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2009年12月

2009/12/26

三元連立方程式(12月16日)

 16日の朝刊で、鳩山総理が、沖縄の普天間基地の
移設問題の結論を、先送りしたとの記事を読んで、総
理が解こうとしている連立方程式に、大いなる疑問を
持ちました。

 これまでの経過は省きますが、鳩山総理は、この問
題を解くには、「アメリカとの約束」と「沖縄県民の
思い」に加えて、連立を組む「社民党への配慮」の三
つの点を、考慮しないといけないと言っています。

 ただ、この三元連立方程式は、簡単に解けるもので
はないし、それを急げば計算を間違えるだけから、結
論は来年に先延ばしするという説明です。

 しかし、この連立方程式の立て方は、明らかにおか
しいと思います。

 というのも、国の安全保障のあり方や、それに伴う
防衛線の引き方を考えるにあたっては、まずは、今後
の周辺地域での、国際環境の変化を勘案した上で、国
としてのあるべき姿を考えるのが先決だからです。

 言い方を変えれば、まず何よりも先に、この国の将
来、国民の将来を考えた上で、アメリカ、沖縄の県民
の思い、それに社民党という、連立方程式のX、Y、
Zを、優先順位をつけながら、解きほぐしていくべき
だと思うのです。

 にもかかわらず、総理自らが考える、10年20年
後の日本のあるべき姿を、国民に語りかけることのな
いまま、目先のX、Y、Zを解くことだけを考えてい
けば、それこそ、計算間違いをすることになります。

 この政治手法が続くのなら、少子化対策とは無縁の
こども手当が、また、農業の再生とは無縁の所得保障
がというように、すべての分野で、目的を見失った手
段の羅列が起こりかねないと、その行く末に不安を感
じました。

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小豆島は「あつき島」(12月15日)

 15日は、講演旅行のため、一泊二日で小豆島を訪
ねました。

 先月、早稲田大学の大学祭での講演の際、講演を聞
きに来て下さった小豆島の方から、一度小豆島に、話
をしに来てくれないかと依頼を受けました。

 頼まれれば断れないたちですので、快くお受けした
のですが、講演の演題にいただいたのは、「地域主権
の国づくりと小豆島」という、なんとも難しいテーマ
で、頭をひねりながら島にたどり着きました。

 講演は、夕食後の時間帯でしたので、日中は、佃煮
の工場や醤油の醸造元など、島の地場産業を見学に出
かけました。

 小豆島と言えば、オリーブや、映画「二十四の瞳」
が頭に浮かびますが、醤油や佃煮など、伝統の地場産
業が発達した過程には、なるほどとうなずける、スト
ーリーがあったのです。

 小豆島には花崗岩の石切り場があって、今も採石が
盛んですが、歴史をさかのぼれば、大坂城の築城にあ
たって、島から大量の石が大阪に運ばれました。

 その帰り道に、明石から塩づくりの技術が持ちこま
れて、島でも塩田を使った製塩が始まります。

 これをきっかけに、紀州から伝来した醤油の生産が
始まり、続いて、醤油で煮込む佃煮が、また、醤油を
使った麺つゆをもとに手延べそうめんがと、地場の産
業の輪が広がっていったのです。

 そのうちの一つ、醤油の醸造元には、「こが」と呼
ばれる大きな桶が、幾つも並ぶ古い蔵がありました。

 百年あまり前の、創業時に作られたというその大き
な桶も、今では、作ったり修理したり出来る職人がい
なくなってきたため、桶が痛んで漏れ始めると、その
まま廃棄せざるを得ないといいます。

 なぜ、「こが」と呼ばれるようになったかは、聞き
洩らしましたが、うす暗がりの蔵の中は、もろ味の香
りが溢れていました。

 帰りがけに、この醸造元の直売店をのぞくと、醤油
ソフトなる旗が立っています。

 そのままの味だったらどうしようかと、ちょっと不
安になりましたが、実物は、色がそれらしいことを除
けば、普通のソフトとさして変わらないもので、ペロ
リと平らげることが出来ました。

 夜の講演会には、大勢の方においでいただきました
が、講演後、御年90歳というおばあちゃんにも、来
てよかったと言っていただきました。

 小豆島のいわれの一つに、「淡き島」淡路島に対し
て、「あつき島」が「あづき島」から「小豆島」にな
ったとの説があるそうで、夜の帳の中で、島の皆さん
の「あつさ」を思い起こした一日でした。

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2009/12/20

ご近所づきあい(12月13日)

 13日夜、近くのコンビニに出かけると、思わぬ方
が買い物をしていました。

 わが家の天井には、小型の電球が6つついています
が、そのうち2つが切れてしまいましたので、近くの
コンビニに、電球を買いに出かけました。

 60ワット、耐用時間2000時間と書かれた電球
2つを手に、レジに向かったのですが、ふと冷たいも
のがほしくなって、店の奥に戻って、アイスクリーム
を6本かごに入れました。

 あらためて、レジに行こうとすると、どこかで見た
方が、かごを手に陳列棚をのぞきこんでいるではあり
ませんか。

 もう一度、よく確かめてみましたが、やはり、元検
察官で、今は福祉の分野で活躍されている、堀田力さ
んに間違いありません。

 実は、しばらく前に事務所をお訪ねして、堀田さん
のお話をうかがったばかりでしたので、どうもと声を
かけますと、一瞬驚いたような顔をされた後、にこや
かな笑顔で、「すぐ近くに住んでいるんですよ」と言
われます。

 「そうですか、僕も、この先のマンションです」と
答えますと、「よく、ここに買い物に来るんですよ。
またお目にかかるかもしれませんね」と、再びほほえ
んで下さいました。

 コンビニで有名人とお会いしたのは、初めてのこと
でしたが、買い物かごを持ちながらの会話で、ぐんと
距離が縮まった気がしました。

 


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応用人類学(12月11日)

 11日午後、文化人類学の先生から、北朝鮮の体制
が崩壊した時に備えて、応用人類学の手法を使った対
応策を考えてはどうかという、興味ある提案を聞きま
した。

 周囲に比べて遅れをとった地域の、発展を図ってい
こうとする時に、その土地の文化やしきたりを無視し
て、他国のシステムを押しつけようとしても、反発を
呼ぶだけでうまくは行きません。

 こうした場合には、その地域の生活様式や、伝統的
なシステムを大切にしながら、現地の人が参加しやす
い、持続的で整合性のとれた開発手法を、取る必要が
あります。

 その手法の一つが応用人類学で、古くは、ヨーロッ
パ諸国の植民地政策や、戦勝国による占領政策などに
活用されてきました。

 太平洋戦争にあたってアメリカが、多方面の専門家
による、日本並びに日本人研究を進め、その中から、
文化人類学者ルース・ベネディクトの手になる、「菊
と刀」が生まれた経過はよく知られています。

 この日お会いした先生の話は、この応用人類学の手
法を使って、北朝鮮の現在の体制が崩壊した時に備え
た、ソフトランディングの基盤を考えておこうという
ものでした。

 北から韓国へ出国した、1万7千人の脱北者による
と、北朝鮮国内の統治体制は、総書記を中心とするト
ップの部分を除けば、実態の弱いものになっていて、
末端の国民は、国を頼らず、それぞれの知恵と力で、
自力更生に努めているといいます。

 たとえば、日本でいえば頼母子講にあたる、「契」
(けい)と呼ばれる互助的な金融システムなどが、そ
の一つですが、今後、脱北者からの聞き取りなどをも
とに、北の生活様式をはじめ、家族や地域の支えあい
の仕組みを、調査して行く計画です。

 「こうした人類学的な調査があって初めて、北を国
際社会に復帰させるためのプログラムが作れる。ただ
単に、資金を提供するだけの、従来型の政治や経済の
アプローチでは、体制が崩壊した後の復興を、円滑に
進めることは出来ない」と、先生の話には力がこもっ
ていました。

 お話を聞いていて、日韓の協力でこの種の基礎研究
を進めることが、東アジア地域の、将来にわたる安定
に寄与する道だと認識できましたが、それと同時に、
イラクやアフガニスタンの安定のためにも、こうよう
な研究が必要なのではないかと感じました。

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2009/12/12

トラスト・ミー(12月10日)

 10日午後、マスコミ関係者や、日米関係に詳しい
方とお話をする中で、鳩山総理がオバマ大統領に伝え
たと言われる、「トラスト・ミー」という言葉が、話
題になりました。

 この言葉は、先月オバマ大統領が来日した際、沖縄
の普天間基地の問題に関して、鳩山さんが使ったとさ
れる言葉です。

 正式な会談の後、迎賓館の茶室に入った、わずかな
間に交わされたやり取りで、「私を信じて下さい」と
いうこの言葉を、素直に受け止めた大統領との間に、
隙間を作る原因になりました。

 これに関して、この日お話をした、ある全国紙の方
は、「そもそも、トラスト・ミーという言葉は、男性
が女性に対して、『俺を信じろ』という時に使う言葉
で、一般的な使い方ではないという説もあるんです」
と言われます。

 それでは、大統領はそう言われて、一体どう感じた
のだろうかと不安に思いましたので、その後お会いし
た、日米関係に詳しい方に、「トラスト・ミー」の使
い方について尋ねてみました。

 その方は、「う~ん」としばらくの間考えていまし
たが、「まあ、男が女に使う場合が多いかもしれませ
んけど、男同志でも使いますね」とのお答えで、少し
安心しました。

 と同時に、かのタイガー・ウッズも、「トラスト・
ミー」を連発していたのだろうかなどと、密かにほほ
えんでしまいました。

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まるで市場の競りのよう(12月6日)

 6日午後、バンコク市内で、タイ式ボクシングの試
合を観戦しましたが、場内はさながら、市場の競りの
様相でした。

 俗にキックボクシングと言われるタイ式ボクシング
は、タイでは最も人気のあるスポーツです。

 午後からは、タイ式ボクシングを観戦にという話を
耳にして、「僕も見に行きたい」という運転手さんと
もども会場に向かいますと、そこは、テレビ局のスタ
ジオでした。

 中に入ると、天井に照明器具が並ぶ大きなスタジオ
の中に、リングが特設されています。

 後ろを振り返って会場を見渡すと、壁ぎわまでせり
あがった観客席は、立錐の余地もない盛況でした。

 それにしても、やけに白い色が目立つと思ってよく
見ますと、多くの観客が、口元をマスクで覆っている
のです。

 街を歩いていて、マスク姿の人を見かけることは、
ほとんどありませんでしたので、これは余程感染の危
険が高いのだろうと思って、あわててマスクをかけま
した。

 いよいよ試合開始、最初の対戦は、どこから見ても
少年と思われる二人で、家族の期待を背負って頑張っ
ているけな気さが伝わってきます。

 そのうち、会場内では、選手への声援とは違う掛け
声が、飛び交うようになりました。

 何かと思ってあたりを見まわしますと、あちらこち
らで、観客が手や指で合図をしあっています。

 聞けば、どちらが何対何で勝つかの賭けをしている
とのことでしたが、その指さばきと掛け声は、さなが
ら、市場の競りの風景を彷彿とさせるものでした。

 ラウンドが進むにつれ、「競り人」の声にも、賭け
た選手への声援にも、ますます力がこもって、パンチ
やキックがあたるたびに会場がどよめきます。

 4試合目は、チャンピオンシップを争う、白熱の一
戦でした。

 その結果は、どう見ても挑戦者の勝ちに思えました
が、判定はチャンピオンの勝利で、一緒に見ていた運
転手さんは、これは八百長だとぼやいていました。

 それでも、観客が怒る様子はありませんし、負けた
挑戦者も、笑顔でチャンピオンを祝福していましたの
で、これもお国柄かと受けとめました。

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王様の色は黄色(12月5日)

 4日の夜から、知人と一緒に、タイのバンコクに遊
びに出かけましたが、翌5日はたまたま、プミポン国
王の82歳の誕生日でした。

 このため、街のあちこちに、国王の写真が飾られて
いて、お祝いムードでいっぱいです。

 そのうち、国王の写真と一緒に、黄色い旗が掲げら
れているのに気がつきましたので、ガイドをしてくれ
た現地の方に、黄色は王族の色ですかと尋ねてみまし
た。

 すると、タイでは、王族であれ一般の庶民であれ、
生まれた日の曜日によって、その人の色が決められて
いるという答えです。

 ちなみに、月曜日が黄色、火曜日が桃色、水曜日が
緑、木曜日が橙色、金曜日が空色、土曜日が紫、日曜
日が赤とのことで、プミポン国王は月曜日生まれのた
め、黄色の旗でお祝いするのだと教わりました。

 もともとは、バラモン教の教えが基になっていると
のことでしたが、伝統あるしきたりだけに、とても素
敵な文化だと思いました。

 また、国王は国の父にあたることから、30年ほど
前からは、国王の誕生日を、父の日として祝うように
なったといいます。

 このためか、昼食のレストランも、家族連れで一杯
でしたが、同行の仲間と食事をしていると、女の子が
デジカメを手に現れました。

 尋ねると、お父さんの日なので、食事中のお父さん
を、写真に撮ってくれるというのです。

 しかも無料サービスだと言うので、食卓に顔を寄せ
あって撮ってもらいますと、後ほど、紙の枠に入った
記念の写真が届きました。

 僕は、1947年1月12日の生まれですが、果た
して何曜日だったのか、調べてみたいと思います。

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2009/12/11

通訳の力量(12月2日)

 北京訪問最終日の2日、通訳の力量について考えさ
せられる場面がありました。

 この日は、朝一番に、中国外交部の幹部との朝食会
に出席した後、中国共産党の幹部との、面談の場に参
加しましたが、いずれも、団長を務める河野洋平さん
が、相手側と話をされます。

 それを聞いていますと、河野さんは、極めて日本的
な含蓄のある話をされますので、通訳にあたっている
若い女性が、時折、訳す言葉につまるのです。

 参加者のお一人も同じことを感じたのか、共産党の
要人との面談を終えた後、「河野さんの話を聞きなが
ら、英語に訳すとしたらどう訳すかと考えてみたんで
すが、確かに訳すのは難しい。いかに中国語を流ちょ
うに操れても、通訳の女性の若さでは、河野さんの言
葉の含意を伝えるのは、難しかったのではないでしょ
うか」と、感想を語っていました。

 その話で思い出したのは、2日前に、中国のマクロ
経済の専門家がスピーチをした時の通訳の方です。

 中国語の方は全くわかりませんが、少なくとも日本
語に関しては、実に滑らかに、わかりやすい見事な日
本語に訳していました。 

 その中で記憶に残ったのは、日本企業と中国側との
間の軋轢にふれた質問に対して、スピーカーが答えた
内容の翻訳でした。

 中国語で、どう話したかは知る由もありませんが、
「小異を捨てて大同につく」という、日本で一般的に
使われている表現ではなく、「小異を残して大同につ
く」と訳したのです。

 もともと中国では、「捨てて」ではなく「残して」
というのか、それとも、発言者が、あえて含みを持っ
て使った「残して」という表現を、巧みに訳したのか
はわかりませんが、普通の通訳なら、相手がどう言お
うと、日本人に耳慣れた、「小異を捨てて」を使うだ
ろうと思いましたので、「残して」の訳に関心をしま
した。

 そんな思いをしたばかりでしたので、あらためて、
通訳の難しさを感じたのですが、自分の経験からも、
外国の方と話をする時の通訳の力量は、その日のスト
レスに大いに関係するものです。

 通訳の女性の懸命の努力を、批判するつもりは全く
ありませんが、河野さんのストレスは、どうだったの
だろうかと思いました。


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毛語録は日本のお陰(12月1日)

 1日昼、北京市内で昼食を共にした地元の方から、
思わぬところで、日本人が中国に貢献していることを
教わりました。

 それは、外国の言葉を漢字に置き換えたり、漢字を
使って、新しい表現を作り出したりする能力で、中国
のコマーシャルにも、「急上昇」といった、日本発の
外来漢字が使われるようになったほか、「お宅」も、
すでに中国語になっているといいます。

 さらに、もっと古い例では、「社会主義」、「共産
党」、「体制」、「幹部」などの言葉も、ヨーロッパ
で作られた用語を、日本人が漢字にあてはめて訳した
もので、それが、中国に逆輸入されました。

 ですから、「社会主義体制」とか「共産党幹部」な
ど、現在の中国で使われている言葉の中には、日本製
の用語が、数多く含まれているのだそうです。

 毛沢東が、毛沢東語録を、あのように簡潔な表現で
書けたのも、日本から入った、漢字での訳語を使った
からで、「その意味では、毛沢東語録が出来たのも、
日本のおお陰なんです」と、同席の中国の方から、思
わぬお礼を言われました。

 漢字と言えば、中国では革命以後、書き方を簡略化
した「簡体字」が使われていますが、これは、識字率
を高めるためでしたので、最近では、日本流に、昔な
がらの字体を使える人が、教養のある人と見られるよ
うになっているとのことでした。

 こうして、中国と日本の間での、文化のやり取りを
話題にしているうちに、いつしか話は、役所の文化に
移りました。

 すると、日中の文化交流に取り組んでいる中国の青
年が、日本の漫画やアニメを中国に紹介するにあたっ
て、日本の役所を訪ねた時の経験談を披歴します。

 それによると、担当と思われる部署を何か所かまわ
ったにもかかわらず、どこに行っても、「うちの担当
ではない」と、たらい回しにあったのだそうです。

 そこで、たまらず相手の役人に、その思いを告げま
すと、「私も、貴国の役所を訪ねた時に、同じ目にあ
いました」と、こともなげに返されたといいます。

 そんな話を聞きながら、お互いつき合いが長いだけ
に、日中の間には共通点が多いねと、大笑いになりま
した。

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うらやましい(11月30日)

 北京訪問2日目の30日は、国家発展改革委員会の
マクロ経済の専門家から、中国経済の現状と課題につ
いて話を聞きました。

 リーマンショックへの対応にあたって、中国と日本
との違いは数々ありますが、大きな違いの一つは、自
動車産業の位置づけです。

 それは、日本の自動車産業が、外需を頼りにしてい
るのに対して、中国では、内需を相手にした産業だと
いう点で、年間の自動車販売台数も1500万台と、
アメリカを抜いて、世界一の自動車消費国になること
が、住宅建設の伸びと並んで、国際市場の波に影響さ
れない強みを感じさせます。

 ただ、経済の伸びは、金融危機より前の2007年
の第3四半期から、過剰な設備投資に対する内部調整
によって、落ちてきているので、外部の市場がさらに
縮むと、生産能力との差が顕在化しかねないと、懸念
材料も率直に述べていました。

 そんな話の中で、中国では、鉄鋼の生産能力が毎年
1億トンずつと、日本国内の、年間の鉄鋼生産量を超
える割合で伸びているとか、国内の自動車メーカーが
100社ほどあるので、このM&Aを進める必要があ
るといった話を聞きますと、いやはやすごいなと恐れ
入るばかりです。

 また、毎年630万人、フィンランドの人口と、ほ
ぼ同じくらいの大卒者が出るので、世界から呼び戻す
計画の、千人の中国人研究者とともに、この大卒者の
数を活かして、環境面での制約を乗り越えるための技
術を伸ばしていきたいと、インテリ面での人海戦術も
桁が違います。
(ちなみに、フィンランドの人口を調べてみますと、
520万人余りですので、630万人というのは誤り
ですが、スピーカーの語った通り記載しました)

 とはいえ、よく指摘されるように、少数民族の問題
や貧富の格差、特に都市と農村の格差は、この国の大
きなウィークポイントですので、内需の拡大と刺激策
の要点の一つとして、農村での年金や、医療保険制度
の充実をあげていたのが印象的でした。

 その際、養老保険の導入には、「革命的なこと」と
いう解説がついていましたし、医療保険は、アメリカ
より早く導入が進むだろうとも語っていました。

 確かに、巨大な国内市場や、大幅な支出にも耐えら
れる負債率の低い国家財政など、わが国の現状と比べ
ると、うらやましいような背景がありますが、何より
も、今の日本にはない自信にあふれた態度を、うらや
ましく感じました。

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2009/12/10

媒冷政熱(11月29日)

 29日から2日までの日程で、民間の経済団体の一
員として北京を訪問しました。

 生前、兄龍太郎が、この団体の会長を務めていまし
たので、そのご縁から、今回の訪中団の派遣にあたっ
て、参加を呼びかけていただきました。

 団長は、衆議院議長をされていた河野洋平さんで、
副団長には、経済界の方々が名を連ねています。

 事前に調べてみますと、小泉さんの靖国参拝以来、
両国の政治関係が冷え切って、それ以降、日中の首脳
同士の交流も、しばらく途絶えていました。

 それゆえ、当時の日中関係は、経済の関係は熱いが
政治の関係は冷たいという意味で、「政冷経熱」と表
現されていました。

 それが最近では、この4月に、当時の麻生総理が中
国を訪問したのに続いて、鳩山政権発足後は、国連総
会やエイペックの場で、日中の首脳会談が行われるな
ど、関係は緊密になってきています。

 来年も、麻生総理の訪中へのお返しとして、温家宝
首相の来日が予定されているほか、横浜で開かれるエ
イペックの大会には、胡錦涛国家主席の出席が決まっ
ていて、政治家同士の往来はますます盛んになってい
ます。

 こうした状況から、「政冷経熱」の時代は過ぎたと
いうのが、大方の受け止めですが、この日、北京空港
で待機する間に、現地の方の話を聞いていますと、最
近では、「政冷経熱」にかわって、「媒冷政熱」とい
う表現が使われるといいます。

 ここでいう媒は、媒体の媒、つまりマスコミを指し
ますが、ようやく政治の関係が好転したのに、両国と
も、それを伝えるマスコミの目が冷たいというのが、
「媒冷政熱」の意味だそうです。

 日本の場合、鳩山政権と中国との関係を伝える報道
に、さほど「媒冷」を感じることはないのですが、中
国側には、そうした雰囲気があるのだろうかと思いな
がら、興味深く話を聞きました。

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2009/12/04

背面跳びの心地(11月28日)

 28日朝、近くの美容室で、ほぼ2カ月ぶりに散髪
をしました。

 これまでは、いつも床屋で散髪をしていましたが、
東京に移ると、自宅近くの床屋さんが、ことごとく姿
を消しています。

 かわりに、美容室は数えきれないくらいありますの
で、近くにある美容室で、髪を切ってもらうことにし
ました。

 そこで、床屋との相違点を、いくつか発見しました
が、その一つは、まず最初に髪を洗うことです。

 違うやり方のお店もあるかもしれませんが、少なく
とも、私が通っていた床屋さんでは、濡れたタオルで
髪の毛をぐしゃぐしゃと湿らせて、大体のカットを済
ませた後、髪を洗いました。

 しかも、鏡の前に洗髪台が付いているため、整髪を
してもらう椅子のまま、前かがみになって、頭を洗っ
てもらうのです。

 これに対して、美容室では、まず最初に、洗髪専用
の椅子で髪を洗うのですが、これが前向きではなく、
座ったまま椅子を後ろに倒して、上を向いた形で髪を
洗います。

 走り高跳びの背面跳びではありませんが、ベリーロ
ールに慣れていた選手が感じたであろう、目からうろ
この新鮮さがありました。

 そのことを美容師さんに尋ねると、美容室では、昔
から後ろ向きで髪を洗うとのことで、「前かがみで洗
ったら、目にシャンプーが入りません?」と、彼女に
逆質問されてしまいました。

 そんなやり取りをしていると、隣の洗髪台にいた、
やはり男性のお客さんが、営業担当の同僚が二人、今
月いっぱいで、会社を退職させられることになったと
話しています。

 自己都合の退職じゃないんですかと、問いかける美
容師さんに、「そうじゃないんだくびなんだよ。契約
の社員だから、再契約をしないということだけど、見
てても悲惨だよ」と、答える声が聞こえました。

 上を向いて髪を洗うのは、なかなか心地が良いです
し、洗髪中にも、こうして話が出来るのですが、話す
話題が決して心地よいものではないところが、今風で
厳しい限りでした。

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