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2005年9月

2005/09/30

しっかりボールを見て(9月24日)

 24日午後、県内の競技場で行われた、サッカーのJ2の試合で、野球の始球式にあたるキックインをしましたが、ある方の、ボールをよく見てという忠告が功を奏しました。

 この日の試合は、日本リーグJ2の、徳島ヴォルティス対モンテディオ山形戦でしたが、徳島ヴォルティスは、高知県の春野総合運動公園でキャンプを張ってくれていますし、四国では唯一のJリーグのチームですので、応援に駆けつけました。

 それならと、キックインを仰せつかったのですが、数メートル前にいる主審に向けて、ちょんと蹴るだけとはいえ、ちゃんと出来るだろうかと考えていると、顔見知りのサッカーの監督が、「前を見ないで、しっかりとボールを見てね」と、忠告をしてくれました。

 そうか、ボールだけを見て蹴ればいいんだなと思って、その通りにすると、ボールはぴたっと、前にいる主審の前に転がっていきました。

 試合も、終盤は少し疲れが出て、チームがばらけた感じでしたが、結果は2対1で、「地元」徳島の勝利でしたから、スタンドは結構盛りあがりました。

 そんな中、少し残念だったのは、公式の入場者数が2600人余りと少なかったことで、9月の下旬とは思えない暑さの中とはいえ、これでは、引き続き公式戦をとは、頼みにくくなるなと感じていました。

 それでも、徳島ヴォルティスのゼネラルマネージャーは、「定期的に開催をしないと、なかなか観客はふえませんから」と言ってくれましたが、そう言ってもらっているうちに観客をふやす努力をしないと、せっかくこつをつかんだキックインも、これが最後になるのではと思いました。

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お札の御利益(9月23日)

 23日午後、梼原町の方々と、知事公邸で懇談をしましたが、台風や病害虫から農作物をまもるために、ビニールハウスにお札を張っているという話で、盛りあがりました。

 このお百姓さんは、ハウスでミョウガを生産しているのですが、「土ですかロックール(溶液栽培)ですか」と聞くと、「土だけれど、年々病気が広がって大変だ」と言います。

 その病気は、根についた菌が、根茎と水を通じて広がって、ミョウガが腐らせてしまうのですが、かつては、特効薬として使えた臭化メチルが、農薬の規制で使えなくなったことから、土を全て取りかえるか、ロックールにするか以外、これといった決め手がありません。

 このため、同席していた女性が、「病気が出たらどうするの」と尋ねると、「これ以上広がりませんようにって、ハウスの中のあっちこっちに、お札を張ってまわるんですよ」と言うものですから、「えっ、お札を張るの」と、みんなで大笑いになりました。

 さらに聞いてみますと、去年は、高知県に5回も台風が上陸をして、ハウスが倒れるなどの被害が出たため、今年、彼のお母さんが、近所の神社のお札を張りまくったところ、台風の被害を免れたため、お袋さんの流儀にならって、お札を張ってまわっているということでした。

 ただ、根っから明るい人ですので、こうして笑い話で片づけていますが、実際にはミョウガだけでなく、土づくりと病気との戦いは、これからも大きな課題です。


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被災地で感じたこと(9月22日)

 22日は、先日の台風14号の影響で大きな被害が出た、四万十川沿いの地域を訪ねましたが、この川の持つ特性や、ボランティアの力など、幾つかのことを感じました。

 台風14号は、高知県に直接上陸したわけではありませんが、四万十川の源流や愛媛県内の支流付近に、大量の雨を降らせたため、合併前の西土佐村から中村市にかけて、家屋の床上や床下への浸水など、多くの被害が出ました。

 このため、少し遅ればせになりましたが、この日、下流域から上流域に向けて、被災地を訪ねてまわりました。

 いずれの地域も、普通では考えられないほどの高さまで、川の水が上がっていましたので、まずは、そのことに驚きましたが、四万十川本流の上流部分では、去年の台風の時よりも、水位が低かったことがわかっていますので、旧西土佐村の、江川崎という地区で四万十川に合流する、支流の広見川の水量が、被害を大きくしたことがうかがえます。

 以前から指摘されていることですが、ここでの問題の1つは、四万十川のように、流れが緩やかで、洪水を調節するためのダムのない川では、ダムの放水のように、下流域に、危険を知らせるタイミングがつかみにくい点です。

 特に、1時間の雨量が30ミリから40ミリと、さほど驚くほどではない量の雨が、長時間にわたって支流に降り続いた時、それが下流域に与える影響を、推し量る基準をどのように設定するかは、これからの1つの課題です。

 ただ、作った基準がマニュアル化されると、それ以外のことが起こった場合に、対応できなくなる恐れもありますので、痛し痒しの面があることを、あらかじめ、意識しておく必要もあります。

 また、このこととは別に、現地をまわった際、被災した地域の方々が、ボランティアの人には本当にお世話になったと、口々に言われるのが特徴的でした。

 振り返ってみますと、1998年の、高知県中央部を襲った集中豪雨の被害の時には、ボランティアの支援が軌道に乗るのに、1週間余りかかりましたが、その後の、西南地域の豪雨災害の際には、翌日から、支援の体制が組めるようになりました。

 こうした経験の積み重ねの結果、今回も、地域の社会福祉協議会と、ボランティアのグループとが連携して、被災した各地域で、泥水に埋まった家の片づけなどに活躍をしました。

 このため、家の中に入れば、まだまだ大変な状態ですが、道沿いにゴミが積み出されているといった光景は、全く見られませんでした。

 また、中には、西南地域の豪雨の際に、ボランティアの支援を受けた地区の人が、お返しの思いでお手伝いに来たといったケースもあって、住民同士の支え合いが、確実に進んできていることを感じました。

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年金証書まで(9月21日)

 21日午後、県内の民生・児童委員の方々と懇談をしましたが、県内でも、お年寄りの年金証書まで狙った、悪質なリフォーム業者が、暗躍していることを知りました。

 各地区の委員からは、市町村合併に伴う問題や、児童相談に関わる課題、さらには、委員の年令制限や発令の時期のことなど、様々なご意見をいただきましたが、その中には、悪徳なリフォーム業者による、被害の報告もありました。

 「無料で点検をしましょう」と近づいて、「ここを直しておかないと」と、最初は安い金額を請求しながら、やがて、貯金を全部巻き上げていくというのは、どこにでもある手口ですが、この委員の地域では、お年寄りの年金証書を、金融機関に担保に入れさせて、引き出したお金も、全部持っていった事例があるとのことでした。

 その話しを聞いて、確かに、リフォーム業者の手口もかなりのものですが、お年寄りが、年金証書を担保に差し出すのを、黙って受ける金融機関の側にも、問題がありはしないかと感じました。

 「プライバシーがあるので、これ以上は質問をしないで」と言われましたので、詳しいことはわかりませんでしたが、お年寄りを狙った悪徳商法に備えては、関係をする機関が、十分に情報を共有しておく必要があると思いました。

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こんな歴史観があったのか(9月20日)

 20日夜、県民文化ホールで開かれた、バロック音楽と講談の競演という、珍しいジョイントの出し物を聞きに行きましたが、講談の中で語られた歴史観が、自分には新鮮に感じられました。

 この催しは、来年のNHKの大河ドラマ、「功名が辻」の放映にあわせて、若手の作家が書き下ろした、山内一豊と、妻のお千代さんを主人公にした講談に、チェンバロなどの、バロック音楽を組み合わせた試みです。

 チェンバロの正式な演奏に耳を傾けたのも、初めてのことでしたので、それも得がたい経験でしたが、さらに、そこで語られた講談の歴史観に、惹かれるものがありました。

 と言うのも、この講談は、土佐24万石を与えられた一豊が、領国の土佐に、入国する前後を描いているのですが、一豊は、一領具足と称された、前の領主の長宗我部家の家臣たちを取り込むことをせず、皆殺しにしたことで知られています。

 講談師が語る話の味噌は、なぜ一豊が、前の領主の家臣を抱き込むことで、懐の深さを示すような道を選ばなかったかにありますが、その答えは、秀吉の朝鮮侵略に隠されているというのです。
 
 関ヶ原で西軍についた長宗我部盛親が、家康から、土佐の国の召し上げを伝えられて、素直にこれを受けいれたと聞いた時、一豊は、なぜ盛親は、何の抵抗もせずに、国を明け渡したのかと自問します。

 1つ考えられるのは、素直に引いたと見せかけて、徹底抗戦を敷くという手法ですが、それにしては、一豊の先遣隊に、わずか1ヶ月で平定されてしまったのは、あっけなさ過ぎるから、そうではない。

 とすれば、考えられることはただ1つ、それは、同じ日の本の国の人間(日本人)同士が、争い殺し合う時代は終わったと、悟ったのに違いないというのが、一豊の出した結論でした。

 では、盛親がそう考えるに至った原因は何だったかと言えば、それは、朝鮮に出兵して戦った時、「相手は朝鮮という国を基に戦っているのに、こちらは、土佐だ何だといった、狭い領国の意識で戦っている。我々も、お互いがいがみ合うのではなく、日の本の国の人間として、考え行動する時代に来ているのではないか」と、思い至ったからだろう。

 「だからこそ、家康殿は、朝鮮に行っていない自分を選んで、新しい治世をと考えたのではないか」と、一豊は自問するのです。

 この講談の作者の意図を、「長宗我部盛親が、戦いを旨とする家臣を抱えるような、古い時代は終わったと悟って、過去を捨てて新しい世を作れと、一豊に全てを明け渡した」ととることも出来ますし、「長宗我部は、朝鮮に行くことで、国の意識に目覚めた。これに対して、家康は、いまだに領国の意識を持つ者を選んだ」とも読みとれますので、そう考えるには、あそこがおかしいここがおかしいと、あげつらうことは容易だと思います。

 ただ、この時代の武将たちに、朝鮮への出兵がもたらした心理面での意識変革は、たぶん大きなものがあったと想定されますし、家康ほどの人なら、領地を分け与えるのにあたって、そんなことを考慮したとしても不思議ではありませんので、そのことに着目をした点に、とても新鮮さを感じました。

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ここにも六本木や赤坂が(9月19日) 

 19日午前、昨日の講演の続きで、三重県の伊賀上野を散策しました。

 まずは、伊賀上野の代表的な工芸品である、組み紐のお店を訪ねると、ご主人が、店の中に置かれた台に座って、帯締めの紐を編んでみせてくれます。

 台の上に広げられた帳面をのぞくと、紐を組む手順が、1つずつ言葉で書いてあるのですが、家ごとに表現の仕方が違うため、他の家の秘伝を見ても、それだけでは編み方がわからないのだそうで、伝統の技の奥の深さを感じました。

 このお店を出て、しばらく行ったところに、藤堂家の藩校だった「崇廣堂」がありますが、書経にある、「功崇惟志、業廣惟勤」に、その名の由来を持つ藩校が、全てではありませんが、当時の形のまま残されています。

 藩校時代には、講義室として使われていた、大広間の片隅の机に、来訪者のための雑記帳が置いてありましたので、何気なく目をやると、数日前にここを訪れた、愛媛県の男性の書き込みが目に入りました。

 72才のその男性は、その名も「崇廣」で、「書経の一節から父が名づけた自分の名と、同じ名前の藩校があると知って、初めて訪ねてみました。自分の家に帰ってきたような気持です」と綴られています。

 この種の書き込みは、普通は単なる観光客の手になるものですが、こんな特別なゆかりのある方の後に、ここを訪れたのも、何かの縁かと思いました。

 もう1つ、伊賀上野について学んだことは、上野はもとより、六本木や赤坂など、東京の繁華街として知られる地名が、この地にもあることでした。

 それはなぜかと言えば、伊賀上野の城主だった藤堂高虎が、江戸の町の都市計画をしたからですが、こんなところに、六本木や赤坂のルーツがあったのかと、あらためて街並みを見直していました。

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十三の縁起(9月18日)

 18日午後、友人の陶芸家、吉向十三軒さんのご縁で、三重県の伊賀市で講演をしましたが、その後の懇談の席で、十三という文字には、新しい出発の意味が込められていることを知りました。

 十三軒さんは、次代を担う息子さんも、作家として独り立ち出来るようになってきたことから、新しい土を使って、これまでとは違った作品を手がけたいと、去年から、伝統的な焼き物の里である、伊賀市の丸柱地区に窯を開いています。

 そのご縁で、丸柱地区の方々を相手に、「今、地方に問われること、出来ること」と題した、講演をしたのですが、その夜は、会を催して下さった地域の方々との、懇親会に顔を出しました。

 その席で、吉向十三軒という名前の、由来などが話題になったのですが、吉向という、いかにも縁起の良い苗字だけでなく、十三という名前も、2通りの意味で縁起の良い文字だと聞きました。

 その1つは、字の読み方から、「十三」は「富(とみ)」に通じるというものですが、縁起が良い理由の2つ目はなかなかの蘊蓄で、干支の十二支で言えば、十三はひと巡りした後の、新しい出発を意味するからというのです。

 なるほど、それなら、新天地での出発にもふさわしいと思うと同時に、「13階段」のイメージから、縁起の悪い数字だと受けとめられがちな、13という数字を、見直してしまいました。

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ふるさと自慢(9月17日)

 17日午後、労働組合の連合が設立した、ふるさと回帰支援センターの主催するシンポジウムが、東京で開かれましたが、各県の知事がふるさと自慢をするというパネルに、自らも参加しながら、いささかの疑問を感じていました。

 ふるさと回帰支援センターという組織は、団塊の世代が大量退職の時を迎えるのを前に、連合が持っているネットワークを活用して、ふるさとへのUターンはもとより、IターンやJターンの手助けをしようと設けられたもので、高知県などいくつかの地方では、すでに、受け皿になる団体も立ち上がっています。

 そこで、この日は、僕を含めて4人の知事が、地方への回帰を呼びかける、ふるさと自慢をすることになったのですが、パネラーの1人として壇上で話を聞いているうちに、会場に来た人たちが求めているのは、こんな情報だろうかと疑問を感じ始めました。

 と言うのも、他の知事さんには失礼ながら、食べ物がおいしいとか、美しい自然があるといった話のオンパレードですから、観光客を誘致するためのPRならいざ知らず、UIJターンを志す人への呼びかけとしては、いかがなものだろうかと思ったからです。

 このため、話の流れの腰を折ることは覚悟の上で、地方での暮らしは決してバラ色ではないし、地域での人間関係や仕事の面にも、厳しい現実が数多くあることを知ってもらいたいという話をしました。

 今後、ふるさと回帰の流れが、広がっていくことは確実なだけに、夢をふりまくだけでなく、現実の厳しさを踏まえた上で、その課題の解決に向けて何をすればいいかという、地に足のついた情報交換が、求められていると感じました。


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やりたい仕事を自由に(9月16日)

 16日、技能職と呼ばれる、守衛職や運転職などの業務の見直しを、職員団体(組合)に提案をしましたが、基本は、誰もが、やりたい仕事を自由に出来る環境を、作ることではないかと考えています。

 この日提案をした項目はいくつかありますが、その中に、守衛の業務を、来年の4月から、全面的にアウトソーシングするというものがあります。

 この分野は、すでに平成7年から、夜間と休日は、外部に委託するようになりましたが、そのことによって、職員からも県民の方からも、サービスが良くなったとの評価をもらっています。
 
 ただ、それが全面的に、守衛の業務に携わる県の職員の、仕事ぶりのせいかと言えば、決してそれだけではなくて、むしろ、管理者と組合が手を組んで、評判が悪くなるような勤務や仕事ぶりを、強いてきた側面を否定できません。

 例えば、このことも、今回初めて知って驚いたのですが、県庁の本庁舎に勤務する守衛さんの、実質的な勤務時間は4時間に満たない状況なのです。

 なぜそうなるかと言えば、本庁舎の守衛業務は、6人でローテーションを組んでいますが、玄関が2人巡視が2人で、残りの2人は待機という名で、一日中、地下にある待機室にいるだけだからです。

 こうした待機は、他の庁舎でも行われていますし、守衛さんが1人しかいない庁舎では、昼休みで勤務から外れているという理由で、会議室の鍵が借りられずに、午後1時からの会議が、予定通りに開けないなどということも起こります。

 では、こんな勤務の仕方を、守衛業務にあたる職員が、本当に望んでいるかと言えば、そのことには、大いに疑問がありますし、中には、こんな仕事の仕方はおかしい、もっと色々なサービスに取り組みたいと、思っている人もいるはずです。

 それをさせないことで、組織の統制を守ろうとしてきた組合と、それを見て見ぬふりをしてきた、僕たち管理者の側の怠慢が、県民の目の届かないところで、こんな不合理な勤務形態を続けさせてきた原因だと、反省をしています。

 これだけでなく、技能職の人が、他の職場に移ることに対しても、組合と管理者側が一体となって、壁を作ってきた歴史がありますが、こうした組織の中に根強く残る、技能職への差別感を払拭して、職場を移りたい人が、自由に手を挙げて挑戦していけるような、開かれた職場に、早く変えていきたいものです。


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憎まれっ子ではない人が(9月15日)

 15日午前、南国市にあるお年寄りの施設に、県内では最高齢のお婆ちゃんを慰問しましたが、年令からは想像できない、しっかりした、また愛らしいお婆ちゃんでした。

 この方は、明治27年5月21日生まれの111才で、全国でも5番目のご長寿ですが、例年、敬老の日をきっかけに訪問をするお年寄りの中には、車椅子の上で眠ったままとか、呼びかけても、ほとんど応えて下さらないとかいった具合で、どうしたものかと、その場で困ってしまうこともあります。

 ですから、この日も、お訪ねをする相手が111才と聞いて、さてどうなることかと冷や冷やしていたのですが、お年を考えれば、とてもお元気で、耳もとに口を寄せて、大きな声で話しかければ、すぐに的確な答えが返ってきます。

 「お婆ちゃん、日本でも5番目のご長寿になられたので、お祝いに来ましたよ」
 「そりゃあ、たまろか。わざわざ有り難う」
 「何か、長生きのコツというか秘訣はありますか」
 「なんちゃあない。思ったことを素直に言う、嘘をつかないことかね」
 と、時々方便も使わないといけない身には、なかなか耳の痛い話もされます。

 歌も大好きで、特に、鉄道唱歌がお得意とのことでしたので、歌っていただくと、「汽笛一声新橋を」に始まって、すらすらと止まりそうにありませんので、3番が終わったところで、耳もとで「有り難うございました」と、ストップをかけさせてもらいました。

 世間では昔から、憎まれっ子世になんとかと言いますが、ご長寿の方を見ていますと、とても憎まれっ子とは思えない方が一杯いますので、長寿社会にはふさわしくない諺なのかもしれません。


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住民力の鑑(9月14日)

 14日午後、土佐市の漁師町の宇佐地区で、自主防災組織の会長をしている方のお話を聞きましたが、行政に依存しようとしない、住民力のモデルを見る思いがしました。

 この方は、数年前に、地区の町内会長を引き受けたのですが、押しつけられて受けた職とはいえ、やるからには何かしないといけないと、町内をまわってみました。

 その際、集会所の前にかかっていた、津波の危険を知らせる看板が目に入ったため、そうだ、今後30年間に50パーセントの確率で起きると言われる、南海地震のことをテーマにしようと考えました。

 そこで、集会所で総会を開いた時に、今地震が起きて、津波が襲ってきたらどうするかと問いかけたのですが、90パーセント以上の人が、いざという時にどうするかという、心の準備をしていないことがわかりました。

 それじゃ駄目じゃないかと投げかけると、お年寄りの中には、「そうは言っても、30年後には、自分は生きちゃいないもの」と言う人もいて、とりつく島もない状態でしたが、それにめげずに、「あなたはいいけれど、少なくなったとはいえ、子供や孫の世代もいるんだから、せめて孫たちのために、逃げる場所くらい用意してやるべきじゃないか」と言うと、「それもそうじゃのお」と、風向きが変わってきました。

 それをきっかけに、裏山に登れる、避難路を作ろうということになったのですが、そのためには、登り口にあたる場所にある、宅地を買う必要があります。

 あれこれと議論をしたあげく、ともかく積み立てをしてみようということになって、月々1000円の会費を500円ずつ積み増すことを、100世帯ほどの会員の全員一致で決めました。

 とは言え、宅地を買うための資金に比べれば、わずかな積み立てでしたが、ある程度たまったところで、高知市に移り住んでいる、所有者のお宅を訪ねたところ、その話に感激をして、土地の売却を約束してくれたうえ、裏山の使用も認めてくれました。

 この他に、裏山の3人の地権者も、そろって快く、土地の使用を許してくれたため、いよいよ工事となりましたが、道具も何もありませんので、町内会の連合会などから、チェーンソーを始めとする道具を借り集めました。

 ここからが、また感心をするところですが、暑い時期に仕事をしたのでは、みんな嫌になってしまうだろうと考えて、作業の日は、11月から5月までの日曜日、それも、朝8時から正午までと決めました。

 町内会にある8つの班から、かわりばんこに人を出してもらって、山の木を切ることから道づくりに取りかかりましたが、お年寄りでも、手伝いをしたいという人は拒まずにいると、中には、昭和21年12月に起きた、前回の南海地震の経験を話してくれる人もいて、自ずと地震への関心も高まります。

 こうして、頂上までの整備も終わって、会員がそろって5分ほどで逃げ込める、避難路と避難場所がほぼ完成しましたが、標高わずか32メートルとはいえ、上にあがると、宇佐の町から土佐湾の大海原が一望に臨めます。

 このため、休みの日には、子供連れがお弁当持参で遊びに来るということで、そうした光景を見て、会長さんも感激ひとしおとのことでしたが、何から何まで行政を頼らずに、自分たちで出来るところまでやっていこうという気持と、それを実践する実行力は、まさに住民力の鑑だと感じました。

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お茶くみの是非(9月13日)

 13日午前、男女共同参画に関わる施設の運営を、民間を含めた、新しい管理者にまかそうとしている問題で、この施設で活動している女性のグループから、慎重に対応するようにとの陳情を受けましたが、その中で、お茶くみなどのことが話題になりました。

 それは、陳情に訪れたグループのお一人で、元県庁の職員だった方が、「私たちの頃には、県庁に入ったばかりの女性職員は、エレベーターガールやお茶くみからやらされていた」と、思い出話をされたのがきっかけでした。

 もちろん、その趣旨は、「最近でこそ、ようやく共同参画の考え方が根づいてきたけれど、全体的にはまだまだなので、その流れを逆戻りさせないためにも、この施設の運営を大切にしてほしい」というもので、その点では、同席していた誰もが同じ思いでしたが、現役の女性の部長が、最後にひと言だけと口を開きました。

 部長によれば、自分も新入職員の時に、エレベーターガールやお茶くみをしたけれど、そのこと自体は、自分にとって、県民サービスを考える上での、原点になっているという話です。

 つまり、県庁の新入職員に、お客様に出すお茶くみをさせたり、エレベーターの運転をさせたりすることそのものが悪いのではなく、それを、女性の職員にだけ強いていたことに問題があったとの指摘ですが、わが社の部長とはいえ、良いことを言うなと思って聞いていました。

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吹き戻しの風(9月12日)

 12日午後、高知県と徳島県とを結ぶ、高規格道路の陳情に来られた、ある村の議長さんから、小泉台風の吹き返しの風に、注意をしないとと声をかけられました。

 確かに、東京など大都市部で、自民党が圧勝したことからもわかるように、今回の総選挙では、単純な経済効率性を目安に、ことの良し悪しを判断していこうという路線が、支持されていますし、その路線は、大都市部の人が抱いている、地方は公共事業や地方交付税を使って、無駄づかいばかりしているといった思いにも、通じるものがあります。

 ですから、程度の差こそあれ、そうした流れに、地方が安易に乗っかった形になった、今回の総選挙の結果は、この改革を良しとする財界や財務省に、お墨付きを与えたことになりますので、選挙という台風が通り抜けた後の吹き戻しの風は、地方にとって、かなり厳しいものになることを覚悟しておかなくてはなりません。

 しかし、その一方で、郵政一家を始めとする、身内を切り捨てたといったこととは別に、大きな風の吹く足下で、公明党の組織への依存度が、確実に増したという現実に目を向けると、自民党の組織そのものは、かなり弱まっていると推測されますので、その吹き戻しの風は、次の、またその次の選挙で、自民党に向かって、厳しく吹きつけるかもしれません。

 と言ったことから、選挙の結果はともかく、これからの吹き戻しの風の吹き具合が、とても気になっています。

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神の采配か(9月10日~11日)

 10日は選挙戦の最終日で、4度目の倉敷入りをしましたが、11日の開票で兄の次男は、小選挙区では破れたものの、惜敗率の加減で、比例の中国ブロックで滑りこみました。

 今回の選挙は突然の出来事でしたので、兄の選挙区だった岡山4区では、兄の引退を受けて、先月20日に、兄の次男が急きょ立候補を決めました。

 これに対して、民主党の候補の方は、前回の選挙で初めて兄に挑戦をして以来、選挙区内をくまなくまわって、地道な活動をしてこられました。

 ですから、いかに自分の甥とは言え、投票日の3週間前に、突然出てきた31才の若者に、油揚げをさらわれるのでは、相手の方もたまらないだろうし、そのことで、甥が選挙を軽く考えてしまったら、政治を志す身として、決していいことではないと感じていました。

 とは言え、やはり甥っ子ですので、応援をしたからには当選をしてほしいという、複雑な思いで開票を見守っていました。

 結果は、およそ6000票の差で、小選挙区では甥が負けましたが、短期間に、精一杯の応援をして下さった支援者のおかげで、当選者との差の詰まり具合を示す惜敗率から、比例区の中国ブロックで、最後の当選者に滑りこみました。

 世の中そうは甘くないと、一度は敗北宣言を経験させた上で、でもよく頑張ったと、最後には救い上げてくれるという、まさに神の采配ではないかと感謝しました。

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2005/09/21

ここでも民間の力を(9月9日)

 9日午後、東京の全日空と日航の本社を訪ねて、それぞれ1日に4便づつ飛んでいる、高知・東京便の便数の維持を要望しました。

 国の指導で、日航と全日空が持っている羽田に発着する枠のうち、20便の枠を、新規に航空業界に参入した会社に振り分けることになっている上、来年は、2月に神戸空港が、3月には新しい北九州空港が開港するため、羽田とローカル空港とを結ぶ便が、その分、削られることは必至です。

 このため、万一にも、高知便が削られてはいけないと、この日の要望になったのですが、両社の幹部からは期せずして、空港の使用時間を広げてほしいと、逆陳情を受けてしまいました。

 と言うのも、飛行機が午前8時30分までに羽田空港に着けば、削減の対象から外れるからですが、そのためには、高知空港の場合、現在、午前7時30分から夜の8時30分までとなっている使用時間を、午前7時から夜の9時までと、朝晩それぞれ30分づつ、拡大する必要が出てきます。

 ただ、その申請をするにあたって国は、周辺の住民が同意していることを許可の条件にしていますので、空港周辺の、各地区の了解と同意が必要になります。

 とは言え、空港の拡張などで、再三迷惑も受けてきた地元の人たちが、全て快く同意してくれるとは限りませんが、その一方で、東京便がもし減便とでもなれば、飛行機に替わる交通手段をもたない高知県にとっては、経済的にも大きな損失になります。
 
 このため、県や地元の南国市といった行政だけが、周辺の地区にお願いに行くのではなく、商工会議所など経済団体も含めた民間の力で、地元の各地区に働きかけていく仕掛けが必要ではないかと感じました。

 こうした点からも、何でも行政が前面に出てという時代は、終わりに近づいていると実感しています。

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初体験の連呼(9月8日)

 8日は、またまた、兄の次男の選挙応援に出かけましたが、選挙カーからの連呼という、初めての経験をしました。

 僕は、喉があまり強くはないため、自分の選挙の時には、選挙カーでマイクを握ることは絶対にしませんし、人の応援に行った時にも、車の中から声をあげることはお断りをしてきました。

 ところが、この日、甥の選挙カーに乗っていたところ、ウグイスさんから「お願いします」と、突然マイクを渡されてしまいましたので、その場で、「いや、僕は選挙カーでは・・・」などとやりあっている間がなくなって、「橋本です、橋本です」と、心ならずも連呼をしてしまいました。

 そんなわけで、応援も含めた、数多くの選挙経験の中で、初めての体験をしましたが、幸い喉がつぶれずに事なきを得ました。

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久しぶりに見た兄の姿(9月7日)

 7日午後、兄の次男の選挙応援のために出かけた、倉敷市の中学校で、久しぶりに兄に会いました。

 兄は、引退を決めるとともに、家族に後を継がせるようなことはしたくない、という思いを持っていましたので、急な解散のあおりで、自分の後援会からの要請を受けて、次男が立候補を決めたことには、複雑な思いを持っていたのでしょう。

 先月の下旬に、東京の家に電話をした時にも、「僕の知らないうちに受けたんだよ」と、いささか不満気でしたし、選挙戦に突入してからも、「一切、応援には行かない」と意地を張っていました。

 ところが、「後援会の大集会で挨拶をすれば、長年お世話になった方々に、引退を決意するまでの思いを報告する、いい機会になるじゃないか」と誘われて、候補者である次男が、会場に到着する前に退席をするという条件で、会の冒頭に、10分だけ挨拶をすることになりました。

 この晩、演説会が始まる午後7時の15分程前に、会場の中学校の体育館に着いて、入口の脇の小部屋に入ると、パイプ椅子に兄が1人座っていました。

 「何度も何度もすまない」と、次男の応援のため、繰り返し選挙区に入っている僕に、ねぎらいの言葉をかけてくれるので、「気分はどうだい」と尋ねると、「不愉快だね」のひと言が返ってきましたが、何か具体的なことを指してのことか、それとも全体の流れを指してのことかは、あえて聞きませんでした。

 演説に立った兄は、次男については、「皆様方の手に、おまかせをしてもいいかなと思い始めています」と言っただけで、自分の後継だとか、宜しくといった言葉はひと言も言いませんでしたので、いかにも、兄らしいなと思って聞いていました。

 また、兄らしいと言えば、ハリケーンによって、大きな被害を受けたニューオリンズに、医師を中心とする、専門家のグループを派遣しないといけないとか、原油の価格の高騰に対抗するため、どこかの時点で、国が備蓄している、油の放出を決断しないといけないなど、ごく真面目な話を、静かな口調で聴衆に語りかけていましたが、裏返して聞けば、選挙だけにうつつを抜かしている時だろうかと、訴えたかったのかもしれません。

 最後には、健康のゆるす限り、皆さん方のために仕事をしていきたいと、これからの意欲を語っていましたが、「長い間、本当に有り難うございました」という締めくくりのひと言には、かすれている声をふりしぼる力がありました。

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少し過激なことを(9月6日)

 6日午前に開かれた庁議の際に、事務事業の見直しや、人事と給与の制度について、かなり踏み込んだ話をしました。

 と言うのも、従来の考え方のままで、予算だけを見直そうとしても、それでは、根本から仕事の仕方を変えることにはつながりませんし、人事や給与の制度に関しても、役所を取り巻く環境を肌で感じる限り、もっと早い、そして、もっと大きな変革が、求められていると感じるからです。

 そこで、まず、支出の見直しに関しては、事業費だけを削ろうとするのではなく、人員も含めての削減の案を、提出するように求めました。

 と言うのも、今いる人員の数を前提にすれば、間違いなく、仕事は減らせないということになるからですが、そうしないために、例えば、課員の数の4分の1を総務部に戻すといった、仕事の見直し案を求めたもので、こうすることで初めて、アウトソーシングも、現実味を帯びてくると思います。

 また給与のカットについても、一律の削減は、仕事へのやる気を、一律にそぐことにつながりますので、今後は、仕事への評価によって、削減の率に、大きな幅を持たせるべきだと考えています。

 この日の庁議では、この他にもいくつかの点で、具体的な考え方を述べましたが、人事や給与の制度も含めて、思い切った転換を、打ち出していく時代だと感じていますので、抵抗を恐れずに、果敢に取り組んでいきます。

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人口を維持できる規模(9月5日)

 5日午前、市町村合併に向けた新しい法律のもとでの、審議会の委員の選任について、庁内での意見交換をしましたが、審議会では、自治体の人口を維持できる規模が、一つのテーマになりそうです。

 この3月で期限が切れた、従来の合併特例法のもとで、県内では、53あった市町村の数が、来年春までに、35に減少することになりますが、人口が1万人未満の町村が19と、小規模な自治体を数多く抱えています。

 一方、国では、さらに市町村合併を進めようと、この4月から、新しい法律を用意して、県に対しても、合併推進の審議会を設けることを求めています。

 これを受けて高知県でも、審議会を立ち上げるための条例を、9月の県議会に提出しますが、その審議会の委員の顔ぶれや、予想される審議の内容について、担当者と意見交換をしました。

 その際に話題になったのが、人口がある程度維持できる規模はどれくらいかということでしたが、過去のデータから見ると、1万人を切るところは、人口が確実に減っていくのに対して、1万人から5万人まででは、どちらとも言えない、5万人を超えて初めて、人口が維持できるということでした。

 これを、別の見方で言えば、生まれてから死ぬまでに受けるサービスが、一応、ワンセット揃っている自治体なら、それ程人口は減らないということになりますので、このあたりが、合併をするのであれば、一つの目安になりそうです。

 と言うのも、合併に対して、基本的には賛成であれ反対であれ、その決断をするのであれば、新しく出来た自治体の人口が維持されることを、多くの方が望んでいると考えるからです。

 この審議会は、新しい法律の期限である5年間、設置することになりますが、こうしたわけで、まずは人口の維持できる自治体の規模はどれくらいかが、議論のテーマになりそうです。

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アドレナリン放出(9月4日)

 4日は、甥の選挙応援のため、倉敷市内など10数カ所で開かれた個人演説会で、応援演説をしてまわりました。

 自分自身は、おととし去年と、2年続けて選挙をしたばかりですので、休む間もない演説会には、いささか食傷気味なはずなのですが、自分のことでもないのに、まわればまわるほど元気が出てきます。

 どうも人前で話していると、それだけで、自然にアドレナリンが放出されてくるタイプらしくて、我がことながら、仕方のない性分だとあきらめました。

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石の上にも7年(9月3日)

 3日午前、室戸市で、世界でも初めての、海洋深層水を使ったタラソテラピー施設の、起工式に出席しましたが、最初に話が持ち上がってから、7年の歳月がたっていました。

 この施設は、わが国のメークアップ・アーティストの草分けとして、シュウウエムラのブランド名で、化粧品の開発にも挑戦してきた植村秀さんが、室戸市の沖合いから汲みあげている海洋深層水と、室戸市の気候や風光にロマンを感じて、7年前から提案をされていたものです。

 もう何年も前のことですが、植村さんのご案内で、フランスのノルマンディー地方や、マルセイユにあるタラソテラピー、つまり、水浴を利用した医療や保養のための施設を、視察に出かけたこともありました。

 ただ、室戸市の現地には防風林があるため、台風の度に、強風にさらされた経験をもつ現地の方からは、防風林に手を加えるなどもってのほかだという、強い心配の声もあって、長い年月をかけて、この施設が果たす意味を説明し続けてきました。

 その結果、地元のご理解もいただいて、ようやく起工式にこぎつけましたが、式のあとの昼食会の席で、植村さんが言われた、「最初に計画をしてから、7年の歳月がたちましたが、どんな計画も、これくらいの時間はかかるものかもしれません」とのご挨拶が、胸に重く響きました。

 完成は来年7月の予定ですが、室戸海洋深層水の、ブランドイメージのアップにつながる事業ですので、深層水ビジネス全体にも、大きな効果をもたらしてくれるものと期待をしています。

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高知版のクールビズとは(9月2日)

 2日夜、ゴルフツアーで高知県を訪問した、沖縄県の経済界の方々との交流会に参加して、高知県版のクールビズの必要性を感じました。

 2ヶ月ほど前のことですが、沖縄の財界の幹部の方が、プライベートに高知県を訪問された際、高知と沖縄との間には直行便があるのに、沖縄からの来訪者が少ないといった話をしたところ、それではまず財界人に呼びかけて、ゴルフツアーを組もうということになりました。

 急な総選挙の影響で、来られなくなった方がいたものの、一度に50人もの経済人が、沖縄から来高するのは初めてのことですので、高知県の商工会議所や、経済同友会のメンバーとの交流会が、高知市内のホテルで開かれました。

 このため、以前沖縄の友人からもらったカリユシルックのシャツを着ていったのですが、さすがに、県議会も夏は全てカリユシでというお国柄らしく、沖縄からのお客様は全員カリユシスタイルで、その徹底ぶりがうかがえました。

 クールビズも浸透してきた、今日この頃ですので、カリユシに負けない、高知独自のクールビズ用のデザインを、誰かに考えてもらわないといけないなと、つくづく感じました。

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2005/09/07

また書いて下さるの(9月1日)

 1日午後、南国市の体育館で、ママさんバレーの全国大会が始まりましたが、夕刻、高円宮妃殿下をお迎えしての夕食会に参加した際、妃殿下から、「またホームページに書いて下さるの」と、声をかけていただきました。

 その心はと言えば、ツイン・バスケットボールという、障害者のためのバスケットボール大会が、今年5月に高知で開かれた時、ご出席をいただいた妃殿下と約束をして、ツインバスケットのことを、ブログで紹介したことがあるからです。

 ママさんバレーの開会式には、全国から49チームが参加しましたが、引き続いて行われた交流会では、「ねぶた」や「よさこい」の踊りの輪に引っ張り出されて、そのパワーに圧倒されるとともに、くたくたになりました。

 ただ、ここまで来るには、苦労も多かったようで、夕食会の際に役員の方に話を聞くと、ママさんバレーを始めた頃には、練習に行く時にも、ユニフォームの入った買い物かごの上に野菜を詰め込んで、カモフラージュをして出かけたとのことでした。

 それだけ、ご近所の目が気になったということですが、話を聞いていた会長さんも、「そうよ、家族から行ってらっしゃいって言われても、本音はどうかと考えると素直には受けとれなくて」と、相づちを打っていました。

 その一方、世界的に6人制が広がる中で、9人制を守り続けてきた結果、身長のない人も、少しお年をめした方も一緒に楽しめることから、全国各地に裾野が広がることになりました。

 このため、ほとんどの団体スポーツは、競技人員の大半が男性ですが、バレーだけは男女が半々で、各県の体育協会の中でも、バレーボール協会は多くの競技メンバーを抱えています。

 その結果、ママさんバレーの競技人員は、すでに、全国で15万人程にのぼっているとのことですので、昔なら、参議院の全国区に、候補を送り込めたかもしれません。

 夕食会では、この他にも、色々な話題に花が咲きましたが、とりあえず今日は、妃殿下とのお約束を果たしたことで締めにします。

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郵政の次は農協(8月31日)

 31日午後、高知市で開かれた、中四国9県の県議会の、正副議長会の懇親会に出席しましたが、この時期だけに、選挙にまつわる話で持ちきりでした。

 懇親会にあたっての知事の挨拶では、「選挙で何かとお忙しい中でしょうが、しばしそのことは忘れて」と言おうと思ったのですが、席に着くやいなや、選挙の話に花が咲きましたので、ご挨拶では、「しばし選挙は忘れてと言おうと思いましたが、皆さん、それどころではないようで」と、笑いをとるしかありませんでした。

 とは言え、選挙以外の話題でも、各県の知事さんの評判や、議会質問の仕方の違いなど、興味ある話が盛りだくさんでしたが、個人名がないと、話の面白さが伝わりませんし、かと言って、それを出すと生々しすぎますので、そのあたりは割愛することにします。

 そこで、選挙に話を戻しますが、この選挙で小泉さんが勝ったら、郵政の次に標的になるものは何かとの問いかけに対して、ある県の議長さんが、「次は農協だろう」という話をされます。
 
 その心はと聞きますと、郵政改革も、潤沢な資金の活用が一番の目的だから、そうとなれば、次に狙うのは、農協の持っている、金融と保険の部門だろうというお話でした。

 ふむふむと聞きながら、自民党の県議さんが、こんなことを考えていることを、当の農協の関係者は知っているのだろうかと、あらぬ方向に興味が向かいました。

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どうなる選挙後(8月30日)

 30日朝、岡山4区から立候補をした、兄の次男の出陣式に出席しましたが、おととし去年と、2年続きで知事選挙を戦っているだけに、甥の選挙とはいえ、3年連続で選挙活動をしようとは、思いもよりませんでした。

 選挙中ですので、候補者本人のことには触れられませんので、選挙後への疑問を、一つだけ書いておきますが、それは、以前も書いた参議院のことです。

 と言うのも、この選挙で、自民党が勝ったとして、参議院の構成が変わらないのに、どうやって、郵政民営化法案を成立させるかが、今もってわからないからです。

 小泉さんのことですから、間違っても修正には応じないでしょうし、今さら修正したのでは、衆議院で反対した人の立場がなくなってしまいます。

 一方、参議院で反対した人も、あれだけの注目度の中、熟慮を重ねた上で、政治家としての決断をしたのですから、いくら何でも、「民意が下ったから」と、てのひらを返したように、賛成にまわることも出来ないでしょう。

 となれば、反対した人に、次は棄権をさせてといった戦法などが考えられるのかもしれませんが、それでも、法案が通過しなかった時には果たしてどうなるのか、それはマニフェストにも出ていません。

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名古屋はどっち(8月29日)

 29日朝、名古屋駅から新幹線に乗るにあたって、名古屋らしい光景だと感じたことがありました。

 いつの時代から始まったことか、定かではありませんが、急ぎ足で歩く人がふえるに従って、駅のエスカレーターなどに乗る時、後から来た人が追い越せるように、片側をあける習慣が出来ました。

 それは、譲り合いの気持の現れとして、とても良いことだと思いますが、どちらの側をあけるかで、なぜか、東京と大阪には違いがあります。

 と言うのも、東京では、人は左側に寄って右側をあけますが、大阪では逆に左側をあけますので、郷に入ってはの教え通り、エスカレーターで立つ位置を、変えなくてはいけません。

 この日は、午前中に、名古屋駅から新幹線で東京に向かう予定でしたが、名古屋駅を使うのは久し振りでしたから、エスカレーターの並び方はどうだったっけと思いながら、エスカレーターに向かいました。

 さてと、下から上を見上げてみますと、多くの人は大阪流で右側に立っていますが、中には左に立っている人もいます。

 やはり、名古屋に来て迷っている人がいるのだろうなと思いながら、自分は大勢に準じて右側に立ちましたが、名古屋流の正解は、果たしてどちらなのでしょうか。

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こっこのご縁(8月28日)

 28日は、午前中、県内の夜須町のホテルで開かれた、パネルディスカッションに出た後、名古屋に向かいましたが、朝も夜も、なぜか「こっこ」という名前に縁のある一日でした。

 と言うのも、午前中のパネルは「学社融合」、つまり、学校教育と社会教育との融合を目指した内容でしたが、この会を主催した方が開いている本屋さんが、「こっこさん」という名前だったのです。

 この後、名古屋に行って、昨日の「スーパーよさこい」に続いて、よさこい鳴子踊りをモチーフにした、「ど真ん中祭り」に、高知県知事賞のプレゼンテーターとして出席しましたが、全ての日程を終えた後、仲間と一緒に夕食に出かけました。

 一緒に出かけた知人が、焼鳥屋を予約してくれたというので、タクシーで店に向かいますと、店に着いてびっくり、なんと店の名前が「こっこ左衛門」だったのです。

 1年のうちに、「こっこ」と名のつくものに出会うことは滅多にありませんが、それが1日に2度も「こっこ」にお目にかかるとは、不思議な日もあるものだと思いました。

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祭り派とイベント派(8月27日)

 27日午前、東京の原宿で開催された、「原宿表参道元気祭・スーパーよさこい」の開会式に出席しましたが、よさこいが全国に広がる中で、大きく分けて、二つの派に分かれてきたかなと感じています。

 この欄でも、何回か「よさこい祭り」の話題をとりあげましたが、高知市で、戦後復興のお祭りとして始まったこのお祭りは、鳴子を持って踊ることと、よさこい節の一節を曲の中に入れること以外は、音楽も踊りも衣装も自由といった束縛のなさが受けて、若い世代に受けいれられてきましたし、10年余り前に、札幌で「よさこいソーラン祭」が始まってからは、一気に全国に広がっていきました。

 その結果、今では、全国の200ヶ所を超えるお祭りやイベントに、「よさこい鳴子踊り」が採りいれられるようになりましたが、段々と二つの派に分かれてきたように感じています。

 それは、本家の高知のよさこい風に、商店街の通りなどを使って、お祭りの雰囲気を大切にする派と、大きな舞台で、集団演舞を披露するイベント派です。

 もちろん、どちらがいいということではありませんが、この原宿表参道の「スーパーよさこい」は、明治神宮の本殿前での奉納踊りに始まって、神社と街のお祭りという要素を大切にしてくれていますので、特に親しみを感じています。

 これからも「よさこい」は、全国に、そして世界へと広がっていくでしょうが、どんな形で進化していくのか、5年後10年後の姿が楽しみです。

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電気を蓄える(8月26日)

 26日午後、蓄電装置の開発をしている企業の方がお見えになって、高知県との連携についてお話をしました。

 キャパシターという言葉を初めて聞いた時に、上と下の「シタ」かと思ったくらいですので、かなり不確かな知識しかないのですが、キャパシターは今、電気を蓄える装置として注目されています。

 と言うのも、エジソンの時代以来、発電所で発電をした電気を、送電線で遠くへ運ぶという形から進歩していませんので、電気を蓄えることの出来る装置の開発が、大きな課題だったからですが、従来の鉛蓄電池では、コストの面で、とてもあわないというのが常識でした。

 これに対して、キャパシターは、コストや効率性の面でも、簡便さの面でも、従来のものに比べて、はるかに優れた性質を持っていますし、年々その質も高まってきています。

 そこで、九州地区では、自動車用の燃料電池とキャパシターとを組み合わせる、実証実験が進められているそうですが、この日お目にかかった、キャパシターのメーカーの方からは、キャパシターを使って、エコエネルギーを蓄電する地域モデルを、県内で試してみないかとの提案をいただきました。

 と言うのも、県内には、風力発電の実績や、バイオマス発電の試みのほか、太陽光発電の部品を作る企業も進出しているため、自然エネルギーを活かしたモデル地域を作るのに、向いているからです。

 具体的な進め方はこれからですが、高知工科大学とも連携をして、育てていきたいプロジェクトだと考えています。

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浅野さんとの電話(8月25日)

 25日午後、先ごろ4選不出馬を表明した、宮城県の浅野知事に電話をして、ご苦労さまでしたと声をかけました。

 浅野知事の表現を借りれば、「続けるも地獄、辞めるも地獄」と言うことでしたが、実質上の4選目を務めている身には、「浅野氏も潔く3選で身をひいたのに」と、批判の矢をかまえている人の姿が、目に浮かぶ気がします。

 聞けば、11月20日までが任期だということで、「21日以降は失業者だから、何かいい仕事があったらよろしく」と、浅野さんらしい乗りの話をしていました。

 今後は、世のため人のためといった、かた苦しい立場ではなく、もっと自由に好きなことをやっていきたいとのことで、「またいつか、一緒に仕事をやろう。先に行って待ってるからね」と声をかけてもらいました。

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