« 2005年11月 | トップページ | 2006年1月 »

2005年12月

2005/12/28

年末年始(12月29日〜1月3日)

 年末年始は、お休みをいただいて、県外に行きますので、ブログは休刊します。

 来年は、変化の年になりそうですので、この間に、18年以降の戦略を考えてきます。

| | コメント (3) | トラックバック (2)

十数年の歳月(12月28日)

 28日午前、高知市から車で40分程のところにある、日高村の役場で、産業廃棄物の処理施設の受け入れに伴う、村の振興策に関して、県と村との間で、確認書の調印が行われました。

 この問題は、14年前に、僕が初めて知事になった直後に、当時の担当の部長から説明を受けた案件で、その後、現地での反対運動や、村長へのリコールの活動など、村の住民の皆さんには、多大な迷惑とご苦労をかけてきました。

 ただ、紆余曲折のあげく、産業廃棄物の処理施設としては全国でも初めて、住民投票によって、受け入れを認めていただいたといった経緯がありますので、何としても事業をスタートさせるべく、担当の職員も、休日を返上して汗を流してくれました。

 その結果、本体の事業計画の縮小と、それに伴う、村への支援策の削減など、心苦しい点は数々ありましたが、村長や村議会を始め、日高村の方々にも理解をいただいて、この日、確認書の調印にこぎつけることが出来ました。

 自分にとっては、数え切れないほどの、教訓と反省を残した事業ですが、この十年余りの歳月を、無駄にしない施設づくりを進めたいものです。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

文旦ソムリエとともに(12月27日)

 27日午前、土佐市の文旦農家を訪問して、文旦ソムリエのおじさん達と一緒に、初めての文旦刈りを体験しました。

 もう何ヶ月も前のことですが、土佐市で文旦を作っている農家の奥様から、一度、文旦刈りに来ませんかとお誘いを受けましたので、是非行きたいとお答えをしました。

 この日ようやく、その約束が実現したのですが、着くとすぐ、文旦がたわわに実る、農園の急な坂道を登ります。

 息が切れそうになった時、人の声が聞こえて来ましたので、足取りも軽やかに見せながら、目的地までの歩を運びましたが、いや助かったというのが本音でした。

 ご指導をいただく、「文旦ソムリエ」のおじさん達は、いずれも、文旦の栽培歴30年余りというベテランで、実のついた枝の切り方や、文旦の良し悪しの見分け方などを教えてくれます。

 こうして採った文旦の実を、そのまま木の下に並べて、ビニールのシートで覆うと、その上に稲藁をかぶせて、およそ1ヶ月熟成させるのですが、これを野囲いと言うのだそうです。

 それにしても、斜面が急なのに驚きましたが、それでも、知事のために、緩やかな場所を選んだということで、過日の間伐や枝打ちと同様、山あいで仕事をする方々の苦労の、ほんの一部を実感しました。

 ところで、この日うかがった農園を始め、この地域では、特に出来の良い文旦を、「てんたん」のブランドで売り出そうと取り組んでいます。

 そこには、お天道様の恵みを、一杯に受けた文旦といった意味が込められていますが、色や形に加えて、肌の艶などを基準に、間違いなく美味しい文旦を選び出します。

 とは言え、東京などでは、まだ文旦自体が、メジャーな存在になっていませんので、果たして文旦を飛び越えて、「てんたん」のブランド化が成功するかどうか、壁は高いのですが、来年の2月には、東京の伊勢丹と紀ノ国屋で、「てんたん」の販促のイベントが予定されていますので、僕も、売り込みに一役買えればと思っています。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

「住民力」の広がり(12月26日)

 26日夜、障害児を持つお母さんからの手紙を読んで、日頃から強調している、住民力の可能性を感じました。

 この方とは、障害児のお嬢さんが、小学校に通っていた当時に、養護学校の分校の開設をめぐって知り合って以来、おつき合いを続けていますが、お手紙をいただいたのは久し振りのことです。

 読んでみると、今月県が開いた、障害者ガイドヘルパーの養成研修を受けたとありましたが、60人の募集に対して、260人の応募があったため、抽選になったと書かれてあるのを見て、正直驚きました。

 と同時に、現在高知県では、住民の力を活かして、官と民との協働を進めていくことを、大きな目標に掲げていますが、障害者のガイドヘルパーという地道な仕事に、これだけの応募があったことに、住民力の広がりを感じました。

 この方は、去年一年かけて、NHKの通信教育で学んだ、ボランティアの認定を生かして、3ヶ所のデイサービスの送迎を、お手伝いされているのですが、今回は、お子さんをショートステイに頼んで、3日間の研修に参加されたとのことでした。

 さらに、お手紙には、「参加者の皆様は、それぞれに障害者への関心も高く、心強く思いました。今後益々、地方切り捨ての国の方針の中で、地方が生き残るため、一人一人が輪の心で手をつなぎ、住民力を養うためにも、是非こうした企画を実行して頂きたいと願っております」とあって、年末のひと時、とても励まされた気がしました。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2005/12/26

あっという間に過ぎました(12月1日〜25日)

 師走の隙間を、自伝の執筆に費やしているうち、どんどんと時間が過ぎましたが、その間にも、話のネタは色々とありましたので、その分を、まとめ書きにしておきます。

 と言うことで、いきなりですが、皆さんは、「ひかりがあるから、のぞみがある」というキャッチフレーズを聞いて、どこの会社の宣伝だと思うでしょうか。

 「ひかり」と「のぞみ」だから、JR東海のコマーシャルだろうと考えるのが、しごく一般的な受けとめでしょうが、このフレーズを教えてくれたのは、NTT西日本の関係者でした。

 つまり、「光」ファイバーがあるから、高速で容量も大きな、様々なサービスの「望み」がかなうという意味で、なるほど、なかなかうまいことを言うものだと感心しました。

 そんな光と望みを、お互いの将来の中に見つけあった感じを受けたのが、すでに、ハリウッド俳優の貫禄を持つ渡辺謙さんと、女優の南果歩さんの結婚のニュースでした。

 僕は、たった一度だけ、南さんの姿を見たことがありますが、それは、NHKの社会部時代に、直木賞や芥川賞の取材を担当していた時のことでした。

 それぞれの賞の選考会は、築地の料亭で行われるのですが、賞の該当者が決まると、会場を丸の内の東京會舘に移して、受賞者の記者会見が開かれるのです。

 ある年、南さんの前のご主人が、芥川賞を受賞されて、喜びの会見が開かれた時、南さんも会見場に姿を見せて、一番後ろで立ったまま、ご主人の晴れ姿を見ていました。

 その様子が、とてもほほえましかったので、しばらくして、二人が別れたと聞いた時には、何か寂しい思いがしました。

 8日の朝、テレビを見ていると、7日にニューヨークで開かれた試写会に、渡辺謙さんが女性と一緒に姿を見せたという写真を、AP通信が配信したため、渡辺さんと南さんのことがわかって、渡辺さんから、報道各社に、結婚したことを知らせるファックスが、届けられたと報じられていました。

 AP通信の記者は、渡辺さんの顔は知っていても、南さんのことは知りませんから、二人の写真の説明書きにあたるキャプションには、渡辺謙が、「アンアイデンティファイド・ウーマン」、つまり、誰なのか確認できない女性と、試写会に現れたと書かれていたとのことでしたが、その二人の写真を見て、十数年前のシーンを思い出していました。

 と言ったおめでたい話から、いきなり、お法事の話題に移るのも何ですが、10日には、四国の大将とか、再建王とも呼ばれた、坪内壽夫さんの7回忌の法要に出席しました。

 今でこそ、官から民へとか、公団の民営化といったことが、当り前になっていますが、昭和40年代の初めに、製鉄会社や金融機関など民間の出資で、瀬戸内海に橋をかけようとした発想は、普通の人より、30年から40年も先を行っていました。

 その坪内さんは、当時の白石愛媛県知事と仲たがいをしたために、佐世保重工の再建など、県外の活動に時間を割くことになったのですが、もし、愛媛県内の仕事に打ち込む環境になっていたら、愛媛県はどう変わっていただろうと、出席者の一人は、思い出話を語っていました。

 その坪内さんは生前、「観光はびっくり産業だ。だから、お客さんが、びっくりするようなことをしないといけない」と言われていましたが、11日には、高知城の近くにある緑地で、来年のNHK大河ドラマ、「功名が辻」にちなんで開かれる、土佐24万石博の起工式が行われました。

 びっくりとはいかなくても、県外から人を呼べるノウハウやが、来年1年を通じて、培われればいいなと思っています。

 14日には、僕が、地元のラジオ局で、インタビュー役を務めている番組に、高知競馬に今年デビューしたばかりの、2人の女性騎手に、ゲストとして出演してもらいました。

 栃木県の那須にある、騎手を養成する学校で、生活面も含めた厳し訓練を受けるのですが、月に1度だけ外出が許される日に、最寄のスーパーで買い込んで来たお菓子やジュースを、小さなロッカーに詰め込む技術を、先輩から教わったとエピソードなど、外部の者にはわからない苦労話も数多くあります。

 現役の騎手になった今は、毎朝午前2時に起きて、朝食抜きで、8時間ほど馬の調教に取り組むということですが、厳しくなる一方の地方競馬の状況の中で、なお元気に頑張る彼女達の姿に、すがすがしさを感じました。

 その翌日の、第3木曜日は、毎月、高知市内のはりまや商店街で、同好の士が集まって童謡を歌う、「木々くらぶ」が開かれる日ですので、初めて参加してみました。

 普段は、屋外で開催されますが、寒波の襲来とあって、臨時の会場となった喫茶店の2階には、大勢の人が詰めかけました。

 「うさぎ追いしかの山」に始まる、「故郷」を皮切りに、懐かしい童謡唱歌やクリスマスソングを、次々と合唱するのですが、昔の歌声喫茶の趣もあって、かなり平均年齢の高そうな参加者は、そろって元気いっぱいです。

 それにつられて、声を張り上げたため、知事の声はバリトンのようだと、おほめの言葉をいただきましたが、その分、かすれ声になってしまいました。

 その夜は、京都まで移動して一泊した後、、翌16日、名古屋で開かれた、高知工科大学の関係のフォーラムで、基調講演とパネラーの役を務めました。

 フォーラムの後、、名古屋の経済界の方々と懇談しましたが、流通関係の方の話によると、最近東京で、1億6000万円のピンクダイヤモンドが売れたそうです。

 その時、買い主は、アタッシェケースに現金を詰め込んで、ダイヤを買いに来たということで、低金利のために、タンスか土の中で眠っていた現金が、出まわり始めたのではないかと、この方は読んでいました。

 さらに、読みと言えば、小泉総理が退いた後に、消費税の税率アップが現実の課題になると、一般の消費者を含めての、駆け込み需要が始まるので、高額な商品を買うお金持ちは、来年から動き始めると予想していました。

 この後も、年末のご挨拶を含めて、多くの方にお会いしましたが、23日の天皇誕生日のお祝いの席で、天皇と皇太子が、とても良い雰囲気で、親子の会話をされていたのが印象に残りました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

師走は自伝の執筆を(12月1日)

 早いもので、今年ももう師走ですが、12月に入ると、アウトソーシングに関する、部局長との個別協議や、12月議会での質問戦、さらには講演やフォーラムへの出席など、ブログを書いている暇がほとんどありません。

 と言うと、もっともらしいのですが、それくらいの忙しさは、毎度のことですから、本当はその程度のことで、ブログが追いつかないこともないのですが、それに加えて12月は、特に、溜まっていたものを、片づけなくてはならないわけがありました。

 それは、本の執筆ですが、地元の方のお勧めで、子供時代から、知事として14年が経過する現在までを綴った、自伝もどきの本を書いています。

 実は、お約束をした締め切りが、11月の末でしたので、12月に入ってからは、夜と休日を使って、精力的に書きなぐりましたが、このため、とてもブログにまで手がまわりませんでした。

 そこで、12月1日からしばらくの間は、ブログを休刊させていただきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

在日フランス商工会議所(11月30日)

 30日夜、東京のホテルで開かれた、日本在住の、フランス商工会議所のパーティーにお招きを受けました。

 これは、今年、高知にコールセンターを開設した、フランス系の生命保険会社の、社長に声をかけられたからですが、同じテーブルには、福井県の副知事さんや、有線の関係の若手の社長など、多士済済のメンバーが招かれています。

 そこには、せっかく縁が出来た高知県に、将来性のある企業を紹介したいという、フランス人社長の心配りもあって、有難く人脈づくりに励みました。

 ただ、僕は、飛行機の関係で、パーティーの開会の時刻より、1時間も遅れて到着したにも関わらず、その時は、ようやくご挨拶が終わったばかりで、それから、たっぷり2時間かけての夕食、それに続いて、ミュージカル仕立てのエンターテインメントと、延々催しは続きます。

 エアフランスやブランド物など、フランスならではの賞品があたる、くじ引きが終わったのは、12時も近い頃で、外国の人はパワーが違うと、うらやましい気さえしました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

なぜアトピーが(11月29日)

 29日午前、大方町に向かう車中で、知事のそばでのインターン研修に参加してくれた職員と、アトピーなどのアレルギーが、なぜふえているかといった話をしました。

 たまたま、知人のお嬢さんも、タマゴを食べると、アトピーのようなアレルギー症状が出るという話を、聞いたばかりでしたので、獣医さんの資格を持つ研修の職員と、なぜ急激にアレルギーがふえたのかといった話になったのです。

 食品の添加物の影響や、排気ガスの問題など、色々な理由が言われていますが、この職員が教えてくれた説は、これまで知らなかったものだったため、興味深く聞きました。

 それは、もともと人間の体内にあって、寄生虫や雑菌などを、退治する役割を果たしていた物質が、あまりにも衛生状態が良くなった結果、攻撃する相手を失って、人間本体に攻撃を仕掛けてきているのではないかという説です。

 それを聞いているうちに、汲み取り式の便所がなくなって、水洗式に切りかわったため、日常の暮らしの中で培われていた、菌に対する免疫力がなくなって、小児麻痺が急激にふえたという、昔話を思い出していましたが、年齢のせいか、その職員は、小児麻痺の話は知りませんでした。

 よく考えてみますと、クマやイノシシが里に降りてくるのも、それに、やや似かよった話に感じられますので、衛生状態が良くなりすぎて、寄生虫や雑菌がいなくなってしまうのも、食物の連関など、自然の循環を壊していることにつながるのだろうかと、これまでとは違った視点で考えてみました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

80万人割れの陰で(11月28日)

 28日午前の庁議で、今回の国勢調査の結果、高知県の人口が、35年ぶりに、80万人を割ったことが報告されましたが、その陰で、ほっと胸をなでおろした、人口にまつわる問題がありました。

 それは、県の中部にある、物部村、香北町、それに土佐山田町が一緒になって、来年3月に合併を予定している、香美市の人口をめぐる問題でした。

 と言うのも、市になるには、直近の国勢調査で、3万人の人口が必要なため、総務省からは、今回の国勢調査で3万人を切った場合には、市を目指して進めてきた合併の準備は、全てご破算になるし、だからといって、直ちに3町村が合併して、新しい町を作ることも認められないと、いささか理不尽な通告を受けていたからです。

 なぜ、いささか理不尽かと言えば、前回の国勢調査では、人口が3万人を超えているため、市として申請することに、何の問題もなかったわけですが、たまたま、合併に向けての協議の取りまとめと、合併の実施日との間に国勢調査がはいったため、その結果待ちという、宙ぶらりんの状況を余儀なくされたことになります。

 また、国は合併を進める立場にいますので、本来ならば、新しくできる自治体が、市であろうが町であろうが、合併が円滑に進むように配慮をすべきだと思うのですが、にもかかわらず、市で申請をしておいて、もし国勢調査の結果が3万人を切ったら、町としての合併も認めないというのは、あまりにも杓子定規で、このことも理不尽に感じていました。

 その上、もし3町村をあわせた人口が3万にを切って、合併が白紙に戻ったら、その後の合併の動きに、大きな影響がでることは目に見えていましたので、かなりの緊張感を持って、速報値の結果を見守っていましたが、幸いなことに、土佐山田町にある、高知工科大学の効果などもあって、わずか255人ながら、人口が3万人を超えましたので、めでたく来年の3月には、新しく香美市が誕生することになりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

進化する披露宴(11月27日)

 27日夜、友人のお嬢さんの結婚披露宴に招かれましたが、ゴルフ場のクラブハウスを使った宴には、披露宴の進化を感じさせる雰囲気がありました。

 この日の昼は、カシオ・ワールド・オープン・ゴルフが開催された、県東部の黒潮カントリークラブにいましたので、ゴルフをしない自分にとって、昼も夜もゴルフ場で過ごすのは、生まれて初めての経験です。

 また、初めてと言えば、クラブハウスを使った披露宴も、初めての経験でしたが、高知市の市街地を見おろす山の上にあるため、新郎新婦の背景には、遠く街の灯が揺れています。

 何よりも意表をついたのは、ご両家の代表や、新郎からのご挨拶も終わった後のことで、参加者全員に、一度部屋を出て、向かい側のベランダに出てくださいとの、アナウンスがありました。

 何だろうと思いながら、列の後についてベランダに出ると、ドーン、ドーンという音とともに、花火が打ち上げられるではありませんか。

 聞けば、新婦のお兄さんから、妹夫婦へのプレゼントだということで、次々とあがる100発の花火が、夜空を美しく彩っていました。

 最近の披露宴では、様々な企画が試みられますが、花火の上がる披露宴は今回が初めてで、山の上の、クラブハウスでなければ出来ない、とても素敵な出し物でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

山の匠に助けられ(11月26日)

 26日午後、自ら購入した山林の手入れのため、森林組合の方々の応援を得て、間伐や枝打ちの作業を体験しました。

 この山林は、県中部の土佐山田町の山間にありますが、年数的にはまだあまり経っていない、若いヒノキが植わった山です。

 とは言え、素人だけではどうしようもありませんので、ベテランの山の匠に、お手伝いをいただくことになって、まずは、チェーンソーやのこぎりの使い方から、手ほどきを受けました。

 予想を超えていたのは、山の斜面のきつさで、「こんなのは、まだいい方だ」と、プロの匠はおっしゃるのですが、こちらは、木を切る以前に、体の位置を保つだけで、日頃使ったことのない筋肉が突っ張ってきます。

 そんなわけで、どうにか体を固定すると、のこぎりで枝を切り落としていくのですが、節の出っ張りが残っていると、そこから節枯れを起こすということで、匠からは、「のこぎりを、木に直角にあてて切らんといかん」と、あたたかいアドバイスが飛びます。

 作業を始めて1時間もたたないうちから、こちらは汗だくで、作業のスピードも目に見えて落ちてくるのに、かなりのお年と見受けられる助っ人の匠たちは、いたって元気で、山の担い手の高齢化など、どこ吹く風の風情すらあります。

 こうして、一通りの枝打ちが進んできた時、匠の一人が、鉄製の道具を取り出して、木に掛けると、両側にある足のせに地下足袋の足をいれて、すいすいと木に登っては、上の方に残された小枝を、打ち落とし始めました。

 この道具は、20年ほど前、鍛冶屋さんに頼んで、15個限定で作ってもらったものですが、素人が使うには危険があるため、その後は販売禁止になったそうで、山の匠は、自分で修理をしながら、大切に使っているということでした。

 休憩を入れながら、2時間程度の体験でしたが、山の仕事ならではの道具といい、仕事の仕方といい、多くのことを学んだ1日でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

地域創生センター(11月25日)

 25日午前、県立の高知女子大学で客員教授をお願いしている方から、女子大学を活用した地域連携について、提言を受けました。

 お話を聞いていて、まずもって申し訳なく感じたのは、この方が籍を置いている、高知女子大学の地域創生センターという組織を、大学の設置者である自分自身が、よく知らなかったことです。

 ただ、自分だけでなく、学外には、ほとんど知られていない存在だということで、ここに、産学連携のコーディネーターを配置して、もっと外向きに動かしてはどうかというのが、提案の一つでした。

 特に、女子大の中では、福祉の関係を始め、栄養や食品の分野で、ビジネスにつながるような研究が進められているので、そのシーズの門戸を開いていけば、新しい動きが出てくるだろうというのが、この方が、学内で受けとめた感触でした。

 確かに、高知大学や高知工科大学に比べて、高知女子大学は、こうした取り組みが、一歩も二歩も遅れていることは間違いありませんので、是非とも考えてみたいと思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

さすが東スポ(11月24日)

 24日夕方、カシオ・ワールド・オープン・ゴルフの開催に合わせて、会場のゴルフ場で開かれた、マスコミの人達を歓迎するパーティーに出席しましたが、さすが東京スポーツだと、納得するような取材を受けました。

 この大会は、男子プロの大会ですが、25回目にして初めて、高知で開催されるのを記念して、アメリカの女子選手、ミッシェル・ウィーが出場することになったため、予想を超える数のマスコミ関係者が、高知に取材にきてくれました。

 このため、高知県観光コンベンション協会が主催して、全国のマスコミの人達に、高知の食材を楽しんでもらおうという、歓迎の宴を開いたのですが、挨拶も終わって会場を出ようとしたところで、東京スポーツの女性記者に声をかけられました。

 東京スポーツと言えば、プロレスの報道を始め、アイディアあふれる表現と、派手な飛ばし記事で知られているスポーツ紙ですので、さて、どんな質問が来るのかと、一瞬身構えていますと、「橋本知事が、ミッシェル・ウィーを、名誉県民にしようと検討していると書いてもいいですか」と、はなから、飛ばし記事の了解を取ろうという質問です。

 名誉県民と言えば、「功名が辻」や「竜馬がゆく」の作者で、亡くなった作家の司馬遼太郎さんと、「南国土佐を後にして」の大ヒットで知られる、歌手のペギー・葉山さんのお二人しかいませんので、いくらなんでも、ただ1度高知に来ただけのアメリカのゴルフ選手を、いきなり名誉県民には出来ないだろうとは思ったのですが、東京スポーツに書き飛ばしてもらうだけなら、誰の迷惑にもならないだろうと考えて、「いいですよ」と気軽に答えてしまいました。

 それが、どんな記事になったのかまでは確認していませんが、さすが東スポだけあって、目のつけどころが違うと感心しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

素晴らしいプロデュース(11月23日)

 23日午後、高知市のお隣の春野町で、小学校の校区ごとに防災ウォークを実施した、地域のリーダーの方とお話をしましたが、プロデュースの工夫に感心しました。

 この防災ウォークは、やがてやってくる南海地震に備えて、地域の人に、ご近所にある危険個所を知ってもらおうというのが、第一の狙いですが、それぞれのポイントごとに、中学校の生徒が、用意した小道具を使って案内をします。

 感心したのは、その小道具の数々で、一つは、津波の高さを実感してもらうために作った、目盛り入りの竹竿でした。
 
 これは、近くを流れる、仁淀川の河原からとった竹に、1メートルごと、テープで目印をつけただけのものですが、例えば、高さ2,7メートルの土地で、6メートルの津波が予想されている場所なら、その竹竿を使って、差し引き3メートル余りの波の高さを、実感しようというものです。

 とは言え、この程度のものなら、思いつく人も多いでしょうが、もっと感心したのは、解説ポイントごとに作ったパネルでした。

 パネル作りは、まずは、地震の研究者に同行してもらって、事前に、危険個所をチェックすることから始まります。

 こうして、大地震が起きた時に、家が壊れそうな場所や、道路が崩れそうな場所、さらには、ブロック塀が倒れてきそうな場所などをピックアップすると、次には、県庁の危機管理課に出かけて、十勝沖の地震や中越地震など、過去に起きた地震の際の、被害写真の山の中から、春野町の地元にある危険個所と、よく似た風景の写真を選び出します。

 こうして、春野町にある危険個所の写真と、過去に起きた、同じような場所での被害の写真とを、パネルに並べて貼りますと、使用前と使用後ではないのですが、その危険個所が、地震によってどうなるかが、見事にイメージできるようになります。

 このパネル作りには、2週間ほどかかったということですが、実にわかりやすい説明資料ですので、これを使って地元の中学生が、一箇所4~5分の解説をすると、おばあちゃんやおじいちゃんも、うなづきながら聞きいっていたということでした。

 この事例は、11月の12日から13日にかけて、神戸で行われた、安全・安心のまちづくりワークショップで、グループ発表の「ピカイチ賞」を受賞したということで、今後、各地域でも、活用できる手法だと思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年11月 | トップページ | 2006年1月 »