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2011/02/26

「責任」は誤訳か

 自衛隊を応援しようという方々の会に出席して、色
々な方とお会いする中で、英語の日本語訳に関して、
そう言うこともあるだろうなと感じる、お話をうかが
いました。

 この会は、制服を着た自衛官が、胸を張って町を歩
けない国はおかしいという思いが出発点で、会員の中
には、数人の元自衛官もいますが、基本は民間の方々
の集まりです。

 その元自衛官のお一人が、アメリカに出張した際、
副官と2人で、列車に乗っていた時の思い出話をして
くれました。

 終点の駅の手前まで来ると、車内放送で、この列車
にはジェネラルが乗っておられるので、一般のお客様
は、ジェネラルが先に下りてから、下車して下さいと
告げられます。
 
 一緒に座っていた副官と、ジェネラルが乗ってたの
か、気がつかなったなあと話していると、車掌が自分
に声をかけてきて、車内放送で告げられたジェネラル
とは、自分のことだったと気づいたという話です。

 きっとアメリカだけではないと思いますが、どこの
国でも、国の守りについている軍人には、相応の敬意
を評しているんだと、あらためて感じました。

 そんなお話を聞く中で、出版関係の方が、なるほど
と思うような話をして下さいました。

 それは、明治時代に日本語に訳された、英語に関し
ての話です。

 その多くは、西周が訳していますが、この方が問題
にされたのは、レスポンシビリティを責任と訳した点
です。

 この方によれば、レスポンシビリティは文字通り、
レスポンスの能力を指す言葉なので、対応力と訳され
るべきだったのに、これを責任と訳したため、何か問
題が起きた時に、そのことに、きちんと向き合って対
応しようとせず、ただ頭を下げるだけで、責任をとっ
たことにして、逃げる国になってしまったと指摘され
ます。

 後段は、よく考えてみると、分かったような分から
ないような話なのですが、聞いている時には、思わず
うなずいてしまう説得力がありました。

 と同時に、日本語への訳が、日本人のものの考え方
に、なにがしかの影響を与えた面もあっただろうと思
うと、やはり面白い話だと感じました。

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