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2007年4月

2007/04/25

漢方薬の効き目(4月19日)

 19日午前、中国の青島市から、10年来の友人らの訪問を受けましたが、話をしながら、かつて「高速道路は即効薬だけれども、港は漢方薬だ」と言った、自分の言葉を思い出していました。

 この即効薬と漢方薬の話は、かつて、港の公共事業は無駄だというバッシングが渦巻いていた時に、港の整備の効果が出るには、かなりの時間がかかるので、漢方薬を飲む気持ちで接しないといけないという、説明に使った言葉でした。

 その頃、県内で議論になっていた港の一つが、高知市の外洋に向けて作られた高知新港ですが、港が出来たおかげで、規模や力では雲泥以上の差がある中国の青島港など、アジアの4つの港と、友好港や姉妹港の関係を持つことが出来ました。

 それが縁で、高知との間に関わりが出来たのが、裕龍グループという、食品などを中心としたメーカー兼商社で、そのオーナーである董事長とは、お互いに何度も行き来する関係になりました。

 それでも、これまでは、いわゆる友好と熱烈歓迎の域にありましたが、前回の去年12月の訪問あたりから、一歩も二歩も踏み込んだ、ビジネスベースの話になってきました。

 特に今回の訪問では、県内にある食品流通の大手企業や、建設や環境などの分野に、独自の技術を持つ県内のメーカー、さらには、パン屋さんや深層水関連の製品など、幅広い業種とはいえ、それぞれに、具体的な内容の伴った商談が想定されていて、まさに、漢方薬の効き目が、少しずつ出てきたのではとの感じを持ちました。

 明日も、一行との懇談が予定されていますが、2日間の成果が聞けるのが楽しみです。

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ラストシーン(4月18日)

 18日午前、以前この欄でも紹介をした、はりまや橋を題材にした映画を製作する、アメリカ人の監督らが、知事室を訪ねてくれました。

 この方は、15年ほど前に1年間、県内で教育委員会の仕事をされたことがあるのですが、その縁で、アメリカで映画製作に携わるようになってから、高知を題材にしたシナリオをあたためてきました。

 アフリカ系のアメリカ人を主人公にした、そのシナリオのストーリーは、2月19日のこの欄に書いた、映画「はりまや橋」の中に紹介した通りですが、製作にいたるまでの経過や配役などを聞く中で、ラストシーンは決まっているのかと尋ねてみました。

 すると、映画のシーンは、出だしも終わりもタイトル通り、はりまや橋に始まって、はりまや橋に終わるとのことで、ラストシーンは、幼子の手を引いた若い母親が(この親子の境遇は、2月19日の欄で見て下さい)、歩きながら、「坊さんかんざし買うを見た」の主人公である、純信とお馬の物語を、我が子に語りかける後ろ姿で終わりたいと言います。

 そのメンタリティーが、世界に通用するのだろうかと、一抹の不安も感じながら、東京での国際映画祭を皮切りに、アメリカだけでなく、世界に配給される映画にしたいという彼の言葉を、とても頼もしく聞きました。

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足らざるところ(4月17日)

 17日朝、国民投票法案の、参議院での審議入りを伝える、報道番組や新聞の記事を見ていて、「足らざるところ」というニュースのキーワードに、ちょっとした引っかかりを感じました。

 この「足らざるところ」という言葉は、前日の参議院本会議で、与党案の提出者となった代議士が使った言葉で、その全文は、「参院では、衆院での議論を踏まえ、足らざるところが、集中的に審議されるものと思慮する」という流れになっています。

 これに対して、野党はもちろんのこと与党の中からも、参院軽視だとの反発が高まったため、委員会の開会が見送られたというのが、ニュースで採りあげられた内容でした。

 もちろん、参議院は衆議院を補完する機関ではありませんから、衆議院での議論を踏まえて、足らないところを議論して下さいと言われれば、参院側に反発が起きるのは当然でしょうが、この発言には、もう一つ別の視点からも、問題が含まれていると思いました。

 というのも、この発言を素直に聞けば、衆議院の審議には足らないところがあったと、与党側の代表が認めているように受けとめられるからです。

 ところが、この法案は、衆議院の憲法調査特別委員会で、強行採決されていますので、もしも足らざるところがあったのなら、何故もう少し審議を尽くさなかったのかと、皮肉の一つも言いたくなります。

 少々理屈っぽすぎる嫌みかもしれませんが、議会内からの反発といった、業界本位の切り口だけでなく、国民本位の問題指摘があってもいいのではないかと、いささかの引っかかりを感じたのです。

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六者会って何ですか(4月16日)

 16日午前、庁議に引き続いて、庁内での六者会が開かれましたが、僕の日程表の中に、六者会という名前を見つけた方から、「六者会って何ですか」と問われることが時々あります。

 その問いに対する答えは、「従来、三役会と呼ばれていた会の呼び方が、六者会にかわったのです」ということになりますが、知事、副知事、出納長という県の三役のうち、出納長を置かなくなって久しくなりますので、実質的には何年も前から、三役会ではなくなっていました。

 そこで、今年度大幅な組織改正をしたのを機会に、この会の呼び方も改めようということになったのですが、単に幹部会としますと、全員の部局長が出席をする庁議も、れっきとした幹部会ですので、区別がつきにくくなります。

 このため、参加メンバーの顔ぶれを、改めて見直してみたところ、知事や副知事をはじめ6人の構成ですので、初めは、六者協議としてはどうかとの案も出ました。

 しかし、それでは、北朝鮮の核開発をめぐる六ヶ国の協議と同じ響きで、おかしくはないかという話になって、結局、六者会という名前に落ち着きました。

 単純と言えば単純な名前なのですが、どうもまだしっくりこない感じがあって、当事者である自分たちにも、耳になじむには少し時間がかかりそうです。

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戦友倒れる(4月15日)

 15日は早朝から、昨日旅先で倒れた知人の見舞いのため、岡山県倉敷市の病院に出かけました。

 彼は、16年前の、僕にとっては初めての知事選挙の時から、選挙の度に事務所を手伝ってくれた、いわば戦友の一人ですが、昨日の午後、旅先の倉敷市内のホテルで倒れたとの連絡を受けました。

 すぐにも駆けつけたい思いでしたが、昨夜は外国からのお客様があったため、この日、朝8時に家を出て、入院先の倉敷市内の病院に向かいました。

 病院の2階にある、集中治療室のベッドで、横向きになって眠りこけている彼の巨体は、いつもの姿と、さほど変わるものではありませんでしたが、何度呼びかけても何の反応もありません。

 奥様の許可をもらって、別室で医師の説明を聞きますと、多くの神経が束になって収まっている、脳幹で出血が起きていて、出血の範囲は狭くてもダメージは大きいため、一命を取り止めたとしても、現状から回復することは望みにくいと言います。

 知らせを聞いて、驚き落胆する仕事仲間や友人たちと、ひと時を過ごした後、もう一度病院に戻って、奥様を励ましました。

 その時、奥様の言葉を聞いて、胸が詰まりました。

 というのは、当然のことながら奥様も、担当の医師からは、僕が聞いたのと同じ説明を受けているにもかかわらず、「未熟児で生まれて、あんなに大きくなった人ですし、交通事故で投げ出されても、大丈夫でしたから、必ず復活してくれると信じています」と言われたからです。

 その言葉に、はっとしながら、その言葉通りの奇跡が起きることを願いました。

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国の発展を担う(4月14日)

 14日夜、プライベートで高知を訪問した、スリランカの電力担当の大臣のご家族と、夕食をともにしましたが、話の端々に、途上国ならではの元気さが感じられました。

 この方は、長野県で、紅茶の輸入やレストランの経営などに携わっている、友人の在日スリランカ人の弟ですが、この一族とは、高知港とスリランカのコロンボ港とが、姉妹港の関係になったのをきっかけに、かれこれ10年来のおつきあいになります。

 数年前に、彼のお宅にお邪魔をした時には、建設関係の副大臣をしていましたが、今は42歳にして、発電所の建設を含む、電力事業全般を担当する大臣に就任しています。

 今回は久々の休暇をとって、奥様と2人の子供を連れて、日本に住む兄のもとを訪ねたのですが、自分の目で高知を見ておきたいとの思いから、車で明石鳴門大橋を渡って、はるばる高知に来てくれました。

 スリランカにゆかりの仲間が集った、この夜の夕食会では、生魚が苦手だという彼が、「医者を呼んでおいてくれ」と冗談を言いながら、お店の自慢のカツオのたたきに、挑戦をしてくれました。

 プライベートの旅とは言え、話は次第に、仕事に関わることになりましたので、スリランカの電気の普及率は、どれくらいかと尋ねてみました。

 すると、人口をベースに、現在は76パーセントですが、2010年には80パーセントに、2015年には85パーセントにする計画だと言います。

 このため、発電所の建設も急ピッチに進んでいますが、最近では日本企業にかわって、中国企業の参入が増えてきたため、中国に出かける機会が多くなったそうです。

 あわせて、ディーゼル発電が過半を占めるという、燃料事情の関係から、中東のドバイにもネットワークを広げていることが、話の中からうかがえました。

 そんな話の端々から、世界を相手に仕事をしているという実感や、自らが、国の発展に寄与しているという自信が伝わってきて、とてもうらやましい気がしました。

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外とのつながり(4月13日)

 13日午前、県立美術館の館長と話をする中で、廃校を使ったアートの企画や、企業がスポンサーになったスタンプラリーなど、美術館が関わる、新しい試みの幾つかを聞きました。

 県立美術館では、ここ数年、美術館に足を運んで下さるお客様を待つだけでなく、学校に出かけての「出前授業」や、地域に作品を持ち込んで展示する「ハロー・ミュージアム」など、館の外に出かける事業に、積極的に取り組んでいます。

 その一つとして、新年度から新たに取り組むことになったのが、廃校になった学校の校舎を使って、アートに関する各種のイベントを企画する「廃校プロジェクト」です。

 その第一弾に予定されているのは、県西部の土佐清水市布(ぬの)地区にある、廃校を活用した催しで、地名にあやかって、布を使うアーティストの作品を、集めることになっています。

 今後、ワークショップを積み重ねながら、10月頃には、開催にこぎつけたいとのことですが、少子化の進展とともに、廃校は県内各地にふえ続けていますので、「廃校プロジェクト」の今後の展開を、楽しみに思いました。

 館長から聞いた、もう一つの新しい試みは、四国各県の金融機関が基金を出し合うスタンプラリーで、この6月からスタートの予定だと言います。

 その内容は、四国の4県で、美術館を始め、100ヶ所以上が参加をした文化施設をまわって、スタンプを押してもらうという単純なもので、お遍路にあやかって、一つの県内で22ヶ所、4県で88ヶ所のスタンプを集めれば、マスターの称号とともに、景品が贈られるという仕組みです。

 施設の側には何の負担もありませんし、その上、お客様が増える可能性がありますから、願ったりかなったりの話です。

 ただ、景品法という法律の関係で、お年寄りを除けば、200円以上の入場料をいただいていないと、特典の対象には出来ないため、高校生以下は無料としている、高知県内の文化施設の場合、こども達は対象外になるとのことで、こんなところにも、法律の壁があるのかと驚かされました。

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2007/04/16

油が買えなくなる日(4月12日)

 12日朝、四国各県のガソリンの値段が再び、リッター当たり130円前後になったとのニュースを見ていて、このままでは、ガソリンスタンドが町から姿を消していく、という警告を思い出しました。

 ニュースの中味は、高知が127円、愛媛が132円といったように、再びガソリンの価格が上がってきたというものでしたが、もともと薄利多売で、利益が10パーセントに満たないと言われるこの業界は、ほとんどが、採算ぎりぎりまたは採算割れになっていると言われます。

 このため、街なかでも廃業が相次いで、ピーク時には県内に630ヶ所ほどあったスタンドは、今では、JAのスタンドを除けば、380ヶ所から390ヶ所に減ってきています。

 さらにJAも、採算の合わないスタンドを、縮小しようとしているため、このままでは、中山間の地域からスタンドが姿を消して、ガソリンを入れるために、遠くまで、ガソリンを使って出かけないといけなくなると言います。

 また、街なかでも、スタンドの数がさらに減れば、南海地震などの大災害の際に、車両の給油がままならなくなって、救援や復興の活動にも影響が出かねません。

 今すぐ何が出来るというわけでもありませんが、グローバル化による行き過ぎた競争の弊害が、社会の様々な分野に及んでいる中で、ガソリンスタンドも、ごたぶんに洩れず同じ波をかぶっていることを、ニュースを見ながら思い出していました。

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さらばジャンボ大根(4月11日)

 11日朝、ふと気づいて、知事室の中を見渡してみますと、この欄でも2度ほどご紹介をしたジャンボ大根が、姿を消していました。

 長く、鉢植えのジャンボ大根の世話をしてくれた、秘書課の女性職員に尋ねると、再びアブラムシの攻撃を受けて、、肌の艶も衰えてきたため、知事室からはお引取りを願ったとのことでした。

 その後、ジャンボ大根を切ってみたところ、中はかなり鬆(す)が立っていたとのことで、元気に頑張っていたように見えた大根も、内心は相当苦しかったのではと同情をしました。

 それでも、長い間目を楽しませ、話題を提供してくれたジャンボ大根に、改めて感謝です。

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老人クラブの若返り(4月10日)

 10日午後、知事室を訪問して下さった、県内の老人クラブ連合会の役員の方々から、今年のテーマは、老人クラブの若返りだと伺いました。

 というのも、老人クラブには60歳から加入できますが、まだ若いと思っている60代前半の人は、「老人」という言葉の響きに抵抗を感じて、なかなか加入してくれないからです。

 この結果、会員の年令構成を見ますと、75歳以上の人が会員の3分の2を占めていて、60歳~75歳未満の会員は3分の1程しかいない現状です。

 このため、75歳未満の会員による「若手委員会」を立ち上げた上、「若返りフォーラム」を開催することが、連合会としての、今年度の最大のテーマだとのことで、老人クラブの若返りがテーマになること自体が、高齢社会を物語っていると思えました。

 そんな話をするうちに、僕も今年の1月で、満60歳になりましたと言いますと、役員の皆さんからは、「それなら立派な有資格者なので、是非、老人クラブに加入してください」、「知事さんが老人クラブに加入をすれば、宣伝効果は抜群だ」などと、温かいお誘いの声をいただきました。

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社長の心意気(4月9日)

 9日午後、徳島県の鳴門市で、徳島の阿南市に本社を持つ企業の、社長と懇談をしましたが、たえず地元への貢献を考える、この社長の心意気を、実にうらやましく感じました。

 この方は、国内のメーカーが、生産の拠点をこぞって海外にシフトする中でも、地元志向の強さで名高い方ですが、この会社では、日本たばこ産業が撤退をした、鳴門市の工場を買い取って、昨年から、カーナビのバックライトなどを生産する、新工場を立ち上げました。

 工場の見学の後、お話をうかがいますと、地盤が軟らかいために、工場の改修に新築以上のコストがかかった上、生産の効率はまだ上がらない、しかも、単価はどんどん落ちるので、今のところ、この工場は道楽のようなものだと言われます。

 では何故と問うと、日本たばこには、徳島県として長くお世話になってきたので、撤退にあたって工場を買い取ることが、長年の恩返しになるという答えが返ってきました。

 この他、広葉樹の植栽や野球場の整備など、地域への貢献にも大変熱心ですし、「目先のコストだけで、取引先を切るような企業はだめだ」といった、経営哲学もしっかりされています。

 高知県の者として、特にうらやましく思わざるを得なかったのは、高速道路に関することで、徳島県の南部まで高速を延伸するのに、必要な経費の10パーセントくらいなら、企業で負担する準備があるという話でした。

 もちろん、自社の工場の近くまで高速が来れば、運送費などの面でコストダウンが図れるという、経営上のメリットも考えてのことですが、高知の企業の体力では想像もつかない話で、正直なところ、感心というよりは驚愕の思いでした。


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夜も昼も会う顔ぶれ(4月8日)

 8日午前、高知市の西隣の町、春野町に完成した、診療所とケアハウスの落成式に出席しましたが、招待客の顔ぶれを見て、感じたことがありました。

 この施設は、森林関係の苗畑の、跡地を利用して建てられましたが、窓のサッシを除けば、ほとんどの場所に県内産の木材がふんだんに使われた、堂々の土佐派の木造施設で、中にいるだけで、健康になるような気がします。

 地震の際には、避難場所にも使えるという、広々とした2階の広間で、落成の式典が開かれたのですが、祝辞を述べるために壇上に上って、あれっと思ったことがありました。

 それは、毎晩のように、夜の宴席やパーティーでも顔を合わす、財界などの知名人が数多くおられたことでした。

 ですから、ある方とは、「夜も昼もよく合いますねえ」などと、笑いながら挨拶を交わしたほどですが、壇上からお客様の顔を眺めながらも、こうした式では珍しいことだと考えていました。

 式典の後、別棟のケアハウスを見学させてもらったのですが、バスやトイレも付いた素敵なお部屋で、日に2食が付いて、月に15万円の入居費だとの説明を聞いているうちに、もしやしてと感じたことがありました。

 それは、皆さんも将来お年を召したら、ご利用はいかがですかという、お誘いではなかったのかということで、そうであればなかなかの深謀遠慮だと、勝手に感心をしてしまいました。


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依存体質(4月7日)

 7日午後、アフリカでの勤務経験を持つ方から、アフリカ諸国に根強く残っている、依存体質の問題点を伺いました。

 この方によると、アフリカの国々は、植民地時代の宗主国による支配から、日本のODAなどによる支援に至るまで、他国の世話になることに慣れきっているため、どこかの国の支援で、何かの施設が完成した時にも、次は何をしてくれるのかと、尋ねられることさえあると言います。

 第二次世界大戦が終わった後、同じ時期に独立した国々の中でも、アジアにはすでに、自立的な繁栄を遂げている国があるのと比べると、大きな違いだと指摘されます。

 しかも、最近では、欧米や日本に替わって中国が、手厚い支援をしていますので、この依存体質からは、なかなか抜けられそうにないとのお話でした。

 そんなお話を聞いていて、ふと、国の補助金などに頼りきってきた日本の地方も、あまり大きなことは言えないのかななどと思いましたが、地方交付税や補助金には、それが大幅に減ったからといって、替わりに支えてくれる、中国のような存在はありませんので、何としても自立が必要だとの結論に至りました。

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デコポンの味(4月6日)

 6日昼、高レベル放射性廃棄物の、最終処分場を受けいれるための調査に手を挙げている、本県の最東端の町、東洋町に出向いて、昨日、急きょ自ら辞職をした町長さんとお話をしました。

 高知市から、徳島県境の東洋町までは、車で2時間半以上かかりますので、行きがけの車の中で、町の女性からいただいた手紙を読み返してみました。

 手紙は、東洋町の隣の室戸市にある、県立室戸高校の甲子園での活躍に、力をもらったという書き出しで始まります。

 室戸高校には、東洋町から通学をしている生徒もいることを例に、まわりの市町村とは力を合わせないといけないと綴られた後は、徳島側の隣接の町、海陽町のお寿司屋さんに立ち寄った時の経験談です。

 お店にいた人が、処分場に関して随分とご立腹で、自分達が東洋町の人間などとは、言えずじまいだったというのです。

 「このような話を、あちこちで聞く様になってしまいました。辛い思いをされている方も、たくさんいる事でしょう」と手紙は続きますが、以下は、文を要約せずに、そのまま引き写すことにします。

 「過激な反対がおこる、それがとても辛いと思っている者も多くいます。国としては、町長が町の代表なのだからと考えると、選んだ私達の責任として、この様な事も受け入れなければならないのでしょうか」

 「心配で心配でと言っている、八十歳をすぎたお年寄り。今だけを考えれば、今がよければとなるのでしょうし、実際、自分には子や孫も県外にいるから、どうでも良いと思う人達もいますから。何でも国からして貰おうとの考えが腐敗する心だと言いますと、あなたは恵まれているからという事になります」

 「田舎の堅実なお年寄が言います。身の丈に合った生活が一番だと。地産地消も、この様なお年寄の知恵と若者の行動力を、うまく合体する事ができればと、今の苦しい思いの中で、皆で考えております」

 「この様に考えます機会を戴いた事、今まで関心のなかった法律や制度、国の方針などを勉強し、これからの東洋町を皆で考え、アイディアを出し合う機会を戴いた事は、町長さんのお陰かもしれません」

 「4月に入り、知事さんが東洋町にお越し下さるとお聞きしました。皆で喜びつつ、この様に考えている者もたくさんいます事、お伝え戴きお話下されば幸せでございます」

 何度か読み返してみましたが、肩書きも何もない一人の女性の、飾らない思いや苦悩の中に、すべてが言い表されているように感じられました。

 役場の前では、処分場の調査に反対する女性達が、横断幕を掲げて、僕の到着を出迎えてくれました。

 先月の町議会の最終日に、辞職勧告決議を受けた時には、辞職の意思はないと突っぱねていた町長さんでしたが、リコールの手続きが始まるのを前に、先手必勝とばかりに、昨日辞職をされましたので、役場の会議室でお会いをしたのは、前の町長さんということになります。

 この会談の中で、前の町長さんは、調査に反対している方々の論点は、2つあると指摘されました。

 その一つは、一度、文献による調査が始まると、次の概要調査や精密調査、さらには処分場の建設へと、事業の進行は止まらなくなるという反対論。

 もう一つは、安全性と危険性をめぐる議論ですが、こちらは、賛成と反対の両論が、今は交わることはないので、文献調査が行われる2年間をかけて、町民の間で勉強をしたいとの説明です。

 これに対して、事業を途中で止めることが出来るかどうかについては、経済産業大臣と、原子力発電環境整備機構の理事長に質問をした結果、「止めることが出来るとの回答を得たので、反対論の根拠の一つは払拭できた」との受けとめでした。

 僕からは、多額の交付金を支出しながら、途中で簡単に中止をするという判断を、国がするでしょうかとの投げかけをしましたが、その場には、肝心な回答文の現物がありませんでしたので、後で、その書類に目を通してみました。

 すると、回答文には、「当該都道府県知事又は市町村長が概要調査地区等の選定につき反対の意見を示している状況においては、(中略)概要調査地区等の選定が行われることはありません」とあります。

 しかし、そこには、知事や市町村長の反対意見があれば、一連の調査を「中止」するとか「断念」するとは、ひと言も書いてありません。

 ましてや、住民投票などによって示される、地域の住民の意思をどう評価するかには、まったく触れられていません。

 ですから、この回答文を、国の立場で読み込めば、「知事や市町村長が反対の意見を言っている間は、概要調査には入らないが、建設までには、優に20年から30年はかかるので、4年でも5年でも、知事や市町村長が交代するのを待てばいい」ということになります。

 もっとわかりやすく言えば、「文献調査という、形ばかりの調査を行う2年の間に、東洋町には、これまで財政上の理由で出来なかった事業を、交付金を使って実施することで、町民の中に理解者を増やしてもらいたい。その状況を見て、全国の他の地区からも、応募の手があがればめっけ物だし、そうならなければ、東洋町に処分場が作れるように、知事なりが替わるのを、時間をかけて待てばいい」というのが、国の本音でしょう。

 さらに、その上で考えておかなくてはならないことは、一旦概要調査に入ってしまえば、その後の手続きの中には、知事や市町村長の意見を尊重するという、おぼろげな関門さえなくなって、地域の側に、この事業を差し止めるカードは、もはや一枚も残されていないということです。

 この日の会談で、前の町長さんは、概要調査に入る前だけでなく、その後も、その都度住民投票を行えばいいとの考えを示されていましたが、制度の上で住民投票には、何の位置づけも力も与えられていないことを、町民の皆さんは、心に留めておかなくてはなりません。

 ということで、一度調査が始まった後でも、その進展を途中で止めることが出来るかどうかの論点が、長くなってしましたが、もう一つの論点の安全性に関しては、「勉強をしよう」という、一見もっともらしい言葉の落とし穴に気づいてほしいと、前の町長さんには申し上げました。

 というのも、僕も、NHKの記者時代に、今回問題になっています、高レベル放射性廃棄物の処分のことも含めて、原子力発電に関わる特別番組を、担当したことがあるのですが、多くの専門家の話を聞き、本に目を通しても、是非の判断を下せる問題ではありませんでした。

 ましてや、と言っても決して、町民の皆さんの知力を低く見るという意味ではありませんが、穏やかに日々の暮らしを送っているお年寄りをはじめ、普通の町民の方々に、その安全性や危険性を、科学的に理解してもらえるというレベルの話ではないのです。

 結局は、勉強会と称して、賛成派と反対派、それぞれの専門家の説得に応じるかどうか、さもなくば、交付金の有用性を教えられる勉強会に、終わってしまうことは目に見えています。

 ですから、この問題への理解を深めるために、「勉強をしよう」という呼びかけは、言わばまやかしのようなものですし、もっとはっきり言えば、文献調査が行われる2年の間に、反対運動のほとぼりを冷ますための、時間稼ぎの口実に過ぎません。

 この日の会談の中で、前の町長さんは、一時は40億円を超えていた町の予算規模が、今では半分以下に落ち込んだことなどをあげて、交付金の魅力を語られていましたし、最終処分場が出来れば、雇用の場や固定資産税も増えると期待されていました。
 
 今回の文献調査への応募に、肯定的な町民の皆さんの中には、「これまで県は東洋町に対して、何をしてくれたのか」、「休止したままの、大阪との間のフェリーを復活させるための取り組みをはじめ、町は様々な努力をしてきたが、いずれも功を奏さなかった。他に何が出来るというのか」との思いを、持つ方もおられるでしょう。

 こうした声には、真摯に耳を傾けなくてはなりませんが、その一方で、今回の出来事が原因で、静かで穏やかな町に、計り知れない亀裂が生じ始めていることも事実です。

 会談の中で、前の町長さんも、「いがみ合いで、町が混乱するのは心が痛む」と、率直な心情を語られていました。

 とすれば、町の中に確実に広がっていく、その上、長い間尾を引いていくであろう「いがみ合い」や「混乱」と、年に5億円の交付金とを、比較して考えてみるのも、大切なことではないでしょうか。

 会談を終え、記者会見を済ませた後、役場の近くに立ち並ぶ、ポンカンやデコポンなど、町の特産の果物を売るお店の一つに立ち寄りました。

 店先に現れた青年が、「4年ぶりですね」と声をかけてくれます。

 彼は、県立の農業大学校の卒業生ですが、2年生だった4年前に、同級生と一緒に知事公邸を訪れて、将来への夢を聞かせてくれました。

 その時彼は、東洋町の特産物の「ポンカン」に、清美オレンジを交配してできる通称「デコポン」を、新しい特産品にしたいと、熱い思いを語っていたのですが、彼の作ったデコポンを試食すると、4年前の宣言通り、とてもジューシーで、甘く美味しい出来ばえでした。

 5億円の交付金とは比べられない、と言う方もいるかもしれませんが、行きの車の中で読んだ手紙に綴られていた、「身の丈に合った生活」や、デコポンの味と評判も、大切にしたいものだと思いました。

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国際交流員のご縁(4月5日)

 5日午後、中国の湖北省の省都、武漢市から訪問された、水処理や環境関係の代表団と、県庁でお会いしましたが、高知県で開発された排水処理の技術が、高知に来ていた国際交流員の縁で、中国に広がりつつあることを知って、とても心強く思いました。

 四万十川方式と名づけられた、この浄化処理の施設は、木屑や木の葉、活性炭など、地域にある自然の素材と微生物の力を使って、生活廃水などを浄化する仕組みで、土壌学を専門にする大学の先生を中心に、県と地元の企業との協力で開発をした技術でした。

 開発そのものは、かなり以前のことですので、正直なところ最近では、その後の経過を気にすることもなくなっていたのですが、その当時、国際交流員として高知に赴任していた武漢市の職員が、この技術に関心を持って、本国への帰還後、武漢市をはじめ中国の国内への普及に、取り組んでくれたらしいのです。

 というのも、武漢市は、揚子江と漢江の交流点にあって、揚子江中流部では最大の重工業都市ですが、湖も数多くあるため、水質の悪化をいかに防ぐかが、重要な課題になっているという事情があるからでした。

 聞くと、四万十川方式の水質浄化の装置は、すでに武漢市に4基、中国国内には、合わせて14基が設置されているとのことで、国際交流員の縁が、ここまで広がるものかと感心しました。

 この日おいでになったメンバーは、武漢市の水務局や環境局の幹部らで、この方式の普及のために、県としてはどんな支援策をとったのかなど、かなり突っ込んだ質問も受けました。

 それだけ関心も高いわけですが、武漢市では今後、大型の水処理のプロジェクトが、予定されているとのことですので、今後の四万十川方式の普及にも、期待が広がりました。


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台湾からも注文が(4月4日)

 4日午後、中山間の町、梼原(ゆすはら)町の知り合いの鍛冶屋さんが、「日本鍛冶紀行」という本を届けてくれました。

 この本は、北は北海道から南は沖縄まで、全国に残る鍛冶屋を、仕事場や作品などの写真入りで紹介した本で、この日、知事室まで本を届けてくれた彼も、グラビアつきで登場しています。

 話を聞けば、この本に採りあげられているのは、野鍛冶と呼ばれる職人で、野鍛冶とは、鍬・鎌・鉈(なた)・手斧(ちょうな)・包丁など、農林漁業の道具から、大工道具をはじめとする生活用具まで、あらゆる製品を幅広く作る鍛冶屋を言うのだそうです。

 戦前は、主だった地区には必ず数軒の野鍛冶があって、鉄製品のリユースやオーダーメイドを請け負っていましたが、一次産業の衰退や生産の自動化が進む中で、野鍛冶も、やがては消えざるを得ない現状になっています。

 また、野鍛冶の時代には、多品種を一貫生産で作っていましたが、やがて、鉄を打ち延ばして形を作る鍛造や、その後の焼入れなど、作業の工程ごとに仕事が分業化していきました。

 そうなると、数多くの同一の品を、返品が出ないように作らないといけなくなるため、可もなし不可もなしの仕事になって、段々と技術の水準が落ちていったというのが、野鍛冶に誇りを持つ彼の解説でした。

 さらに話を聞いていると、この本は、台湾にも紹介をされたらしく、なんと台湾から梼原町まで、訪ねてきたお客さんがいると言います。

 梼原町と言えば、高知の空港から車で、2時間ほどかかりますので、なんともご苦労な話ですが、これまでに、剣鉈(けんなた)という先の尖った鉈を、10数本注文してくれたそうです。

 台湾からわざわざ、日本の鍛冶屋を訪ねてくるわけが、どこにあるのかはよくわかりませんが、山村の鍛冶屋という、およそ土着的な存在と、小なりといえども、外国への輸出というミスマッチが、話を聞いていてとても不思議に感じられました。

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方言指導(4月3日)

 3日午後、新年度にあたっての、幹部職員への講話の中で、初めて土佐弁を使ってみましたが、それに先立って、知人による方言指導を受けました。

 新年度の講話は、毎年の恒例行事ですが、今年は話の前振りとして、昨年度の出来事を、漢字一文字で振り返ることにしました。

 これは、毎年年末に、京都の清水寺の貫主が、その年を象徴する言葉を、漢字一文字で書き表すのを真似たものですが、話の中では、憤るという「憤」の字を挙げてみました。

 あわせて、憤りを表現するのに、馬鹿にするなといったニュアンスを持つ、土佐弁を使ってみました。
 
 それは、例えば、三位一体の改革に名を借りて、地方交付税などを大幅に削減しておきながら、次には、再チャレンジだ頑張る地方応援プログラムだと、地方のことを考えているかのようなポーズをとる、こんな国の姿勢はけしからんといった憤りで、それを、「おんしゃらあ、なめちゃあせんか、わやにすな」という土佐弁で表現しました。

 もともと僕は、日頃使っていない方言をわざとらしく使うことには、抵抗があるのですが、16年も高知に暮らしていますので、たまには、土佐弁風もいいかなと考えたのです。

 ただ、自信はありませんでしたから、事前に知人から、土佐弁の指導を受けました。

 その一つは複数形で、最初は、「おんしゃあ」としたのですが、これでは、「お前」という単数形になってしまうので、国に向けて吠えるなら、「おんしゃらあ」と、複数形にするのがふさわしいと指摘を受けました。

 もう一つ、僕がこの方が正しいと思って、「なめちゃあせんかえ」と「え」をつけたのに対して、「え」はいらないと直されました。

 こうした添削のおかげで、一応正しい土佐弁にはなりましたが、普段使っていないだけに、イントネーションはいまいちだったろうと、冷や汗ものでした。 

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なぜ龍馬と呼ばれないのか(4月2日)

 2日いただいたメールの中に、高知空港は「高知龍馬空港」と名前を改めたはずなのに、あのボンバルディア機の胴体着陸の時には、新聞もテレビもすべて、高知空港と呼んでいたのはなぜかとのご指摘がありました。

 高知空港は、民間の龍馬ファンらを中心にした活動の結果、日本の空港では初めて、人の名前を冠した空港として、2003年11月から、高知龍馬空港と呼ばれるようになりました。

 メールを下さった方は、先月13日に起きた、カナダ製のボンバルディア機の胴体着陸の際に、テレビ各社の中継の画面に、釘づけになっていたそうなのですが、そのうち、わざわざ名称を高知龍馬空港に変えたはずなのに、なぜそう呼ばれないのだろうと、気になり始めました。

 後で新聞を見ると、これも全ての紙面が、高知空港となっていましたので、どうしてかと、地元紙に問い合わせをしました。

 すると、高知龍馬空港というのは愛称で、国土交通省が管轄する正式な名称は、高知空港のままだからという答えが帰ってきたため、この事実を知事は知っていたのかとの、ご質問のメールになったのです。

 そのお答えは、「知っていました」ということになるのですが、正式な名称を変えるとなると、全国の空港にある、発着を知らせるボードに表示する空港の名前や、航空会社のソフトに入っている空港名などを、すべて作り変えないといけなくなるため、各方面で、莫大な費用がかかることになります。

 そこで、高知の空港内の表示や、飛行機の中でのアナウンス、さらには航空会社の広報誌など、無理のない範囲で愛称として使うことを認められたのが、高知龍馬空港でした。

 ですから、テレビや新聞の各社が高知空港と表現しても、文句を言う筋合いではないのですが、メールの主はやはり龍馬ファンなのか、その最後は、「他紙はいざ知らず、地元紙には、堂々と高知龍馬空港と呼んでほしい。さもないと、日本で初めて人名を冠した空港、高知龍馬空港の龍馬が泣きはせぬか」と結ばれていました。

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2007/04/10

ベージュから白へ(4月1日)

 1日午後、漫画家の「やなせたかし」さんの、88歳をお祝いする会が、東京に続いて、故郷高知のホテルで開かれました。

 この会は、洒落好きのやなせさんらしく、「米寿」ではなくて、「ベージュの祝い」と銘打ったパーティーで、やなせさんの活動の拠点である、東京で会が開かれた時にも、この欄で紹介をしました。

 この日も、やなせさんは快調そのもので、「詩を書く、歌を書く、恥をかくの“3かく主義”でやってきました」などとお話をされながら、とても88歳とは思えないパフォーマンスを披露されました。

 その会での祝辞の案文を、県の担当者が書いてくれていたのですが、その最後の部分に出てきた、88歳がベージュ色なら、次は、白寿の白い色でという表現は、なかなか使えると思いました。

 そこで、「88歳を、米に寿の米寿ではなくて、ベージュ色に見立てたやなせさんですので、次は、百引く一の白寿を、白いいでたちに身を包んで」と言おうかと考えたのですが、そこではたと、白いいでたちでは死装束になってしまうと思い当たりました。

 それでも、「そんなことを言うと、やなせさんからは、おいおい、死装束はまだ早いぞと言われかねませんが」とか言えば、やなせさんには、洒落が通じるかと思ったのですが、会場のお客様の中には、眉をひそめる人もいるだろうと考え直して、表現の仕方を変えました。
 
 一瞬、これはいけそうだと思っても、注意しないといけない言葉遣いがあるものです。
 

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お料理自慢(3月31日)

 31日夜、県内の有力企業の、3代目にあたる青年の結婚式に出席をして、料理をテーマにしたスピーチをしました。

 新郎も新婦もともに、まだ20代の若さですが、県内では有力な企業の、3代目のお披露目とあって、老舗のホテルの宴会場は、ぎっしりのお客さんで埋まりました。

 新郎側の主賓としてお招きを受けた手前、祝辞を考えなくてはいけませんので、事前にお二人の経歴をいただきますと、高知出身の新郎に対して、名古屋生まれの横浜育ちの新婦と、生まれ育った土地も違えば、ご両家のお仕事にも、まったく接点はありません。

 そこで、目には見えない赤い糸などという、いささか古めかしい表現を持ち出した上で、お二人が出会った場所が、大学のサークルでしたので、「その赤い糸が引き合った場所は、お二人が通った大学の料理サークルでした」と、話を運びました。 

 以下、人生の中で、食を楽しむことがいかに大切かをお話しした後、かくゆう私も最近は、一日丸ごと休みの日には、夕食の料理番を買って出ているなどと、自分の売り込みも含めて、夫婦の過ごし方のコツをご披露しました。

 宴が始まりますと、高知の結婚式では、お客さんが立ち上がって、互いのテーブルを回り始めますので、何人かの方から、「今度、料理を食べさせて下さい」と、冷やかしの言葉をかけていただきましたが、その中で、赤い糸の縁の話に使えそうな素材が、この他にもあったことを教えられました。

 それは、新郎のお父様からうかがった話で、お父様は、「まさみ」という男性にはそう多くはない名前なのですが、新婦のお父様も、字体こそ違うものの同じ「まさみ」で、ご縁を感じたと言われるのです。

 そうだったかと思って、内ポケットに入れていた、新郎と新婦の経歴書を取り出してみると、お父様だけでなくお母様の名前も、「真由美」と「由美子」で、とても共通点がありました。

 ということで、経歴書をもっと細かく見ていれば、もう少し話がふくらませたかなあなどと思いながら、盛り上がった宴を楽しみました。

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民の力(3月30日)

 30日は朝から、県東部の室戸市と奈半利町に、増設または新設をされた、金属の鍛造や熱処理を行う工場を視察して、グループ企業の方々からお話を聞きました。

 室戸市の吉良川町に立地しているのは、井上特殊鋼という、大型の鍛造品を、少量多品種で生産する会社のグループ企業で、このほど、同じく県東部の奈半利町に、工場を新設されるとともに、大阪から、熱処理の専門技術を持つ企業を誘致してくれました。

 これまで県内には、鍛造した製品に熱を加えて、その性質を変える、熱処理の技術を持つ企業がなかったため、県内で生産した鍛造品を、熱処理のために、県外に出さなくてはなりませんでした。

 その熱処理の会社が、県内に立地したことから、県内で鍛造された製品を、身近で熱処理をした上、県内の機械加工の企業で、製品化することが可能になります。

 ところが、井上特殊鋼のグループの会長にお話を聞くと、県内の企業の中には、発注される単価が低すぎるとの声があるということで、会長が、そうした企業の工場を見に行かれたそうです。

 すると、実にゆっくりと仕事をしている状況で、身内の中で仕事を回している時代ならともかく、全国レベルで競い合っている時代には、とても太刀打ち出来なくなるのではというのが、会長の心配でした。

 地域の経済を元気づけるには、こうしたチャンスを活かすことが出来るような、地元の民の力も欠かせませんので、単に、これまでにない分野の企業が立地をしてくれただけで、喜んでもいられないことを実感しました。

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知事車はいかがでしょうか(3月29日)

 29日朝、知事公用車の運転手さんの、仕事納めを機会に、長年使用した車の前で、記念の写真を撮りました。

 高知県では、現業の仕事を、民間に移す方針をとっていますし、この4月からは、知事の公用車を廃止して、代わりにタクシーなどを使うことになりましたので、公用車の担当をしてくれていた県の職員も、年度末で、運転の業務を離れることになります。

 実際の最終日は、明日30日ですが、明日は遠出が予定されているため、この日、県庁に出勤する前に、知事公邸の玄関前に止めた公用車をバックに、運転手さんと2人で記念の写真を撮りました。

 すると、運転手さんが、「この車を売る時に使えるかもしれないから、知事さんが、車を紹介している写真を撮りましょう」と言います。

 というのも、この公用車は4月以降、入札にかけて売却することになっていますので、僕が、「知事公用車はいかが」と手を広げて、お薦めのポーズをとった写真が使えるのではないかというのです。

 なるほどと思いながら、公用車に向けて右手を広げた、笑顔のポーズを2枚撮りました。

 この公用車は、13年間に13万キロを走ったプレジデントで、インターネットオークションなど一般公募の形で、売却することになっていますが、少しでも高く、お買い求めいただければと願っています。

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ミッションと血圧(3月28日)

 28日午後、6つの部の部長に、今年のミッションを伝えましたが、同じことを繰り返し話しているうちに、血圧が上がってくるのを感じました。

 この2月の議会で、19年度は、各部局長に対する年度を通じてのミッションを、明確にすると表明をしましたので、昨日から、部局長を知事室に呼んで、来年度のミッションを伝えています。

 この日は、午後の2時から2時間半近くかけて、6人の部長に、ミッションを伝えましたが、本格的なアウトソーシングの実施や、雇用問題への全庁を挙げての取り組みなど、どの部にも共通の項目がいくつかあります。

 このため、共通項目の部分は、立て続けに6回、同じミッションを繰り返し伝えることになりましたが、これが結構ハードな仕事で、3回4回と回を重ねるごとに、首筋が硬くなってくるのがわかります。

 最後の方は、きっと血圧も上がっているのではと感じるほどの疲れでしたが、ミッションを伝えるのも、楽なものではないと実感しました。

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ただ今合唱はしておりません(3月27日)

 27日午後、知事のそばでのインターンシップに来てくれた、東京の大学生から、大学のサークルの名前にも、伝統の重みがあることを教わりました。

 この学生さんは、春休みを利用して、知事のそばでのインターンシップに手をあげてくれたのですが、この日は、高知市内にある、牧野植物園に出かける仕事があったため、行き帰りの車の中で、彼の学生生活のことを聞いてみました。

 その中で、どんなサークルに入っているのかを尋ねると、三味線や和太鼓などを演奏する、邦楽のサークルだと言います。

 それは珍しいと思って動機を聞くと、高校まで、あまり楽器に触れたことがなかったため、邦楽なら、他の学生とも同じレベルから始められるだろう、と考えたからとのことでした。

 そこで、何気なく、サークルの名前はと聞いて、驚いてしまいました。

 と言うのも、「合唱団アヒル会」という答えが返ってきたからです。

 「邦楽サークルの名前が、どうして合唱団なの」という、誰もが感じる疑問に、彼が答えてくれました。

 もともとは、70年程前に発足した、歴史のあるサークルで、当初は、合唱をする部員と、合唱の際に曲を演奏する部員とが、サークルの中にいました。

 ところが、やがて合唱の人気がなくなって、音楽の演奏だけのサークルになったのだそうですが、10年くらい前に、邦楽の好きな学生がいて、それ以来、邦楽を演奏するサークルに変貌しました。

 それなら、名前を変えればいいじゃないかと、水を向けたところ、「自分もそう思うんだけど、先輩たちが、由緒のある名前を変えてはいけないって、許してくれないんです」ということでした。

 そう言えば、県立の高知女子大学の共学化に関しても、「高知女子大学」という名前を残したまま、男子学生を受け入れればいいという意見があって、歴史の重みや関係者のこだわりは、いずこの世界も変わらないものだなと感じました。

 ただ、このために、「合唱団アヒル会」では、新入生を勧誘するパンフレットのサークル名の下に、「ただ今合唱はしておりません」との、断り書きを入れているとのことでした。

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災い除けのお守り(3月26日)

 26日午後、四国の葬祭業の組合との間で、大規模な災害が起きた時に、葬儀用品などの協力をいただくための、協定を結びました。

 県内では、台風や集中豪雨のほか、30年後までには、50パーセント以上の確率で起きるといわれている南海地震や、鳥インフルエンザから変化した、新型のインフルエンザの発生など、多くの死者が予想される、大規模な災害への備えが求められています。

 それにあたっては、ハードからソフトまで、数々の対策が必要になりますが、多くの死者が出た場合の、ご遺体の処理や安置も大きな課題です。

 具体的に言えば、ご遺体を納める棺や、保存のためのドライアイスなどが十分確保できないと、ご遺体の移動もままならなくなって、家族の皆さんの、精神的な苦痛を増すことになります。

 そこで、四国各県の葬祭業者で作っている組合が、いざという時には、そうした葬儀用の備品を提供して下さることになって、その協定の調印が、この日知事室で行われました。

 聞けば、大規模な災害の時には、ご遺体の傷み方がひどいため、それぞれに対応した処理が必要になるとか、新型のインフルエンザで、多くの死者が出た場合には、ご遺体を扱うにあたって、二次感染を引き起こさない注意が必要になるなど、様々な問題があるようですし、そもそも、道路が分断されると、動きようがなくなりますので、県内の組合の代表の方からは、幹線の道路整備を急ぐようにとの、陳情も受けてしまいました。

 そんな話を交わしているうちに、南海地震が起きたら本当に大変だという思いが、ひしひしと募ってきましたが、組合の方から、この協定は、地震や大災害が起きないための、お守りだと思って下さいと声をかけられて、少し気持ちが軽くなりました。

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2007/04/02

名誉の負傷(3月25日)

 25日は、甲子園球場で、高知県代表の県立室戸高校の応援をしましたが、予想を遥かに超える健闘ぶりに、思わず我を忘れてしまいました。

 今年の春の選抜には、高知県からは、2つの高校が代表に選ばれました。

 というのも、昨年の秋に開かれた、明治神宮大会という全国大会で、私立の高知高校が優勝を果たして、別枠で選抜への出場が決まったため、四国大会で好成績を収めた県立の室戸高校が、2校目の代表校に選ばれたのです。

 明徳義塾、高知、高知商業と、私立や市立の強豪がひしめく中、県立高校の出場は久々のことでしたし、その初戦が、ちょうど日曜日に当たりましたので、妻共々応援に出かけました。

 球場に着いたのは、試合開始の40分ほど前でしたが、室戸高校は初出場だけに、試合が始まる頃には、3塁側のアルプス席と内野のスタンドは、室戸からバス50台に分乗して、応援に駆けつけた市民はもとより、各地区の室戸出身者で埋めつくされました。

 とはいえ、相手は優勝候補の一角を占める、地元兵庫代表の報徳学園ですので、正直なところ、一方的な展開になりはしないかと不安が一杯でした。

 ところが、いざ試合が始まってみると、室戸のエース森沢佑太投手が、緩急のついた荒れ球で、報徳打線に的を絞らせません。

 守備もノーエラーの堅守で、2対1と1点差に追いつかれて、なおワンアウト2塁という報徳のチャンスも、三遊間のヒット性のライナーを、ショートが見事に、バックハンドでグラブに納めてダブルプレーに切り抜けるなど、粘り強いプレーの連続です。

 といったわけで、攻守ともに、毎回手に汗握る場面が相次ぎましたので、メガホン片手に、我を忘れて声援を送っていました。

 そうしたところ、7回の表に、室戸高校が2点を先制した頃から、右手の親指が、ズキズキと痛み始めたのです。

 見てみると、知らず知らずのうちに、メガホンで手を強く叩き過ぎたせいか、右の親指の内側が紫色に腫れ上がって、指先が冷たくなっていました。

 このため、それ以降、メガホンで手を叩くことは控えましたが、そのまま8回と9回を抑えて、室戸高校が見事に初勝利を飾った瞬間には、自然に涙が出てきて、痛さも忘れて拍手を送り続けました。

 それでも、指のうずきはひどくなる一方ですので、高知への帰りがけに、伊丹空港で冷湿布を買って、名誉の負傷を癒しました。

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記事に書かれていないこと(3月24日)

 24日午後、19年前に、中国を修学旅行中の高校の生徒と先生、あわせて28人が亡くなった列車事故の、20回目の慰霊の式典が、高知市内の私立高校で開かれました。

 この列車事故は、1988年のこの日、上海市の郊外で起きました。

 その列車には、中国を修学旅行中だった、私立高知学芸高校の一行が乗り合わせていたため、27人の生徒と引率の先生1人の、あわせて28人が帰らぬ人となりました。

 その日から19年が経って、この日、20回目の慰霊式が学校で開かれましたが、これまでの学校の対応への反発から、あえて式を欠席されたご家族のほか、出席はしたものの、式のあり方にはわだかまりを感じているご家族など、ご遺族の中にも、様々な受けとめが見られます。

 実は、この日を前に、何人かのご家族とお会いをしたのですが、学校に対する不信感の例として挙げられるのは、19年が経過した今になっても、未だに事故の報告書が作られていないといったことですので、それが事実とすれば、学校の対応は尋常ではないと感じました。

 ですから、この日、知事としての慰霊の言葉の中でも、この機会に19年前の事故を見つめ直して、それを後世にどう伝えていくかを、もう一度考え直してもらいたい、との思いを申し述べました。

 ただ、このように、未だに学校との間に大きな溝のあるご家族があることは、自分が挨拶で触れるまでもなく、昨日の地元紙の社会面でも、トップの記事としてとりあげられていました。

 しかし、昨日の地元紙の記事と、直接遺族から聞いた話とを見比べてみますと、記事には書かれていない要素があることに気がつきます。

 それは、この事故の後の、地元紙の報道ぶりに対するご遺族の受けとめ方で、中には、「学校は下見をしていた」、「校長は憔悴しきっている」、「学芸は立ち直らないと」といった論調の記事が、ある種の世論を形成したと指摘する方もいます。

 この結果、学校が立てた計画の杜撰さなどを訴えたいと、裁判を起こした時には、「そんなにまでして、お金がほしいのか」といった類の非難の電話が、連日やむことなくかかってきたと、無念な思いを回想されるのです。

 改めて、この学校の歴史や理事の構成を見てみますと、昭和30年代の設立の当時には、地元紙の最高実力者が理事を務められていますし、現在も地元紙の役員と社長が、理事に名を連ねておられます。

 そうした中で、学校の対応を問題視する記事を掲載すること自体は、マスコミの姿勢として、極めて健全と言えますが、19年が経ってから、学校側の対応を責めるだけでなく、今一度、当時の報道のあり方を、検証する必要もあるかと思いました。

 あわせて、この日の式には、少なくとも3人の地元紙の記者が、取材に来られていましたが、なぜ、未だに事故の報告書を出さないのかと、校長に問うのと同時に、学校の理事でもある自らの社長に、そのことを問うたのだろうかと疑問を感じました。

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得体の知れない自信(3月23日)

 23日午前、県中部の山あいの町、土佐町にある、「有機のがっこう・土佐自然塾」の、第一期生の卒業式に出席しました。

 この学校は、長年、有機無農薬の農業に打ち込んできた、有機のカリスマ・山下一穂さんを校長に、県の全面的な協力のもと、去年4月に開校しましたが、今年度は一期生として、県内外の14人の塾生が有機農業を学びました。

 その第一期生の卒業式が、この日行われましたが、聞けば、14人のうち8人が県内で農業を始めるとのことで、とても心強く感じました。

 さらに心強かったのは、卒業生の代表の謝辞で、一年間この学校で学ぶうちに、有機無農薬で何とかやっていけるのではないかという、得体の知れない自信を持てたが、この得体の知れない自信こそが、ここで得た最大の成果だというのです。

 最近はどこに行っても、得体の知れない不安を口にする人はいても、得体の知れない自信を耳にすることはありませんでしたので、この言葉には、とても新鮮な響きがありました。

 さらに、謝辞の最後は、「土佐自然塾、一期生は突撃します」で締めくくられていましたが、環境保全型の農業の、トップランナーを目指す高知県には、まさにふさわしい卒業式でした。


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成功の鍵はマーケット・イン(3月22日)

 22日午後、県産品のブランド化に取り組む、事業報告会に出席しました。

 この報告会は、食品や飲料などを中心に、県内で作られる製品のブランド化を進めるために、毎年開かれていますが、今年のテーマは、「マーケット・イン」でした。

 「マーケット・イン」というのは、作り手の側の都合や思い込みで、商品を提供するのではなく、マーケットの、つまりは消費者の必要に応じた、製品やサービスを提供しようという考え方で、当たり前といえば当たり前のことですが、それでいて、地方の物づくりには、最も欠けていることの一つでもあります。

 この日も、うなぎをパックにして売り出した経験のある女性が、消費者から、「糖尿病なのだが、この商品は何カロリーですか」とか、「タレではなくて塩で食べたらおいしかった」といった、問い合わせをもらったことが、次の商品づくりの、参考になったという話を紹介されていました。

 また、まとまった量のそろわない農産物や、規格外の農産物を販売する店の責任者は、「始めのうちは、午後になると何もなくなるとか、逆に、余ったものが一杯残るという状態が続いたが、売り場を見て売り切れたものがあれば、メールで配信して届けてもらうという仕組みを作ったら、出荷数も伸びたし、消費者からも、あてになる店という評価をもらえるようになった」との、経験談を語っていました。

 この他にも、「こんないい物、おいしい物」と、独りよがりになっても売れないとか、「生産者も、買った人の声にもっと関心を持って」といった意見が相次ぎましたが、こうしたもっともなご意見を、どれだけ自分のものに出来るかも、これからの、地域の成功の鍵の一つです。

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高知競馬場にて(3月21日)

 21日午後、高知競馬場で行われた、高知競馬では一番のビッグレース、「黒船賞」の表彰式に出席しました。

 地方競馬は、いずこも同じ状況ですが、高知競馬も収益の減少で、経営は大変厳しくなっています。

 このため、今年で10回目を迎える、高知競馬では最大のレース「黒船賞」も、その開催が危ぶまれる状況した。

 そこで、開催のために必要な資金の寄付を仰いだところ、県内外の競馬ファンや、競馬場で働く人たち、さらには、その仲間の皆さんなど、数多くの方々の応援をいただいて、この日無事、第10回の「黒船賞」が開催されました。

 おかげさまで、売り上げもまずまずでしたので、関係者も、ひとまず胸をなでおろしたのですが、表彰式に出席した後久しぶりに、競馬場の中をまわってみました。

 ラーメン屋さんや食堂など、お店が軒を並べる中を歩くと、みんな穏やかな顔で話をしてくれます。

 中には、僕の知り合いの男性の名前を出して、「彼が子供の頃には、家が近くだったの。西森のおばちゃんって言ってくれればわかるから」と、声をかけてくれる女性もいました。

 そのうち、喉が渇いたので、アイスクリンを食べようと、売り子のおばちゃんに、「バニラを3つちょうだい」と、声をかけた時のことです。

 「お金はいらないから食べてって」と、コーンにアイスクリンを盛りながら、おばちゃんが、「ご無沙汰してます、○○です、わかるでしょ。あの時は、家まできてもらって」と言われます。

 すぐに、数年前に事故で亡くなった、若い警察官のお母さんとわかりました。

 赤ちゃんが生まれたばかりの時のことで、警察の対応にも思いを持つ遺族のもとを訪ねて、お悔やみをしたことが思い出されます。

 「あれから、何年になりますか」
 「7年です。あの赤ん坊が、もう小学生ですもの。でも、孫がいてくれるから、こうして頑張れます」

 アイスクリンを盛ってもらう間の、ほんの2~3分の会話でしたが、あの時のご家族の様子が、鮮明に頭によみがえりました。

 競馬場という、狭い敷地の中でも、様々な人の出会いがあるものです。 

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城明け渡し(3月20日)

 20日午後、高知城の指定管理者になった企業の方々と、お話をする機会がありました。

 指定管理者というのは、自治体が直営で管理してきた施設の運営を、企業などにまかすことで、お客様へのサービスや経営の効率化に、民間のノウハウを採り入れようというものです。

 これまで、県が直接管理をしてきた高知城も、その対象の一つで、このほど、県内の企業が指定管理者に選ばれました。

 この日は、その企業の関連の方々が、ご挨拶がてら知事室を訪ねて下さったのですが、先日急逝された、この企業の会長からは、高知のシンボルであるお城の指定管理者は、何が何でもわが社で取るようにと、督励が下っていたと言います。

 このため、指定管理を受けたあとの運営にも、色々とアイディアをお持ちのようでしたので、遠慮なく提案をして下さいと水を向けました。

 すると、石垣の工事をした時に、余分な石が残ったら、それを砕いて、お土産品として売れないだろうかとおっしゃいますので、「いきなり難しいご提案ですね」と、お茶を濁してしまいました。

 というのも、石垣の改修工事では、築城の時の石をそのまま使いますので、余りが出ることは考えられませんし、万一使わない石があったとしても、文化財を砕いて売ることには、相当高いハードルがあると思ったからですが、高知城は、高知を代表する観光資源の一つですので、民間の知恵がうまく活かされれば、その面での期待も高まると思います。

 とはいえ、お城の管理を民間におまかせするというのは、どこか「城明け渡し」にも似て、財政状況の厳しい本県にとっては、ほろ苦さの漂う話題でもありました。

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暖冬にかこつけて(3月19日)

 19日午前、県立高知女子大学の卒業式に出席しましたが、来賓祝辞のネタには、今年の暖冬を採りあげました。

 それというのも、今年は、気象庁の観測が始まって以来の暖かい冬なのだそうですが、そのせいか、気象庁が桜の開花の予想を誤って、陳謝するというおまけもつきました。

 このため、今年は卒業式を待たずに、校庭の桜がすべて、葉桜になってしまうのではと心配しましたが、そうこうするうちに寒さがぶり返して、桜は今一度、開花のパワーを蓄えているかのようです。

 そんな今年の気象を考えているうちに、2つのことを思い起こしました。

 その一つは、少し教訓めいた話になりますが、随分暖かいなと思っていても、急に冷え込むことは、人生にはよくあるということです。

 ですから、ちょっと暖かいといって気を緩めることなく、逆に、冷たいといって縮こまることなく、冷たい時にはじっと力を蓄えて、次に備える心構えが必要です。

 もう一つ、この冬の天候から思い起こしたのは、アメリカの前の副大統領ゴアが使った、不都合な真実という言葉です。

 そこには、現代の社会をリードしている、体制側の人たちにとって不都合なという意味が込められていますが、それだけでなく、私たち一人一人にとって、さらには、この地球上に棲む、すべての動物や植物にとって、極めて不都合な環境になりつつあることは、間違いありません。

 皆さんが生きていく時代、その傾向は一層厳しくなるでしょうから、これから、社会人としても家庭人としても、この問題に、関心を持って活動できる人材になってください。  

 というわけで、どこからが祝辞の内容なのか、わからないような文章になりましたが、暖冬のおかげで、祝辞にふくらみを持たせることが出来ました。   

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腑に落ちない(3月18日)

 18日午前、東京から高知に戻る途中、JRの切符の自動販売機の前で、なぜだろうと思いながら、しばしたたずんでしまいました。

 それはなぜかと言えば、昨日、羽田からモノレールで渋谷まで行った時には、モノレールを使って山手線の沿線に行く場合には、どこで降りても500円という、割引チケットがあったのです。

 このため、この日、逆に渋谷から、羽田空港のターミナルまで行くにあたって、自動販売機の画面を目で追いながら、500円の割引切符を探したのですが、どこにも見当たりません。

 行きにあって帰りにないとはいかなることかと、しばし考え込んでしまいましたが、気がつくと、後ろに並んだ人が、いつまで時間をかけるんだと、いらいらしている様子が背中から伝わってきます。

 やむを得ず、「私鉄乗り継ぎ」と「浜松町経由」のパネルにタッチをして、660円の切符を買いましたが、なんとも腑に落ちない思いでした。

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今村昌平を知る(3月17日)

 17日夜、今年のアカデミー賞で、監督賞を受賞したマーチン・スコセッシ監督が、今村昌平を語るというテレビ番組を見て、教えられることが数多くありました。

 と言っても、映画に特段の趣味があるわけではないのですが、テレビのチャンネルを回しているうちに、たまたま、「アカデミー賞の授賞式を明日に控えた、マーチン・スコセッシにインタビューをした」というナレーションが、耳に入ってきました。

 これもまた、たまたまですが、これまで何度も監督賞にノミネートされながら、その度に受賞を逃してきたスコセッシが、今年の監督賞を受賞した後のスピーチで、「もう一度、本当かどうか確かめさせてくれ」とジョークを飛ばして会場を沸かせた、というニュースを少し前に見たばかりでしたので、何となく興味を感じて、テレビのインタビューに目をやりました。

 それは、今村昌平を師と仰ぐスコセッシが、今村の凄さを語るという内容で、ニューヨーク大学の学生の頃、「にっぽん昆虫記」を見て頬を叩かれた思いがした、という語りから始まります。

 正直を言って、この番組で採りあげられた、「にっぽん昆虫記」から「うなぎ」に至る作品を、一つたりともまともに見たことがないのですが、これらの映画に出演した俳優やスコセッシ監督の、実に生き生きとしたインタビューによって、それぞれの映画のテーマや、その中に込められた今村監督のメッセージが、居ながらにして伝わってきます。

 中でも、実在の連続殺人犯を題材にした「復讐するは我にあり」は、当時、主人公役の緒形拳と愛人役の小川真由美の絡みのシーンが、宣伝に使われていた印象しか残っていませんでしたので、連続殺人犯の軌跡をリアルに追うことに、何の意味があったのかと感じていました。

 しかし、この番組を見るうちに、人間を追い続けてきた今村監督が、人が人間性を失う時代の到来を、警告していたことがわかって、なるほどそうだったのかという気になりました。

 この他、映画作りの手法の斬新さなど、興味のある話ばかりで、いつの日か、たっぷりと時間が取れるようになったら、今村作品のDVDを買って、じっくりと見てみたいものだと思いました。


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気になる表現(3月16日)

 16日午後、定例の県議会が閉会しましたが、この議会で話題の一つになった、漁業関係の団体への、出資に絡む問題の質疑の中に、そうだったのかと感じることがありました。

 この問題は、同和対策事業の一つとして、行政の多大な支援を受けて作られた、水産関係の企業の破綻しかけた経営を助けるために、水産業に関連した融資に保証をつける団体に、県が出資をすることで、当該企業に迂回融資をしたのではないかと、指摘を受けたもので、県議会に、いわゆる百条委員会が設けられました。

 この企業が設立をされた当時は、相手側の言いなりに動くのが当たり前といった、行政としての主体性を欠いた、悪しき同和行政が根強くはびこっていた時代でしたし、その後も、特に幹部職員の中には、そうした、古くからの同和行政のゆがみを、引きずったままの職員が数多くいました。

 このため、この企業の経営を救うためには、裏技を使ってでも何かをしなければいけないと思い込んで、関係先を動き回った職員がいたことも事実です。

 しかし、僕は当初から、この企業を助けるための迂回融資などは、絶対にしてはいけないと、担当の局長に指示をしていましたし、その考え方で予算を組んでいますので、保証団体への出資には、後ろ指をさされるような問題点は何一つありませんでした。

 ところが、いつまでも、悪しき同和行政のくびきから抜け出せなかった職員が、自分の一方的な思い込みで筋書きを語ったために、何か表には出せないようなことが、組織的に行われたかのような憶測を招きました。

 結果的には、知事に証言を求めようという意見は退けられて、知事を証人に呼ぶこともないまま、百条委員会の幕は閉じられましたが、委員会の報告書の中には、知事の責任を問う表現が躍るという、常識的に見れば不思議な結末になりました。

 その中で、そうだったのかと感じたのは、その委員会に証人として呼ばれた元職員が、委員の一人から、以前に参考人として出席を求められた時に、なぜそれに応じなかったのかと問われた時の答えでした。

 というのは、僕も、なぜこの方は、参考人としての証言を断ったのだろうと思っていたからです。

 実は、前述した県からの保証団体への出資は、平成12年から18年まで、7回にわたって行われていますが、いずれも当然のことながら、県議会の議決を得て実行されています。

 ところが、迂回融資ではないかといった指摘が出たのは、昨年の4月14日のことで、今年度分の出資が県議会で承認された3月17日から、1ヶ月も経っていない時でした。

 このため、この元職員は、1ヶ月足らずの間に疑惑を知ったというのは、非常に納得がいかないので、納得のいく説明をしてほしいと求めたのですが、委員会からは、納得のいく返事はなかったといいます。

 さらに、この元職員は、昨年7月の地元紙の記事を引きながら、「結局一部の県議さんは、この問題を知っていながら、数回の予算の議決をされたのか。この辺が私は納得がいきません」と指摘していますが、その疑問への答えもないままでした。

 この日、議会の閉会を迎えるにあたって、今回の問題に関しては、こうした受けとめ方があったことも、心に留めておこうと思いました。

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喉もと過ぎれば(3月15日)

 15日午後、市町村担当の職員から、新型の交付税が、県内の市町村にどのように配分されたかの説明を受けましたが、この1年余りの経過を振り返ると、色々な意味で、喉もと過ぎればという言葉を思い起こします。

 新型交付税は、小泉内閣時代に、竹中総務大臣が提唱したもので、交付税の積算の基準が、あまりにも複雑で不透明になっているとの考え方から、交付税の一部を、地方自治体の人口や面積など、誰にでもわかりやすい基準で配分するように、改めようとする試みでした。

 しかし、地方のサービスの財源として欠かせない交付税を、単純に人口と面積だけで配分すれば、少ない人口が分散しているがために、同じサービスをするにしても、都市部に比べて何倍ものコストがかかる、過疎地域を数多く抱える地方は、自治体経営が成り立たなくなります。

 このため、地方からは強い反対が起きた結果、配分額を算定するにあたっては、単に人口や面積だけを基準にするのではなく、そこに様々な要素がつけ加えられることになりました。

 最終的には、人口が少ない分単価が割り増しになるとか、森林にかかる係数が上げられるといった形で、新型交付税の積算の基準は、再び複雑なものになっていきました。

 そもそも、地方交付税の本来の趣旨を考えれば、人口や面積割で、分かりやすくすればいいというものではありませんので、このような喉もと過ぎればの結果になることは、当たり前なのですが、もう一つ、喉もと過ぎればの感があるのは、新型交付税そのものへの意欲です。

 というのも、竹中大臣の時代には、この新型交付税の導入が、交付税改革の目玉でしたので、総務省の事務方も、それなりの重きを置いていたのですが、安倍内閣に変わって、新しい総務大臣が交付税改革の目玉に打ち出したのは、頑張る地方の応援というコンセプトでした。

 これは、行政改革や産業振興などの分野で頑張った地方に、交付税を手厚く配分しようというものですので、財源のばらつきを調整することで、どの地方に住む国民にも、安定的なサービスを提供できるようにしようという、地方交付税の本来の機能を、全く無視した考え方です。

 さらに、地方の取り組みを国が評価して、そのお眼鏡にかなった地方に「賞金」を配るというやり方そのものが、地方分権の流れに逆らうものです。

 こうしたことから、再び地方からは、強い反発が起きていますが、目玉づくりのために、思いつきで出される交付税対策の変遷を見ていますと、地方を何だと思っているのかとの感慨を覚えます。


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