あまりにも解散が遠のいたため、この機会に、本を書いてみようと思い立ったのに加えて、年末からは、2週間ほど県外に出かけたこともあって、何の予告もしまいまま、長期にわたって、ブログを休んでしまいました。
長いことブログが更新されていないため、何人かの方から、どうかしたのかとか、野暮用にかまけているのではないかなど、ご心配の声をいただきました。
そんな声からも、私のブログを読んで下さっている方が、結構おられることがわかって、嬉しくも思いました。
実を言えば、12月9日に、絵金婆ちゃんが亡くなったとの話題を書いた後も、年末にかけて、ブログのネタはいくつかあったのですが、人に勧められたこともあって、選挙までの期間を利用して、少しずつ本を書き始めました。
その内容は、なぜ国政を目指すのか、また、国政の場で何がしたいのかなど、多岐にわたっていますが、2009年の新年を迎えてからは、本格的にキーボードを打ち続けていましたので、ブログを書き込む暇もないまま、どんどん時間がたちました。
そんなわけで、すでに2月も中旬に入ってしまいましたが、このまま休刊を続けていますと、復帰のチャンスを失ってしまいますので、12月から1月にかけての見聞も思い起こしながら、まずは年末年始の穴埋めをしておきます。
暮れの23日には、東京で、野宿暮らしの人などの支援活動をしている、NPOの事務局を訪ねました。
このNPOの代表は、昨年末に、東京の日比谷公園に開設されて話題になった、年越し派遣村で村長を務めた方ですが、事務所に使われている2階建ての家を訪ねると、どの部屋も、相談に訪れた人や対応するスタッフで満員です。
話をうかがっているうちにも、次々と相談が寄せられる忙しさでしたが、事務局長さんが開口一番に語ってくれた話は、なかなか印象的なものでした。
それは、欧米で野宿生活者の支援をしているボランティアの人たちが、日本の現状を視察すると、みな一様に驚くというのです。
なぜかというと、欧米では、野宿の人の大半は、薬物やアルコールへの依存症を抱えているため、ホームレスへの支援は、依存症からの立ち直りの支援と重なるのだそうですが、日本では、そうした問題を持つわけでもない人が、職を失っただけで、住む家までもなくしてしまう実態にふれて、みなびっくりするというのです。
といった話を皮切りに、雇用に関する日本の制度上の問題について、意見を聞きましたが、ここでの体験も、本の題材に使わせていただきました。
また、クリスマスの夜には、ある著名人のパーティーに出席しましたが、来賓として挨拶をした町村前官房長官が、亡くなった作曲家の遠藤実さんに、国民栄誉賞が贈られることになった経過を、話されていました。
それによると、この夜の主人公から電話で、遠藤さんに国民栄誉賞をと依頼された町村さんが、関係者の間をまわって、栄誉賞が実現したとのことでしたが、これだけ多くの人を励ましてくれた作曲家ですから、国民栄誉賞は当然としても、政治家が動かないとそうならないといった点に、少し違和感を覚えました。
年が明けて、19日の午後、高知県出身の漫画家では最長老の、やなせたかしさんを、東京の事務所に訪ねました。
この2月に、90歳を迎えるやなせさんは、卒寿を記念して百貨店や画廊で開かれる、展覧会の準備に忙しそうでしたが、以前お話を聞いたことがある、国際漫画賞に話を向けると、やなせさんからは、ぼやきの声が漏れました。
この国際漫画賞は、お宅文化に造詣が深いことを売り物にしていた、麻生首相の肝いりで始まった、国際コンクールですが、外務省が大使館を通して、各国で出版されているストーリー漫画を集めて、それを審査するシステムです。
やなせさんの話では、こうして集めた漫画を、30冊ほどより抜いた上で、吹き出しのせりふを、外務省の通訳が日本語に訳したものが、審査員であるやなせさんのもとに送られてくるのですが、ほとんどが直訳のため、読んでも面白くも何ともありません。
そんなわけで、仕事の合間に見ているだけでも、くたびれてしまうそうですが、相当の時間を費やして、すべての作品に目を通しても、審査料はたったの2万5000円ということですので、やなせさんならずとも、辞退したくなるのは当然です。
結局、審査員の役は、二人の後輩に譲ったということでしたが、お役所仕事は、どこでも変わりないことを、あらためて確認しました。
1月の末からは、2月6日に予定されていた、障害者問題に関する講演に備えて、関係する何人かの方々のお話を聞きました。
その中のお一人は、県内で重度心身障害者のための施設の、施設長をしている医師で、若い頃には、県立の肢体不自由児の施設で、治療にあたった経験があります。
このため、30年前、40年前に治療をした子供たちが、成長した姿に再会する機会があるわけですが、そうした時に、昔の考え方でよかったんだと思うこともあれば、反省することもあると言います。
では、反省することはと聞くと、医者も親も、治療と訓練によって、どこまでも機能が回復すると考えがちだが、そうではないと知らないといけないとの、答えが返ってきました。
つまり、機能の回復には限りがあるのに、どこまでも、やればやるだけ機能が伸びると錯覚をするため、社会性を身につけるとか、別の能力を探し出すとか、その年代に、しておかなくてはならないことをする機会を、逃してしまうことになると言うのです。
同じことは、講演の前日にお会いした、ご自身も視覚障害者で、その福祉活動に取り組んでいる女性からもうかがいましたので、講演の中で、言葉だけではない、医療と福祉の連携の必要性に触れました。
障害者問題に関連して、もう一つ、話をうかがったのは、株式会社組織で高齢者福祉の事業を手がけている企業の社長で、A型と呼ばれる、障害者の就労支援のための事業所を併設することで、介護現場に、障害者のための職場づくりを進めています。
具体的には、介護の現場の仕事を、掃除や食事、入居者とのコミュニケーションなどの大項目のもとに、60種類近くに分類して、就労を希望する障害者に、1日4時間で月に5万円余りの賃金を受けられる、職場を提供しています。
これによって、従来のスタッフだけでは手がまわらないところにも、サービスの手が届くようになったとのことで、この春までには、40人の雇用を予定していました。
実は、2月6日の講演は、話の材料が集まるだろうかと心配だったのですが、このように、事前にお会いできた、福祉関係の方々のおかげで、予定時間をオーバーする話ができました。
それより前、1月31日には、四国八十八か所の、お遍路の取材のために来高された、俳優の宇津井健さんとお話をする機会がありました。
若い頃の映画のことや撮影の裏話など、興味ある話題が数多くありましたが、2年余り前に、奥様が亡くなった時のエピソードをうかがって、感心したことがありました。
それは、葬祭場で、奥様のお骨を壺に入れた時のことで、あまりに味気ない白い壺を見て、陶器などが好きだった妻は、きっと、「こんな中に入るのはいや」と言うに違いないと思ったのだそうです。
そこで、知人の陶芸家に依頼して、自分でこねた土を使って、奥さんの分だけでなくご自身の分もふくめて、3つの壺を焼いてもらったとのことでした。
自分も、これまでに何度も、こうした場面に立ち会ってきましたが、こうした感性は持ち合わせなかったなと、感心をしました。
こうして、今年も、はや立春を過ぎてしまいましたが、この間に、本の原稿を書きあげることが出来ましたので、またぼつぼつと、ブログを再開することにします。