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2008年6月

2008/06/24

しばらくお休み(6月3日以降)

 3日以降も、県の内外で、毎日様々な体験がありますので、書くネタがないわけではありませんが、他にやらなくてはいけないことがたまって、時間的なゆとりが持てませんので、6月中は、ブログをお休みさせていただきます。

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意外な共通点(6月2日)

 2日午前、県中部の佐川町の役場で、はりまや橋を題材にした映画に取り組む、アメリカ人の監督と再会しましたが、制作にかかわる方から、佐賀のがばいばあちゃんとの、意外な共通点を伺いました。

 このアメリカの若い監督は、かつて英語の指導助手として、高知に滞在したことがあるため、高知を舞台にした映画の構想を、長年あたためてきました。

 このため、自分が知事として在職中にも、知事室を訪ねて、進み具合を話してくれたことがあるため、高知でのクランクインを前に、安全祈願の式典が開かれた、佐川町の役場に彼を訪ねました。

 映画のストーリーは、以前、このブログでも紹介したことがありますので、ここでは省きますが、黒人監督として、肌の色や国と文化の違いを越えた、人と人との心のつながりを、はりまや橋という「橋」を象徴に、描いてみたいと言います。

 その席には、この映画の制作にかかわる方もおられましたので、お話を伺いますと、2006年に公開された、「佐賀のがばいばあちゃん」の制作も担当されたことがわかりました。

 そこで、二つの映画は、ずいぶん趣が違うように思えますがと水を向けますと、なるほどと思うような答えが返ってきました。

 それは、、がばいばあちゃんは、戦後間もない、日本が貧しい時代に懸命に生きた人たちの姿を描き、一方、今回の映画は、わが国が豊かさに埋もれた中での、人間関係を描いているが、家族を核とした人の絆の大切さという点で、共通のテーマを扱っているという説明でした。

 高知の県民はシャイなのかもしれませんが、せっかく、高知を舞台に何かをしたいという、熱い思いを持った人が来てくれたとしても、冷めた目で見る傾向があります。

 この映画に関しても、若干そんな雰囲気を感じないではありませんが、すでに、海外での配給と上映も決まっている、筋のいい映画だと思います。

 ですから、たとえば来年のカンヌで、何かが起きてからあわてたりしないように、足もとから一緒に、芽を育てていく気持ちを持ちたいものです。 

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南の蛍(6月1日)

 1日の日曜日は、県中部の旧香北町に、蛍を見に出かけましたが、久し振りに見る蛍たちの姿は、相も変わらずロマンチックでした。

 物部川に沿うこの地域は、3つの町村が合併して、香美市となっていますが、出かけた先は、国道からもかなり入った山沿いで、農村のたたずまいが、そのままに残されています。

 とはいえ、目の前に広がる、耕作放棄された田んぼの跡や、人の住まなくなった家屋が、何とも言えぬ寂しさを誘うのですが、日が暮れれば、そうした寂しい光景も、夜の帳が隠してくれます。

 代わって目に入ってくるのが、蛍の明かりで、時の深まりとともに目を凝らすと、一つ一つ、その数がふえてくるのがわかります。

 かたわらでは、ビールや焼酎のグラスを片手に、竹の子の寿司や、貝とイノシシ肉のバーベキューで、ワイワイと盛り上がっていますので、人声と電気の光を避けて、小川の上流に行ってみることにしました。

 すると、ちょうど、多くの蛍たちが飛び始めたところで、あんなに高い所までと思うような、上空を飛びかう元気者もいます。

 阿久悠さんが作詞して、森進一さんが歌った「北の蛍」は、亡骸(なきがら)の胸の乳房を突き破って、恋しい男の胸に飛んでいく、血に染まった赤い蛍が主人公ですが、飲んで騒ぐのが大好きな、高知の「南の蛍」には、そんな、おどろおどろしいほどの艶っぽさはありません。

 やはり、蛍たちも空を飛びながら、ワイワイとやっているのだろうかと思いつつ、小道を降りて宴席に戻りました。

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桜に見る違い(5月31日)

 31日昼、高知市で開かれた、リューマチ患者の方々の会に出席しましたが、全国大会に出席するため、山形に出かけたという役員の方から、現地で見聞きしたお話を聞きました

 リューマチの会の方々とは、知事の時代からのご縁で、この日は、総会の後の懇親の場にお招きを受けました。

 役員の方々とお話をしていますと、その中のお一人が、山形に出かけてきたと言われます。 

 聞けば、リューマチ患者の会の全国大会が、山形で開かれたとのことでしたが、たまたま自分も、7月に山形に出かける予定があるため、関心を持ってお話に耳を傾けました。

 それは、山形市内の、お城の公園に植えられた桜にまつわることで、葉桜の季節だったものの、樹齢百年ほどの大木が威容を誇っていたと言います。

 同行してくれた、山形の方の解説によると、日露戦争が終わった後、無事に山形に戻った兵隊さんが、亡くなった戦友をしのんで、戦死者の数だけ桜の木を植えたとのことでした。

 その話を聞いて、高知から参加した役員さんは、高知ではこうした話を聞かないが、これは、県民性の違いだろうかなどと思ったそうです。

 高知から、日露戦争に従軍した人がどれだけいたのか、その際の戦没者の霊を、高知の仲間たちがどう悼んだのかがわかりませんから、何とも言えませんが、今度山形に行った時に、あらためて尋ねてみようかと思いました。 

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JAでお話(5月30日)

 この日は午後から、県内の農協の青壮年部の会で、高知の農業をテーマにした講演をしましたが、ある意味、感慨深いものがありました。

 これは、この農協の職員の方からの、お声かけで実現したものですが、現職の知事時代には、農協との間には様々なずれもあって、9年前には、県の農協中央会の会長と知事選挙を戦ったこともありました。

 さらに現在は、次期の衆議院選挙で、自民党の現職と、ぶつかりあおうかという立場にありますので、そんな諸々の経緯を乗りこえて、農業に対する思いを語る機会をいただいたことを、とても嬉しく受けとめました。

 穀物と園芸のそれぞれの分野ごとに、国際情勢の変化と、そのことを受けての、国内のまた県内の農業の今後を語ってみましたが、原油高や、それに伴う資材の高騰はもちろんのこと、大手の量販店などのバイイング・パワー、買う側の力の強さなど、自らが語りながらも、あらためて、農業政策の難しさを感じる1時間でした。

 この後、場所をかえての懇親会に出席しましたが、飲めない酒を酌み交わす中で、参考になる話を、数多く聞くことができました。

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自立心の弱い国(5月29日)

 29日昼、東京のある企業の本社で、日頃からおつき合いのある、相談役とお目にかかりましたが、日本人の自立心の弱さが話題になりました。

 この方は、地域での清掃など、奉仕活動の普及に熱心な方で、本業でも、お客様へのサービスを、仕事の基本に置いておられます。

 このため、サービスの心をそぎ取って、少しでも安く売っていこうという現代の風潮には、苦々しい思いをされているようですが、こうした時だからこそ、やすきに流れたくはないと、日本に受け継がれる心の高みを、熱く語られます。

 それだけに、最近の日本人は、どうしてここまで自立心が弱まったのかと、相談役は嘆かれます。

 その一例として語られたのは、飛行機の出発時刻が過ぎているのに、搭乗ゲートに現れない客がいる時、航空会社の職員が出発ロビーの周辺を走りまわって、遅れた客の名を呼びまわることで、空港でよく見かける光景です。

 外国では、客が定刻に現れなければ、飛行機はそのまま出発してしまうので、こんな光景は日本以外には見られないというのが、相談役のお話でした。

 それを聞いて、間もなく自動車の後部座席でも、シートベルトの着用が義務づけられることを話題にしますと、これも、90何パーセントの人には関係のないことだし、事故で大けがをするかどうかは、後部座席に座る本人の自己責任だから、どうして、こんな余計なお世話をするのかと、ここでも自立心の弱さに話が及びました。

 ビジネスの仕方にしろ、暮らしの中での依存心の高まりにしろ、日本から、何かが失われているというのが相談役の思いで、日本人の美徳などを綴った本を、お贈りいただくことになりました。

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大陸を飛ぶ日の丸(5月28日)

 28日夜、講演先の福島からの帰途、知人から、中国の四川省で起きた地震の復興支援のため、自衛隊機が中国に飛ぶかもしれないとの話を聞きました。

 その話を聞いて、とっさに感じたのは、それは歴史的な出来事だし、今後の日中関係にとっても、素晴らしいことだとの印象でした。

 原則を重視する中国という国、並びに、日本人と比べてはるかにドライな中国人は、正直を言って、つき合いやすい相手ではありませんが、一衣帯水の地理的な関係からいって、政治的にも経済的にも、さらに密接な関係を築いていかざるを得ません。

 その点で、このところの日本政府の対応は、決して生産的なものではありませんでしたので、日の丸をつけた自衛隊機が、中国大陸を飛ぶという、象徴的な出来事が実現すれば、お互いの関係にとって、大きな前進になると感じました。

 ところが、その知人によると、かねてから防衛省内には、そんな申し出が、中国側から来ることはないとの常識が支配的だったため、先取りをして、日本側から打診をするといった空気は、まったくなかったと言います。

 もちろん、天災による被害という、弱みにつけ入るような物言いは、厳に慎まなければいけませんが、こうした時に、内々の話が出来るチャンネルさえない関係は、決して良いことではありません。


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懐かしや蟹工船(5月27日)

 27日朝、新聞の紙上で久しぶりに見た、往年のプロレタリア文学の代表作「蟹工船」が、夜の席でも話題の種になりました。

 この日の全国紙の朝刊を開くと、小さな囲みの記事の中に、プロレタリア作家小林多喜二の代表作、「蟹工船」と「党生活者」の2作を収めた本の、表紙の写真が出ています。

 大学生の頃に手にした、懐かしい表紙の絵を見ながら、記事に目を通してみますと、ワーキングプアが社会的な問題になる中で、「蟹工船」の売れ行きが伸びているため、衆議院の中にある書店が、お客さんの目につきやすくするように、平積みでの販売を始めたという記事でした。

 どれくらい売れているのかと言えば、この3ヶ月で14万部の増刷で、例年の10倍の売れ行きだといいます。

 ところが、平積みにして初日の26日は、8冊置いたうち売れたのは1冊だけで、ある民主党の若手は、「共産主義を目指す『蟹工船』を、読んだことはないし読むつもりもない」と、冷たい反応だったというのが、記事の締めになっていました。

 確かに、小林多喜二は党員でしたが、「蟹工船」も「党生活者」もいずれも、党のプロパガンダを超えたすぐれた文学作品でしたので、何と程度の低い若手がいるのかというのが、記事を読んでの印象でした。

 たまたま、この夜は東京で、民主党の幹部の方と夕食をともにする機会がありましたので、民主党の若手は、この程度のインテリジェンスしかないのかと、嫌味を言ってあげました。

 それに対して、すぐに返ってきたのは、民主党に限らず、若い人は「蟹工船」を読んだことがないから、質問されても、どんな本かわからないのだろうという答えでしたが、しばらくすると、ふと思いついたように別の答えが返ってきました。

 それは、「もしかすると、民主党をおとしめるために、現実にはいもしない若手のコメントを、勝手に作りあげたんじゃないか」というものでした。

 なるほど、囲みの記事一つで、そこまで深読みが出来るのかと感心をしましたが、現実に自分自身が、この記事を見て、民主党の若手のインテリジェンスに疑問を感じたのですから、そうした深読みもないではないなと考え直しました。

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白いお豆腐(5月26日)

 26日夜、退職した知人をねぎらう会に出席しましたが、同席された女性たちの話から、韓流ブームいまだ冷めやらずを実感しました。

 その中のお一人は、東方神起(とうほうしんき)という、韓国の5人組のグループの大ファンですが、しばらく前に、この方を別の方に紹介するにあたって、東方神起のファンといってもわからないだろうと思いましたので、日本で言えばジャニーズ系のと言ったところ、ジャニーズと一緒にしないでと、叱られたことがあります。

 聞けば、ジャニーズ系とは歌唱力もダンスのうまさも全く違うとのことで、たまたま見に行った日韓音楽友好祭で、結成間もない彼らの歌を聞いて以来のファンだと言いますから、そろそろ筋金が入っている感じです。

 今も、来日の際の国内でのコンサートはもちろん、本国でのコンサートにも足を運ぶということで、この夜も、韓流の話題に花が咲きました。

 その席で、退職をされた主人公の男性が挨拶に立って、出所祝いみたいだと冗談を言いますと、すかさず女性陣から、それじゃ白いお豆腐を用意しなくちゃと声がかかります。

 白い豆腐とは、いったい何のことやらと思って質問しますと、韓国では、刑務所を出る人を迎える時に、心を真っ白にして出てきてねという意味で、白い豆腐を用意するのだと言います。

 出典はもちろん韓流ドラマですが、何というドラマですかと重ねて尋ねますと、あんまり一杯見たので、一緒くたになってわからないとの答えでした。

 その答えに、また席がわきましたが、これだけ話の種になるとは、韓流あなどるべからずです。

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おびさんマルシェ(5月25日)

 日曜日の夕方、高知市内の商店街の一角を利用して開かれている、おびさんマルシェを、ぶらりとしてみました。

 会場の「おびさんロード」は、商店街とはいえ、変哲のないアーケードとは違って、くねくねとした石畳の道が特徴です。

 その通りを舞台に、江戸の昔から高知に続く日曜市ともフリマーとも違った、新しい市場を演出しようと始まったのが、おびさんマルシェで、石畳の上に蚤の市よろしく、美味しいものやアートを扱う露店が、軒を並べます。。

 心配されたお天気はセーフでしたが、その分、昼間は暑そうでしたので、夕方になってから、妻と連れだって出かけてみました。

 というのも、暑さのことはともかく、夕方の方がお客さんも多くて、盛り上がっているだろうと思ったからなのですが、行ってみると、客の影はすでにさみしくなっていました。

 広場でのパフォーマンスもふくめて、夜の9時までのイベントですから、残り数時間の長さが少し心配になりましたが、逆に、夕方からの客足があればもっと雰囲気が出るねと、妻と語らいながら、帰路につきました。

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柚子の効能(5月24日)

 24日午後、柑橘類の精油の研究では第一人者の、高知大学の先生から、様々な柑橘類、中でも柚子の可能性についてお話を聞きました。

 柑橘類は、ブドウ、バナナ、リンゴと並ぶ世界の4大果実の一つで、1930年以降は、その中でも最も生産量が多くなったとか、日本に一番古くからある柑橘は橘で、そのため、家紋にも、橘のデザインが数多く使われているなど、知識欲をかきたてるお話が続きます。

 さらに、揚子江の上流域で生まれた柚子が、初めて日本に入ったのは西暦700年前後で、聖武天皇の時代には、冬至の日のお風呂に使うようになったと、話を追うごとに、知識の泉が一層湧き出します。

 肝心なのは、柚子の持つ効能で、その果汁には、ニトロソジメチルアミンという、発がん性物質の反応を抑える効果があることを、まず学びました。

 もう一つの可能性が香りですが、香りをかぐことで体や心を癒す、アロマセラピーに使う精油は、99パーセントが外国産で、国産はほとんどないため、柚子のように、日本人に好かれる香りの精油は、将来性が極めて有望です。

 とはいえ、たとえば、手術を明日に控えて、緊張のあまりよく眠れない患者に、柚子の香りをかがすと、落ち着いて眠れるといった報告はあるものの、先ほどの果汁の持つ効能のように、科学的に証明されたものがまだありません。

 そこで、企業と一緒になって、柚子の香りの効能を立証できれば、今は産業廃棄物の扱いになっている、果汁を搾った後の残滓からも、精油を採り出す技術が開発されているため、柚子の付加価値と可能性は一気に広がるというのが、先生のお話のまとめでした。

 帰りがけに、柚子の精油が10ミリリットル入った小瓶を、お土産にいただきましたが、そっとふたを開けてみますと、何とも心地よい香りがしました。

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2008/06/04

体に入る音(5月23日)

 23日夜、高知市内のお寺の本坊で開かれた、横笛と小鼓のコンサートを楽しみましたが、これまで、あまり馴染みのなかった鼓のことも、随分と勉強ができました。

 このお寺は、はりまや橋でかんざしを買ったところを見つかって、破門されたお坊さん、純真がいたことで知られる五台山竹林寺ですが、純真とは違った意味で、とても開けている今の住職さんが、日頃から本坊を使って、様々な文化的な催しを開いて下さっています。

 この夜の出し物は、大前研一さんの奥様のジニーさんと、藤舎(とうしゃ)流の同門の方々による、横笛と小鼓のコラボで、県内では3大名園の一つに数えられるお庭を背景に、えも言われぬ音色が響きます。

 庭の池の主である牛蛙が、黙ってはいられないとばかりに、携帯のマナーモードと聞きまごうような、低い響きで応じてくれるのも、風雅なご愛嬌でした。

 勉強になったのは鼓に関する知識で、両面に張ってある皮は仔馬の皮、手で握る部分の棒は桜の木をくりぬいたもの、そして、両面をつなぐ紐を調(しらべ)と呼ぶなど、いっぺんに薀蓄がふえました。

 さらに、鼓の真ん中を叩いて低い音を出す時には、手首のスナップを利かせて4本の指で、高い音を出す時には、薬指1本で、縁のほうを叩くとのことでしたが、流派によっては、中指と薬指の2本で叩くところもあるというあたりが、いかにも日本的な、こだわりの文化を感じさせました。

 演奏会の後、街のレストランで、出演者の方々と遅い夕食をとりながら、小鼓を操るまだ妙齢の女性に、なぜ鼓を始めたのかと尋ねてみました。

 すると、きっかけは、テレビのコマーシャルだったというのです。

 彼女の記憶によれば、それはたぶん、「チーズおかき」のCMで、鼓そのものは、画面には出てこないものの、大量のおかきが、ぱらぱらと画面を流れ落ちる映像のバックに、ポンポンポンポンという音が流れていました。

 それが鼓の音だったのですが、その音がとても心地よく、す~っと体に入り込んできたため、そのCMが流れるたびに画面に体を寄せて、これがやりたいとご両親にせがんだのが、鼓を始めるきっかけだったということでした。

 なるほど、体に入る音か、天性の才能は、そんなきっかけで見つかるのだろうなと思いつつ、夜の11時もまわろうかという時間帯に、テーブルに並んだお料理を、心地よく体の中に入れる私でした。

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充電中(5月18日~22日)

 18日から22日までは、半月遅れの連休と決め込んで、山にこもって充電をしました。

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山の風景(5月17日)

 この日は、県中部の香南市香我美町の山あいの集落に、もみじを愛(め)でに行きましたが、行く先々に山の風景を感じました。

 この日のお目当てのもみじは、町内でミカンづくりをしている方が、耕作をやめた水田の跡地に植えているものですが、初めのうちは、若木の皮を次々と鹿に食べられて、育てるのに苦労をしていました。

 それが、防護用のネットなどの甲斐もあって、4年5年と育ってきたので、一度見に来ないかと誘ってくれました。

 場所は、大蛇藤と呼ばれる、見上げるばかりの大きな藤の木の近くで、清流に沿った、空気の澄み切った所です。

 まだ、人の背丈を超えてさほどの年月の経たない、可愛らしいもみじ達ですが、さわやかな晴天のもと、寝転がって見上げる葉は透き通るようで、揺らめく緑の光に目も心も癒されました。

 そこまでの行き帰り、もみじの主の家からは、車で片道40分から50分かかりますので、道中では、政治談議をはじめ話に花が咲きました。

 と言いながら、花の咲かない話で恐縮ですが、途中にあった柚子畑の柚子の木に、ちらほらとしか花がついていません。

 例年、この時期なら、白い花がもっといっぱい咲いているのにと話しながら、今年は柚子の裏作になりそうだと心配顔でした。

 柚子は、全国一の生産高を誇る、高知県の特産品の一つですが、最近では、加工品の需要が伸びて、昨年は品不足の状態でしたので、それに裏年が重なったらどうなるだろうかと、こちらも心配になりました。

 帰りがけの道端の畑で、農作業に励む男性を見つけると、車を止めて声をかけます。

 この地区の、牽引車役だと言われるお年寄りの男性と、しばらくよもやま話をした後、再び車に戻りましたが、車中では、もみじの主とお友達が、お年寄り同士の会話を象徴するような、楽しいエピソードを紹介してくれました。

 それは、ある日の朝、畑仕事に出かけた二人のお爺ちゃんが、出会ったところから始まります。

 あれやこれやと話が弾むうちに、昼が過ぎ日が傾いて、夕暮れ時を迎えても、話は尽きることがありません。

 ついに、あたりを夕闇が包もうとした頃、2人はようやく話を閉じますが、別れる時に交わした言葉が、「今日は時間がないから、明日また話そう」だったというのが、このエピソードの落ちでした。

 ゆっくりとした時の流れがうらやましくて、思わずにんまりとしてしまいましたが、車窓から見るクヌギの新緑も、ことのほかゆったりと風に身をまかせているように見える、山の風景でした。

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デジャビュ体験(5月16日)

 16日午後、高知市内にある私の事務所を訪ねてくれた、全国紙の記者の取材を受けましたが、兄の取材をしたこともある方で、話が終わった後、デジャビュのようだったと言われてしまいました。

 それまで一度も経験したことがないのに、以前、経験したことがあるように感じることを、フランス語でデジャビュと言います。

 デジャビュという言葉は知らなくても、「あれっ、いつか同じようなことがあった」という感覚は、誰もが一度は体験したことがあるはずです。

 この日、取材を受けた記者とは、かれこれ1時間近く話をしましたが、竹下派を担当していた当時、兄の取材をしたこともあるという話でした。

 別に、そのことを気にしながら、話をしていたわけではありませんが、すべての取材が終わった後、その記者から、「まるで、デジャビュの体験をしているようでした」と言われてしまいました。

 多分、兄の話し方や声と似ているため、私の取材は初めてなのに、前に体験したような気がした、という意味なのでしょう。

 ただ、とかく話しぶりが気障(きざ)だと言われた兄とは、話の仕方も随分違うと自負していただけに、デジャビュと言われて、若干のショックを感じないではありませんでした。

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何が足りないのか(5月15日)

 15日は、前日に引き続いて、室戸市内の4ヶ所でミニ集会を開きましたが、多くのお年寄りが、自分たちを取り巻く現状に、不満や不安を感じられていることが、じわじわと伝わってきました。

 昨日と今日の集まりに参加して下さったのは、ほとんどが女性、それも高齢の方々ですが、予想以上に活発な意見が出ました。

 それもこれも、後期高齢者の医療制度のように、誰もが、ひとこと言いたいと思う話題があるからですが、これに関しては、高齢者がふえる中で、負担が増すことはやむを得ないという声がある一方、何はともあれ、説明が十分でないという不満が相次ぎました。

 また、75歳になるまでは、子供に扶養を受けていたのに、75歳になった途端から別々の会計にされると、家族の一体感が失われるといった心理面の指摘から、夫の保険から離れると、税法上の控除が無くなるのではないかといった実務上の疑問まで、様々な意見が出てきます。

 特に、年金からの天引きについて、私は、利用者にとってのメリットもあると説明をしましたが、少ない年金をもとに生計を立てている方から、「先に引かれると、別の支払いを済ませた後で保険料を払う、といったやりくりが出来なくなる」と言われますと、黙ってうなずくしかありませんでした。

 高知市で開いた、同様の会でも感じたことですが、これからの政治は、考え方を納得してもらえるかどうかは別として、事前にわかりやすい説明をする能力を持たないと、内容の良しあしを議論する以前に、話が止まってしまうことを、肝に銘じておかなくてはなりません。

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「飛ばし」とは(5月14日)

 14日午後、室戸市でビワの農家を訪ねたところ、「飛ばし」と呼ばれる流通システムがあることを、初めて知りました。

 この日は、夕方近くまで、県東部の室戸市で、3か所のミニ集会を開いたのですが、それが終わった後、まだ日も高かったため、帰り道の国道沿いにある、知り合いの、食堂を兼ねた喫茶店を訪ねることにしました。

 立ち寄ってみると、お店のドアが閉まっていますので、もしかしてと思って裏にまわってみますと、案の定、奥さんがしゃがんで何やら仕事をしています。

 近づいて声をかけると、採ってきたばかりの、ビワの実を箱詰めしている最中で、ご主人も間もなく帰ってくると言います。

 室戸市の、黒耳(くろみ)と呼ばれる地域一帯は、有名なビワの産地なのですが、作業の手を休めて下さった奥さんから、福原、茂木など、大小4つの品種を作っているといった話を聞きながら、それぞれの品種の試食をさせてもらいました。

 そうこうするうちに、ご主人がご帰還になりましたので、お店を開けてもらってコーヒーをご馳走になると、ご主人が、飛ばしという、独自の流通について話をしてくれました。

 その集荷場は香川県にありますが、各地から持ち込まれた農産物を買い取って、全国で取引価格が一番高そうな市場に運んで、商いにするのだそうです。

 つまり、全国の市場のどこにでも、農産物を飛ばすことから、飛ばしという呼び名がついたということでした。

 実は、16年間知事を務めながら、そんな流通システムがあることを知りませんでしたので、「へぇ~」という思いで話を聞きましたし、少し調べてみたいとも思いました。

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別々のテーブル(5月13日)

 13日午後、県内の企業経営者とお話をする中で、「それぞれのテーブル」というシャンソンの歌詞を、思い出す話題がありました。

 このシャンソンは、女友達と一緒にいた店に、元彼が若い女の子を連れて入ってきた時の、女性の気持ちの機微を歌ったもので、「恋が終わった時、人はそれぞれの別のテーブルにいるのね」という、フレーズで終わります。

 といって、企業経営者との話は、そんな粋な内容ではありませんので、思い出したのは、別のテーブルという表現だけなのですが、それを思い出したきっかけは、この方が、最低賃金を決める、委員会の話をされたからでした。

 最低賃金は、各都道府県ごとに委員会があって、その委員会で額を決めるようになっていますが、都道府県ごとの調査は、無作為抽出でばらつきがあるから、という理由で公表されていないのに、全国調査の基準値は示されているなど、何故と思うことがいくつかあると言います。

 本題はそこからで、同じ厚生労働省の管轄なのに、生活保護の基準を審議する会とは、お互いに何の連携も、情報の共有もないというのが、この方の問題提議でした。
 
 同じく、憲法上の、国民の権利を保障するためにある制度なのに、お互いバラバラに、別のテーブルについて仕事をしているため、最低賃金で仕事をするよりは、生活保護を受けた方が楽でいいと考えるような人を、うむことになるというわけです。

 なるほど、その通りだと思いましたが、特にこの話題の両者は、「恋が終わった」関係ではなく、逆に、かつては厚生省と労働省に別れていた2人が、一緒になって久しいのですから、そろそろ、同じテーブルで話をするくらいの仲になっても、おかしくはないのにと思いました。

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生き残りの戦略(5月12日)

 12日は、高知市内で、飲み物を扱っている企業の方と、相次いでお会いしましたが、安全と安心への手だてを、生き残りの道と考えられている点では、共通の認識がありました。

 まずは朝早くの時間帯に、各種の飲料を販売している企業を訪ねますと、倉庫には、幾種類もの商品が山積みにされています。

 その中を通り抜けて、隣接する事務所でお話を伺うと、最近各地で起きている、食の安全にかかわる不祥事が話題になりました。

 その上で、故意に不正をするのは問題外だが、かといって、これだけ食の安全に対する感度が敏感になってくると、どこで何が起きるかわからないので、何かの問題が起きた時に、すぐに、その所在をつかめるようにしておくことが、危機管理の上で大切だと力説をされます。

 具体的には、現在は、倉庫全体を一つのエリアとして、各種の商品を置いているのですが、これからは、倉庫の中をいくつものエリアに分けて、生産や仕入れの年月日と商品の種類別に、ケースの山を小分けしていきたいと言われます。

 そうしないと、この倉庫から出荷した商品に、何かの問題が出た時に、倉庫全体をひっくり返して、検査しなくてはならない事態になりかねない、というわけです。

 ですから、何かあった時すぐに、その商品が、倉庫のどこから積み出されたかを特定するためにも、またそれによって、他のエリアの商品に影響を及ぼさないためにも、コストがかかってもやらなければならないというのが、この方のお話でした。

 たまたま、この日は、続いてお邪魔した先も、飲料関係の企業だったのですが、乳製品を扱っているだけに、コスト高などから、大変厳しい現状だというお話から始まります。

 その中で、大手では手をつけにくい工夫の一つとして、生産の現場から、消費者の手もとに渡るまでの時間を、いかに短くするかに取り組んでいるとのことでした。

 詳しいことは、まだ企業秘密とのことでしたが、確かに、それが実現すれば、十分に商品の新鮮さをアピール出来ると感じました。
 
 こうして、飲料を扱う二つの企業を訪ねた中から、それぞれに、生き残りをかけて、知恵を絞っておられることが伝わってきましたし、その際のポイントは、やはり、安全と安心にかかわることなのだと再認識しました。

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静六さんの本(5月11日)

 この日は、兄が総理をしていた時に官房長官を務めた、梶山静六さんの著書を読みましたが、見た目のイメージとは違う斬新な考え方に驚かされました。

 この本は、2000年の4月に発行された、「破壊と創造」と題する本で、以前梶山さんから贈呈を受けながら、忙しさにかまけて、目を通さないまま、「積読(つんどく)」状態になっていました。

 それが、知事を辞めてからは、時間のゆとりも出来ましたので、いただいたまま読んでいない本のうち、価値のありそうなものを選んで、頁をめくっているのですが、梶山さんの本もその中の一つでした。

 梶山さんと言えば、茨城県のご出身で、陸軍航空士官学校を終戦で退校された後、地元の県議会議員を、4期務めたという経歴の持ち主です。

 そんなことから、ご本人にはもちろんのこと、茨城県の方にも失礼な話ですが、かなり右寄りで、しかも土建型の政治に近い方かと、勝手なイメージを持っていました。

 そのイメージが最初に変化したのは、10年余り前に、高知でお目にかかった時のことですが、考え方を詳しくお聞きしたことがなかったため、この本が、梶山さんの考えに触れる初めての機会でした。

 そこに綴られた内容を、こと細かく触れることはしませんが、非自民の連立政権が、1年で幕を閉じた後を振り返って、「『理想より、今日のメシ』を、再び優先しはじめたように思える。その結果、政権に復帰した自民党には、万年与党時代のもっとも悪い部分の癖が出た」とか、「政治家、官僚、経済人による『無責任のキャッチボール』は、完全に断ち切られることなく続いている」といった、小気味よい現状分析が随所に見うけられます。

 その分析のまとめは、「私の言うハードランディングの真の意味は、この悪循環を終りにしようということにほかならない」とあって、読んでいて、わが意を得たりの思いがしました。

 先ほど、高知でお目にかかったことがあると言いましたが、それは、私が2期目の選挙を目前に控えていた時のことでした。

 すでに、出馬表明をした後で、知事選への立候補を取りやめられる状況にはありませんでしたが、梶山さんは私に、東京から衆議院に出ることを、熱心に勧められたのです。

 「龍太郎にも、同じことを言っているんだ」と、兄の名も挙げながら、あなたたち兄弟は、地方ではなく都市の代表として、思い切り日本を変えていく仕事をすべきだと、熱い思いを語られました。

 残念なことに、この本の終りに、「私はいま、はからずも病床にあるが」と綴られていた梶山さんは、すでに他界されていますし、私自身も、梶山さんから勧められた都市の代表ではなく、地方の代表として、国を変えていきたいと考えていますが、「改革を実現するために、もうひと戦(いくさ)」との決意は、引き継いでいきたいものだと思いました。


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