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2007年1月

2007/01/22

父から贈られた言葉(1月21日)

 21日午後、知事公邸の本棚で、14歳の誕生祝いに、両親から贈られた本を見つけて、見開きに書かれた父の言葉を、懐かしく読み返しました。

 これは、カール・ヒルティという、父が生涯尊敬していたスイスの哲学者の伝記で、14歳の誕生日のお祝いに、両親から贈られたものでした。

 表紙を開けると見開きの部分に、「昭和三十六年一月十二日、大二郎様、満十四歳の誕生日をお祝いします」で始まる、父からの贈る言葉が、万年筆の細かい字で書き込まれています。

 「甘えたければ甘えてもよいけれど、お父さんもお母さんも、大二郎はこれでもう、大人になったんだと思っています」といった前振りに続いて、父が高校時代に、ヒルティの思想と哲学に出会った経緯が綴られています。

 「私が、何よりもヒルティを尊敬するのは、彼が、この難しい少しも思うようにならない現世において、いかなる時にも、少しもニヒリスティックな気持ちを見せなかったことです」という言葉からも、父のヒルティへの思いが伝わります。

 カール・ヒルティは、ベルン大学の学長を務めた、学者でもあり教育者でもある人ですが、1890年、57歳の時に、郷土から押されて下院議員になると、現実の政治に嫌悪感を示しながらも、亡くなるまでの約20年間、議員としての職責を果たしたという人物です。

 また、若い学生達には読書の大切さを説いた人で、この伝記の中にも、「人生の半ばまでに、古今東西の文学の名作をすべて読み終えることを、すぐ計画しなければなりません」という、ヒルティが、大学の新入生に語った言葉が紹介されています。

 さらに、父の言葉を読み返す中で、今さらながらすごいと思ったのは、祖父の卯太郎の話でした。

 「死ぬ一両年前から、中国語とフランス語の勉強を始め、肝硬変癌で自分でも死期を自覚し、死ぬ一週間くらい前には、全身黄疸で痛々しいほどお腹に水がたまって、大変苦しかったにもかかわらず、いよいよ意識が不明になるまでは、ラジオのテキストを手にしてスイッチをいれて、苦痛に顔をゆがめながら放送を聞いて、勉強を続けました」とあります。

 「大二郎も沢山の書物を読んで下さい。個人として生活するためにも、世のため国のため奉仕するためにも、学問は大切です、思想は大切です、理想は大切です」という父の言葉を、どれだけ守って来られたかと思うと、父に対して申し訳ない気がしました。

 父からの贈る言葉の最後は、「大二郎が、これから四十一年たって、お父さんの今の年と同じになって読んだら、また違った感じがするでせう」と、締めくくられています。 

 ちょうど、10日近く前に、60歳の還暦を迎えたばかりで、父の言う41年後を5年過ぎていますが、今この本が出てきたということは、もう一度勉強を始めろという、父の教えだと受けとめました。

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笑う能力(1月20日)

 20日夜、県内の臨床検査技師会の、新年の会に出席しましたが、会の冒頭に、会員の一人が朗読をした詩が印象に残りました。

 それは、茨木のり子さんの「笑う能力」という詩ですが、「先生お元気ですか、我が家の姉もそろそろ色づいてまいりました」という書き出しからして、なかなかユニークです。

 よその家の「姉」さんが色づいたとしても、俺の知ったことか思った手紙の受け手が、「柿」の字の書き間違いと気づくのに、何秒くらいかかったことかというのが、一節目の落ちですが、同様の小話タッチの詩が続きます。

 良いなあと思ったのは、終わり近くの一節で、深夜に一人で声をたてて笑うと、われながら鬼気迫るものがあるけれど、そんな時に、もう一人の私が耳もとで囁くという話の流れです。

 囁きの内容は、「よろしい、お前にはまだ笑う能力が残っている。乏しい能力のひとつとして、いまわのきわまで保つように」というもので、その囁きを受けて筆者が、「はィ、出来ますれば」と答えます。

 良いなあと感じたのは、いまわのきわまで笑う力を保つという考え方で、少しでも、それに近づければなあと思いました。

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公定歩合据え置き(1月19日)

 19日午後、県東部の田野町と室戸市で開かれた集まりで、このところマスコミを賑わせている、公定歩合のことを話題にしてみました。

 それは、中央で下される政策判断が、自分たちの暮らしにどう関わってくるかを、みんなに考えてほしいと思ったからですが、公定歩合の据え置きによって利子が増えないことは、住宅ローンなどの借金をしている人には、吉報かもしれません。

 しかし、年金で暮らしているお年寄りにとっては、決して喜ばしいことではないはずだと、お話しをしました。

 その背景には、この夏の参議院選挙を前に、公定歩合を引き上げることで、景気に悪い影響を与えたくないという、政府与党の判断が働いたと言われますが、政府と日銀との間の力関係の真相はともかく、大企業の収益をさらに増やすことで、やがては、国全体に富がまわるようになるという考え方も、理屈としては成り立たないわけではありません。

 ただ、その理屈が通用するためには、大企業であがった収益が、国全体に流れていくルートが、確保されていないといけません。

 そこで、大企業の収益が流れるルートを考えてみますと、一つは法人としての税金を通じて、そして、もう一つは、取引先の企業への発注や、賃金としての従業員への配分です。

 このうち、大企業からの発注は、確かに経済を拡大する効果をもたらしますが、従業員には、正規雇用ではない社員が増えていますから、所得分配による、確実な個人消費の拡大にはつながっていません。

 一方。大企業などからの税収を、そうした恩恵を受けにくい地方に、配分する役割を持っていたのが地方交付税でしたが、三位一体の改革によって、その機能が果たせないまでになっています。

 つまり、企業収益が国民に還元されるパイプが、いずれも目詰まりを起こしている現状で、大企業の収益をさらに伸ばそうとした時に、国民の暮らしがどんな影響を受けるかを、一人一人が自分の問題として考えてみようというのが、この日言いたいことでした。

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ニート対策の売り(1月18日)

 18日午前、教育委員会と雇用対策の担当者から、県が来年度から始めるニート対策の、セールスポイントについて説明を受けました。

 ニート対策は、これまで全国でも、色々な形で取り組まれていますが、主には、ハローワーク的な職業斡旋と、そのための職業訓練が中心になっています。

 ところが、ニートの原因にもなる引きこもりの若者は、その半数が、不登校を経験しているとの統計がありますので、学校との連携なしにニート対策の店開きをしても、待ちの姿勢に終始せざるを得ません。

 また、ニートの就職を支援するセンターに、よしんば、ニートの人が足を運んだとしても、長い間引きこもっていたために、例えば、コンビニで買い物をする仕方がわからないとか、映画館に入ることが出来ないなど、社会性の欠如という点で、職業訓練以前の問題を抱えています。

 このため、ニートを対象に、来年から高知県が始めるサポートセンターは、労働政策や雇用担当の部門ではなく、教育委員会の生涯学習課が担当することになりました。

 これによって、 不登校になって、心の教育センターという教育委員会の施設に相談をしたことのある、児童生徒の個人情報をきちんと管理しながら、その後の生活を、追跡できるようになりますので、ニートに対する、より積極的な対応が可能になります。

 また、ハローワーク的な手法では手に負えない、社会性を補うためのトレーニングも、担えることになります。

 もちろん、雇用対策の担当部門も連携をしていきますが、もともとは、労働政策の一環として打ち出された厚生労働省の事業を、教育委員会が受けることで、中学や高校との連携など、これまでのニート対策にあったギャップを埋めることができれば、縦割りの事業を横につなぐ、モデルの一つになるのではと期待をしました。

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ペコちゃんの心境は(1月17日)

 17日夜、洋菓子メーカーの不二家の、相次ぐ不祥事を伝えるニュースを見ながら、子供の頃、不二家の店頭で見かけた、ペコちゃんの顔を思い出していました。

 東京生まれの僕にとって、銀座の不二家は、洋菓子屋というよりは、ハンバーグやチョコレートパフェの食べられる店として、今も記憶の中から離れない、懐かしのスポットの一つです。

 特に、幼稚園から小学校に通っていた頃、昭和にすれば、20年代の後半から30年代の前半にかけての時代、銀座で家族で食事の出来る場所は、デパートの食堂を除けば、オリンピックというレストランか、不二家くらいしかありませんでした。

 ですから、不二家でハンバーグともなれば、子供にとってはビックイベントで、入りがけには、店頭で出迎えてくれるペコちゃんの頭を、いとおしく撫でたものですし、帰りがけにはお土産に、「ミルキー」というミルクキャンディーを買うのが、これまた定番になっていました。

 不二家をめぐる、今回の一連の不祥事に対しては、規則を遵守することの大切さはもちろんのこと、何かが起きた時の、リスク管理の在り方など、様々な切り口がありますし、組織を預かるものとして、教訓にしなくてはいけないことが山ほどあります。

 しかし、個人的には、そんな社会的な分析よりも、子供の頃の思い出とダブったペコちゃんの映像が、何よりも寂しさを誘いました。

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トイレも媒体(1月16日)

 16日午前、家庭内での配偶者からの暴力、いわゆるDVへの対策について、担当者から説明を受けましたが、この手の情報を伝える場としての、トイレの効用を聞いてなるほどと感じました。

 担当者の話では、去年、広報に工夫を凝らしたところ、DVに対する、女性相談所への相談や保護施設の利用が、急にふえたということでしたので、どんな広報をしたのかと尋ねてみました。

 すると、その一つは、県の広報紙に載せる時に、従来の役所型の文章をやめて、読む人が共感できるような、呼びかけ調にしたとのことでしたので、それは、他の事業の広報にも大切なことだと思いました。

 なるほどと感心したのは、量販店に協力を依頼したという、もう一つの広報の手法で、DVに関する相談窓口の、電話番号の部分だけを切り取れるようにしたチラシを、女性用のトイレに置いてもらったと言うのです。

 それは、トイレで用を足す時、丁度目線があたる壁に棚を作って、そこに、先程のチラシを置くというやり方で、こうすれば、誰にも見られることなく、その番号だけを切り取っていけるため、これが、相談が急増するきっかけになったと言います。

 考えてみれば、女性用のトイレの中ほど、プライバシーの保護が徹底できる場所はありませんので、トイレのボックスを媒体に使う手法は、他にも使い道がありそうだと思いました。

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教育委員会の心配(1月15日)

 15日朝の、県庁の幹部会議で、この10年取り組んできた土佐の教育改革の、これからを議論しましたが、その中では、市町村の教育委員会との関わりが、大きな課題として指摘されました。

 県の教育委員会と市町村の教育委員会との間には、もともと、権力の二重構造的な問題点がありますが、高知県にとっては、別の問題点もいくつか出てきています。

 その一つは、中核市である高知市に、採用から異動に至るまでの教員の人事が、全て移管されることで、子供を含む人口が、高知市に一極集中している高知県では、新人の採用をするのは高知市だけ、その他の地域を担当する県の教育委員会は、退職者の世話で終わるといった、極めていびつな形になってしまいます。

 このため、高知市との関係では、これまで以上の人事交流が進められないと、人事のいびつさが、教育のいびつさにつながりかねません。

 一方、郡部の町村では、教育長の下で動くスタッフが構えられないなど、人口の規模からいっても、教育委員会として独立して活動することが、困難になっているのではと思える地域があります。

 こうしたことから、国でも、市町村の教育委員会の統廃合が検討されていますが、このことは、法律の改正がなくても、現在の制度の下で可能です。

 ですから、市町村の合併に合わせるだけでなく、子供たちのための視点から、小中学校と並んで、教育委員会の統合も、積極的に考えていく必要があると感じました。

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ひとくちに改革派と言っても(1月14日)

 14日夜、統一地方選挙に絡んだ、マスコミの取材を受ける中で、「改革派の知事」という聞きなれた言葉にも、時の流れに従って、内容に変化があることに気がつきました。

 質問の受け答えをしているうちに、日頃気づいていなかったことが、ふと思い浮かんで、頭の中で整理されるといったことが時々ありますが、この日の気づきもその一つでした。

 それは、いわゆる改革派知事の相次ぐ退場や、こうしたタイプの知事と議会との関係について、質問を受けていた時のことですが、ひとくちに改革派と言っても、この10数年の間に、改革の対象が大きく変化していることに気がついたのです。

 というのも、自分をはじめ、宮城、三重、岩手などに相次いで、改革派と呼ばれる知事が誕生した、1990年代の初めは、県の職員の意識や、官官接待などに使うためにプールされた裏金、さらには、ぬるま湯に浸った公務員の給与制度など、改革の対象は、主に組織内部の問題でしたし、改革を進めるにあたっての武器は、情報公開による行政の透明化でした。

 これに対して、2000年の地方分権一括法の施行以後、特に、小泉政権の下での、三位一体の改革に地方が巻きこまれてからは、改革派の活動の対象が、国と地方との関係を変えていくという、外向きの改革に変化してきました。

 ですから、2000年の秋、つまり地方分権改革がスタートした後に、改革派知事として登場した前の和歌山県知事には、90年代ように、内部改革の荒波にもまれる中で、古くからの仕組みを見直す機会がありませんでした。

 逆に、初当選がそれぞれ、88年、89年と、90年代以前から知事の座にあった、前の岐阜県知事や福島県知事は、90年代の改革が動き出した時には、すでに、古いしきたりに染まらざるを得なかった部分があって、問題を感じながらも、そこから抜け出す機会を失したと見ることもできます。

 こう考えてみると、内向きか外向きかで、改革の対象が異なっているのに、それを一括りにして、改革派と論じようとしているために、話の焦点が、つかみにくくなっているように思えてきました。

 ただ、その中でも内向きの改革は、今なお必要なことですので、知事会としては、公共事業の入札制度の見直しに奔走するだけでなく、これまで表に出ていない県でも、裏金づくりが過去全くなかったのかを、全て明らかにする努力が求められます。

 一方、国と地方の枠組みを変えるという、外向きの改革では、内向きの改革にあたって威力を発揮した、情報公開にあたるような、戦う術や武器を、地方の側は持ちあわせていません。

 このため、この改革では国に押されっぱなしで、地方の間にも、疲労感と徒労感が広がっています。

 特に、改革派としての思いが強ければ強いだけ、疲れがたまって、そろそろ別の人生設計を選択しようかと考える傾向が、強まってきているのではないかと思います。

 ただ、その際に、長く知事を務めることのディメリットを、不出馬の理由に挙げている知事さんには、そのディメリットと、国との戦いが厳しい状況になっている今、改革への思いと実績を積んできた知事が、一線から身を引くことのディメリットと、どちらを重く見ているのかを聞いてみたい気がします。

 出張帰りの夜、自宅で記者の質問を受けながら、そんなことを、あれこれと考えてみました。

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ナイス橋本(1月13日)

 13日朝、テレビを見ていると、2007年トレンド大予想という企画の中に、「ナイス橋本」という同姓の人物が出てきたため、思わず手を止めて見入ってしまいました。

 この日は、見るともなしにテレビをつけたまま、年賀状の返事書きをしていたのですが、番組の中に出てきた、今年のトレンド予想ベストテンというコーナーに目をやると、7位に「ナイス橋本」という名前が出ています。

 同姓ながら、初耳の名前でしたから、どんな人かと思って見ていると、スタジオトークのおじさまタレントの面々も、「プロレスラーかな」、「初めて聞く名前だな」など、僕と同じ反応です。

 答えは、今年30歳の遅咲きのミュージシャンで、ラップ系の曲にのって、詩を語りかけるように歌うのですが、東京のFMが彼の曲を流したところ、「歌っているのは誰?」という問い合わせが殺到して、携帯の着歌としても人気を呼んでいると言います。

 2007年のトレンド予想のベストテンには、この他にも、ヒロットというフィリピン伝統のマッサージや、レタスのしゃぶしゃぶ「レタしゃぶ」など、様々なジャンルのものが顔を出していましたが、全く知らない人ながら、同姓の御仁がトレンド予想に名を連ねていただけで、新年早々、ちょっぴり縁起がいいような気がしました。

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喉もと過ぎれば(1月12日)

 12日午後、有志の知事や市町村長で作る、国と地方の税制を考える会で、出席者から、三位一体の改革による、地方への税源の移譲が一段落した後、再び、補助金などを使って地方を支配しようとする流れが、強まっているとの指摘がありました。

 最初に口火を切ったのは、首都圏のベッドタウンの市長ですが、この市では、放課後の子供たちの居場所づくりを、市の独自の事業として取り組もうとしていました。

 ところが、文部科学省が、全ての自治体を対象に、放課後子供プランという、新しい事業を実施することになったため、以前から厚生労働省が実施している学童保育との関係が、縦割り行政の谷間でややこしいものになっているうえ、市の独自の取り組みにも、規制が働くことになります。

 さらに、この事業は、原則として学校を使うことになっていますが、どうしても学校が使えない時には、他の場所を使うことも「認める」となっているため、問題提起をした市長は、地方分権の考え方が定着している今の時代に、国が「認める」という態度がおこがましいと怒っていました。

 この話を聞いていて、同じく教育に関わることだがと、別の出席者が指摘したのは、教育基本法の改正案に盛り込まれた、教育振興計画のことでした。

 この人は、「愛国心の論議でカモフラージュされてしまったが、この計画づくりを通じて、国が地方を押さえ込んでいこうというのが、文部科学省の一番の狙いではないか」と、強い疑いの目を向けます。

 さらに、頑張る地方応援プログラムの名前で、総務省が、地方交付税の一部を、地方の取り組みを評価するコンテストに、使おうとしていることに対しても、そもそも、国が地方を評価するという考え方が間違っている、との批判が続出しました。

 このように、喉もと過ぎれば何とやらで、地方への税源の移譲が一段落した後、再び、補助金などを使った国の誘導策が、雨後の竹の子のように首をもたげています。

 このため、この会では、こうした三位一体の改革後の傾向をまとめて、改めて問題提起をしようということになりました。

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県民性の違い(1月11日)

 11日午前、知事室を訪問してくれた、ある企業の高知支店の幹部から、仕事を通じて感じる県民性の違いを聞いて、同感してしまいました。

 お話を聞くと、前任地は、九州のある県だと言われますので、数十年前とは言え、同じく九州に勤務した経験をもつ者として、前任地と比べて、県民性の違いを感じませんかと尋ねてみました。

 すると、我が意を得たりとばかりに、「違いますねえ」との答えです。

 そこでさらに、どんな時にその違いを感じるかを聞いてみると、「前任地では、自分のところまでクレームがあがってくることは、ほとんどありませんでしたし、あがってきた時には、かなり難しいトラブルになっていました。ところが高知では、何でもないようなことでもすぐに、責任者を出せという話になります」という答えが返ってきました。

 自分も日頃から、「知事を出せ」とか、「知事の考えを聞きたい」といった声になれているため、お話を聞きながら、これは誰もが感じることなんだなあと、うなずいていました。

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納税者の立場は(1月10日)

 10日夜、政治家の事務所経費をめぐって、文部科学大臣が記者会見を開きましたが、税金を納める側の感覚や常識との、あまりものズレに驚きました。

 これは、事務所の経費として、政治資金収支報告書に記載されていた額が、事務所の賃借料と比べて、余りにも多すぎると指摘された問題で、表に出せないような使い道の費用を、事務所経費という支出項目の中に、潜り込ませているのではないかとの疑いが生じています。

 この日の会見で大臣は、「弁当代とか」という表現で、広い意味での飲食代が含まれていたことを認めていますから、使い道に疑問が残ることは言うまでもありませんが、それ以上に根が深いと思ったのは、国民の受けとめに心を配る感性のなさでした。

 それは何かと言えば、大臣が会見の中で、「領収書のとれないものは、人件費と事務所費でしか処理できない」とか、「政治資金規制法上、開示しない経費になっている」などと発言したうえで、自信あふれる態度で、「別にやましいことはない」と言い切っていることです。

 政治資金という、極めて特殊な世界に慣れている人にとっては、何の疑問も感じないことなのかもしれませんが、同じ領収書に関わることを、税金を支払う国民の立場になって考えてみたらどうでしょう。

 帳簿に記載された多額の支出に関して、税務署から使い道を尋ねられた時に、領収書のとれないものは仕方ないじゃないかと言って、見逃してもらえるはずがありません。

 ですから、たとえ背後に正当な理由があったとしても、こうした場合、納税者は逃げ場がありませんが、こうして国民が納めた税金から、政党交付金を受けている側の政治家は、法律で内容を開示する必要はないからと言って、ルーズな経費の支出が黙認されるのであれば、あまりにも社会常識に反しています。

 もちろん、法律そのものがおかしいと思われますから、個々の政治家だけの責任ではないかもしれませんが、「領収書のとれないものは」などと発言をした時に、納税者がどう受けとめるかと、思いをめぐらす感性や、法律の現状はこうであっても、そこまで言ってはいけないといった、常識に基づいた判断に欠けた態度は、これが、いじめ問題や愛国心を語る人かと、うら寂しさを感じました。

 と同時に、自分も政治家の一員ですので、そうした感覚のズレが起きないように、自戒をしないといけないと改めて思いました。

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あれ、風向きが(1月9日)

 9日朝、全国紙の社説に出ていた、教育改革に関する記事を読んでいて、ちょっとした、風向きの変化を感じました。

 変化というのは、安倍政権に対するスタンスに関わることですが、全国紙を読み比べてみると、それぞれの立場は、かなり鮮明になっています。

 その中で、読売新聞は、安倍さんに対して優しい論調と見受けられますが、この日の紙面を見ていて、あれっと思うことがありました。

 それは、安倍さんの目指す、教育改革に関する社説でしたが、これまで読売新聞の社説は、教育基本法の改正をめぐって、愛国心の扱いが議論された時にも、野党側の主張を批判することで、安倍さんの姿勢を後押ししていました。

 ですから、現在、安倍さんが力を入れて取り組んでいる、教育再生会議に関する記事も、全面的に、フォローの風を吹かせる論調かと思いました。

 ところが、この日の社説を見ると、文部科学省や中央教育審議会の路線を出ていないのでは、との投げかけとともに、教育に行き過ぎた市場原理を導入することに、明確に反対の姿勢を示していました。

 その論旨は、学校や子ども同士が、適度に競い合うことは必要だが、過度の市場原理の導入は、教育の本質を混乱させかねないという、至極もっともなものでした。

 このうち、文部科学省による官製の改革に、取り込まれているのではないかとの投げかけは、そうならないように頑張ってほしいと、安倍さんを励ます内容とも読みとれます。 

 しかし、市場原理の導入に関して言えば、経済的な規制緩和と同様の手法を、教育の世界にも持ち込もうという考え方は、安倍さん自身のものだと受けとめていましたので、そうであれば、安倍政権に対する風向きが、少し変わってきたのかなと感じました。

 もちろん、単なる思い過ごしかもしれませんが、この後に続く、憲法9条の改正をめぐっても、自民党内の改憲派と読売新聞との間には、考え方に違いがあると言われますので、今後とも、論調の風向きを見ていきたいと思いました。

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新老人恐るべし(1月8日)

 8日午後、「新老人の会」四国支部の、一周年記念のフォーラムで祝辞を述べましたが、会場一杯に詰めかけた、新老人とその候補生のパワーに圧倒されました。

 「新老人の会」は、東京の聖路加病院で名誉院長を務める、日野原重明さんの提唱で始まったのですが、75歳以上でようやく正会員になれるという、長寿社会ならではの会で、第二の人生どころか、第三の人生をも有意義に過ごそうというのが会の狙いです。

 この日のフォーラムでは、提唱者の日野原先生が講演をされるため、舞台の袖までご挨拶にうかがったのですが、95歳にして、なおかくしゃくとした姿に、まずは圧倒されてしまいました。

 この後の祝辞の中では、日野原先生から、「新老人の会」への入会を誘われた、NHK時代の大先輩の話を紹介しました。

 その人が勧誘を受けたのは、今から2年前、70歳を迎えた頃のことでしたが、入会を勧めた後で日野原先生が、「ところで、あなた幾つになられましたか」と聞かれるので、「70を超えたばかりです」と答えたところ、「なんだ、まだそんなに若いのか。それじゃ正会員にはなれないから、とりあえずジュニア会員になりなさい」と言われたというのです。

 「古来稀なり」と言われた、70歳の古希を迎えた人がジュニア会員と聞くと、それだけでも、新老人恐るべしという気持ちになりますが、そんなエピソードを紹介しながら会場を見わたすと、1500人のホールがほぼ満席です。

 聞くと、入りきれなかったお客さんは、隣りの小ホールで、中継の映像を通じて講演に耳を傾けたということですので、ここでも、新老人とその候補生のパワーに、圧倒される思いでした。

 後で規約を確かめてみると、60歳から75歳未満がジュニア会員、それ以下はサポート会員ということでしたが、この熱気からすれば、時を置かずして、存在感のあるグループになることは間違いないと感じました。

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寒さに震える出初め式(1月7日)

 7日午後、県中部の香美市で開かれた、消防の出初め式に出席しましたが、暖冬には珍しい寒さに、新春「初震え」を体感しました。

 新春恒例の消防の出初め式には、地域に偏りが出ないように、毎年、県内を東に西にと、場所を変えて出席していますが、今年は、去年3月に3つの町と村が合併して出来た、香美市の出初め式に出席しました。

 高知市内の自宅を出た時には、時折日差しも顔をのぞかせる、比較的穏やかな空模様でしたので、安心していたのですが、高知市から車で1時間、かなり山側に入った会場に着きますと、どんよりとした雲が広がっていて、時折氷雨もぱらつく天候なのです。

 しかも、テントは風が吹きさらしですので、座っていると体が芯から冷えてくる感じで、挨拶の順番がきて急に立ち上がったところ、こわばった体がふらついてしまいました。

 その後、また着席をして、市長さんが団員を視閲するのを、じっと見守っていましたが、新春早々の初震えに、身も心も鍛えられる思いでした。

 消防団員の皆さんも、大変ご苦労さまでした。

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2007/01/16

福のつく話(1月6日)

 6日午後、ある文化団体の新年の集いで、会長を務めるお年寄りの女性が、結構ためになる小話を紹介してくれました。

 この会では、毎年この会長さんが、小話を紹介するのが慣わしになっているのですが、この日も、いくつかの小話が披露されました。

 そのうちの一つに、なるほどと思う話があったのですが、それは、ある商家でのお正月の出来事が話のネタで、店の旦那さんが神棚を見上げると、何と神棚に雑巾が乗っているではありませんか。

 すぐに女中さんを呼んで問いただすと、私が置き忘れましたと言うものですから、それを聞いた旦那さんは、「正月早々、神棚に雑巾を置いたままにするとは何事か。そんなことでは、暇をとってもらわないといけない」と、大層なご立腹です。

 ところが、それを聞いて駆けつけた番頭さんが、旦那さん、そんなに怒ってはいけませんとなだめます。

 だって、雑巾は前を拭き後ろを拭き、右を拭き左を拭く、つまり四方八方を拭くものですから、四方八方の福を取る、とても縁起の良いものなんです。

 というのが番頭さんの解説で、そう言うなり、神棚から雑巾を取った番頭さんは、やおらその雑巾で、旦那さんの頬を拭きました。

 「旦那さん、これで一年の福が付きましたよ」と微笑みかける番頭さんに、すっかり気を良くしたご主人は、ご機嫌の様子だったという小話でした。

 昔から使われる話なのでしょうが、これもまた、物事をマイナスに考えない、ポジティブ思考の一つだなと、感心をしながら聞きました。

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「ごめんなさい」のひと言(1月5日)

 5日午後、南国市の後免町の方々が、出来上がったばかりの本を、知事室に届けて下さいました。

 この本は、あの時言えなかった、「ごめんなさい」のひと言を集めた本で、提案者は漫画家の「やなせたかし」さんです。

 以前、この欄でも紹介したと思いますが、少年時代を後免町で過ごしたやなせさんは、「ごめん」という町の名前をいかして、今になって言いたい「ごめんなさい」のひと言を、募集してみたらどうかとのアイディアを下さいました。

 この提案を受けて、後免町の有志の人たちが、葉書に綴った「ごめんなさい」の思いを、毎年全国から募集して、コンクールの形で発表しているのですが、寄せられた作品のうち、すぐれた作品を集めた本が、このほど、「言えなかった・ごめんなさい」のタイトルで出版されました。

 そこには、両親や兄弟、友達や恋人など、様々な相手に宛てられた「ごめんなさい」が、素直な表現で語られていて、読んでいて、思わずニコッとしたりホロッとしたりさせられます。

 すでに、県外の学校からまとめて200部など、まとまった注文も寄せられているとのことですが、出版が刺激になって、今年も、2300通を超える「ごめんなさい」の葉書が集まったといいます。

 今度は、今になって言いたい「ありがとう」を募集してみたらというのが、やなせさんの次なる提案ですが、まずは、「ごめんなさい」のひと言を集めたこの本が、多くの人の目にふれることを願っています。

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相も変わらず(1月4日)

 4日は、仕事始めの庁議を皮切りに、二つの団体の賀詞交換会に出席しましたが、その中で交わされる話の端々から、今年も、中央の仕事に携わる方々の考え方は、あまり変わりそうもないなと感じました。

 その一つは、炭酸ガスの削減対策として年末に急遽決まった森林対策で、京都議定書に決められた、温室効果ガスの削減を実現するためには、向こう5年間、間伐などによる森林整備の面積を、毎年20万ヘクタールずつふやしていく必要があるとの計算をもとに、今年度の補正予算と来年度の当初予算で、あわせて、765億円が投じられることになっています。

 このため、森林関係者の会に出かけますと、これだけの予算を獲得することができたという、関係者の誇らしげな話とともに、この予算を少しでも多く受け込むために、是非とも県も、事業を実施するにあたっての地方の負担分を、沢山構えてほしいという声があちこちで聞かれます。

 ところが現実には、予算の多くは、林野庁の関連の団体にまわされるうえ、民間の森林の整備に使う場合には、国の補助率は50パーセントあまり、残りは、県と地元の自己負担になりますから、三位一体の改革の名の下に、住民の生活を守る財源である交付税を、大幅に削減された地方には、それを受けこむだけの余力はありません。

 といっても、こうした森林整備が不要なわけではありませんので、森林が炭酸ガスを吸収する力を活かして、地球温暖化の防止に役立てようという本来の趣旨に立ち戻って、貴重な財源の有効な使い方を、もう一度考え直してみてはどうかと思うのです。

 例えば、一般的な林業関係の予算ならば、従来の補助率でいいでしょうが、京都議定書で定められた国際的な約束を守るという、国家レベルの高い次元の目的があるのですから、全額を国費でまかなう、または、そこまで行かなくとも、80パーセントを国が負担をして、残りを地方が受け持つというのも一つの方法です。

 もちろん国も、その分の予算を積みますことは出来ないでしょうから、地方負担が減る分、予算の総枠を減らせばいいのです。

 そもそも、地方が受けられないほどの予算を組んでおいて、それを使わずに流すのであれば、その分を最初から差し引いておいても、効果は変わらないはずです。

 また、現在の予算の組み方は、地球温暖化防止の名は借りていても、実態は従来型の公共事業そのままですから、今の時代にあった林業振興に、どれだけの効果があるのか大いに疑問です。

 これに対して、例えば、山で切り出した木を運び出すのにかかる、運送コストを低減させるために、向こう5年間この予算を活用するとしたら、国産材の競争力が回復しつつある現在、単なる公共事業を山につぎ込むという、あまり付加価値を生まない税金の使い方をするよりも、将来の自立的な経済循環につながる、有効な予算の使い方になると思うのです。

 地方の応分の負担という点では、道路などの整備にも同じことが言えます。

 もちろん、高知県のような、様々な意味で遅れた県にとって、社会資本の整備は、まだまだ必要な課題ですが、国の予算があるから、何でも事業を取り込めばいいという考え方では、公共事業をやることが目的化しているといった、大都市部からの批判に抗し得なくなってしまいます。

 ましてや、そのことの是非は別としても、地方にとって欠かせない財源を削減してきた、政府・与党の側に立つ方が、国は予算を構えたのに、それを活かさないのは地方の責任だと言うに至っては、笑止千番の思いがします。

 などなど、この手のお話を聞いていると、今年も相変わらずかなあと、ちょっと溜息が出ました。

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