線の引き方(8月3日)
3日午後、高知市内で開かれた、障害者の集いに参加して、役所が行う各種の「線引き」に関して、考えさせられることがありました。
バクバク会と名付けられたこの会は、呼吸器をつけて生活をしている障害者を囲む会で、この日は、全国からの参加者もふくめて、200人ほどが会場を埋めました。
呼吸器をつけた障害者でも、家庭で生活できるような体制づくりが、この会の大きなテーマですが、その中で、自分が問題意識を感じたのは、様々な面での線引きに関わることでした。
たとえば、基調講演をされた尼崎市在住の障害者の女性は、学校での給食の時間を振り返って、「給食を時間内に全部食べると○、時間が過ぎると全部食べていても△、食べ残すと×で、私はいつも×をつけられていたから、給食の時間が嫌だった」と、思い出話をされました。
この給食の例も、ある意味で線引きの一つですが、線引きがもたらすこととして、もっと重く感じられたのは、呼吸器をつけて、ストレッチに寝た状態の彼女が、難病の指定を受けていないという実態でした。
それは、彼女の病名が、難病に指定されていない病名だからという、単純な理由によるものですが、病名ではなく、症状で判断すべきではないかという彼女の指摘には、うなづけるものもありました。
もう一つは、在宅の障害者の安全に欠かせない、痰の吸引に関わることです。
知事時代に、重度で重複の障害のある子どもが増えている、県立の養護学校で、児童・生徒が、痰がからんで苦しんでいても、吸引は医療行為にあたるため、教師は手を出せないという教育委員会に対して、かなりの議論を挑んだことを思い出しますが、この日、パネラーとして参加したヘルパーさんからも、訪問中の吸引はしないで下さいと、ケアマネージャーから条件をつけられたとの報告がありました。
そうなると、痰がつまるたびに、お母さんを呼んで吸引をしなくてはなりませんので、お母さんは、片時も休めないことになります。
あわせて、このヘルパーさんからは、服薬の管理が出来ない人に代わって、カレンダーに、その日飲むべき薬の名前を書きこむことも、医療行為に当たるからしないでくれと言われた、との話もありました。
行政がサービスを提供する時には、公平でなければなりませんし、税金を使うわけですから、どこにでもお金を出すわけにはいきません。
それに加えて、安全を守る必要もありますから、公平さと公正さや、安全を担保するために、どこかに、基準となる線を引くことは、当然必要なことなのですが、問題は線の引き方です。
この日の報告を聞いていると、難病の指定の線引きにしろ、医療行為に関われる人の線引きにしろ、病名や資格といった紙の上の基準に、頼り過ぎてはいないかといった疑問がわいてきます。
もちろん、難病の指定にあたっては、原因がつかめないといった、症状とは別の要素がありますし、医療行為には、万が一が起きてはいけないという、安全弁が求められることもよく理解できます。
しかし、その一方で、病名ではなく病状で、また、そばにいる人の資格ではなく、障害者の暮らしの実態から、手助けの必要性を判断する姿勢も必要です。
こうしたことから考えれば、極めて硬直的な書類上の基準で、公平性や安全性を担保しようとする日本流の役所の常識は、そろそろ見直されてもいい時期だと思えてきました。
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