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2007年5月

2007/05/23

錆びてはいない(5月15日)

 15日午後、県内の連合婦人会の総会に出席しましたが、会長さんからは、「産む機械」発言を上塗りした、県内の議員の発言を逆手にとった、力強い表明がありました。

 「産む機械」云々は、言わずと知れた、柳沢厚生労働大臣の失言ですが、これに抗議した県内の女性たちのことを、高知市の自民党の市議会議員が、「錆びた機械」と表現したため、県内では、大きな問題になりました。

 このため、この日の総会で会長さんは、開会にあたっての挨拶の最後を、「私たちは、まだ錆びていないことを、活動で示しましょう」と、力強く表明されました。

 なるほどと思って、僕も、来賓としての自分の挨拶の中で、この表現を借りましたが、県内を見渡したところ、錆びついた男性が一杯いるのに対して、錆びつくどころではない、元気な女性が多いことは間違いありません。


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キャリアーという言い方(5月14日)

 14日午後、HIVの感染者と、お話をする機会がありましたが、淡々とした話しぶりを聞いていて、世間にある偏見との妙な落差を感じました。

 何が原因かは、はっきり思い当たらないと言われるこの方は、日常生活には全く支障がありませんので、仕事を探されているのですが、窓口で求人の担当者からはOKが出ても、後になって、必ずお断りが来ると言います。

 また、逆に面談をした担当者から、「うちの会社には空調の設備があるのですが、ダクトを通じてウィルスが広がらないでしょうか」と、この程度のことも知らないのかと、驚いてしまうような質問を受けたこともあるそうです。

 そんな経験から、この方は、完全に直る治療法が開発されない限り、偏見はなくならないでしょうと、達観された様子ですが、発症を抑える効き目のある、良い薬が開発された今、感染者自身のこの病気に対する受け止め方と、根強く残る世間の偏見との間に、大きな落差があるように感じられました。

 と同時に、感染者のことを、英語を使って「キャリアー」と呼びますが、この言葉は「運ぶ人」という意味ですから、いかにも、ウィルスを運ぶという、偏見を呼び起こす表現のように聞こえます。

 現在の治療法の進歩や、基本的なことを守れば、絶対にうつることはないという、この病気の特質を考える時、「キャリアー」という言い方も、再考すべきではないかと考えました。

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一体誰だろう(5月13日)

 13日午後、高知市内のホールに、コンサートを聴きに行ったところ、出演者から意外な事実を聞かされて、驚いてしまいました。

 それは、めざましクラシックスと題された、フジテレビの朝の番組に名を取ったコンサートで、その情報番組のレギュラーを務める、フジテレビの軽部アナウンサーと、バイオリニストの高嶋ちさ子さんとが、軽妙な掛けあいを絡ませながら進行していきます。

 後半がスタートして間もなく、今日は橋本知事も来ていると紹介されたのですが、すると高嶋さんが、うちの実家の母は、橋本龍太郎さんと大学時代の同級生で、筆まめな橋本さんから、随分手紙ももらったと言っているといった、エピソードを披露されるではありませんか。

 とにかく筆まめで、よく手紙を書く人でしたから、これは間違いないと思って聞いていたのですが、「龍ちゃんではなく、龍太郎と呼びつけで呼んでいた」など、いかにも兄らしくて、高島さんの話を聞いているうちに、実家のお母様はどの方だろうかと、頭を巡らせてみました。

 というのも、大学時代に兄はよく、男女を問わず、同級生や体育会の友人達を我が家に招いていましたので、おぼろげながら、僕の記憶の片隅に残っているお姉さん方も、何人かいるからです。

 それだけに、公演後に楽屋を訪ねて、実家のお母様のお名前を聞きたいと思ったのですが、その後の予定があったため、それも出来ずじまいでした。

 でも、このままでは喉のつかえが降りませんので、改めてお尋ねしたいものだと思っています。


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乗馬のついでに(5月12日)

 12日午後、高知競馬の場内で行われた、イベントに出席をしましたが、その後で、引退した馬に乗せてもらったところ、取材していた記者から、「乗馬の勢いを借りて出馬宣言をしては」と、巧みに水を向けられました。

 これは、場内にあるログハウスの中に、南京錠を掛けるコーナーを作って、将来を誓った恋人同士が、お互いの愛をロックする名所に出来ればという企画で、苦戦が続く地方競馬を応援しようとの、思いが込められています。

 なんと、結婚30年が近づく我が夫婦が、愛の南京錠を掛ける、第一号を務めることになってしまったため、この日、そのセレモニーに出席しました。

 なんとも気恥ずかしい仕事が終わった後、連休中にも大人気だったという乗馬コーナーに行って、人間ならばほぼ同年輩だという、引退した馬に乗せてもらいました。

 馬の背中に乗るのは、子供の時以来、何十年ぶりのことでしたが、とても性格のいい馬だったせいか、とても気持ちよく乗せてもらいました。

 すっかり気分も爽快になって馬を降りると、ある新聞の記者が近づいてきて問いかけます。

 何かと思って聞くと、せっかくの乗馬ですから、馬つながりの勢いを借りて、この場で、次期の知事選挙に出馬表明というのはどうですか、との巧みな投げかけでした。

 なるほど、うまい水の向け方だと、思わずにんまりとしましたが、馬と違って、簡単に乗るわけにはいかない口車でした。

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江戸前の道楽(5月11日)

 11日午後、県内のフライ・フィッシングの愛好家の方々とお話しをする中で、江戸前の道楽にも似た趣を感じました。

 フライ・フィッシングとは、毛ばりを使った釣りのことですが、吉野川の源流域にあたる、県内の中野川川は、8キロ~10キロある川の全域が、毛ばり釣りの専用区域になっているという、全国にも例のない川です。

 専用区域だけあって、川に入れるのは1日に15人まで、それも予約がないといけませんし、キャッチ・アンド・リリースが決まりですから、釣った魚は、その場で放さなくてはいけません。

 この日は、その中野川川で、川の管理人に当たるリバーキーパーをしている方や、釣り仲間の方に、お話を聞く機会がありましたが、中野川川の自慢の一つは、天然の産卵にまかせているため、この5年間、放流をしていないことでした。

 聞けば、フライ・フィッシングは、川面に投げられた毛ばりが、いったん沈んでから浮いてくるのを、トビゲラなどの昆虫が孵化したと勘違いをして、アマゴなどが食いつくのを利用した釣りですが、養殖で育って放流をされた魚は、毎日、餌のペレットを上から投げられて育つため、水の中から浮き上がってくるものよりも、上から来るものに、反応するようになってしまうのだそうです。

 ただ、自然産卵で育ったアマゴとはいえ、キャッチ・アンド・リリースで、何度も釣られた経験のあるアマゴは、段々と利口になりますから、ちょっとやそっとの毛ばりでは騙されなくなります。

 このため、養殖魚を放流した、人工的な「管理釣り場」に慣れた釣り人の中には、高い入漁料を払っているのにちっとも釣れないと、文句を言う人もいるそうですが、本来の愛好家は、学習で知恵のついた魚との知恵比べが、何よりの醍醐味のようです。

 そのためには、毛ばりの出来と選択が命で、この日も、鶏の毛を使って自分で作った、自慢の毛ばりを持参されましたが、その数も半端ではありませんし、毛ばりを入れる箱も、それぞれに、木製の洒落た作りのものでした。

 そんな、お道具を楽しむ風情を見ていますと、江戸前の旦那衆の、道楽にも似た趣が感じられてきます。

 そもそも、リバーキーパーをしている方も、何十年か前に、アパレル関係の会社に勤めていた時に、海外の洋品のコマーシャル写真にあった、スコットランドの渓流でフライ・フィッシングをする、老紳士の姿にあこがれて、この道に入ったと言いますので、フライ・フィッシングという横文字のイメージとは裏腹に、西欧の紳士と江戸前の旦那衆の文化が融合したような世界が、そこにあるような気がしました。

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パーティー会話術(5月10日)

 10日夜、高知市内のホテルで開かれた、歯科技工士の養成にあたる学校の、全国協議会の懇親会で、会場の方とお話をしながら、我ながら調子がよすぎるなと、反省することがありました。

 県内には、歯科技工士とは切っても切れない縁にある、歯科材料を作るメーカーの工場があることもあって、今年の全国協議会の総会が、高知で開かれましたので、セミナーの後の懇親会に出席をしました。

 とはいえ、歯科技工士をめぐる、最近のトピックスを、それほど知っているわけではありませんので、立食のパーティーで、会場の皆さんと、どんな会話をしたらいいかと考えていますと、ある方が、保険点数の話をしてくれました。

 それは、技工士と同じく、歯科医師を補助する立場にある歯科衛生士は、保険の点数が考慮されるようになったのに、歯科技工士の仕事には点数がつかないということで、こうしたことが、仕事のモチベーションにもかかわるとのご指摘でした。

 そこで、この後お話をした方には、早速知ったかぶりをして、「保険の点数のことも課題ですねえ」と投げかけますと、「それももちろんですけれど、最近、歯科医院の中に技工室を置かずに、すべてを外注する歯医者さんが増えてますので、仕様書ごと中国や東南アジアに送って、向こうで作らす例も多いんです」という答えが返ってきます。

 そう言えば、県内に工場を持つメーカーの社長さんが、中国や東南アジア向けの輸出が増えてきたと、話しておられたことを思い出して、「中国や東南アジアへ輸出された材料も、結局は日本人向けなんですね」と水を向けますと、「そう、そうなんですよ」と話が弾みます。

 こんな事情も手伝ってか、技工士を養成する学校の関係者からは、定員割れが進んで、技工士の力が落ちていくのではとの、心配の声も聞かれました。

 そこで、学校の関係者と、定員割れをテーマに話をしていますと、名詞にクイック・レスポンス、「QRコード」と呼ばれるマークをつけて、携帯から情報を読み取れるようにしたところ、入試情報へのアクセスが増えたといった、学生の確保対策の工夫を、披露してくださる方もいました。 

 こうして、パーティーの中で収集した、俄かの知識を駆使して、斯界の権威とお話をしていたところ、この先生から、「さすが知事さん、よく勉強をしていらっしゃる」と、ほめられてしまいましたので、我ながら調子がよすぎるなと、心の中で反省しました。

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行きつけの床屋(5月9日)

 10日夕方、行きつけの床屋で、ご主人が孫を抱いて出迎えてくれたのを見て、16年の歳月を感じました。

 16年前の夏、高知に越してきた時に、まず考えたことの一つは、どこの床屋に行こうかということでした。

 というのも、髪には結構こだわりがあったからですが、そんな時、初めての選挙に向けて、運動中から車の運転を担当してくれた人が、紹介してくれたのがこの店でした。

 それは、彼とこの店のご主人とが、故郷が同じ旧友だったからですが、それ以来、通い続けることになりました。

 店は、古くからの道が、そのまま残るような、狭い市道に面しています。

 このため、真向かいにある印刷屋の女主人と、商工会議所の会合で出会った時、彼女から、「どうして、知事さんが、あんなせせこましい場所にある床屋さんに」と、尋ねられたこともありました。

 16年の間に、少年だった2人の息子は、長男は自衛官に、次男は店の跡継ぎとして父親の手伝いをと、それぞれ一人立ちをしました。

 また、首からかけた前掛けに落ちる僕の髪も、9割以上の黒から、9割以上の白へと変わりました。

 洗髪や顔の手入れなどをしてくれる奥さんから、眉毛にも白いものがあったと、感慨深く同情を受けたこともありました。

 この日、仕事を終えて店を訪ねると、店の前でご主人が、お孫さんを抱いて出迎えてくれました。

 その姿を見て、16年にわたる、長いおつきあいを思い起こしました。


 

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もう一つの風(5月8日)

 8日午前、統一地方選挙後初めての、臨時の県議会が開会しましたが、新しい会派の名前を見ていて、ある人が冗談めかして言った話を思い出しました。

 高知県議会は、毎年、議長と副議長が交代するのを恒例としていますが、今年は4月に県議会議員の選挙があったため、選挙後の臨時の議会で、議長などの選任が行われます。

 あわせて、この選挙でめでたく当選をされた議員の方々の、議席の確定も行われます。

 この議席は、執行部席から向かって、右側の自民党から左側の共産党まで、会派ごとに並ぶのですが、今回から新しくできた新人議員の会派には、「風」のついたものが2つあります。

 その1つは、県中央部の、海沿いの地域を地盤に選ばれた2人の議員が作る「南風(みなみかぜ)」、もう1つは、県西部の選挙区から初当選した議員の作る、1人会派の「西風(にしのかぜ)」です。

 この日、これらの新人議員も、議会初登庁になりますので、壇上から、議席表や会派名を見ていたのですが、そのうち、新しい会派の名前がマスコミに報じられた時に、ある人が、冗談めかして言った話を思い出しました。

 それは、「ずいぶんと、あちこちから風が吹いているね」という切り出しで、「いっそ知事も、これにならって、新しい会派を作ってみたらどうだ」と続きます。

 その心はと尋ねると、「知事の場合は、いつも逆風にさらされているから、つけるならば、『逆風』と書いて『さかさのかぜ』とでも読ませたらどうだ」という落ちでした。

 なるほどと、一緒に笑っては見たものの、好き好んで逆風に立っているわけでもないのにと、複雑な心境でした。


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いきなり4本(5月7日)

 連休明けの7日から、久々に職場復帰しましたが、初日からいきなり、ご挨拶が4本あって、連休中は止まっていた、頭の回転数を高めるのにかなり苦労をしました。

 7日は月曜日ですから、週明け恒例の庁議から始まりましたが、予定表を見ると、午前1本午後3本と、あわせて4本のご挨拶がありますので、紙を見ずに、自分の言葉で話すことをモットーにしている自分にとっては、若干のプレッシャーでした。

 初っ端は、午前中に行われた、春の叙勲と褒章の伝達式でしたが、これは、毎年春と秋の恒例行事ですから、「昔と違って長寿社会の今は、勲章を受けることは人生の通過点に過ぎません」という決めの言葉をいれて、受賞者の長年の労をねぎらいました。

 続いて、午後一番に開かれた県内の警察署長会議では、知事とともに、地方検察庁の検事正と公安委員長が挨拶をしますので、「全国的に刑法犯の認知件数が減っていますし、本県でも、皆様方のご努力の賜物で同様に・・・」と、同じ流れの言葉を繰り返したのでは、いささか沽券にかかわると思えてなりません。

 そこで、高齢者などを狙った、悪徳商法がらみの犯罪が多いといった話にかこつけて、県の消費生活センターとの連携や、さらなる情報の共有などを、ご挨拶の味付けに使ってみました。

 午後、この後に続いた、高知トヨペットとの「協働の森」の調印は、地球温暖化の防止を念頭に、間伐も行われていないような森林の整備に、企業の力を借りようという試みで、調印式だけでも、この日ですでに10回以上を数えます。

 このため、ご挨拶の筋は、ほぼ毎回繰り返しとなりますが、それだけにここでも、何か新しい要素をつけ加えねばと考えて、結構頭を使いました。

 最後は、中華料理店やラーメン屋さんの組合の、総会の後の懇親会でのご挨拶で、こちらは、連休中に、我が家の料理当番をしたことなどを、さも自慢げに紹介しながら、中華料理は熱と一瞬の手さばきが決め手と思うので、そのあたりのコツを教えてくださいと、お願いをして結びにしました。

 ということで、挨拶の準備で、ほぼ一日がくれていきましたが、一週間も頭を休めた身には、いきなり4本のご挨拶は刺激的でした。

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旅行日のため休刊(5月6日)

 6日は、連休を終えて、休養先から高知に戻る旅行日で、ブログに書き留めるような出来事がありませんでしたので、お休みをします。

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ついに蛸が(5月5日)

 5日夜、連休中の料理当番最後のこの日、これまで悩んでいた蛸のゆで方が、少しつかめたような気分になりました。

 というのも、これまで幾度か、生の蛸をゆでてみたのですが、何度やっても硬くなりすぎて、うまくいかなかったのです。

 にもかかわらず、料理の本で、蛸を使ったおかずの調理法を見ても、ゆでた蛸を使うところから始まるため、生の蛸をゆでるという、難関を越えられないままでした。

 そうしたところ、連休中に我が家を訪ねてくださったご婦人が、蛸のゆで方を教えてくれました。

 それによると、まずはヌルヌルとした表面のぬめりを、糠か大根おろしを使って、揉むようにして落とします。

 十分にぬめりが取れたら、沸騰したお湯に入れて、1分から2分足らず、赤みがかったら引き上げればよいとのことでした。

 要するに、それ以上ゆでていると硬くなるとのことで、これまでの失敗作は、ことごとく、ゆで過ぎが原因と判明しました。

 糠がありませんでしたので、大根をおろして蛸を揉むと、確かに気持ちよくぬめりが取れます。

 続いて、煮えたお湯に入れて1分半あまり、赤みがさしたくらいで取り出すと、硬すぎない程よい噛み心地で、また一つ利口になった気がしました。


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「かつぜつ」は何故ないか(5月4日)

 4日午前、知人のご家族と、日本語のあれこれを話題にする中で、なぜ広辞苑に出ていないのかと、不思議に思っている言葉のことを持ち出してみました。

 それは、「かつぜつ」という言葉で、歯切れの悪い話し方や、聞き取りにくい話し方を、「かつぜつ」が悪いなどと使います。

 先日、テレビの番組の中でも、「かつぜつ」が悪いという表現が出てきましたので、そう言えばどんな字を書くのだろうと思って、愛用している電子辞書で、広辞苑を引いてみました。

 ところが、何度やってみても、「かつぜつ」が出てこないのです。

 このため、この日、わが家を尋ねてこられたご家族と、日本語の使い方などを話題にしている中で、このことを思い出して、「かつぜつ」という言葉を使いますよねえと聞いてみました。

 すると、お嬢さん方に至るまで、みんなが知っている言葉で、「割」に「舌」と書くのかななどと、話もはずんだのですが、広辞苑に出ていないことを紹介すると、早速妹さんが、電子辞書を叩いてみました。

 やはり、広辞苑には出てこないことが確認できましたし、ついでに和英辞典も引いてくれましたが、ここにも「かつぜつ」はありませんでした。

 こんなに、みんなが知っている言葉なのに、何故だろうというのが結論でした。


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9条以外を見る目(5月3日)

 3日は憲法記念日ですので、報道の中にも、9条絡みの話が数多く出てきましたが、せっかくの機会ですから、9条以外の条文にも、もう少し関心を寄せてみてはどうかと思いました。

 もちろん、9条は大切な意味を持ちますので、憲法記念日を機会に、9条論議が取り上げられるのは当然なのですが、それと同時に、この日くらいは、日頃気にすることもなくなった他の条文を、話題にしてもいいのではと思ったのです。

 といって、そんなに深い考えがあるわけではありませんが、例えば、地方分権の絡みでも、憲法上は、国と地方の位置づけや、地方の権限が明確になっているわけではありませんので、いくら分権を叫んでも、実質的な力を持つ国に、地方は押し切られてしまうことになります。

 また、高知県のような森林県から国土を見ていますと、地球温暖化の防止や水資源の涵養にも関わる森林資源を、他の財産と同じように、次々と分割相続をしていっていいのだろうかと疑問を抱きます。

 というのも、このままですと、森林の所有者が全国に細かく分散をして、森林の手入れなどが、ますます難しくなると予想されるからですが、そのことは、国益にも関わってくる問題だと思います。

 この他にも、環境権など、戦後生じてきた新しい権利の位置づけや、逆に義務に関わることなど、9条以外にも、国の形から暮らしに関わることまで、時代の変化とともに、見つめ直すべき課題はいくつかあるはずです。

 といったことを、この機会に提起してはどうかと、憲法記念日の報道を見ながら感じました。

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高知県だけが(5月2日)

 2日夜、全国の数多くの高校が、野球憲章に違反して、特待生の制度を設けていたとのニュースを見る中で、高知県だけが、そうした報告をした高校が、1校もないことを知りました。

 この問題では、卓球やサッカーなど他のスポーツでは、特待生が認められているのに、野球だけ駄目というのは、公平性を欠くではないかとか、そもそも、傑出した才能に投資をするのは、当然のことではないかなどと言われると、それもそうだと思います。

 その一方で、現実問題として、わが国の高校スポーツの中で、野球は全く別格の存在だとか、特待生の制度をそのまま認めていけば、もう一つの問題である、他地域への野球留学を、さらに助長することになるといった意見を聞きますと、それももっともかと思えてきます。

 この春の選抜で、久々に出場した県立高校の応援に出かけて、興奮のおすそ分けをもらった身としては、同じ都道府県内の中学からの進学なら、特待生を設けるのも自由だが、その境を超えて、他の都道府県の高校に野球留学をした場合は、特待生の扱いを受けるなら、甲子園には出場できないとでもしてもらえれば、地元との密着度は高まるかと思います。

 ただ、思いつきで言っていますので、こんなことをしても、そこにはきっと、色々な問題が出てくるのでしょう。

 とはいえ、この日夜の時点で、全国46の都道府県の334校が、野球部の生徒に特待生の制度を設けていたと、高野連に報告をする中で、高知県だけ、そうした高校が1校もなかったのはすごいことだなあと、感心してニュースを見ていました。

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2人の弁護士の思い(5月1日)

 1日は、以前この欄にも書いた、19年前に中国で起きた列車事故に関する記録の中から、2人の弁護士が書いた文書を読み返してみました。

 この事故は、1988年3月に中国の上海郊外で起きた、列車同士の正面衝突事故で、学校の創設30周年を記念した、初めての海外での修学旅行を楽しんでいた、私立の高知学芸高校の生徒27人と、引率の先生1人が亡くなりました。

 ところが、その後19年たった今になっても、亡くなった生徒の家族と学校との間に、大きな溝が横たわっている上、未だに事故の報告書さえ作られていないという、教育機関としては、常識では考えにくい状況が続いています。

 このため、20回目の慰霊式の知事挨拶の中で、このままではいけないと呼びかけたことを、3月24日付けのこの欄に書きました。

 それがきっかけで、関連の資料をいくつか集めましたので、この日、一部の家族が学校側を訴えて、一審の敗訴で確定をした判決の内容や、この事故に関わりのあった2人の弁護士が、その判決を受けて、学校側に送った文書を読み返してみました。

 その判決は、1994年10月17日に、高知地方裁判所で言い渡されましたが、列車事故は、運転士の信号の見落としが原因なので、法律上は、学校には賠償の責任がないとして、家族の訴えそのものは退けられました。

 しかし、判決の中で裁判所は、引率教員ではない当時の校長が、事前に出かけた5泊6日の、北京と成都へのパック旅行を、修学旅行の下見だったと主張する学校側の姿勢を、「遺族の感情を逆撫でし、無念の思いを募らせる結果になった」と指摘しています。

 さらに、校長、教職員、理事会を含めた学校側の、「教育者としての責任を追及する、適切な手段が他に無かったが故に、なお賠償責任の追及という形式で、争わざるを得なかったことは十分理解できる」と、自らが敗訴を言い渡した原告側の家族への、深い同情さえ示しているのです。

 この判決を受けて、学校側に行動を呼びかけた弁護士が、2人いました。

 お一人は、事故当時に高知学芸高校の理事をされていた方で、1994年12月21日付で、「理事会開催等の申出」と題する文書を、当時の理事長と校長宛に出しています。

 その文書は、「言い渡しがあって間もなくのとき、理事長から、後で連絡する旨の話がありましたが、現在に至るも理事会の招集がなく、越年しようとしています。その後すぐにも、反省の会があるものと期待していましたが、二ヶ月以上たっても理事会が開催されません。都合の悪いことに頬かむりして、ひたすら風化を待つようなことになってはなりません」との、書き出しで始まります。

 加えて、「上海列車事故は、法的な面とは別に、教育現場における道義的責任があることは、誰もが認めるところでありながら、これについて、理事会として審議したことは一度もありません」とした上で、
1.理事の全員に、判決書のコピーを配布して検討させること
2.その上で理事会を開催し、学芸の道義的責任を審議して対応を考えること 
3.この申出書のコピーを、理事と評議員の全員に配って、私の意見を検討してもらうこと
の3点を求めています。

 その上で、この弁護士さんの文書は、「私は、学芸には、理事、評議員、先生の中に、一人も責任をとれという人がいないのかということを、何人かの人から聞かされています。学校の信用や名誉にかかわることと考えますので、よろしくお願いします」と、結ばれていました。

 もうお一人の弁護士は、事故後に、中国との交渉役を無償で買って出られた、やはり高知県出身の弁護士で、同じ1994年の12月26日付けで、学校の評議員宛に「勧告書」を出しています。

 勧告書は、まず判決の内容について、学芸高校の行動に腹をすえかねた裁判所が、教育機関としてあるまじきことと、学校を非難したものと考えざるを得ないとした上で、これだけの大惨事なので、理事長と校長は、混乱が収束すれば直ちに道義的責任をとって、辞職すると多くの人が思っていただろうと、それまでの流れを振り返っています。

 にもかかわらず、2人とも辞任しないだけでなく、校長は、県をはじめ四国や全国の、私立の中学高校教育界の指導者になってしまったと指摘して、「下見に名を借りて、校費をもって観光旅行し、懲戒処分にあたいする人物を、理事会や教職員会が、どうして全国の檜舞台に送り出したのか」、理解できないとしています。

 あわせて、遺族との和解が難航した主たる原因は、「学校が保身に終始し、誰も責任をとらない」ことにあったし、和解をした遺族も、「学校の対応に満足したからではなく、学校との交渉に疲れ果て、諦めの境地で応じたケースが多い」と断じています。

 こうしたことを踏まえて、「命がけで中国と交渉したのは、遺族、負傷者の痛々しい姿が、見るにしのびがたかったためで、学校当局者の責任のがれを、助長するためではありませんでした」とした上で、「学芸高校が教育機関として立直り、遺族の悲しみを鎮めるため」、理事長や校長の引責辞職と、理事全員の辞任などを勧告しています。

 先月の末、東京丸の内の事務所に、この弁護士さんを訪ねました。

 中国との交渉中に裁判が提訴されると、相手側に足もとを見られるので、ご家族に対しては、「交渉が終わったら、学校はけじめをつけますから、それまでは待って下さい」と説明をしていたし、実際にそうなると信じてもいたと言われます。

 「この事故では、県も公立高校以上に踏み込んだ対応をした。いつから高知県は、こんな無責任な県になったのかと、この一件以来、高知が嫌いになった」という言葉を思い出しながら、このままではいけない、何とかしなければという思いを強くしました。 


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2007/05/07

若者向けの新聞が出来たら(4月30日)

 30日夜、バブルの時代からの、20年を振り返るというバラエティー番組で、若者言葉の変化を興味深く見ました。

 番組によれば、最近の若者の話し方は、「好きみたい」、「好きかも」、「好きかどうか微妙」など、はっきり断定をしない言い振りに特徴があります。

 これは、少子化が進んで、こども達が大切に育てられる中で、なるべく周囲と波風を立てないように、始めのうちは様子をうかがっていて、やがて全体の方向性が見えてきたら、はっきりとした物言いに変えていくというビヘイビアが、身についているからではないかというのが、こうした若者言葉の特徴に対する番組の分析でした。

 ただ、はっきりと断定しないことを、否定的に見ずに、むしろ、肯定的に捉えようという向きもあるようで、番組のコメンテーターからは、昔ながらの農村型社会が、復活しつつあるのかもしれない、といった意見も聞かれました。

 その中で、若者に、もっと新聞を読んでもらうために、見出しや記事の書き方を、若者向けの表現に変えてみようという企画は、なかなか斬新でした。

 例えば見出しを、「財政危機かも」とか、「赤字国債増大みたい」といった書き方にしてみようとの提案で、その中でも、「税収はさりげによさげ」という、論説の見出しが笑えました。

 と同時に、言葉の使い方は、その時代時代の新しいメディアの出現と、深い関係があることを思い起こしながら、若者言葉で表現したメディアが現れた時の、面白さを想像してみました。

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しばらくは料理番(4月29日)

 29日から来月6日までの、ゴールデンウィークの間は、完全オフにしましたので、妻との約束で、この間は料理番を務めることになります。

 この日は、その初日に当たりますので、まず冷蔵庫から、使えそうな残り物を引っ張り出しました。

 出てきたのは、いずれも冷凍された、キンメのぶつ切りや長太郎貝にゲソ、野菜では、完熟トマトの残りやゴボウなどで、牛肉の塊は、いきなり全ては解凍できませんから、でこぼこした淵のところを、凍りついたまま、ぽろぽろと包丁で削ぎ落としました。

 こんな材料をもとに、焼いたキンメに、完熟トマトのソースをかけたものをメインに、笹がきゴボウと牛肉の炒めものやゲソの唐揚げ、さらには、焼いた長太郎貝を柚子胡椒で等など、一汁五菜に挑戦しました。

 作るのも片付けるのも苦にはなりませんが、何分にも、料理の完成までに時間がかかるたちですので、休暇の期間、最後まで続くかどうかが心配です。

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全員が銃を持っていれば(4月28日)

 28日夜、アメリカでの生活が長かったご夫妻と、食事をともにする中で、アメリカならではの話を聞いて、なるほどと感心してしまいました。

 この日は、わが夫婦と、中学・高校時代からの親友夫妻、それに、その友人の姉夫婦という組み合わせでしたが、我々の同級生のアメリカでの失敗談が、まずは笑えました。

 それは、彼が証券会社の社員として、アメリカに駐在していた時のことですが、現地にお見えになった会長夫人の、接待役を仰せつかった際に、とてもおいしい肉料理が出てきたため、夫人から、「何のお肉かしら」と尋ねられました。

 そこで、彼が店の人に、何の肉かと尋ねると、ドッグだと言うので、「犬の肉のようです」と答えたところ、夫人が「え~っ、犬の肉」と絶句して、辺りには気まずい雰囲気が漂いました。

 後になってから、店の人がダック(duck=あひる)と答えたのを、彼がドッグ(dog=犬)と聞き違えたことがわかったのですが、まさに後の祭で、それ以来彼は、出世コースから外れたというのが話の落ちでした。

 その話がきっかけで、最近の、アメリカのニュースのあれこれが話題になる中で、先日、バージニア州立大学で起きた拳銃の乱射事件に話が及びました。

 その時友人が、「教室にいた学生が一斉に犯人に飛びかかれば、あんなことにはならなかっただろうに」と言ったのに対して、友人の義兄が紹介してくれた話が、僕にとっては目から鱗でした。

 それは、全米ライフル協会の、この事件に対する反応で、日本では、この事件がきっかけになってアメリカでも、再び銃の規制が話題になるかもしれないと、取り沙汰されていた中で、全米ライフル協会は、「学生が全員銃を持っていれば、あんな悲惨な事件にはならなかった」とのコメントを出したというのです。

 なるほど、そう言われれてみればその通りだと思いながら、自己防衛に対する考え方や文化の違いに、改めて感心してしまいました。

 ついでに、アメリカに住んでいた時には、銃を持っていましたかと尋ねてみますと、スーパーで売っていたので、22口径のピストルを買ったと言います。

 その使い道はと問えば、近くの川に鮭が上がってきた時に、ピストルで撃って、川面に浮いてきたのを網ですくったとのことで、その方が、釣りをするより手っ取り早いからというお答えでした。

 これは、文化の違いとは言えない異聞の類でしょうが、銃社会ならではの経験談であることに、違いはありませんでした。

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計算高い男(4月27日)

 27日夜、東京で、田中角栄氏をはじめとする、歴代の首相らの、ホームドクター的な役割を果たしてきた医師から、日中の国交回復が実現した当時の、思い出話を聞きました。

 この方は、戦前中国大陸に生まれて、西安の医学院で学んだ後、日本に帰国しましたが、1972年の日中国交回復の折に、当時の田中角栄首相に請われて、内科の主治医として訪中に同行しました。

 それ以来、政界との関係が深まって、兄龍太郎にとっても、かけがいのない存在でしたので、僕も、20年来のおつき合いをいただいています。

 田中氏との縁は、新潟にいる氏の縁者を、医師として世話をしたのがきっかけで、その噂を聞きつけた田中氏が、ある日突然電話をしてきたのだそうです。

 電話に出るといきなり、「もしもし、田中だが、総理の田中だがね、今度中国に行くにあたって、外科の主治医は決まったんだが、内科がまだなので、ついては、内科の主治医として同行をしてもらいたい」と、あのしわがれた声でまくしたてます。

 その時は、びっくりしたこともあって、「それはいけません、日本の恥になりますからいけません」と言って電話を切りました。

 後日たまたま、当時の厚生大臣で、高知県選出の参議院議員だった塩見俊二氏が、地元の高知市で、旧友の高知市民病院の院長と話をしていた時、話題の医師は、院長が京都大学時代に面倒を見た人で、成績が抜群だったとの評判を聞きます。

 このため、塩見大臣にも口説かれて、訪中に同行することになったのですが、その時医師が発した、「なぜ私が」という問いかけに対して塩見氏は、「田中は計算高い男だからなあ」と語ったと言います。

 舞台は中国に移って、時の周恩来首相と田中首相との会談の席上、同席していたこの医師を話題に周恩来首相が、「日本には、毛並のいい馬がいくらもいるでしょうに、こんな毛並の荒い馬に乗ってきて下さって有難う」と水を向けますと、田中首相は、「磨けば、本郷よりはずっと良くなりますよ」と答えます。

 この時医師は、田中首相についていた通訳が、首相が日頃から、東大出の人のことを「本郷」と呼ぶ癖があるのを知っていて、「本郷」という言葉を、「東京大学の出身者」と訳したのを聞いて、さすがと感心をしたそうですが、そのやりとりで、一度に座がなごみました。

 その話題に合わすように、医師のそばにいた中国側の要人が、かたわらのテーブルの果物を取って、「これは西安から来た果物ですよ」と、医師の口もとに果物を運んでくれたと言います。

 中国らしいと言えば、中国らしいやりとりですが、帰国後医師が、塩見大臣にこの顛末を報告しますと、大臣から返ってきたのは、「ほらみろ、田中は計算高い男だろう」という言葉でした。

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市町村合併の影響か(4月26日)

 26日午後、東京の赤坂御苑で開かれた、春の園遊会に出席しましたが、これまでと比べて、来場者の数が少なかったように感じられました。

 この日は、とても暖かい日和で、日向にいると汗ばむほどの陽気でしたが、園内を歩いているとあちこちで、懐かしい顔に出くわします。

 その中の一人は、僕がNHKの記者として、宮内庁の記者クラブを担当していた当時から、20年余りにわたって、全国紙の皇室担当を務めている記者で、僕と、ほぼ同い年ですので、そろそろ定年といった話題から会話が始まります。

 彼が勤める新聞の、この日の朝刊のトップには、昭和天皇の最期を看取った侍従が残した、日記に関する記事が掲載されていましたが、この日記は、その侍従が生前に、彼に託した特ダネでしたので、その話題を持ち出しますと、「橋本さんの名前も、何度も出てきますから、是非読んでみて下さい」と言います。

 聞けば、取材に来た記者のことを、名前入りで書きとめてあるとのことですので、それでは、現役時代にろくな取材をしていなかったことがばれてしまうと、内心穏やからぬ思いで話を聞きました。

 彼と別れて、御苑の中央付近に戻った時に、ふと感じたのですが、以前と比べて、どうも来場者が少ないように思えるのです。

 例えば、天皇皇后両陛下をはじめ皇族方が、来場者と話を交わしながら歩いていかれる、砂利道の沿道には、かつては二重三重の人垣が出来ていましたが、この日は、皇族方のお出ましの時刻が迫っても、結構ゆとりがあります。

 そんな光景を見て最初は、統一地方選や参議院の補選の疲れかとも思いましたが、よく考えてみれば、それは、あまり関係ありそうに思えません。

 そこで思いついたのが、市町村合併の影響でした。

 というのも、市町村長や市町村議会の議長は、園遊会が開催されるごとに毎回、一定の割合の人が招かれるのですが、その母数にあたる市町村の数は、平成の大合併の結果、以前の3232市町村から1804市町村へと、1400以上も減っているからです。 

 つまり、単純に計算をしても、首長と議長のうち合わせて2800人が、招待客の対象のリストから、姿を消したことになります。

 確かなことはわかりませんが、そんなことも理由の一つだろうかと、思わぬところで、市町村合併の影響を感じていました。

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罠と網(4月25日)

 25日午前、5月の臨時県議会に提案する議案の説明を受けましたが、その中に、法律改正の背景に、興味を感じるものがありました。

 それは、地方税法の改正に伴う、県税条例の改正に関わることですが、地方税法の改正は、改正の準備に要する時間や国会での審議の関係から、例年4月1日付けの改正になるため、それに連動する条例の改正案は、2月県議会の審議には間に合わず、その後の最寄りの議会に、報告議案として提案されるのが常になっています。

 今年も、いくつかの改正がなされましたが、面白いなと思ったのは、狩猟免許の登録に掛かる税で、これまで、「罠」と「網」の登録が一本で、16, 500円だったものが、今年度からは、「罠」と「網」が別立てになって、それぞれ8, 200円と、どちらか一つの免許さえあればいいという人にとっては、税額がほぼ半額になるという改正です。

 免許を持つ人のほとんどが罠を使っていて、網を使う人は少ないという現状に合わせる狙いとともに、猟の対象になる動物がふえる中で、免許の登録に掛かる税を下げることで、猟をする人をふやそうという狙いも、込められているようです。

 罠を扱う人の数を、現状のままと仮定すれば、この改正によって本県の税収は、数百万円ほどの減収になりますが、この説明を聞いていて、改正の背景には、どんな動きがあったのだろうかと思い量りました。

 というのも、今回の地方税の改正では、「罠と網」の項目を見直しただけでなく、地球温暖化の防止に寄与するとの理由で、ハイブリッド車などに掛かる、税の優遇措置が延長されていますが、その背景に、自動車業界などからの働きかけがあったであろうことは、容易に想像出来るからです。

 これと同様、「罠と網」に関しても、市町村の関係者や狩猟に関わる団体などから、何らかの要望が伝えられたのだろうか、だとすれば、鳥獣の被害に悩む地域の人たちの思いは、そこにどう反映されたのだろうかなどと考えたのです。

 といったわけで、山に生きる動物たちと、その害に悩む山村の現状から、霞ヶ関での法の改正作業までを追いかけていけば、何かが見えてくるのではと興味を感じました。 

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気にかかった歌詞(4月24日)

 24日は、朝こども達と一緒に歌った、童謡の「鯉のぼり」から、夜のテレビで聞いた南こうせつの新曲に至るまで、歌詞の内容が、何かと気にかかる一日でした。

 この日は、こどもの日を前にした恒例行事として、朝から、県立美術館の庭で、幼稚園や保育園のこども達と一緒に、鯉のぼりを上げました。

 その後、空中に泳ぐ鯉のぼりを前に、こども達と、童謡の「鯉のぼり」を歌ったのですが、「屋根より高い鯉のぼり、大きな真鯉はお父さん、小さな緋鯉は」に続く歌詞を、僕は、「お母さん」とばかり思っていました。

 ところが、かたわらの園児たちは大きな声で、「こどもたち」と歌っているではありませんか。

 「そうか、それじゃあお母さんはどこにいるんだろう」などと思いながら、2度目の繰り返しの時には、僕も、「小さな緋鯉はこどもたち」と、声を張り上げていました。

 その夜、テレビの歌謡番組を見ていると、南こうせつが、懐かしの「神田川」に続いて、やはり喜多条忠が作詞をした、「恋はるか」という新曲を歌うと言います。

 何気なくつけていた番組でしたが、その時司会のアナウンサーが語った、「喜多条忠さんはこの歌を、その後の神田川と言っています」というナレーションを聞いて、はっと画面に見入りました。

 というのも、「あなたはもう、忘れたかしら」で始まる「神田川」が、一世を風靡した頃、高校時代の友達と、この歌の主人公の2人は、今は別れているか、それとも、一緒に幸せに暮らしながら、貧乏暮らしの昔を懐かしんでいるだけかと、くだらない議論を真面目に戦わせたことがあったからです。

 その時は、結論は出なかったのですが、「その後の神田川」という紹介を聞いて、もしかしたらこれで、長年の疑問が解けるかもしれないと期待を持ったのでした。

 ところが、残念ながら、新曲の「恋はるか」と「神田川」との間には、僕が期待したような意味での、連続性はありませんでした。

 作詞家の喜多条忠にとって、「その後の神田川に値する作品」という意味だったのかなと思いましたが、朝の鯉から夜の恋まで、何かと歌の歌詞が気になる一日でした。 
 

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衣の下の鎧と言われぬために(4月23日)

 23日午前の庁議で、今年度立ち上げる、プロジェクトチームの事例が報告されましたが、目的の立て方が、ずれてはいないかと注文をつけました。

 これまでも、部局の枠を超えたプロジェクトチームは、いくつも作られましたが、予算の提案や、事業の執行に関わる権限が与えられていなかったため、結局は、部局間の調整作業に、終始することが少なくありませんでした。

 このため、今度こそ、予算提案や事業執行の権限を持った、プロジェクトを作ることにしましたが、チームの組み立て方の参考にと、今年度立ち上げるプロジェクトの事例が、この日の庁議で紹介されました。

 それは、県有の施設に企業の名前を冠することで、企業からPR料をいただこうという「ネーミング・ライツ」と、県の職員住宅の空き部屋の利活用という、2つのプロジェクトですが、それぞれの設置目的を見るうちに、少々文句を言いたくなりました。

 というのも、設置目的の書き方がいずれも、上からものを見下すという、役所の習性から抜け出せていない感じがしたからですが、例えば、職員住宅のプロジェクトの目的欄の書き出しは、「職員住宅の集約化を進めるとともに」で、その結果空いた住宅を、地域の活動に使ってもらうという順番になっています。

 しかし、そもそも、このことがプロジェクトになった経過を振り返ってみますと、空いている職員住宅の部屋を、福祉のボランティアなど、様々な活動に使いたいという地域からの要望に対して、職員が使っている建物の一部を開放すると、管理上難しい側面もあることから、住宅として使う棟を集約化することで、丸ごと空けた棟を、地域活動に使ってもらおうという発想がきっかけでした。

 であれば、プロジェクトを立ち上げる目的の書き方も、「地域の方々に様々な活動に使っていただくために」が始めに来て、その後、「そのために、職員住宅の集約化を進める」という流れにならなくてはなりません。

 そうすれば、まず各部局や出先の事務所を通じて、地域での要望を聞いた上で、どこの住宅を空ければ、地域の方に使いやすいかを考えることが出来ますが、集約化を第一の目的に掲げてしまうと、役所に都合のよいように集約化が図られることになりますから、せっかく空いた棟を作ったとしても、地域の方には、使いにくいものになりかねません。

 同様に、ネーミング・ライツの目的も、「県有財産の命名権を活用することにより、企業の地域貢献の受け皿を作る」となっていますが、高知県の実力からして、そんなおこがましい話はないので、本来ならば、「民間の企業にご利用いただくため」とならなくてはなりません。

 などと注文をつけたのですが、役所に根強く残るこうしたお上意識を、完全に払拭しない限り、県民のためと銘打ったプロジェクトを立ち上げても、口さがない人からは、所詮衣の下から鎧がのぞいていると言われかねません。
 

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不毛な戦いを強いるな(4月22日)

 22日夜、この日投票が行われた、高知県東洋町の町長選挙で、最大の争点だった、高レベル放射性廃棄物の処分場の建設に向けた調査に対しては、町民の反対の意思がはっきりと示されましたが、このような形での選挙を強いた国の原子力政策には、強い怒りをおぼえました。

 選挙の結果は、町民の皆さんの判断ですから、知事がとやかく言うべきことではありませんが、核廃棄物の処分場の調査を受け入れようとして、選挙で破れた前の町長さんも、決して、望んで戦った選挙ではなかったように思えます。

 また、本当は、県に対しても知事に対しても、声を大にして、言いたいことがあったのではないかと思うのです。

 というのも、かつて、大阪の南港と東洋町の甲浦とを結ぶ、フェリーが就航していた当時、東洋町のことを、高知県の東の玄関と呼んでいたのですが、町の方からは、「玄関というのなら、それにふさわしい整備をしてほしい」と、よく言われたものでしたし、そのフェリーの経営が難しくなった時、運航の継続を目指して町は、最大限の努力をされたにもかかわらず、結局は、運航休止に追い込まれたという経過があったからです。

 しかも、以前は40億円を超えていた予算規模が、20億円を割るという状況の中で、年5億円の交付金がいかに魅力的であったかは、容易に想像がつきますし、その間に、県は何をしてくれたのかという思いがあるのであれば、そうした不満や批判は、正面から受けとめなくてはなりません。

 ただ、そうは言っても、高レベルの放射性廃棄物の処分を引き受けるのならと、札束で頬を張るような国のやり方には、多くの町民が、明確に反対の意思を突きつけたのですから、現状の中での生き方を、県もともに考えていかなくてはなりません。

 それにしても、地方交付税など、地方の住民の暮らしを支えるのに必要な財源を、大幅に削っておきながら、その結果窮地に陥った自治体に、多額の交付金と引き換えに、核廃棄物の処分場を押し付けるという国のやり口には、幾重にも誤りがあると思います。

 そもそも、問題の処分場の調査に手をあげた、前の町長さんは、南海地震への備えや福祉の事業に、この交付金を使いたいと話されていましたが、交付税制度の現状が、最低限の地震対策や、福祉事業さえ出来なくしているのであれば、まず、そのことが問われなければなりません。

 こうした迷惑料の位置づけの交付金は、本来なら、自治体の日常の業務の枠を超える、プラスアルファーの性格であるべきで、迷惑料の名目の資金で、日々の暮らしを賄わざるを得ない自治体があるという国のあり方には、大いなる疑問を感じます。

 一方、すでに電力の30パーセントを、原子力に頼っているという現状のもとで、発電を終えた後の、使用済みの核燃料をいかに処分するかは、我が国にとって避けては通れないテーマですので、5年かかろうが10年かかろうが、問題点や危険性も含めた、すべての情報をさらけ出した上で、国民に向けて、正面からの議論をぶつけていく必要があります。

 また、それが、国や関連の団体で、原子力政策を受け持つ立場にある方々の、国民に対しての責務ではないかと思います。

 にもかかわらず、多額の交付金で、まずは自治体を釣り上げてからという、馬の鼻にニンジンをぶら下げるかのごとき、安易な手法を漫然と続けて、無用な時間を過ごしていくことは、そろそろ考え直してほしいものです。

 何よりも、一番の被害を受けたのは、平穏な暮らしを掻き乱された東洋町の町民ですが、このような不毛な戦いを強いたことに、国や関連の団体の幹部や担当者は、何の痛みも感じないのでしょうか。

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統一地方選も終わりに近づいて(4月21日)

 21日は、統一地方選も終盤に近づいて、何人かの方から、選挙絡みでのお話を受けましたが、自分も当事者である知事選挙に関する情報も、あれこれと寄せられるようになりました。

 僕自身は、今年の末で、知事としての現在の任期を終えた後も、引き続き挑戦をするつもりで日々の仕事にあたっていますが、最終的な判断は、まだお示しできていません。

 このためか、僕のもとには、様々な立場の方からアプローチがありますが、中でも、最も直接的で明快だったのは、東京在住の高知県出身の方で、本県の実情を憂いられた後、知事が引退をするのであれば、後継者として知事選に名乗りをあげたいとのお申し出でした。

 また、別の方からは、高知県出身の西川きよしさんに、知事選への出馬を要請するための、趣意書を持ってきた人がいるが、こうした動きはご存知かとの問いかけを受けました。

 さらに、直近では、県内の政界の有力者が、本県選出の国会議員の、東京の事務所を訪ねて、この国会議員と僕と、どちらが知事にふさわしいかとの電話アンケートの結果を示した上で、その国会議員に、出馬を促したらしいとの情報も寄せられましたし、その一方では、知事が側近中の側近に、次は出ないと告げたという話があるが本当かという、こちらは事実無根のお問い合わせもいただきました。

 誰を知事に選ぶかは、地域の暮らしにとって、とても重要なことですので、数ある動きや情報を、決して揶揄するつもりはありませんが、自分は、与えられた仕事に没頭していきたいと思います。

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経営とは何か(4月20日)

 20日午後、経営品質の取り組みを担当している、職員との意見交換の中で、経営という言葉の意味を、どう説明するかが話題になりました。

 高知県では、職場ごとに開く意見交換をもとに、自分たちの職場の強みや弱みに気づいて、仕事の仕方を見直していこうという、行政経営品質の取り組みを始めて8年目になります。

 これは、企業で開発されたものを、行政バージョンに置き換えたものですが、職員の中には、企業と行政とは違うから、企業の取り組みを取り入れても意味はないという、アレルギーにも似た反発が根強くありました。

 この日、経営品質を担当している職員に聞くと、未だに、経営という言葉は企業の用語で、行政とは関わりがないと考えている職員がいると言います。

 そこで、「そういう人にはどう説明してるの」という問いかけから話は、経営の意味をどう説明するかになったのですが、確かに、一部の職員が固執するように、利益を上げることが目標かどうかという点で、企業と行政には違いがあります。

 しかし、目標は違っていても、その目標を実現するために何をするかには、さほどの違いはないはずなのです。

 というのも、何をするにしろ、その実行にあたっては、人・モノ・金、それに時間という4つの要素を組み合わせて、目標の達成を目指すことになりますが、この組み合わせの能力こそが、まさに経営だと思うからです。

 つまり、最終的な目標のいかんに関わらず、その実現に向けて、持てる資源を有効に組み合わせる技が経営ですから、その技を磨いて、より良い成果をあげることの大切さは、企業であれ行政であれ変わりはないのです。

 要するに、目標の設定には違いがあっても、その目標を実現するためのプロセスには、違いがないケースがあることを、よく理解できないということなのでしょうが、粘り強く理解者をふやして行くようにと、頼んでおきました。


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