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2010年1月

2010/01/30

戦災で焼けました(1月26日)

 26日午後、久々にお会いしたお医者さんから、細
川元総理に関する、さすがと思う話を耳にしました。

 この方は、慶応の先輩にあたりますが、大学の賀詞
交歓会で、久し振りにお会いしたため、六本木のクリ
ニックまでご挨拶に伺いました。

 医療や政治向きの話をしているうちに、細川護煕さ
んが日本新党を立ち上げた時、応援をしたという話に
なりました。

 その後、細川さんが総理大臣になったため、資金を
集めないといけないという話になった時、お蔵の中の
壺でもお売りになったら、すぐに資金が調達出来るの
ではと水を向けたところ、細川さんは、「あいにく、
この間の戦災で焼けたものですから」と言われます。

 そこで、「いつの戦災ですか」と尋ねると、顔色も
変えずに、「応仁の乱です」と答えられたそうです。

 これが細川さんでなければ、ふざけるなという話に
なりますが、話の主が細川さんだけに、さすがと感心
してしまいました。

 それにしても、ご旧家にはご旧家らしい、うまい断
り方があるものですね。

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巨象をなでる(1月25日)

 25日午後、中国の事情に詳しい、日本企業の方と
お話をしていて、目の不自由な人が象をなでるという
意味の、諺を思い出しました。

 というのも、最近は会う人ごとに、何らかの形で中
国のことが話題になるのですが、その方が接している
分野や、見る場所によって、中国への評価が違ってく
るからです。

 その最たるものは、このままの経済成長や、国の安
定が続くかどうかで、中国の力は底堅いという人もい
れば、農村部と沿岸部との格差はもとより、少数民族
の問題や一人っ子政策がもたらした急速な高齢化、さ
らには水の問題など、弱点が数々あるので、どこでど
うなるかわからないという人もいます。

 このように、中国に対する評価は、目の不自由な人
が、象をなでるがごときだという例えには、この日お
目にかかった方にも、賛同していただきましたが、こ
の方は、中国の経済成長は、国家主導のものなので、
経済の内実が、どれだけ力強いかはわからないと言わ
れます。

 一例としてあげられたのは、自動車の販売台数で、
一昨年のリーマンショック以来、25パーセントの伸
びを示しているのですが、一方でガソリンの売り上げ
は、10パーセントしか伸びていないそうです。

 想像するに、国の指導のもと、国営企業が、せっせ
と自動車を買い上げたものの、使わないまま、どこか
に眠らせているのではないかというのです。

 また、各種の地域開発も、箱物先行のため、投資額
は伸びていても、中味のソフトが伴なっていないと心
配されます。

 確かに、上海でさえ、ビルを建てたものの、テナン
トの入居に手間取ったという話がありますので、作れ
ば埋まるという神話が、どこかで行き詰らないとも限
りません。

 その他にも、中国という巨象のどこをなでるかで、
鼻を感じる人、耳を感じる人、尻尾を感じる人など様
々ですから、それだけでは全体像はわかりません。

 情報が十分に取れていないという、わが国の情報収
集力の弱さもありますが、それぞれの分野の方の評価
は、巨象の一部分とわきまえることが、肝要かもしれ
ません。

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2010/01/29

卵黄ニンニクを飲んで(1月24日)

 24日昼、地元鹿児島での結婚式にも出席した、知
り合いの若いご夫婦とランチを食べながら、愉快な話
をいっぱい聞きました。

 旦那さんは、私が高知県の知事時代に、知事のそば
でのインターンシップに参加してくれた青年で、大学
を卒業した後、地元鹿児島で、銀行マンを務めていま
す。

 たまたま、地方銀行協会の研修のため、東京に来て
いると聞きましたので、一緒に食事をすることにしま
した。

 二週間に及ぶ長い研修のため、奥様も一緒に上京し
ているとのことで、夫婦どうし、わが家の近くで待ち
合わせました。

 お昼には、ちょっと時間が早かったため、近くの、
洒落た雰囲気の雑貨屋さんに入りますと、「雑誌で見
たことがある」と奥様は、楽しそうに店内を見て回ら
れます。

 その中に、コーティングされた紙を、何枚か波型に
うねらせて重ねた、照明のシェードを見つけますと、
ご主人が、「わが家の日本間に、かかっているのと同
じだ」と言われます。

 聞けば、インターネットで買い求めた上、奥様が、
付属品の金具で留めて組み立てたのだそうですが、波
型を自分で好きに工夫できるため、その分難しかった
と言います。

 ランチは、これも近くの、ソーセージ屋さんに行き
ましたが、奥様は、ブックカバーをした、文庫本サイ
ズの東京の観光マップを取り出して、行きたいところ
が一杯あると説明してくれます。

 見ると、各区ごとに調べ上げた、レストランや楽し
そうなお店の名前と場所を、付箋に書き留めて貼りつ
けてあります。

 いつも、旅に出かける前には、こうした準備をする
そうですが、余りにも力と期待がこもりすぎて、旅先
に着いた途端、胃が痛くなってダウンといったことも
何度かありました。

 実際に、新婚旅行のハワイでも、事前の期待感の重
圧に耐えかねて、一日目から胃の調子が悪くなったそ
うです。

 そこで、今回は過ちを繰り返すまいと、卵黄ニンニ
クを毎日飲んでいるとのことで、隣にいる彼の顔をの
ぞきながら、可愛いお嫁さんで良かったねと思いまし
た。

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地獄の選択(1月23日)

 23日午後、高知大学で開かれた会で講演をするた
め、久し振りに高知に戻りました。

 この会は、私が理事の一員を務める基金の、立ち上
げの記念講演会で、私は、「16年の県政から考える
高知の環境未来」という題で、講演をすることになり
ました。

 去年10月4日に、活動の場を東京に移してから、
高知に戻るのは3ヶ月半ぶりです。

 この日の会場は、高知市内にある高知大学の教室で
したが、スタッフの皆さんの努力が実って、150人
ほどの聴衆で満席です。

 メインの講演は、東京大学の教授による、地球温暖
化に強い警鐘を鳴らす内容で、温暖化による無間地獄
を選ぶか、それとも、企業活動が低下する中での、大
量失業の地獄を選ぶか、その選択が問われていると、
なかなか刺激的です。

 この問題で政府は、2020年の二酸化炭素の排出
量を、1990年に比べて、25パーセント削減する
としていますが、これに対して経済界からは、これで
は、日本の企業はますます力を失うし、やがては、国
外に出ていかざるを得なくなって、国内の雇用が失わ
れると、戸惑いの声が出ています。

 しかし、教授によると、今後20年から30年の間
に、地球の平均気温が2℃上がると、もう後戻り出来
なくなって、想像を超える状況が、次々と現れるとい
います。

 これを受けて教授は、だから、温暖化地獄か失業地
獄か、どちらかの地獄を選ばざるを得ないと、結論づ
けておられました。

 このお話を聞いていて、今月10日のこの欄でご紹
介した、福沢諭吉の、「政治は、悪さ加減を競い合う
もの」という言葉を思い出しました。

 そうか、政治は悪さ加減の選択、将来の日本は、温
暖化と大量失業の二つの地獄の選択かと思うと、少し
重い気持になりましたが、そんな重い気持を、いつま
でも引きずっては行けませんから、人間は生きていけ
るのですね。

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箱根の山よりきつい(1月22日)

 22日午後、箱根駅伝で、2年連続で総合優勝を果
たした、東洋大学の関係者とお会いする中で、駅伝に
ついても、色々とお話をうかがいました。

 今月3日のブログに、箱根駅伝の復路の中継を見て
いたら、箱根の山をトップで降りてきた、東洋大学の
選手が、県立高知工業高校の、卒業生だと気がついた
と書きました。

 そこで、彼のことを尋ねてみますと、駅伝のコーチ
は、これからもっと伸びると、太鼓判を押してくれて
いるとのことで、高知県勢の将来にも期待がふくらみ
ます。

 とはいえ、何といっても話題の的は、箱根の山を、
2年続けてぶっちぎりで駆け上った、柏原選手のこと
で、山は強くても平地ではどうかと、単純な疑問をぶ
つけてみました。

 すると、平地でも十分に早いとのことで、勉強不足
でしたが、出雲駅伝でも活躍したのだそうです。

 ところが、その柏原選手が、箱根よりきついと音を
上げた場所があります。

 それは、新潟県の中越地震で、大きな被害を受けた
旧山古志村(現在は長岡市と合併)でした。

 というのも、山古志村の当時の村長さんが、東洋大
学の卒業生で、現在大学の理事長をされているため、
ここで夏の合宿を張っているのだそうです。

 練習の際には、美しい棚田の風景などで知られる、
山古志の山を駆けめぐるのですが、この坂道には、さ
すがの柏原選手もまいったという話でした。

 それはともかく、東洋大学では、昨年の箱根駅伝の
初優勝を受けて、大学の受験者が、一気に9千人も増
えたそうで、その勢いは今年も衰えていません。
  
 それもひとえに、柏原選手の活躍のお陰ですが、福
島の高校時代の彼は、インターハイにも出場経験のな
い、無名の選手だっとのことで、あらためて、彼を見
つけ出した、コーチの眼力に感心しました。

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2010/01/24

申請のニュースを背に(1月19日)

 19日午後、会社更生法の適用の申請を、間近に控
えた日本航空機で、講演先の福井から、小松経由東京
に戻りました。

 機内で、飲み物のサービスが始まった時、紙のコッ
プを手渡してくれるスチュワーデスの背後に、「JA
Lが今夕、会社更生法の適用を申請」という、正午の
テレビニュースが流れています。

 イヤホーンを通して聞くニュースのコメントは、ス
チュワーデスさんには聞こえていませんが、「経営危
機に陥っている日本航空は」という、アナウンサーの
声を聞きながら、アップルジュースを受け取るのも、
何か切ない思いがしました。

 さらに、テレビのニュースでは、マイクを向けられ
たJALの社員が、足早に歩を進めながら、「申し訳
ありません、ご迷惑をおかけします」と、答える姿が
映し出されます。

 莫大な公的資金が投入されますので、一日も早い再
建を願うばかりですが、JALの機内で、このニュー
スを見ようとは思っていませんでしたので、なんとも
不思議な感覚でした。

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運命と寿命(1月18日)

 18日午後、国技館で大相撲を観戦した後、プロゴ
ルファーの方と夕食をともにしましたが、そこで、昨
日急死された、野球の小林繁さんのことが話題になり
ました。

 大相撲の観戦は、何年ぶりか思い出せないくらい久
し振りでしたが、前から6列目という、砂がぶりに近
い席で、お相撲さんの肌が、お化粧をしているように
輝いて見えます。

 10日余り前、明治神宮での手数入りの際には、デ
ジカメの窓からのぞいた横綱の土俵入りも、その姿を
しっかりと、目に入れることが出来ました。

 この日の一番はいずれも、立ち合いの変化や、あっ
という間の引き技がなく、ぶつかる音が聞こえる程の
熱戦が続きましたが、テレビなら、ここでVTRが出
るのにと思うあたり、人間とは贅沢なものです。

 とはいえ、高見盛や魁皇など、人気者の登場に沸き
立つ、館内のどよめきは格別で、テレビでは味わえな
い臨場感も満喫しました。

 弓取り式も終わって、櫓の上から聞こえる、心地よ
い太鼓の音に送られて向かった先は、これも相撲界と
は縁の深い知人との会食の場で、そこで、ベテランの
プロゴルファーを紹介していただきました。

 これがまた、とてもお話し好きな方で、ゴルフを通
じての国際交流の夢など、話題は尽きません。

 その中で、昨日心臓の発作で急死された、プロ野球
の、小林繁さんの話になりました。

 この方も、小林さんを、直接知っているわけではあ
りませんでしたが、同じスポーツマンとして見た時、
小林さんの死は、「寿」ではなく「運」だと言われま
す。

 「寿」ならば、急な死でも、それは「寿命」だけれ
ど、小林さんの背負った人生を見ると、急な死は「寿
命」ではなく、「運命」に感じられるというのです。

 プロゴルファーとして、スポーツの世界の、日向と
日陰を見てきた方の話だけに、なるほどと感じられる
ところがあって、胸の中で手を合わせました。

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お代理さま(1月16日)

 16日午前、新宿・牛込にある、裏千家の東京道場
で開かれた、初釜に出席しました。

 高知県の知事をしていた当時から、裏千家の顧問と
して、毎年、京都で開かれる初釜に出席していました
が、昨年の10月から東京に転居したため、今年は東
京のお席にお招きを受けました。

 家を出る時、お祝いを包む袋がないのに気づいて、
得意の近所のコンビニに駆け込んで、この店では一番
高級な紙袋をレジに出しました。

 すると、女性の店員が、バーコードをチェックしな
がら、「この間も買われましたね」と、話しかけてき
ます。

 考えてみれば、先週の土曜日にも、結婚式に出席す
るため、この店でお祝儀袋を買い求めたのですが、そ
れから一週間、レジの担当は同じ店員さんでした。

 そこで、「そうだったね。先週は結婚式だったんだ
けど、今日は新年のお祝いの式なんで、ちょっとグレ
ードアップしたんだ」などと微笑み返して、車で会場
に向かいました。

 例年、東京の初釜には、時の総理が出席されるのが
恒例で、この日も、鳩山総理が出席の予定でしたが、
小沢さんの問題が原因か急きょ欠席になって、副総理
で財務大臣の菅さんが、お正客の席に座ります。

 お手前をされる家元も、お父様の大宗匠も、いつも
のように洒脱なお話しぶりで、寅年にちなんで掛けら
れた、「竜虎」と書かれた床の間の掛け軸を指して、
「大阪の方からは、『なぜタイガーズの上にドラゴン
ズがいるんだ』と、叱られるんです」と、座を沸かし
て下さいます。

 濃い茶での初釜の後、お雑煮などがふるまわれる、
祝いの膳に移りましたが、そこには、御年92歳にな
られる、大宗匠の姉で家元の伯母にあたる塩月弥栄子
さんが、挨拶に出られました。

 昔むかし、NHKの人気テレビ番組、「私の秘密」
のレギュラーだった塩月さんは、お年を召したとはい
えとてもお元気で、席を回って、一人ひとりの客に声
をかけて下さいます。

 菅さんの前に来られた時のことです、ねぎらいと励
ましの言葉をかけられた後、「そろそろ、お代理さま
ではなくて、もっと表に出て下さいませ」と言われま
した。

 そうか、副総理だから、「お内裏さま」ではなくて
「お代理さま」かと思いながら、92歳とは思えない
横顔を拝顔していました。

 毎年恒例のくじは、今年もはずれでしたが、心の内
外に、新年らしいふくよかさをいただきました。

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発案合戦(1月15日)

 15日夜、あるベンチャー企業で開かれた、特許の
申請を目指して思い思いのアイディアを出し合う、ブ
レインストーミングの会議に顔を出しました。

 これは、昨年の10月26日のこの欄に、「不思議
なコラボ」というタイトルで紹介をした、ちょっと不
思議な集まりで知り合った方から、是非にと誘われた
のがきっかけです。

 山手線の沿線にある、ベンチャー企業の会議室に集
まったのは、様々な専門と経験を持つ方々で、どうい
う人たちと、ひと言にはまとめられません。

 ひと言でまとめられないと言えば、発明の種そのも
のに価値を見出して、その取り引きをビジネスにしよ
うという、この企業の事業目的も、いまだ明確にはと
らえ切れないもので、この日の会の目的も、これまた
ひと言には説明できません。

 とはいえ、参加者はいずれも、しっかりとした職歴
のある方ばかりで、決して、あやしげな集まりではあ
りません。

 この日は、ユビキタス・コンピューティングと遠隔
モニタリングがテーマで、海外渡航の際の保険や、炭
酸ガスの削減、それに防犯などの分野で、ブレインス
トーミングが進められました。

 参加者それぞれの専門性から見て、もっと難しい話
をするのかと覚悟していましたが、実にわかりやすい
アイディアと、それを具体化するためのプロセスの話
し合いで、自分の知識レベルでも、十分についていけ
るものでした。

 最後に感想を尋ねられましたので、何点か思ったこ
とを話ましたが、時代の変化の中で、新たな産業を支
えていく知恵の大切さを、あらためて感じた二時間余
りでした。

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総理を生んだ二つの土地(1月14日)

 13日と14日は、福岡県の飯塚市と久留米市で、
地元の新聞社が主催する、講演会の講師に招かれまし
た。

 このうち飯塚市は、麻生前総理のお膝元で、曾祖父
にあたる太吉氏が、筑豊の炭鉱で財をなした、麻生家
の本拠地です。

 これに対して、この日うかがった久留米市は、鳩山
総理の母方の祖父にあたる、石橋正二郎氏が、ブリヂ
ストンを創業した土地で、鳩山総理の、政治資金をめ
ぐる問題で話題になった、お母さまの安子さんは、正
二郎氏の長女にあたります。

 つまり、安子さんが、正二郎氏から相続したブリジ
ストンの株が、鳩山総理の政治活動を支えてきたわけ
で、そんな意味で、飯塚市と久留米市は、二人の総理
を生んだ土地ともいえます。

 中でも、石橋正二郎氏は、鳩山家への支援だけでな
く、地元のすべての小中学校に、プールを寄付したほ
か、郷土の画家への資金的な援助など、教育・文化を
はじめとする数々の面で、地元のためにつくされまし
た。

 ただ、この日地元の方にうかがうと、正二郎氏が、
久留米のために余りにもつくされたため、市民の間に
依存心が生まれたきらいもあるとのことで、善意も難
しいものだと思いました。

 昨日降っていた雪も、この日はやんで、日差しのの
ぞく雪景色の中、久留米を後にしました。

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過労か加齢か(1月12日)

 12日は、テーブルスピーチをするため、あるロー
タリークラブの例会に招かれましたが、紹介して下さ
った知人は、自宅前で転んだとのことで、手に包帯を
まいて登場しました。

 どこのロータリークラブでも、週に一度の例会の際
には、昼食の後にテーブルスピーチがありますが、こ
の日は、あるロータリーに所属する知人の紹介で、都
内のホテルで開かれた例会に、卓話の講師として招か
れました。

 スピーチは30分ですので、鳩山政権100日余り
をテーマに、話を用意して行きましたが、早目に会場
に着いて待っていますと、紹介をいただいた知人が、
手には包帯、目には眼帯をつけて登場しました。

 この方は、70台を迎えた女性ですが、いつも元気
いっぱい活動されていますので、驚いて理由を尋ねま
すと、前の日に自宅を出ようとした時、門の段差につ
まずいて倒れたのだといいます。

 すぐに、行きつけのお医者さんに行ったところ、こ
の方の、日々の活躍ぶりを知っている医師は、「過労
でしょう」と言ってくれたそうですが、「過労じゃな
くて、加齢じゃないのと言い返した」と、けがにもめ
げない、相変わらずの元気さで安心しました。

 この日は、私の63回目の誕生日でしたが、これも
また、良い思い出になりました。

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悪さ加減の競い合い(1月10日)

 10日午前、母校の慶応大学で開かれた、福沢諭吉
の生誕を記念する会に出席しましたが、その席で聞い
た、福沢先生の言葉が印象に残りました。

 慶応義塾の創始者福沢諭吉は、旧暦の1月10日に
あたる日に生まれていますので、毎年この日に、三田
の大学の校舎で、先生の生誕を記念する式が開かれて
います。

 この日は、卒業生である政治ジャーナリストが、記
念の講演をされましたが、その中で引用した福沢先生
の言葉は、なるほどとうなづくようなものでした。

 それは、「政治は、悪さ加減を競い合うものだ」と
いう言葉です。

 この言葉を受けて、このジャーナリストは、「だか
ら、政権が変わったからといって、過大な期待を抱い
てはいけません。過大な期待を抱けば、期待外れに終
わった時の、落胆が大きくなりますから、どちらが悪
さ加減がよりましかくらいの気持ちで、政治を見てい
かないといけません」と、まとめていました。

 こうした、ブラック・ユーモア的な表現は、昔から
よく使われますが、政治の場合は、これが、あまり皮
肉な言葉に聞こえないのが、悲しいと言えば悲しいこ
とです。

 この後ひらかれた、賀詞交歓会からの帰り道、学校
の旗などを作っている、老舗の社長さんが、声をかけ
て下さいました。

 うかがえば、ご自分が8代目だそうで、「伝統(電
灯)が蛍光灯になりそうなので、伝統を取り戻すべく
努めています」と、洒落たことをおっしゃいます。

 JRの田町駅までの道すがら、新しい技術の開発な
ど、様々な話をお聞きしますと、温かい下着として大
ヒットした製品も、数年前に、旗の業界が開発した素
材がきっかけになっているとのことでした。

 こうした、日頃おつき合いのない分野の方々の、お
話がうかがえるのも、同窓の集まりの良さだなあと思
いながら、駅前でお別れをしました。


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2010/01/19

あなたは使いましたか(1月8日)

 8日午後、橋本家の故郷である、岡山県総社市のゆ
かりの方とお話をしていて、今は昔の、定額給付金が
話題になりました。

 それは、この方の友人で、民主党の地方議員をして
いる方が、「私は民主党員ですけど、こども手当には
大いに疑問があるんです」と、言われたのがきっかけ
でした。

 さらにこの方が、そもそも内需拡大のための経済対
策なのか、それとも、子供の数を増やすための少子化
対策なのかわからないし、少子化対策ならば、保育な
どのサービスを支援するのが筋だと、ごく真っ当なこ
とを言われますので、内需と言えば、定額給付金はど
うなったんでしょうねという話になりました。

 以前から私は、定期的に世論調査をするのなら、内
閣支持率ばかりでなく、別の調査をすればいいのにと
思っていますので、その一例として、定額給付金を使
ったかどうか、使ったとすれば、何に幾らくらい使っ
たかを、調べてみてはどうだろうと話しました。

 すると、お二人とも大賛成で、地方議員をしている
方は、「正式な調査にはならないけど、地元で聞き取
りをしてみようかしらと、とても乗り気です。

 もともと、定額給付金を支給するにあたっては、経
済対策なのかそれとも弱者対策なのか、目的が定まら
なかったため、所得制限を入れるかどうかも、大いな
る議論になりました。

 ところが、あれだけすったもんだの大騒ぎをしたの
に、のど元を過ぎたら、それが使われたかどうかの調
査さえしないのは、いささかおかしいと思います。

 もちろん、内閣府では、経済対策としての効果など
を、調査しているでしょうが、使ったのか使わなかっ
たのかといった、もっと単純で身近なアンケートをし
てほしいですし、その検証もないまま、また現金をば
らまくのも、すごい神経だなあと感服します。

 このままでは、わが国の財政は厳しくなる一方です
ので、せめて現金給付をした時には、その都度検証を
するくらいの、心配りが必要ではないでしょうか。

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世界の小沢(1月7日)

 7日午前のテレビニュースで、「世界の小沢が半年
間休業」というアナウンサーの声を聞いて、民主党の
小沢幹事長が、いよいよ雲隠れかと驚きました。

 その後のコメントで、「世界の小沢」は小沢一郎さ
んではなく、指揮者の小沢征爾さんだとわかりました
が、ニュースによると、食道にガンが見つかったこと
から、半年間の休業を宣言されたということでした。

 小沢征爾さんは、誰もが知っている、わが国を代表
する指揮者ですし、一緒に写真を撮っていただいたこ
ともありますので、一日も早い全快と復帰をお祈りし
ますが、「世界の小沢」と聞いて、一瞬、民主党の幹
事長のことを思い浮かべた自分が、ちょっと恥ずかし
くなりました。

 そこで、そばにいた妻に、「ねえ、世界の小沢って
聞いて、小沢一郎と勘違いしなかった」と尋ねると、
「そうよ、私もてっきり、小沢一郎さんかと思った」
と言います。

 それを聞いて、よかった僕だけじゃなかったと思い
ながら、他にも間違えた人はいないだろうかと、心の
中で、早とちり仲間を募っていました。

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デジで手数入り(1月6日)

 6日午後、明治神宮に、遅まきの初詣に出かけます
と、運よく二人の横綱の、奉納手数入り(でずいり)
に出くわしました。

 明治神宮は、わが家から近いため、散歩がてら時々
参拝に出かけますが、この日は、松の内の初詣にと、
夫婦して鳥居をくぐりました。

 本殿前に着くと、何やら大勢の参拝客が、人垣を作
り始めています。

 何かと思って、近くにいた神官に尋ねますと、間も
なく、新春恒例の日本相撲協会の公式参拝と、横綱の
手数入りの奉納があると言います。

 せっかくだから手数入りを見ていこうと思いました
が、予定の時間まで、まだ一時間余りもありましたの
で、その間に、御苑を見に行こうという話になりまし
た。

 そこで、もとの道を戻って、御苑の受付に行きます
と、「清正井は二時間半待ちです」と、張り紙がして
あります。

 「清正井」というのは、このあたりが、加藤清正の
下屋敷だった頃に、清正が掘りあてたと伝えられる湧
き水の井戸で、最近テレビの番組などで、運を招くパ
ワースポットとして紹介されたことから、にわかに人
気を呼ぶようになりました。

 私は、別に清正井に行かなくても構わないと思った
のですが、せっかくなら井戸に行きたいという妻の意
見を入れて、御苑散策は断念、もう一度、本殿の方に
戻りました。

 すでに、幾重もの人垣ができていましたので、夫婦
して後ろに並びましたが、しばらくして、大きな歓声
とともに、横綱白鵬関が姿を見せました。

 といっても、前の人垣の肩越しに、白鵬の姿がちら
りちらりと見えるだけで、なかなか全貌が目に入りま
せん。

 そうこうするうちに、前にいる人たちが次々と、デ
ジカメや写メを持つ手を上げ始めましたので、いよい
よ横綱の姿は見えにくくなりました。

 すると、横にいた若い女性が、「前の人の、デジカ
メの窓に映ってるよ」と、お相手の男性に声をかけて
います。

 その声につられて上を見上げると、確かに、前の人
が構えたデジカメの窓に、手数入りをする白鵬の雄姿
が、映っているではありませんか。

 目の前で手数入りを披露する横綱を、デジカメの小
さな窓を通して見るのも、今風の見物風景かと思いな
がら、デジカメの中の横綱の四股に合わせて、「よい
しょ」と大きな声をあげました。

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2010/01/07

朝ズバのリズム感(1月5日)

 5日は早朝から、TBSの「朝ズバ」に、コメンテ
ーターとして出演しましたが、みのもんたさんのリズ
ム感には、つくづく感心しました。

 みのさんの番組に出るのは、クイズミリオネア以来
ですが、朝5時半からのスタートとは思えない、リラ
ックスぶりとテンションの高さで、スタジオの雰囲気
を一気にまとめあげる力はさすがです。

 コマーシャルや長めのVTRの間も、若い局アナに
声をかけたり、出演者と雑談をしたりと、リズムを区
切ることがありません。
 
 また、そうした合い間につぶやく言葉や、語りかけ
る質問が、ちゃんと次のコーナーに生かされてくるあ
たり、学ぼうにも学びきれない技術です。

 スタッフのサポートで勉強になったのは、コメンテ
ーターの席に並んで座っているスタッフが、パソコン
を開いていることでした。

 それだけの役回りではないでしょうが、こうしてお
けば、たとえば、中継映像にあった豪華客船に関する
ことなど、出演者から何か質問があった時に、インタ
ーネットの検索で、たちどころに情報提供が出来るの
です。

 情報の確認を厳しく考える立場からは、慎重な意見
も出るでしょうが、スタジオの会話を豊富にするため
にも、大切な小道具ではないかと思いました。

 番組も終わりに近づいた頃、話題の新製品を紹介す
るコーナーで、集中力が高まると、目の前に置かれた
ボールが浮くという、不思議な製品が登場しました。

 みのさんがモデルになって、集中力を感知するバン
ドを頭に巻いたのですが、みのさんが見つめる先のボ
ールはなかなか浮きません。

 ちょっと浮いてはまた沈むという状態で、みのさん
の懸命の集中にもかかわらず、ボールが安定的に浮き
上がることはありませんでした。

 そもそも、何に使うものなのかよくわからない、い
とも不思議な製品でしたが、それだけ、みのさんのリ
ラックスの度合いが高い証拠ではないかと、またまた
感心してしまいました。

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箱根に高知勢が(1月3日)

 3日は朝からテレビで、箱根駅伝の復路の様子を観
戦しましたが、高知県の高校出身の選手も、2人がレ
ギュラーで活躍していました。

 高知県は、県立山田高校の活躍などがあるものの、
全国的に見れば、駅伝の先進県ではありませんから、
これまで、箱根駅伝などの桧舞台で、高知出身の選手
の雄姿にふれることは、あまりありませんでした。

 今年の箱根駅伝は、昨年に続いて、往路の山登りで
勝負がついた感じでしたが、年の初めの恒例として、
早朝から、復路の山下りを観戦していました。

 その中で、トップを走る東洋大学の、一年生選手の
紹介テロップを見ると、県立の高知工業高校の出身と
あります。

 解説者も言っていましたが、時折不安の残る走りぶ
りでしたので、なおのこと、頑張れ頑張れと心の中で
応援していました。

 彼は、4分あった2位との差を、2分50秒まで縮
められたものの、トップを保って、7区の選手にたす
きを渡しました。

 もう一人は、上武大学の7区を走った、これも一年
生の選手で、後になって、高知県立の宿毛工業高校の
出身であることを知りました。

 彼も、十分な成績は残せませんでしたが、二人とも
来年のレギュラーに向けて、さらに精進してほしいも
のです。

 ということで、思わぬ高知愛に駆られた観戦でした
が、復路の実況を見ていて、一つ疑問に感じたことが
ありました。

 それは、7区の中継を見ていた時のことですが、昨
年この区間で途中棄権をした選手の、涙と努力の物語
が延々と流されるのです。

 確かに、悔しい思いを乗り越えて、見事に区間2位
の記録で走りぬいた、選手の努力は立派ですし、それ
が、この大学としては初めての、シード権の獲得につ
ながったことも、祝福すべきことです。

 しかし、その間も、この選手の前を走っていた2位
から6位のチームは、なかなかのデッドヒートを繰り
広げていましたし、10位以降の選手も、シード権を
かけて懸命に走り続けていました。

 そうした熱戦の途中に、7区を走り終えて、中継所
でチームメイトを相手に、レースを振り返って話しか
ける、この選手の映像を流し続けるのは、いくらなん
でも、演出が過ぎると思いました。

 テレビ中継を作る側に立ってみれば、往路は、箱根
の山登りのプロである、東洋大学の選手にスポットラ
イトをあてれば、視聴率が取れますが、それで勝負が
決まってしまうと、復路の途中に、何かドラマを作り
たいという心理が働きます。

 そうした時、昨年途中棄権をした選手の、リベンジ
の戦いにスポットをあてれば、視聴者の目を引き付け
ることが出来ると考えたのでしょう。

 ただ、こうした演出本位の中継が、あまりに度を越
すようになると、せっかく盛り上がった箱根駅伝への
関心も、峠を越すことになりかねないと、余計な心配
をしてしまいました。

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2010/01/06

バンビの親子(1月2日)

 2日、蓼科の家で、窓から外を眺めていると、鹿の
親子が、雪の上に顔を出した笹の葉を、おいしそうに
食べていました。

 昔から、この周辺に鹿が出没したかどうかは知りま
せんが、2年ほど前から、家のまわりでも、しばしば
鹿を見かけるようになりました。

 昨年末からも何度か、家族連れで食事に来たと思わ
れる、鹿の一家を目撃しています。

 この日も、窓から雪景色を眺めていると、小さな小
鹿が一匹、笹をむしゃむしゃと食べています。

 ふと別の窓に目をやると、そこでは、母鹿と思われ
るメス鹿が、これも一匹だけ離れて、笹を食べていま
した。

 じっと見ていると、その視線に気づいたのか、母鹿
が顔を上げて、こちらをじっと見つめています。

 やがて母鹿は、ゆっくりと小鹿の方に近づいていく
と、今度は親子で、こちらの様子をうかがいます。

 危険があるといけないと、母親が子供に知らせに行
ったのでしょうが、大丈夫と思ったのか、またしばら
くの間、親子で笹を味わっていました。

 せっかくの食事を邪魔してはいけないと、その場を
離れましたが、子供の頃に見た、ディズニーの映画、
「バンビ」のシーンを思い起こしていました。

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2010/01/05

雪の大晦日(12月31日)

 大晦日の31日は、長野県の蓼科にある別荘で、雪
に囲まれて過ごしました。

 今年は、これまであまり雪がなかったのですが、大
晦日の朝に戸を開けてみると、周囲の木々が、真っ白
な綿をかぶっています。

 部屋の中には、小さな暖炉がありますので、この冬
は、朝から晩まで薪をたきましたが、久しく使ってい
なかったため、初めのうちは、コツを取り戻すのに苦
労しました。

 というのも、火が燃えてからの、煙突に通じる蓋の
閉じ方や、空気の取り入れ方が、今一つつかめなかっ
たからです。

 めらめらと燃える炎に見とれて、どんどん薪をくべ
ていると、知らないうちに、てっぺんに付いている温
度計が800度を超えそうになって、あわてて空気入
れを閉じるといったことの繰り返しでした。

 ある時など、温度が700度~800度になってい
たのに気づかずに、前の扉を開けたところ、わっと炎
が飛び出してきて、慌てたこともありました。

 火事をテーマにした昔の映画で、消防士が扉を開け
た途端、部屋の中で爆発が起きて炎が外に吹き出して
くる現象を、バックドラフトということを学びました
が、これぞバックドラフトだと実感しました。

 そんな経験を積んで、大晦日のこの日は、実に心地
よく火を焚くことが出来ました。

 夜もふけた頃、今年60回を迎えたのを記念して、
紅白に初めて登場した60歳の永ちゃんは、見事に歌
詞を間違えていましたが、暖炉の暖かさの中、温かい
気持ちで、間違えてもびくともしない、かっこいい永
ちゃんを見守ることが出来ました。

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トークは今一つ(12月24日)

 24日夜は、東京のホテルで開かれた、高橋真梨子
さんのクリスマスディナーショーに出かけました。

 中高年と言うと叱られるかもしれませんが、この世
代で、今もなお全国ツアーをこなせる女性シンガーと
いえば、思い浮かぶのはユーミンと高橋真梨子です。

 このうち、ユーミンのコンサートは、何度か見に行
ったことがあるのですが、高橋真梨子は、去年までの
十数年間、高知でコンサートを開いていなかったこと
もあって、一度も、ナマの歌を聞いたことがありませ
んでした。

 それが、数日前に知人から誘われて、この夜開かれ
たクリスマスイブのディナーショーを、楽しむことに
なりました。

 いわゆるアラカン(アラウンド還暦)世代で、「来
年で『1』よ」という真梨子さんは、あらわな背中を
革紐で留めただけの、年を忘れさせる(“感じさせな
い”とは書きにくいので)ドレスで、「紐が切れたら
おしまいね」と、笑わせてくれます。

 ただ、トークの方は、途中に「えー」や「うーん」
が連発されて、決してお上手とは言えません。

 これに対して歌唱力は、年期も入ってさすがのもの
でしたが、それに加えて、舞台の照明や、背景に流れ
る映像が、ホテルのショーとは思えない凝りようで、
歌に深みを増してくれます。

 真梨子さんのディナーショーに来ませんかと、声を
かけて下さった方は、こうした舞台づくりの専門家で
したので、ショーがはねた後、「『ごめんね』のバッ
クに流れたエアーショット(空から撮影された映像)
は、有りものの資料映像ですか」と尋ねてみました。

 すると、「それはそうですよ。今晩のためにわざわ
ざ撮っていたら、えらいことになりますもの」と、に
っこり笑い返されてしまいました。

 真梨子さんは、最近は若い世代にもファンを広げて
いるため、大きな会場のコンサートでも、毎回満席だ
ということで、同世代としてはうらやましい限りでし
た。

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ホームランボールのつもりが(12月23日)

 23日夜お会いした、政界の関係者から、事業仕分
けに関する、ちょっと興味ある話を聞きました。

 それは、この方が、必殺仕分け人と呼ばれて話題に
なった、民主党の蓮舫議員から、直接聞いたという話
です。

 私も、高知県の知事当時、今回の事業仕分けと同様
の取り組みをしましたが、事業の目的と手段や、それ
によって期待される効果など、事業ごとに作られた資
料を、読みこなすだけでも大変な作業ですし、それを
もとに議論するのは、さらに骨の折れる作業です。

 ですから、蓮舫さんも、さぞかしお疲れだったろう
と推察していたのですが、予想通り、二日が終わった
ところでくたくたになって、三日目以降は、かなりく
たびれていたといいます。

 そんな中で飛び出したのが、スーパーコンピュータ
をめぐる議論でした。

 「なぜ、世界一を目指すんですか。二位では駄目な
んですか」というせりふは、テレビで繰り返し流され
たこともあって、大いに話題になりました。

 その結果、ノーベル賞受賞者も参戦して、蓮舫さん
は、科学技術の重要性を理解しない、視野の狭い仕分
け人だとぼこぼこにされたのですが、蓮舫さんによれ
ば、実はこの発言は、相手に塩を送るつもりの、ホー
ムランボールだったというのです。

 それはどういう意味かと言えば、「二位では駄目な
んですか」と問えば、相手側の担当者が即座に反論に
出て、なぜ世界一を目指さないといけないかを、説明
してくれると思ったのだそうです。

 そうすれば、その反論を受けて、「わかりました。
それではこの予算はそのままで」と、取りまとめよう
と考えていたというわけです。

 ところが、打席に立った相手チームの打者が、真ん
中高目のホームランボールを、あえなく見送ってしま
ったため、あのような結果になったというのが、蓮舫
さんの言い分だったそうです。

 そこまで深い読みがあったかどうかは、ご本人以外
にはわからないことですが、かつて地方で、仕分け作
業に関わった経験を持つ者には、ちょっと興味のある
話でした。

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神様のお気持ち(12月23日)

 23日午前、お茶をご一緒した、ある神社の神主さ
んから、寒中の修行の厳しさをうかがいました。

 この神社は、高知県の神社ともゆかりの深い、近畿
地方の由緒ある社で、まだ、さほどのお年ではない神
主さんとは、知事時代からの、10年来のおつき合い
になります。

 この日は、久し振りにお目にかかりましたので、何
か季節の話題をと思って、伊勢神宮を流れる五十鈴川
に身体をつける、寒中の禊(みそぎ)について尋ねて
みました。

 聞けば、若手の神主さんの、お伊勢さんでの冬の研
修メニューには、五十鈴川での禊が入っているため、
仲間の神主さんとともに、首まで川に身をひたすので
すが、正直を言えば、とても辛いそうなのです。

 それでも、禊を済ませないと修了証がもらえません
から、我慢して水につかるのですが、参加者の誰かが
気を失って倒れれば、そこで打ち切りになります。

 そこで、神様には申し訳ないことながら、心の中で
は、誰か早く気を失わないかと念じていますと、やが
て身体の弱い人が倒れて、禊は終わります。

 とはいえ、修行はまだまだ続きますので、川からあ
がっても、すぐにタオルで身体をふくことは出来ませ
ん。

 かわりに、大きな声で、決められたご祈祷を唱える
ことで、身体を温めるのです。

 思わず、寒風のもと、水滴のしたたる身体を震わせ
ながら、繰り返しご祈祷を唱える神主さんの姿を、想
像してしまいました。

 ただ、うかがいますと、このように寒中に冷たい水
につかったり、滝に打たれたりする修行は、明治にな
ってから始まったもので、日本古来の伝統ではないと
言われます。

 「第一、寒い時期に水につかれば、心臓に良くない
し、頭から滝に打たれれば、首も痛めるでしょう。だ
から、神様からいただいた身体を、こうして自ら痛め
ることは、神様にも申し訳ないと思うのですが」とい
うのが、小さな声での神主さんの本音でした。

 この他にも、アメリカ在住の霊能力者から、自分の
神社のほこらに住む、子供の神様が怒っていると教え
られて、急いでお祓いをした話など、神様にまつわる
面白い話をいっぱい聞いて、神主さんと神様それぞれ
の、人間味にふれたひと時でした。

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謎が解けました(12月21日)

 21日午後お会いした、中国の青年の話から、先日
の訪中の際に抱いた謎の一つが解けました。

 その謎については、今月2日のこの欄で紹介しまし
たが、先日北京を訪問した際に、練達の技を発揮した
通訳が、中国の政府系エコノミストの話を訳す際に、
「小異を残して大同につく」と表現したのです。

 普通日本では、「小異を捨てて大同につく」と言い
ますので、このエコノミストが、わざわざそうした表
現をしたのか、それとも、もともと中国語では、「捨
てて」ではなく「残して」と表現するのかと、謎を抱
いたわけです。

 この日お会いした中国の青年は、日本語に極めて堪
能な方ですので、頭に引っかかっていたこの謎を、問
いかけてみました。

 すると、周恩来元首相が好んで使った言葉に、「求
同存異」といった言葉があるので、そのエコノミスト
も、この言葉を使ったに違いないと言います。

 だとすれば、「存」は残すという意味なので、中国
語をそのまま訳すなら、「小異を残して」という表現
が正しいことになる、というのが彼の答えでした。

 なるほど、そうなのかと思いながら、「でも、残す
と捨てるとでは、ニュアンスが違いますね」と投げか
けますと、「国民性の違いでしょうが、日本流に小異
を捨ててと言う方が、小さなことにこだわらない清々
しさがありますね」と、日本流の表現を持ち上げてく
れました。

 といったことで、当初の謎は解けましたが、それで
は、なぜ日本では、「捨てて」と言うようになったの
か、また新たな謎が生まれました。

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不思議なデモ風景(12月18日)

 18日昼、中国の女性と国際結婚されている方と、
昼食をともにする中で、日中両国の、ネット右翼と呼
ばれる人たちの動静が話題になりました。

 ネット右翼というのは、インターネット上に、右寄
りの発言を書き込む人たちのことですが、日中両国の
若者の中には、こうした考え方を持った人が、少なか
らずいます。

 先日、若者の政治参加をサポートしている方からう
かがった話では、ヤフーが定期的に実施している、年
代別の政党支持率を見ると、自民党は、30代以上で
はのきなみ10パーセントを切っているのに対して、
20代だけは10数パーセントと、他の年代に比べる
と、2倍もの支持があるといいます。

 それだけ、ネット右翼の影響を受けて、狭い意味で
の保守に、共感を抱く若者が増えてきているからだろ
うというのが、この現象の原因の分析でした。

 同じように中国でも、反日教育を受けた世代を中心
に、ネット右翼の動きが活発ですが、この日昼食をと
もにした方は、中国の右翼は、外国を知らない人がほ
とんどなので、見聞が広まっていけば、考え方も変わ
ってくるといいます。

 その点では、日本のネット右翼も同じだろうといっ
た話をしているうちに、この方が、ネット右翼と言え
ば、この間不思議な光景を見たと、ある日の目撃談を
話してくれました。

 それは、中国の習近平副主席が、天皇陛下と会見す
るに至った経過に抗議する人たちが、デモをした時の
様子でした。

 街頭宣伝用の戦闘服に身を包んだ、古典派の右翼と
並んで、お宅風ファッションの、ネット右翼の青年が
歩いていたのだそうです。

 同じ隊列でデモ行進をしているものの、お互いどこ
かしっくりこない様子で、なんとも不思議なデモ風景
だったといいます。

 いかにも今風な光景で、想像するだけでも頬がゆる
んでしまいますが、話を聞くうちに、一度、その現場
を見てみたい気がしました。

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