計算高い男(4月27日)
27日夜、東京で、田中角栄氏をはじめとする、歴代の首相らの、ホームドクター的な役割を果たしてきた医師から、日中の国交回復が実現した当時の、思い出話を聞きました。
この方は、戦前中国大陸に生まれて、西安の医学院で学んだ後、日本に帰国しましたが、1972年の日中国交回復の折に、当時の田中角栄首相に請われて、内科の主治医として訪中に同行しました。
それ以来、政界との関係が深まって、兄龍太郎にとっても、かけがいのない存在でしたので、僕も、20年来のおつき合いをいただいています。
田中氏との縁は、新潟にいる氏の縁者を、医師として世話をしたのがきっかけで、その噂を聞きつけた田中氏が、ある日突然電話をしてきたのだそうです。
電話に出るといきなり、「もしもし、田中だが、総理の田中だがね、今度中国に行くにあたって、外科の主治医は決まったんだが、内科がまだなので、ついては、内科の主治医として同行をしてもらいたい」と、あのしわがれた声でまくしたてます。
その時は、びっくりしたこともあって、「それはいけません、日本の恥になりますからいけません」と言って電話を切りました。
後日たまたま、当時の厚生大臣で、高知県選出の参議院議員だった塩見俊二氏が、地元の高知市で、旧友の高知市民病院の院長と話をしていた時、話題の医師は、院長が京都大学時代に面倒を見た人で、成績が抜群だったとの評判を聞きます。
このため、塩見大臣にも口説かれて、訪中に同行することになったのですが、その時医師が発した、「なぜ私が」という問いかけに対して塩見氏は、「田中は計算高い男だからなあ」と語ったと言います。
舞台は中国に移って、時の周恩来首相と田中首相との会談の席上、同席していたこの医師を話題に周恩来首相が、「日本には、毛並のいい馬がいくらもいるでしょうに、こんな毛並の荒い馬に乗ってきて下さって有難う」と水を向けますと、田中首相は、「磨けば、本郷よりはずっと良くなりますよ」と答えます。
この時医師は、田中首相についていた通訳が、首相が日頃から、東大出の人のことを「本郷」と呼ぶ癖があるのを知っていて、「本郷」という言葉を、「東京大学の出身者」と訳したのを聞いて、さすがと感心をしたそうですが、そのやりとりで、一度に座がなごみました。
その話題に合わすように、医師のそばにいた中国側の要人が、かたわらのテーブルの果物を取って、「これは西安から来た果物ですよ」と、医師の口もとに果物を運んでくれたと言います。
中国らしいと言えば、中国らしいやりとりですが、帰国後医師が、塩見大臣にこの顛末を報告しますと、大臣から返ってきたのは、「ほらみろ、田中は計算高い男だろう」という言葉でした。
| 固定リンク

コメント