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2006年10月

2006/10/31

NEVER TOO LATE(10月18日)

 18日夜、わが家の居間で、知人でもある遅咲きのシャンソン歌手の、2枚目のCDを手にしてみると、ジャケットには彼の手で、団塊の世代と呼ばれる我々を励ますように、「NEVER TOO LATE」と書き込まれていました。

 30代の半ばから、シャンソンを歌い始めたという彼は、一時期、つかこうへいさんの劇団にも所属していましたが、還暦を迎えた昨年頃から、歌手として売れ始めたという変わり種で、この春には、NHKの夜のニュースの話題として、結構なボリュームで取り上げられました。

 数年前に、ひょんなきっかけで知り合いになってからは、新宿の歌舞伎町にある彼のお店に行って、熱唱に耳を傾けたこともありますが、シャンソンという言葉の響きに、どこかよそよそしさを感じる向きにも、きっと伝わってくるような、独特の表現力を持っています。

 その彼の、2枚目のCDの一曲目は、「過ぎ去りし青春の日々」というタイトルで、「今はもうない、あのときめきが、青い空見て騒いだあの血が」という歌詞は、団塊の世代と呼ばれる我々の心に、もの悲しさを呼び起こします。

 ところが、あらためてCDのジャケットを手にとって見ると、そこには彼の手で、「NEVER TOO LATE」と書き込まれていました。

 あわせて、「過ぎ去りし青春の日々」の解説には、「この曲を私が唄うことで、私と同じ世代の方々に伝えたい。NEVER TOO LATE、人生に遅すぎるということはないと」と綴られていました。

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2倍に跳ねあがる(10月17日)

 17日午前、現在加入している生命保険の毎月の保険料が、60歳を過ぎる来年からは、2倍に跳ねあがるという説明を聞いて、あれこれと考えさせられました。

 この話を最初に聞いた時には、60歳を過ぎて、一般的には収入も少なくなる時に、何と不合理な仕組みかと強い疑問を感じました。

 そこで、説明を聞いてみたのですが、45歳で保険に入った時に、終身保険に加入をしていれば、毎月、現在よりも多くの保険料を支払わなければならなかったところ、60歳で一旦立ち止まって更新する方式にしたため、45歳から60歳までの毎月の掛け金は、終身保険に入った場合よりも、安くなっていると言います。

 つまり、掛け捨ての保険料の総額は、いずれの方式でも変わりはないのですが、60歳で一度見直す方式は、45歳から60歳までの掛け金が少なくてすむので、お得になっているというわけです。

 そう言われると、なるほどと制度的には納得がいきましたが、ちなみに、同級生の友人はどうしているかと尋ねてみました。

 すると、60歳を過ぎれば、もうそれ程の保険金は必要ないと、受取額を大幅に下げることで、掛け金の額を抑えたケースや、全てを解約して、わずかな戻し金を借金の返済に充てたという者など、対応は様々でした。

 さて、わが家はどうするか、妻と協議しなければなりませんが、いくら計算上の合理性があるとはいえ、60歳を過ぎて、これから楽をしようかという年令になって、保険料が2倍に跳ねあがるという商品づくりは、あまり気持ちの良いものではないと、年の区切りを前に考えさせられました。 

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知識のコンシェルジェ(10月16日)

 16日午後、県立図書館の職員の話から、図書館の窓口は知識のコンシェルジェなのだと、再認識しました。

 これは、知事のそばでのインターン研修に参加してくれた、入庁2年目の若手職員との、会話の中で感じたことですが、仕事の内容を尋ねますと、県立図書館で、お客様の窓口を担当していると言います。

 それを聞いて、本の貸し出しや返却の受け付けが、主な仕事かと思いきや、ありとあらゆると言ってもいいくらい、様々な分野の問い合わせに追われているようなのです。

 そこで、最近の問い合わせの中で、答えるのに苦労したものを尋ねてみますと、「表面」の意味は何かという、物理学的とも哲学的とも言えるような、難解な質問を挙げていました。

 この他にも、「巡礼と参拝との違いは何か」など、「辞書をお買いになったらどうですか」と言いたくなるような質問もありますし、映画「涙そうそう」の、主演俳優の名前と役柄を教えてほしいといった質問もあったそうです。

 その度に、辞書やインターネットなどを駆使して、お答えをしているため、これに気を良くした、常連の質問客もいるとのことでした。

 ホテルで、お客様からの相談に、何なりと応じてくれる接客係をコンシェルジェと言いますが、これになぞらえば、図書館の窓口は、いわば知識のコンシェルジェだと再認識しました。

 ただ、担当の職員たちは、「いい勉強になる」と、この手の質問攻めを結構楽しんでいる風でしたので、安心しました。

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「てんたん」から「まるはり」へ(10月15日)

 15日午後、デパートの大丸の、大阪店と京都店の食品売り場で、高知県産の梨の新しいブランド、「まるはり」の試食販売に精を出しました。

 高知県では、各種の特産品のブランド化を進める中で、特選の果物の第一弾として、「てんたん」と名づけた、選りすぐりの文旦を販売しています。

 その第二弾として登場したのが、76年前に、新潟の梨と高知の梨を掛け合わせて誕生した、「新高梨」(にいたかなし)の特選品「まるはり」です。

 これは、樹齢が20年を超えて、実のばらつきなどがなくなった、熟成した新高梨の木を対象に、生産者として、または流通の専門家として、長く梨と関わってきた方々に選んでいただいた品で、梨の実の細胞まで、まるまると張りつめているという意味で、「まるはり」と名づけられました。

 もともと「新高梨」は、普通の梨より実が大きいのが特徴ですが、まるまるとした「まるはり」は、小粒なメロンほどの大きさがあります。

 この日は、デパートの大丸の、まずは大阪の心斎橋店で、続いて、京都は四条通のお店の食品売り場で、それぞれ30分ずつ、自ら店頭に立って、お客様の呼び込みから販売にまで精を出しました。

 たかが梨と言われればそれまでと、若干の不安もありましたが、試食もたいそう好評で、お手ごろの値段のものは順調な売れ行きでした。

 始めのうちは、声を出すのも恥ずかしい気がしましたが、お客様が寄ってきてくれれば現金なもので、呼び込みの調子も軽やかになりました。

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おりょうさんの縁(10月14日)

 14日午後、あるパーティーでお目にかかった、神奈川県横須賀市の方から、坂本竜馬の妻、おりょうさんにまつわるエピソードを聞くうちに、話は小泉前首相の行く末にまで及びました。

 おりょうさんは、坂本竜馬の亡き後、西郷隆盛の紹介で、横浜の田中屋という料亭に、仲居として働いていましたが、縁あって横須賀市の回漕問屋に嫁いで、その一生を終えています。

 このため、彼女のお墓のある菩提寺に、竜馬とおりょうさんの座像が完成して、今月初めにお披露目の会がありました。

 この日お目にかかった方は、神奈川の県議会の関係者で、この座像の建立に尽力された方ですが、おりょうさんの足取りをかなり詳しく研究されたらしくて、田中屋の仲居の時代に、400人いた芸者衆をさしおいて一番の人気者になったため、かなりのいじめを受けたとか、それが、晩年の酒びたりの生活につながったのかもしれないなど、数々のエピソードを聞かせていただきました。

 その中で謎として残るのは、墓の墓碑銘に、「阪本竜馬の妻」と「阪」の字が使われている点で、司馬遼太郎さんも「街道を行く」の中で、後日謎を解き明かしたいと記されているのだそうです。

 といった話を交わしているうちに、話題は同じ横須賀市が選挙区の、小泉前首相の、これからの身の振り方に及びました。

 その中で興味深かったのは、小泉さんは、今期限りで政治の世界から身を引くだろうという話で、いくつかの根拠を挙げられていましたが、話を伺っているうちに、小泉さんの性格からして、ありそうなことだなという気になりました。

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今時「天の声」か(10月13日)

 13日朝、和歌山県が発注した建設工事をめぐる、談合事件に関連した記事を読んでいて、福島県の事件とともに、未だに「天の声」があるのかと驚かされる思いでした。

 それというのも、自分自身、15年前に初めて知事になった直後に、身近にいた人物が、建設業者との間の橋渡し役になろうとしたという経験があるからで、僕の場合は、早い段階でそれに気づいて、この人との縁を切りました。

 その後も、それらしき役を作ってほしいといった類の話には、一切耳を傾けないできましたが、このところは、そんな話さえ、耳にしないようになってきていました。

 それだけに、福島県や和歌山県の話を聞いて、このご時世に、未だに「天の声」が発せられる地域があったのかと、驚きを感じましたが、それにしても、「天の声」が出たら、素直に言うことを聞くという人のメンタリティーは、今もってよく理解できません。

 それに加えて、両県とも事件の背後に、政治ブローカー的な人物が徘徊していますが、本県にも、政治や選挙のことに詳しいと自称するタイプの人物が、いなかったわけではありません。

 しかし、このような人物が、県民の皆さんのための県政に、役立つことはあり得ませんので、どの地方でも、そろそろ、この種の人物や「天の声」から卒業をしないと、少なくとも、地方分権を声高に語ることは出来ません。

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潮の変わり目(10月12日)

 12日夜、高知県の野菜や果物などを扱ってくれている、全国の市場の、取引き会社の幹部との懇談の中で、何人かの方が、潮目が変わりつつあるという話をしてくれました。

 野菜の生産、特に、施設園芸と呼ばれるハウスを使っての野菜作りは、室内を暖めるための、重油代の値上がりによるコストの上昇という、新たな問題に直面していますが、ここで、取引き会社の方々が語っていた潮目は、国際取引に関することでした。

 というのも、この何年かの間、中国や韓国から輸入される価格の安い農産物が、国内の農業にとっては、大きな圧迫要因になっていたのですが、中国産の輸入野菜から検出された残留農薬が、社会問題になったことなどをきっかけに、産地の表示が義務づけられるようになりましたし、国内で流通する農産物に対して、残留する農薬の量が厳しく制限されるようになったことから、農産物の輸入には、かなりのブレーキがかかり始めました。

 さらに、中国の国内市場の拡大から、穀物類だけでなく野菜に関しても、中国からの輸出量は、減らざるを得ない環境にあります。

 こうした状況をとらえて、取引き会社の幹部の方々は口々に、潮の変わり目と称していたのですが、それだけに、新しい潮に乗っていけるかどうか、まさに、行政も含めた農業関係者の、力量が問われる時代になってきました。

 あわせて、地球的な人口の拡大という長期的な視点で考えてみれば、水と食糧の確保は、国にとっても重要な課題になりますので、農業の持つ戦略性は、改めて見直されることになるでしょう。

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お婆ちゃんにしてやられる(10月11日)

 11日の昼は、四万十市の街なかにある公民館で、一人暮らしのお年寄りの方々と、昼食をともにしながらお話をしましたが、最年長のお婆ちゃんとのやりとりに、思わず苦笑いをしてしまいました。

 この公民館では、ご近所の女性のグループが、互いに持ち寄った食材などを使って、一人暮らしのお年寄りのために、定期的に昼食のお世話をしているということで、この日は、地元の方のお誘いで、その仲間入りをすることになりました。

 ボランティアの女性とお年寄りが、それぞれ10人ずつほどおられる中で、最高齢は、おん年92歳という元気なお婆ちゃんでしたが、まかないをして下さった女性の一人が、「このお婆ちゃんは、知事さんが来てくれるのを、心待ちにしていたんですよ」と、紹介をしてくれます。

 それでは、ご挨拶をしなくてはいけないと、昼食も早々に、そのお婆ちゃんの前に座ると、「僕が来るのを、待っていてくれたそうですね」と、大きな声で話しかけました。
 
 ところが、これに対するお婆ちゃんの答えは、「いいえ、そんなことはありません」でしたので、周囲からもどっと笑いが起きました。

 とても知的で、しっかりとした感じのお婆ちゃんでしたから、知事さんに会うのを楽しみにしていましたなんていうことは、たぶん恥ずかしくて、口に出来なかったのではと思いましたが、僕の方は、予想もしない答えにすっかり虚をつかれて、苦笑いでごまかすしかありませんでした。

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「おめでとう」の効用(10月10日)

 10日は午前中から、県西部の四万十市で、各種の懇談会に出席しましたが、その中で、恵まれない環境にある子供や親に接する立場の方々の、様々な心遣いに触れることができました。

 この日から3日間は、出張県庁という名で、様々な分野の方々の声を聞くために、県西部の幡多地域に出かけましたが、午前中はまず、恵まれない子供たちのための施設を訪問して、中を見せていただいた後、園長さんからお話を聞きました。

 その中で、印象に残ったことの一つは、職員に対して、子供たちには絶対に、親の悪口を言ってはいけないと指導しているとのお話でした。

 というのも、子供たちはどんな時にも、決して親の悪口を言わないからで、例えば、父親から暴力を受けた子供でも、「父さんが殴るのは、僕が悪いからだ」と、親をかばうケースが多いといいます。

 また、兄弟を置き去りにして、父親が行方不明になっている事例でも、子供たちは、父親がいつかは必ず迎えに来てくれると信じているため、いじらしくも、何度も携帯を鳴らしてみるのだそうです。

 だからこそ、職員が親の悪口を言っては、子供たちとのコミュニケーションが築けないということなのですが、そんな心遣いはもとより、職員の方々の、ある意味での自己犠牲がないと、成り立たない仕事だなと感じました。

 また、心配りと言えば、この日の午後、同じく幡多地域の子供たちを取り巻く、数々の問題を話し合った際に、今度は、母子保健に関わっている保健師さんから、恵まれない立場の妊産婦への、心遣いの話を聞きました。

 それは、何かの事情で、本人も周囲の人もおめでたくないと感じているような、妊娠に対応するケースですが、それでも、会う度に繰り返し、「おめでとう」と呼びかけるのだそうです。

 そうすると、本人もやがて、「おめでとう」と言ってもらえることが嬉しくなって、そのことが、出産後の赤ちゃんとの関係にも、良い結果をもたらすのだと言います。

 そう言えば、午前中に見学をした施設の、一室の壁には、その部屋に住む子供が書いた、「私のモットーは、楽しく楽しく生きる」という色紙が飾ってありましたが、この色紙にも、自分の思いを明るくする、効用があるのかもしれません。

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生姜飴を発見(10月9日)

 9日午後、羽田空港の待合室で、高知産の生姜飴を見つけて、ちょっぴり嬉しい気分になりました。

 出張後の東京での連休を終えて、この日の午後の便で高知に戻りましたが、羽田空港の待合室でキャンディを盛ったお皿をのぞくと、生姜飴と書かれた袋が目に入りました。

 生姜といえば、生産量は高知県が全国一ですし、地域おこしのために、生姜味の飴を作っているグループもありますので、きっと高知と関係があるに違いないと、期待しながらひと袋を手に取りました。

 すると案の定、高知県産でしたので、何となく嬉しい気分になって、早速ひと粒を口に含んでみました。

 ジンジャーエールをはじめ、生姜の味がもともと嫌いではありませんから、口の中に広がる生姜の香りを十分に楽しめましたが、こんな小さなひと粒で嬉しくなれるあたり、自分もすっかり高知県人になったなと思いました。

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2006/10/18

何かおかしいぞ(10月8日)

 8日夜、東京の知人から、前日都内のホテルで開かれた、とあるパーティーの話を聴いて、世の中そこまで来たかと、思わず感じ入ってしまいました。

 それは、あるお宅の、お子さんの誕生パーティーなのですが、会場は老舗のホテル・オークラで、宴会場の一室を使って開かれたと言います。

 半分あきれながら話を聴いていましたので、主人公のお子さんの年も聞き漏らしましたが、知人の息子の年令などから推測すれば、小学校に上がるか上がらないかのお年頃でしょう。

 知人の息子は、同じスイミングスクールに通っていたことから、ご招待の栄に浴したとのことで、パーティーに、こうした習い事や、幼稚園の友達とその親たち、100人余りが出席しました。

 ミッキーマウスとミニーマウスの風船が、所狭しと飾りつけられた会場には、お料理の他に、数々のおもちゃが並べられていて、子供たちは、おもちゃを使って好きに遊べるようになっているのですが、招かれた子供たちの半数ほどは、遠巻きに見ていたと言いますから、子供心にも、何か違和感を覚えていたのでしょう。

 おまけに、パーティーの開かれた時間も、午後4時から夜の10時までとのことでしたから、幼児と夜の10時までのパーティーという組み合わせにも、考えさせられるものがありました。

 格差社会のなせる技とも、親の感覚のずれのなせる技とも言える出来事ですが、いずれにしろ、何かがおかしいと思える話でした。

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認知症のお母さん(10月7日)

 7日夜、東京で、中学高校時代からの友人らと、夕食をともにしましたが、約束の時刻に大幅に遅れてきた、ご夫妻の遅刻の理由は認知症のお母様でした。

 約束の時刻を遙かに遅れて、レストランに姿を見せたご夫妻から、問わず語りにわけを聞きますと、認知症の進んだお母様が、夫婦が出かけるのに気づくと、「私も用意をしなくちゃ」と言いだして、ご夫妻の足を止めるのだそうです。

 しかも、お母様は、80才を超えた今も大の愛煙家ですから、お手伝いさんがいるとはいえ、留守中に火を出されないようにと、煙草の一式を、手の届かないところにしまい込まないといけません。

 などなど、お母様の世話にかまけているうちに、家を出る時刻が、予定より大幅に遅れてしまったということでした。

 お母様に認知症の症状が出たのは、かなり以前のことで、それ以来、お手伝いの人に、「娘が何も食べさせてくれない」などと言うのは、文字通り日常茶飯事ですから、「実の娘でなければ、我慢できないでしょうね」というのが、ご主人の弁でした。

 その実の娘によれば、たまに訪ねて来る人には、結構まともな話も出来るため、ちょっと見ただけでは、異変がわからないのも困りものだそうで、「それなのに、突然、80過ぎたお婆さんが、『もう子供を作るのはやめたわ』なんて、突拍子もないことを言い出すのよ」と、お手上げの様子でした。

 友人や知人ばかりの仲間うちの会でしたから、それ以上深刻な話にはなりませんでしたが、実の娘にしてこの苦労ならと、認知症のお年寄りを抱える、ご家族の苦労がしのばれました。 

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連邦制と言い換えては(10月6日)

 6日夕方、高知県の東京事務所で、かつて高知県庁のクラブ詰めをしていた各社の記者と、懇談の機会を持ちましたが、その中の一人から、道州制への対応を聞かれて、「道州制」という言葉を、「連邦制」に置き換えた方がいいのではと答えました。


 東京で、こうした会を開くのは初めての試みでしたが、テレビ、新聞、通信の各社から、20人を超える記者が参加してくれましたし、それぞれの現在の担当も、政治、経済、社会など各分野にわたっていて、とても楽しい会になりました。

 その中で、ある記者から、新政権が誕生して、道州制に拍車がかかるのではないかとの問いかけを受けましたので、国が言う道州制と地方が言う道州制には、違いがあるという話から始めました。

 まず、地方が考える道州制は、国が担うべき外交や防衛を除く、全ての分野の権限とそれを実施するための財源を、地方に移すための受け皿で、国と地方の関係、ひいては国の形を、中央主導から地域本位なものに、抜本的に変えていこうという考え方です。

 これに対して、政府や与党が考えている道州制は、国が地方を治めるという、現在の上下関係を残したまま、地域サービスの効率化を図ることで、国から地方に支出される財源を削っていこうとするもので、いわば、単なる都道府県合併にすぎません。

 にもかかわらず、同床異夢の両者が、「道州制」という同じ言葉の土俵に上がっていたのでは、戦いの武器を持たない地方に勝ち目はありません。

 そこで、国の言う道州制とは、はっきりと区別するために、地方が主張しているような、全ての権限と財源を地方に移すことで、国の形を変えていこうとする改革は、「道州制」ではなく「連邦制」と呼ぶべきではないかと、その記者には答えました。

 三位一体の改革でも、同床で異夢を描いたまま、同じ土俵に上がった結果、ひどい目にあった経験を、道州でも繰り返してはなりません。

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若い芽を摘まないために(10月5日)

 5日までの3日間にわたって、4月1日付での採用にならなかった、新採の職員との懇談の場を設けましたが、いつの時代にも、「今時の」という冠がつけられがちな若い世代の、予想以上の頼もしさに、心強さを感じました。

 新採の職員の場合、普通なら4月1日に辞令を交付して、その時に、知事から訓辞をたれることになっていますが、人によっては、前倒しで採用されたり、新年度に入ってから、欠員が出た時点で正式に採用されたりする場合があります。

 こうした職員とは、なかなか顔を会わす機会もありませんので、初めての試みとして、20人の新採の職員を6つのグループに分けて、懇談をしました。

 すると、「今時の若い者は」といった言いぐさはどこへやら、仕事に対する考え方や将来の希望、さらには、県庁の仕事の仕方を変えていくための提案など、いずれもとても前向きで、感性の良さが感じ取れる話を数多く耳にしました。

 一般的に、管理職以上の職員と話をしますと、最近の若手は元気がないという話がよく出てきますし、さらに上の幹部からは、最近の課室長は、きちんとした議会答弁が出来ないといった話も出てきます。

 その指摘があたっている側面もありますし、足らざる点の指導も、管理職としては大切なことですが、その反面、元気さや議会の答弁の仕方も、時代とともに変化しているのだと思います。

 その意味で、この3日間に懇談をした若い職員に、昔風の元気さはないのかもしれませんが、彼らの世代にあった元気さや、仕事に対する意欲と、独自の感性を持っていることは間違いありません。

 それと同時に、議会との関係や、議会での受け答えも、時代とともに当然に変わっていくべきですから、ひと昔前の「上手な答弁」とは違った形を、若い世代が作り出していくのかもしれません。

 そんなことを考えながら、こうした若い職員の芳しい芽を、いかに摘まずに育てるか、僕を含めて、上に立つ者の責任をあらためて感じました。
 

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禁煙の島(10月4日)

 4日朝、テレビの情報番組で、ハワイが来月半ばから、全島でほぼ全面的に禁煙になるという話題が取り上げられていましたが、日本からの観光客の多いハワイが、全島禁煙に踏み切ることからも、大きな時代環境の変化が読みとれました。

 それによると、ハワイでは来月16日から、店の中であれ街の中であれ、公開の場所は全て禁煙になるとのことで、法人の違反者は500ドルの、個人の違反者には50ドルの罰金が課せられると言います。

 たとえワイキキの浜辺でも、外で煙草を吸っていれば、観光客であっても容赦なく取り締まられるというわけで、例外は、個人の住宅とホテルの中くらいしかありません。

 そんな報道を見ていて思い出したのが、昔のスピルバーグ監督の映画「ジョーズ」ですが、あの映画は、人食い鮫の情報を聞いた市長が、「うちは、夏のリゾート客が落とすお金が収入のメインだから、鮫の噂で客足が遠のいたら大変だ」と、ジョーズへの警告をためらっているうちに、次々と被害者が出るという設定でした。

 それだけ、観光業にとっては、お客様へのマイナスのメッセージは大敵ですから、観光の島ハワイを全面禁煙にしようと言いだした場合、ひと昔前ならば、日本人観光客への影響を心配する業界から、かなりの圧力がかかったのではないかと思います。

 今回の決定にあたって、そんな圧力などなかったのか、あったとしても、もはや取るに足らない存在だったのかはわかりませんが、世界中から大勢の観光客が訪れるハワイが、全面禁煙の島になることは、時代の流れを象徴する出来事に感じられました。

 圧力ではないですが、もう何年も前に、禁煙デーにあわせて、県の主催でシンポジウムを開こうとしたところ、関係の企業や団体の方々が県庁においでになって、色々とご注意を受けたことがあります。

 それは、煙草の売り上げが、地方自治体の収入に、いかに寄与しているかといったご指摘でしたが、こうした抗議の活動そのものが、今は昔の出来事になりました。

 また、先日亡くなった兄も、直接の原因ではなくとも、ヘビースモーカーだったことが、大病になった時の、回復力の弱さにつながったと感じていますし、煙草と健康との因果関係に疑問を持つ人は、もはやほとんどいないのではと思います。

 それでも、県庁内の全面禁煙には、すったもんだの時間がかかったのですが、飲酒運転への対応であれ、喫煙への対応であれ、5年後10年後の社会環境は、もっと大きく変わっていくだろうなと思いながら、ハワイの話を聞いていました。

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悪魔のいけにえ(10月3日)

 3日午後、県内在住の若手の漫画家から、小学生の頃に見たホラー映画が、人生観を変えたたという話を聞いて、やはり、どこか違った感性を持っているんだろうなと、うらやましく感じました。

 彼は、高知市の西隣にある旧伊野町の出身で、子どもの頃は4世代同居だったという生まれ育った家に、今も、ご両親らと一緒に暮らしています。

 最近では、地元紙の夕刊の連載や、漫画雑誌などを舞台に活躍していますが、最初から漫画家志望だったわけではなくて、初めは、イラストやデザインなどを勉強していました。

 ところが、勤めていた会社を辞めるにあたって、4コマ漫画なら何とかなるだろうといった、軽い乗りで投稿を始めたところ、「アイ・ラブ・ミー」や「ミドル未熟児」などの出世作につながりました。

 その彼に、人生の転機を聞いてみますと、なんと、小学4年生の時に、高知市内の名画座で見たホラー映画で、人生観が変わったと言います。

 それは、「悪魔のいけにえ」というタイトルの映画で、登場人物が理由もなく次々と殺されてしまうという、とても理不尽な内容でしたが、それまで、悪玉は最後には正義の味方のヒーローに倒されるという、勧善懲悪の物語に慣れていた少年にとっては、「ああ、世の中こういうのもありなんだ」と、目から鱗の思いだったそうです。

 その話を聞きながら、小学4年生で、人殺しはいけないことだけど、無差別殺人をした男が捕まりもしない映画もすごいと感じ取れる、バランスと感性が、これまたすごいと感心をました。

 それとともに、4年生の男の子が、1人で名画座にホラー映画を見に行くのを、許してくれる親も大したものだと思いながら、高知県から漫画家が数多く巣立っている背景には、こんな風土も貢献しているのだろうかと考えていました。
  

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人生最期の迎え方(10月2日)

 2日夜、県内の医療関係者が調査をした、お年寄りの介護サービスに関するアンケートの結果を読んで、人生最後の時期の栄養のとり方として、自分なら、どんな形を望むだろうかと考えてみました。

 自分の力で栄養を摂取したり、食べ物を飲み込んだりできなくなったお年寄りに対して、、ひと昔前までは、点滴のようにして体内に直接栄養を送り込む、中心静脈栄養といった療法がとられましたが、1990年代以降は、管を使った経管栄養が、広く使われるようになりました。

 本来は、飲み込みのリハビリをしながら、口からの摂取が出来るようになるまで、栄養面を支えるのに有効な療法ですが、実際には、寝たきりのお年寄りの、延命のために使われる例が多くなってきています。

 その証に、1998年に、日本老年医学界雑誌に載った論文では、経管栄養を使い始めた後、一部または完全に、口からの摂取に回復した例は、14パーセントしかなかったと報告されています。

 こうしたことから、県内で介護サービスを提供している、547ヶ所の施設を対象に、医師を含んだ介護サービスの従事者に、経管栄養に対する考え方を調べたのが、送られてきたレポートの内容でした。

 施設数で見た回答率は41パーセントですから、決して高くはありませんが、その結果には、興味深いものがありました。

 それは、介護の現場で、経管栄養の功罪を体感している介護従事者の中に、そのことへの疑問や不満が強いということです。

 具体的には、自分が年をとって食べ物が食べられない状態になった時に、「どんな状況でも、自らへの経管栄養を受容する」と答えた人は、4.1パーセントしかいませんでしたが、逆に、「どんな状況でも拒否する」と答えた人は、38.6パーセントにのぼって
います。

 また、経管栄養を受けている人の、QOL(生活の質)が上がったと考える人は、わずか7.7パーセントなのに対して、86.4パーセントもの人が、経管栄養を適用することに、疑問を感じたことがあると答えていました。

 あわせて、回答者のうち150人が、自由記述欄に意見を述べていますが、そのほとんどは、「死に行く過程を延ばす」ための、または、「介護の省力化」のための、安易な経管栄養の適用に警鐘を鳴らした言葉です。

 これらの結果を踏まえて論文は、国民に、経管栄養に関連した情報を提供した上で、あらかじめ、いざという時に経管栄養を受けるかどうかの、高齢者自身の事前の意思確認が必要だし、経管栄養を続けるかどうかの、ガイドラインの作成も急がれると結論づけています。

 なるほど、人生を締めくくる時期の栄養のとり方にも、自己決定権が問われる時代になってきたのだと感じると同時に、高齢化の先進県である本県で、こうした側面で、何か先進的に取り組めることはないのだろうかと考えました。

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わくわくするような番組を(10月1日)

 1日午後、高知市内で、地上デジタル放送の、本放送の開始を祝う式典に出席しましたが、これをきっかけに、少年時代にテレビに抱いた、わくわくするような思いを、よみがえらすことは出来ないだろうかと考えてみました。

 地上デジタル放送は、今のテレビより遙かに画質の高い、繊細で本物感あふれる画面が楽しめる上、いつでもデータにアクセスできるとか、視聴者との双方向のやりとりが可能になる等、これまでのアナログテレビにはない特徴があります。

 それはそれで新しい魅力なのですが、そもそも、アナログ放送のテレビが、初めてわが家に入ったのが、僕が小学生の時でした。

 もちろん、まだ黒白テレビの時代ですが、力道山が活躍するプロレスをはじめ、ディズニーのおとぎの国や冒険の国、さらには、「ジェスチャー」や「私の秘密」などの番組を、毎晩わくわくする思いで、食い入るように見入っていました。

 このようにして、テレビという新しいメディアの登場は、家族の時間の過ごし方から、見る者の感性に至るまで、日本人の暮らしに、衝撃的と言ってもいいほどのインパクトを与えました。

 そんな、テレビ草創期の躍動的な実体験を持つ、我々団塊の世代から上と、その後に続く50代を加えた人口が、すでに5300万人と、日本の半数近くを占めるまでになりました。

 その時、地上デジタル放送という、新しいメディアが登場したものですから、5300万人の世代に、子供の頃味わったわくわくする思いを再現できれば、すごいなと思ったのです。

 とはいえ、テレビの持つ本質的な機能に変わりはありませんし、自分に何かアイディアがあるわけでもありませんから、そんな可能性があるかどうかは、想像もつきませんが、式典の席に座りながら、それが出来れば楽しいだろうなと考えていました。

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2006/10/04

歯の健康を意識する年頃(9月30日)

 30日夜、四国地区の歯科医師会の懇親会に招かれましたので、自分も歯を意識する年頃になったとご挨拶をしました。

 というのも、80才になっても、自分の歯を20本は残そうという、いわゆる「8020運動」の話を初めて聞いた時には、まだ若かったこともあって、わが身のこととして考えることはありませんでした。

 ところが、僕も、来年には還暦を迎える年になりましたので、自分が80才になった時に、自分の歯は何本残っているだろうかと、少しは気になる年になりました。

 しかも、先日、外部の方と食事中に、突如前の差し歯が抜けるというアクシデントに見舞われたため、相手に気づかれないように食事と会話を進めるのに、冷や汗ものの苦労をしたばかりでしたから、歯の大切さを身にしみて感じるようになりました。

 考えてみれば、歯が不調ならば、歯を食いしばる力も出ませんし、頭痛やストレスの原因になるだけでなく、ものも美味しくは食べられません。

 といったことで、治療より予防を大切にしなくてはいけない今の時代には、歯の健康には、もっと関心が払われてもいいと思うなどと、リップサービスともとれそうな、ご挨拶をしてしまいました。

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 議会質問のためお休み(9月26日〜29日)

 26日から28日までの3日間は、県議会の本会議での質問が、また29日は、予算委員会での質問が行われるため、ブログはお休みです。

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ドクちゃんの思い出(9月25日)

 25日朝、全国紙の「ひと」の欄で、ベトナム戦争で使われた、枯れ葉剤の被害者とされるグエン・ドクさんが、結婚することになったとの記事を読んで、彼が、手術のために来日した当時のことを思い起こしました。

 ベトちゃんドクちゃんと呼ばれた、ベトナム人の双子の2人は、生まれながらに、下半身が結合した状態だったため、ベトナム戦争で、ジャングル地帯の掃討のためにアメリカ軍がまいた、枯れ葉剤の影響ではないかと、1980年代の後半に、社会的にも大きな関心を呼びました。

 2人は、そのままでは、お互いの生命に危険が生じる可能性があったため、1988年に来日して、東京渋谷区の日本赤十字病院で、体を切り離す手術を受けました。

 その頃、NHKの社会部の記者だった僕は、東京の自宅が日赤病院と近かったこともあって、その取材に関わりましたが、取材にあたっての関心事は、2人の手術そのものよりも、2人に付き添って来日した、ベトナム人の女性医師の亡命情報でした。

 これは、同僚の記者がつかんできた特ダネだったため、表向きは手術の成功の見込みなどに関心を向けながら、他社に感づかれないように、その女性医師の来日後の足取りや、居場所の確認に走ったことを思い出します。

 それから、20年近くが経過して、久し振りに写真で見たドクちゃんと、立派な青年に成長していましたが、彼と婚約者との幸せそうな写真を見る限り、ベトナム戦争や、社会主義国からの亡命といった時代背景は、すでに影をひそめていました。   

 

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伊勢エビ漁の解禁(9月24日)

 24日朝、県内の知人が、伊勢エビ漁が解禁になったと、生きのいい伊勢エビを届けてくれました。

 先日も、大阪の知り合いから、最近のブログには、料理の話がよく出てくると指摘されたばかりですが、この日は休日だったため、家内の注文で、伊勢エビを使って、中華風のピリ辛ソースいためを作ることになりました。

 ところが、ピリ辛味に欠かせないチリソースも、中華風の味つけスパイスも何もありません。

 仕方ありませんから、トマトケチャップにタバスコをふった上、伊勢エビの頭でとった出汁と、わずかの豆板醤を混ぜて、まやかしのピリ辛ソースを作りました。

 それでも、みじん切りにした、タマネギとニンニクをいためた中華鍋に、油通しをした伊勢エビのぶつ切りを放り込んで、先程の一見ピリ辛風ソースをからめたところ、ぷりぷり感のある、それらしい物が出来上がりました。

 肝心なものはなくても、何とかなるものだと思いながら、何よりも伊勢エビの新鮮さに感謝しました。

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最近の風潮(9月23日)

 23日午後、岡山県早島町で、亡くなった兄龍太郎を偲ぶ会が開かれましたが、河野衆議院議長が追悼の言葉の中で使われた、「最近の風潮」という表現が耳に残りました。

 兄自身は東京の生まれですが、父の代から岡山を選挙区としていましたので、岡山県や自民党の岡山県連などが主催される、兄を偲ぶ会が開かれたのですが、衆議院議長の河野洋平さんが、古くからの友人として出席して下さいました。

 河野さんの追悼の言葉は、橋本さんも私も、小渕さんも森さんも、そろって昭和12年の生まれで、戦争から敗戦、そして、戦後の復興期から経済成長へと、同じ時代を生きてきたという話から始まります。

 続いて話は、兄が総理大臣の時に進めた、冷戦後の日米安保の再定義に移って、私は橋本さんと違って、このことには慎重な考え方だったと、当時を振り返られます。

 それだけに、省庁再編にあたって、橋本さんが防衛庁の省への昇格を見送ったことが、私には意外だったけれど、ある時、橋本さんから、なぜ省に昇格させなかったのかの理由を聞いて、同世代を生きてきた者として、なるほどそうだったのかと納得をしたと、話は続きます。

 兄が語った理由が何だったのかの説明はありませんでしたが、その後に、「最近の風潮」という表現が、河野さんの口をついて出ました。

 それは、政界を取り巻く最近の風潮の中で、我々の体験を知らない若い世代の政治家達に、あなたの話を聞いてもらえる機会が、永遠に失われたことを大変残念に思いますとの文脈で、その話の流れを聞いただけで、兄が語った理由が伝わってくる気がしました。

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複雑な思いの判決(9月22日)

 22日朝、学校現場での、国旗や国歌の強制は違憲だとした、前日の東京地裁の判決を伝える記事を読んで、少し複雑な心境に駆られました。

 何が複雑かと言えば、国旗の掲揚や国歌の斉唱をしないからといって、懲戒処分でそれを罰するという居丈高な行政の態度には、強い違和感を感じる一方、多くの国民が国旗・国歌だと認識をしている「日の丸」と「君が代」を、個人の思想や良心の自由をたてに、教育の場で否定する態度が、教え子である子供達のために、果たして良いことだろうかと疑問を感じるからです。

 判断の分かれ目は、国旗国歌法の趣旨をどう読みとるかですから、この判決のように、国旗や国歌は強制をするのではなく、自然のうちに国民に定着させるというのが、国旗国歌法の趣旨だと考えるのなら、強制は憲法違反となるでしょうし、逆に、国旗と国歌に対する義務づけをした法律だと解釈すれば、それに従わない教員は、処分されてもやむを得ないということになります。

 とはいえ、この法律が制定される過程での経緯は、立場によって、どちらにも受けとめられるでしょうから、今後、高裁から最高裁へと審理が進む中で、判断はいかようにも変わっていく可能性があります。

 この問題に関して僕は、かねてから、国旗の「日の丸」はともかく、「君が代」を国歌にするのは、民主主義国家としてはふさわしくないし、いつまでも、この裁判のような問題を引きずるくらいなら、新しい国歌を作るのが望ましいと考えていますが、それでも、現在多くの人がそれと認める国旗や国歌は、尊重すべきだと考えますので、式典の時には、大きな声で「君が代」を歌っています。

 この点で、学校現場での対応に触れてこの判決は、「将来国際社会で信頼される日本人として成長させるために、国旗国歌への正しい認識を持たせ、尊重する態度を持たせることは重要」と、子供達の将来にも思いをはせています。

 とすれば、処分をしてまで強制するのは違法だとした、裁判所の判断は評価すべきだとしても、原告の教員に対しては、個人的な思想や良心を、そのまま式典の場に持ち込むのではなく、起立して斉唱するくらいの分別を見せることも、教育者として取り得る、姿勢の一つではなかろうかと感じました。

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美しい国を作るには(9月21日)

 21日朝、自民党の新しい総裁が決まったとの報道を見ながら、新総裁がキャッチフレーズとして使ってきた、「美しい国」が何を指すかはともかくとして、それにたどり着くために必要な道筋は、地方分権ではないかと思いつきました。

 あるものを、「美しい」と感じるかどうかは、個人の主観によって違いますから、「美しい」という言葉には、客観的な基準はありません。

 ですから、そもそも国や政権の目指す方向として、こうした、主観的にしか定義し得ない形容詞を使うことに、少なからぬ疑問を感じますが、それが許されるくらい、世論はなまくらになっています。

 そこで、こんなそもそも論は一旦横に置いて、国土の美しさという、共通の認識が比較的得られやすい項目で、出来るだけ多くの人が、「美しい国」と感じられるような国土づくりに、何が必要かを考えてみました。

 振り返って、これまでの国土政策を考えますと、ほとんどの分野で、縦割りの省庁ごとに国が一律に決めた基準に基づいて、全国の国土を作りあげていったために、金太郎飴と揶揄されるような、画一的で、とても美しいとは言えない国土になってしまいました。

 これを教訓にするとすれば、従来のような国主導ではなく、国土の形成に関わる大半の仕事を、地方の権限と責任に委ねてしまえば、それだけで、今よりは美しい国に向かう可能性がふくらみます。

 こう考えているうちに、もしかして「美しい国」という標語は、徹底的な分権化を進めたいとの、意思表示ではなかろうかといった、とんでもない楽観主義が頭をよぎりました。

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