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2008年8月

2008/08/11

教室の中での出来事(8月7日)

 7日午後、女性の職場や、若い人が多い職場の方々と、意見交換をしましたが、教育をめぐる話題では、思わず息をのむ話もありました。

 昼過ぎにお邪魔したのは、女性ばかりの職場でしたが、子育て中のお母さんが多い職場でしたので、教育や保育に関する話がいくつか出ました。

 その中に、長女が、市内の中学校に通っているというお母さんがいましたが、話を聞いていて、驚いたことがありました。

 それは、なんと教室の中で、タバコを吸っている生徒がいるという話で、先生は一度は注意をしても、それ以上は、手を出そうとしないと言います。

 お子さんはどう言っていますかと聞くと、子供は、自分は巻き込まれないという強さを持っているので、その点では大丈夫だけれど、周囲のことは仕方がないと言って、マイパースで自分のしたいことをやっています、という答えが返ってきました。

 話を聞いていて、そこまでかと、息をのむ思いがしたのですが、夕方から懇談をした職場の方からも、同じような辛い話を聞きました。

 その方は、私立の中学校に、お子さんを通わせているのですが、親の助言ではなく、お子さんが自ら私立に行きたいと言って、塾に通い出したといいます。

 親の世代そのものが抱える問題や、経済的な問題など、背景は簡単ではありませんが、子供たちを取り巻く環境の厳しさが、深刻さの度合いを増していることは間違いありません。

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島づくり(8月6日)

 6日午後、懇談をしたグループの中に、パチンコ屋さんに詳しい人がいたのですが、知らない話が色々あって、今日もまた勉強になりました。

 何事にも、素人の知らない専門用語があるものですが、パチンコ屋さんの中にある、パチンコ台の並んだ場所を「島」と言い、この「島」をつくる仕事を「島づくり」と呼ぶことを、この日初めて知りました。

 この「島づくり」の仕事は完全な分業で、建築業者が上屋の建物を建てると、全国を股にかけて「島づくり」を担当する業者が、手慣れた技術で、たちどころに島を作っていきます。

 聞けば、この島と島の距離が、つまり、お客さんが背中合わせに座る空間の長さが、1センチでも基準をずれていると、作り直しを命じられるということで、このあたりに、専門の業者が仕切るわけがありそうですが、それ以上聞くと、知らなくてもいいことを知りそうなので、聞くのはやめました。

 また、グローバル化の影響ではありませんが、パチンコ業界でも、大手への統合が進んでいるため、かつては全国に2万軒以上あったホールが、現在は、1万軒余りに減っているとのことでした。

 この他にも、景品の引換所のことなど、興味深い話がいくつかありましたが、いよいよ危なくなりそうですので、このあたりで仕舞いにします。

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公務員の評価基準(8月5日)

 5日夜、高知市内で開かれた勉強会に、講師として参加しましたが、その場で受けた質問をもとに、公務員の評価のあり方を考えてみました。

 この勉強会は、市内で様々な活動に関わっている方々が、高知市の将来などをテーマに開いているものですが、この日は、私が講師として招かれました。

 せっかくの機会ですので、国政にかける自分の思いをお話した後、質疑応答に移りましたが、その中で、公務員の仕事の評価に、成果主義を導入することについての質問がありました。

 役所の仕事は、民間企業と違って、利益を追及するものではないので、公務員の業績の評価に、成果主義はなじまないという考え方があります。

 ただ、それは、公務員が仕事をしないための言い訳のようなもので、どれだけの利益を上げたかという、貨幣価値で測れる基準以外にも、仕事の成果を測る基準は、当然考えられるはずです。

 ところが、その基準は、まだ確立されていないのが現実で、自分の知事時代には、成果主義を、公務員の人事評価に結びつけることが出来ませんでした。

 成果主義は、営利を追求する企業の場合、それが行き過ぎると、法や倫理を無視して、利益を上げることに走る危険があります。

 その点公務員は、利益追求の必要がないだけ、成果主義が行き過ぎる心配がないのですから、公務員の業績を評価するための、きちんとした基準づくりが、あらためて急がれると思います。

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西川のりお侮るべからず(8月4日)

 4日夜、東京の衛星放送「BS-11」の、「大人の自由時間」という番組で、西川のりおさんのインタビュうーを受けましたが、思いのほかの、鋭い突っ込みでした。

 この番組は、毎週月曜日から金曜日まで、毎晩放送されている生のトーク番組で、月曜日は、「西川のりおの言語道断」と題して、のりおさんがインタビュアーを務めています。

 担当者からは事前に、「のりおさんは、台本通りには質問しませんから」と釘を刺されていましたので、これといった準備もせずに出かけたのですが、いざ本番に臨むと、担当者の予告通り、まったく予想外の質問を仕掛けてきます。

 それだけ練りに練って、こちらの弱点を勉強しているということでしょうが、切り返す前に、質問をかぶしてしまうテクニックには、さすがに、話芸で鍛えただけのものがありました。

 しかも、現在、上島竜平さんやカンニングの竹山さんらに引き継がれている、「キレ芸」の元祖だけに、切れるがごとき畳みかけ方は、とても勉強になりました。

 中には、消費税で来るかなと思っていたところを、集団的自衛権で攻めてくるといった、予期せぬ技も散りばめられていて、のりおさん侮るべからずの印象でした。
 
 今後も、多くのインタビュアーから、様々な切り口の質問を浴びせられるでしょうが、この日の質問は、その際の備えとして、十分参考になりました。

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線の引き方(8月3日)

 3日午後、高知市内で開かれた、障害者の集いに参加して、役所が行う各種の「線引き」に関して、考えさせられることがありました。

 バクバク会と名付けられたこの会は、呼吸器をつけて生活をしている障害者を囲む会で、この日は、全国からの参加者もふくめて、200人ほどが会場を埋めました。

 呼吸器をつけた障害者でも、家庭で生活できるような体制づくりが、この会の大きなテーマですが、その中で、自分が問題意識を感じたのは、様々な面での線引きに関わることでした。

 たとえば、基調講演をされた尼崎市在住の障害者の女性は、学校での給食の時間を振り返って、「給食を時間内に全部食べると○、時間が過ぎると全部食べていても△、食べ残すと×で、私はいつも×をつけられていたから、給食の時間が嫌だった」と、思い出話をされました。

 この給食の例も、ある意味で線引きの一つですが、線引きがもたらすこととして、もっと重く感じられたのは、呼吸器をつけて、ストレッチに寝た状態の彼女が、難病の指定を受けていないという実態でした。

 それは、彼女の病名が、難病に指定されていない病名だからという、単純な理由によるものですが、病名ではなく、症状で判断すべきではないかという彼女の指摘には、うなづけるものもありました。

 もう一つは、在宅の障害者の安全に欠かせない、痰の吸引に関わることです。
 
 知事時代に、重度で重複の障害のある子どもが増えている、県立の養護学校で、児童・生徒が、痰がからんで苦しんでいても、吸引は医療行為にあたるため、教師は手を出せないという教育委員会に対して、かなりの議論を挑んだことを思い出しますが、この日、パネラーとして参加したヘルパーさんからも、訪問中の吸引はしないで下さいと、ケアマネージャーから条件をつけられたとの報告がありました。

 そうなると、痰がつまるたびに、お母さんを呼んで吸引をしなくてはなりませんので、お母さんは、片時も休めないことになります。

 あわせて、このヘルパーさんからは、服薬の管理が出来ない人に代わって、カレンダーに、その日飲むべき薬の名前を書きこむことも、医療行為に当たるからしないでくれと言われた、との話もありました。
 
 行政がサービスを提供する時には、公平でなければなりませんし、税金を使うわけですから、どこにでもお金を出すわけにはいきません。

 それに加えて、安全を守る必要もありますから、公平さと公正さや、安全を担保するために、どこかに、基準となる線を引くことは、当然必要なことなのですが、問題は線の引き方です。

 この日の報告を聞いていると、難病の指定の線引きにしろ、医療行為に関われる人の線引きにしろ、病名や資格といった紙の上の基準に、頼り過ぎてはいないかといった疑問がわいてきます。

 もちろん、難病の指定にあたっては、原因がつかめないといった、症状とは別の要素がありますし、医療行為には、万が一が起きてはいけないという、安全弁が求められることもよく理解できます。

 しかし、その一方で、病名ではなく病状で、また、そばにいる人の資格ではなく、障害者の暮らしの実態から、手助けの必要性を判断する姿勢も必要です。

 こうしたことから考えれば、極めて硬直的な書類上の基準で、公平性や安全性を担保しようとする日本流の役所の常識は、そろそろ見直されてもいい時期だと思えてきました。

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犬と魚の厄日(8月2日)

 2日夜、須崎市で開かれた花火大会に出かけましたが、地元の方から、この日は、犬と魚にとっての厄日だと聞きました。

 そのお話によると、まず犬たちは、遠くの音も聞き分ける繊細な鼓膜を持っているだけに、近くで轟く大きな音が大の苦手なのだと言います。

 そう言えば、知事公邸に、柴犬を飼っていた頃のことですが、毎年夏に、近くの鏡川で開かれる花火大会の夜、彼は公邸の裏に隠れ込んでいました。

 このように花火大会は、犬にとっては、ただでさえ迷惑なイベントなのですが、中でも須崎市の花火大会では、前半と後半の締めくくりに、二尺玉という大玉が上がりますので、毎年、鼓膜が破れて亡くなる犬もいるというのです。

 こんな話は、動物愛護団体の人には聞かせられないなどと思いながら聞いていますと、このため、今夜は犬を避難させている人がいるとか、以前、三尺玉を上げた時には、近所の住宅の窓ガラスが割れて抗議がきたなど、生ビールが進むに従って、話は次々とふくらんできます。

 その一つは、この日は犬だけでなく、魚にとっても厄日なのだという話で、その原因は、船に乗った花火師が演じる、海面への投げいれ花火でした。

 投げいれ花火は、海面から花が咲いたように花火が散りますので、上空の花火とマッチして、とても美しい光景を描きだしますが、確かに、魚には大変迷惑なはずで、大会の後の海面には、魚が浮きあがっていると言います。

 ただ、法律が変わって、船から花火を投げいれることが出来なくなるため、投げいれ花火は今年が見納めということでしたが、それでも、頭上で勢いよく花火が炸裂すれば、海の住人にとっての迷惑は、さしてかわらないかもしれません。

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2008/08/03

花火大会のフィナーレ(8月1日)

 1日午後、内閣改造を伝えるBS放送の生番組に、コメンテーターとして出演しましたが、あまりにも古い組閣の手法に、正直を言って驚きました。

 改造後の党三役と閣僚の顔ぶれは、派閥の領袖や、実力者と言われる人たちをずらりと並べた形で、福田首相のお父様が活躍された55年体制の時代と、イメージが重なり合います。

 間もなく全国各地で開かれる、花火大会に例をとれば、残った尺玉が、次々と景気よく打ち上げられる、フィナーレの場面を思い起こします。

 この改造が、本当にフィナーレになるかどうかは、国民の審判によりますが、ともかく、今のままの自民党を続けようとするのであれば、これしかないという思いで、組閣されたことはよくわかりました。

 もう一つ、番組に出ていて改めて感じたことは、マスコミそのものが、政治部の視点でしか政治を見ていないということです。

 このことは、このブログで、キムタク総理の「CHANGE」に触れた欄でも言いましたが、内閣改造など政治家の動きを、マスコミが政治部的な視点から、つまりは、永田町的な視点からしか伝えないため、ますます、国民の関心が、遠のく結果になっているのではと感じるのです。

 マスコミで言えば、家庭部や科学部、社会部といった視点から、もっと幅広く政治を伝えるようになれないものか、政治家の側も、そんな視点からの、運動を呼び起こせないものか等々、内閣改造の様子を同時体験しながら、思うことは数々ありました。

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値上げを前に(7月31日)

 31日昼前、知人宅を訪問した帰りに、スーパーで買い物をしましたが、店内をまわりながら、このところ講演のネタに使っている、ネタ話を思い起こしていました。

 それは、しばらく前のことですが、妻と一緒にスーパーに買い物に出かけた時、妻が、牛乳を3パック取ってと言います。

 そこで、テレビのCMでおなじみだった、230円台の値札のついた牛乳を手に取ったのですが、妻が、「家で2人で飲むだけだから、もっと安いのでいい」と言うものですから、もう一度、牛乳の棚を見渡しました。

 すると、低脂肪牛乳168円というのがありましたから、これを3パック籠に取りました。

 その数日後、ある会で挨拶をした時に、知事の職を離れて、自分も少しは生活感覚が身についてきた、という自己PRのつもりで、この話を紹介しました。

 それはそれでよかったのですが、その後の懇親会の席で、出席者の一人が私を手招きします。

 実は、その方は県内で牧場を経営している方で、聞けば、原油価格の影響で資材も高騰しているし、牛の餌代もどんどん上がっているため、ぎりぎりの経営が続いていると言います。

 そんな時、「あなたのような立場の方に、格安の牛乳を買ったと自慢げに話されると、生産者としては辛いんです。今度は、少し高いのを買って下さい」というのが、この方のお話でした。

 そのお話を聞いて、スーパーで買い物をするだけでも、消費者と生産者の立場の違いなど、色々な事情が垣間見えるものだと、つくづく感じたものでした。

 そんなことを思い起こしながら、スーパーをまわってみると、牛乳の価格差はもっと開いていましたし、値上がりの続く卵の特価品には、一つのご家庭当たり1パックまでとの、注意書きが付いていました。

 このところ、毎月1日は、値上げの日のようになっていますので、明日からは、また価格表が書き直されるのだろうと思いながら、レジに向かいました。


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「せいらん」のお寿司(7月30日)

 30日は、県中部の中山間地域にある津野町で、地域の方々と昼食を食べて懇談しました。

 自分は、高知市の中央部にあたる選挙区から、立候補しようと考えていますが、高知県の、ひいては地方代表として、仕事をしていきたいと思いますので、お声がかかれば、県内のどこにでも出かけて行って、住民と懇談をすることにしています。

 この日は、旧東津野村にあたる地域の方から、お招きを受けましたので、一緒に昼食を食べた後、私の思いを聞いていただきました。

 その昼食の際に、一人の参加者から、私が、川の護岸をコンクリートで固めていくような工法は、中山間の自然とは合わないので、もうやめにしようと呼びかけたのがきっかけで、川のりの繁殖する地域が、再び広がってきたと聞かされたのは、とても嬉しいことでした。

 その証というわけでもないでしょうが、わざわざ、握り寿司の職人さんに来てもらった昼食には、「せいらん」と呼ばれる、川のりの握りが出てきました。

 あぶった川のりを酢飯に乗せただけの、いたってシンプルなお寿司ですが、とても風味があって、美味しくいただきました。

 その「せいらん」を、川で採ってきて下さった方に話を伺うと、岩場にしっかりと着いているため、簡単には取れないそうですが、だからといって、一回でむしり取った量が少なかったから、そのままもう一度などと欲を出すと、最初に取った分が、すぐ水に流されてしまうと言います。

 その方の指を見ると、岩場に爪をこすりつけているせいか、爪が削れて、指に食い込むほどになっていました。

 そのご苦労を思うと、むしゃむしゃと食べるのは悪い気がしましたが、お寿司の「せいらん」だけでは物足りませんでしたので、火にあぶった1枚を、醤油をつけながら食べ切ってしまいました。

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電話の先は(7月29日)

 29日夜、知人との会食の席で、学童保育に関するあるエピソードを聞いて、かなり重い気持ちになりました。

 それは、高知市内の小学校で、学童保育に携わっている女性が体験した驚きを、伝聞で間接的に聞いた話ですから、正確さに欠ける点があるかもしれません。

 ただ、話を聞きながら、あってほしくはないが、ありそうな辛い話だと思いました。

 話の発端が、何だったかは聞きもらしましたが、学童保育に来ている子供に、その女性が、お母さんの連絡先を尋ねたのだそうです。

 これに対して子供が、母親の携帯の番号を教えてくれましたので、早速かけて、相手と話を始めたのですが、妙にノイズが入ります。

 おかしいなと思って、お母さんに、どちらにいらっしゃるのですかと尋ねると、何と、母国のフィリピンに帰っているとの答えが返ってきました。

 そこで、電話をかけた側の女性は、相当深刻な思いにかられたそうですが、あくまで伝聞で聞いた話ですので、その後の展開が、どうなったのかまではわかりません。

 しかし、片親の子供や、経済的に、きわめて厳しい環境にある子供がふえている中、さらに、こうした事例を耳にしますと、この先、この子供たちの将来を、どのように守っていけばよいのかと、重い気持ちにかられます。

 為にする思いで言うわけではありませんが、日本の舵取りを担う立場の人たちに、こうした子供たちをめぐる、現状の重みは伝わっているのでしょうか。

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短い言葉で表せるか(7月28日)

 28日午後、支援者の方と話をしているうちに、今後の選挙運動の中で、自らの思いを、短く表現できるような言葉が作れないかと、注文を受けました。

 その話をする中で、そう言えばと思い出したのは、17年前の初めて知事選挙の時のことですが、その際にも、支持者の一人から、運動のキャッチフレーズに使えるような、四文字熟語が作れないかと迫られたことがありました。

 その時、その方が例に挙げたのは、「富国強兵」でしたが、時代も違うし、かなり難しい話だなと、悩んだことを思い出します。

 結局この時は、これといって、気の利いた短いコピーも思いつかないまま選挙戦に突入しましたが、支援者の身になれば、短いキャッチフレーズは、運動を盛り上げるためには、願ってもない武器なのかもしれません。

 この日も、支援者の方と話をしていて話題になったのは、運動の目指すべき方向を端的に表す、短い言葉でしたが、この方が例に挙げたのは、オバマ候補が演説の中で盛んに使った、「イエス・ウィ・キャン」という言葉でした。

 オバマが得意とするような、専門用語を使わない短い文章で、リズミカルに聴衆に語りかける演説は、確かに魅力的なものですし、自分も研究はしてみたいと思いますが、果たして、日本語でも出来るのかどうかなど、英語の苦手な身には、つかみきれないものがあります。

 結局のところ、自分の思いを、短くてわかりやすい言葉に表せるかと言えば、今のところ、あまり自信はありません。

 ということで、あきらめはしないものの、かなり難しい宿題を背負った気がします。


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「じきび」の歯ごたえ(7月27日)

 27日夕方、天然もののウナギが手に入ったとのお誘いを受けて、県中央部の佐川町に出かけました。

 会場の居酒屋には、顔見知りの農家の人などが集まって、次々と出てくるうまいものに舌鼓を打ちます。

 定番のカツオのたたきに続いて、今日のメインである、四万十川と仁淀川の天然もののウナギが、蒲焼きとなって姿を現しました。

 二つを食べ比べていますと、「俺は、ウナギは養殖の方がいい」などと言う人もいて、ある意味、贅沢の極みなのですが、さらに、鮎の塩焼きやカボチャの煮付け、採れたてのナスやキュウリの漬け物などが、所狭しと卓上をにぎわします。

 その中で、異彩を放っていたのが、トウモロコシの一種の「じきび」でした。

 たぶん、昔から地場にあるキビという意味で、「じきび」と呼ぶのだと思いますが、見たからにごつごつと無骨な風情です。

 食べてみれば、ひと粒ごとに噛みごたえがあって、現代人の、やわな口にあわせて作られたスイートコーンとは、全く異なる食感です。

 実のつき方も、並びの悪い歯のようにすき間があって、スーパーに並べたら、誰も眼を向けてくれそうにありませんが、それだけに、自分で作らないと食べられないという貴重品でもあります。

 お世辞にも、美味しいとは言えませんが、これを食べると、おなかの中の掃除が出来て、肌がきれいになると言います。
 
 また昔は、乾燥させた「じきび」を粗挽きにして、きび飯を作ったそうですが、これが冷えると、パサついて食べられたものではないため、学校のお弁当に持たされた時には、学校に着く前に食べてしまったものだ、などというお話も聞きました。

 そんな話を聞きながら、「じきび」を噛みしめていると、子供の頃の記憶につながるわけでもないのに、何故か懐かしく思えてきました。


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自由は土佐の山間に没す(7月26日)

 26日夕方、高知県立坂本龍馬記念館で、龍馬の残した言葉を題材に対談をする予定でしたが、ちょっとした横槍が入って、開催場所が変更になりました。

 龍馬記念館の2階には、龍馬が中岡慎太郎とともに暗殺された、京都の近江屋の部屋が再現されていますので、記念館ではこの部屋を使って、「近江屋対談」と銘打った催しを、定期的に開いています。

 知事時代から、この会で対談をしませんかとのお誘いがありましたが、当時は時間が取れなかったため、あらためてこの日、記念館の学芸員の方と対談をすることになりました。

 ところが、このことを知った県議会議員さんが、選挙に立候補すると言っている人が出演する催しを、県立の施設で開くことは、公選法などから見て問題はないのかと、県に問い合わせをしたようなのです。

 すると、この手の問い合わせに、毅然とした対応がとりにくい体質が出て、まずは選挙管理委員会に問い合わせる、選管は選管で、これまたあいまいな答え方をするといった、君子危うきに近寄らず的な連鎖が働いて、結局、開催場所を、お向かいにある国民宿舎に変えることになりました。

 考えてみますと、県立のホールを借りて、政治家の演説会や選挙に向けた決起集会が開かれることは、よくあることですので、開催場所が県立の施設かどうかは、問題にはならないはずです。

 そうではなくて、県立の施設が開催することが問題だというのなら、場所を変えればいいという理屈がわからなくなります。

 一方、立候補を予定している人は、公の場で対談をしてはならないというのなら、国会議員が、国や県の主催するパネルディスカッションに出るのも、問題があるということになってしまいます。

 それとも、現職ならいいが、立候補を予定している新人は駄目とでもいうのでしょうか。

 高知県議会では、2000年の9月議会で、自由民権運動に由来する「自由は土佐の山間より」という、植木枝盛の文章からとった言葉を、全会一致で、「県詞(けんし)」に採択していますが、自分と立場の違う人が、意見を述べる機会を少しでも狭めようなどという、姑息な人がいるようでは、この県詞も返上しなくてはなりません。

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次は隣組の復活ですか(7月25日)

 25日、東京でお会いした、NPO活動の支援をしている方が、自民党が検討している「コミュニティ基本法」(仮称)等の考え方に対して、いささかの違和感を表明されていましたので、後で、そのペーパーを見てみました。

 自由民主党地方行政調査会がまとめた、「地域社会の再生に向けて」と題するペーパーを見ますと、日本には、渋沢栄一の「公益・私益の一致」にも見られるように、人と協力して困難に当たろうとする、パブリックマインドの伝統があったのに、現状では、とりわけ地域社会での連帯が失われつつある、という問題提起から始まっています。

 そこで、コミュニティ基本法(仮称)を制定して、地域社会を、思いやりと協力の場として明確に位置づけることで、多くの人々が、コミュニティ活動等に参加しやすくするとともに、それが評価される枠組みを提供するというのです。

 具体的な手段としては、企業の採用にあたってコミュニティ活動の経験を問うとか、町内会長への叙勲の授与、地域の指導者への表彰の制度化といったもののほか、都市と農山漁村の、義務教育段階での交流の制度化や、町内会などの地縁血縁団体を含めた、各団体の連絡調整をするシステムの構築などが並べられています。

 読んでいるうちに、正直を言って、国が口を出すべきことかなあと、かなりの疑問がわいてきました。

 確かに、公共的なサービスの全てを「官」が担うことには、財政的な限りがありますし、逆に、「民」の力を活かした方が、より柔軟で地域に合ったサービスを、提供できる場合が多くありますので、私も知事時代には、「住民力」を活かした、地域の支え合いの仕組みづくりを提唱してきました。

 ですから、地域の力を呼び起こすという考え方そのものに、異論はありませんが、そこに、国が口をはさんで、全国の自治体に、条例化をも促そうという姿勢には、首をかしげざるを得ません。

 地方分権とか地方自治という言葉が、国の中では、いかに単なるお題目で終わっているかが、手に取るように分かる資料で、すこし悲しくなりました。

 国には、こんな内向きな仕事ではなく、世界に向けた国家戦略に、力を注いでほしいものです。

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病院内で携帯を(7月25日)

 25日午後、東京の行きつけの病院に出かけた際、病院内で携帯を使っていて、ご注意を受けてしまいました。

 この病院は、以前に心臓の検査をしたご縁で、東京での行きつけになっているため、この日、時間が空いたついでに、知り合いの医師を訪ねました。

 お医者さんとの約束は、午後1時でしたが、少し早目に着いたため、電話の用を片付けようと、歩きながら携帯を取り出しました。

 はじめは、病院内で携帯をかけてはいけないと、理性が働いていたのですが、外があまりにも暑いため、病院の玄関のひさしの陰に入っても、むんむんとした熱気です。

 そこで、ちょっとの間ならいいだろうと自分に言い聞かせて、病院の中に入ると、なるべく人目につきそうもない椅子に座って、電話をかけ始めました。

 最初に前を通った看護師さんは、こちらをちらっと見たものの、何も言わずに通り過ぎましたので、僕の顔を知っていて、遠慮してくれたのだろうかなどと都合よく考えて、そのまま、次の電話連絡に取りかかりました。

 しばらくすると、今度は、少し年配の看護師さんが前を通りかかりました。

 若干は躊躇されたようでしたが、私の方に近づいてこられると、「院内では携帯を使っていただいては困るんですが。院外に出ておかけ願えますか」と、丁寧な口調で注意をされました。

 「いや、それは申し訳ない」と頭を下げつつ、外に出たのですが、あまりの暑さに、玄関前にしゃがみ込んで電話を続けていますと、きっと、さっきの看護師さんが連絡をしてくれたのでしょう、私の担当のお医者さんが外に出てきて、「申し訳ない」と声をかけてくれました。

 申し訳ないのはこちらですが、しゃがんで電話をしている姿を見られるのは、何ともばつの悪い思いで、「実は・・・」などと、しなくてもいい言い訳をしながら、再び病院内に戻りました。

 外の猛暑に加えて、冷汗がどっと出たことは言うまでもありません。


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