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2007/01/22

ひとくちに改革派と言っても(1月14日)

 14日夜、統一地方選挙に絡んだ、マスコミの取材を受ける中で、「改革派の知事」という聞きなれた言葉にも、時の流れに従って、内容に変化があることに気がつきました。

 質問の受け答えをしているうちに、日頃気づいていなかったことが、ふと思い浮かんで、頭の中で整理されるといったことが時々ありますが、この日の気づきもその一つでした。

 それは、いわゆる改革派知事の相次ぐ退場や、こうしたタイプの知事と議会との関係について、質問を受けていた時のことですが、ひとくちに改革派と言っても、この10数年の間に、改革の対象が大きく変化していることに気がついたのです。

 というのも、自分をはじめ、宮城、三重、岩手などに相次いで、改革派と呼ばれる知事が誕生した、1990年代の初めは、県の職員の意識や、官官接待などに使うためにプールされた裏金、さらには、ぬるま湯に浸った公務員の給与制度など、改革の対象は、主に組織内部の問題でしたし、改革を進めるにあたっての武器は、情報公開による行政の透明化でした。

 これに対して、2000年の地方分権一括法の施行以後、特に、小泉政権の下での、三位一体の改革に地方が巻きこまれてからは、改革派の活動の対象が、国と地方との関係を変えていくという、外向きの改革に変化してきました。

 ですから、2000年の秋、つまり地方分権改革がスタートした後に、改革派知事として登場した前の和歌山県知事には、90年代ように、内部改革の荒波にもまれる中で、古くからの仕組みを見直す機会がありませんでした。

 逆に、初当選がそれぞれ、88年、89年と、90年代以前から知事の座にあった、前の岐阜県知事や福島県知事は、90年代の改革が動き出した時には、すでに、古いしきたりに染まらざるを得なかった部分があって、問題を感じながらも、そこから抜け出す機会を失したと見ることもできます。

 こう考えてみると、内向きか外向きかで、改革の対象が異なっているのに、それを一括りにして、改革派と論じようとしているために、話の焦点が、つかみにくくなっているように思えてきました。

 ただ、その中でも内向きの改革は、今なお必要なことですので、知事会としては、公共事業の入札制度の見直しに奔走するだけでなく、これまで表に出ていない県でも、裏金づくりが過去全くなかったのかを、全て明らかにする努力が求められます。

 一方、国と地方の枠組みを変えるという、外向きの改革では、内向きの改革にあたって威力を発揮した、情報公開にあたるような、戦う術や武器を、地方の側は持ちあわせていません。

 このため、この改革では国に押されっぱなしで、地方の間にも、疲労感と徒労感が広がっています。

 特に、改革派としての思いが強ければ強いだけ、疲れがたまって、そろそろ別の人生設計を選択しようかと考える傾向が、強まってきているのではないかと思います。

 ただ、その際に、長く知事を務めることのディメリットを、不出馬の理由に挙げている知事さんには、そのディメリットと、国との戦いが厳しい状況になっている今、改革への思いと実績を積んできた知事が、一線から身を引くことのディメリットと、どちらを重く見ているのかを聞いてみたい気がします。

 出張帰りの夜、自宅で記者の質問を受けながら、そんなことを、あれこれと考えてみました。

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コメント

最近県に対して公文書開示請求や住民監査請求を行う機会があって、よくわかってきたことなのだが、本当に県行政は住民に対して情報を公開しない姿勢が露骨であからさまであることを実感する。
そしてやっている仕事が本当にゆっくりしており、ぷらっとこうちの停止問題などを見てもアンケートを取ると12月始めに云っておきながら、1月下旬になるというのに、いまだに全く取ろうとしない。民間ならまず信じられない。懲戒処分ものだ。
お役所仕事とはよくいうが、まったく呆れかえることがよくある。
そしていっこうに反省もしていなく、県民に背を向け向き合おうとはしない。
公務員は a public official [servant].であるが、住民に対してservantという意識が欠落しているような気がする。

県財政はますます悪化する一方だし、公金管理もずさんで、何億というやみ融資や特定の企業や団体に使った職員の公金への金銭感覚などを見ても、最近は本当にうんざりすることばかり。
情報がすぐに飛びかう時代なので、隠してごまかしとうすということであれば、今はマスコミにどんどん暴かれる時代だから、不祥事があれば知事や大企業だって失脚する。

そうした中で、県庁は県民に対して本当に役に立っているという実感が私たちには感じられないのだ。

今年の4月には県議会議員選挙があるそうだが、私には、最近「県庁はほとんど必要ないのではないか。」とつくづく思うようになってきた。今ある許認可業務は市町村に移管してしまえばいいし、各施策をみても住民と身近な市町村のほうが密着した行政が行えるのではないかと思う。

県庁がどうして必要なのかが、私にはよくわからない。
県が国の事業費や補助金を取ってくる時代が終わったようだし、今はほとんど直接市町村が申請し執行できるのではないか。むしろそういう流れになっているようだ。
市町村職員にも優秀な人材はかなりいる。県ぐらいの政策などはじゅうぶん企画立案できそうだ。市町村議員のかたにも、真剣にじっくり考えていただこう。
政策立案能力のある議員にどんどん地方の議会に出て行ってもらおう。

県議会へ出る政治家にこうしたことを云うのは、どうかとは思うのだが、県庁という組織、仕組みがどうして必要なのかをうまく説明してくれる候補者は誰かいないものか。

道州制が色々取りざたされているが、県や道州制も要らないと思う。
直接各市町村が住民の行政サービスをやっていしまえばいいし、各市町村にまたがる広域的なことは広域事務組合などがやってしまえばいいのではないか。
人件費だって県職員がいる限り削減できないのだから、いっそ無くしてしまえばいい。

そのまんま東さんは地道に政策を考えたうえで立候補され当選されたようだ。彼の身近なシンクタンクが彼の政策を支えているらしい。それは県の政策にだって通用する。

なぜ「県」という組織体制が必要なのか、みなさまもお考えになったことがありますか。

投稿: 竹内ちょうみん | 2007/01/24 00:12

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