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2006年11月

2006/11/28

もみじの影絵(11月19日)

 19日午前、四万十川の支流にあたる黒尊川で、人と自然との、共生モデル地区を立ち上げる協定に調印しましたが、その席で、自然との共生にふさわしい光景を目にしました。

 黒尊川は、四万十の支流の中でも、最も自然の残った地域ですので、住民の皆さんと一緒に、自然と人が共生する、モデル地区を作っていこうというのが、この日のテーマでした。

 ですから、協定書の調印とは言っても、そんなに堅苦しいものではなくて、会場も、紅葉の美しい橋のたもとに設けられた、仮設のテントの中でした。

 はっきりしない空模様でしたので、晴れ上がっていれば、紅葉ももっときれいだったろうと思いながら、何気なく、テントの中から上を見上げてみて、思わずはっとしました。

 というのも、周辺の木々からテントの上に散った落ち葉が、テントの幕を透かして、まるで影絵を見るような美しさなのです。

 地面に敷き詰めるように散った、桜の花びらやもみじの葉の美しさは、経験をしたことがありますが、このように、幕を通して落ち葉を見たのは初めてのことでした。

 紅葉の色彩の美しさはもちろんですが、モノカラーで見るもみじの葉などの造形も、限りなく日本的な風情で、もし歌心のある人なら、一首か一句浮かぶところだろうなと思いながら、自然の中の影絵を見続けていました。

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奥さんの謎(11月18日)

 18日夜、四万十川流域の民宿で、ちょっとした謎を感じる出来事がありました。

 この日は午後から、僕が理事長をしている高知工科大学の、開学10周年の記念行事に出席した後、翌日の朝からの仕事に備えて、車で3時間余りかかる、四万十川沿いの馴染みの民宿に向かいました。

 民宿に到着した時には、夜の9時半をまわっていましたので、みんな寝ているかと思いきや、旧知の間柄でもある県外の知人のグループが、食堂で楽しそうにやっています。

 せっかくですので、しばしの間、そのグループに合流をしたのですが、その中で、一つ不思議に感じることがありました。

 それは、いかにも奥様といった風情の女性が、仲間内で「奥さん」と呼ばれているのですが、どなたの奥様なのかが全くわからないことでした。

 後になって、苗字が「奥」さんだと聞いて、なるほどと納得をしたのですが、言葉の雰囲気から、誰かの奥様だと思い込んでしまったために、自分の力では謎を解くことが出来ませんでした。

 そのことを話すと、「奥さん」の上司でもある知人からは、「だから、早く良い相手を見つけなさいと言ってるんですけどね」との答えが返ってきました。

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相変わらずの丸坊主(11月17日)

 17日午前、高知市内のホテルの経営者と話をする中で、相も変わらず並木の緑を丸坊主にする、剪定の仕方を嘆きあいました。

 このホテルは、ビジネス型のスタイルながら、瀟洒な作りとサービスが受けて、県外から高知の街を訪れる、女性客に支持を受けています。

 大きな箱物などに、無駄なお金をかけなくても、歩いて楽しめる街があればそれだけで、観光客が来てくれるというのがこの経営者の考え方で、そのために、街路樹や洒落た街灯、さらには、気楽に休めるベンチの整備などを提案されています。

 このうち街路樹は、すでに、あちこちの道に植わっていますから、何も新しく整備する必要はないのですが、問題は毎年行われる剪定です。

 というのも、場所によっては、せっかく葉の生い茂った木の枝を、根こそぎ切り落として、丸坊主にしてしまうような剪定が行われているからです。

 その理由は、樹木の成長のために必要だからといったものから、落ち葉で道路が汚れるからといったものまで様々ですが、いずれにしろ、木の枝をばさばさと切り落として丸坊主にするというやり方は、どう見ても文化的ではありません。

 こうしたことから、県が管理する街路樹では、丸坊主型の剪定が行われないように、新しい剪定の手法を考案して、内規を作ったこともありました。

 ただ、それもかなり以前のことですから、現状はどうなっているのか、一度調べてみないといけません。

 さらに、県以外が管理する道路では、相も変わらずの丸坊主刈りが、当り前のように踏襲されているようで、つい先日までは緑が茂っていたという、このホテルの前の街路樹も、すでに、見るも無残な状況をさらしていました。

 こんなことも改められないようでは、とても人を呼べる街にはならないなと思いながら、改めて、丸坊主の並木を眺めていました。

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本物の温度差(11月16日)

 16日午前、出張先のインドネシアから、シンガポールと福岡を経由して、高知に戻りましたが、ものの例えではない本物の温度差を体感しました。

 15日の午後、インドネシアのスラバヤは、この日も、36度〜37度はあろうかという雲一つない快晴で、独立運動の記念のモニュメントのある広場では、案内の人の説明を聞く間、日差しを除けるのに苦労したほどでした。

 その足で、スラバヤ空港からシンガポールへ、さらに、午前1時過ぎに出発する深夜便で、福岡へと向かったのですが、朝8時過ぎに福岡に着いてみると、空港の係の人は、「ここ2〜3日急に冷え込んできて」と言います。

 実際の気温の差がどれくらいあったのか、測ったわけではありませんが、20時間足らずの間に20度余りの温度差は、相当身にしみました。
 

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この国の歌と言えば(11月15日)

 15日昼、スラバヤ市長が主催する昼食会で、「心の友」という曲が演奏されましたが、なぜこの歌が、インドネシアで日本を代表する歌になったのか、とても不思議でした。

 実は、13日の夜に、スラバヤ市内で開かれた会でも、「心の友」が披露されたのですが、誰が歌った曲かも思い出せませんでした。

 そこで、一緒に行った県の職員に、誰の歌かと尋ねさせてみると、現地の人が、五輪真弓の曲だと言っていたとの報告です。

 そう言えば、聞いたことがあるような気もすると思いながら、それにしても、なぜこの曲が、日本を代表する歌になったのだろうかと、不思議に感じたのですが、考えてみれば、インドネシアなら「ブンガワンソロ」、フィリピンなら「ダヒルサヨ」というように、国ごとに思い起こす歌があるものです。

 もうふた昔も前のことですが、現在の天皇皇后両陛下が、アイルランドを訪問された際、僕も、宮内庁担当の記者の一人として同行しました。

 その時、現地の大使館が開いてくれた、随行員や報道陣のための夕食会で、素敵な演奏を聞かせてくれた弦楽四重奏の人たちが、何かリクエストの曲はありますかと言います。

 ほとんどの人が、アイルランドなら「庭の千草」だと、メロディーを口ずさんでリクエストしました。

 ところが、「そう言えばそんな曲があったなあ」といった感じで、相手に曲をわかってもらうまでに、かなりの時間と努力を要したのです。

 その場にいた記者の間では、昔誰かが、アイルランドを代表する民謡として紹介をして、日本では有名になったものの、本国のアイルランドでは、決してポピュラーな曲ではないのだろうね、という話でまとまりました。

 「心の友」にも、きっとそれに似た経緯があるのだと思いますが、スラバヤを訪問する予定のある方は、この曲を覚えていって損はありません。

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百人一首を髣髴と(11月14日)

 14日午後、スラバヤ市郊外にある、衛生用品などを作る日本の企業の工場を見学しましたが、製品の検査をしている女性の、動体視力の良さには驚かされました。 

 この工場では、母乳用のパッドや衛生綿などを生産していますが、機械化された工場内では、ほとんどの工程が自動的に流れて行きますので、工員の女性の主な仕事は、不良品のチェックと製品のパック詰めになります。

 その工場を見学する中で、思わず足を止めて見入ってしまったのは、不良品をはねる仕事をしている女性の、技の見事さでした。

 母乳パッドのラインでは、山の形のパッドが、1秒間に2個くらいの速さで流れて行くのですが、傍らに立ったチェック係の女性は、不良品を見つけるやいなや、百人一首の名人よろしく、すばやくそれを抜き取ります。
 
 ところが、抜き取られたパッドを、手にとって見てみても、どこに問題があるのかわかりません。

 それを工場長に尋ねると、なんと彼にも、すぐには不良品と見分けられないものがあるのだそうですが、それでも、拡大鏡でのぞいてみると、確かに小さな汚れが見つかると言います。

 それほどに、彼女たちの動体視力がすぐれていることの証なのですが、それは、決して良いことばかりではないようです。

 というのも、その分不良品の発生率が高くなるからで、工場長は、「日本の国内なら、十分に製品としてパスするものが、はねられてしまうんですよね」と、痛し痒しの表情でした。

 しかし、同じように視力のすぐれたインドネシアの消費者の中に、マーケットが広がっていけば、その時には、現在の厳しい検査が、製品に対する信頼につながっていくと期待をしていました。

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こんな所にX線検査(11月13日)

 13日午後、インドネシアのスラバヤ市にある、タンジュンペラ港で、船で運ばれるコンテナ貨物にも、X線の検査があることを初めて知りました。

 これは、トンネルのような通路に、コンテナを積んだトラックをそのまま入れて、X線で中味の荷物を検査する装置で、テロ対策の一つとして、違法な武器や麻薬などの持ち込みを防ぐのが目的です。

 傍らの建物には、X線で透視した画面を監視する部屋があって、その壁には、X線に写し出されたピストルやライフルなど、摘発された事例の写真が貼られていました。

 一緒に視察に出かけたグループの中で、特に強い関心を示していたのは、フィリピンのスービック港の代表で、聞けば、来年オープンする新しいコンテナヤードに、同じような装置を導入する予定だと言います。

 国際的にテロが激化した後、港の安全に関する条約によって、高知港でも、周囲を金網で囲むなど、警備体制の強化を義務づけられましたが、飛行機なみの、X線による検査までは考えもしませんでした。

 ちなみに、このシステムはドイツ製で、お値段は日本円にして6〜7億円とのことでしたが、国内にゲリラを抱える国は、危機意識が違うなと思いながら、説明を聞いていました。

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サツマイモの焼きそば(11月12日)

 12日から、港の会議に出席するため、インドネシアのスラバヤを訪問しましたが、初日に訪ねた郊外の小さな食品会社で、昼食に出た、サツマイモの焼きそばには驚かされました。

 食品会社とは言っても、従業員が100人ほどの農村の家内工業で、材料のサツマイモのスライスをはじめ、乾燥や粉末化のための機械は、全て社長が考案した手作りという、ローテクのかたまりです。

 とはいえ、農産物の加工によって地元の農家の所得を上げようと、立志伝中の社長さんが、20年かけて取り組んできただけあって、お菓子類やアイスクリームはもとより、サツマイモのピザやサツマイモバーガーなど、品揃えは豊富です。

 中でも、意外性では群を抜いていたのが、サツマイモの焼きそばで、昼食がてら試食をすると、これがなかなかいけるのです。

 高知には、イモケンピと呼ばれる、サツマイモを使った有名なお菓子があって、この日は、イモケンピの会社の社長さんも、訪問団の一員として参加されていたのですが、さすがに、サツマイモの焼きそばには脱帽といった様子でした。

 つなぎに何を使っているかとの質問には、卵とタマネギとの答えが返ってきましたが、イモケンピの社長さんは、「それだけじゃない、きっと何か秘密のものが入っているはずだ」と興味津々で、サツマイモの焼きそば作りへの挑戦に、意欲を燃やしていました。

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北朝鮮様々ですか(11月11日)

 11日朝、新聞やテレビを見ていると、お隣の国の暴走を逆手に取った、北朝鮮様々とでも言いたげな、手前勝手な動きが目についてきました。

 その一つは、北朝鮮の核実験を機会に、わが国の核保有についても、論議をしてみてはどうかとの投げかけです。

 北朝鮮の核実験に対してわが国は、核の不拡散を目指す国際的な枠組みを破って、核実験を強行したのはけしからんとの理由で、国連での非難の決議に同調をしましたし、経済制裁の措置もとりました。
 
 そうした行動をとったわが国が、しかも、世界で唯一つの被爆国として、核の不拡散に向けて、歴史的な重みを持って発言できるわが国の首脳が、核を持つことを議論するくらいいいじゃないか、と言い出す軽さと、外に向けた戦略性のなさが気にかかります。

 こうした政治の風向きと呼応するかのように、北朝鮮に在住する工作員の女性の国際手配や、新たな拉致被害者の認定に向けた動きなども、活発になってきました。

 ちなみに、昨夜からこの日の朝にかけての、NHKのニュースのトップ項目は、新たな拉致被害者の認定をめぐる話題でしたが、特ダネならいざ知らず、そうでなければ、あえてトップに持ってくるニュースかなと思って見ていました。

 そんな思いで、この日の朝刊を開くと、総務大臣がNHKに対して、国際放送で拉致問題を重点的に取り扱うようにと、放送法に基づく放送命令を出した問題が取り上げられていました。

 NHKの、拉致問題に対する日頃からの対応を見ても、こうした命令を出す必要など全くないと思われる状況の中で、あえて事に及んだのは、北朝鮮の暴挙をいいことに、放送命令の実績を作ろうとしたためとしか考えられません。

 だからこそ、どんな形であれ、反対の、または問題提議のメッセージを国民に向けて発することが、受信料と引きかえに、報道の自由と国民の知る権利を守ると標ぼうしてきた、NHKの務めのはずです。

 にもかかわらず、このような命令を、なし崩し的に受けいれていれば、数々の不祥事を理由にした、便乗型の不払いとは性格を異にした、もっと本質的な不払い者が出てくることを危惧します。

 そもそも、世論調査の結果を見ても、北朝鮮への強腰の対応には、極めて高い支持がありますので、内閣支持率のいくらかの部分が、北朝鮮様々といった現状なのかもしれません。

 ただ、それに便乗しようとする風潮は、少し目に余るものがありますし、それを批判するでもない世間の受けとめは、危険水域への接近を感じさせないではありません。

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間を持たす苦労(11月10日)

 10日午後、1時間半の間に3つ続けて、テレビカメラも入る懇談が続きましたので、間をあかさないための質問を考えるのに、かなり頭をひねりました。

 最初のお客様は、高知市出身で、ミス・インターナショナル日本代表に選ばれた白田久子さんで、170センチを超える長身を和服に包んでの登場です。

 若い女性との会話は、あまり得意なジャンルではありませんので、話題がかみあわないと困るなと心配していました。

 ところが、とてもはきはきとした、いかにも土佐風の女性で、のっけから、「親しい友達に知事さんの大ファンがいるので、知事室に会いに行くと言ったら、大層うらやましがられた」などと、オジサンを喜ばしてくれます。

 参考になったのは、最近下腹が気になるダイエットの話で、鍋ものを食べていると、ダイエット効果がてきめんだと教えてくれました。

 聞けば、彼女もブログを、と言っても、アクセスの数は彼女の方が遙かに上ですので、偉そうなことは言えませんが、日に2〜3回は新規の書き込みをするという、本物のブロガーだそうですので、最後に記念のツーショットを撮って、彼女のブログに載せてもらうことにしました。

 続いてのお客様は、西武ライオンズの球団社長の太田さんと、球団代表の黒岩さんでした。

 お二人は、来年春に高知で、オープン戦を計画しているという報告に来て下さったのですが、松坂投手に対する、大リーグ各球団からの入札額が、昨日西武側に伝えられたばかりで、プロ野球界ではこのことが、この日の最大の関心事ですから、ひとこと話題にしたいところです。

 ところが、事前にわが方の担当者から、懇談の場では松坂の「ま」の字も出さないようにと、釘を刺されていましたので、「今年のプレーオフは残念でした」などと、何とも気の抜けた会話に終始しました。

 そして、3連ちゃんの打ち止めは、四国アイランドリーグの年間MVPに輝いた、高知ファイティングドッグスの相原投手の表彰でした。

 あまり大柄ではありまんが、見るからにジャイアンツの桑田を思い起こさせる体つきで、変化球の切れが持ち味だと言います。

 そこで、やはりジャイアンツの投手だった、ファイティングドッグスの藤城監督から聞いた、フォークボールの投げ方にまつわるエピソードなどを話題に懇談をしました。

 といったわけで、1時間半の間に3つ続けて、報道陣を前にしての話題づくりに腐心した後は、にこやかな笑顔とは裏腹に、頭はぐったりとくたびれていました。

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2006/11/22

気になる質問(11月9日)

 9日夜、香美市で開かれたローカルマニフェストの公聴会で、会場から出た質問が気にかかりました。

 国政選挙や首長の選挙では、今やマニフェストが花盛りですが、地方議会の会派でマニフェストに取り組んだのは、高知県議会の会派、「新21県政会」が初めてではないかということで、この活動の当初から、県内各地で開かれる公聴会に参加してきました。

 この日も、マニフェストに掲げた項目の、その後の動きについて報告があった後、会場との質疑応答に移ったのですが、その中に、これまでにはなかったようなタイプの、少し気になる質問がありました。

 それは、年輩の男性から寄せられた質問で、マニフェストの内容に直接関わるものではありませんでしたが、「最近、若い人たちを見ていると、将来に不安を感じているように思えてならない。皆さんはどう思うか」というものでした。

 従来、こうした集会での質問は、道路の整備や農業への支援など多種多様とはいえ、それぞれに、具体的な内容に基づく要望や批判ばかりでした。

 これに対して、漠然とした不安、しかも、若い世代が感じているであろう不安が、質問の形で取り上げられたのは初めてのことでしたので、質問の言葉がいささか胸につかえました。

 後になって、それは、誰とどんな話をしていた時に感じたのか、または、どんな場面を見て感じたのかと、もう少し具体的な詳細を尋ねればよかったと反省をしましたが、会も終わった後で時すでに遅しでした。

 そう言えば、先日、東部地区で出張知事室を開いた時にも、子供たちを取り巻く環境のますますの悪化など、聞いていて不安の募ることがいくつかありました。

 社会の中に漠然とした不安が広がった時に、その不安が別の作用を引き起こした事例は、歴史上にも数多くありますので、こうした声が会場から出たことを、重く受けとめながら帰途につきました。 

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回転寿司談義(11月8日)

 8日午後、滋賀県大津市で開かれた、NPO活動推進自治体フォーラムで、現職を破って初当選されて間もない、滋賀県の嘉田知事と初めてお目にかかりました。

 このフォーラムは、NPOや地域の住民との協働による自治体経営を目指している、首長が集って開いているもので、今年で3回目になります。

 この日は、東京から新幹線で京都まで行った後、車で大津市の会場に入りましたが、予定より早く着いたため、基調講演の聴講はパスをして、琵琶湖を臨むラウンジで、後に控えたパネルの準備をしながら、コーヒータイムを取ることにしました。

 ところが、コーヒーが届くのと同時に、滋賀県の嘉田知事がお出でになったので、初めましてとご挨拶をした後、2人でコーヒーを啜りながらの、四方山話になりました。

 初めは僕の方から、NHKの記者として大阪にいた頃の、琵琶湖にまつわる思い出話をしましたが、やがて、知事の仕事に話題が移りました。

 すると、嘉田さんは、宮城県の前の知事の、浅野さんから聞いたという話を紹介してくれました。

 それは、「知事の仕事は、回転寿司の客みたいなもので、次々と違ったネタがまわってくるんだけど、好きなネタを、自分で選ぶことは出来ないんだ」というものです。

 嘉田さんは、「その通りだなと、日々実感しながら過ごしてます」と、述懐されていました。

 確かにとうなずきながら、その話を聞きましたが、それに加えて、毎日、目の前に現れる回転寿司のネタは、決して新鮮なものばかりではありません。

 そんなわけで、新幹線の新駅建設の問題以外にも、悩みは尽きないようで、琵琶湖に流れ込む100を超える河川の治水や森林の経営のことなど、短い待ち時間の間に、いくつもの相談を受けました。

 真面目にお答えをしたものの、何か先輩面をするようで、気恥ずかしい思いがしました。

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2006/11/21

「あなたは愚妻です」(11月7日)

 7日夜、駐日フランス大使と会食をしましたが、以前日本に駐在していた時から、20年以上のブランクがあるというのに、会話だけでなく、漢字の知識も豊富なのに驚かされました。

 大使は、日本での勤務が3度目とのことですが、2度目に文化担当参事官として勤務されたのが、20年余り前とのことですので、日本語とのつきあいは、ふた昔以上のブランクということになります。

 ところが、日常の会話は十分流ちょうにこなされますし、それ以上に驚いたのは、漢字への造詣の深さでした。

 例えば、話をする中で、僕も大使も来年60歳になることがわかりましたので、日本では60歳になることを還暦と言うと説明をしますと、やおらペンを取り出して、「『れき』というのは、この字でしたっけ」と、漢字を書き出します。

 見ると、「磨」と書いてありますので、「これは、『みがく』という字です」と説明をしながら、「暦」と書いてあげますと、「ああ、歴史の『れき』に似てますね」などと、鋭いことを言われます。

 また、話が謙遜語のことになりましたので、身内の者をへりくだって表現する例として、「愚妻」や「愚息」という言葉を、漢字で書きながら教えてあげました。

 すると、「愚妻」という言葉が気に入った様子で、傍らにいる大使夫人に、「あなたは愚妻です」を連発されていました。

 そんな様子を見ながら、任地の言葉が巧みな外交官は、その果たす役割を、何倍も大きく出来ることを実感しました。

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タコのおまじない(11月6日)

 6日夜、東京のイタリア料理屋で、タコを軟らかく煮るための、おまじないに出くわしました。

 メニューを見ると前菜に、「タコのトマト煮込み、おまじない入り」とあります。

 おまじないとは何ぞやと思いながらも、何となく面白そうなので注文をしたのですが、同席の仲間と話をしているうちに、おまじないのことはすっかり忘れていました。

 そんなわけで、小鍋に入ったトマト煮込みのタコを皿に取り分けて、もぐもぐと食べていたのですが、そのうち、鍋の中に、何やら硬いものが入っているのに気がつきました。

 初めはゴボウかと思って、鍋の中にナイフを突っ込んで挑んでみましたが歯が立ちません。

 やむなく取り出してみますと、何とワインのコルク栓ではありませんか。

 「おまじない」というキーワードを、すっかり忘れていたテーブルの面々が、これは何だろう、間違えて入ったんだろうかなどと訝しがる中、一人が手を挙げてウェイターを呼びました。

 「この栓は何で入ってるの」、「これが、おまじないでございます」というやりとりを聞いて、そう言えばおまじないって書いてあったねと、みんなが目を合わせました。

 おまじないの理由を尋ねてみますと、「タコを軟らかく煮るのにいいんです。科学的な根拠もあるそうです」と、説明をしてくれます。

 これを聞いた同席の女性は、「タコを煮る時に、お大根や蜂蜜は使うけど、ワインの栓は初耳だったわ」と驚いた様子でしたが、おまじないの効果かどうかはいざ知らず、タコは軟らかく煮込まれていました。

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久し振りの酉の市(11月5日)

 5日未明、新宿に出かけた帰りに、この季節の風物詩の一つでもある、酉の市をのぞいてみました。

 酉の市は、毎年11月の酉の日に開かれる市で、商売繁盛や家内安全などのお守りになる、縁起物の熊手を売る露店が建ち並ぶことで知られています。

 この季節を代表する江戸の情緒の一つですが、中でも、東京・下谷(したや)の鷲(おおとり)神社の酉の市が有名で、子供の頃には、両親に連れられて、毎年鷲神社の酉の市に出かけたものでした。

 露店に並ぶ熊手は、もちろん、落ち葉をかき集めるのに使う熊手そのものではなく、松・竹・梅や鶴亀、さらには、大判・小判や、商売繁盛などと書かれた札が散りばめられた、華やいだ飾り物で、大きなものから小さなものまでとりどりです。

 値札はついていませんから、向こうの言い値を値切って値をつけるのですが、交渉が成立すれば、拍子木の音頭に乗って、チャチャチャン・チャチャチャン・チャチャチャンチャンと、めでたく手打ちで締めくくられます。

 この夜は、歌舞伎町のとある店で知人と語らっているうちに、近くの花園神社の酉の市を、のぞきに行こうかという話になりました。

 日付も変わった頃、かの有名なゴールデン街を抜けて、神社の境内に入ると、時間を超越した空間は、大勢の参拝客と飛びかう嬌声で賑わっていました。

 親に連れられて、最後に酉の市に出かけたのは、何歳の時だったろうかと考えてみても、思い出せないくらい昔のことになりましたが、露店に飾られた熊手の山は、子供の頃の記憶を呼び起こしてくれます。

 友人が熊手を買うのにつきあった後、こんな時間に毒だ毒だと思いながらも、境内の屋台で、おでんを頬ばり焼き鳥をかじって、打ち止めに、ひと口カステラにまで手を出してしまいました。

 再開発の波の中で、やがては消え行くゴールデン街を通り抜けてきただけに、未だに健在な酉の市の情緒に、ほっと救われた思いでした。

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お台場でよさこいを(11月4日)

 4日午後、東京のお台場で開かれた、「ドリームよさこい」の開会式に出席しました。

 東京で「よさこい」と言えば、毎年8月下旬に表参道を舞台に開かれる、「スーパーよさこい」がメジャーになっていますが、表参道と並ぶ東京の名所お台場でも、4年前から、「よさこい」を主体としたイベントが開かれています。

 それが、「ドリームよさこい」ですが、当初から、大手の企業の協賛を得て、大がかりな仕掛けでスタートした表参道とは違って、よさこいに情熱を傾ける人たちが、地元の企業や町内会などの理解を得ながら、手作りで進めてきたところに特徴があります。

 このように、ともに同じ「よさこい」をテーマにしながら、それぞれ異なった特色を出していますので、以前から、お台場のよさこいにも是非一度顔を出したいと思っていたのですが、文化の日前後の県内の行事と重なって、これまで出席が出来ませんでした。

 そこで、5回目という小さな節目を迎える今年、何が何でもと思って参加したのですが、目の前には、フジテレビのビルを、また背後には、水辺を挟んでレインボー・ブリッジを望む風景が、いかにもお台場らしくて、表参道とはまったく違ったテイストをかもし出しています。

 ただ、段々と地域にも定着するに従って、手作りだけでは運営が厳しくなってきたのも事実ですので、今年は僕からも、ご地元のフジテレビの会長に直接お手紙をお出しして、今後のご協力をお願いしました。

 その甲斐あって、地域の振興会の代表でもある会長から、温かい励ましのメッセージをいただきました。

 また、この地域は、もともとは埋め立て地で、東京都の港湾局が管理をされていますので、幹部の方を、来賓としてお招きしたのですが、この方からは、「ドリームよさこい」が、地域に定着をしたイベントとして5年目を迎えたことを、高く評価していただきました。

 こうしたことから、来年度からは、東京都の共催をいただけるように、県の東京事務所を通じても、お願いしていきたいと考えています。

 「よさこい」は、踊りや衣装の自由さが受けて、今や全国の、200を超えるお祭りやイベントに採りいれられるようになっていますが、表参道とお台場という、東京を代表する賑わいの場所に、「スーパー」と「ドリーム」という、色合いの異なる「よさこい」が根づいて来たことは、「よさこい」の発祥の地高知にとっても、何よりも心強いことです。

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2006/11/10

最後に見た表情(11月3日)

 3日朝、和歌山県知事の辞職を伝える記事の中に、刑事事件をきっかけに辞職した、知事の一覧表が出ていましたが、それを見ながら、それぞれの知事に最後に出会った時の、表情を思い起こしていました。

 その一覧表によりますと、僕が知事になってからの該当者は7人いますが、その中で、言葉が印象に残っているのは、1993年に収賄罪で起訴された、茨城県の前の知事です。

 それは、毎年夏に全国の持ち回りで開かれる、全国知事会の夜の懇親パーティーでのことでした。

 知事になって、まだ2年足らずだった僕に、いきなり話しかけてきて、「橋本さん、県の仕事で大事なのは土地を買うことですよ。用地さえ手に入れば、後はどうにでもなる」といった話をされました。

 それを聞いて、行政の仕事は、ハードの公共事業だけではないだろうに、すごい割り切ったことを言う方だと感じたのですが、結局、ゼネコン汚職で捕まってしまいました。

 その同じ年に、収賄で摘発された2代前の宮城県の知事は、総理官邸で開かれた、総理と知事会との懇談会の際に、横顔を垣間見たのが最後でした。

 休憩時間に、会議室の前のロビーにたむろしていた時、仙台の地元の記者から、「知事、顔色がさえないんじゃないですか」と投げかけられて、どこか元気なさそうに、二言三言やりとりをしていました。

 一方、選挙中に運動員の女性にわいせつな行為をしたとして、知事の座を棒に振った、前の大阪府知事とは、大阪城ホールで開かれた松任谷由実さんのコンサートの後、ホール裏の楽屋で、松任谷さんとともに話を交わしたのが最後になりました。

 当時すでに、女性からの訴えが世間の話題になっていましたが、前知事はまだ余裕の様子で、松任谷さんに、得意の能弁な語り口で、大阪府で予定していた、文化事業への支援を依頼していました。

 続いては、お隣りの徳島県の前の前の知事ですが、2002年の2月に放送された、4国4県の知事による、テレビ対談の収録の席が最後になりました。

 まだ、連座した事件との、関わりの臭いもなかった頃でしたので、旧運輸省の出身らしく、空港や港をはじめとする交通インフラの大切さを、張りのある声で強調していたのを覚えています。

 そして、最近では、福島県に続いて和歌山県と、全国知事会だけでなく、地方分権に視点をおいた有志の会の、仲間でもあった知事たちが、相次いで談合に絡んで辞職に追い込まれました。

 それぞれに、今年何回か同席をした会合でも、地方分権の立場から、熱っぽい議論を交わしていましたので、そのお膝元で、官製談合と言われるような体質が温存されていたとすれば、地方分権の流れにも、水をさしかねないと危惧をします。

 と、刑事事件をきっかけに辞職した、知事の一覧を眺めながら、その表情を思い出しているうちに、どちらかと言えば、自分から話しかけてくる、多弁なタイプが多いのかなと気づきました。

 と言っても、少しは多弁でないと知事は勤まりませんので、あまり法則性はないでしょうが、たぶん多弁は、脇の甘さにもつながるのだろうと自らを戒めました。

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言葉の順番(11月2日)

 2日午後、教育委員会との政策協議の中で、「いいことだけど難しい」と言うか、「難しいけれど、いいことだからやってみよう」と言うかで、受けとめは違うという話をしました。

 これは、四国八十八箇所の霊場を巡る遍路道を、世界遺産に登録しようという民間の活動を、教育委員会が所管する文化財行政として、どう支援していくのかという話題に関してのことですが、現実には、その前提になる国の史跡への指定をはじめ、越えなければいけないハードルが数多くあります。

 特に、昔からの遍路道の多くが、現代の道路として整備されてしまっているため、昔ながらの形を残している道が限られていることや、それに代わって、「おもてなしの文化」という目に見えない価値を、「文化遺産」としてどう位置づけていくのかなど、具体的に考えれば考えるほど、難しそうな課題が一杯浮かんできます。

 こうした時、提案を受けた役所側の反応としては、「とても興味があるし、価値のある取り組みだと思うが、あれこれと課題が多すぎて、実現は難しい」というのが、ごく一般的なパターンですが、これでは、提案した側は意気消沈してしまいます。

 これに対して、言葉の順番を逆にして、「確かに、あれこれと課題は一杯ありますが、価値のある取り組みだと思いますので、ともかく挑戦してみましょう」と言えば、提案された方々を勇気づけることができます。

 などと言うと、役所の中からは、かなりのコストと時間を使ったあげく、結局は実現できない可能性が大きいけれど、そうなった時にはどう仕舞いをつけるのかといった声が、聞こえてきそうな気もします。

 しかし、新しい提案に対して、最初から、やらない理由と理屈をさがすという役所の習性からは、そろそろ卒業する必要がありますし、結果も大切ですが、それ以上に、そこに至るプロセスを大切にするという考え方も、身につけなければいけません。

 これを、四国八十八箇所の遍路道を世界遺産にという取り組みにあてはめてみれば、幾多の難関を乗り越えて世界遺産に登録されれば、それにこしたことはありません。

 しかし、たとえそれが実現できなかったとしても、一つの目標に向けて、四国各県の関係者が手を携えて活動をした実績が、四国の大切な「遺産」として残るはずです。

 さらに、「おもてなしの文化」という、目に見えない精神的な価値を、四国の「文化遺産」として見つめ直そうという活動が進められていることが、折に触れて全国に発信されれば、そのこと自体が、四国のイメージアップにつながると考えればよいのです。

 教育委員会には、こうした考え方を伝えて、今後の対応に活かしてもらうことにしました。 

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がんばれ松坂君(11月1日)

 1日夜、西武ライオンズの松坂投手が、大リーグ入りを目指して開いた会見の様子に、人柄がにじみ出ているように感じました。

 この日、松坂選手は、大リーグへの転身に向けて、記者会見を開いたのですが、その様子を見ていると、言葉遣いの丁寧さが耳に心地よく響きます。

 西武ライオンズの1軍は、長い間、高知県でスプリングキャンプを張っていましたので、知事としてチームの来県を出迎えた時に、松坂選手と顔をあわせたことはありますが、とりたてて言葉を交わしたこともありませんでした。

 その1軍のキャンプが、宮崎に移ってからのことですが、東京のレストランで友人と食事をしていた時、同じ店内に、松坂選手と解説者の江川卓さんがいるのに気づきました。

 しかし、特段親しい間柄でもありませんから、声もかけずにいたのですが、食事を終えて店を出る際に、松坂選手が僕の席まで来てくれて、「高知では、大変お世話になりました」と挨拶をしてくれました。

 これには、こちらが恐縮をしてしまいましたし、その礼儀正しさと律儀さに感心したものでした。

 そう言えば、今の奥様の家を訪ねたことが、スキャンダルとして報じられて、謹慎処分を受けたこともありましたが、立派に添い遂げて、幸せな家庭を築かれているあたりにも、生き方の真面目さや律儀さが、現れているように思います。

 会見の際の、飾り気のない愛らしさと、さわやかで礼儀正しい語り口を聞きながら、そんなことを思い出していました。 
  

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ここでも潮目が(10月31日)

 31日昼過ぎ、高知県を訪れていた、県外の大手木材会社の社長とお話をしましたが、長い間、外材との競争で低迷し続けてきた国産材の世界にも、潮目の変化が出ていることが話題になりました。

 潮の変わり目と言えば、先日、全国の市場で青果や花卉の仲卸しをしている、取引き会社の方々と話をした時に、残留農薬に対する国内での厳しい規制や、中国国内での食糧需要の急増などから、低迷を続けてきた園芸産品をめぐる潮目に、変化の兆しが出ているという話を聞いたばかりでしたが、木材の輸入と国産材の活用の関係にも、変化の兆候が顕著になっていると言います。

 その理由の一つは、野菜と同様、中国国内での木材の需要が伸びた結果、ロシアからのカラマツ材や南洋材など、外国の木材が入りにくくなってきたためですし、それと同時に、国産材の価格が下がり続けた結果、集成材など付加価値の高い製品だけでなく、合板などの分野でも、輸入される外材と比べて、価格的に太刀打ちできるようになってきたという背景もあります。

 そこで、それにしても何故これほどまでに、外材に対する価格競争力がなくなっていたのかを尋ねてみますと、この社長さんは、木材の価格が高かった時代には、こみいった流通の体系など、昔ながらの高コストの構造を抱えたままでもやっていけたため、業界の中に、生産性の向上を目指す動きがほとんど芽生えなかったことを、大きな理由に挙げました。

 ちなみに、この社長さんによると、1960年から現在までの間に、欧米では、木材生産にかかる生産性が、20倍にも伸びているのに対して、わが国では、この間に1.6倍しか、生産性が伸びていないのだそうです。

 どこか、アリとキリギリスの寓話を思い出すような話ですが、国産材の価格が下がって、価格競争力が増してきた分、それにあわせて、生産や流通のシステムを、いかに素早く整備していくか、業界をあげての対応が急がれています。

 とはいえ、まだまだ、業界内で調整をしなくてはいけない課題が残っていますし、法律制度の面でも、燃料として有効に使える木の皮などを、産業廃棄物の扱いにすることで、国産材の生産に余分なコストを転嫁している、といった課題が残されています。

 また、木材を燃料に活用すると言えば、農業の分野でも、原油価格の高騰に伴って、生産者からは、ハウスの中を暖めるための燃料として、木質ペレットを使ったボイラーの研究を進めてほしいという要望が、知事宛てにも寄せられています。

 ところが、この社長さんが農業団体を訪れて、木質バイオマスの説明をしたところ、「うちは、全国組織から油を買っているので」といった答えが返ってきたということで、問題意識のちぐはぐさも払拭できていないようです。

 しかし、この企業でも、潮目の変化をきっかけに、高知県内への進出に意欲を示してくれていますので、こうした潮の変わり目を、いかにして関係者の実感に変えていくか、行政の側の力が、この分野でも問われています。

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言わぬが花(10月30日)

 30日は、霞ヶ関に陳情に出かけたついでに、東京で何人かの知人と会いましたが、期せずして、自民党幹部の核保有をめぐる発言が話題になりました。

 午前中にお会いした方は、日本のこれからを考えるにあたっては、戦略をたてる必要があると言われた上で、考えるべき戦略的な課題として、地球の人口が急増する中での、食糧や水に関する問題と、ODAを使った東南アジア諸国との関係づくりに続いて、核への対応を挙げられていました。

 といっても、核保有に向けての議論を歓迎してという立場ではなく、むしろ、世論の流れが、国家主義的な方向に大きく舵を切ろうとしていることに、危惧を持たれていました。

 ただ、アメリカが、沖縄などの基地を手放さない背景には、日本が核を持つことへの不安があると指摘をされた上で、この議論を仕掛ける人が出てきても、それ自体は不思議ではないとの考え方を示されていました。

 これに対して、午後お目にかかった方は、わが国が核を保有するかどうかといった問題は、そのままほおっておけばいい、「言わぬが花」のテーマなので、議論だけならといって口に出すことさえ、国のためにはならないという受けとめです。

 その理由を尋ねると、「日本には十分な量のプルトニウムがあって、やろうと思えば、90日間で核を作れる技術があるし、すでに20年余り前に、トリガーと呼ばれる、起爆装置の研究もすませている」と言います。

 「さらに、それを載せて打ち出すためのロケットもあるから、国際的にはドイツと同様、いつでも核を作れる、潜在的な核保有国と位置づけられている。これだけでも十分な抑止力になっているのに、どう頑張っても数発しか核を作れない国が、核実験をしたからといって、あわてて、わが国でも核保有の論議をなどと言い出すのは馬鹿げている」と、話は続きます。

 では、そういう議論が日本で始まったら、どんな反応が予想されるのかと聞くと、アメリカ・イギリス・フランスが手を組んで、日本からプルトニウムを取りあげようとするだろうとの答えでした。

 そもそも、日本に認められているプルトニウムの抽出法は、共沈法といって、プルトニウムとウラニウムとが共に沈み込むため、純度の高いプルトニウムはとれない方式なのだそうですが、それもこれも、日本の核保有を恐れる国際的な深謀遠慮だと言います。

 だから、日本は粛々と、使用済みの核燃料を貯めておくだけで、核兵器など持たなくても十分な抑止効果を持てるというのが、この方の結論でしたが、自民党幹部の発言のおかげで、いい勉強が出来ました。

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ホテルの魅力(10月29日)

 29日は、大阪のホテルで開かれた、高知県人会近畿連合会の総会に出席しましたが、会場となったホテルの魅力のためか、例年を上回る多くの参加者がありました。

 ご予算の都合もあってか、例年の総会は、どちらかと言えば中堅ランクのホテルが使われていましたが、今年は会長さんが力を入れられて、一流ホテルの宴会場が会場になりました。

 また、お料理も、高知県人会と言えば鰹のタタキといった、ワンパターンから抜け出して、ビュッフェスタイルのフレンチが用意されていましたが、酢の物など高知の料理にはよく使われる、「リュウキュウ」という呼び名の芋の茎が、デザートに化けるといった工夫もされていました。

 会長に伺うと、このホテルで開くなら一度行ってみようと、例年総会に顔を出さなかった会員も、かなり参加されたということで、確かに、いつもより多くの参加者で広い会場が埋まっていました。

 県人会の活動は、どの地域でも、参加する会員の固定化が大きな課題ですが、総会の会場一つとっても、従来の殻を破ることで、ずいぶん雰囲気が変わるものだと思いました。

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未履修問題仮想座談会(10月28日)

 28日は、明日大阪で開かれる、高知県人会の総会に備えて、兵庫県内の宿に泊まりましたが、少し余裕の時間がありましたので、最近、全国の高校で話題になっている、必修科目の未履修の問題を、高校生による仮想の座談会方式で考えてみました。

 A君
 「今さら、必修科目を履修していないから、何十時間も補習をしろと言われたって、受験の本番を目の前にしてたまんないよね。悪いのは、学校や先生たちなんだから」

 Bさん
 「でもさ、ちゃんと必修科目の授業を受けた私たちは、その分、受験用の勉強の時間が少なかったんだから、このままじゃ不公平だよね」

 C君
 「それもそうだけど、俺たちの学年から始まった話じゃないとすれば、必修科目を受けないまま卒業した先輩たちが、必修を履修したことにして作った学校の書類は、明らかに偽造だよね。しかも、わかっていてやっていたんだから、何かの法律に触れるんじゃないの。どうして、誰もそのことを言わないんだろう」

 Bさん
 「法律って言えば、そもそも指導要領も、何か法律で決まってるんでしょ。それなのに、必修科目を受けなくてもお咎めなしなんておかしいし、もしそれでいいのなら、そもそも、指導要領なんていらないじゃないの」

 C君
 「そうだよな、君が代の時は、法律で決まってるんだから、歌わなければ処分だっていって脅かしてるくせに、肝心の授業に関することでは、決められたことをやってなくても、処分も何もないっていうのは、ご都合主義でよくわかんないよな」

 A君
 「でも、必修の課目が本当に必要な科目なら、せめて国公立の大学くらいは、入試科目を減らさずに、必修の科目全部を試験科目にすべきだよ。そうじゃなきゃ、入試に必要のない科目なんて、誰もやりゃあしないよ。それにしても、この時期の補習はたまらないよお」

 Bさん
 「何言ってんのよ、どうせ補習ったって、誰も監視してるわけじゃないんだから、必修科目の補習のふりをして、受験用の自習をしてたって、わかりゃしないじゃないの。私は、補習なんて、ぜ〜んぜん信用しないもんね。結局は、必修科目を受けてた私たちが、受験で割を食うだけよ」

 そばで話を聞いていた近所のおばさん
 「あんたたち、損だ得だって、受験のことばっかり考えてちゃ駄目よ。今は、受験科目の授業を多く受けたA君が得に見えても、長い人生の中じゃあ、世界史を全然知らないA君より、Bさんの方が、うんと得をすることがあるかもわかんないのよ。人生に無駄はないんだからね、過ぎたことを、いつまでもぐずぐず言わないの。さもないと、ええかっこしいの政治家のおんちゃんに、いいように利用されるだけだよ」

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まごころは体で示せ(10月27日)

 27日午後、産業技術委員会との政策協議で、自動車産業に関連した技術支援の話が出たついでに、資金の面で誠意を示すのもいいけれど、例えば、大手の企業からしかるべき幹部が来県する時には、県の幹部が率先して出迎えるといったように、体で誠意を示すのも一つの手法ではないかと提案をしました。

 地理的に不利な条件にあって、物流のコストがかかることなどから、物づくりの基盤が弱い本県では、これまで、自動車産業との関わりは決して深くはありませんでしたが、ここ数年、木製ハンドルの製造を通じて、次第に自動車との関わりも出てきました。

 これに次いで、今度は自動車のハンドルに模様をつけるための、全く新しい転写技術が県内で開発されたため、この技術をてこに、自動車産業との関係がさらに深まることが期待されています。

 このため、限られた厳しい予算の中ではあっても、こうした自動車関連の技術支援には、重点的な配慮をしていきたいというのが、この日の協議の主題でしたが、説明を聞いていると、ハンドルデザインの転写技術に関連して、近く、トヨタ系列のハンドル関連会社の経営陣が、高知を訪問される予定だと言います。

 そこで、さらなる技術開発に向けて、財政面な支援の重点化も大切だが、それだけでなく、県外からしかるべき幹部が来県する時には、県の幹部が率先してお迎えをして要請を聞くといった、体を使った誠意の示し方も、検討してみてはどうかと投げかけました。

 その結果、このトヨタ系列の企業の方々を、早速知事室にお招きすることにしましたが、こんなことも、予算の厳しい時期の知恵の一つかと思います。

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2006/11/06

つながりを活かす(10月26日)

 26日朝、先週の土曜日に四万十町でお会いした、コクヨの幹部の方からいただいた、カルテの保存に関するメールにお答えをしましたが、森の再生をテーマにしたご縁が、別の面にも活かせそうです。

 文房具や事務機器のメーカーとしてしられるコクヨでは、四万十川沿いにある旧大正町、現在の四万十町の森林を、「コクヨ四万十結の森(ゆいのもり)」と名づけて、間伐の推進や地域との交流に努めてくれることになりました。
   
 その「結の森」の誕生祭が、先週の土曜日に現地で開かれた際に、式典に参加されていたコクヨの幹部から、カルテの保存法についての質問を受けました。

 というのも、「結の森」の締結に至る前に、コクヨの関係者とお話をした際に、森林の保全や再生に関する話題とは別に、C型肝炎に関するカルテの保存のことを話題にしたからです。

 その背景には、C型肝炎の患者が起こしていた裁判で、国や製薬会社の責任が認められたのを受けて、弁護団や患者の方々から、今後の証拠保全のために、県立病院に残されている患者のカルテを、長期に保存してほしいとの要望を受けたという事情がありました。

 これに対して、県の病院局では、できる範囲での対応を考えていますし、民間の病院にも県から要請をしていくことにしていますが、膨大な量のカルテを保存するとなると、スペース的にもコストの面でも、大きな課題が出てきます。

 このため、個人の情報に対するセキュリティーも含めて、書類管理の専門家であるコクヨに対して、「結の森」でのご縁を活かして、少し相談に乗ってもらえないかと投げかけたのです。

 これを受けて、四万十町での式典の席で、懇談をした幹部の方から、担当者と会って、もう少し具体的な話を聞きたいとのメールが届きましたので、この日、お返事のメールを出しました。

 結果がどうなるかはわかりませんが、森の再生をきっかけにしたご縁が、こうした形で広がっていくことは、悪いことではないと考えています。

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出張知事室を終えて(10月25日)

 25日で、県西部の幡多地区と東部地区とで開催した、それぞれ3日間の出張知事室を終えましたが、この間に、実に数多くの課題を受けとめましたので、これを具体的な仕事にどう活かしていくか、相当重い宿題をもらった気がします。

 「高知市にある県庁の中で仕事をするだけが、知事の務めではないでしょう。たまには郡部に出て、出張知事室を開いてみませんか」

 そんな職員の誘いに応じて、民生委員・児童委員のブロック別研修会への出席とあわせて、今月10日から12日までの3日間は県西部の四万十市で、また、23日から25日までの3日間は、県東部の安芸市と室戸市で、それぞれ出張知事室を開催しました。

 その中では、民生委員・児童委員のブロック別の研修会以外にも、「子供たちを取り巻く環境」、「子育て支援の文化活動」、「障害者自立支援法」、「生活保護」、「独り暮らしの高齢者」、「地域おこし」、「環境保全型農業」、「ヘルスメイト」、「社会資本整備の優先順位」、「南海地震など災害時の県の機関の対応」、「若手職員の声」、「経営品質向上の取り組み」と、実に幅広い分野の課題をテーマに、関係者の話を聞きながら意見交換をしました。

 正直なところ、ものすごくくたびれましたが、県庁での仕事では得られないような、多くのことを学び、また考えることが出来ました。

 障害者自立支援法への対応や、子供たちを取り巻く課題への対応など、意見交換の中で、検討すべき項目に具体的に触れたケースもありますので、今後どうやってその答えを出していくのか、かなり重い宿題をもらいました。

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制度を守るためにも(10月24日)

 24日午前、東部地区での出張知事室の一環で、生活保護を担当している職員と懇談をしましたが、話を聞いているうちに、制度を守っていくためにも、思い切った見直しが求められていると感じました。

 まずは、それぞれの職員から、処遇困難な案件の説明を受けましたが、その一つは、20年余り前から生活保護を受けている、70歳代前半のご夫婦のケースです。

 このご夫婦の場合、かかりつけの病院に行くには、一時間に何本も走っていないバスを乗り継がないといけないため、頻繁にタクシーを使います。

 このように、通院にタクシーを使う場合には、制度上は主治医の判断が必要ですが、このご夫婦に対する主治医の判断は、「いつもタクシーを使わなければいけない状況ではない。バスでも通院できる」というものでした。

 ところが、実際には毎日のようにタクシーを使うため、毎月14万円位の請求が、タクシー会社から福祉保健所に回ってきます。

 その点を指導すると、かえって、タクシーを利用する頻度が高くなりますし、血圧が高いというので数値を尋ねると、「そんなことは医者に聞け」、「死んだらどうする、一筆かけ」と、ケースワークの担当者に詰め寄るありさまです。

 次は、暴力団とも関わりのある30代の男性の事例で、大阪で起こした覚せい剤事件で服役をした後、高知と大阪とを行き来しているため、居住の実態がないことを理由に保護を打ちきりました。

 すると、繰り返し電話をかけてきて、「服役中に車の免許が切れたので、免許をとるのに必要な費用を出せ」とか、「マンションの代金を出せ」、「医療費を出せ」などと、声高に要求を繰り返します。

 同様に、覚せい剤事件で5回の逮捕歴をもつ50代の男性の場合は、質問に対して「できると思う」と答えた後で、出来ないとわかったりすると、取り返しがきかなくなるため、担当者は、警察のOBに同行してもらっています。

 こうしたことから、毎日、仕事への達成感よりも、今日も何事もなかったという安堵感の方が先に立つという、担当の職員の言葉が重く胸に響きました。

 一方、30代の初めから障害年金を受けているという、50歳代の女性は、年金を担保に借金をして、生活保護を受けているため、生活費をまとめては支給せずに、小分けにして渡しています。

 ただ、問題はこれだけではなく、この家のハイティーンの娘さんは、生まれた時から生活保護のもとで育っているため、親が仕事をする姿を見たことがありません。

 このため、高校生にあたる年代で、妊娠をして子供を産むという生活で、担当の職員は、生活保護の世代間の継承を止められないことに、もどかしさを感じていました。

 こうした事例の報告を聞いていますと、職員の能力の使い方としても、大いなる疑問を感じますし、一件ごとのケースに潜む問題点に、社会の関心が向けられ始めた時には、財政的な負担を地方につけ回していこうとする国に、いいように利用される危険があるとも感じました。

 というのも、生活保護制度の中での地方の負担を増やそうと、国が画策を続けている現状の中で、地方がこうしたケースをそのままにしていると、「だから、それならうちも生活保護を受けようと、安易に受給に走る傾向が助長されるのだ」と指摘をされた時に、的確に反論することは難しいと思うからです。

 ですから、地域の実態を最もよく知っているはずの町村が、県に丸投げをする現状でいいのか、また、高齢者がふえたことによる受給者の増加分を、社会福祉協議会に受け持ってもらうようにしてはどうか、さらには、プライバシーとの折り合いはあっても、もっと個別の情報を公開することが、全体の公益性につながるのではないかといった、制度の見直しに関わる数々の声を、真剣に、それも早急に検討すべき時だと感じました。

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解放運動を蝕むもの(10月23日)

 23日朝、出張知事室を開催するため、県の東部地区に向かう車の中で、奈良市役所で起きた、職員の不祥事に関する記事を読んでいて、部落解放運動の抱える弱さを思い起こしていました。

 この奈良市の職員は、病気を理由に、5年余りの間に、8日しか出勤していなかったにもかかわらず、給料を支給されていたことがわかって問題になりましたが、その後、この職員が、部落解放同盟奈良市支部の役員として、役所は欠勤をしながら、同盟と市役所との交渉には、何度も出席していたことが明るみに出ました。

 この一連の報道を見ていて、大阪市の同和行政の事例も含めて、未だに、こんな形でしか、部落解放同盟との関わりをもてない役所があるのかと、あきれる思いがしました。

 と同時に、部落解放同盟の組織の中に、これまた未だに、こうした手合いの同盟員を整理できない体質が残っていることを、とても残念に思いました。

 というのも、NHKの記者時代から、部落解放の運動とは長い関わりを持ってきましたし、その中で、差別との闘いに真摯に取り組んできた、数多くの人たちを見てきたからです。

 ただ、当時から、純粋な解放運動とは縁遠い、利権的な体質を持つ人たちが、運動体の力を利用して甘い汁を吸おうとする傾向が、組織の中に内在していたのも事実でした。

 しかし、そうした組織の抱える問題点に、部落解放同盟が正面から立ち向かっていたかと言えば、決してそうとは言えません。

 これは、同盟内の問題とは少し質を異にしますが、僕がNHKの記者として、部落解放同盟とマスコミ各社との懇話会の幹事をしていた時に、「エセ同和」と言われる活動が問題になったことがありました。

 「エセ同和」というのは、、同和地区の関係者でもないのに、そうであるかのように装って、人権問題らしきことを口実に、行政や企業の弱味をついて、脅したりすかしたりといった行為をするやからのことですが、当時、同盟の幹部の話しぶりの中には、「エセ同和」の報道をすることそのものが、差別の助長につながるといった考え方がありました。

 その理由は、「エセ」であっても、「同和」という名前が出ることで、「同和は恐い」といった誤解を呼ぶことになるというものでしたが、それとともに、そもそも、行政や企業の中にある、主体性を失った事なかれ主義が、こうした問題を引き起こす背景にあるとの主張もありました。

 しかし、こうした考え方を聞いていて、確かに行政や企業の側にも問題はあるだろうが、「エセ」の活動に対しては、同盟としても決然と闘うべきではないかと思いました。

 そう感じたのは、何も僕だけではなく、当時、マスコミ人ではこの道の第一人者だった、朝日新聞の編集委員が、この問題で、同盟の幹部とかなり激しく論争していたのを覚えています。

 それとともに、今考えてみると、「エセ同和」に対して強く対応できなかった背景には、同盟の運動の生命線とされていた、「糾弾」の正当性を守らなければいけないとの思いが、隠されていたのではないかとも感じます。

 というのも、「エセ同和」の力の背景にも、糾弾的な行動があったことは間違いありませんので、エセであれ、その問題点が取りあげられることで、糾弾行動の正当性に傷がつくことを、恐れていたと考えられるからです。

 とはいえ、僕もその当時は、「糾弾は、相手を言葉で攻撃して屈服させるためのものではなく、差別をした人に、差別に気づいてもらうためにある」という考え方を、十分に理解していましたし、今も、そうした本来の糾弾の意義を否定はしません。

 しかし、現実のやりとりの中では、相手に差別を気づいてもらうためといった本来の目的と、相手を言葉で畏怖させることとの間に、明確な区別は出来ませんし、そうした場を、自分たちの主張を通すための、道具に使ってきた同盟員がいたことも事実です。

 ですから、「糾弾」的な色彩を引きずった、交渉の持ち方を改めることで、そうした活動の中に巣くう、獅子身中の虫を追い出すことが、解放運動に求められていることだと思います。

 それが出来なければ、こうした虫たちに、解放運動の歴史そのものが蝕まれていくことでしょう。

 あわせて、奈良市役所に見られるような、行政としての主体性を失った判断も、解放運動にとっては、目に見えない大きな敵なのかもしれません。

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山寺の和尚さん(10月22日)

 22日は午前中から、県東部の旧夜須町の山間の集落で、芋掘りなどの体験をしましたが、帰りがけに、その地区にある、行基が開いたという古い山寺を訪ねました。

 ここは、旧夜須町の羽尾という地区ですが、廃校になった小学校の跡地に建てたログハウスを使って、地域のグループが喫茶店や宿泊施設を開いています。

 合併前の旧役場から、山道を車で30分余りも上った所にある集落ですので、ここに毎月150人も、コーヒーを飲みに来る人がいると聞いて、ちょっと驚きましたが、さらにこの奥に、奈良時代に行基が開いた言われる、長谷寺という山寺があると言います。

 そこで、帰りがけにお寺を訪ねてみますと、山門で和尚さんが出迎えてくれました。

 それ程のお年には見えない和尚さんに、いくつか質問をしてみますと、出身は静岡県で、福井県の小浜市で修行をしたと言います。

 さらに、3年前にこの寺の住職として、1人高知に越してきたとのことでしたが、こんな山奥でも、森が荒れたために、少し雨が降らないと井戸の水が枯れると嘆いていました。

 せっかく来たのだからと、本堂でお経をあげて下さいましたが、こういう人生もあるのだなと感心をしながら、手を合わせて読経の声を聞いていました。

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松枯れの理由(10月21日)

 21日午後、県内の町長さんとの話の中で、最近再び松枯れが進み始めた背景に、農業と関係したある理由があることを知りました。

 松枯れに関しては、今月初めに、県の東部地域の方から、今年は海岸ぶちでの松枯れが目立つが、他の地域からも、同じような報告が上がっていないかとの問い合わせがありました。

 しかし、この問い合わせ以外には、特段松枯れの話も耳にしませんでしたので、しばらく忘れていたのですが、この日、県中部の町の町長さんと話しているうちに、最近この町の海岸線で、松枯れ対策に悩んでいるという話になりました。

 聞いてみますと、その理由は、松枯れを防ぐための薬を、これまでは屋外で散布できたのに、最近はそれが出来なくなったからでしたか、その背景には、ポジティブリストといって、国内で流通する野菜や果物に残留する農薬の量が、厳しく制限されるようになったことがありました。

 というのも、周辺に野菜作りの農家がある場合、屋外で松枯れ防止の薬をまくと、空気中に飛び散った薬が、野菜の葉っぱなどについてしまう危険があるからです。 

 このため、こうした地区では、松の木に直接薬を注射するしかないのですが、屋外での散布と比べてコストがかかるため、財政難の中で苦慮しているというのが、この町長さんの話でした。

 早速、県庁に持ち帰って、関係の部局と協議することをお約束しましたが、海岸線の松林の保全も環境問題なら、野菜の残留農薬も環境問題ですので、これもまた、あちら立てればこちら立たずの一例かと思いました。

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試金石になるか(10月20日)

 20日午後、公営企業金融公庫の総裁が、知事室を訪ねて下さいましたが、公庫が廃止された後の態勢づくりで、地方がどこまで主体性を発揮できるかが話題になりました。

 この公庫は、地方自治体に対して、上下水道をはじめ、道路整備や交通、病院、さらには、介護サービスなど、様々な事業にかかる経費を貸し付ける機関ですが、政府の行政改革の一環として、すでに廃止が決まっています。

 とは言え、公庫が果たしている機能は、地方が各種の事業を進めるために今後も必要ですので、公庫がなくなった後は、地方自治体が基金を出しあって、新しい機関を運営していくことになっています。

 ただ、その際に、将来の金利の変動に備えて、これまで公庫が積み立ててきた基金2兆6000億円を、そのまま地方が運営する機関に移すのか、それとも、国が召し上げるかでせめぎ合いが続いています。

 その問題が解決したとすると、次に出る課題は、貸し出しの態勢づくりで、まずは融資業務の実務家を、民間から確保する必要があります。

 また、それ以上に大切なのが融資枠の配分で、ひと言に地方と言っても、大都市部から小さな自治体に至るまで、それぞれに事情も思惑も異なりますので、そうした「地方」が一枚にまとまって、主体的に融資の配分を決定できかどうかが大きな課題になります。

 ただ、それが出来るとすれば、国の役所が地方交付税を配分する、現在の仕組みに変わって、地方団体が共同で、地方の財源を配分する仕組みも作れるわけですから、この公庫を引き継ぐ態勢づくりは、地方分権に向けての一つの試金石になるのではと、総裁との間で話がはずみました。

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ダ・ヴィンチの意匠(10月19日)

 19日午前、全日本空輸と県内の梼原町との間で結ばれた、「協働の森」の締結に立ち会いましたが、その説明資料の中にあったマークのデザインから、レオナルド・ダ・ヴィンチと全日空との関係を初めて知りました。

 「協働の森」は、手入れの行き届いていない、県内の森林の間伐などを、企業の協力を得て進めようという事業で、この日の全日本空輸との締結で6社目になります。

 また、これとあわせて全日空では、11月11日の羽田発高知行きの飛行機の機内で、スカイビジョンを通じて地球の環境を考えようという、「エコ・フライト」を実施しますが、その案内についていた、風が巻き上がるようなイメージのデザインが気になりましたので、その由来を尋ねてみました。

 すると、このデザインは、らせん状の羽を高速で廻すことで空を飛べると考えた、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた、ヘリコプターの原型とも言えるデザインで、日本ヘリコプターという、全日空の前身にあたる会社が、このデザインをマークに使っていたというのです。

 さらに調べてみますと、このヘリコプターのデザインがもとになって、ダ・ヴィンチの誕生日の4月15日が、「ヘリコプターの日」になっていることもわかりました。

 といったわけで、「協働の森」の事業のおかげで、またいくつか雑学が身につきました。 

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