道路特定財源は、地方の取り分として、従来通りの額を確保した上で、これを一般財源化すれば、分権型社会を実感するための、貴重な社会実験が出来ると考えています。
47の都道府県知事の全員が、道路特定財源の堅持を訴えてきましたが、その気持ちはよくわかりますし、私も、現役の知事であれば、その大合唱の輪に加わっていたでしょう。
その理由は二つありますが、一つは、国土交通省への慮りで、どの道路に予算をつけるかの権限を、国の側が持っている中で、あえて国の嫌がることを言わないのは、人間として当然の心理です。
もう一つは、三位一体の改革が残した教訓で、補助金などの一般財源化を求めたものの、結果的には、地方交付税の大幅な削減だけに終わった経験から、地方への、本格的な財源の移譲が期待できない以上、道路という紐がついているとしても、これまで地方が受け取っていた額が、減らない方がいいという、これまた当然の意識が
働きます。
このように、地方の首長は、自分たちの力では、国と地方の力関係を変えることは出来ないという現実を前に、地方分権の理想をひとまず横に置いたうえで、特定財源の堅持を訴えていますので、これを、地方の切実な声だといって、特定財源の継続を正当化することには、いささか無理があります。
かといって、そのまま一般財源化すれば、財布を持つ人が、国土交通省の役人から、財務省の役人に移るだけですから、地方にとって、決してプラスにはなりません。
では、どうすればということになりますが、税収は今のままで、しかも、その使い道を自由に変えられるとの前提に立つなら、道路特定財源のうち、従来地方が得ていた分を、そのまま地方の取り分として確保したうえで、それを一般財源化することが、分権に向けた社会実験として、数々の意味があると思います。
というのも、たとえ一般財源化をしても、従来、道路財源として地方が得ていた分は確保するのですから、これまで通り道路を作りたい地方は、全額を道路につぎ込むことで、道路整備を続けることが出来ます。
また、このことによって、計画されている道路整備が必要なものかどうかを、全国一律の基準を設けて、チェックしていこうといった不毛な議論にも、終止符を打つことが出来ます。
と言いますのも、例えば、東京の外環状道路のように、都心部の渋滞解消のために作る幹線の道路と、高知県のような地方の、日々の暮らしの安全や安心を守る道路とでは、目的も交通量の予測も全く違いますから、これらの、全国の道路の計画を一覧表にして、その必要性に順位をつけるなどということは、出来るわけもありませんし、すべきでもありません。
これに対して、道路財源として配分されていた額と同額を、地方に確保したうえで、他の用途にも使えるように一般財源化すれば、地域の住民が、選挙という民主的な手続きを通じて、事業の必要性を判断する仕組みが作れる、というのが私の提案です。
より具体的に言えば、首長の選挙に出るA候補が、「従来、道路に特定されていた財源を、今後もすべて道路整備に充てることで、任期中の4年間に、これだけの道路整備を進めます」と、マニフェストに書き込めば、対抗するB候補は、「一般財源化された元の道路財源のうち、半分は引き続き道路整備に使いますが、残りは、福祉と教育に回します。ただ、道路整備の手法を変えることで、向こう4年間に、これだけの延長距離を確保します」と、真っ向から政策をぶつけ合うのです。
こうすることで初めて、マニフェストが、また首長の選挙が、地域の住民にとって、より身近なものになります。
もう一つ、このことは、地方分権を実現できるかどうかの、大きな社会実験にもなります。
というもの、本格的な分権を進めるには、権限よりもむしろ、財源をどのようにして地方に移すかが、一番の課題になりますので、全国知事会などでは、地方共同税という配分方式を提案していますが、地方の中にも、企業などが集中をした大都市部と、そうでない地方との間には、条件に大きな違いがありますので、すべての税収にわたって、一度に配分方式を決めることには、多大の困難が予想されます。
ですから、その前段として、道路特定財源を試金石に、一般財源化をしたうえで、地方の取り分は、地方団体が主体的に、配分の仕組みを考えるように、試みてみては思います。
逆に、その配分さえ出来ないのなら、地方共同税の構想も、絵に描いた餅になってしまいます。
暫定税率が3月31日で切れ、次は一般財源化をめぐって、自民党内が揺れていますが、国の懐の中だけでの一般財源化の議論ではなく、地方分権改革の試金石としての位置づけを、考えてほしいものです。