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2008年5月

2008/05/17

母の日セールなのに(5月10日)

 10日午前、滞在中の東京で、宮崎に住む妻の母に、母の日のプレゼントを贈ろうとデパートに出かけたのですが、母の日のセールの、看板が泣くような対応が残念でした。

 向かったのは、洋品売り場で、とうに80歳を超えた母が、部屋着にも使えるようにと、大きめのブラウスを買い求めました。

 売り場には、あちこちに母の日セールの掲示が出ていますので、今日の明日だけど、明日の母の日のうちに、宮崎に届くだろうかと尋ねると、明日は無理ですと言います。

 それは無理からぬことと思って、それではいつ届きますかと聞きますと、一昨日愛媛に送ったものがまだ着いていませんのでと、心もとない返事が返ってきました。

 とにかく確かめてと頼んだのですが、配送センターへの問い合わせに手間取ったのか、いつまでも答えがきませんので、ついにしびれを切らして、自分で宅配に頼むことにしました。

 もちろん、母の日の前日に買い物に来て、明日中に宮崎に着くかと尋ねる側にも、なにがしかの引け目はありますが、母の日セールと銘打つ以上、母の日のプレゼントを、一日でも早く配送するようなサービスを、工夫出来ないものだろうかと残念に思いました。

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忍び寄る影(5月9日)

 この夜、橋本家のいとこたちが東京で、知事退職を慰労する会を開いてくれましたが、寄生虫の研究をしている従姉から、ちょっと怖い話を聞きました。

 それは、地球温暖化や格差社会の進行など、周辺の環境の変化によって、思わぬ危険が忍び寄っているという話です。

 たとえば、マラリアの原虫を媒介する蚊そのものは、まだ上陸はしていないものの、近い種類の蚊は、日本にも姿を見せるようになったと言います。

 以前、出張でソロモン諸島に出かけた方から、事前に受けたマラリアの予防注射で、うつ状態になって大変だったという話を聞いたことがありますので、これ以上、日本の温暖化が進まないようにと願うばかりです。

 さらに、そんな病気があったのかと、後で辞書を引いてしまったのは、塹壕熱(ざんごうねつ)という感染症で、ホームレスの人の間に、密かに広がっているというのです。

 塹壕熱は、確かに広辞苑にも出ていて、五日熱リケッチアの感染によって、全身の疼痛と五日周期の高熱を繰り返す熱病で、第一次大戦のさ中、ポーランドとウクライナの国境付近の塹壕で、虱(しらみ)が媒介して流行したことから、この名前があると書かれています。

 ホームレスの人たちの間での感染も、虱が媒介しているとのことでしたが、こうした実態が公表されているのかと尋ねると、そうではないと感じさせる答えが返ってきました。

 一時は下火になった結核が、再び、ないがしろには出来ない存在になっているという話もありますので、地球の温暖化や格差社会の進行が、予想もしない危機をもたらすことを、真剣に受け止めなくてはならないと感じました。

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何故だろう(5月8日)

 8日のニュースで、来日中の、中国の胡錦濤主席が、訪問先の早稲田大学で、卓球の腕前を披露した様子が報道されていましたが、その映像を見ていて、何故だろうと思ったことがありました。

 知事をしていた当時、知事公邸の広間には卓球台がありましたので、運動不足気味のわが夫婦は、時折卓球をして汗を流していましたが、胡主席の公邸にも、卓球台が置いてあると聞いて、遠い存在だった人を、少し身近に感じることが出来ました。

 その胡主席が、福田首相と一緒に早稲田大学を訪れた際、中国の卓球の金メダリスト王楠さんと、同じ卓球選手で、北京オリンピック日本代表の、福原愛さんとが待ち受けていて、二人を相手に主席が、卓球の腕前を披露した様子が、この日のニュースで紹介されていました。

 この場の設定は、いわゆるピンポン外交を目論んだ、中国側の仕込みだったのでしょうし、胡VS福田戦や、胡・王組VS福田・福原組の混合ダブルス戦の予測など、それをにおわす報道もありました。

 ただ、狙いは何であれ、資料としては結構貴重な映像ですので、興味をもって見たのですが、見ていて何故だろうと感じたことがいくつかありました。

 一つはカメラワークですが、胡主席がラケットを振るうアップの画面ばかりで、球筋が見えるような引いた映像がないため、胡主席のせっかくのスマッシュも、それが決まった場面がさっぱりわからないのです。

 多分、代表取材でカメラが一台しか入っていなかったため、胡主席の表情を追っているうちに、終わってしまったということなのでしょうが、実に不思議な映像に感じられました。

 もう一つの何故は、どうして福田さんが、胡主席と一戦交えなかったのだろうかという何故です。

 これも多分、毒入り餃子やチベット問題と、日中間の課題が山積している中で、のんきに卓球かと思われたくないという気持ちとともに、卓球では胡主席にはかなわないといった思いが、重なったのでしょうが、こうしたチャンスをうまく活かす知恵を、誰かが進言しなかったのかと、それが不思議に思えました。

 といったわけで、何故だろう何故だろうと思っているうちに、ニュースは終わってしまいました。 

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懲りない面々(5月7日)

 この日のニュースに、大阪府の橋下知事が、職員組合の幹部とや
り合っている様子が流されましたが、かつての自分の姿と、重なり
合うものがありました。

 この日のやり取りは、財政再建の一環として、職員の給与の切り
下げを提案している知事に、組合側が提案を再考するように求めた
もので、そのこと自体は、組合活動としては当然のことですが、こ
の場面が、抵抗なくマスコミに公開されていたことには、なにがし
かの感慨がありました。

 というのも、知事になってまだ間もない頃、県立病院の経営改善
を提案して組合と対立をした時に、組合の幹部に、公開の場での討
論を呼びかけましたが、逃げ回られた経験があったからです。

 その後は高知県でも、職員の給与カットなどに関して、知事と組
合の幹部がやり取りをする場合には、その場面を公開するようにな
りましたが、労使交渉を隠れ蓑に、県民や府民の目の届かないとこ
ろで、人件費という名の税金の使い方が、こっそりと決められてい
た時代に比べれば、白日の下での議論は大きな進歩です。

 ただ、今回の橋下知事との意見交換の中で、組合の幹部から出た
発言には、今もってこんな考え方なのかと、あきれてしまう内容が
ありました。

 それは、企業と府庁などの公共体とは違う、という主張の中で出
てきたものですが、利益の追求を目標とする企業と、福祉や教育、
治安のように、そもそも利益の追求とは相いれないサービスを提供
する役所とを、同列に扱えないことは言うまでもありません。

 懲りない人たちだとあきれたのは、そこから先のくだりで、組合
の幹部は、「だから、赤字になるのは当たり前なのです」と言い切
るのです。

 これを聞いた橋下知事は、「その発言は府民を冒涜するものだ」
と切り返していましたが、このやり取りを聞いていて、橋下さんが
んばれと声をかけたくなりました。

 思い出してみれば、上に紹介した、県立病院の経営改善の提案に
あたっても、組合側からは、「医は仁術ではなく、算術なのか」と
いった、ためにする批判が出ました。
 
 これに対して僕は、「医は算術であってはならないけれど、同じ
仁術を施すにしても、いくつかの手法がある。税金を使って病院を
運営をしている者として、その手法の中で、最もコストがかからな
いものを選ぶように努めるのは当然のことではないか。それが出来
ていないから、赤字をたれ流すことになるのだ」と、反論したこと
を覚えています。

 それから、10年余りが経った今もなお、人前でも平気で、「官
庁は赤字になるのは当たり前」と言い放つ神経を疑いますが、こん
な人たちを支援者とする政党に、古い慣習を断つことなど出来るは
ずがないと、あらためて確信しました。

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そら豆のスープ(5月6日)

 この日、先月12日のこの欄に、「新人の牛飼い」というタイト
ルで紹介した、県庁の元の同僚から、そら豆とえんどう豆が送られ
てきましたので、早速、夕べの食材に使いました。

 僕が知事を退任する日まで、随行の秘書をしてくれていた彼は、
現在は県庁を退職して、鹿児島県の出水市で、畜産農家をされてい
る奥様の実家を手伝っています。

 ただ、お家ではそれ以外にも、お米や野菜を作っているのでしょ
う、たまに励ましの電話をすると、逆に、「何か旬の物がとれたら
送ります」と、あたたかい言葉を返してくれていました。

 とはいえ、彼が農業を始めてから、まだ1ヶ月たったばかりです
から、旬の物が届くのも、しばらく先のことだろうと思っていたと
ころ、6日朝、彼のもとから宅急便の箱が送られてきました。

 開けてみると、立派な姿形のそら豆とえんどう豆が、箱一杯にぎ
っしりと詰まっています。

 嬉しくなって、彼にお礼の電話を入れると、しばし、豆の皮むき
にいそしみました。

 少しずつ手鍋に入れて湯がいてみますと、いずれも、実においし
いお豆でしたので、そら豆はスープに、グリーンピースは、きざん
だアスパラと一緒にサラダにすることにしました。

 もちろん全てが自己流ですので、どうやって作ったかは内緒です
が、スープもサラダも、結構良い味のものが出来ました。

 日曜市で買い求めた、浦戸湾のカニやアサリと一緒に、夕べの食
卓を飾った鹿児島の豆たちを味わいながら、次は何が届くだろうか
と、虫のいい思いを募らせていました。

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2008/05/06

立夏の蠅(5月5日)

 この日、昼過ぎからお訪ねしたお寺の部屋で、蠅の飛ぶ音を耳に
しましたが、立夏とはいえ、蠅は早すぎるだろうかと、わが耳と目
の確かさに、いささかの不安を感じました。

 このお寺は、県中部の佐川町にある青源寺で、土佐藩主山内家の
筆頭家老だった、深尾家の菩提寺として1603年に創建された、
庭の美しい禅寺です。

 このお寺の住職のお母さまは、93歳で現職の保育園長をされて
いるという元気なおばあちゃまで、以前から親しくさせていただい
ていますが、この日は、保育のお仲間が何人かお寺にお出でになる
と聞いて、遊びにうかがいました。

 認定こども園の制度への心配など、保育にまつわるお話はもとよ
り、ご住職のお母さまの思い出話などを楽しく聞くうちに、ブ~ン
ブ~ンという音と、硝子戸に虫のはねが当たる音が聞こえます。

 ちらりと横目で見ると、蠅のように見えましたが、お話をしなが
らそっぽを向くわけにもいきませんので、後ははねの唸る音を聞く
だけでした。

 そうするうちに、いつの間にか、音の主はどこかに姿を消しまし
たので、再びお話しに、気持ちを集中させることが出来ました。

 後になって考えてみますと、高知では一昨日、日中の最高気温が
30度を超えましたので、蠅が出てもおかしくはありませんが、そ
れにしても、5月の初めに、蠅は早すぎないかと気になりました。

 ところが、季節の暦を見ると今日は立夏、しかも、季語の本によ
れば蠅は夏の季語ですので、はてさて、我が目と耳に自信を持つべ
きかどうか、いささかの迷いが残っています。

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維新の残り香(5月4日)

 4日午後、高知市内で、維新を切り開いた偉人たちの足跡をたど
る、歴史探訪に参加しました。

 新堀川・はりまや橋界隈歴史探訪と名付けられた、このイベント
は、わが夫婦が住んでいる、マンションの周辺をめぐる企画でした
ので、勉強がてらにと考えて、ツアーの途中から途中まで、つまみ
食いで参加をしました。

 僕が一緒にまわったのは、ジョン万次郎がアメリカから持ち帰っ
た知識と情報を、本にまとめて龍馬に教えた河田小龍をはじめ、土
勤皇党の領袖の武市半平太や、幕末から明治を支えた人材を数多く
育てた、陽明学者の岡本寧浦といった人物のゆかりの土地ですが、
その他にも、きら星のごとき先人の名が並ぶのを見ると、明治はこ
こから始まったといっても、大袈裟でない気がしてきます。

 そんな中で、面白かったことの一つは、武市半平太の道場で、柿
をふるまった時の志士たちの反応で、中岡慎太郎は、「かたじけな
い」と言って口にしませんでしたが、吉村寅太郎は一つ食べた後、
「うちの柿よりうまい」と社交辞令を言いました。

 これに対して坂本龍馬は、どうぞと勧められる前から柿を手に取
って、まずいところは食べ残したと言うことですが、その解説を聞
いていた参加者からは、「いかにも龍馬らしい話やねえ」という声
がもれました。

 その龍馬の初恋の人は、やはり半平太の門下生だった、平井収二
郎の妹ですが、反対をされて龍馬と別れた彼女は後年、「龍馬と再
会出来なかったことは、女子一生の痛恨」と語ったそうですから、
龍馬のやんちゃぶりは、女性には魅力的だったのでしょう。

 この他にも、やはり半平太の教え子で、彼の釈放を求めて奈半利
川の河原で斬首された清岡道之助の妻が、川に落ちた夫の首を柄杓
ですくって、同志のなきがらとともに葬ったといった話を聞きます
と、志を維新にかけた人々の思いが、このあたりに漂っているよう
な、不思議な気持になりました。

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国の形を考える(5月3日)

 この日、施行から61年目を迎えた日本国憲法は、僕とは同い年
になりますので、これを機に、憲法とこれからの国の形について考
えてみました。

 戦前の明治憲法を制定するにあたって、政府の命を受けた伊藤博
文が、調査のためにヨーロッパに渡ったのは1882年、それを基
に、大日本帝国憲法が公布されたのが1889年ですから、調査を
始めてから7年の歳月がかけられています。

 その際、内容を見てもいないのに、憲法が出来たことに酔いしれ
ている国民の姿を見て、その愚かさを嘆いたのは、本県出身の中江
兆民でした。

 また、福沢諭吉は、他の国では、民衆の力の高まりなど、国の大
乱を受けて憲法が制定されているのに、わが国では、そうした大衆
的な高まりがないまま憲法の発布に至ったことに、不安を投げかけ
ていますが、いずれも、明治憲法の制定に至る特質を言い表した、
慨嘆や不安であったと思います。

 これに対して、ポツダム宣言を受諾した後、いわゆるマッカーサ
ー草案を含むいくつかの案を基に、現在の日本国憲法が施行された
のが1947年、今から61年前の今日のことですが、こちらは、
敗戦という国の一大事を受けて制定されたという点で、明治憲法と
は違った出自を持っています。

 このため以前から、自主憲法を制定しようとの表現で、憲法の改
正を目指す動きがありましたが、現在の憲法が還暦を迎えた昨年5
月に、憲法を改正するのに必要な手続きに関する法律が成立して、
2年後の2010年の5月に、この手続法が施行されることになり
ました。

 とはいえ、そのことを、がむしゃらに推し進めてきた安倍政権の
終焉とともに、改正に向けての熱気は薄れつつあるようですが、明
治憲法の制定がそうであったように、憲法の中身を考えることは、
これからの国の形を考えていくことにつながります。

 ですから、平和憲法の堅持に異存はありませんが、本格的な地方
主権の実現や地球環境への姿勢、さらには、格差が進む中での生存
権や子供にかかわる視点など、憲法の改正と絡めて議論を深めるべ
き課題は、数多くあると思います。

 自分が、いくつまで現役として活動できるかはわかりませんが、
これから数年の間に、憲法を基にした、新しい国の形づくりの議論
が進むかどうかを、関心をもって見守っていきたいものです。

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そんな事故が(5月2日)

 2日午後、市内の知人から、数ヶ月前に、東南アジアのある国で
起きたという事故の話を聞いて、そんな事故があったのかとびっく
りしました。

 それは、日本のゼネコン数社が、ジョイントベンチャーで請け負
った大型工事で、設計または組み立てに問題があったのか、足場が
崩れて、多くの死傷者が出たと言います。

 しかも、日本人の技術者には被害がなく、現地の人だけが死傷し
たために、反日感情という点からも、大きな問題を残しました。

 しかし、この事故が大きく報道されると、その後の日本からの援
助に、ブレーキがかかるといけないと考えたその国の政府が、極力
報道を抑えたため、あまり大きなニュースにはならなかったそうで
す。

 そんな事故のニュースに、接した記憶がありませんでしたので、
初めて聞く話にびっくりしたのですが、この事故によって、日本の
技術に寄せられていたこれまでの信頼が、揺らいだことは間違いな
いようです。

 この方もそうですが、海外で仕事をしている方と話をしますと、
安い価格で勝負をしてくる華僑系や印僑系はもとより、都合のよい
規格を押し付けてくる、欧米系の企業を相手に、大変な苦労がうか
がわれます。

 その中で、日本企業の売りは、安かろう悪かろうに陥らない技術
力ですが、今回の事故で、その信用にかげりが出たとしたら、後が
またやりにくくなるというのが、この方の心配でした。

 それ以上、突っ込んでは聞きませんでしたので、事故の詳しい経
緯もつかめてはいませんが、これほどの事故が、国内ではあまり報
じられないといったことが、この時代にも起き得ると知って、その
ことにも少し驚きました。


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2008/05/04

陳情心理学(5月1日)

 1日午後、知人の経営者から、自民党の幹部に陳情をした際の体
験談を聞いて、そんなやり方もあるのかと感心をしました。

 昨年の参議院選挙前の話ですが、この方は、全国組織の業界団体
の役職者を務めているため、他の幹部と一緒に、自民党の幹部のも
とに陳情に出かけました。

 それは、あるホテルのスイートルームを使った事務所で、待合室
から陳情のための部屋に入ると、全然関係のない業種の3つの団体
が、一つのテーブルに並んで座らされて、一つの団体ごと、10分
ほどの陳情の時間が与えられます。

 その都度、他の二つの団体は、自分たちには関係のない陳情を聞
かされるのですが、それと同時に、陳情を受けた党の幹部が、「わ
かりました、私がやりましょう」と言うやいなや、かたわらに控え
る秘書に「おい、○○局長を呼んでくれ」などと、指示するのを目
の当たりにします。

 知人によれば、シナリオがあるかのような見事な進め方で、こう
して、他の業界の陳情に対する対応も聞かされることで、誰もが、
この先生は、幅広い分野に大変な力を持っていると、感じさせられ
てしまうと言います。

 自分は、政党の幹部のもとに、陳情に出かけた経験があまりあり
ませんので、こうした場面に出くわせたことはなかったのですが、
なるほど、自らの力を誇示するために、こんな手があるのかと感心
をしました。

 田中角栄さんの時代を知りませんので、昔からあった手法かどう
かはわかりませんが、人間の心理を、巧みに突いた作戦かもしれま
せん。

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無神経の連鎖か(4月30日)

 この日、ガソリン税の暫定税率の復活が、衆議院の採決で決まり
ましたが、与党側も、これに対する民主党の側も、いささか無神経
の連鎖が過ぎるのではと感じました。

 この日、高知の市内でも、明日からガソリンが、再び値上がりす
るのに備えて、スタンド横の路上には、給油待ちの車の長蛇の列が
できていました。

 そう言えば、昨夜、市内のマンションで開いた懇談会で、スタン
ドの関係者の方は、4月初めに、暫定税率が一旦なくなった際に、
200万~300万円の損害を受けたと話されていましたが、連休
を前に政府の要人は、30日に暫定税率の復活が決まっても、税率
が低い時に仕入れた分があるから、連休中に混乱が起きることはな
いと思うと、悠長な話をされていました。

 こうした、スタンドの事情もですが、公共交通機関が発達してい
ない地方では、大都市以上に、車が生活の足ですので、ガソリン代
は大きな意味を持っていますが、たぶん総理は、そのことを十分に
わかっていないと思われます。

 ただ、自民党にしてみれば、3日前の山口の補欠選挙の結果、後
期高齢者の医療制度の影響で、これまで厚い支持層だった高齢者の
支持が、失われつつあることが見てとれますので、暫定税率を、ど
うしても確保しておきたいという従来からの支援層を、これ以上失
いたくないという心理が働いても不思議ではありません。

 逆に言えば、ここで、世論を恐れて暫定税率の復活を見送れば、
こうした層の支持も失いかねないと考えたのでしょうが、国民の暮
らし並びに、スタンドを経営する側の立場などを考えると、いささ
か無神経な判断ではないかと思うのです。

 一方、迎え撃つ民主党も、ここは粛々と、議会の中で反対を通せ
ばそれで十分なのに、あえて、議会をボイコットしてプラカードを
掲げたり、議長の議場入りを邪魔したりといった行動に出ました。

 こんなことをすれば、暫定税率の復活に反対の人も、おいおい、
民主党は何をしているんだと、疑問を感じると思うのですが、それ
を感じ取るだけの、神経を持ち合わせている人がいないのでしょう
か。

 といったわけで、なんとも言えず、無神経の連鎖を感じた一日で
した。

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日々是発見(4月29日)

 この日は、午後から夕方にかけて、高知大学の学生が中心になっ
て取り組んでいる、地域おこしの発表会に参加した後、夜は高知市
内で、あるマンションの住民の方々と懇談会を開きましたが、これ
まで気づかなかった発見がいくつかありました。

 お昼間の会は、南の風社という地元の出版社が、高知大学の学生
とともに取り組んでいる、「いなかインターン」という事業をテー
マにした会でした。

 この「いなかインターン」という事業は、嶺北地方と呼ばれる、
高知市の北側の中山間地域で、有機無農薬の農業や、染め木を使っ
たアクセサリー作り、さらには、ネットを通じて、全国へ世界へと
届けられている犬小屋のキット製作など、元気に頑張っている人の
もとに、大学生が、数週間から数ヶ月インターンをすることで、お
互いを高めていこうという取り組みです。

 この日の会では、インターンを経験した学生から、体験に基づく
発表が行われましたが、こうした訓練によって、日本人が不得意と
されるプレゼンテーションの技術が、確実に磨かれています。

 中には、高校生の頃には、引っ込み思案がマックスの状態だった
のに、その自分が、こうして人前で話をしているのが信じられない
くらいという学生もいて、インターンの内容だけでなく、体験発表
の効用も一つの発見でした。

 この会が、夕方の5時過ぎまでありましたので、そのまま高知市
内にとんぼ返りをして、あるマンションの住民の方々との、懇談の
会にのぞみましたが、ここでも、これまで気づかなかった発見が、
いくつかありました。

 それは、発見というより、自分の知識の足りなさを確認したとい
った方が、正確かもしれませんが、ある方からは、「暫定税率を復
活させるにしても、周知期間はいらないのだろうか。税率を上げる
議決をしたら、翌日から税率アップでいいのか」との質問を受けま
した。

 また、別の方からは、「25パーセントのアップか、それとも据
え置きかではなく、10パーセントか15パーセントを元に戻そう
といった議論は出来ないのか」と指摘されました。

 まったく答えられないという訳でもないのですが、この他にも、
その場では的確な答えの出しにくい質問があって、なるほど、こん
な疑問を持っている方がいるんだなと、新たな発見をした思いがし
ました。

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地球を包む新聞紙(4月28日)

 28日午後、県中部を流れる物部川を見晴らす、知人の職場兼自
宅を訪問して、古新聞で地球を包み込むという、面白いアイディア
を拝聴しました。

 このアイディアの源になったのは、古新聞を折って作る手提げ袋
で、四万十川と環境にこだわった物づくりを手がけている、「四万
十ドラマ」という会社が売り出して、評判を呼んでいます。

 すでに、アメリカの美術館やイギリスのブティックに輸出される
など、国際的な広がりもみせていますが、もともとは、四万十の地
元のおばちゃんが作り方を編み出した、とてもローカル色の濃いア
イテムです。

 それに目をつけたのが通販業界の大手で、間に入った広告代理店
が新聞協会にも声をかけて、古新聞を使った手提げ袋と、その作り
方を解説した小冊子をセットにした商品を、売り出すことになりま
した。

 そこには、古新聞をゴミにしないこととともに、紙の袋を使うこ
とで、石油化学製品であるポリ袋などを減らしていこうという、環
境に関する二重の思いが込められていると言いいます。

 それに加えて、たとえば、トヨタの全面広告のページを使って、
袋を折るとした場合に、「TOYOTA」の文字や車のボディを、
自由自在に袋の側面に出すことが出来るとのことで、企業の環境P
Rにも活用が可能です。

 さらに、この活動を全世界に広めることで、古新聞で地球を包み
込んでいきたいというのが、壮大な目標でしたが、こんなグローバ
ルな運動を、高知ローカルから発信していければ、とても素晴らし
いことだと思いました。

 知人の職場でこの話を聞いた後、お隣の自宅に移ってお茶をいた
だきましたが、デッキ越しに揺らめく物部の川面と、新緑の映える
光景は、古新聞で地球を包む壮大な夢と同様、うらやましいもので
した。

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親戚めぐり(4月27日)

 この日は、四国三郎の異名のある吉野川に沿った、県中部の本山
町で、午前中は川岸のツツジを、午後は、公園のシャクナゲを満喫
しました。

 吉野川の支流の一つ、汗見川の川岸には、自然のツツジがあちこ
ちに群生していますが、以前から話には聞いていたものの、実物に
お目にかかったことがありませんでした。

 この日は、本山町の公園で、シャクナゲを見ながらお弁当を広げ
るというのが、当初の目的でしたが、ちょうど川岸のツツジも見ご
ろと聞いて、岸のツツジをよく知る知り合いの方に、案内をしても
らいました。

 植物は浮気者なので、すぐ他の品種と混じり合ってしまうため、
純粋な種を守っていくのが難しいとか、川が氾濫してツツジが流さ
れるたびに、群生地が広がっていったといった解説をうかがいなが
ら、下流から上流にかけての見どころを、およそ1時間かけて楽し
みました。

 この後、吉野川の本流に沿ったシャクナゲの公園、帰全山(きぜ
んざん)公園に向かいましたが、橋を渡る途中、一緒に出かけた地
元の方から、早明浦ダムができる前には、ここでも鵜飼いをしてい
て、自分も鵜の紐を操ったことがあるといったお話を聞きますと、
数々の大型事業によって得たものと失ったものとを、100年たっ
て振り返った時には、どんな評価になるのだろうかと、感傷的な気
分にもなります。

 肝心の公園のシャクナゲは、今年は裏年で、花の付き方が少しさ
びしいとのことでしたが、お弁当を広げながらよもやま話をするに
は、十分の背景で、この日が投開票日の山口の補欠選挙や、それを
受けての、ガソリン税の暫定税率の再値上げのことなど、トピック
な話題に話の花が咲きました。

 おなかも満ちて、あらためて公園の中を散歩してみますと、これ
までシャクナゲの花を、誤解していたことに気づきました。

 というのも、言葉の響きから、芍薬と混同していた嫌いがあるか
らですが、シャクナゲの花を間近に見れば、見た目はツツジと変わ
らない花弁がついています。

 家に帰ってから、広辞苑を開いてみたところ、シャクナゲはツツ
ジ科のツツジ属とありましたので、ツツジの親戚に関して、また一
つ勉強ができました。 

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食の巡礼(4月26日)

 26日の夜は、一昨日に続いて、高知の食材を生かした、スロー
フードを楽しむ会に参加しましたが、会の中で、ご挨拶をする機会
をいただきましたので、一昨日の会で仕入れた食の巡礼の話を、受
け売りしてしまいました。

 この日のスローフードの会には、一昨日の食事会で、イタリアン
の腕をふるって下さった料理研究家の女性が、来賓として参加され
ていて、イタリアの地図をもとに、各地の食材などについてスピー
チをして下さいました。

 そのお話を受けて、何かひと言とマイクを向けられましたので、
ふと思いついて紹介をしたのが、一昨日会で、その方から聞いたお
話でした。

 それは、多くの方に高知に来てもらうためには、何をすればいい
のかで、その答えの一つとして、この方が提案されたのは、30代
前半のカリスマシェフを育てるという知恵です。

 すでに、東北には、そうしたシェフの評判が、多くのお客様の呼
び込みに、つながっている地方があるとのことで、野菜や果実をは
じめ、魚介や地鶏など、全国的にみても食材がきわめて豊富な高知
が、これに取り組まない手はないとのご提案でした。

 さらに、そうした料理人の誕生が、イタリアンやフレンチだけに
とどまらず、様々な分野に広がっていけば、四国お遍路と同じよう
に、食べ歩きの巡礼の道が生まれるというのが、この方が教えて下
さった、食の巡礼のコンセプトでした。

 かなり前から、出来るといいねと言われてきたアイディアの一つ
ですが、県内の食に対する感性も高まってきていますので、具体的
な一歩を踏み出すための、お手伝いが出来ればと思いました。


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