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2007/07/19

ヘレン・ケラーのメッセージ(7月11日)

 11日午後、全国知事会議に出席のため訪れた熊本市で、明治の半ばに来日して以来、ハンセン病の患者救護にあたった、2人のイギリス人女性の記念館を訪ねました。

 この2人の女性は、ハンナ・リデルとエダ・ハンナ・ライトという、英国国教会の宣教師で、叔母と姪の関係にあたります。

 リデルが熊本にきたのは、明治24年、彼女が35歳の時でしたが、2年後の春、花見に出かけた際に、咲き誇る桜の並木の下にうずくまる、ハンセン病の患者たちの姿に衝撃を受けて、生涯をかけて患者とともに生きようと決意をします。

 その後、多くの人の協力を得て、明治28年に創設したのが、今は、「リデル、ライト両女史記念館」になっている、ハンセン病の患者の病院でした。

 病院の名前は、暗黒の人生に、再び「希望の春」が「回り来る」ことを願って、「回春病院」と名づけられ、病院開設の翌年には、姪のライトが来日して、叔母を手伝うようになります。
 
 その活動が、渋沢栄一や大隈重信らの要人を動かして、明治40年には、「らい予防法」が制定されましたが、当時の立法の狙いはもちろん、患者の隔離ではありませんでした。

 こうして、熊本での活動に端を発したこの法律は、2度にわたる改正を経て、平成8年に廃止されましたが、患者さんたちが、国を相手に起こした訴訟で、患者側の全面勝訴の判決を言い渡したのも、熊本の裁判所でした。

 それは、ハンナ・リデルが熊本に来てから、110年目のことだったと言います。

 そんなお話を聞きながら、自分の知らない歴史があることを学びましたが、そこには、戦前来日をしたヘレン・ケラーが、エダ・ハンナ・ライトに贈った著書がありました。

 裏表紙を開くと、そこには、ライトにあてた、ヘレン・ケラーのサインとメッセージがあります。

 to Miss Ada H Wright
 With loving admiration
 on her brave work
        
           Helen Keller

 November 23rd 1939

 全盲の彼女が、どうやってメッセージを書いたのだろうと思って、文字を追っていると、「一行ずつ定規を置いて、下の線を合わせながら書いているんです」と、説明をしていただきました。  

 来館の記念にと、ヘレン・ケラーのメッセージとサインを、コピーして下さいましたが、何ものにも負けずに戦い続けた女性たちの、強さのおすそ分けを、いただいた気がしました。

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