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2006/09/15

札束で頬を叩くな(9月5日)

 5日の昼休み、このところ何件か相次いで寄せられた、高レベルの放射性廃棄物の捨て場をめぐる、ご意見について考えてみました。

 これは、原子力発電に使った使用済みの核燃料を、再処理した後に残る、極めて放射能の高い高レベルの放射性廃棄物を、永久貯蔵する場として、名乗りをあげようという自治体が、県内にあることが明らかになったためで、主に反対の立場の県内外の方々から、次々とメールが寄せられています。

 原子力発電といえば、もう数年前のことですが、再処理前の使用済みの核燃料を一時期保管しておく場所を、高知県内に作れないかという相談を、電力会社から受けた時、お金の力で首長や議員を取り込むような手法ではなく、地域の住民に、初めから全ての情報を公開した上、長い年月をかけて住民の合意形成に取り組むという、原子力政策の大転換を目指す気があるのなら、結果はともあれ、民主主義の実験として、取り組む心構えがあると答えました。

 それに対して、その会社の当時の社長と原発担当の役員が、この提案を了解してくれましたので、NHKの世論調査の担当者に話をして、この問題に関する情報に対して、地域の住民の皆さんがどんな不安を感じているか、また、その受けとめ方がどう変わっていくのかを、世論調査という公開の手法を使って推しはかっていく、仕組みづくりの検討を始めました。

 ところが、その仕組みの骨格が出来上がったという報告を受けた直後に、その電力会社で、原子力発電をめぐる不祥事が発覚して、キーマンだった担当の役員が役職をはずされてしまったため、その後、その話は完全に立ち消えになりました。

 今なぜ、この話を持ちだしたのかと言えば、僕は、ここまで地球温暖化が大きな問題になっている時に、また、日本はもとより地球全体で、エネルギー消費が押さえられない社会状況になっている時に、以前のような危険性の議論だけで、原子力発電を完全に否定して良いものだろうかと思い始めているからです。

 そもそも、どんな技術でも、100パーセントの安全などということは科学的にあり得ませんから、それにもかかわらず、100パーセント安全だと言い張ってきた、原子力政策の出発点が、誤った歪んだものだったと思います。

 さらに、その安全神話を片手に、もう一方の手には分厚い札束を持って、交付金の魅力などで有力者を取り込んだ上で、不安を感じる住民を押さえ込んできたのが、これまでの原子力政策の手法でした。

 そのことが、どれだけ多くの不毛な時間とお金とを費やし、それが、原子力発電のコストを引き上げてきたでしょうか。

 もうそろそろ、こんな不健全な手法のおかしさに気づいてもいいと思うのですが、今回の高レベル廃棄物の処分場に関しても、調査地点に選ばれただけで、当該自治体に10億円、近隣の自治体にも同額をばらまくというのです。

 地方交付税の削減などを通じて、地方を財政的にとことん追いつめた上に、弱り果てた自治体に交付金をばらまいて、地域に大きな溝を作っていくという、この国のやり方を見ていますと、もう少し誇りを持った原子力政策が進められないのかと、哀れさと強い怒りを禁じ得ません。
 
 ただ、反対を訴える方、特に県外から反対の声をあげている方の中には、そこまで追い込まれている、地方の痛みには何の関心もないまま、「自然を残せ」、「川が汚染される」といった、あまり科学的とは言えない感情論を振りかざす人が数多くいます。

 こういう方は多分、道路公団の民営化にも、郵政の民営化にも、劇場の観客として、何も考えずに拍手を贈ってきたような方ではないかと思われますが、こうしたタイプの反対派が乱入することで、地域の中で、真剣にこの問題に取り組もうとする方々が、色眼鏡で見られるようなことがないようにと願っています。

 高レベルの放射性廃棄物の処分は、世界中のどこでも、まだ解決のついていない問題ですが、地球全体の将来を考えて、もし原発がどうしても必要だというのなら、札束で頬を張るのではなく、そのことを堂々と語りかけていくべきではないでしょうか。

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コメント

中山さん

あなたのコメント同感します。
これからあなたのようなピュアな想いをもった若者や政治家がどんどん現われなければ高知県の未来はないと思います。

高知県の県政の中での情報公開は本当に後退しています。
あなたの爽やかな旋風がもっと拡がって欲しいと思っています。
若者が郷土に残ることの出来る政治を実現できることを期待しています。

投稿: 竹内兆民 | 2006/10/05 17:12

この件が地元紙で報道され多くの県民が知ったのは、9月4日。
もう少し早くコメントを出していただきたかったという気もしますが、以前と変わらぬ見解とのこと、たいへん安堵しました。

私のような28歳のコムスメが、どんなに必死で正論を吐いても、その発言に影響力はありません。

“モノ言う知事”として、「こんな地方切り捨て政策は止めろ」と、国に対し、しっかりとNoを突きつけていただきたいものです。
さらに言うなれば、高知県(なかでも西部)活性化のための具体的なアイデアを県民に示していただきたいと、切に願います。

投稿: 中山知意 | 2006/09/27 21:03

自然、きれいな土地って金で買えるか?

そこに住んでる人に不快な思いさせて買える?

財政状態がどうのこうのじゃなくて

道徳的に考えたらどうかな。

部外者は黙ってろって言いたいんでしょうが

結局は

カネ

が欲しいだけでしょ?

高知県の御偉いさんには呆れました。

とりあえず一般の人から見ると奇麗事言ってると
しか見えません

投稿: SAA | 2006/09/23 19:38

1原子力政策の出発点が、誤った歪んだものだった,
さらに、その安全神話を片手に、もう一方の手には分厚い札束を持って、交付金の魅力などで有力者を取り込んだ上で、不安を感じる住民を押さえ込んできたのが、これまでの原子力政策の手法でした。
まさに、そのとおりでしょう。
だから、市民および住民は真実を知る権利があるとおもいます、

2原子力発電を完全に否定して良いものだろうかと思い始めているからです。
このことについて、
NHKだったかどうかわすれましたが、ある科学者が小型風力発電について報道されていましたが、今や家庭に小型風力発電を開発して各家庭に風力発電がならぶようになればいいではないでしょうか、昔TVのアンテナが屋根にあるとき、びっくりしましたが、今度は風力発電を各家庭へ、
国や地方自治体が協力すれば実用化はできのではないでしょうか。

投稿: 野村たかよし | 2006/09/18 21:55

 私は日本で初めて原子力発電所の環境アセスメントに関する研究をしましたが、原発反対派知識人の科学者としてのモラルを問いたくなるような言動に苦しめられました。
 原発立地は政治・行政が判断すべきであり、科学者は科学的な根拠に基づく判断をすべきであると考えましたが、彼らに言わせれば御用学者の一人であったようです。
 高レベルの放射性廃棄物についても、科学的見地からではなく、反原発の雰囲気で議論されているような気がします。
 少なくとも、私たちの生活が原子力発電所に依存している事実を抜きにしてはこの問題は語れないと思います。
 原発は既に放射能廃棄物で一杯です。これをどこかに廃棄しなければならないのが現実の日本が置かれている状況です。
 「ゴミを出すがゴミを処分するのは他所で」、という論理は単なるわがままです。目の前のゴミの山を先ず片付けなくてはなりません。
 考えられるのは、ゴミを減らすことですがそれには限界があります。ゴミを出し続ける原発依存の社会を変えなくてはならないでしょう。
 高レベルの放射性廃棄物の安全性を議論する前に、感情的反発で科学的議論を封殺するのは間違っています。
 文明が生み出したゴミを引き受ける自治体があるのならば、先ず安全性についての議論を住民に公開された場で議論すべきでしょう。
 議論の前提は情報公開が担保されるかどうかに掛かっています。かつての原発立地の現場では情報公開が十分になされず混乱を招きました。
 電力会社はもちろんですが、市民の立場に立つべき行政すら情報を隠蔽し続けたのが原発に対する不信感を増大させました。
 原発に対する不信感の根底には、技術的な不信感よりも電力会社、行政の情報隠蔽体質からくる不信感の方が多かったと思います。
 現代の技術水準がどの程度なのかは知りませんが、感情的な反発が科学的な評価を曇らせ、行政の判断のみで永久貯蔵が決定されれば将来に禍根を残します。
 過去の任地は、ある調査によれば日本一住み安い県だそうです。原発立地による経済効果かも知れません。
 いずれにしろ、判断するのは地元住民です。メリットとデメリットを冷静に評価し、町の将来を自らの判断で決めるべきでしょう。

 

投稿: ノエル | 2006/09/18 10:53

いまの生活水準でいいのか、考える必要があると思います。
「原発に反対するなら、電気を使うな!」という乱暴な意見がありますが、もうここらで大量消費、大量生産の経済成長をよしとする発想は切り替える必要があると思います。

てか、日本の場合はいまよりもっと下げていい。
個人的には昭和40年代あたりまで、生活水準を下げていもいいと思います。
そうした枠組みのなかで考えた都市政策、地域政策をやって、原発依存体質から脱却すべきではないでしょうか。

人間は動物とちがうんだから、未来を見越した生活に立ち返って、危機を回避すべきだとおもいます(利口な動物だってやっている)。

投稿: 土佐高知 | 2006/09/17 16:38

知事さんに初めてコメントします。
タイトルに快哉を叫びましたが、よく読むと、なんと玉虫色の発言かと思いました。
原子力依存のエネルギー政策の問題の核心は地球環境に対する安全性であって、温暖化防止のためになすべきは電気を大量消費するくらしを変える対策こそが重要であり原子力発電を肯定することではないと考えます。

投稿: 外京ゆり | 2006/09/17 07:51

権力で県民参加の場を閉ざすな(9月15日)

 自治を考える風をおこすために、高知県はぷらっとこうちの事業予算を使い県職員をその事務に従事させてきた。「自治を考える風おこし事業」

8月24日突然の閉鎖から未だに運営者から県民に何の知らせもなく無しのつぶてだ。
協働の場を求めて、参加してきた県民の熱い想いを知事をはじめ県職員はどう考えているのだろう。

私たち県民は8月15日に示された知事の想いを素直に受け止め前向きに行動しようとした。
ところが、その意を汲んだかどうかは知らないが、ぷらっとこうちの運営管理者は県民のための公共掲示板を突然に閉じてからすでに半月以上も経った。

そこで、これまでの動きをまとめてみた。

8月15日 高知県知事橋本大二郎氏、時代を拓く「協働のメディア」は、いかにあるべきか、で県民に意見し熱い議論を交わしていた当事者に諭す。

8月24日、関連経費合わせると1千万円近くの県費を投じた「ぷらっとこうち」が何の前触れもなく事実上閉鎖される。

9月2日 最初で最後の参加登録被抹消者である小生が「 自由な高知を創るぜよ」を開設する。

9月6日 第43回運営会議が行われるも、現在になってもいまだに今後の方針や協議結果が明らかにされず。

9月7日 「ぷらっとこうち」の再開を待っていた県民有志が、知事が言われるところの「何かを作り出そう」と、ふらっとこうち」というパロディサイトを開設。

9月14日 「ぷらっとこうち」運営者から「ふらっとこうち」のサーバー管理者にクレームがあり、閉鎖される。
「ふらっとこうち」運営に当たる県民有志、めげずに「ふらっとこうち2」「ぐらっとこうち」を開設、レジスタンス運動を続ける。

9月15日 高知県知事橋本大二郎氏、自身のブログで「札束で頬を叩くな(9月5日)」を投稿。

9月15日 小生「権力で県民参加の場を閉ざすな(9月15日」を投稿。現在に至る。

投稿: 竹内兆民 | 2006/09/15 21:35

高知は独立するべきだ!
高知をアメリカのハワイと交換しよう!
と言う話しをまんざら冗談ではないと受け止めて
いましたが

高知は太平洋に面した独自の県民性と風土を生かした、高知らしい高知を目指す事がより豊かな社会に繋がるつ思っています。

まさにこの問題はその地域だけの事ではないです。

橋本さんのおしゃる通り雰囲気で駄目駄目運動をしている方が本気で考えている方を茶化す状態は避けられないかもしれませんが、もっと大きく情報公開して県全体で、討議し、根源的にほんとうに核がいるのか、
高知は野菜や自然やオリジナリティーどんどん前にだして高知県人が

「わしらー電気はあんまり使わんでええで原子力発電 はいらんで、50年前の日本の生活をもっとみならっ
 ていくがで!」と胸をはっていえる県民が増える事を望みます。

ドイツやデンマークが環境に配慮した循環型で産業も発展させた事に見習うべぎ点がたくさんあるような気がします。

投稿: 海癒みつ | 2006/09/15 18:31

あるべき高知県づくりに逆行

 津野町や、東洋町の事情は詳しくはわかりませんが、単に当該自治体の問題ではなく高知県全体のまちづくり、まちおこしに連なる大きな問題であると思います。
 自然や歴史や人との繋がりを活用した高知県づくり、仕組みづくりを構想しています。そのなかでは、核廃棄物処理施設は全くそぐわないものであると思います。

 足元の地域の資源の洗い直しが大事であると思います。「ないものねだり」ばかりすれば、そうなります。やはり地域の「あるもの探し」をすべきであると思います。

http://dokodemo-blog.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_7a7d.html

投稿: 西村健一 | 2006/09/15 13:00

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