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2010年4月

2010/04/25

魚へんはまぎらわしい(4月22日)

 22日夜、ツイッターで、僕宛につぶやいてくれた
方の文章を読み間違えて、とんだ返事をしてしまいま
した。

 そのつぶやきは、「そろそろ鰹があがり始めていま
すね」というものだったのですが、てっきり「鯉」か
と見間違えたのです。

 というのも、一昨日から昨日にかけて、講演で岡山
に出かけた時、その会場で、鯉のぼりと吹き流しを見
たからで、「鰹があがりはじめて」を見たとたん、頭
の中には、鯉のぼりが泳いでいました。

 このため、「さすがに東京ではまだ見られません」
と、つぶやき返したのですが、後になって、相手の方
のつぶやきが、鯉のぼりでは話が合わないことに気が
つきました。

 それは、「鰹があがり始めていますね」に続くフレ
ーズが、「純米酒『酔鯨』で晩酌も楽しめそう」と、
なっていたからです。

 どう考えても、鯉のぼりと純米酒は結びつかないと
思って、目を細めて確かめてみますと、あがり始めた
書いてあるのは、「鯉」ではなくて「鰹」でした。

 そこで、これはすぐに書き直さねばと思って、もう
一度読み返したのですが、「東京ではまだ見られませ
ん」は、鰹でも通用しないこともないので、ぎりぎり
セーフかと自己採点してしまいました。

 それにしても、魚へんはまぎらわしいなあと、目の
衰えを、魚へんのせいにして一件落着です。

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消えたアオサ(4月20日)

 20日夜、夕食を共にした中国の企業経営者から、
あれやこれやの話を聞きました。

 中国の青島市に拠点を置く、この方の会社は、もと
もとは、食品の加工や飲料を、経営の主体にしていま
した。

 ですから、ひと昔前までは、日本向けの冷凍食品を
はじめ、中国の国内を対象にした牛肉の生産など、輸
出品も国内向けも、食品に関わる分野が主でした。

 しかし、5年前からは、オーストラリアやアメリカ
から羊毛を、また2年前からは、インドやアメリカか
ら綿花をと、幅広く原料の輸入に力を入れていると言
われます。

 この他、世界各国向けの自動車のタイヤも、その多
くが中国で作られているため、マレーシアやタイから
の、ゴム輸入にも進出したとのことでした。

 というのも、中国政府が経済政策を、貿易から内需
の拡大へと転換しているからで、この会社が本来専門
としている食品加工のほか、インフラ整備や観光旅行
業の分野に、政府の後押しがあるといいます。

 このため、将来的には、鉄とコンクリートが不足す
ることは確実で、この方は、鉄鉱石の輸入にも意欲的
でした。

 こんな話を聞いていますと、内需に転換した中国が、
世界の原料を買い占めている状況が実感できますが、
こうした大転換の中で、成長率をある水準に保ってい
けるのも、共産党の統率力があるからだと、至極ごも
っともな意見です。

 そうした、党の統率力に関する話の中で、なかなか
興味あるエピソードを紹介してくれました。

 それは、一昨年に開催された、北京オリンピックの
時の話で、この方の地元の青島では、ヨット競技が開
催されました。

 ところが、開催を前に、会場付近の海に、大量のア
オサが発生して、海辺を埋めつくしてしまったため、
青島のある、山東省の漁船が全て駆り出されて、アオ
サの除去にあたったのですが、その作業のさ中に、胡
錦涛主席が視察に訪れることになりました。

 その視察の日、なんとアオサが全て姿を消したとい
うのです。

 さすが、主席の力はすごいという話になって、主席
もご満悦だったそうですが、後で聞くとアオサは、海
水温が一定の温度を越すと、自然に消えてしまうこと
がわかりました。

 このため、まさにアオサが消えるという時を見計ら
って、胡錦涛主席の視察を仕込んだのではないか、と
いう噂になったそうで、そうだとすれば、これまた見
事な伝説づくりだと感心しました。

 これもまた、統率力を維持するための、大切な戦術
かもしれません。

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最後はそろって押忍(4月18日)

 18日夜、新宿のホテルで開かれた、空手の国際大
会の懇親会に出席しましたが、ここにも火山噴火の影
響が出ていました。

 これは、ポイント・アンド・ノックアウトという、
直接身体に触れるルールの、空手団体が開催する大会
ですが、縁あって、応援団の一角を務めているため、
夜の懇親会に呼ばれました。

 会場に行ってみますと、主催者の奥様が、忙しそう
に駆けまわっておられます。

 聞けば、アイスランドでの火山の爆発の影響で、飛
行機が出なかったため、来日出来なくなった選手が何
人かいたとのことで、大会の運営にもご苦労があった
ようなのです。

 それでも、無事大会も終わって、懇親会では、司会
者から紹介を受けた各国の選手と役員が、次々と壇上
に上がって、挨拶を始めました。

 ところが、英語の出来ない選手もいるため、ロシア
語からフランス語経由の英語を、日本語に訳すといっ
たように、国際大会にふさわしい雰囲気が漂います。

 といったわけで、ポーランド語、イタリア語、ポル
トガル語等など、会場には、幾つもの国の言葉が流れ
ましたが、そんな中で一つだけ、誰もが使う共通の言
葉がありました。

 それは、交差させた腕を開きながら、気合い一杯に
繰り出す、「押忍(オス)」の一声です。

 壇上のオスを聞きながら、何事にも、最後の決め手
を持っているのは強いなあと感心しました。

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2010/04/19

雨天の友(4月17日)

 17日午前、小雨のまじる中、東京の新宿御苑で開
かれた、鳩山総理主催の「桜を見る会」に出席しまし
た。

 午前8時半開場という、なんでこんな早い時間にと
思うような設定で、会場に入ると、都心では40何年
ぶりという、昨夜来の雪の名残が、まだ芝生の上に、
うっすらと張り付いています。

 空はどんより肌寒く、小雨も降りやまずの状態で、
御苑の自慢の八重桜も、咲き切れないのか縮こまった
のか、どこか勢いがありません。

 足元では、はいた靴が悪かったのか、ぬかるんだ水
気が足先からしみ込んできて、なんとも言えない不快
な心地です。

 それでも、せっかくなので、総理夫妻の顔くらい拝
んでいこうと、メインのテントを遠巻きに囲んだ、ロ
ープの脇に立つと、隣にいた女性は、この天気なんだ
から、少し早く出てきてくれればいいのにと、早くも
いら立ち気味です。

 そうこうするうちに、遠くの方から、総理の挨拶の
声が、かすかに聞こえてきましたが、周辺に立ち並ぶ
皆さんからは、冷たくて足がしびれてきたなど、辛そ
うな訴えが相次ぎます。

 総理の奥様が到着されてから数分後、ようやく総理
が姿を見せましたが、取り囲むSPさんらの数が半端
ではありませんので、ゲストの芸能人らと一緒に、記
念撮影にのぞむご夫妻を、カメラにおさめようとして
も、とても撮れる状態ではありません。

 長い時間待たれていた女性の中には、昨日から泊ま
りがけできたのに、総理の顔もよく見れなかったと、
残念がる方もいました。

 こんな光景を見ながら、天皇・皇后両陛下の警備な
ら、もう少しフランクで開放的だがなあと、要人警備
の違いに思いあたりました。

 と同時に、こうした場所で、主人公の顔を十分に拝
めるかどうかは、慣れと運の問題ですので、ある程度
やむを得ないのですが、もう少し気配りをする、プロ
デューサーがいればいいのにと感じました。

 帰りがけ、御苑の正門に向かう途中で、たまたま車
を降りた鳩山さんに、声をかける機会がありました。

 とても嬉しそうな顔をして、手を握ってくれました
ので、「またいつか、一緒に飯を食おう」と、投げか
けて別れました。

 遠くから、かすかに聞こえた挨拶の中で、鳩山さん
が、雨の時に集まってくれる「雨天の友」こそが、本
当の友だといった話をしたと聞いたのは、後で見た、
テレビニュースでのことでした。

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キャリア負け(4月16日)

 16日午後、早稲田大学の大学院で、2回目の授業
をしましたが、自己紹介してもらった受講者の、キャ
リアの豊富さに驚かされました。

 この4月から、大学院の公共経営研究科というとこ
ろで、15回にわたる授業を受け持つことにしたので
すが、1回目の今月9日は、自分のパーソナル・ヒス
トリーを話しましたので、この日は、受講して下さっ
た10人余りの方々に、自己紹介とあわせて、なぜ僕
の授業を聞こうと思ったかを話してもらいました。

 すると、県庁や市役所勤務の方や、そのOBはもち
ろんですが、海外でコンサルの経験を持つ方、外資系
の投資銀行でアナリストをしていた方、さらには、マ
ーケットニュースを扱っている方など、そうそうたる
キャリアの方ばかりでしたので、それを聞いているう
ちに、かなり気おくれを感じてしまいました。

 そんな中で、面白いというと失礼ですが、そういう
方もいるんだなと感心したのは、これまでは、西洋哲
学を学んできたという青年でした。

 この方は、信州のある市の出身ですが、プラトンが
好きで、その後も、ルネッサンス期などの、哲学の研
究を愛してきました。

 しかし、東京に暮らしているうち、地元にいた時に
は気づかなかった、地方の元気のなさが気になって、
何か自分に出来ることはないかと、哲学からの転向を
決意したというのです。

 それぞれの方の、熱い思いを書きとめながら、さら
に、肩の荷が重くなるのを感じました。

 帰りがけ、その中のお一人が投げかけて下さった、
今2歳の自分の子どもが大人になる時、この国はこの
ままで大丈夫かという重い質問も、ずっと、胸の中か
ら消えることはなそさうです。

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3回もは駄目よ(4月12日)

 12日午後、あまりに肩こりがひどいので、マッサ
ージ機を買おうかと、渋谷の家電量販店にでかけまし
た。

 僕は以前から、肩こりがひどいため、前日、義姉の
家を訪ねた時も、マッサージ機をガンガンと使ってみ
ました。

 すると、少しは楽になりましたので、この日、マッ
サージ機の売り場を訪ねてみたのです。

 妻と、これかあれかと話をしているうち、若干面識
のあるおばさまの店員さんが、相談に乗ってくれまし
た。

 そこで、マッサージ機を3回使ったら、少し楽にな
ったのでと話しますと、1日1回が原則で、そんなに
続けて使っちゃいけませんと、厳しく指導してくれま
す。

 やはりそうかと思いつつ、ある機種の購入を決めた
のですが、なんとこの日の夕方から、右の肩の奥が痛
くなってきました。

 3回続けてマッサージ機を使うという、暴挙のつけ
がまわって、もみ戻しが起きたのでしょうが、これか
らは、十分に気をつけようと肝に銘じました。

 そう言えば、昔学校で教わった古文の中に、何事に
つけ、「先達のあらまほしけれ」というのがありまし
たね。

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2010/04/18

桜さくら(4月11日)

 11日昼は、妻と一緒に、青山墓地から東京ミッド
タウンへと、自宅周辺の桜を見に歩きました。

 外苑西通りという、道路の上を通る橋の上から見ま
すと、山盛りの桜越しに、六本木ヒルズとミッドタウ
ンのビルが見えます。

 ただ、こうして並べて眺めると、同じディベロッパ
ーの作品ながら、デザインに統一性がないのがわかっ
て、少し気になりました。

 出かける前には、もう終わりかけの名残かと思って
いたのですが、まだ満開の桜もあって、ちょうど散り
始めといった風情です。

 青山墓地の桜並木では、はらはらと散る花びらが、
道路に絨毯を染めるようで、咲いても散っても、魅力
的な花だと実感させます。

 ミッドタウンで、遅い昼食をした後、中にある公園
にまわりますと、そこに、足湯があるのに気がつきま
した。

 妻に、「入ってみるかい」と言いましたが、「駄目
よ、ストッキングはいてるから」と、即座に却下され
てしまいました。

 帰りは少し道順を変えて、美術館の中を抜けました
が、歩いてみると色々な光景が見えてきます。

 そんな中で気づくのは、同じ世代の夫婦連れや、中
高年の女性のグループが多いことで、少子化が進む中
で、休日の光景も、次第に変わっていくのではと感じ
ました。

 桜さくら、また来年もよろしく、みんなを楽しませ
て下さいね。

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87歳のハグ(4月6日)

 6日までの4日間は、2月末に続いて、宮崎市の妻
の母のもとを訪ねました。

 これは、6日の午後、宮崎市内で講演の予定がある
ためで、それならと3日午後、宮崎に入りました。

 妻の弟夫婦が、大阪から来ていましたので、夜は義
母を含めた5人で、お得意の回転寿司に出かけました
が、久し振りに、二家族がそろったことが嬉しかった
のか、義母も次々とお寿司を頬張ります。

 弟夫婦はその足で、車で大阪に向かいましたが、大
阪に移る前は、愛知県で仕事をしていたため、87歳
の義母には、ずいぶん近くに越してきたという印象が
強いのです。

 このため、別れ際にも、「明日は無理かもしれない
けど、またあさってでも来るかい」と声をかけて、弟
夫婦を困らせていました。

 5日の夜は、義母を家に残して、お花の関係の女性
陣と会食をしましたが、そんな席でも、政治の話が花
盛りで、「昔は、私らが集まっての話は、嫁の話か孫
自慢だったけど、今は政治の話よ、それが良いのか悪
いのか」という会話が、世間の雰囲気を象徴している
ようでした。

 講演当日のこの日、講演先から、そのまま空港に向
かう予定でしたので、出発前に義母に、「また来るか
らね」と声をかけますと、僕に抱きついて、「また来
てね、待ってるからね」と言います。

 初めてのことでしたので、「うん、もちろん」とう
なずくだけでしたが、87歳での一人暮らし、気丈な
義母も、寂しさがつのるのだろうと思うと、胸がつま
りました。

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新内流しでお花見を(3月27日)

 27日午後、深川・富岡町の割烹で開かれた、新内
流しを聞きながら桜をめでる会に出席しました。

 この会は、この1月にある所で出あった、木材商の
方から、お誘いをいただいたもので、お店の二階のお
座敷には、木材関係を中心に、20人余りの方々が集
っています。

 廊下越しの窓の下は、桜並木の並ぶ川岸ですが、寒
い日が続く中、ようやく蕾がほころび始めた感じで、
満開のお花見とはいきません。

 そんな咲き始めの桜を眺めていますと、古くから材
木商を営んでこられたという方が、「この川は大横川
というんですが、江戸城から海を見て真横に流れてい
るために、この名がついたんです」と、由来を話して
下さいます。

 昔は、この大横川を、材木を組んだ筏が行き来して
いたと聞くと、想像するだけで、ノスタルジックな雰
囲気を味わうことが出来ました。

 しばらくすると、新内の語り手を乗せた小舟が、川
を下ってきました。

 桜が満開でなかったおかげで、新内流しの舟がよく
良く見えるねえと、前向きなつぶやきが漏れる中、新
内流しの声が川面を伝わってきます。

 お座敷での宴も盛り上がってきた頃、お客さんの中
からも、小唄を披露したいという方が現れました。

 早速、地元のお姉さんが、お三味で伴奏となったの
ですが、御年90歳のお姉さんとあって、音合わせも
今一つスムースに進みません。

 ようやく始まったかと思うと、糸がゆるんだといっ
て出直しに、それを何度か繰り返すうち、お姉さん、
ついに三味線を持ち直して、柄のところを見つめ始め
ました。

 どうしたのかと思うと、糸が切れてしまったとのこ
とで、お姉さんは、何とかしようと奮闘中でしたが、
かたわらのおじ様は、ついにしびれを切らして、伴奏
なしで唄い始めました。

 木場の風情を残す運河に新内流し、川沿いに連なる
桜の並木から、90歳のお姉さんが手にした、糸の切
れた三味線まで、すべてが、心地よい演出に感じられ
ます。

 それだけに、割烹のおかみさんが言っていた、「桜
の季節だけは、こうして賑わうけど、後は寂しいもん
ですよ。うちもいつまでやってられるか」という言葉
が、とても気になりました。

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愛されていないと知った時(3月25日)

 25日午後、都内のスタジオでお会いした、女流の
マンガ家から、日本と韓国・中国の、女性の反応の違
いについて、面白い話を聞きました。

 この方は、マンガを通して、アジア諸国の文化交流
に努めている方ですが、マンガが、いかにお互いの心
の壁を崩していくかを、実感したことがあるといいま
す。

 それは、ある韓国の青年の話で、子どもの頃から、
日本のマンガやアニメが大好きで、その影響を受けて
育ちましたが、子どもの頃は、それが日本製とは知り
ませんでした。

 逆に、学校などでは、日本はひどい国だと教えられ
ていたため、日本に対しては、強い反感を持っていま
した。

 このため、大人になってから、子どもの頃に楽しん
でいたマンガやアニメが、日本の文化だったと聞いた
時に、自分は、日本人と同じ感性を持っているのかと
気づいて、強い衝撃を受けたそうです。
 
 しかし、それがきっかけで、日本を訪問することに
なって、今では、お互いの国の理解を深めるために、
活動するようになりました。

 こんな例を紹介されながら、多様性を受けとめるこ
との大切さを、お話して下さいましたが、そうした活
動をする中で、日本と韓国・中国の、女性の反応を取
材したと言われます。

 「そうするとね、やっぱり日本の女性は弱いのよ」
と、いかにも意味ありげです。

 何かと思って耳を傾けると、相手の男に愛されてい
ないと知った時、女性がどうするか、日本と韓国と中
国では、それぞれ対応が違うというお話でした。

 「愛する男に愛されていないと知ったら、日本の女
は泣く、韓国の女は怒る、だけど、中国の女は、すぐ
次の男を探しにかかるのよ」というのが、この方の分
析で、その場にいた中国の男性は、「あたっているか
もしれませんね」と、苦笑いしていました。

 マンガを通しての国際交流も、女性の手になれば、
その広がりは無限です。

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