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2009年4月

2009/04/12

戦友の死(4月10日)

 10日午前、過去5回にわたって、共に知事選挙を戦った戦友の、告別式で弔辞を述べました。

 彼は、2年近く前に、岡山県の倉敷に出かけていた時、脳幹からの出血に襲われました。

 倉敷で緊急手術を受けた時には、担当の医師から、脳幹出血なので、機能の回復は期待できないと、厳しい宣告を受けていましたが、高知の病院に移ってからは、懸命にリハビリに努めました。

 病室を訪ねた時には、大きな体をゆすり、握った手を握り返し、時には、唇をさかんに動かしもして、万感の思いを伝えてくれました。

 その彼が、がんを併発したことがわかったのは、彼が50歳の誕生日を迎えた日でしたが、進行性だったこともあって、7日の夕方、息を引き取りました。

 彼と初めて出会ったのは、18年前の最初の知事選挙の時ですが、それ以来、5回にわたる知事選挙を、共に戦った戦友でした。

 その間、辛いことや苦しいことも数多くありましたし、彼が悔し涙に頬を濡らしたこともありましたが、互いの友情は、揺らぐことはありませんでした。

 彼が病室で息を引き取った後、看護師さんが身づくろいをしてくれている間に、奥様と話をすることができました。

 その時、奥様は、「選挙事務所で見たお父さんは、会社で見るお父さんとは別の輝きがあった」と、話してくれましたが、それを聞いて、5回の知事選挙を通じて、彼も、満足感や達成感を共有してくれていたのだろうと、心が安らぐ思いがしました。

 元気な時には、体重が120キロを超えていた巨体が、この2か月の間は、ずいぶんと細っていましたので、向こうに行ったら、またたらふく食べて飲んで、見なれた巨体を取り戻してほしいものです。

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今どきヤミ専従とは(4月9日)

 9日午後、農林水産省の職員が、組合のヤミ専従の実態を隠していたとの報道を見て、今どきまだこんなことを続けているのかと、呆れてしまいました。

 ヤミ専従というのは、役所の労働組合に所属する職員が、表向きは役所の職場に配属されて、公の仕事をしているように見せかけながら、実際には、専ら組合の仕事だけに従事しているという事例です。

 確かに、役所の中では昔は、こんなことが当り前のように横行していました。

 私が知事になった当時は、高知県庁にも、こうした悪しき慣習が蔓延していましたので、組合の幹部に対しては、税金で給料をもらいながら、県民のための仕事に従事しないのは、県民の目線から見ておかしいと思わないかと、繰り返し意見をしました。

 組合の側は、なかなか意見を聞き入れようとはしませんでしたが、結局組合を押し切って、こうした悪習を断ったのは、もう10年以上も前のことです。

 そうした経験を持つ者として、未だに、ヤミ専従を黙認している、農林水産省という役所の体質にも驚きましたが、そんな役所の体質に甘えている組合にも、呆れ果てる思いでした。

 そうした役所の中でのもたれ合いが、さほどの追及を受けないのも、役所とマスコミとのもたれ合いを生んでいる、記者クラブ制度のなせる業でしょうか。

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このいちねん(4月7日)

 7日朝、ある会でスピーチをされた方が、「このいちねん」という切り出しで話をされたのを聞いて、結構使えそうな言い回しだと思いました。

 多分、ご自分で考えられたのだと思いますが、話のはじめにホワイトボードの前に立つと、「このいちねん」と書かれます。

 すると今度は、私たちの方を向いて、「どんな漢字が頭に浮かびますか」との、質問がきました。

 そう言われれば、「この一年」もあれば、「この一念」もあるなと思っていると、ホワイトボードに今度は、「この一年」と書きながら、「この一年」にも二通りの意味がありますねと言われます。

 「そうです、これまでの『この一年』と、これからの『この一年』です」と、話は続いていくのですが、この切り出しの後、過去の一年に起きたことと、将来の一年に期すること、さらには、「この一念」だけは大切にしていきたいといった思いを語られました。

 その切り出しの話し方を聞きながら、なるほど、これは結構使えそうだと、思わずパクリ心を揺さぶられました。

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火と煙の関係(4月6日)

 「火のない所に煙は立たない」という諺がありますが、6日午前に訪問した会社で、火のある所でも、煙が立つとは限らないという話を聞きました。

 この会社は、木質系のバイオマス燃料として、ペレットを生産していますが、高知県内ではこのところ、ペレットの利用が年ごとにふえています。

 こうした傾向から、この企業では、将来の市場性は高いと見込んで、様々な素材を原料にした、新しいペレットづくりに挑戦していますが、これまでの試作から、従来ペレット化が難しいといわれた竹や、コーヒーかすなどからの生産も可能になりました。

 とはいえ、ペレットの使用量は日本全体でも、国策として、木質バイオマスに助成しているノルウェーに比べれば、まだ何十分の一という現状です。

 そこで、日本でもノルウェーのように、国を挙げての支援が進めば、エネルギーの転換だけでなく、地域内での経済循環や、新たな雇用にもつながると夢は広がります。

 そんな話をしているうちに、これまでは、ペレットとチップとの違いを、十分認識していなかったことに気づきました。

 聞けばチップは、価格がペレットの三分の一ほどですが、燃える時に煙も出れば、燃えた後に残りかすが出ます。

 これに対してペレットは、そのままでは火がつかないかわりに、600度の熱を加えると気化して燃え始めるため、火はついても煙は出ませんし、燃え残りのかすもないのだといいます。

 なるほど、だからチップに比べて割高なのかと、合点がいきましたが、同じボイラーの燃料でも、重油のような価格の変動がありませんから、農業であれお風呂屋さんであれ、燃料にかかるコストが安定して、計画が立てやすくなるというのは、確かに理にかなった話です。

 特に、地域にある素材をペレットにして、それを地域の中で使えるようにすば、物流コストもかかりませんから、支援策の制度化など課題も多い反面、研究する価値も高いと感じました。

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2009/04/05

御宿かわせみ(4月4日)

 4日午後、病気療養中の恩人の枕元で、御宿かわせみの一節を朗読しました。

 この方には、高知に来て以来、母親代わりといってもよいほど、お世話になっていますが、数年前に病に倒れて以来、ベッドと車椅子での暮らしを続けられています。

 この日、お見舞いに伺うと、付き添いの人に、本を読み聞かせてもらっていた途中だったらしく、さかんに、続きを読んでほしいと言われます。

 本は、平岩弓枝の「御宿かわせみ」ですが、昔よく読んだ本なので、付き添いの女性に、読み返してもらっているとのことでした。

 その付き添いの女性の話では、何冊もの本を読んだ中で、一番苦労したのが宮尾登美子の「篤姫」で、難しくて簡単には読めない漢字が、沢山出てくるのだそうです。

 それに比べれば、「御宿かわせみ」は読みやすいとのことで、橋本さんも読んでみませんかと勧められました。

 メガネがないからと、やんわりとご遠慮したのですが、メガネを貸して下さることになって、漆器問屋の姉妹と、両替商の若旦那との祝言をテーマにした人情話を、読むことになりました。

 読んでいて感じたことの一つは、下読みなしに本を朗読するのは、やはり難しいということです。

 会話の部分と、そうでない部分の読みわけもそうですし、漢字の読み方も、「ふうふ」か「みょうと」かとか、「ねんさん」か「あねさん」かとか、いきなりでは迷ってしまうことがしばしばでした。

 しかし、それ以上に、事件を匂わせるような、主人公の東吾の疑念と、登場人物それぞれの人情とが絡みあった、話の展開の面白さに、あらためて感心してしまいました。

 読み方がとてもいいと、ほめてもいただきましたので、次もまた何か読みますねとお約束をして、恩人の家を後にしました。

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大人のちょっと(4月3日)

 3日午後、電話で話をした東京の知人から、「大人のちょっと」という言葉を学びました。

 この方は、長く幼稚園の園長などを務めた、幼児教育が専門の女性で、もう20年以上も前からの、古いおつきあいになります。

 この日、この方と電話で話をしていた時に、ある人の電話番号を教えるので、書き取ってくれないかと言われました。

 そこで、メモをする紙を用意しようと思って、「ちょっと待って下さい」と言った時のことです。

 電話口でその方が、「その『ちょっと』は、大人のちょっと?」と、私に問いかけてきました。

 その意味がわからなかったので、「大人のちょっとって、何のことですか」と尋ねますと、「大人のちょっとは、ちょっととはいっても長いのよ。だから、子供に、ちょっと待ってねと言うと、子供は、『それは大人のちょっと?』と聞くの」との答えでした。

 なるほど、そう言われれば、ちょっととは言いながらも、かなりの時間待たすことがよくあります。

 これは、掛け値なしで、「ちょっと」良い話を聞いたと思いました。

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舐め濡れて犬と戯る(4月2日)

 2日午後、高知市内の、中山間部にあたる地区を訪
ねたところ、誰一人として出会うことのない集落があ
ったのには、少しばかり驚きました。

 あらためて、少しでも多くの地区を知ろうと、最近
は、市内のあちこちに顔を出していますが、県庁所在
地の中にも、中山間と呼ばれる地域がいくつかありま
すので、この日は、そうした地区をまわりました。

 ある集落でのこと、山側から降りてきて、一軒目の
家を訪ねますと、すでに廃屋になっています。

 それは、中山間地域では、珍しいことではありませ
んので、その後も、この集落にあるあわせて10戸ほ
どの家を、一軒ずつ隈なくまわりました。

 ところが、家の中も、農器具などが置かれた作業場
も、箱に入れた野菜や果物がならぶ集荷所も、どこに
行っても、人っ子一人見あたりません。

 それではと、目をこらして、一帯の畑を見渡してみ
ましたが、人の気配は感じられませんでした。

 知事時代には、もっと奥深い、山あいの集落に出か
けたこともありますが、誰にも会わなかったのは初め
ての経験でしたので、少しばかり驚かされました。

 仕方なく、車を方向転換して、もときた道を戻るこ
とにしましたが、ちょうどその場に繋がれていたワン
ちゃんが、うろちょろと動きまわるため、危なくて、
車を切りかえすことができません。

 そこで、僕が犬の相手をしているうちに、車の向き
をかえることにしたのですが、よほど人恋しかったの
か、腰をかがめた僕に抱きついてきて、顔じゅうをペ
ロペロとなめまわすのです。

 ワンちゃんの相手は苦手ではありませんが、あまり
にも嬉しそうに、激しくなめ続けられたため、方向転
換にかかった時間がかなり長く感じられました。

 無事帰路に向けた車に乗って、ワンちゃんに別れを
告げましたが、人恋しげな声と顔つきに、後ろ髪を引
かれる思いでした。

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環境破壊の痕跡(3月28日)

 28日夜、先日のこの欄で、編集会議に飛び入りをしたと報告した、ある故人のブログをまとめた本の、主を偲ぶ会に出席しました。

 偲ぶ会の参加者に配られた、「バイオマス通信」と題された本の扉には、「高知から、木質バイオマス活用、森林、農業、地域社会の問題などの情報を発信します」という、ブログを始めるにあたっての、ご当人の言葉が載っています。

 去年9月に綴られた最後のブログは、「もし人類が地上から消えたら」というタイトルで、昨年世界的にヒットした、「人類が消えた世界」という、SFを題材にした内容です。

 この本は、何かの理由で、人類だけが地上から突然消えたら、500年後には、ニューヨークはオークやブナの森におおわれて、多くの野生生物が戻ってくるものの、1万年前に人類によって絶滅させられた、マンモスなど70種類以上の大型の哺乳類は、永遠に戻ってこないといった、人類の破壊行為を、検証する読み物になっています。

 偲ぶ会で、編集委員会を代表して挨拶に立った方が取り上げたのも、この最後のブログのことでした。

 人類が地上から消える話が、最後になったのは残念ですがと言いながら、その方は、人類が消えた後、最も長い間環境破壊の痕跡を残すのは、プラスチックだろうという、ブログに載っている話を紹介して、出席者にも警鐘を鳴らされました。

 その話を聞きながら、大海に流れ出して、波の力で微粒子となったプラスチックが、海の生態系にどんな影響を与えるのかなど、人類は、予想のつかない破壊行為を繰り返しているのだろうなと、肌寒い思いをしました。


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