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2006年5月

2006/05/29

クラブスポーツの裾野(5月23日)

 23日午後、高松市に本拠地を置く、全国でも唯一の女子バレーのクラブチーム、四国エイティー・エイト・クイーンズの監督と、お話をする機会がありましたが、サッカーのJリーグの成功は、各種のスポーツに変化を与えています。

 この方は、スペインのバルセロナで開かれたオリンピックの際、日本の女子バレーチームの、専任コーチを務めた経験の持ち主ですが、その後、Vリーグの日立の監督をしていた時に、廃部の憂き目を見たのをきっかけに、1つの企業が丸抱えする、従来の形に見切りをつけて、特段の関係もなかった四国の高松で、ママさんバレーのコーチから再出発をしました。

 とはいえ、最初は、5チームほどしか声がかかりませんでしたし、時給に換算すれば、600円余りのコーチ料にもかかわらず、スポーツを金儲けに利用しているといった、中傷も受けました。

 しかし、地道な活動が評判を呼んで、コーチの依頼が一気にふえたのを機会に、スーパーやお弁当屋さんなど、地元の企業に声をかけて、選手を1人ずつ雇用してもらう形で、四国八十八ヶ所に名をとった、クラブチームを立ち上げました。

 女子バレーの全国リーグは、Vリーグの下にV1リーグが、そのまた下に地域リーグがありますが、こうしてスタートした、四国エイティー・エイト・クイーンズは去年から、全国の7つのチームからなる、地域リーグの一員になりました。

 残念ながら1年目は、入れ替え戦に歩を進めることが出来ませんでしたが、V1リーグにあがると、ホーム・アンド・ウェイといって、本拠地でも試合が出来るようになりますので、その時には、高知を含む四国の4県で、試合がしたいと夢はふくらみます。

 スポーツの世界では、サッカーのJリーグが、地域密着型の、クラブチーム方式で成功をしましたが、四国でも、J2の徳島ヴォルティスに続いて、愛媛FCがJ2入りを目指しています。

 また、野球では、同じように、地域密着型のチーム作りを目指した四国アイランドリーグが、今年2年目を迎えていますが、それに続いて、女子バレーにも、こうしたクラブチームが生まれたことで、スポーツの裾野が、一気に広がってきた気がします。

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フランスからの贈り物(5月22日)

 22日午後、北川村にある「モネの庭」の、本家にあたる、フランスの美術館の館長さんから、植物を題材にした、銅版画の画集の寄贈を受けました。

 フランスのジベルニーにある本家の協力で、県東部の北川村には、本家と同じ蓮の池をモチーフにした、「モネの庭」が再現されていますが、そのご縁で、彼の地にあるマルモッタン美術館の館長夫妻と、昨年、北川村で昼食をともにする機会がありました。


 その際、館長が銅版画の作家だと聞きましたので、持てる知識を出し切って、絵画や銅版画の話をしたのですが、懇談の中で館長から、ご自身の作品集を、県に贈りたいとの申し出を受けました。

 その時お約束をいただいた、銅版画の画集が出来上がったとのことで、「モネの庭」の関係の方々が、届けに来て下さったのですが、台紙は、草色のものも白色のものも、土佐和紙が使われています。

 画集を開いてみますと、全てが植物の銅版画で、スケッチにデフォルメが心地よく溶けあった小品が、一冊の中に詰められていました。

 県の窓口の担当者からは、県立美術館に収めるとの報告を受けましたが、画集をめくっているうちに、牧野富太郎の描いた、植物画を思い出しましたので、牧野植物園での利用も考えてはどうかと、投げかけておきました。

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されど鰹(5月21日)

 21日は朝から、中土佐町で開かれた「かつお祭」に出かけましたが、1万人を越える人出を見て、鰹の持つブランド力を、再認識しました。

 中土佐町は、高知出身の漫画家、青柳祐介さんの代表作、「土佐の一本釣り」の舞台になった町で、「かつお祭」の名で、たたきを始め、鰹づくしの味に舌鼓をうつイベントを、16年前から開いています。

 このイベントには、毎年大勢の人が集まりますが、この日はお天気が良かったこともあって、会場は満杯の盛況でした。

 鰹と言えば、この日のオープニングの挨拶でも、紹介したのですが、総務省が行った家計調査によれば、高知市の市民が、1年間に鰹を食べる量は6キロと、全国平均の4,3倍にもなっていますので、高知の人は、そもそも鰹好きだと言えるのかもしれません。

 ただ、これだけ大きなブランドである反面、土佐の鰹漁は、価格の安さに加えて、宮崎や三重など、他の産地に対する競争力の低下から、かなり厳しい現状にさらされています。

 このことを気づかって、あれこれと、対策を考えて下さる方がいることは心強い限りですが、土佐の文化としての鰹漁を、どんな形で守っていけばいいか、色々と考えることの多い「かつお祭」でした。

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進歩するメディアと文化(5月20日)

 20日朝、高知県立美術館で始まった、海洋堂のフィギュアの展覧会の、オープニングの式に出席しました。

 と言っても、フィギュアも海洋堂もご存じない方には、何のことかわからないかもしれませんが、フィギュアというのは、スケートで使われるのと同様、図形や形を示す用語で、今では、お菓子の景品などから始まった、模型や人形などの総称として、この言葉が使われています。

 そのフィギュアを、新しい時代の文化として広めたのが、大阪に本社のある海洋堂ですが、高知県大方町(現在は黒潮町)出身の創業者が、東京オリンピックが開かれた1964年に、開業した時には、小さなプラモデル屋さんでした。

 その後、ご長男と共に、フィギュアと言えば海洋堂というまでに、フィギュアという新しい媒体を使った文化を、育て上げてきましたが、爆発的に広がったのは、コンビニで売られるお菓子などのおまけとして、大量に作られるようになったのがきっかけです。

 こうした、海洋堂の軌跡を、一堂に集めて紹介したのが、この日から、県立美術館で始まった展覧会ですが、ウルトラマンや仮面ライダーなどのヒーローはもちろんのこと、美少女や怪物、そして、各種の昆虫や鳥や魚など、あらゆるジャンルのフィギュアが、所狭しと並べられています。

 ビジュアルな文化の歴史をたどってみますと、絵画や彫刻に始まって、版画、写真、動画、はたまた、漫画にアニメと、時代とともに、その幅は広がってきていますが、会場をひとまわりしただけで、やがてフィギュアも、その一頁に名を連ねるであろうことが、容易に想像できます。

 また、大量生産でありながら手づくりというのも、海洋堂のフィギュアの特徴ですが、その秘密は中国での物作りで、絵付けの工程をいくつにも分解した上、一日中左目だけを入れる人とか、背中の色つけだけをする人など、文字通り人海戦術の流れ作業で、1つのフィギュアが完成します。

 すでに、創業者が館長を務めるフィギュアのミュージアムが、滋賀県の長浜市にありますが、故郷の高知にも、熱い思いを持って下さっていますので、フィギュアという、新時代の文化とメディアにふさわしい、印象的な見せ方はないものかと思いました。

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宇宙商品の第2弾(5月19日)

 19日午後、知事室に、県の酒造組合や、乳業会社の方々の訪問を受けて、「宇宙酒」に続く、第2弾の宇宙旅行商品の計画を聞きました。

 宇宙旅行商品といっても、人間が行く宇宙旅行のことではなくて、宇宙を旅した素材を使った、物作りのことですが、高知県では、宇宙の旅を経験した酵母を使った「宇宙酒」が、この4月1日に発売されて、大いに話題になっています。

 このため、宇宙物の第2弾を目指した、新しいお酒の酵母とヨーグルトの乳酸菌が、すでに宇宙の旅を終えて、高知に戻ってきていますので、この日は、その報告を兼ねて、関係者の訪問を受けました。

 お話を聞きますと、3月には、ロシアのロケット基地に出かけて、ソユーズの打ち上げを見守ったとのことですが、そこには、有名人も顔を見せていました。

 その筆頭は、「私はカモメ」という有名な台詞で、僕たちの世代には馴染みの深い、世界初の女性宇宙飛行士のテレシコワさんで、ロシアの女性らしく、でっぷりとしたカモメに変身しているかと思いきや、しゃきっとしたお婆ちゃんになっていて、さすがと感心させられたそうです。

 一方、日本からは、22億円の宇宙旅行の切符を買った、IT企業の代表が、事前の訓練のために訪れていましたが、22億円の振り込みにあたって、為替差損で、1億円の損をしたという話を聞いて、この方にとっての1億円は、我々の生活感覚では、いくらぐらいの金額にあたるのだろうかと、しばし話題になったようです。

 さて、肝心の新商品ですが、宇宙酒の第2弾はもとより、宇宙を旅した乳酸菌を使った、宇宙ヨーグルトが、今年中には登場する予定です。

 さらに、宇宙酒と宇宙ヨーグルトとの、ジョイントはどうだろうという話になりましたが、時あたかも、大相撲5月場所の最中でしたので、宇宙ヨーグルトは琴欧州に、お酒とヨーグルトを組み合わせた宇宙馬乳酒は、朝青龍にPRを頼もうと、本人の承諾もないまま、勝手に話が盛りあがりました。

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産学軍の連携で(5月18日)

 18日夜、異業種の方々と意見交換をする中で、産学軍の連携という、言葉だけ聞くと物騒な提案がありました。

 といっても、軍事的な研究をしようというわけではなくて、テーマは水虫の治療です。

 それが、なぜ軍事と結びつくのかと言えば、自衛隊の隊員は、一般の人に比べて、厚い革靴を履いている時間が長いため、水虫に悩んでいる人が多いというのです。

 そこで、ある物が、水虫の治療に効果があるかどうかを、自衛隊の協力で調査出来ないだろうかというのが、言いだしっぺの方の提案でした。

 では、そのある物とは何かと言えば、海洋深層水から、塩を取りだす際に出来る苦汁(にがり)です。

 苦汁は、豆腐の原料にもなりますし、一時は減量効果があると人気になりましたが、その後、そのブームも去って、新しい使い道を模索しています。

 そんな時に出てきたアイディアが、水虫治療への活用ですが、これまでも深層水の成分には、皮膚に対する効用があるのではと言われてきましたし、もちろん値段も、さしたるものではありません。

 このため、水虫の罹患率も高く、集団生活をしている自衛隊の協力を得て、その効果を試してみてはというのが、産学軍連携の提案でしたが、可能ならば、試みてみる価値のある話だと思いました。

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これは本物だ(5月17日)

 17日午後、土佐清水市の大岐の浜で、自然をいかした、癒しのリゾートづくりに取り組んでいる方と、お話をする機会がありましたが、話を聞いていて、これは本物だと感じました。

 と言うと、偽物があるように聞こえますが、偽物というほどではなくても、自然や癒しを口にする人の中には、思い込みが強すぎて、視野狭窄や自画自賛に陥りがちなタイプも、少なくないからです。

 そんなわけで、初めてこの方の噂を聞いた時にも、よくありがちな、自然おたくのお仲間ではないかと、疑ってみたものでした。

 ところが、沖縄の石垣島やインドネシアのバリで、航空会社の系列のホテルマンをしていたという経歴の持ち主で、ビジネスプランも堅実でしっかりとしています。

 3才の時に、大岐の浜に越してきた彼が、小学校の5年生の時に、74室の別荘型のマンションが出来たのですが、夏休みのたびに、大岐の浜を訪れる別荘の住人を相手に、海の遊びを見せてあげるのが、少年時代の喜びだったと言います。

 そのことが、将来は、お客様を楽しませる仕事をしたいという思いにつながったのですが、大岐の浜での仕事に使っている「海癒(かいゆ)」という名前は、バリで見た、「ヒール・イン(癒しの宿)」という名前から思いついたものでした。

 こだわったのは、以前から掘りあてられていた温泉の沸かし方で、全国の湯の里を行脚するうち、愛媛県の誰も知らないような温泉で、これぞという癒しの湯に行きあたりました。

 宿の主に秘訣を尋ねたところ、薪で沸かしていることがわかったため、わざわざ、岐阜県にある専門のメーカーに特注をして、温泉を薪で沸かすための窯を設けました。

 少年時代からの思い出のマンションも、74室のうち20室を購入して、コンドミニアムとして活用するため、室内を改装しました。

 それも、若手の建築家やデザイナーに、思い思いの仕事をしてもらうという手法で、それぞれの部屋の独自性を大切にしています。

 この秋からは、裏の山に道をつけて、30室のコテージを作る計画ですが、自ら、お客さんのマーケットは全国に1000人と言い切るように、自然とか癒しといった言葉が、わざとらしい響きにならない、全く新しい村の出現を期待したいものです。

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2006/05/22

青色申告の母(5月16日)

 16日午後、全国青色申告会の女性部の、創立30周年の記念式典が高知市で開かれましたが、祝辞の中で、大河ドラマ「功名が辻」のヒロイン、千代の名を使わせてもらいました。

 青色申告は、サラリーマンから知事にという、これまでの自分に人生には、あまり縁がありませんでしたので、体験に基づく話は出来ませんし、かといって、申告納税制度を支える活動に感謝しますといった、型どおりの挨拶では面白くありません。

 そこで、全国から参加された会員の方々に、大河ドラマの「功名が辻」を利用して、高知の宣伝をしようと考えたのですが、そのためには、無理矢理にでも、複式簿記など青色申告に関係のある話を、ドラマの内容にこじつけなければなりません。

 思いついたのは、ドラマのヒロインである一豊の妻千代が、夫の出陣に備えて、へそくりで買った名馬のことで、やりくり上手な千代のことだから、当時、今風な簿記や帳簿があれば、名馬を資産台帳に、二十四万石の年貢米を収支の帳簿にと、申告のための記載怠りなく、しっかりと、何百俵か何千俵分の特別控除を受けたのではないか、なんていう話をしました。

 会場の受けはまずまずでしたので、彼女が、現在の納税制度の時代にいれば、青色申告の母と呼ばれたかもしれないなどと、さらに調子に乗ろうかと思いましたが、それではこじつけが過ぎるだろうと、思いとどまりました。

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引き出しの効用(5月15日)

 15日午後、愛媛県東温市の「坊ちゃん劇場」で開かれた、愛媛県知事との交流会議に出席しましたが、最近のものも含めて、頭の引き出しに詰め込んでいたネタが、大いに役に立ちました。

 この交流会議は、両県の知事が、フランクに課題を語りあおうと、愛媛県の加戸知事の提案で始まったもので、今年で7回目になりますが、開催地は、両県が毎年交代で引き受けることになっています。

 今年の会場になった「坊ちゃん劇場」は、高速のインターにも近い敷地に、ショッピングモールなどと併設されていますが、坊ちゃんの名前だけをつけた、一般的な貸しホールではなく、秋田に本拠地を持つ、わらび座の演劇を主に上演する小屋で、スタートの年にあたる今年度は、脚本家のジェームス三木さんが脚色をした、小説「坊ちゃん」のミュージカルが、出し物の中心になっています。

 このため、この日は午前中、地元の県立高校の生徒さん達と一緒に、そのミュージカルを観劇した後、午後は、高校生を前に、加戸知事と2人で対談をする形になりました。

 これまでこの会は、両県の担当者やマスコミを除いて、一般の聴衆はいない中で開かれていましたので、多くの若い聴衆を前にしたパネルディスカッション型の進行には、いささか面食らいました。

 しかも、話の主導権は、主催県である加戸知事の手の内にありますので、次々と、質問の形で僕に話をふってきます。

 しかたありませんので、先週、修学旅行で高知を訪れた高校生に話したことや、飛行機が飛ばずにキャンセルになった東京でのミニ講演の準備原稿など、頭の引き出しに入っていた話を、片っ端から取りだしては、何とかしのぎきりました。

 それぞれに、話の準備をする時には、その面倒くささからいつも、こんなこと引き受けなければよかったと後悔するのですが、そんな準備が役に立つ時もあるのだと感謝をしながら、観客席の高校生に語りかけていました。

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まとめ書き(5月14日)

 14日は、丸一日の休日でしたので、たまっていたブログのコメントを、まとめ書きしました。

 ブログというのは、日記性に意味がありますので、本来ならば、毎日書きとめなければいけませんが、仕事の都合上、理想通りにはいきません。

 それどころか、今回のように、2週間分がたまってしまうこともしばしばですが、それでも、思い出しながら書けますので、記憶力はまだ大丈夫なようです。

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ちょっと気になったこと(5月13日)

 13日夜、香美市で開かれた、地域の方との懇談会に出席しましたが、最近になって、介護予防の活動が中止に追い込まれたという声が気になりました。

 ご指摘によると、香美市内の旧土佐山田地区で、地域のお年寄りが続けてきた介護予防のための集いが、予算がないという理由で、中止に追い込まれたというのです。

 香美市は、3つの町村が合併して、この春にスタートしたばかりの市ですから、合併によって予算が切られたという受けとめもありましたし、県の補助金削減の影響ではないかとの意見もありました。

 これに対して、旧物部地区の方からは、同じような取り組みが、すでに数年前から、中断されているという報告もありました。

 一方、地元の市会議員さんの説明では、それは、国の介護制度の見直しにあわせて、一旦中断されただけで、合併や財政問題とは、たぶん関係はないとのことで、真相はわからずじまいでした。

 しかし、今後の高齢化の進み具合を考えますと、介護予防や健康づくりの取り組みは、もっとも大切なテーマですので、それが、合併や財政危機のしわ寄せを受けることは大きな問題ですし、事実がそうでなくても、地域の方々が、そう受けとめること自体が問題ですので、よく調べてみたいと思いました。

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2006/05/18

手に負えない(5月12日)

 12日午前、高知市内の中学校を訪問して、授業の様子も参観しましたが、教育の守備範囲を越えるような問題が、学校の手に負わされている現状が、よくわかる気がしました。

 知事として、市内の中学校を視察するのは、初めてのことでしたので、まずは、校長先生からお話を聞きましたが、30分程のやりとりの中にも、自分自身の勉強になる話がいくつもありました。

 例えば、午前中に売店の前で、堂々とほかほか弁当を食べている生徒の側を、一人の教員が、何事もないように通り過ぎた時に、「あの子は、声をかけてほしいから、わざとあそこで弁当を食べていたんじゃないだろうか。そんな子供の出すサインを、見逃さないようにしよう」と、先生に注意をしたと言います。

 なるほどと思ったのは、そこから後で、「だけど、何でこんな時間に弁当を食ってるんだと、怒鳴ってくれと言っているわけじゃない。もしかして、お父さんやお母さんの仕事の都合で、朝飯を食ってないんじゃないかと声をかけてやれば、こどもの方から、近づいてくるんじゃないか」と、話は続きました。

 かまってほしい言えば、授業をエスケープする生徒も同様で、どうせ遊ぶなら、どこか遠くに行けばいいのに、わざわざ学校に来て授業を抜け出すのは、そうすれば、教師が追いかけて、かまってくれるからだろうと言います。

 ですから、いつもエスケープをする元気な子が、長年不登校を続けていた生徒の家に行って、「うちの中で閉じこもっていても面白くないだろう。学校にこいや、面白いぜ学校は」と誘って、不登校の子が、学校に来るようになったケースもあるそうです。

 また、校長先生は、10年ほど前に同じ学校で、生徒指導を担当していた経験があるのですが、その当時は、変わった色の学生服を着ている生徒に注意をすれば、「なにおっ」と食ってかかってきたそうですが、今は反応が違います。

 先月の始業式でも、派手な色の学生服を着てきた生徒との間で、
 「この色はいかんぞ」
 「まずいろうかね」
 「うん、まずいぞ。始業式は、ちゃんとしないと。着替えは持ってないのか」
 「いや、着替えももってきてるんだ」
 「それじゃ、着替えてこいや」
 といった、やりとりがあったそうですが、このように、生徒がとても子供っぽくなっているのが、先生方の気がかりの一つでした。

 そう言えば、校長先生達と話をしている時にも、知事が来ていることを知った生徒が何人か、校長室をのぞきに来たのですが、その素振りには、確かに幼すぎる無邪気さがありました。

 また、幼いと言えば、すでに親の世代がそうなっていますから、昔なら家で先生の悪口を言えば、「甘えるんじゃない」と親に叱られたのに、今では、親が一緒になって悪口を言うため、子供がそれでいいと思ってしまう、という悩みも聞きました。

 学校の行事の後、机などの後かたづけに励む、教師や保護者をよそに、煙草を吸いながら携帯電話で会話をする親の姿も、むなしさを誘うと言います。

 この後まわった校内の雰囲気や授業の様子は、学校中の窓ガラスが割られていたような、「荒れる学校」の時代とは、全く異なったものでしたが、「荒れる学校」が、主として、教育の守備範囲の問題だったのに対して、社会の問題を、ことごとく抱え込んだ形の現在の学校は、すでに、教育の守備範囲を越えているのではないかと感じました。

 その中で、懸命に対応されている先生方には、素直に頭が下がる思いがしましたが、「手に負えないこども達」を相手にする場ではなく、「手に負えない時代環境」に、押し流されつつあるこども達を、迎えいれる場としての学校はどうあるべきなのかとの、強い問題意識を持ちました。

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知事のコマーシャル(5月11日)

 11日午後、県立美術館で開かれた、ヨーロッパの絵画展を主催した県内の放送会社の方が、展覧会の結果報告に来られましたが、その中で、知事のコマーシャルが話題になりました。

 なぜかと言えば、お客様が出だしが、予想より少なかったことから、僕が画面で呼びかける、コマーシャルを放送したからですが、放送会社の方からは、「忙しい知事を、こんな宣伝に使うな」といった、ご批判があったと聞きました。

 実は、僕のもとにも、1つだけ、クレームのメールが来ましたが、それは、知事が、私企業の興業の宣伝を手伝うのはおかしいというもので、最後には、必ずお答えを下さいと書かれていました。

 このため、早速お返事をしましたが、その内容は、「僕は、知事であると同時に、県立美術館を運営している、県の文化財団の理事長ですから、美術館の催しを、広く県民の皆さんに宣伝することに、何の問題もありません。また、それだけでなく、知事という立場でも、県民の皆さんの文化への関心を高めるために、これはと推薦できる展覧会を、コマーシャルで宣伝することに、何も恥じることはありません。そもそも、企業がスポンサーになってくれるから、余分な税金を使わずに、こうした質の高い作品を、県民の皆さんに見ていただくことが出来るのです。それを、企業の営利活動ときめつけて、知事が応援するのはおかしいというのは、あまりにも貧しい、ものの見方ではないでしょうか」というものでした。

 あわせて、このお返事に対しての考え方、受けとめ方を、是非知らせて下さいと書き添えましたが、その後は、なしのつぶてでした。

 そんな出来事を、放送会社の方にもお話ししたのですが、文化事業への理解を進めるには、まだまだ壁があります。

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小泉流の悪役づくり(5月10日)

 10日午後、小泉総理の、「地方の首長には、退職金を辞退してもらってはどうか」との発言に関して、東京のテレビ局からアンケートがきましたので、一問一答の形式ではなく、自分の考え方をまとめてお答えをしました。

 この日は、本来なら東京に出張をして、有志の知事の会などに出席する予定でしたが、あいにく、高知空港の天候が悪くて飛び立てなくなったため、しばらく空港で待機をしていますと、東京のテレビ局からのアンケートが、ファックスで送られてきました。

 内容は、上記の小泉発言を受けてのものでしたが、結局、出張をあきらめざるを得ませんでしたので、午後知事室に戻ったところで、回答を書きました。

 まずは、その発言を聞いての第一印象ですが、正直なところ、またいつもの手かと思いました。

 というのも、就任以来の小泉さんの手法を見ていますと、最初は道路公団を、次は郵政をというように、次々と「悪役」を作り出しては、守旧派と対決する姿勢を演出してきました。

 「知事や市長の退職金は多すぎる」との発言も、まさに、新しい「悪役」づくりの一つです。

 そこで、次は悪役の側の言い分ですが、地方はそれぞれ自らのルールにのっとって、県民の代表が参加したオープンな場で、知事など特別職の、給料や退職金の額を決めていますので、そこに総理が口を出すことは、地方自治の視点から、あまり好ましいことではありません。

 しかし、そんなことよりも、総理の発言を聞いていて、何ともおかしいと思うのは、給与等、年間の報酬の大きな違いを棚に上げて、退職金だけが問題かのように言われている点です。

 確かに、総理と僕の退職金を比べれば、総理は5年5ヶ月分で658万円、僕は1期4年分で3571万2千円ですので、退職金に限れば、僕の方がはるかに多くなっています。

 しかし、給料の年間の総額を比較してみますと、総理は4165万円なのに対して、僕は1562万7千円ですので、2,6倍余りの開きがあります。

 これを、知事の1期4年分に換算してみますと、給与と退職金とを合わせた総理の所得は、4165万円×4+526万4千円(総理の退職金658万円を、4年分に割り戻した数字)=1億7186万4千円になります。
 
 これに対して、僕の場合は、1562万7千円×4+3571万2千円=9822万円ですので、総理の所得の総額は、2倍近くも多いことになります。

 その上、総理官邸には、官房機密費という名前の、一切情報公開されていない資金もあります。

 こうした実態には目をつぶって、毎月の給料に比べれば極めて少ない配分になっている、ご自分の退職金を、返上してもいいと言われるのは、あまりにもバランスを欠いた、格好の良すぎる言い方です。

 ただ、こう言うと、ご家族との暮らしを持たれていない、また、たぶん資産も、それなりに持たれている総理は、給料もこんなにはいらないと言われるかもしれませんが、首長を目指す人は、生活に余裕のある人ばかりではないはずです。

 また、それだけでなく、地方のリーダーとしての、能力と責任感を持って仕事をする人には、それだけの報酬が確保されるべきです。

 さもなければ、優秀な資質を持つ人材は、地方のリーダーの仕事に関心を持たなくなって、資金的に困らない人や、さもなければ、取り巻きなどの支えで、やりくり出来るような人ばかりが、首長に出てくることになりかねません。

 これもまた、地方にとっては不幸なことです。

 とはいえ、給料と比較をした時に、地方の首長の退職金の額が、多すぎると受けとめられることは十分理解できます。

 ここからは、想像が入りますが、税金の関係など何らかの理由で、毎月の給料より、退職金を厚くしようといった考え方が、過去にあったのではないかと思いますので、もしそうだとすれば、給料と退職金のバランスは、早い時期に見直されるべきです。

 ただ、そのことは別としても、給料を含めた、総合の所得額の大きな差には目をつぶったまま、退職金だけを槍玉にあげるといった、小泉流の「悪役」づくりの手法は、あまりいただけません。

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「だから何なんだ」(5月9日)

 9日午後、雑誌のアエラの取材を受けましたが、4月の「上流自治体はどこだ」という企画で、高知県が最下位になったことに対して一言というので、「だから何なんだ」と書いてあげました。

 これは、よくある自治体ランキングの一つで、経済的な指標などを中心に、ポイント制で、47の都道府県をランクづけしようという企画ですが、それによると、福井県が1位に、逆に、高知県が47位になっています。

 そのランキングを見ながら、「反橋本派の人は、良い攻撃材料が出来たと言って喜ぶだろうなあ。でも、そういう人は、アエラは読んでないだろうなあ」などと、軽口を叩いていたのですが、もとになった指標をみれば、力のある企業が少ないといった経済的な事情や、そのために、若者が流出して高齢者の比率が高まるという、人口構造上の問題に起因した数値が、ずらりと並んでいますので、それらのポイントを、二重三重に重ねて積み重ねていけば、高知県が低位をまぬかれないことは、ある程度いたしかたありません。

 これに対して、高知県には、森林率が全国一高いといった指標もありますから、森林が、地球温暖化の原因になる炭酸ガスを閉じこめて、代わりに酸素を送り出しているといった、巨大な空気清浄機の役割など、これまで、この種のランキングでは使われてこなかった物差しで測れば、別の評価も出てくるはずです。

 などと、小難しいことはともかくとしても、既存の指標を使って、全国を一律に輪切りにしようという考え方そのものが、国土の均衡ある発展の名の下に、公共事業の長期計画を立ててきた国の姿勢と、あまり違いがないなどと嫌みを述べたてているうちに、ランキングを示すボードに、何か一言書いてほしいという話になりました。

 といって、洒落た言葉も思いつきませんので、大きな文字で、「だから何なんだ」と書きますと、カメラマンの方が、「これはいい絵だ」と、大層喜んで下さいました。

 企画のタイトルは、高知県の逆襲だそうですが、こんなもんでいいでしょうか。

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ナマコとの再会(5月8日)

 8日夜、高知県の、中華料理の組合の懇親会に出席をして、昨日までの中国出張に続いて、今度は、高知の中華料理に舌鼓を打ちました。

 僕は、日本料理が大好きですが、かといって、どこの国に出かけても、日本料理が恋しくなることはありませんので、3日から7日までの、中国青島市への出張中も、ずっと、中華料理を食べ続けました。

 その中で、最も数多く食卓に出たのが、ナマコの料理ですが、なぜかと言えば、乾燥させたナマコを戻して、オイスターソースや、麻婆風の挽肉で味つけをしたナマコの料理が、青島の名物の一つだからです。

 しかも、コラーゲンも豊富で、お肌によいなどと勧められるものですから、毎日2つずつくらい、丸のままの柔らかいナマコをいただきました。

 ですから、高知に戻って当分の間は、ナマコの料理にもお目にかかれないかと思っていたところ、この夜の懇親会にも、姿をそのままに残したナマコが、竹の子や野菜に囲まれて登場しました。

 聞けば、知事はナマコの料理が好きならしい、という噂話を聞きつけて、わざわざ作ってくれたそうなのですが、参加していた人からは、「ナマコに、こんな食べ方があったのか」、「こりゃあ美味しい」などと大評判でしたので、何となく、自分がほめられているような気がして、とても嬉しくなりました。 

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青島を後にして(5月7日)

 7日朝、青島空港からのチャーター便で、高知に向けて、帰国の途につきましたが、来るたびに発展する青島の様子には、ただただ感心するばかりでした。

 今回は、高知県と青島市との、観光協定の締結が目的でしたので、観光に関する基礎情報をいくつか聞きました。

 すると、青島市を訪れた観光客は、去年1年間で、およそ2000万人、そのうち、外国からのお客様は68万人とのことですし、一晩に宿泊できるお客さんの数も、旅籠のような宿まで含めれば、13万人から14万人とのことで、高知県とはけた違いの数字に驚かされます。

 しかも、2008年には、北京オリンピックのヨット会場になるため、さらに15軒ぐらいの、大型ホテル建設が予定されているとのことで、バブル以上の元気さです。

 ただ、ハードの施設整備だけでなく、おもてなしの技にも気を配っていて、支配人クラスの人材の、ヨーロッパなどへのサービス研修にも、取り組んでいるとのことでした。

 さらには、ゴルフ場やエステと、リゾートに欠かせないアイテムが、次々に整備されていますので、そのうち、日本からのお客様も、もっと伸びるのではと思いました。

 一方、青島市の人口を考えると、5パーセントほどの人が海外を目指すだけで、40万人ほどのマーケットになりますので、観光協定の締結を機会に、受け入れのソフトづくりが急がれます。

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使い分けの妙(5月6日)

 6日夕方、高知県観光コンベンション協会の理事長として、中国の青島市と高知県との、観光友好協定に署名をしましたが、関係者の話を聞く中にも、社会主義中国の、本音と建前の使い分けの妙を、各所に感じました。

 この協定は、実質的には、高知県と青島市との協定ですが、形の上では、前述のコンベンション協会と、青島市の旅游(観光)局長が会長を務める、青島市旅游(観光)協会との間で結ばれていますので、局長さんに、旅游局と協会との違いを尋ねてみました。

 すると、協会には、関係する業界の協会長が、副会長として名を連ねているので、例えば旅行社の団体から、ホテルの提示する宿泊代が高すぎるといった苦情が出た時に、役所が間に入って、協議する場に使われるとのことでしたが、もう一つ違う効用として、役所の局長の肩書きでは出来ないことが、協会長なら出来ると言います。

 それはどんなことかと、さらに尋ねてみますと、観光面での台湾との交流を進めるために、現在、北京政府の旅游局長の台湾訪問を検討しているのだそうですが、その時、政府高官の肩書きでは、公式に台湾を訪問することが出来なくても、国の旅游協会の会長としてなら、それが出来るというのです。

 実に巧みな使い分けだと感心をしましたが、平等が建前の国家体制の中で、上級の幹部への際だった心配りも、使い分けの一つかもしれないと、感じることがありました。

 というのも、この出張中に、前の国家主席の江沢民さんが、休暇で青島に来ていたのですが、宿泊所の周辺の道路封鎖は、警備上当然としても、この晩、我々との会食に出席の予定だった、観光担当の女性の副市長が、前主席の奥様の買い物のお供に指名されたために、急遽欠席になったと聞いて、どこの国でも、宮仕えはかわらないなと思ったからです。

 その副市長のかわりに出席してくれた、青島市の人民代表会議の副主任の話では、前主席が道教のお寺を訪ねるというので、お坊さんにあたる道師を呼んで、説明のリハーサルをやらせたいうことでした。

 前主席にして、この扱いですので、中華人民共和国の建国の父にあたる毛沢東ともなれば、別格だったわけですが、午前中に訪問した、ドイツ占領時の総督府の建物の中に、その片鱗が残っていました。

 それは、ある年の夏、避暑に訪れた毛沢東が使ったベッドですが、特注で作ったベッドの足の側に、同じ高さの半円形のソファーが継ぎ足されていました。

 なぜそうなったかと言えば、当時すでに神格化されていた毛沢東の、身長を測ることも調べることも出来なかったため、普通サイズのベッドを作ってしまったというわけです。

 こうした、政治的な格差に加えて、いまや経済格差も歴然としてきた中国ですが、それでも、社会主義という体制はそのままという使い分けの妙は、ある意味学ぶべき点かと思いました。

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緑色通道(5月5日)

 5日朝、山東省の寿光市にある、中国北部では最大規模の野菜の市場を見学しました。

 寿光市は、20年ほど前までは、山東省内でもほとんど知られていない、貧しい農村でしたが、1980年代の終わりに、地域の村長さんが、とても安上がりなハウスを開発したのがきっかけで、野菜の産地として発展を始めました。

 このハウスは、北風が吹きつける側に土の壁を立てて、後はビニールで全体を覆うだけという、ごく簡単なもので、ビニール以外は化学製品を使いませんが、外気温がマイナス10度の時にも、稲藁の菰を巧みに使うことで、暖房用の油をたかないまま、内部を5から6度に保てるというすぐれものです。

 このため、このハウスは一気に近隣に広がって、今では、見渡す限りあたり一面が、土壁とビニールのハウスで埋められるまでになりました。

 と同時に、野菜の産地として発展した寿光市には、10年ほど前に、大きな野菜市場が出来ました。

 雨交じりの市場に足を入れると、すでにピークの時間は過ぎていましたが、それでも、大型のトラックが何台も並んでいます。

 そのトラックの、フロントガラスに目をやると、そこには、「緑色通道」というステッカーが貼られていました。

 そこで、案内の人にその意味を尋ねると、「中華人民共和国緑色通道通行証」というのが正式な名称で、これをつけていれば、高速道路などを無料で、あわせて、荷物の過積載もノーチェックで通行できる、お墨付きになると言います。

 では、どのあたりから来ているのだろうかと、ナンバープレートを見てみると、「蒙」とか「藏」とかいった文字が見えます。

 聞けば、「蒙」は内モンゴル、「藏」はチベットのことで、内モンゴルの入り口まででも、2000キロは離れているとのことですので、中国国内の野菜の流通は、産地を中心に、確実にネットワーク化が進んでいることを知りました。

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当て字は活力門(5月4日)

 4日は、バスで青島市の郊外に出かけましたが、案内役の方と話をする中で、外国語を中国語表記にするための、漢字の当て字を決めるにあたっても、国の委員会があることを知りました。

 話のきっかけは、車の中から見た、日本の菓子メーカー「カルビー」の看板でしたが、中国には、日本のカタカナに当たるものがありませんし、かといって、外国語の表記をそのままは使いませんので、全て漢字で当て字を作ることになります。

 とは言え、もともとが漢字表記の企業は、もとの字が使われますから、日立は「日立」、松下は「松下」となりますが、同じ電機メーカーでも、カタカナまたはアルファベット表記のソニーには、「索尼」という当て字が使われます。

 また、漢字を使った企業にも例外があって、自動車メーカーの日産は、そのままの表記ですと、中国語では「日本製」(日本産)の意味になってしまいますので、「尼桑」という当て字が使われているのだそうです。

 ただ、企業名にしろ人名にしろ、思い思いに勝手な当て字で表記したのでは、混乱してしまいますので、それぞれの呼び名にどんな漢字を当てるかを、国家文字委員会で決定するというわけです。

 そんな話をするうちに、それでは、「活力門」という当て字は、どの企業のことかわかりますかと質問を受けました。

 わかりそうな気がしたのですが、結局は考えつかずに降参すると、答はライブドアでした。

 ということは、中国でも、ライブドアの事件が、新聞などに取り上げられたのだろうかなどと思っているうちに、バスは目的地に着いて、話はたち切れになりました。
 

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1つの事件が持つ2つの顔(5月3日) 

 3日朝、中国への出張を前に、新聞に目を通していて、神戸市の市議会議員が、あっせん収賄の疑いで逮捕された事件には、議員などからの、いわゆる「働きかけ」の問題の他に、もう一つ、今日的な問題提起があることに気づきました。

 この事件は、資源リサイクルセンターの管理と運営を、福祉団体に委託しようとした神戸市に対して、産廃処理の会社から依頼を受けた市議会の顔役議員が、市に働きかけをして、公募の形式に転換させたという疑いがもたれているものです。

 高知県では、全国に先駆けて、3年前から、議員を含めた外部からの働きかけを公表するようにしていますので、この事件に関連をして、働きかけの公表を提案した時の、県議会からの反対の声など、働きかけの問題を中心に、マスコミの取材を何件か受けました。

 ですから、この事件の記事には、ある程度の関心があったのですが、読んでいるうちに、働きかけの是非や、その公表とは別の視点で、今日的な意味を持った事件だと感じるようになりました。

 それは、どういうことかと言えば、社会的・公益的に見て、より良いものを随意に選ぼうとしても、それでは公平性を欠く恐れがあるとの理由から、ほぼ一律に、それを許そうとしない法の存在と、そのために、安かろう悪かろうといった姿勢の企業が、公の仕事を受注する可能性が高くなるという問題です。

 この事件の場合、当初に神戸市が立てた計画を、詳しく知っているわけではありませんので、正確なことは言えませんが、リサイクルセンターの運営を福祉団体にまかすことで、福祉工場にしようという構想は、それによって、よほどコストがかさむといったことがなければ、多くの人が賛成するアイディアではないかと思います。

 ところが、地方自治体の入札の仕方を決めている法律では、福祉とか環境といった、時代の求めとは関わりなく、競争入札が原則になりますので、地域福祉の向上や、循環型の社会づくり、さらには、それらを通じた新しい雇用の創出といった可能性を、比較検討する後ろ盾のないまま、単なるコスト競争にさらされることになります。

 このため、今回の事件のように、廃棄物処理の既得権を失いたくない業者から、働きかけを受けた有力な議員が、議会の委員会審議なども使って、一律の公平性やコストの問題など、一見もっともらしい論拠で揺さぶりをかければ、議案の否決などを恐れる市としては、入札の仕組みを、従来型の公募形式に戻さざるを得なかったという、背景が読みとれます。

 今後、この問題は、福祉、環境、文化など、数値では表しにくい価値を引き出していく上で、また、それによって、地域の独自性を打ち出して行く上で、とても大切なテーマではないかと感じました。

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中国出張に備える(5月2日)

 中国の青島市と高知県との間で、観光友好協定を結ぶため、3日から7日までの予定で、青島に出張することになりました。

 青島までの足は、高知と青島間では初めてのチャーター便で、高知からのツアーに参加した方々とご一緒ですが、2日は、明日からの出張を前に、一日お休みをいただきました。

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切って掘って摘んで(5月1日)

 1日は、公的には休日をとって、旧窪川町、現在の四万十町から、四万十川沿いをぶらぶらとしました。

 そのきっかけは、団塊の世代の地方への受け入れを目指す、ふるさと回帰支援センターが開いたシンポジウムで、窪川で進められている、アスパラ作りの話を聞いたからですが、果たして県内でのアスパラづくりが、県外から来られる方を受け入れるための、仕事になり得るだろうかといった思いもあって、現地を見に行くことにしました。

 窪川では、2ヶ所の畑を見ましたが、株の養成に始まって、収穫までには3年かかるとのことで、最初に訪ねた畑は、まだこれからというところです。

 次にうかがった畑は、すでにアスパラが成長していましたが、その茎が、地面からひょろひょろと伸びているのを見るのは、初めてのことでしたので、日頃食卓でお目にかかる姿を思い浮かべながら、何本かを、はさみで切りとってみました。

 アスパラは、生のままでは、収穫から24時間しか味が持たないため、県内のスーパーと提携をして、その日のとれたてを食卓に届けるところに、県内でアスパラを作る意味があるのだとの説明を、なるほどと思いながら聞いていました。

 このアスパラも囲んで、町長さんやJAの組合長さんらと、昼食をともにした後、少し遠出をして、四万十川沿いに旧西土佐村まで足を伸ばしましたが、ここでまた、竹の子の煮物をたらふくいただいたため、腹ごなしにと、久しぶりに、沈下橋に降り立ってみました。

 夕方近く、海岸線を通って、再び窪川に戻ると、訪ねた先の知人が、まだ竹の子があるから掘ってみないかと言います。

 望むところと、鍬を手に勇んで挑戦をしましたが、石ころが多い地質の上、竹の地下茎がしっかりと張り出しているために、3つ目を掘ったところでギブアップしました。

 ついでに野草も摘もうと、誘われるままにミツバを摘みましたが、セリは他のものとの見極めが難しいので、素人が勝手に手を出してはいけないと、セリ摘みのお許しは出ませんでした。

 それにしても、午前中にアスパラを切りとって、午後には竹の子を掘って、最後にミツバを摘むとは、何とも優雅な一日でした。

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2006/05/02

母の思い(4月30日)

 30日は、様々な出来事を通じて、母の思いを考える一日になりました。

 その一つは、昨日の早朝、ワシントンのホワイトハウスで、ブッシュ大統領との面会を実現した、拉致被害者の会の横田早紀江さんのことです。

 数々の政治家の、思惑や手練手管にあふれたパフォーマンスも、ただ一心に娘のことを思う、研ぎ澄まされた母の一念を前にしては、何の力も持ち得ないことが、如実に伝わってきます。

 今後、この問題がどのような方向に進むのか、想像はつきませんが、母の強さを実感した出来事でした。

 母の強さと言えば、27日に急逝した友人の告別式が、この日の午後、高知市内の葬祭場で開かれましたが、90才を越えた彼のお母様も、車椅子で出席されました。

 参列者にも丁寧に挨拶をされる、気丈な立ち振る舞いの中に、「代われるものなら代わってやりたい」との思いが、言葉にならない言葉として、伝わってきたように感じられました。

 ふと気づいてみれば、4月30日は、8年前に世を去った、自分の母の誕生日でしたが、健在であれば、93才ということになりますので、彼のお母様と、同い年だったのかもしれないなどと、少し複雑な思いで考えていました。

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電子辞書を見ていたら(4月29日)

 29日午前、週末の報道番組で、ライブドアの堀江元社長が、保釈されたニュースを見ながら、電子辞書を開いていましたら、たまたま、堀江被告に当てはまりそうな4文字熟語に出くわしました。

 日頃、電子辞書を使う習慣はないのですが、メーカーの方から、新製品をいただきましたので、もの珍しさも手伝って、4文字熟語に出ている言葉を、どれくらい知っているだろうかと、順番に見ていました。

 その中にあったのが、「甘井先竭(かんせいせんけつ)」という言葉でしたが、初めて見た熟語でしたから、もともとの意味を調べてみると、「美味しい水のわく井戸は、使う人が多いため、他の井戸より先に涸れてしまうという意味」とあります。

 さらに説明を見ると、そこから転じて、「才能のある者が、早くから才能を使い切ってしまうことのたとえ」、または、「自分の才能を見せびらかす者は、他の者より先に災いを受けることのたとえ」とありました。

 折しも、テレビの報道番組では、1週間の出来事を振り返る中で、ライブドアの堀江元社長の、保釈のニュースが報じられていましたので、まさにぴったりの熟語だと感じながら、偶然の出会いに驚きました。

 出典は荘子とありますので、堀江被告が拘置所で読んだ「史記」よりも、古くからある言葉ということになりますが、はたして彼は、この4文字熟語を知っているでしょうか。

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ケアプランにはないケア(4月28日)

 28日午前、高知市内にある、お年寄りのためのグループホームを訪問しましたが、理事長さんから、利用者の心に響くケアの実践を伺いました。

 その中でお話にあった、あるお婆ちゃんは、若い頃に事情があって、幼いわが子を手放さざるを得なかったのですが、すでに亡くなったその子の位牌は、夫だった方の、弟さん夫婦の家に預けられていました。

 その方が、ホームに入ってきてからのこと、毎晩、自分の分とは別に、一組の布団を敷いて、夜も寝ずにその布団をさすりながら、何やらつぶやいていると言います。

 何かあると感じて、どうしたのかとそのお婆ちゃんに問うと、「毎晩あの子がやってくる」という答が返ってきました。

 そこで、県外に住む弟さんの家を訪ねて、弟嫁に話をしたのですが、初めのうちは、「姑からも、取りあうなと言い残されている。しかも、毎朝、きちんとお水もあげてお参りをしているのに、うちの供養が足りないというのか」と腹立たし気で、なかなか取りあってくれません。

 これに対して、「いや、あなたの供養が足りないということではない。だけど、子供にとっては、実の親に供養をしてもらうのが、一番心が安まると思わないか」と、粘り強く話をしますと、結局は理解をして、お位牌を預けてくれました。

 そのご位牌を、お婆ちゃんの部屋に置くと、その晩から彼女は、別の布団を敷くこともなく、ぐっすりと眠るようになりました。

 後になって尋ねてみると、お婆ちゃんは、「あの晩から、あの子がこんようになった」と、答えてくれたそうです。

 理事長との話の中で、もう一人話題になったのは、87才のお婆ちゃんで、現役時代は、校長まで務めた学校の先生でしたが、少し認知症が進んでいるため、何かにつけてスタッフの職員にあたる、怒りっぽい性格です。

 こうしたタイプの利用者も、何人かおられるのですが、とにかく笑いと話の種を蒔くのが肝心と、ご自身が、傘寿をこえたお婆ちゃんでもある理事長さんは、時には自分の人生を振り返りながら、初恋時代の思い出などを、面白おかしく話して聞かせます。

 そんな話を聞いた後で、ある職員が、これまで独身で通してきたこのお婆ちゃんに、初恋のことを尋ねてみますと、実は好きな人がいたと言います。

 その報告を聞いた理事長さんは、お婆ちゃんは、ご近所の人なので、お相手の男性も、きっと自分の知っている人に違いないと直感をして、「誰ぞね」と耳元に声をかけました。

 お婆ちゃんの口から出たTという名は、案の定、心当たりのある男性でしたので、92才になる、このお爺ちゃんが入っているグループホームに出かけて、「Kさんが、あんたが初恋の人だと言ってるよ」と伝えますと、「そうか。Kが俺のことを好きだと知っておれば、M(亡くなったお爺ちゃんの奥さん)とは一緒にならんかったかもしれん」という答でした。

 そのことを伝えると、お婆ちゃんもとても嬉しそうで、ある日、92才のTさんが、お婆ちゃんを訪ねてきてくれた時は、2人して手を握りあって、良い雰囲気だったといいます。

 この日からお婆ちゃんは、人が変わったように、むやみに職員にかみつくこともなく、穏やかな日々を送っていたのですが、何日かすると、「今日は、Tの来る日じゃ」と言い出しました。

 「Tさんも、そう何度もはこれんやろ」と話すと、「それじゃあ、明日は来るな」と言ってききません。

 もちろんTさんにとっても、外出は簡単なことではありませんから、翌日もTさんは、お婆ちゃんのもとには現れませんでした。

 すると、お婆ちゃんは、「Tは当てにならんやっちゃ」と、大層ご機嫌斜めだったそうです。

 こんな話をいくつか紹介しながら、理事長さんは、「ケア・マネージャーも、ここまでのケアはせんやろう」とご満悦でした。

 英語の辞書を引けば、「ケア」は「世話」という訳で出てきますが、確かにその中には、「世話焼き」の意味までは入っていないだろうなと、ニコニコと微笑む理事長さんの顔を見ながら思いました。

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突然訪れた別れ(4月27日)

 27日夜、高知に来た当時から、大変お世話になった友人が、急死したとの知らせを受けて、ご自宅を訪ねてお別れをしました。

 清十郎という名の彼は、少し度を越した酒飲みで、以前、ぐでんぐでんのまま階段から落ちて、大けがをしたことがありましたが、年は60をまわったばかりですので、夜の10時過ぎに別の友人から、「清十郎のこと聞きましたか」という電話をもらった時には、また飲み過ぎて、けがでもしたのかと思ったくらいでした。

 聞けば、前日も夜遅く家に戻って、そのまま床に入ったそうですが、朝になって様子がおかしいため、家人が救急車を呼んで病院に運んだ時には、すでに不帰の客になっていました。

 清十郎さんとの出会いは、僕にとっては初めての知事選挙があった、15年前にさかのぼりますが、その日、その時に、どんな会話をしたかまではよく覚えていません。

 自民党との対決になった知事選挙では、青年会議所や中心商店街のお世話役の一人として、複雑な立場だったと思いますが、陣営の顔になって、活動を支えてくれました。

 それ以来、会合などで出会うたびに、冗談めかした語り口ながら、いつも励ましてくれる仲でしたが、くだんのけがで入院をしていた時にも、ベッドから身を起こして、体験談を笑い話に変えていく、話術の持ち主でもありました。

 その彼の死が、なぜ、夜になるまで伝えられなかったのかと言えば、県外に出ているお子さまへの連絡の他、90才を過ぎてなおお元気なお母様に、どう伝えたものかと、家人が悩みためらわれたためでした。

 夜10時半前に、急いで身繕いをしてご自宅を訪ねると、2階の居間に眠る彼の寝顔は、声をかければ、今にも起きてきそうな穏やかなものでした。

 同じ時代を生きてきた者として、はかなさを感じないではありませんでしたが、後から来られた、清十郎さんよりちょうど20才、年まわりが上になる商店街の長老が、「清十郎、早過ぎやせんか」と、ご遺体にすがって振り絞る声が、胸を揺さぶりました。 


 

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愛称JASDAではどうか(4月26日)

 26日午後、2年続けて高知市で開催された、ストリート・ダンスの全国大会を支えた若者たちと懇談をする中で、いっそのこと、ストリートダンスの全国協議会を、高知に作ってしまおうかという話になりました。

 ストリート・ダンスそのものの説明は、リズムや踊りを文章にするのが難しいこともあって、ここでは省きますが、高知にも、ストリート・ダンスを楽しむチームがいくつかあるため、そうした若者が中心になって、去年と今年、高知市の中央公園を舞台に全国大会を開きました。

 イベントの性格からいって、観客は若者ばかりかと言えばそうでもなくて、日頃お目にかかれないパフォーマンスへの関心に加えて、去年は韓国のチームが、また今年は、アメリカからシアトルのチームが参加して、世界レベルの技を見せてくれたたことも手伝ってか、結構な年輩層を含む大勢の人で賑わいました。

 特に今年は、高知を含めて全国の8ヶ所で、予選の地方大会も開きましたので、地区対抗という競争意識も、場の雰囲気を盛り上げていました。

 ただ、収支の決算では、持ち出しになっていますので、来年以降も続けるとなると、スポンサー企業の集め方などに、さらに工夫と努力が必要になりますし、地方大会を含めた運営の指令機能を、高知に一本化する必要性など、いくつかの課題もわかってきましたので、大会を支えてきた若者の気持ちの中では、「ここで終わらせたくない。でも、少し疲れた」といった思いが、交錯しているのが現実です。

 そんな話を聞きながら、僕は、「ここまでやってきて終わりにしたらもったいないから、何とかして続けよう」と、資金的には、あまりあてのない励ましをしたのですが、それだけでは先が見えませんので、具体的に何が出来るかを話しあってみました。

 その中で出てきたのは、自転車を使ったクロスカントリー競技の、BMXの全国組織が金沢にあるという話で、聞けば、熱烈な愛好家が金沢にいたために、そこに全国組織を立ち上げたということでした。
 
 そうであれば、どこも手を挙げないうちに、ストリート・ダンスの全国レベルの協会を、高知に立ち上げればいいという話になったのですが、ジャパン・ストリート・ダンス・アソシエイションなら、頭文字をとって、愛称は「JASDA」だなどと、勝手に話は盛りあがりました。

 さらに、東京や大阪もよく知っている、世界的なストリートダンサーが、高知のことを気に入って、あえて大都会ではなく、高知で暮らしてみたいと言っているとの情報もありますので、そうなれば、また新しい展開が考えられると、皮算用をはじいていました。

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