« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »

2007年6月

2007/06/27

波を起こす仕事(6月23日)

 23日昼、東京のホテルで、兄龍太郎を偲ぶ会が開かれましたが、参加者の思い出話が、それぞれに兄の一面を物語っていました。

 例えば、閣僚会議に出席のため、一緒にオーストラリアを旅した、当時の秘書官の思い出話は、シドニー湾でのクルージングの際に出た料理の話題です。

 それは、あらかじめ、「大臣のお好みは何か」「それは、ありきたりの日本料理やフランス料理などではなく、地元の料理だ」といった、大使館経由のやり取りを受けてのことでしたが、間に入った大使館が何と訳したのか、オーストラリアの原住の民、アボリジニの料理なるものが出てきました。

 「アボリジニの人たちは、今も食べている料理か」 「いや、今はアボリジニも食べないような料理だ」といったやり取りを聞いて、秘書官らスタッフの間には、「一体何が出てくるのか」と、一瞬のうちに緊張が走りました。

 戦々恐々の中で迎えた最初の料理は、何かの肉らしいもので、恐る恐る口にしたものの、これはセーフ、一同の中に安堵の空気が流れます。

 しかし油断大敵、次に出てきたのは、何と「芋虫」でした。

 しかも、直径1.5センチ、長さ5センチ余りといったしろもので、ひとくち食べたものの、あまりのまずさにこの方は、残りを船上から海に、こっそりと投げ捨てました。

 ところが、それを目ざとく見つけた兄は、「あっ、お前捨てただろう」と、この秘書官を指差しながら、自分は一気に芋虫を平らげて、「ほら見ろ、俺は全部食った」と自慢げだったと言います。

 いかにも、負けず嫌いの、兄らしい話ではありました。

 また、負けず嫌いと言えば、運輸大臣として、国鉄からJRへの民営化を果たしたその日、兄は40度を越す熱があったそうですが、制服に着替えると、熱を押して式典に参加したと言います。

 一方、お世話になったお医者さんからは、心臓の弁の付け替え手術に成功して、病室に戻ってきた時のエピソードが紹介されました。

 それは、思ったより回復が早かったために、この医師が、待機していた家族と秘書たちに、「すぐにも、気管の管を抜くことが出来ますが」と相談した時のことです。

 居ならぶ身内はそろって、「しばらくは管を入れたまま、静かにさせておいて下さい」と言ったとのことで、後で医師からこの話を聞いた兄は、「ひどいやつらだ」と、お冠だったそうです。

 その他にも、煙草の箱の開け方へのこだわりや、髪型へのこだわりといった思い出話から、現在、国の政策のエンジン役をしている経済財政諮問会議は、兄の発案で出来たものだといった誉め言葉まで、聞いていて、何と話題にこと欠かない男かと感心しましたが、中でも、最後に立った、若いかつての秘書の話には、なるほどと感じるものがありました。

 それは、三井銀行と住友銀行が合併するという記事が、新聞の一面を飾った日のことです。

 この秘書が、「三井と住友が合併する日がこようとは、思ってもみませんでした。でも、これも、先生の改革の結果ですよね」と話しかけると、兄は、「波はね、たとえ小さな波でも、一度起きれば消えることなく、やがて大きな波になって押し寄せてくるのさ。その最初の小さな波を起こすのが、政治家の仕事なんだよ」と、答えたと言います。

 なるほど、我が兄ながら、いいことを言うものだと感心をすると同時に、そんないい話は、秘書だけでなく弟にも教えてくれればよかったのにと思いました。

| | コメント (5)

おもちゃ箱にしまえない(6月22日)

 22日午後、参議院の本会議で、国会の12日間の会期延長とともに、参議院選挙の投票日の、1週間のずれ込みが事実上決まりましたが、この経過を見ていて、おもちゃを部屋中にばら撒いた子供が、箱にしまい切れなくなってあわてている光景を、思い浮かべました。

 振り返ってみますと、この国会には、憲法改正に向けた国民投票法案をはじめ、教育基本法の改正を受けての教育三法や、イラク復興支援特別措置法の2年延長、さらには、社会保険庁の改革法案や、天下りの規制を目指した国家公務員法の改正など、様々な法律が上程されました。

 そのかなりの部分が、強行採決で可決されたのも、記憶に新しいことですが、それに加えて、消えた年金や農林水産大臣の自殺といった出来事が起きたため、相当拡散した雰囲気になりました。

 その一つ一つの法案の、内容の是非はともかく、戦後の憲法や教育の制度など、自分の気に入らないものは、この機会に片っ端から変えていこうという、浮き足立った思いが伝わってきます。

 例えは悪いかもしれませんが、法律というおもちゃを箱から取り出して、これも遊びたい、あれも遊びたいと、おもちゃをさわりまくっている、子供のようにも見えます。

 ところが、友達にも、思ったほど喜んでもらえないため、新しいおもちゃを取り出しているうちに、夕食の時間が迫ってきました。
 
 散らかったおもちゃを、あわてて箱の中に片付けようとしても、うまくしまい切れずにいるうちにタイムアップ、会期の延長ということになりました。

 これが、おもちゃ箱の例えならば、ママに叱られる程度ですみますが、国会の会期の延長ともなれば、1日に相当額の税金が使われます。

 それでは、選挙を意識した目玉づくりと言われる、公務員の天下り規制の法律が、果たして、それだけの税金を使う価値を持つのかどうか、一人一人の有権者が考えてみなくてはなりません。

| | コメント (3)

議会質問準備のためお休み(6月20日~21日)

 20日と21日は、県議会の本会議質問の準備や、質問日そのもので、一日が経過しましたので、ブログはお休みをします。

| | コメント (0)

ここでも偽装が(6月19日)

 19日から、万歩計をつけて歩くことになりましたが、そうなると、歩数を稼ぎたい気持ちが先立って、やがては、偽装歩行の道に陥りそうです。

 県では、メタボリック症候群の対策のために、一週間に、23のエクササイズをしようという運動を提唱していますが、そのモデルとして、知事自ら取り組んでもらいたいとの担当者の声を受けて、まずは、万歩計をつけることになりました。

 そこで、この日は、自動車での通勤をやめて、知事公邸から県庁まで歩いてみましたが、それだけでは、1000歩にも足りませんので、1日に1万歩は雲の上の話です。

 そうなると、何とか歩数を稼がないとという気持ちになって、立っていても足踏みをしたり、知事室の中を、ただ意味もなく歩き回ったりと、無駄な抵抗の数々を試みました。

 ふとニュースを見れば、牛肉コロッケの偽装表示が話題になっていますが、この歩数の稼ぎ方も、万歩計の偽装表示かもしれないと思って、ちょっとばかり反省をしました。

 と同時に、職員には、数値目標の達成を自己目的化することで、本来の目的を見失ってはいけないなどと言いながら、自分もすっかり、歩数を稼ぐことを自己目的化していると、さらに反省を深めました。

 すると、傍らにいた秘書から、「大切なのは、歩数ではなくてエネルギーの消費ですからね」と、追い撃ちの釘が刺さりました。


| | コメント (1)

再開を楽しみに(6月18日)

 18日夕方、僕がパーソナリティーを務める、地元のラジオ番組の、今期としては最後の収録が行われました。

 なぜ今期最後かと言えば、この11月には、次の知事選挙が予定されているからです。

 つまり、選挙に出る可能性の高い人を、いつまでも放送に出しておくわけにはいかないからですが、4年前の選挙の時には、放送は4月末で打ち切られましたので、今回は6月の末まで、2ヶ月延長をしていただきました。

 この日のゲストは、このところの水不足で話題になっている、県内の早明浦ダムのお膝元の大川村で、植林などを進めるための、「どんぐり銀行」の運営をされている方がお一人目。

 続いて、イチゴ農家の奥様方が作る、イチゴのケーキ屋さんをはじめ、地域の野菜や果物などを使った食品づくりの、仕掛け人として知られる方が、もう一人のゲストでした。

 「それではまた」という、最後の締めの言葉がなかったことを除けば、いつもの収録と変わらぬひと時でしたが、収録後に、ラジオの担当の方から、ねぎらいの言葉をかけていただきました。

 その中のお一人は、番組の再開を楽しみにしていますと言ってくれましたが、続けている時には、3時間に2本の収録が辛く感じられることもあったのに、いざ収録から解放されるとなると、今度は寂しく感じられますから、人間の心理とは勝手なものです。

| | コメント (0)

後援会長の披露宴(6月17日)

 17日夜、僕の後援会の、会長を務めてくれている女性の、結婚披露宴に出席しました。

 彼女は上田真弓さんといって、大学生の時に、自動車事故のために下半身の自由を失いましたが、その後は、高知市内の医療施設で、医療ケースワーカーとして活動をしています。

 医療ケースワーカーというのは、重い病気や怪我で入院をした人が、将来に絶望することのないように、励ましたり、受けられる医療や福祉サービスのメニューを教えたりする仕事ですが、上田さん自身が、事故の後に経験した不安や絶望感をもとに、その仕事の必要性を感じて自ら資格を取りました。

 知人から彼女を紹介されたのは、知事になって2年目のことですので、かれこれ14年余りのご縁になりますが、4年前の知事選挙の時からは、僕の後援会の会長を務めてもらっています。

 県内だけでなく、全国に講演に出かけるなど、元気一杯ですし、スキューバダイビングにも挑戦するといったように、生き方は極めて前向きですが、正直を言って、結婚をするとは思っていませんでした。

 それどころか、結婚のことは聞いてはいけないという、勝手なバリアーを、自分の心の中に作っていたように思います。  

 ところが、「是非、会ってほしい人がいる」と、大阪のビル管理会社に勤める男性を紹介されたのが、去年の10月のことでした。

 もちろん、お相手の方の人生にも、平坦ではない歴史があったわけですが、それから半年余り、この日めでたく披露の宴が開かれました。

 会場は、彼女の勤め先の同僚や、障害者の仲間、さらには、2人を支えようという、様々な分野の人たちおよそ500人で、ところ狭しの状況です。

 何から何まで、心温まる素敵な披露宴でしたが、何よりも、車椅子でのウエディングドレス姿が、とても輝いて見えました。 

| | コメント (0)

仁淀川水産大学教授逝く(6月16日)

 16日午後、仁淀川の川漁師として知られた、宮崎弥太郎さんのご自宅を訪ねて、弥太さんの霊前に手を合わせました。

 宮崎さんとは、ネイチャー系の雑誌の取材でも、何度かご一緒しましたが、鮎の話はもちろんのこと、うなぎの捕り方や、小魚のゴリの追い込み方など、川に関する知恵を色々と教えてもらいました。

 見出しに使った、「仁淀川水産大学教授」という肩書きは、取材を通してだけでなく、日頃から宮崎さんの生き様に惚れ込んでいた、この雑誌の編集長が、尊敬をこめて贈った称号で、そんな大学があれば面白いねと、3人で語りあったこともありました。

 とはいえ、周辺で開発が進んだ影響のほか、上流部の森林の保水力が衰えたこともあって、弥太さんの生活の場である仁淀川も、年々、その力を失ってきています。

 このため、弥太さんの若い頃には、一年のうちに半年も漁をすれば、後は寝て暮らせた川漁師も、それだけで生計をたてるのが、難しい時代になってしまいました。

 それでも、何にも増して、川に行くことが好きだった弥太さんは、癌を患って3度の手術を受けた後も、退院すればその都度、仁淀川に出かけていました。

 どうしても落ち鮎が食べたいと、去年の秋、息子さんと一緒に川に出たのが、ホーム・グラウンドでの最後の漁になりましたが、今年の春にも2度、須崎市の海で潮干狩りを楽しんだそうです。

 といっても、その時には、体の自由も利かなくなっていましたので、息子さんが海に入って、網に捕った貝を、弥太さんの乗る舟の中にかえすのです。

 その中に牡蠣があるのを見つけると、弥太さんが、「この牡蠣を食べたい」と言うので、息子さんは、やめておいた方がいいと注意したそうですが、「どうせ死ぬんだから」と弥太さんは、美味しそうに生の牡蠣をほおばりました。

 天真爛漫、これ以上ないくらい純真な人でしたが、川に関する知識と知恵は、比類のないものだっただけに、「教授」の死は、よき時代の区切りを感じさせるような寂しさを誘います。

 この日は、県中部の越知町で、紫陽花をめでる地域のお祭りに参加しましたので、その帰りに、同じ町内にある弥太さんのお家を訪ねて、漁に出る時の、つなぎ姿の遺影に手を合わせました。

| | コメント (0)

2007/06/26

目のつけどころの違い(6月15日)

 15日夜、県内に立地をしている、特殊鋼のメーカーの幹部とお話をする中で、どんな情報からでも、何かを引き出そうとする姿勢に感心をしました。

 この会社は、風力発電の風車に使う巨大なベアリングから、ごく小さな部品にいたるまで、金属の鍛造ならば、どんな注文にも応えるという、特殊鋼の専門メーカーです。

 最近では、アメリカから、エタノールを絞るバルブの注文が急増しているとのことで、お話を聞いているだけで、世界の動きが高知に直接つながっていることを実感できます。

 ことほどさように、製品に付加価値さえつければ、日本の国内はもとより、地方でも十分に勝負できるというのが信条で、目のつけどころや、情報を吸収して活用する力に違いを感じます。

 目のつけどころといえば、この方が、あるセミナーで聞いたという、東京の光学機器メーカーの社長の話も、なかなか面白いものでした。

 それは、就職試験での人の選び方で、少し生焼けの魚を食べさせるのだそうです。

 すると、生焼けとわかった時の表情や振る舞い、さらには、それをどこまでどう食べるかで、家庭で受けてきたしつけや人となりがわかるという話で、聞いていて、そんな目のつけどころもあるのだなと、感心をしました。

 また、この会社が、高知で工場を拡張している理由の一つは、会長が高知の出身だからですが、それとは別に、先ほども触れたような、どこにいても勝負できるという自信があります。

 さらに、幹部の方々が高知のメリットとしてあげるのが、有効求人倍率の低さで、「もちろん、研修の必要はあるけれど、人材の確保にこと欠かないことは、高知の何よりの強みだ」と繰り返し言われます。

 知事という立場では、有効求人倍率の低さを、自慢することは出来ませんが、あらゆる情報を、前向きに捉えようという気持ちにさえなれば、ものの見方も変わるものだと思いました。

| | コメント (2)

「いらっしゃいませ」は使わない(6月14日)

 14日午後、近く県内に初出店をする、スターバックスの担当者が、知事室を訪問してくれました。

 現在、全国の47の都道府県の中で、スターバックスが進出していないのは、高知を含む5つの県だけですが、高知にも、ようやくこの7月に、第1号店が誕生することになりました。

 そこで、担当者の方に話を聞いてみると、なんと去年の株主総会の時に、「なぜ高知に出店しないのか」と、強い口調で役員に迫った株主がいたとのことで、「今年の株主総会を前に、高知への進出が決まってよかった」と言ってくれました。

 とはいえ、東京に出張した時くらいにしか、スタバに行く機会もないため、あまり詳しく観察したこともなかったのですが、接客のマニュアルもないし、来店したお客様に、「いらっしゃいませ」とも言わないと言います。

 その心はと言えば、喫茶店ではなく、溜まり場やコミュニティーの提供がコンセプトだからとのことで、ちなみに、来店したお客様にかける声は、「こんにちは」や「こんばんは」だそうです。

 高知で出店が決まった2つのお店は、いずれも郊外型ですが、今後は、市内の中心部での開店に向けて、準備を進めているとのことでした。

 今のところ、高知ではあと3店、計5店を出店の予定だとのことですし、銀行のフロアにスタバをといった声もあるそうですので、今後、高知のスタバが、どんな効果を街にもたらすのか楽しみです。

| | コメント (0)

コメコメ談義(6月13日)

 13日午後、日々の仕事の中で、課題の解決や新しい手法の開発などに実績を挙げた職員を、知事から表彰しました。

 この日は、なんと19組の表彰があったため、30分おきに3組ずつが交代して、表彰から懇談、さらには記念撮影までをするという、流れ作業さながらの方式でした。

 このため、これではせっかくの表彰が、まるで滞貨一掃のようになってしまって逆効果だと、担当者には文句を言いました。

 それはともかく、19組もの表彰があると、様々な分野の話が聞けます。

 例えば、コメに関わることもその一つで、本県の農業では、施設園芸での野菜作りがメインのため、日ごろの仕事の中では、コメにまつわる話題を耳にすることはあまりありませんが、この日、僕から賞詞を手渡した中には、「南国そだち」という極早生水稲、つまり早場米の新しい品種を開発した、農業技術センターのグループがいました。

 この「南国そだち」は、今年の作付けで2年目という新顔ですが、これまでの早場米とは、新種開発にあたっての考え方に違いがあります。

 というのも、従来ならば、高知県の早場米は、暖かい気候を利用して、少しでも早く植えて、早く刈り取ることを目指していました。

 そうすれば、全国一早くとれる新米として、希少価値を持つからですが、その分、少々食味に問題があっても、早さの方が尊重されていました。

 ところが最近では、少々収穫の時期が遅れても、食味のよい早場米が求められるようになったということで、それにつれて、開発の狙いは、コシヒカリなみの食味を持ちながら、異常高温など地球の温暖化にも強い品種だと言います。

 というのも、温暖化の影響で、従来の品種と産地との関係が大きく変わってきているからで、新潟産のコシヒカリも、かつてに比べて、食味が落ちてきているのだそうです。

 替わって北海道が、コシヒカリの適地になりつつあるとのことで、地球の温暖化は、何の世界にも大きな影響を与えていることを、改めて知らされました。

 コメといえばもう一つ、コメとは切っても切れない関係にある、日本酒の酵母を宇宙に打ち上げて、「宇宙酒」を開発をした、工業技術センターの研究者も知事表彰を受けました。

 そこで、次の展開を聞いてみると、酵母だけではなく、酒造りに使う酒米も、宇宙に上げようという計画があるそうで、これで、すべての素材が宇宙旅行を体験した、進化した宇宙酒が造れるとのことでした。

 コメの話題を耳にするのは、久々のことでしたが、その話の中からも、日常の仕事とは違った側面が見えてくるもので、知事表彰には、想定外の効果もあるものです。

| | コメント (0)

愛媛の宇和に日向の名が(6月12日)

 12日、四国知事会が開かれた愛媛県の西予市で、いくつかの懐かしさと出会いました。

 といってもそれは、懐かしい人ではなくて、懐かしい場所と懐かしい食べ物です。

 四国知事会が開催された西予市は、東宇和と西宇和の5つの町が合併して出来た市ですが、会場になったのは、その中の旧宇和町にあたる地域でした。

 到着すると間もなく開かれた昼食会の会場は、僕よりは年上の、今の女将が6代目という、江戸時代から続く古い旅館です。

 懐かしかったものの一つは、その旅館の昼食に出た一品で、その名は「日向汁」となっていました。

 知事の中には、宇和の食べ物に、なぜ日向の名前がついたのだろうと、至極自然な疑問を呈する人もいましたが、「お汁をご飯にかけて召し上って下さい」という、女将さんの説明を聞きながら、お椀のふたを取った途端、僕には、日向の名の由来がすぐにわかりました。

 というのも、それは、宮崎の郷土料理の「冷や汁」と、ほぼ同じものだったからですし、さらに種を明かせば、うちの妻は宮崎の出身ですので、以前何度か、冷や汁を口にしたことがあったからなのです。

 昼食を終えて一行が向かったのは、明治15年に開校した小学校で、10年前に、国の重要文化財に指定された開明学校でした。

 今では観光スポットになっている開明学校では、予約を入れれば、当時の授業が体験できるとのことで、この日は、4人の知事が生徒になって、国語や算数の授業を受けました。

 実は、この開明学校が、もう一つの懐かしさとの出会いだったのですが、平成元年に、妻とともに、ここを訪れたことがあったのです。

 それは、NHKの記者時代に、愛媛県内で講演をした時のことで、講演会が終わった後、主催者の方が、この一体を案内して下さいました。

 その際に、この開明学校にも足を運んだというわけで、我が家には、教室の小さな椅子に、夫婦が並んで撮った写真があります。

 20年近くも昔のことですから、僕の髪も黒々としていた当時の写真ですが、教室の椅子に座っているうちに、そんな懐かしい思いが甦ってきました。

| | コメント (0)

ノルマをこなす悪い癖(6月11日)

 11日午前、県産材の利用を進めようという、庁内の会議に出ていて、数値の目標が、ノルマにならなければいいがと思いました。

 この会は、県内で産出される木材の、利用を促進しようという目的で立ち上げた、県庁内の組織ですが、まずは隗より始めよと、県が関わる公共の建築物や、公共工事の資材に、県内の木材を使うことを進めています。

 さりとて、例えば、コンクリートの型枠を、従来使われている合板のものから、県内産の木材を使ったものに替えると、割高になるとか、木目が残るとかいった課題があって、当初は、思ったようには利用が進みませんでした。

 ところが、大号令をかけて取り組んでいるうちに、公共工事の資材も公共の建築物も、原則としては、県内産の木材が使われるようになって、いずれも、目標値をクリアするまでになりました。

 しかし、そうなると贅沢なもので、やがて目的を忘れて、数値目標をこなすことが、自己目的化しないかと心配になってきます。

 というのも、例えば、同じ森林や木材に関わることで言えば、毎年、実施する面積の目標値を掲げて、間伐の推進にあたっていますが、そこには、間伐を進めることで、森林が持っている、水源を涵養する機能などを維持しようという狙いとともに、経済的に成り立つ森林を残すことで、国内の木材が見直される時代に備えよう、といった目的があります。

 ところが、毎年間伐の計画を立てて進めるうちに、やがて、今挙げたような目的が希薄になって、逆に、毎年自分の地域に割り当てられた間伐の、面積をこなすことが自己目的化しかねないからです。

 といったことで、公共工事の資材などへの、県内産の木材の使用も、それ自体が目的なのではなくて、それを、いかにして、民間も含めた各方面での、木材利用の拡大につなげていくかが目的です。

 ですから、公共の分野で、ある程度の利用が進んだ今は、これまでに立てた、数値目標だけにとらわれるのではなく、本来の目的をもう一度考えて、次の手を打とうと声をかけました。

| | コメント (0)

2007/06/13

さわやかな汗と冷や汗と脂汗(6月10日)

 10日午後、県中部の香南市で開かれた、寝たきり予防や介護予防などを目指す、健康体操の会で、来賓として招かれた方々と、汗や運動についての話を交わしました。

 といっても、余りまじめな話ではなくて、たぶんに自虐的な思いを込めての話です。

 それというのも、来賓の控え室に集まった面々は、そろって、地域の首長さんや議員さんという立場の人ばかりだったからですが、そのうちの一人が、「僕もこの体操をやってるんですが、さわやかな汗が出てきていいですよ」と、体験談を話し始めます。

 それにつけ加えてこの方が、「日ごろ我々が流すのは、冷や汗か脂汗ばかりですからね」と言うと、別の首長さんが、「あれは、汗の出て来るところが違うんじゃないか」などと、茶々を入れます。

 それを受けて、「運動といっても、やっているのは選挙運動くらいだから」と、話はさらにそれた方向に行きましたが、それにしても、日頃いい汗をかくことが大切だと、話が本題に戻ったあたりで、「そろそろ会が始まりますので、ステージの方にどうぞ」と、係の方から声がかかりました。

| | コメント (0)

おじいさんの法事は孫の正月(6月9日)

 9日昼、岡山県総社市にある橋本家の菩提寺で、兄の一周忌の法事を営みました。

 この寺は、宝福寺といって、画僧として名高い雪舟が、小僧時代に修業をした寺として知られる名刹ですが、橋本家の故郷にある菩提寺で、境内には兄の墓が建てられています。

 この日は、兄の一周忌の法事に、中学生から幼児まで、10人を超える兄の孫たちをはじめ、家族や縁者らが顔を揃えました。

 読経の最中は神妙にしていた孫たちも、その堅苦しさから開放されれば、元気な子供たちに戻ります。

 精進落としの食事の席では、そんな子供たちの声をかたわらに、長く後援会長を勤めてくださったご老人や、父の代からの秘書さんなど、古くからの顔なじみと食卓を囲みました。

 今年米寿を迎えるとは思えないほど、背筋もぴんと張って元気一杯の元後援会長は、20代のシベリア抑留の思い出に始まって、父と出会った頃のエピソードや、兄にまつわることなど、話の種が尽きません。

 傍らの元の秘書さんも、80才を超えたお年寄りですので、「私も、牡丹江にいました」と、戦時中の話で応戦します。

 ただ、思い出話をしているうちに段々と、「それにしても、お父さんも龍太郎さんも早すぎた」と、寂しそうな表情になりました。

 一方、これからが働き盛りといった世代の、元秘書さんは、「先生がいなくなると、みんなの緊張感が緩みますね」と、兄の前では、家族も秘書も、ピリピリとしていた時代を懐かしみます。

 そんな大人たちの話をよそに、兄の孫たちは、久しぶりに会ったいとこ同士、終始仲良くにぎやかでしたが、その様子を見ていた元の後援会長さんは、「おじいさんの法事は、孫の正月じゃのお」と、目を細めていました。


| | コメント (0)

アサヒ芸能の読者は(6月8日)

 8日午後、団塊の世代などに、田舎暮らしを勧める企画のインタビューで、生まれて初めて、アサヒ芸能の取材を受けました。

 アサヒ芸能といえば、山口組など暴力団関係の記事や、大人向けの企画で知られていますので、取材申し込みの文書も、「ヌード写真も載っていますが、かまわないでしょうか」と、殊勝な書きぶりです。

 とはいえ、取材の依頼を受けた方は、ご両親が高知の出身で、ご本人も高知県の観光特使をされていますので、喜んでインタビューをお受けしました。

 インタビューの内容は、田舎暮らしに関心を持つ団塊の世代に向けて、高知の売りを紹介するというものでしたが、アサヒ芸能にも、こんな企画があったのかと見直すような、ほのぼのとした取材でした。

 4回にわたって、高知を紹介してもらえるとのことですので、記事への反応が楽しみですが、アサヒ芸能の読者と高知との相性は、果たして如何なものでしょうか。

| | コメント (3)

脳みそを絞った一日(6月7日)

 7日は、朝から夕方近くまで、国への要望活動のため、霞ヶ関の役所をまわりましたが、要望の数の多さと、話の組み立て方の難しさから、脳みそを絞り続ける一日になりました。

 この日まわった役所は、文部科学省に始まって、内閣府、厚生労働省、財務省、国土交通省、消防庁、そして総務省の7省庁ですが、たとえば、同じ文部科学省の中でも、行く先によって、医師不足に対応した大学の医学部への対策から、幼稚園の無料化といった少子化対策、さらには、南海地震に備えての小中学校の耐震化まで、内容の違う要望を、説明していかなくてはなりません。

 また、元の自治省と郵政省が統合した、総務省の幹部には、地方の財政の問題や、地上波テレビのデジタル化への対策、さらには、道路整備や厳しい雇用情勢への対応にあたっての財政支援と、異質な内容の要望を、与えられた短い時間の中で、わかりやすく説明する必要があります。

 このため、地域間格差の是正といった、横串になるテーマをもとに、4つの項目を、続けて簡潔に説明していく筋立てを組み立てるのですが、これがまた簡単ではありません。

 移動の車の中などを使って、次の役所での説明の仕方を考えるのですが、専門用語や数字もあるため、かなり真剣に頭を使いました。

 こうして、役所まわりを終えた後に、企業への訪問もありましたので、体力的には相当くたびれたはずなのですが、すべてが終わってしまうと、張りつめていたものが一気に開放される爽快感から、疲れを感じないですむという質なのです。

 といったわけで、帰りの便を待つ羽田空港で、持って生まれたこの性質を、親に感謝しました。

| | コメント (0)

3万から30まで(6月6日)

 6日午後、東京の霞ヶ関で、国への要望活動をする中で、最近のお魚事情を聞きました。

 霞ヶ関で魚の話といえば、お察しの通り、相手は水産庁の幹部ですが、この方は、最近までIWCで、捕鯨の再開を求める活動をしてきたばかりとあって、県からの要望が一段落すると、捕鯨をめぐる話題を切り出してこられます。

 その矛先は、捕鯨に反対する欧米の国々に向けられて、鯨の頭数が増えたといった資料はないと言いながら、日本が資料を出しても、それには見向きもしないと、不満やる方ない様子です。

 さらに、オーストラリアやニュージーランドは、資源管理が出来るからといって、マグロを捕り続けているのに、話が鯨となると、資源管理の話には一切耳を傾けないと、大変なお冠でした。

 やがて話題は、マグロのことから日本の食卓へと移りましたが、この方の話では、世界には3万種類の魚が、また日本の近海には、3千種類の魚がいるそうです。

 ところが、東京の築地の魚市場に出まわる魚となると、その数は300種類に、さらに、ご近所のスーパーマーケットに並ぶ魚は、30種類へと激減すると言います。

 それだけ、日本の消費者は、流通の側の都合によって、食卓の選択肢を狭められている、というのが話の趣旨でしたが、そんなところにも、魚の消費量が、減ってきている原因があるのでしょう。

 この方の口の端に上った、鯨もマグロも、そして近海の魚も、いずれも、我が県と縁の深いものばかりですが、兎にも角にも、消費者の手に触れる機会を増やさないことには、どうしようもないと感じながら、お話を聞いていました。

| | コメント (0)

2007/06/11

慙愧に堪えない(6月5日)

 5日午後、知人から、日曜日の報道番組で見たという、放送の内容を聞いて、「慙愧に耐えない」という言葉の意味を再認識しました。

 それは、松岡前農水大臣の自殺に対して、気持ちを聞かれた安倍総理が、「慙愧に堪えない」という表現をしたことを、取り上げた報道でした。

 僕自身、その言葉は、「残念でならない」とか「悔やまれてならない」という意味だと思っていましたので、この問題に対して使うことに、抵抗感やひっかかりはありませんでした。

 ところが、「慙愧」とは、本来は「恥じ入ること」という意味なので、「安倍総理は、何を恥ずかしいことと思ったのだろうか」といった指摘の、報道だったようです。

 この話を聞いて、すぐに辞書を引いてみると、確かに、ご指摘の通りでしたので、「慙愧に堪えない」の意味を、改めて再認識させられました。

 きっと安倍総理も、僕が考えていたのと同じような意味で、この言葉を使ったのだと思いますが、その言葉そのものが、大きく扱われそうな時には、十分使い方に注意しなくてはと教えられました。

 ここからは、話の付録ですが、この文章の最後に、今後の教訓にしたいという意味で、「他山の石」という言葉を、使おうかと思いました。

 ところが、言葉の意味の思い込みが恐いという話ですから、「他山の石」も調べてみないといけないと思って、辞書をひもときますと、「よその山から出た粗悪な石でも、自分の宝石を磨く役には立つという意味から、自分より劣っている人の言行も、自分の知恵を磨く助けとすることができる」という意味だと、書いてあるではありませんか。

 危ない危ない、安倍総理を、「自分より劣っている人」にするところだったと思いながら、こっそりと、「他山の石」を引っ込めました。

| | コメント (0)

猫には肩こりがない(6月4日)

 4日夜、東京から来られたご夫妻と、夕食をともにする中で、犬と違って猫には、肩こりがないという話を聞きました。

 このご夫妻は、奥様の家に、ご主人が住み込んだというパターンですが、奥様は以前から、家に5匹の猫を飼っているため、ご主人は、「僕が、6匹目の猫なんです」と、自らを位置づけます。

 それもそのはず、猫たちには、自分たちの方が先輩格という意識があるらしく、ご主人も、「早く後輩が来ないかと、心待ちにしています」と、その点はあきらめ顔です。

 そのご主人は、インテリアのデザイナーですので、現在、彼のデザインで、室内を改装中だそうですが、奥様からのたっての注文は、「猫が暮らしやすい家」で、ファッションショーの舞台ではない本物のキャット・ウォークを、部屋のあちこちに作っているとのことでした。

 そんな猫好きの奥様によると、犬はいつも飼い主のご機嫌をうかがって、下から人を見上げているため、自然と、首から肩のあたりがこってきます。

 ところが、猫はいつも生意気なそぶりで、上から人を見下ろしているため、肩がこることはないと言うのです。

 なるほど、そうかもしれないなと思いながらも、でも僕だったら、このご主人ほどの努力は出来ないと感心しきりで、お二人のお話をうかがいました。

| | コメント (0)

2007/06/05

雨の中の防災訓練(6月3日)

 3日は午前9時から、県中部の中土佐町で、雨の中開かれた県の防災訓練に出席しましたが、振り返ってみれば、訓練の内容にも、時とともに大きな変化が出ています。

 一番大きく変わったのは、台風や集中豪雨を想定した、水防中心の訓練が、南海地震への対応に重きを置いた中身になったことですが、参加する各機関のデモンストレーションも、その幅が広がってきました。

 警察では、日頃は白バイに乗って、交通取締りにあたっている隊員が、オフロード用のバイクを操って、見事なハンドルさばきを見せます。

 隣の席の県警本部長の話では、雨の中なので、少々失敗をしても構わないから、くれぐれも怪我のないようにと注意をしたとのことでした。

 もちろん、実際の災害になれば、大雨のためなどと言っていられないのは当然のことですが、その雨の影響で、九州の新田原から飛んでくる予定のヘリコプターが、訓練に参加出来なくなりました。

 あくまでも訓練ですから、それでいいのですが、場内放送が、「天候不良のため中止します」とだけアナウンスをしたため、これでは、一般参加の地域の方々が、「天気の悪い日に地震が起きたら、救援のヘリコプターは飛んで来れないのか」と、勘違いをしかねないと心配になりました。

 そこで、あらためて、「今日は訓練ですので、中止をしましたが、実際に災害が起きた時には、このような天候でも、救援の活動にあたります」といった内容の放送を、つけ加えてもらいました。

 中には、民間の団体の参加も数多くありましたが、建物の消火訓練では、コンクリートミキサー車が活躍をしました。

 これは、ミキサー車のタンク一杯に汲んだ水を、消防用のポンプ車に移すことで、消火用の水が切れないようにする訓練ですが、このような、災害時にお手伝いをいただく協定は、生コンの業界だけでなく、トラックや葬祭関係など、いくつかの民間の団体との間で結ばれています。

 訓練の最後に、津波で漂流した被災者を、海上保安庁のヘリコプターやボートで、救出する訓練が行われました。

 氷雨の降る中、まずは、被災者役の隊員が海に放り出されますが、何の痛痒も感じないかのように、悠々と立ち泳ぎをして漂流しています。
 
 聞けば、潜水専門の、いわゆる海猿の隊員で、ウエットスーツをつけて氷水の中を泳ぐとか、20キロの重りをつけたまま、20分間立ち泳ぎをするなど、過酷な訓練をしているため、「この程度のことは、何てことはないはずです」とのことでした。

 こうして、雨の中の訓練は無事終了しましたが、集まった各機関の長の中からは、「計画の書類はきれいに出来ていても、いざとなると様々な問題が出てくるので、それを一つずつつぶしていくのが、これからの課題ですね」という指摘も受けました。

| | コメント (1)

方言を使った見出し(6月2日)

 2日は、久しぶりの休日でしたので、朝から地元紙を開いてみますと、方言を使った見出しが目に飛び込んできました。

 それは、「市役所どうなっちょう!」という見出しで、各種の不祥事が相次いでいる県内の市役所で、またも、女性職員の飲酒事故が発覚したことを伝えています。

 「どうなっちょう」は「どうなっているんだ」の意味で、このことを知った市民の反応を、見出しに取ったものですが、面白いと思ったのは、これが、高知弁ではない表現だからです。

 というと、県外の方にはわかりにくいかと思いますが、ここに使われている「なっちょう」は、この市役所がある県西部の、幡多地域の方言「幡多弁」で、その他の地域の高知弁とは、抑揚も大きく異なっています。

 ですから、こうした不祥事が、幡多地域以外の市役所で起きたとすれば、見出しは高知弁で、「市役所どうなっちょらあ!」か、もしくは「市役所どうなっちゅうがな!」となったはずです。

 といったわけで、同じ県内でも異なる方言を、見出しに取るあたり、さすが、地元紙らしいきめの細かさだと感心をしました。

 ただ、記事の中では、「市民からは『市役所はいったいどうなっているのか』と憤る声が続出」と、標準語が使われていて、紙面づくりの苦労と工夫が感じられました。


| | コメント (0)

新入職員との対話(6月1日)

 1日午前、1日付で正式に職員になった、6人の新人に辞令を渡しました。

 毎年、年度初めの職員の定数の関係で、職員としての採用が決まっていても、年度の途中に定数の空きが生じるまで、待機してもらう新人が出てきます。

 かつては、そうしたケースでは、知事から辞令を渡すことをしませんでしたが、採用の人数も限定されてきた中で、4月1日付けの職員にだけ、直接辞令を手渡したり、お祝いの言葉を伝えたりするのでは、大切な人材を迎える姿勢として、よろしくはないと反省をしました。

 このため最近では、年度の途中で正式採用になる職員にも、知事室で直接辞令を手渡して、懇談の時間を取るようにしています。

 この日は、6人の新人が対象でしたが、昨日、県の職員の、意識調査の結果を聞いたばかりでしたので、そのことを話の種にしました。

 それは、県に入ったばかりの職員は、意識も意欲もあるのに、数年たつとそれが衰えて、その後、班長やチーフ、さらには、課長補佐や課長になるに従って、再び意識と意欲が高まっていくという、調査結果に関してです。

 その分析として、昨日の説明会の席では、幹部の職員から、入庁して間もなく出先の事務所に勤務した職員は、総務事務をはじめ、様々な仕事を体験させられるので、腰が落ち着かない上、自分のやりたい仕事と違うといった思いが募るのではないかなど、いくつかの意見が出ました。

 そんな話を紹介しながら、それぞれの職員に、県を目指した動機などを尋ねてみたのですが、その中に、神戸市で起きた、連続児童殺害事件の加害者と同い年だったため、普通の家庭に育った子供が、何故、あのような行動をとるようになったのかと、疑問を感じたのがきっかけという人がいました。

 このため、はじめは、家庭裁判所の調査員を目指したそうですが、県ならばさらに幅広く、こうした問題に対応できるのではと考えて、県を選んだと言います。

 この職員に限らず、最近の若い職員と話していますと、自分たちが社会人になった頃と比べて、格段とはっきりした考え方を持っている人が、何人もいるのに驚かされるのですが、それだけに、2年目3年目あたりから、県庁の仕事に、疑問やずれを感じることがあっても、あながち不思議ではない気がします。

 ただ、何の世界でも、初めから思い通りに進むことはありませんので、今の思いは大切にしながら、でもまずは、地道にしっかりやって下さいねと、声をかけておきました。

| | コメント (0)

2007/06/04

貝殻のお雛さま(5月31日)

 31日夕方、県東部の安芸市の方から、女性のグループが作っている、貝殻を使った、とても可愛らしいお雛様をいただきました。

 安芸市の商店街では、去年から、おひな祭りのシーズンに、それぞれのお家にある、代々のお雛様を飾りつけるイベントを始めましたが、お客様に来ていただいても、これといったお土産がありません。

 そんな時、たまたま小さな紙のお雛様を買い求めた女性部の会員が、これならば、貝殻を使っても作れるのではと思い立ちました。

 早速、小さな貝殻を使って、絵つけを手がけてみると、仲間うちの評判も高かったため、みんなで作ってみることにしました。

 貝殻は、ミミエ貝とかミミ貝と呼ばれる、長さ2~3センチほどの、耳たぶの形をした小さな貝で、白い貝殻のため、服にあたるところだけ色づけをして、顔の部分は白いままに残します。

 貝殻の大きさにあわせて作る、一対の内裏雛と三人官女、それに五人囃子のワンセットですが、とても可愛らしい出来ばえで、商店街の女性たちの作品とは思えないほどです。

 色づけも、初めは油性ペンを使ったそうですが、これだと、時間がたつうちに、貝のひだに色がにじんできてしまうため、アドバイスを受けて、アクリルの絵の具に変えました。

 また、最初のうち、五人囃子の目は、きりっと横一線で書いたのですが、やはり笑顔のほうが良いのではと、衆議が一決して、お内裏様や三人官女と同様、笑顔の五人囃子になりました。

 そこで、どこでこの貝殻を集めたのですかと、尋ねてみたところ、それは企業秘密とのことでした。

 県の東部では、室戸市の吉良川や、お隣の奈半利町でも、お雛様を飾る催しがありますので、こうした手作りのお土産が、別にも工夫されれば、点が線となって、人の流れにもつながりが出てきそうです。


| | コメント (0)

難しい挨拶(5月30日)

 30日午後、高知市で開かれた、四国電気協会の総会でご挨拶をしましたが、どんな内容の挨拶にするかで、かなり苦労しました。

 それは、一つには、電気協会の役割やお仕事の内容を、十分つかんでいなかったためですが、とはいえ、電力会社を中心にした会であることに、間違いはありませんので、高レベル放射性廃棄物の最終処分場をめぐる、本県の東洋町での問題に、どう触れるかを考えたからでした。

 結局、この問題に対する自分の考え方をお話する形で、かなりしっかりと触れることになりました。

 会の後での反応を、自分なりに感じ取る限り、電力会社の方には、決して、温かく迎えていただけたとは思えませんが、一連の出来事への対応は、立場の違いで済ませてはならない重要な問題です。

 この日のご挨拶の内容は、長くなりますのでここでは省きますが、この秋にも、原子力関連の団体から、パネル・ディスカッションのパネラーとして、声をかけていただいていますので、これからも、機会を捉えて、一連の手続きがはらむ問題点を、訴えかけていきたいと思います。


| | コメント (1)

税金対策も必要に(5月29日)

 29日午後開かれた、牧野記念財団の理事会で、昨日の文化財団の決算に続いて、相当額の納税をしたことが報告をされましたが、制度の変化に伴って、収益の有効な活用が課題になりそうです。

 植物学の権威、牧野富太郎博士を記念する牧野植物園は、昨年度から、指定管理者という新たな制度に則って、牧野記念財団が運営をしていますが、この日の理事会で、昨年度は、およそ980万円の法人税を納めたことが、報告されました。

 そう言えば、昨日開かれた、高知県文化財団の理事会でも、昨年度の法人税の納付額が、3600万円余りだったことが報告されていましたが、これも、指定管理者という制度への変更に関係がありました。

 というのも、文化財団はこれまで、県立の美術館、歴史民俗資料館、文学館、坂本龍馬記念館、文化ホール、それに埋蔵文化センターという、6つの施設を運営してきましたが、17年度までは原則として、収益が上がっても、これを自らの運営に還元することは出来ませんでした。

 ところが、18年度からは、新たに導入された、指定管理者という立場に変わったため、自らの経営努力で収益が上がれば、その分を財団や各施設の活動に、活用できるようになりました。

 このため、休館日をなくすなどの試みもあって、改修のためにお休みをした文化ホールを除けば、各施設あわせて、入場者が対前年度比で、24万人ほどふえましたし、最終的な収支も、7400万円の黒字決算になりました。

 その結果として、上記の金額の法人税を納めることになりましたが、牧野記念財団も、植物園の入場者が増えたことなどから、同様の結果になりました。

 こうしたことから、この日の牧野の理事会では、業績が良い時には、年度末に期末手当を出せるように、規則を改めることになりましたが、昨日の文化財団の理事会でも、年度の途中に、業績が良いとわかった時点で、施設の改修など、やりたくても財政的にできなかったことを、必要経費として落とすような工夫が、必要だとの議論になりました。

 こうした資金のやりくりは、年度単位に、予算を粛々と使うことのみに縛られていた公務員には、対応しにくい仕事ですが、指定管理者制度のもとでは、節税や必要経費としての収益の活用など、企業的な視点からの資金運用が、ますます大きな課題になります。

| | コメント (0)

隣の部屋(5月28日)

 28日、東京・赤坂の議員会館の自室で自殺した、松岡農林水産大臣の隣は、衆議院議員をしている、僕の甥の部屋でした。

 夜のテレビで、松岡大臣の自殺のニュースを見ていますと、その部屋は、東京・赤坂にある衆院議員宿舎の、11階の1102号室だと言います。

 もしやと思って、我が家の住所録を見てみますと、それは、衆議院議員をしている甥の部屋の、隣ではありませんか。

 甥に尋ねてみると、最近越してきたばかりの松岡大臣から、予算委員会の集中審議の時に、「隣同士になったからよろしく」と声をかけられたものの、宿舎で出会うことはなかったと言います。

 この日も、甥は9時前に宿舎を出たため、お隣があわただしかった時間帯に、宿舎にいませんでしたが、自分が朝の準備をしていた時に、隣の部屋で大臣が、人生を締めくくる覚悟を固められていたかと思うと、何とも言えない思いがすると話していました。

 また、「隣に来たからよろしくと言われて、隣人として初めてしたことが、花を手向けることとはね」とも、語っていました。

 自殺の理由を、うかがい知ることは出来ませんが、ニュースに流れる安倍総理のコメントの中に、農林水産大臣が所管する、緑資源機構の談合疑惑に関するものがありました。

 それは、捜査当局は、松岡大臣を捜査の対象にはしていないし、今後もその予定はないという趣旨の発言で、捜査当局が出したコメントを、そのまま紹介したものと思われますが、ご当人が亡くなった以上、検察庁としても、配慮したコメントをするのは当然です。

 にもかかわらず、その情報を、そのまま総理の口から伝えれば、一般の国民は、「総理大臣だから、そんな極秘の捜査情報が、事前に手に入るのか」と、誤解してしまう恐れがあります。

 そうした影響を考えることよりも、親しい隣人を守ってあげたいという思いが優先する、無防備さとある種の幼さに、圧倒される思いがしました。

| | コメント (0)

魯山人との朝粥(5月27日)

 27日夜、親しくしている陶芸家から、初めて、父である先代の逸話を聞きました。

 この陶芸家は、東大阪と伊賀に仕事場を持つ、裏千家お出入りの職人ですが、世の中を憂う視点が、僕と共通することもあって、10年以上の長いつき合いをしています。

 会うたびにいつも、色んな話を聞かせてくれますので、ブログのネタに使わせてもらったこともありますが、今週から、高知市内のデパートで個展を開いているため、この夜、共通の知人と一緒に夕食をともにしました。

 お酒が気持ちよくまわった頃、初めて聞かせてくれたのは、彼が23歳と時に亡くなった、先代のお父様の話でした。

 お父様は、焼き物師であると同時に、月の屋という屋号をもった噺家で、亡くなった後、裏千家のお家元を訪ねると、「お前の親父から落語を教わった」と言って、お家元が披露してくれたそうです。

 それは、千利休の孫で、現在の茶道の礎を築いた、千宗旦を主人公にした落語で、宗旦が作った二畳の茶席で、裏千家の庵号にもなっている今日庵(こんちにあん)と、お菓子の餡(あん)を掛けた落ちになっています。

 もちろん、父上の創作とのことで、その話を聞かされた時には、お家元に気に入っていただくために、親父なりに苦労していたんだなと感じたそうです。

 また、その後、ある料亭で開かれた宴席に出ていると、突然仲居さんが声をかけてきました。

 話を聞けば、その仲居さんが、別の料亭で働いていた時、彼のお父さんが、北大路魯山人と連れ立ってやってきては、そのまま泊り込んで、翌朝には、2人前の朝粥を作らされたというのです。

 古き良き時代の、趣味人の遊びを感じさせて、うらやましい限りのエピソードでしたが、叶うならば、そんなお二人が、朝粥をすすりながら交わした会話を、聞きたいものだと思いました。


| | コメント (0)

歌の持つ力(5月26日)

 26日夜、四万十川のほとりにあるホテルで、父方のいとこの会を催しましたが、兄の写真を前に、全員で「千の風になって」を歌っているうちに、うるうるとくるものを感じました。

 父方のいとこの会は、毎年1回、持ち回りで開いていますが、今年はわが家が幹事役でしたので、四万十川を見下ろすホテルを、会場に選びました。

 我が夫婦を含む、17人のいとこ達が囲む夕食のテーブルに、昨年亡くなった兄の写真が置かれると、今年喜寿を迎える最年長の従兄が、「食事の前に、龍太郎のために、みんなでこれを歌おう」と言って、紙を配り始めました。
   
 見れば、去年の紅白で歌われて以来、すっかり有名になった、「千の風になって」の歌詞がコピーされています。

 実を言えば、こうした清らかすぎる雰囲気の歌は、なぜか素直に受けとめられない質ですので、清水ミチコさんが、ものまねのネタにしているのを見て、抵抗なく笑っている一人でした。

 ですから、この時も、年長の従兄の言うことだからお付き合いをしよう、といった気持ちで、「私のお墓の前で・・・」と歌い始めたのですが、段々と感情移入をしていく自分を感じます。

 あらためて、卓上に置かれた写真を見ると、そこには、人差し指と中指の間に挟んだタバコをくゆらしながら、ちょっと首をかしげて微笑む、最も龍太郎らしい姿がありました。

 目を写真から再び歌詞に移すと、3番で繰り返される「私のお墓の前で・・・」に続いて、「そこには私はいません、死んでなんかいません」とあります。

 兄の満面の笑顔に目をやりながら、「死んでなんかいません」という歌詞を口にすると、隠れていた言霊の仕業なのか、自然に目頭がうるんできました。

 と同時に、すぐそこに、兄貴がいるような思いがして、いわく言いがたい元気と勇気を感じました。

| | コメント (0)

猿・鹿・猪合戦(5月25日)

 25日午後、高知工科大学の先生から、木の芽や食用の植物に対する食害が問題になっている、動物の捕獲に関してのアイディアを聞きました。

 先生は、国の研究機関を退官して、久々に故郷の高知に戻ったところ、あちこちで食害の話を聞くため、技術の力を使って、何か対策が立てられないかと考えました。

 さらに、関係者からは、、肉が新鮮なうちは売れるので、駆除をしても見合うけれど、古くなると売れなくなるので、安易には駆除できないという話を耳にしました。

 そこで、猪にしろ鹿にしろ、獲物がかかったらすぐにわかるように、電波の発信装置を、罠につけたらどうだろうと考えました。

 あわせて、まずは現場を見なくてはと、県中部の物部川の上流にある、徳島県境の山間を歩いたところ、根っこは猪にほじくり返され、やわらかい芽は鹿に食べられる、さらに、残ったところを猿がかじるといった有り様で、猿蟹合戦ならぬ、猿・鹿・猪合戦の様相だったと言います。

 こうして、さしてコストのかからない、試作品の図は引けたのですが、問題は出力で、そのままでは電波法との絡みで問題が出てきます。

 今後は、それをどうクリアするかが課題だといった途中経過の報告を、この日は受けましたが、猿や鹿や猪にしてみれば、そもそも山の中を、動物が棲めないような状況にしたのは誰だと、仇討ちの一つも考えたいところかもしれません。

| | コメント (0)

国旗と国花(5月24日)

 24日午後、この夏に大阪で開かれる世界陸上の、事前合宿を招致する委員会に出席しましたが、会場に飾られた国旗の一つは。失礼ながら、初めて目にするものでした。

 世界陸上には、多くの国々が参加しますので、選手団の事前の合宿を高知に招こうと、招致委員会を立ち上げて以来、およそ50ヶ国に、事前合宿の誘いをかけました。

 これに対して、これまでに、ポーランドとスロヴァキアの2つの国が、高知での合宿を正式に決定してくれていますので、この日の委員会では、会場の正面の壁に、両国の国旗が掲げられました。

 このうちポーランドの旗は、下半分が赤で上半分が白という、シンプルなデザインですから、子供の頃から馴染みがありましたし、丁度その逆の図柄のインドネシアの国旗と、よく間違えたものでした。

 これに対して、もう一方のスロヴァキアの旗は、連邦制を組んでいたチェコと分離独立をしてから、まだ10年余りといったこともあって、正直を言って、この日初めて目にしました。

 旗は、同じくスラブ系のロシアの、縦に白・青・赤の三色が並ぶ旗の左中央に、スロヴァキアを示す紋章がかたどられたデザインですので、紋章の図柄さえ覚えれば、忘れたり間違えたりすることのなさそうな国旗です。

 あわせて、この日の委員会では、それぞれの国の花か、それに近い花々で、選手団を歓迎しようという計画が報告されましたが、ちなみに、ポーランドの国花はパンジー、スロヴァキアのそれは、ジャガイモの花とのことで、それぞれのいわく因縁を知りたくなりました。

 事前合宿の招致には、地域への経済効果や、スポーツへの関心を高めるためなど、色々な狙いがありますが、関わりが薄かった国への、好奇心がかきたてられるだけでも、大きな効果がありそうです。

| | コメント (0)

カルガモと入札(5月23日)

 23日朝、知事室の卓上に置かれた、2通の手紙に目を通していて、つくづく、守備範囲の広い仕事だと思いました。

 1通は、県中西部の須崎市にある、久通(くつう)という海沿いの集落出身の、大阪在住の方からのお手紙で、お孫さんが撮った、カルガモの母子の写真を編集して、小冊子を自費出版したとあります。

 その冊子を開いてみますと、「さぁー! 出かけようか」から始まって、「みんな、一人で生きていくんですよ」まで、母子の成長記録にあたる11枚の写真に、短いキャプションがつけられています。

 あわせて、環境問題や家族のことなど、この方が、日頃から関心をお持ちと思われるテーマを、カルガモ母子の行動に託して、巧みに綴ってあります。

 お手紙には、自費出版をした経緯とともに、「故郷に帰っても、山も海も、人間の心まで汚れてきております」と、書かれてありました。

 さてもう1通はと、手にとってみますと、「一県民より」と後ろ書きをされた匿名の手紙で、内容は、建設業界の協業化に関するご意見です。

 2日前に、県内では大手の建設会社が、経営破綻に陥ったことが明るみに出たばかりですので、カルガモ母子の愛らしい姿に和んだ心は、あっという間に現実に引き戻されました。

 ご趣旨は、せっかく業界内の自然淘汰が始まろうとしている時に、技術力や経営力のない企業を、協業組合を作ることで生き残らそうとするのは、本末転倒だというもので、技術力と経営力のある企業が、生き残れるようにすべきだという点では、まったく同感なのですが、文面を追っていて、少し誤解をされている面があるのではと感じました。

 ただ、匿名の手紙ですので、意見のやり取りをすることが出来ません。

 せっかくなら、名前を書いておいて下されば、有意義な手紙になったのにと、とてももったいなく感じられました。

 それにしても、カルガモの写真の小冊子から、建設業の協業化の問題まで、知事という仕事の守備範囲の広さが、朝の手紙からも読み取れました。

| | コメント (0)

キャベツと茶びつ(5月22日)

 22日夜、妻から、昼間に妻の母にかけた、電話でのやり取りを聞いて、思わず笑ってしまいました。

 妻は宮崎県の出身で、お母さんは今、宮崎市内で一人暮らしをしていますので、時々、高知の季節の産物などを送っています。

 この日昼間に、妻がお母さんに電話をすると、「キャベツは、もう送ってくれたかい」と問われました。

 キャベツを送るなどといった覚えのない妻は、「キャベツを送るなんて言ったことないよ。第一、キャベツは高知の特産でもないし」と答えたのですが、「いや、昨日の朝電話した時に、間違いなくキャベツを送るって言ったよ」と、お母さんも譲りません。

 そこで、昨日の朝電話した時のことを、必死に思い出しているうちに、そう言えば、使わなくなった、茶びつを送ると言ったことに気づきました。

 「それは、キャベツじゃなくて茶びつよ」、「なんだ、茶びつかい」と、大笑いで一件落着したそうですが、そんな聞き違えもあるのですね。


| | コメント (0)

守りと攻め(5月21日)

 21日午前の庁議で、先週から、県内各地で説明会を開いている、市町村合併の構想が話題になりましたので、野球に例えをとって、守りと攻めの話しをしました。

 昨日のこの欄でも話題にした、市町村合併の説明会は、この16日から24日までの日程で、県内の6つのブロック別に開いています。

 この日の庁議で、担当の部長がこのことを取り上げて、「地域を残すために何が出来るかを、関係の部局が知恵を出して、集約していく必要がある」と、投げかけたのを受けて、僕からは、あるブロックの説明会での、やりとりの一つを紹介しました。

 それは、参加した住民の方から受けた、「県は、財政の危機という現状の中で、いよいよ、合併という消極的な策に逃げ込もうというのか」との、質問がきっかけでした。

 これに対して僕からは、市町村合併は、これを、消極策か積極策かといった分け方で捉えるのではなく、行政の仕事の中での、守りと攻めという視点で考えてほしいと答えました。

 というのも、行政の仕事には、産業政策や地域おこしなど、外に売り出していく攻めの仕事がある反面、医療や福祉と教育をはじめ、防災・防犯や消防・救急など、住民の暮らしを守るために、欠かせない仕事があります。

 そう考える時、人口減少や自治体財政の厳しさが、ますます進む中で、合併による内部経費の節約と、合併した市への権限の移譲、さらには、合併した市と県が一体となった、広域連合などの仕組みを組み合わすことで、暮らしの安全と安心を守っていこうという、この合併構想は、守りの基盤を固めるための、積極策と捉えることが出来ます。

 野球でも、攻撃の練習ばかりに力を入れて、守備の練習を怠ったのでは、試合には勝てませんので、行政のフィールドでも、攻めの政策だけでなく、守りの積極策が必要だという理屈です。

 庁議では、説明会でのやり取りを紹介した上で、こんな例え話を出したのですが、積極的な守りという考え方に、どれだけ地域の理解が得られるかも、合併議論を進めていく上での大きな課題です。


| | コメント (0)

2007/06/01

忙中閑なし(5月20日)

 20日は、昨日のラフティング体験とは打って変わって、朝から晩まで、県がまとめた、合併構想の説明会に明け暮れました。

 この日は、朝の9時過ぎに家を出て、高知龍馬空港がある、高知市の東隣の南国市に向かいました。

 この3月に県がまとめた市町村合併の構想を、説明する会に出席するためですが、昨日、吉野川のラフティングに参加していた、記者クラブのメンバーの中には、「明日は休み」と言っていた人もいましたので、それを思い出すと恨めしいような気もします。

 とはいえ、大切な仕事ですから、気を引き締めて、市長さん方との意見交換や、住民の皆さんを対象にした、構想の内容の説明と質疑に集中をしました。

 昼前に、南国市の会を終えると、間髪をいれず、県西部の四万十市で開かれる説明会に転戦です。

 車での移動には、3時間近くかかるため、昼食は、途中で買ったおにぎりと卵焼きを、車中でほおばりました。

 幸い、昨日のラフティングによる筋肉痛もなく、四万十市での会も、夕方には無事終了しましたが、明日からは、また新しい週の日課が始まりますので、これでは「忙中閑なし」だなと、少しだけわが身を憂いました。

| | コメント (1)

飛び降り心地(5月19日)

 19日午後、四国三郎の異名を持つ、本県北部の吉野川で、大きなゴムボートに乗っての川下り、ラフティングを楽しみました。

 きっかけは、大豊町という山間の町の、廃校になった小学校を拠点に、ラフティングのインストラクターをしているご夫妻に、僕のラジオ番組に出てもらったことでしたが、この日お誘いを受けて、観光関係の職員や、県庁の記者クラブの面々と一緒に、「みどりの時計台」と名づけられた、小学校跡に向かいました。

 ウエットスーツにライフジャケット姿の我々の傍らでは、校庭のグランドを使って、近所のお年寄りたちが、ゲートボールを楽しんでいます。

 また、僕が来ているからと、わざわざ訪ねてくれたお年寄りは、認知症で入院している奥様を、見舞った帰りだと話してくれました。

 そんなご近所の方々に別れを告げて、マイクロバスで20分、ラフティングの出発地点に到着すると、ふた手に分かれて、ゴムボートに乗り込みます。

 そこから、川を下ること3時間近く、その間には、瀬があり淵がありと、吉野川の持つ、様々な表情を体験できます。

 中でも、少しスリルがあったのは、川に突き出た大きな岩からのジャンプで、岩に登るのもひと苦労。

 自分は、この手のことには、もっと恐がりかと思っていましたが、岩場に立っても、意外なほどに気持ちは平静で、手や足を開いたまま落ちてはいけないという、インストラクターの教えを守って、えいやっと飛び降りました。

 初めての体験でしたが、空中から水中への変化が、一瞬とは思えない不思議な時間に感じられて、百聞は一体験にしかずでした。

 吉野川のラフティングというと、大歩危・小歩危のある、徳島県側の遊びと思い込んでいる人が多いそうですが、大豊町のインストラクターのご夫妻は、高知県側の楽しさを、もっと知ってもらいたいと意欲満々でした。

 この日のコースは、中学生以上でないと参加できないのですが、小学生が乗れる、家族コースも出来るということですので、いつか、孫を連れてきたいものだと思いました。

| | コメント (0)

摩擦の起こし方(5月18日)

 18日午前、県中部にある、香美市の工業団地で、製作過程の製品を搬送するロボットを製作するメーカーの、研究試作棟の落成に合わせて、記念の植樹をしました。

 この工業団地は、高知工科大学に近接した場所にあることから、「高知テクノパーク」と名づけられていますが、工科大学発の研究と連携をした企業など、4社が進出を決めています。

 この日落成を迎えたのは、ウエハーと呼ばれる、集積回路の基板などを作る際に、作りかけのウエハーを次の工程に運ぶ、ロボット型の搬送機を作る会社の研究棟ですが、ガラス越しにその搬送機を見ると、かなりのスピードで、クルクルと向きを変えては、製品を運んでいきます。

 そこで、説明をして下さった会社の方に、こんなスピードで回り続けていると、摩擦による磨耗がひどいでしょうねと質問をしますと、その対処法は2つあるとの答えが返ってきました。

 一つは、一箇所に摩擦が集中しないように、なるべく満遍なく力がかかるようにするやり方で、これは誰でも思いつきそうです。

 もう一つは、逆に、一箇所だけに摩擦の力を集中させた上、その部品だけを繰り返し取り替えるという手法で、なるほど摩擦の起こし方にも、色々あるものだと感心をしました。

 とはいえ、人間社会の中では、この第二の手法で摩擦を起こしていきますと、別の問題が起きそうな気がしますので、自分の立ち居振る舞いには、あまり参考にはならないと思い直しました。

| | コメント (0)

面白い話は口止めに(5月17日)

 17日夜、出張中の東京で、大手の映画会社の製作者から、最近の映画事情を聞きました。

 夕食をともにした2人の製作者は、高知の「よさこい」をテーマにした、映画を企画してくれていますので、その進み具合などを聞くのが、この夜の主な目的でした。

 やがて話が、最近の映画界のことになると、去年日本では、あわせて780本の映画が製作されたと言います。

 ところが、公開された映画は、わずか418本とのことで、お蔵入りをまぬがれて日の目を見ることが、いかに大変かがわかります。

 また、これだけ、映画が勢いを盛り返して来ているにもかかわらず、邦画と洋画をあわせた1年間の興行収入は、テレビ会社1社の収入とさして変わらない、2000億円程度とのことでしたので、映画制作も楽ではないだろうなと、同情してしまいました。

 そんな話の中で、映画のデジタル化について尋ねますと、2000万円ほどをかけて、映画館の設備をデジタル化してしまえば、1本25万円ほどかかる、フィルムのプリント代が要らなくなるため、入場料も安くなって、映画をめぐる環境も、大きく変わるだろうとのことでした。

 映画館からフィルムがなくなると聞くだけで、いわれの無い寂しさを感じる世代ですので、料金が安くなれば、入場者が増えるのだろうかなどと、話を聞きながら考えていましたが、そのうち彼が、「よさこい」と同時並行で進めている、別のシナリオの構想を話し始めました。

 これは面白いと思って、身を乗り出して話に耳を傾けたのですが、外に漏らされてはまずいと察知した彼から、「この話は、まだ内緒ですからね」と、釘を刺されてしまいました。

 興味津々をうかがわす質問で、ブログに書きそうな気配を感じ取られるあたり、まだ、修業が浅いと反省をしました。


| | コメント (2)

ふるさと納税の怪(5月16日)

 16日午前、最近話題になっている、「ふるさと納税」に対する考え方を、庁内で意見調整しましたが、考えれば考えるほど、参議院選挙向けの、目くらましに見えてきます。

 振り返ってみますと、都会に出て働く人が、故郷に納税できる仕組みを作ったらどうか、といったアイディアが語られ始めたのは、かれこれ、10年以上も前のことでした。

 その理屈は、小学校から高校までの教育など、地方で受けたサービスの恩返しとして、都会で支払う税金の一部を、故郷に還元してはどうかというものでしたから、そこには、都会で納められる所得税という国税を、地方に回そうという、地方分権の考え方が潜んでいました。

 ところが、今検討されている「ふるさと納税」は、都会で納められる住民税の一部を、地方に振り替えようというものですので、地方税の中での、パイの取り合いに過ぎません。

 また、そもそも住民税は、その地域に住むことによって得られるサービスの、対価として納められる税金ですので、その一部を他の地域にまわすことは、この税の本来の趣旨に反しています。

 しかも、税金を他の地域に送ったり、逆に向こうからもらったりと、事務が煩雑になって、徴税のためのコストがかさむ上、毎年振り込み先が変わることにでもなれば、自治体の収入の予測がつきにくくなって、予算も安定的には組めなくなります。

 さらに大きな問題は、国と地方との関係で、知事会をはじめ地方の側は、地方への分権を進めるための財源として、地方消費税、つまり消費税の中の地方の取り分を、拡充するように求めています。

 そこに、「ふるさと納税」といった提案が持ち出されたわけですが、これは、国と地方との問題を、大都市と地方との、税収格差の問題にすりかえることで、地方消費税の論議を、先送りしようという魂胆からに他なりません。

 と同時に、参議院選挙に向けた、目くらましの一つであることも見え見えですので、こんな話に、やすやすと乗ることは出来ないと思いました。

| | コメント (1)

« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »