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2010年9月

2010/09/24

「けんき」なお母さん 

 敬老の日をはさんでの休日を、宮崎市で一人暮らし
をしている、妻の母の家で過ごしました。

 今年87歳になる妻の母は、電話で「元気ですか」
と尋ねますと、「元気とまでは言えんけど、まあ“け
んき”くらいかね」と答え返すなど、まだまだしっか
りしたものですが、この年齢で一人暮らしをしていま
すと、自然ともの忘れも進んできます。

 このため、宮崎県内で、続いて2つの講演があった
のとあわせて、義母の家に4泊しました。

 きっと、誰かと話がしたいという思いが、たまって
いたのでしょう、着いた日の夕方には、何度か聞いた
ことのある昔話を、速射砲のように、一気に話してく
れますが、こうすることで、脳の回転数が、再びあが
っていくのだろうと思って、しっかりと話に耳を傾け
ました。

 三日目には、もち米がたくさんあるので、ぼた餅を
食べないかと言いますので、きな粉と黒糖を買ってき
ますと、妻と二人で、美味しいぼた餅を握ってくれま
した。

 昔から、ぼた餅の類は大好きですので、5つ6つと
ペロリと食べますと、義母は、良かった良かったと、
大層喜んでくれました。

 その義母が、買い物などに出かける時、いつもつき
合ってくれている、馴染みのタクシーの運転手さんが
います。

 今回も、夫婦でお墓参りに出かけるにあたって、こ
の運転手さんにお願いしたのですが、妻との会話のや
り取りを聞いていた彼に、「こりゃあ、完全に尻に敷
かれちょるね、こんな現実を知ったら、大ちゃんの講
演は、おかしくて聞けんね」と、からかわれてしまい
ました。

 運転手さんの話では、義母を連れてスーパーに行く
と、一緒に買い物をさせられるとのことでしたが、そ
んな義母のわがままを、喜んで聞いてくれていること
に、心から感謝をしました。

 敬老の日の本番、義母には、地元の自治会から、お
祝いの品が届きましたが、わが夫婦には、孫から電話
がかかりました。

 見ると、携帯を手にした妻が、「あっ、どうも有難
う」と、戸惑った声を出しています。

 後で聞くと、孫たちが、「おばあちゃん、おめでと
う」と言うので、誕生日でもないのに、何がおめでた
いのかと思っていると、「敬老の日、おめでとうござ
います」と言われて、うっと言葉がつまったというの
です。

 わが夫婦にとっては、義母が敬老の対象ですが、孫
から見れば、ともに60歳を超えた祖父母は、立派な
敬老の対象なんだと、妻と顔を見合わせて、苦笑して
しまいました。

 ただ、幸いにして我々は、元気そのものですので、
まずは、義母が「けんき」であり続けるように、見守
っていきたいと思います。

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メディカル・ツーリズムの可能性

 大阪で、ある法人が主催した、健康関連のフォーラ
ムに参加した夜、その法人の理事長から、医療にまつ
わる、様々なお話を聞きました。

 理事長は医師ですが、長い間、病院の経営に専念さ
れていたため、新しい薬のことなどは、よくわからな
いと笑われます。

 その分、経営に力を入れてこられたため、すでに、
グループ全体では、3000人を超える規模に育って
います。

 いつも、将来のことを考えているので、過去のこと
は、昨日のことでも次々忘れてしまう、という理事長
ですが、将来に向かっては、練りに練ったビジネスモ
デルが出来あがったと、胸をはります。

 その一つは、上ものの病院経営と、下地の土地の運
営とを分ける、上下分離での経営、もう一つは、20
パーセントの顧客が、80パーセントの収益をもたら
すという、顧客管理のリテラシーの確立ですが、それ
以上、詳しいことはわかりませんでした。

 理事長の話を聞いていて、なるほどと思ったのは、
医師会のことで、ダイエーと町の商店が、同じ組織の
中にいるのは、おかしいと言われます。

 それは、グループを形成する病院から、小さなクリ
ニックまでが、一緒の組織に入っているからですが、
クリニックはおろか、すでに病院同士の戦いも終わっ
て、これからは、病院グループ同士の競争だと予測さ
れます。

 また、理事長は、中国との縁も深いのですが、日本
の経済発展が50年のスパンだとすれば、中国の発展
は、10年スパンで進んでいるいると言われます。

 それは、医療の面でも同じで、アメリカなどで学ん
だ技術が磨かれてきているため、先端的な部分では、
日本をしのぐのは間違いないとの診立てです。

 そうした意味から、中国から富裕層を呼びこんで、
日本で医療を受けてもらおうという、メディカル・ツ
ーリズムの構想は、現実的ではないと、理事長は批判
されます。

 それどころか、これからは、逆に日本から中国に、
医療を受けに行く時代になるというのが、理事長の指
摘で、果たしてそうなるのだろうかと思いながら、医
療の将来を考えてみました。


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2010/09/22

今時の若い者はと言わないで

 9月の中旬、講演で宮崎県に出かけた際、JRの駅
の売店で買った週刊誌の記事が、様々な思いを、呼び
起こしてくれました。

 この日、延岡市での講演を終えて、日豊線で宮崎市
に帰る時、延岡駅の売店で、ある新聞社系の週刊誌を
買いました。

 その中に、新聞記者のOBが書く、コラムがありま
したが、その方は、東京の小料理店に出かけた時、ア
ルバイトをしていた女子大生が、新聞記者を志望して
いると聞いて、新聞は何を取っているのかと尋ねまし
た。

 すると、その学生は、新聞は、時たま図書館で読む
だけで、一紙も取っていないと答えました。

 このため、そのOBは、大学生が新聞を読まないと
いう話は、以前から聞いていたから驚かないが、新聞
社を希望する学生まで新聞を読まない、そこまで来て
いるのかと嘆きます。

 そこで、その記事の内容を、ツイッターでつぶやい
たところ、それは、学生の側がひどいという反応と同
時に、そのOBの受けとめ方が、時代遅れだという指
摘を、何件か受けました。

 それで思い出したのは、以前、サントリーの社長さ
んに、うかがった話です。

 それは、やはり就職に関することでしたが、他の重
役とともに、社長面接をした際、受験した大学生の中
に、サントリーが、ウィスキーを作っていることを知
らない学生がいて、愕然としたというのです。

 その学生は、サントリーは、サプリメントや花を作
っている会社だと、思っていたようですが、創業家の
社長としては、ショックでしたので、こんな学生は採
用すべきではないと、主張されたそうです。

 ところが、重役の中には、サントリーはウィスキー
メーカーだという、固定観念を持たない若者だからこ
そ、新しい分野に挑戦できる、こういう学生こそ採用
すべきだという声があって、そういう時代かと、つく
づく思ったとのお話でした。

 ひるがえって、新聞社の件ですが、広告収入が激減
している上、購読者数も減っていますので、紙の媒体
を、そのまま使うにしろ何にしろ、新しいビジネスモ
デルが欠かせません。

 そういう時代に、それでも、毎日熱心に新聞を読む
という、奇特な学生も必要とは思いますが、それにも
増して、今のシステムにこだわらない、自由な発想の
出せる人材が、求められていると思います。

 ただ、使う媒体や、収益をあげる構造は変わるにし
ても、記者にとっての取材の原点や基礎は、将来も、
変わることはないでしょう。

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新製品の売り出しは

 民主党の代表選挙の結果と、その後の、菅政権の動
きを見ながら、民主党政権の下での、ヒット商品の変
遷を考えてみました。

 鳩山内閣の下でのヒット商品は、言うまでもなく、
去年11月の事業仕分けで、あの時には、やる方にも
見る方にも、かなりの高揚感がありました。

 その後、支持率が低迷し始めた時に、事業仕分けを
仕切ってきた枝野さんを、新たに大臣として入閣させ
たのも、あの時の輝きを今一度との、期待感の表れだ
ったと思います。

 それでは、総理が菅さんにかわってからの、ヒット
商品は何かと言えば、それは「反小沢」でした。

 そもそも、鳩山さんが総理を退任して、菅政権が誕
生した時、内閣の顔ぶれは、ほとんど変わっていない
のに、それまで、20パーセントまで落ち込んでいた
内閣支持率が、一気に60パーセント余りと、40ポ
イント以上もはね上がりました。

 その理由は何かと考えてみますと、このうち、15
~20ポイント近くの上乗せ分は、菅さんが、小沢さ
んと距離を置く姿勢を明確にしたことへの、評価に他
なりません。

 ですから、菅政権にとっては、この「反小沢」こそ
が、事業仕分けにかわる、大ヒット商品だったわけで
すが、今回の代表選挙の結果を見ますと、このヒット
商品の魅力が、まだまだ健在なことがわかります。

 それとともに、菅政権は、鳩山さんの、普天間問題
に関する、県外か国外にといった発言や、自らの消費
税をめぐる発言など、一歩踏み込もうとしたことが、
あまりうまくいかなかったという、経験を持っていま
す。

 このため、しばらくは、「反小沢」を表の棚に並べ
たまま、ほとぼりが冷めるまでは、あつものに懲りて
なますを吹くの、戦法かもしれません。

 さて、それでは、「反小沢」に続く、次なる新製品
の売り出しは果たしていつか、また、その中身は何か
と、興味がわいてきます。

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さわれる地球儀

 9月中旬に、東京のホテルで開かれた、環境関連の
フォーラムで、話題の手でさわれる地球儀を使った、
地球の生い立ちを語る解説をうかがいました。

 解説をして下さったのは、このさわれる地球儀を作
られた、京都の大学の先生で、まず最初に、地球上に
水があることが、太陽の熱を吸収して、地球の気候を
温和に保つための、バッファーの役割をしているとい
う、地球にとっての、不都合ならぬ、好都合な真実を
説明して下さいます。

 このため、水のない月は、太陽の当たる所と、当た
らない所で、温度が激しく変わるのに、地球にはその
激しさがない、まさに月とすっぽんだと、時折洒落も
かまされます。

 また、温室効果がなければ、地球の表面の温度は、
マイナス18度になるはずなので、現在の地球にある
現実は、宇宙では、他には在り難い、存在しがたい現
実なのだと教わりました。

 さらに、光合成によって作り出された酸素が、紫外
線とぶつかって、オゾン層が出来たことから、UVカ
ットが実現して、生物は海から上がって、陸に棲める
ようになりました。

 その一方で光合成は、大気中の炭素を固定化して、
炭酸ガスの比率を下げると同時に、化石燃料など、現
在の経済を支える資源をもたらしました。

 この有難くて在り難い、地球という存在が、我々人
類の活動にかく乱され、炭素の循環にも、狂いを生じ
てきています。

 これらのことを、大きな地球儀に、手を触れながら
解説された後、人類初の大革命である農耕革命も、大
きな気候変動が背景になっていたと指摘されます。

 だから、今回の気候変動は、農耕革命と産業革命に
続く、人類史上三番目の、大革命を呼び起こすチャン
スになり得るというのが、先生の締めの言葉でした。

 こうして、地球の生い立ちをめぐる、解説を聞き終
わった後、大人もいいけれど、是非子どもたちに、見
せて聞かせてあげたい授業だと思いました。

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あわただしく沖縄へ

 9月初め、久し振りに沖縄を訪ねましたが、実質的
には一泊の、中身の詰まった旅でした。

 沖縄に行った、そもそもの理由を説明しますと、何
だそれはと言われそうですので、それは省きますが、
夜遅く那覇空港に到着した翌日、沖縄訪問の理由とも
若干関係のある、本島の東南部の、「斎場御嶽(せー
ふぁうたき)」を訪ねました。

 ここは、琉球王朝の国王が、沖縄県内に三つある、
神の宿る島の一つ、「久高島(くだかじま)」を遥拝
する時に使った祈りの場所で、最近では、パワースポ
ットとして人気を呼んでいます。

 神秘な趣きのある、見上げるばかりの二枚の大岩の
間を抜けると、そこは海に臨む遥拝所、そこから、聖
なる島を拝んできました。

 その夜は、沖縄料理を堪能しましたが、ハンダマ、
スーチキー、スク、ヒラヤチ、ナーベラ等など、沖縄
ならではの食材が、次々と卓上に並びます。

 それをいただきながら、沖縄の要人から、数々の課
題をうかがいました。

 数字を聞いて、そうなのかと思ったのは、沖縄の経
済が、米軍基地に依存する度合いでした。

 聞けば、沖縄のGDPに占める基地関連の比率は、
5.4パーセントなので、その数字からも、沖縄県の
経済は、基地で支えられているわけではないと、わか
るはずだと指摘されます。

 あわせて、一般的に言って、本島の南側にある基地
が返還されると、その跡地利用による経済的効果は、
大変大きいので、普天間の返還は、その意味からも、
特に急がれる課題だと言われていました。

 とはいえ、普天間基地の返還は、その危険性を取り
除くことが、第一の目的ですから、返還がすぐには進
まないとしても、基地に隣接した小学校の移転を、ま
ずは急ぐべきではないかというのが、この方のご意見
でした。

 一方、普天間基地の、当面の移転先として検討され
ている、辺野古地区を抱える名護市は、経済的にも、
かなり落ち込んでいるといいます。

 こんな話を聞いていると、、原理主義に流れない、
中長期を見通した対応が、ますます大切な時ではない
かと、感じられてきました。

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為替レートを決める力

 円高など、最近の為替の動きと絡めて、アメリカや
中国とのつき合い方を考えてみました。

 アメリカとの関係では、安部内閣の下で、円安が大
きく進んだ時に、円安の流れを少し修正するために、
ドルを売ってはどうかと、進言した人がいました。

 それは、円安の時にドル売りをしておけば、日本は
円高だけでなく、行き過ぎた円安を抑えるためにも、
為替市場に介入をする、バランスのとれた為替レート
を求める国だというメッセージを、内外に知らせるこ
とが出来ると考えたからです。

 また、そうすれば、円高になった時に、ドルを買い
やすくなるという意味も含まれていましたが、その時
は、目前に迫った参議院選挙が、差し迫った課題だっ
たため、円安から円高に振れて輸出が鈍ると、選挙に
も、悪い影響を与えかねないという不安から、この提
案は受け入れられませんでした。

 このため、今回のような円高に際して、日本が単独
でドル売りに入ると、ドル安を容認しているアメリカ
の懐に、日本が手を突っ込む形になるため、介入に際
しては、一層の外交力が必要になるという、事情もあ
るようです。

 一方、アメリカは中国に対して、海外への輸出を伸
ばすため、人民元の為替レートを、実力よりも低く抑
えているとの、批判を強めています。

 また、当の中国の国内も、人民元の切り上げによっ
て、産業構造の脱皮を図るべきだというグループと、
ここしばらくは、輸出型の経済を維持する中で、国内
の貧富の差を縮めて行きたい、というグループに分か
れていて、これが、次期の主席と首相の選考にも、影
響を与えるかもしれません。

 さらに、その中国は、リーマンショックで経済的に
落ち込んだ、スペインやアイルランドに、救済の手を
差し伸べ始めていますが、これは、ヨーロッパへの橋
頭保を築くための、最初の一歩にほかなりません。

 こう考えてみると、為替レートはもとより、世界の
経済の流れは、そのまま、国際政治や外交の力と、密
接につながっていることを実感します。

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総理退任の慰労会

 民主党の代表選挙が、告示される前日の夜、前総理
の鳩山由紀夫さんと、食事をともにする機会がありま
した。

 鳩山さんは、小学校の同級生で、それ以来、長いつ
き合いがありますので、彼が総理を退任した後、もう
一人の友人と語らって、ご苦労さまでしたという慰労
会を、開くことにしました。
 
 ところが、日程が延び延びになって、ようやくこの
日になったのですが、この夜は、鳩山さんが仲立ちを
しようとした、菅さんと小沢さんの手打ちが、失敗に
終わった直後でしたので、まずは、その話に花が咲き
ました。

 対決を避けようと考えた理由は、小沢さんをこれ以
上追い込むと、何をするかわからないので、それが恐
かったとのことでしたが、前の日の午後。菅さんと会
談した時には、菅さんの方から「有難う」と、握手を
求めてきたため、てっきりこれで、対決は避けられた
と思ったと言います。

 しかし、それが間違いで、ひと夜のうちに、菅さん
の気持が揺れ動いたため、詰めが甘かったと悔やんで
いました。

 その結果、雌雄を決することになった二人の中で、
鳩山さんは、小沢さんへの支持を表明しましたが、彼
が総理を辞めた理由を聞くと、小沢さんを支持するこ
とには、率直な疑問がわきました。

 というのも、鳩山さんは、6月に辞任を表明した際
には、普天間の問題と、お母さまから受けた政治資金
のことを、ともに理由にあげたのですが、この日あら
ためて尋ねますと、普天間の問題は、まだやりようが
あったと述懐します。

 これに対して、ボディーブロウで効いたのは、母親
から受け取った政治資金の件で、これが、参議院選挙
を前に辞任を決断した、唯一で最大の理由だったと言
うのです。

 ただ、そうであれば、同じ政治とカネの問題で、起
訴される可能性のある人を、さらには、9割を超える
国民が、十分な説明がなされていないと、批判してい
る人を支持することは、誰の目から見ても納得出来ま
せん。

 このことは、鳩山さんに、噛んで含めるように話し
ましたが、彼の胸に、どこまで響いたかはわかりませ
んでした。

 また、国際関係の話題では、「アメリカとの仲が、
悪化したと言われるけれど、少なくとも首脳同士は、
信頼関係を築けていたと、ある事例を引きながら、自
信ありげでした。

 一方、中国が絡んだ話では、中国資本が、日本の企
業を使って、国内の森林を買い付けているという、世
間では結構知られた話を、全く聞いたことがないと言
います。

 相手の国のいかんを問わず、山林を購入すれば、そ
こから、自由に地下水を汲み上げられるという、日本
の法律の見直しは、将来予測される、世界規模での水
の取り合いを想定した時、国として取り組むべき、大
きな課題の一つです。

 それだけに、この問題を、総理経験者が、知らない
はずはないと思いましたので、きっととぼけているの
だろうと解釈したのですが、後日、この件の資料はな
いかと、問い合わせがありましたので、この問題はそ
れまで、総理の耳には、届いていなかったと判断しま
した。

 この夜は、同じ店で、鳩山さんの弟さんと現職の大
臣との、懇談も行われていて、由紀夫さんは、それは
怪しい、あの件かなこの件かなと、首をひねっていま
したが、このように、政治の世界には、政権が代わっ
ても変わらない部分が多々あります。

 鳩山さんを慰労するつもりで、構えた会ですが、時
期が時期だっただけに、我々二人から、質問と意見を
浴びせられて、本人にとっては、慰労にならなかった
かもしれません。

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青島物語

 8月下旬に、3泊4日で、中国・山東省の青島に旅
行しました。

 これは、高知県の知事時代に知り合った、青島の企
業経営者からのお誘いでしたが、青島に着いた日の午
後には、その企業のオフィスで、社員を相手に、講演
を依頼されていました。

 タイトルは、「戦略的互恵関係を築くために」とし
ましたが、この戦略的な互恵という言葉は、日中関係
のあるべき形として、中国の要人がよく使う言葉です
ので、それに、敬意を表してつけました。

 その中で、中国の13億人のマーケットには、ずっ
と元気で、世界の経済を引っ張って行ってほしい、そ
のためにも、日本が陥った、停滞の轍を踏まないでほ
しいとお話ししました。

 ただ、そうは言っても青島でも、次々と、マンショ
ンやテナントビルが建設されていて、物件の価格がこ
の2年間に、2倍も跳ね上がったといわれるほど、バ
ブルがふくらんできています。

 また、この企業の、幹部社員に話を聞きますと、原
油やゴムなどの原料コストと、賃金の上昇などがあい
まって、中国経済の足腰は、言われるほど強くはない
と言います。

 その一方で、57ヶ国が資本進出しているという、
近隣の開発区に出かけますと、青島の中心部とを結ぶ
長大橋や、海底トンネルの建設が進んでいるほか、大
型の遊園地の計画など、景気のいい話が数々聞かれま
すので、全貌はなかなかつかめません。

 その開発区からの帰途、車にかわって、クルーザー
で港を出ますと、港内の一角に、石油化学コンビナー
トが見えました。

 聞けば、東シナ海の油田開発を見込んだ、国営企業
の施設だとのことで、日本との共同開発の話と、どう
整合性がとれているのかと感じました。

 また、子育て世代に話を聞きますと、17パーセン
トという消費税率の高さや、所得税に扶養家族への控
除がないことなど、税制への不満に加えて、医療保険
制度などセーフティーネットへの不安が、口をついて
出てきます。

 上海で開かれている万博にも、関心のない人が結構
いて、国が降る旗の方向と、国民の思いとを、どこま
で一致させて行けるのか、見た目の元気さとは別に、
課題も数え切れないほどあるのだと受けとめました。

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2010/09/10

僕が演奏していいのか

 コンサート活動はもちろん、音楽プロデューサーと
しても活躍している、知人と食事をしながら、音楽の
世界のよもやま話を聞きました。

 話題は幾つもありましたが、書いてもよさそうなこ
とは、二つくらいでしょうか。

 一つは、この方の友人でもある俳優と、モーニング
娘が共演する「ファッション」という芝居のことで、
どうせ、ろくでもない芝居だろうと思いながら、友人
の舞台を観劇に行きました。

 ところが、芝居を見ているうちに感激して、不覚に
も、涙がはらはらとこぼれてきたと言うのです。

 脚本家は若い女性で、モー娘扮するアパレルの店員
と、友人が演じるその父が、ストーリー展開の軸です
が、涙のツボを、ことごとくつかんでいる感じで、商
業演劇の力量を、思い知らされたそうです。

 もう一つは、この方がコンサートで共演している、
雅楽奏者のお話です。

 この雅楽奏者は、雅楽を伝承している、宮内庁の楽
部の出身ですが、宮内庁の楽部は、外国からの賓客を
迎える晩さん会などの席では、西洋のクラシック音楽
も演奏をします。

 このため、この雅楽奏者は、ドイツの首相を歓迎す
る宴で、クラシックを演奏したのですが、その際に、
「僕なんかが、ドイツの首相の前で、モーツアルトを
演奏していいのかな、いいわけないよな」と、つくづ
く述懐していたとのことで、なかなか良い話だと思い
ました。

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もう一つのワールドカップ

 車いすテニスの、インターネット中継など、障害者
スポーツの支援に、力を入れている団体の方から、活
動にかける思いと悩みをうかがいました。

 知事時代に、全国障害者スポーツ大会を、高知で開
催した際、障害者のスポーツが、いかに見応えのある
ものかを実感していました。

 それだけに、障害者スポーツを、障害者のための、
レベルの低い競技ととらえるような、既成の概念を捨
てて、独立したスポーツとして、応援していこうとい
うこの団体の趣旨には、すぐに納得がいきました。

 ただ、そのためには、運営のための資金が必要にな
りますが、CSRに熱心と思われる、800社ほどの
企業を回っても、なかなか、高い壁が越えられないと
言います。

 企業が尻込みをする理由の一つは、「障害者をネタ
に商売をするのか」といった、あまりたちの良くない
批判を浴びること、また、もう一つの理由は、あの団
体に支援したのなら、うちにも支援してほしいといっ
た、要望にさらされることのようです。

 このため、環境問題をはじめ、アジアやアフリカの
子どもに、水やワクチンを贈ろうといった活動に、企
業の支援は集まりがちです。

 そうした中、丁度この時期に、もう一つのワールド
カップと呼ばれる、知的障害者のサッカーの世界大会
が、南アフリカで開かれて、日本チームも、参加して
いると聞きましたが、それまでは、そんな大会が開か
れていることも知りませんでした。

 お話を聞けば、この大会での、日本チームの6試合
をはじめ、これからも、インターネットでの中継を通
じて、障害者スポーツの支援に、力を入れていきたい
と言われます。

 ところが、今のところ、国枝慎吾さんの車いすテニ
スや、アニメの「リアル」のヒットで人気を呼んだ、
車いすバスケットなど、限られた種目を除いては、バ
ナー広告を集められるほどの、アクセスがないのが現
状です。

 障害者スポーツ協議会に参加している団体は、すで
に、60種目ほどにわたっていますが、これらの競技
に、いかにして光をあてていくか、また、障害のある
子どもたちが、スポーツ選手を目指す環境を、どうや
って作り出していくか、課題は多いものの、何かお役
に立てればと思いました。

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2010/09/06

強くならなくてもいい

 戦没者を追悼する式典が開かれた日の朝、先日、自
らの命を断った、NHKの解説委員の、告別式に参列
しました。

 彼は、NHKの記者時代の後輩で、僕が、福岡放送
局に赴任した4年後に、新人の記者として福岡に配属
になりました。

 その年の暮れ、県警記者クラブで、ある全国紙の若
い記者が、クラブ内の各社の記者に、お歳暮にと一枚
ずつ配った、年末ジャンボ宝くじの一等が、彼に当た
りました。

 抽選会のあった大晦日、独身の若手が、あるデスク
の家に招かれていたのですが、ビールを飲みながら、
抽選会の中継を見ていた彼の手が、ぶるぶると震えだ
して、手にしたコップから、ビールがばしゃばしゃと
こぼれたといいます。

 こうした、持って生まれた運だけでなく、一途な仕
事ぶりが実って、その後は、政治部の記者として、ま
た、この10年は解説委員として、日曜の朝の討論会
の司会など、誰もが感心するでした。

 しかし、真面目で手を抜けない性格の分、心が疲れ
ていったのでしょう、10年ほど前から、うつの状態
が、何度か顔を出したといいます。

 これまで、自席の椅子でうたた寝をする姿を、他人
に見せることはありませんでしたが、最近では、椅子
の背に持たれて、指で目頭を押さえることもあって、
解説委員室の同僚も、心配をしていました。

 残された、彼のパソコンには、頭も心も、タンクが
空になったと、打ち込まれていたといいます。

 中野のお寺で開かれた告別式には、縁のある大勢の
人が参列をしましたが、出棺を前に、ご子息に続いて
お嬢さまが、お礼のご挨拶に立ちました。

 「自分が悲しそうにしていると、父は私の頭をなで
ながら、そんなに強くならなくてもいいんだよと、言
ってくれました」、と語るお嬢様の姿を見て、同じ言
葉を、お父さんにもかけてあげたかったのだろうと思
うと、胸がつまりました。

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花火の夜

 東京湾の花火大会に誘われて、近くのホテルの一室
から、久々の花火を満喫しました。

 この日の花火見物は、江戸城の再建など、数々の活
動に関わっている、知り合いの社長さんからのお誘い
でした。

 地下鉄のかちどき駅を降りて、指定のホテルを目指
して歩いていきますと、やがて、かなりの人ごみにな
ってきます。

 その人ごみには、若い人がいっぱいですので、相当
の押し合い圧し合いになるかと思いきや、みんな、と
ても整然と、会場を目指して歩いていきます。

 浴衣姿の女の子が多いため、歩幅が狭められるから
かなとも思いましたが、信号待ちでも、人を押しのけ
る様子がなくて、とても感心させられました。

 ホテルの一室に集ったのは、20人足らずの方々で
すが、江戸城再建の仲間の中には、太田道灌の子孫も
いて、多士済々の面々です。

 やがて、花火とともに酒席が始まると、当然のこと
ながら、酒か花火か、どちらが主役かわからなくなり
ましたが、同時に、楽しい会話の花が、あちこちに咲
きました。

 中には、ある有名な俳優の別荘を訪ねた時、迎えに
出てくれたその俳優が、いつもつけているカツラを外
していたため、誰だかわからなかったなんていう話も
あって、笑い声のはるか向こうに、花火の音が響いて
います。

 花火の後、すぐに外に出ると、雑踏に巻き込まれる
ため、しばらくはホテルの部屋から、下の様子を見て
いましたが、ここでも、大勢の人が、整然と列を作っ
て帰路につくのを見て、あらためて、日本人の礼儀正
しさを見直しました。
 
 日本も、まだまだ捨てたものではありません。

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料理三昧の日々

 蓼科には、10日近く滞在しましたが、その間、外
食をした以外は、朝昼晩妻にかわって、食事の担当を
しました。

 和食に中華にイタリアン、といっても、何も本格的
なものではなくて、冷蔵庫にあるものを見ながら、適
当に想像をめぐらすだけですが、こうして材料の組み
合わせを考えるのが、楽しい作業です。

 結果の作品は、大した出来ではありませんが、料理
にかかる前の材料の仕込みや、料理に使った鍋やボウ
ルを、洗いながら次にかかる段取りは、かなり上達し
たように思います。

 また、今回は、フードプロセッサーを用意しました
ので、スープやデザートづくりも、かなり楽ちんでし
た。

 こうやって、朝昼晩と食事を作っていますと、これ
に加えて、掃除や洗濯、子育てをするのは、相当大変
な仕事だと身にしみて感じられました。

 ということで、休みとはいえ、目一杯、知恵と体力
を使った10日間でした。


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紀子さまの伯母さま

 同じく、蓼科でのことですが、ひょんなことから、
紀子さまの伯母さまから、教育論をうかがうことにな
りました。

 ある知人から、蓼科に来ているので、一緒に食事を
しようと誘われて、出かけてみますと、その席にいら
っしゃったのが、秋篠宮紀子さまの伯母さまでした。

 この方は、長い間、神奈川県内の中学校で、数学の
先生をされていましたが、ご主人が亡くなった後、大
学院で、教育に関する研究を続けているとのことで、
翌日ご自身の山荘で、その発表会を開くので、来て下
さいと言われます。

 翌日、山荘にうかがうと、10人ほどの出席者を前
に、子どもの五感に訴える、五感教育の大切さを、1
時間半にわたって語られました。

 タラの木の青い芽が、やがてふくらんで、赤く変わ
る様子を観察する中で、時の経過や植物の成長を知る
とか、虫を叩いてつぶすと、臭いにおいがして慌てて
手を洗う、といった例をあげながら、五感を磨くこと
が、子どもの想像力と、創造性をはぐくむことにつな
がると訴えられます。

 五感に訴えて、子どもの想像力を養うことの大切さ
は、自分も日頃から感じていたことですので、納得の
いくお話でした。

 その後、紀子さまの話を聞きますと、お子様の頃か
らおつき合いが深かったため、秋篠宮とのご結婚の当
時は、マスコミの取材攻勢を受けて、大変だったと振
り返られます。

 紀子さまが、この山荘を尋ねられた時には、マスコ
ミに、外からカメラでのぞかれないように、窓をつぶ
してしまったとのことで、お陰で風の通りが悪くなっ
たと、苦笑されていました。

 夜は、二日続けて、お食事をともにしましたが、人
の出会いは不思議なものだと思いながら、お別れをし
ました。

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大家の思い出話

 8月の初め、避暑に出かけた長野県の蓼科で、夏休
み中の画商の方々と、夕食をともにする機会がありま
した。

 それぞれ、東京、大阪、名古屋で活躍する方々です
が、巨匠と言われた画家たちの、思い出話には、興味
深いものがあります。

 その一人は、寺院の襖絵なども手掛けた、すでに亡
くなられた日本画の大家ですが、昔々、この方が新幹
線の名古屋駅に着いた時のこと、お迎えに出ると、画
家はその足で、ある人のもとに挨拶に行きたいと言わ
れます。

 この人は、絵を扱ってはいましたが、裏の世界とも
通じていることで、業界では知らぬ人のいない人物で
した。

 このため、これほどの大家が、このような人物に挨
拶に出向くのかと、驚いたそうですが、大家はその人
物に、深々と頭を下げていたとのことでした。

 そんな話を聞いているうちに、今もって、その世界
と縁の断ち切れない、大相撲のことが頭に浮かんでし
まいました。

 もう一人は、洋画の大家ですが、パリで、エロティ
ックな舞台が解禁になったのを機会に、ある女性の画
商さんが、この老画家と一緒に、その舞台を見に出か
けました。

 すると、劇場内が寒かったので、女性の画商は、自
分のショールを取って、画家の膝に掛けてあげたそう
です。

 その翌日のこと、再びその画家に会うと、「昨日、
貴女がショールを掛けてくれたので、中から膝に手を
伸ばそうかと思ったけれど、そうすると、後で何枚も
絵を持って行かれると思って、考え直した」と、いた
ずらっぽく微笑んだといいます。

 そんな女性好きでありながら、その大家は、奥様に
は、仕事も家事も一切させなかったということで、そ
のため奥様は、70歳を過ぎても、何十年も前に画家
が描いた、若き日の容姿と変わらず、お年を召さなか
ったそうです。

 ただ、幸せなことばかりではなく、ロンドンに留学
していた画家の孫は、贅沢な暮らしに慣れてしまった
ため、身を持ち崩して、40歳前に他界してしまいま
した。

 お孫さんが所蔵していた絵は、スイスの銀行に預け
られていましたが、急死されたため、持ち主不明のま
ま、スイスに没収されたのではないかというのが、画
商さんたちの推測でした。

 皆さんからは、身内の思い出話ばかりで、すみませ
んと言われましたが、なんのなんの、とても面白い話
を聞かせてもらいました。


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古いアルバムめくり

 7月の月末の一日、兄嫁の家で、昔父が撮った、写
真のアルバムを整理しましたが、父の足跡をたどる思
いで、片付けの手は、しばしば止まりました。

 父は、若い頃から写真が好きで、僕が小さな子ども
の頃から、よく写真を撮っていました。

 僕が中学生の頃、父は、撮りためた写真を整理する
ため、特注のアルバムを作って、暇を見つけては、年
代順に写真をはっていました。

 そのアルバムは、父の死後、母から兄へと引き継が
れていましたが、その兄が亡くなって、4年が経ちま
したので、僕が引き取ることにして、兄嫁の家に出か
けました。

 全てモノクロ写真の時代ですが、久し振りにお目に
かかる写真の中には、父や母の若い頃の、そして、兄
や僕自身の幼い頃の姿が満載で、眺めていると、懐か
しいというか、時代を超えた不思議な感覚にとらわれ
ます。

 見方によっては、大正から昭和にかけての、風景や
風俗が写し出された、貴重な証言録で、また、後でゆ
っくり見ようと思いながら、一つ一つ丁寧に、段ボー
ル箱にしまい込みました。

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酒の話題で酒を酌む

 7月の終わり近く、世代を超えた、戌年生まれの会
に招かれました。

 といっても、僕は、亥年生まれなのですが、誕生月
が1月なので、以前から、この戌年の会に、入れても
らっています。

 この日は、自分たちより、ひと回り上の先輩方が、
まもなく喜寿を迎えるため、喜寿を前にした心構えを
うかがおうという、もっともらしい能書きがついてい
ましたが、要するに、楽しく飲んで食べるのが目的で
す。

 僕は、あいにく、酒はからきし駄目ですが、その他
の参加者は、そろってお酒好きとあって、三大銘酒を
あげるとすれば何かという話題に始まり、お酒にまつ
わる話が次々と出てきました。

 まずは、ちょっと季節はずれな話題ですが、赤穂浪
士が討ち入りの前夜に、蕎麦屋の2階で飲んだと伝え
られる、灘の銘酒にまつわる話です。

 昔むかし、NHKの大河ドラマで、赤穂浪士が放映
された時に、討ち入り前夜のシーンで、この酒の銘柄
が映し出されたというのです。

 はて、NHKの放送に、銘柄まで出るだろうかと思
いつつ、話を聞いていると、それをきっかけに注文が
激増したため、桶買いをしたのが裏目に出て、その後
は、売れ行きが伸び悩んだということでした。

 また、同じ日本酒で、話題になったのは、かつて幻
の銘酒と呼ばれた、新潟のお酒です。

 このお酒は、かの田中角栄さんが、贈答用に買い占
めたことから、なかなか手に入らなくなったとのこと
で、何が、売り上げの浮沈を左右するか、わからない
ものだと思いました。

 一方、日本のウィスキーは、スコッチとは違う、日
本独特の洋酒として、海外で評価が高まってというこ
とで、日頃、お酒の話題には縁の薄い者にとって、情
報収集のよい機会が持てました。


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薩・遠・土・肥の鉄道維新

 高知県の知事時代から、おつき合いのあった、若手
の建築家が、その後の高知での仕事の、報告に来てく
れました。

 その仕事は、第三セクターで運営されている、土佐
くろしお鉄道の、「中村駅」の建て替えです。

 中村駅は、幡多地区の中心の一つで、四万十川観光
の最寄り駅でもありますが、それにしては、何の変哲
もない魅力のない駅でした。

 そこで、以前にも、中村駅の建て替えプランを提案
してくれていた、若い建築家が、改築を担当すること
になったのですが、改築にあたってのポイントは、み
んなが使う、公の空間としての駅でした。

 そこに込めた思いを聞きますと、日本には、みんな
で使う公の空間が少ないため、それが、日本人の、公
共への無関心にもつながっていると言います。

 そこで、待合室のイメージを全面的に変えて、高校
生が、ガラス越しに、駅前の広場に面した机で、勉強
出来るようなスペースを作りました。

 そうすると、おじさんたちが、缶ビールを飲んで騒
いだりできないし、床にガムを捨てる人も、いなくな
るだろうと考えたのです。

 結果は、狙い通りで、建築雑誌に取り上げられた写
真を見ますと、高校生が並んで座っている、図書館の
ような光景が写し出されています。

 また、捨てられるごみも、床についたガムもなくな
って、くろしお鉄道の職員も、「スペースが人を育て
るんですね」と、感心していたとのことでした。

 この待合室の改築とあわせて、改札口もなくして、
駅とホームの出入りを自由にした上、切符は列車の中
で、チェックするようにしました。

 これによって、ホームにも、お茶の飲めるスペース
が作れましたが、これには、当初会社側から、入場券
の収入が減るなど、強い反対があったそうです。

 さて、これからですが、新幹線の開通と同時に、第
三セクターとして切り離される、九州の肥薩おれんじ
鉄道や、その姉妹線にあたる、静岡の天浜(天竜浜名
湖)線を、同じコンセプトでつないでいきたいと言い
ます。

 八代と川内を結ぶおれんじ鉄道は、肥後と薩摩、く
ろしお鉄道が土佐、さらに、天竜浜名湖線が遠州です
ので、「薩長土肥」ならぬ「薩遠土肥」で、鉄道維新
をと、夢はふくらむのです。

 さらに、彼の夢の続きには、3万人から5万人の都
市をつなぎ、日本と同じような状況を抱える、フラン
スの鉄道も登場します。

 聞けば、フランスの国鉄は、2005年に、下のレ
ールの管理は国鉄のまま、上の鉄道の運営を民営にと
いう、いわゆる上下分離が実現しました。

 その中で、鉄道の経営には、バージン・アトランテ
ィックや、フェラーリも参加するとのことで、中村駅
の知恵を、是非とも彼らに伝えていきたいと、話は益
々熱を帯びていきました。

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大使の持ち味

 7月下旬に、東京のホテルで開かれた、新旧の中国
大使の歓送迎会に出席をして、微妙な感触を味わいま
した。

 このたび帰任したのは、これまで北京に赴任してい
た、宮本大使ですが、その紹介をした司会者が、4年
3ヶ月にわたって、小泉総理から現在の菅総理まで、
6代の総理にお仕えになりましたと言うと、会場から
は、いわく言い難い笑い声が起きます。

 宮本大使が、北京に向かった時は、小泉政権の下、
日中関係が冷え切っていた時期ですから、宮本さんは
当時を振り返りながら、両国関係の、改善ぶりを語ら
れました。

 続いて、中国大使としては、初めて民間から起用さ
れた、丹羽大使が、赴任にあたっての抱負を語られま
した。

 まずは、政治の面で、日本の力が落ちているのは、
政権が次々と変わることに原因があるので、現在の政
権には、出来るだけ長く務めていただきたいと、踏み
込んだ話をされます。

 さらに、中国との間に、自由貿易協定を締結するた
めの、取り組みを進めたいし、政府にも、そのことを
申し上げていくと、これまた、アクセルを踏む足に、
力がかかります。

 大使の給料の金額を聞いた奥様から、どうしてこん
な仕事を引き受けるのと言われたと、冗談を交えなが
らも、国のために行ってきますと、愛国親中を強調さ
れました。

 これを受けて演壇に立った、日本駐在の、中国の程
大使は、「私も丹羽大使も、国を代表して、国益を守
るために仕事をしますが、その二つの国益の輪には、
重なり合っている部分があります、それが共通の利益
です。私は、丹羽大使と一緒に、二つの輪が重なり合
う部分を、増やしていきたい」と、流ちょうな日本語
で挨拶をしました。

 中国は、官尊民卑の残る国ではないかと、感じてい
ますので、民間出身の大使が任用されたことを、中国
当局がどう捉えるのか、やや不安に感じるところがあ
ります。

 とはいえ、歓送会の席でいきなり、民間出身ならで
はの、新鮮な表現の幾つかを耳にしましたので、これ
が吉と出るように、みんなで応援したいものです。 

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