河ドラマへの対応と言えば、観光の担当といったように、とかく縦割りの考え方に陥りがちですが、図書館のように、従来、観光とは無縁と思われていた職場の人が、こうした発想を持ってくれたことを、とても心強く思いました。

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まちだ科学の里(5月11日)

 11日の夜、高知を訪問してくれた、小学校時代の恩師と夕食を共にしましたが、喜寿を迎えた先生が、廃校になった地元の小学校を使って、科学の楽しさを教える教室を開いていると聞いて、衰えを知らない情熱に感心をしました。

 この先生は、小・中・高校を通じて、最も影響を受けた理科の先生ですが、その後、別の小学校に移ってから、仮設実験授業という、新しい授業法を採りいれた人で、今ではこの分野の長老格になっています。

 この仮設実験授業というのは、これまでのように、原因から結果までを、始めから知識として教え込むのではなく、実験をする前に、その結果や、そうなると思う理由を、こども達に議論させるというもので、例えば、振り子の原理なら、45度の角度から手を放した振り子が、30秒間に何回振れるかを確かめた後、では、ひもの長さを半分にして、同じ角度で振り子を放したら、30秒間に振れる回数は、前よりも増えるか減るか、それとも同じかを、そうなると思う理由を含めて、こども達に議論させるという授業法です。

 先生は、僕らの後輩にあたる教え子から、「なぜそうなるかがわからないと、勉強が面白くない」と言われたのがきっかけで、仮設実験授業にたどりついたということですが、教科書を使わないため、文部科学省からは白い目で見られていますし、わが高知県の教育委員会でも、知事がこれほど肩入れをしているにもかかわらず、前向きには取り組んでくれません。

 それはともかく、今年77才と、すでに喜寿を迎えている先生が、お家のある、東京・町田市の廃校の一室を使って、仮設実験授業の手法で科学の楽しさを教える、「まちだ科学の里」を開いていると聞いて、衰えを知らない情熱に驚きました。
 
 パンフレットを見ますと、「いろいろな科学の問題について、予想を立て、みんなで一緒に討論(話し合い)します。そして実験でどの考え方が正しかったかをたしかめます。これは科学者が発明・発見をする時の研究の方法と同じなのです。みんなで考え、話し合って、問題を解決することのできる人が育ってもらいたいと私たちは思っています」とあります。

 それを読んで、文部科学省やわが教育委員会が、なぜこの考え方に反対なのか、あらためて強い疑問を感じました。

 授業は隔週の土曜日に1時間半づつで、入門と経験の2コースに分かれていますが、小学3年生以上が条件で、30人を越えるこども達が来ているということですから、大したものです。

 それでも、最近少し耳が遠くなってきたという先生は、「初めて発言をする子は、意を決して小さな声で意見を言うから、それを聞き逃して、えっ、なんだいなんて言ったら、それだけで、話す気をなくしちゃうんだ」と、耳の調子を気にしていました。

 高知の魚に舌鼓をうちながら、熱っぽく語る恩師の姿を見て、この人に出会ってよかったと思いました。

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マイ・ウォーターの夢(5月10日)

 10日午前、室戸の海洋深層水を使って、飲料水やにがり等を生産しているメーカーの、社長と懇談をしましたが、一人一人の体に合わせた、「マイ・ウォーター」の販売を目指したいとの、夢を語ってくれました。

 この会社は、海洋深層水の活用が、今のようには進んでいなかった時に、率先して工場の立地を進めてくれた、深層水ビジネスの分野では先導的な企業の一つで、それだけに、深層水に含まれるミネラル成分の、人の体や健康への効果に関しても、積極的な研究を進めています。

 そうした研究の中で、免疫力を高める力や、ピロリ菌への影響など、いくつかのことがわかり始めていますが、こうした研究をさらに積み重ねた上で、ミネラルの4つの主要成分の、配合の割合を変えることなどで、一人一人の体の具合にあわせた「マイ・ウォーター」を作りたい、というのが社長の夢でした。

 その話を聞いて、以前、ゲームソフトで大当たりをした会社のオーナーが、「単なるスポーツ飲料ではなく、テニス少年用とか野球少年用といった、対象を絞った飲み物が売れる時代が必ずくる」と、言っていたことを思い出しましたので、そのことを社長に告げますと、「とても心強い」と喜んでくれました。

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飲酒運転とJR事故(5月9日)

 9日午前、県の職員が飲酒運転で逮捕されたことに対して、臨時の幹部会を開きましたが、県民のお一人から、飲酒運転をしたら免職処分にするという県の取り決めと、JR西日本の事故の遠因になったと言われる、時間厳守のノルマとを、同一視するメールが届いたのには驚かされました。
 
 と言っても、これだけでは、読者の皆さんには事情が飲み込めないでしょうが、お酒に寛容な風土がある高知県では、飲酒や酒気帯び運転で検挙される職員が相次いだため、県民からの強い批判の声も受けて、平成9年の  から、飲酒運転をしたら免職処分にするという、厳しい取り決めをしました。

 当時は、これに対して、「厳しすぎる」といった批判の声もありましたが、高知県のトラックが、運転手の飲酒運転の結果、高速道路上で、小さなお子さんを死亡させる事故を起こしたことや、道路交通法の改正による罰則の強化など、飲酒運転に対する世間の受けとめが、一層厳しくなる中で、この取り決めに対する批判も影をひそめましたし、飲酒や酒気帯び運転で検挙されるた正職員は、後を絶っていました。

 このように、飲酒運転は許されないことだという意識は、かなり徹底してきていましたので、再びこうしたことが起きたことは残念でしたが、今回のケースでは、警察官の姿を見て、運転していた職員が、助手席の人と席を入れ替わって、一度は、運転を否定していたため、後になって逮捕されるという事態になりました。

 飲酒運転に加えて、こうした出来事があったためでしょうが、この日、県民の方からいただいたメールには、「飲酒運転をしたら免職という厳しい罰則があるから、助手席の人と入れ替わるといったことをしたのでしょう。このことは、事故をおこしたJR西日本の運転士が、わずかな時間遅れただけで厳しい罰則を受けるのを恐れて、スピードを出しすぎたことに重なりあいます。こうした厳しすぎる罰則が、やがてJR西日本のような、大きな事故につながるのではないでしょうか」と書かれていました。

 早速、「そもそも、電車の運転士が電車を運転することは、法律違反でもなんでもありませんが、飲酒運転はそれ自体が、反社会的な法律違反の行為ですし、当然のことながら、罰則があるから飲酒運転をしたわけではないのですから、全く誤った連想ではないでしょうか」といったお返事をしましたが、思いもつかない発想があるものだと驚かされました。

 一方で、この職員は、悩みを抱えていたと聞きましたので、ルールとは別に、心配りをしなくてはいけないと感じています。

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長い連休をとりました(4月下旬〜5月8日)

 今年のゴールデンウィークは、うまく休みを組み合わせると、とても長い連休がとれる年でしたので、4月の下旬から5月8日の日曜日まで、しっかりと休んでしまいました。

 このため、この間のココログは、お休みとさせていただいて、5月9日の月曜日の分から再開をします。

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