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2011年3月

2011/03/28

噂をすれば山下さん

 3月上旬、東京で開かれた、ある会合に出席したと
ころ、柔道の山下さんに声をかけられました。

 この会は、戦前戦後を通じて、差別の中で生き抜い
てきた、在日のお年寄りたちのために、日本と韓国双
方の文化を備えた、老人ホームを作ろうという会で、
「梅干しとキムチのあるホーム」が合言葉です。

 この会ではすでに、大阪の堺市をはじめ、神戸と京
都に、在日の高齢者のための施設を建てていますが、
在日の方の人数からいって、東京にも必要だと呼びか
けるのが、この日の会の趣旨でした。

 実は、この会の主催者とは、高知県の知事時代から
のおつき合いですが、それというのも、この方の亡く
なったお母様、田内千鶴子さんは、高知県の出身で、
韓国では、孤児の母として知られた方でした。

 というのも、田内さんは戦前、韓国の木浦市に渡っ
た後、地元で孤児院を運営していた、キリスト教の伝
道師と結婚して、戦前から戦後を通じて、3000人
の孤児を育て上げていたからで、田内さんの人生は、
「愛の黙示録」という題名で、映画にもなりました。

 僕が知事になった時には、田内さんは、すでに亡く
なっていましたが、この日の会を呼びかけた、息子さ
んとのご縁で、木浦市にある田内さんの孤児院、共生
園を訪ねたこともあります。

 こうした、長年のおつき合いから、この日、講演の
依頼を受けましたので、千鶴子さんが、子供たちのた
めに尽くした共生の思想を、今度は、在日のお年寄り
のためにといった話をしました。

 会には、様々な分野の方が参加されていましたが、
驚いたのは、柔道の山下さんがおられたことです。

 というのも、この日の朝、次の神奈川県の知事選挙
に、山下さんを担ぎ出そうという動きがあると、耳に
したばかりだったからで、噂をすれば何とやらだなあ
と、驚いたのです。

 このため、ご挨拶をしたついでに、その噂の真偽を
尋ねてみました。

 すると、この年になって、経験のない分野に挑戦す
る気はありません、とのことでしたので、話そのもの
はあったようでした。

 それにしても、山下さんも誘い込むとは、この会の
行動力は大したものだと、感心してしまいました。
 


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問題発言の報道前夜

 沖縄ジョン万次郎の会での、講演の翌日、玉泉洞と
いう鍾乳洞を訪ねてみました。

 沖縄には、数え切れないくらい出かけています
ほとんどの場合は仕事がらみですので、観光地と名の
つく所は、あまり行ったことがありません。

 そこで、まる一日フリーになったこの日、民家の座
敷を使った沖縄そば屋で、ソーキそばを食した後、沖
縄の鍾乳洞として名高い、玉泉洞に出かけました。

 さすがに、観光の島沖縄らしく、鍾乳洞の入り口か
ら出口に至るまで、各種の体験コースや特産品が並ん
でいて、これでもかというくらい、お金を使わせる仕
組みが待ち構えています。

 高知にも、龍河洞という、観光地として知られた鍾
乳洞が有りますが、こちらは、保存会という法人の運
営になっているため、ビジネスという点で、企業が経
営する玉泉洞には、とてもかないません。

 鍾乳洞の中は、他の鍾乳洞と、さほどの違いは感じ
ませんでしたが、その中に、身代わり地蔵と名づけら
れた、地蔵に見立てた鍾乳がありましたので、何かの
折には身代わりをお願いしますと、手を合わせてきま
した。 

 夜は、沖縄県の幹部の方と、鍋やお寿司をつまみな
がら、よもやま話に花を咲かせました。

 その中で、気になったのは、この方が、日本政府は
もちろんだが、アメリカの国務省も、地元沖縄の情報
が、まともに上がらなくなっていると、言われたこと
です。

 「そんなに難しい話ではなくても、事実が報告され
ていないため、進むものも進まない。アメリカ国務省
も、視野狭窄になっている」と言いながら、両手で、
目の脇を挟むようなジェスチャーをされます。

 ちょうど、前の在沖縄総領事で、国務省の日本部長
を務めるメア氏の問題発言が、地元紙に取り上げられ
る前日のことでしたので、多分、この問題を念頭に話
されたことと思われますが、言葉な端々に、かなりの
フラストレーションが感じ取れました。

 日本政府にも任せられない、アメリカ国務省のライ
ンもつまっているとあっては、やがては、直談判とい
う段取りになるのだろうかなどと思いながら、お話を
聞きました。


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琉球のジョン万次郎

 3月の初め、沖縄ジョン万次郎の会の、20周年の
式典に参加しました。

 ジョン万次郎は、僕が知事をしていた、高知県出身
の偉人の一人ですが、1851年嘉永4年に、アメリ
カから10年ぶりに帰国した際、まず最初に上陸した
のが、当時は薩摩藩の管轄下にあった、琉球の大渡海
岸でした。

 きっと、鎖国政策を敷いていた日本に帰るにあたっ
て、いきなり本土に着いたのでは、お咎めも厳しくな
ると考えたのでしょうが、琉球に着いた万次郎は、豊
見城の高安さんというお宅に預けられます。

 この地で、半年近くを過ごした万次郎は、その後、
鹿児島と長崎で取り調べを受けた後、故郷の高知に戻
りますが、時あたかも、ペリー提督率いる黒船の艦隊
が、浦賀に入港した時期でしたので、早速江戸に呼ば
れて、直参の旗本として、アメリカとの交渉などに力
を尽くしました。

 その万次郎を預かった高安家では、万次郎を客間に
通して歓待したとのことで、万次郎も、地域の若者た
ちとの交流を通して、琉球に滞在した間、充実した日
々を過ごします。

 10年間のアメリカ暮らしで、今浦島になっていた
万次郎にとっては、この琉球での息抜きのひと時が、
格好のリハビリになったと思われますが、こんな万次
郎と沖縄との縁を大切にしようと、沖縄万次郎の会が
設立されたのが、今から20年前のことでした。

 わずか半年余りの縁を大切に、という思いはもちろ
んですが、その活動が20年続くというのもすごいこ
とで、お誘いに応じて喜んで、20周年の式典に参加
すると同時に、記念講演の講師を務めてきました。

 前夜祭にも式典にも、ジョン万次郎の時代から数え
て、4代目にあたる、高安家のご当主が参加されてい
ましたので、万次郎のゆかりの品は、残されていませ
んかと尋ねてみました。

 すると、琉球の近くまで来た万次郎が、沖合にとめ
た小舟を降りて、浅瀬になっている海を歩いてきた時
に、ついていた杖が残っていたと言われます。

 その杖は、高安家の座敷の床の間に、大切に飾って
あったのだそうですが、戦争中に行方がわからなくな
ってしまったと、残念そうに話されていました。

 今回の講演のために、万次郎の足跡を訪ねてみて、
あらためて、あの時代に、すごい冒険心と好奇心、さ
らには知識欲を持った人物だと感心しましたが、それ
だけに、土佐の偉人として、坂本龍馬ばかりでなく、
万次郎にも、もっと光をあてないといけないと感じま
した。

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2011/03/18

嘘つきの定義

 2月の末、高知出身の経済人と、お昼を共にしなが
ら、楽しいお話の数々をうかがいました。

 この方は、年齢的にも大先輩で、知事の時代から、
大変お世話になっていますが、人生経験の豊かな方で
すので、いつもためになる話をして下さいます。

 この日も、ある人から教わった言葉だと、断られた
上で、所詮男というものは、修羅場、土壇場、正念場
をくぐり抜けた辛い苦しい体験を、どれくらい持って
いるかで、価値が決まると言われます。

 その話を聞きながら、なるほどとうなずいています
と、それに濡れ場が加われば、鬼に金棒なんですけど
ねなんて、巧みな味付けをなさるのです。

 また、与野党の政治家とも、世代を超えた、おつき
合いをされていますので、それぞれの政治家の、人物
評に関しても、面白い話をして下さいました。

 その中で、僕もよく知っている、野党の政治家につ
いて、「どうも、あの人は、地元でも評判が良くない
ようですけど、嘘をつくからということでしょうか」
と言われます。

 これに対して、僕が、「嘘というのは、後になって
から、真偽を確かめることの出来る話を言いますが、
あの方の場合は、真偽のほども分からない話をするの
で、嘘かどうかも分からない」と答えますと、「なる
ほど、それは分かりやすい」と、笑って喜んで下さい
ました。

 人生の先輩には、教えられることが多いです。

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世界の最前線

 台北でお会いした日本の外交官は、中近東に勤務し
た経験のある方でした。

 表敬とともに、台湾の事情もうかがおうと、この方
の事務所をお訪ねしたのですが、チュニジアやエジプ
トでの政変など、中東情勢が緊迫した時でしたので、
先任地におられた際に、今日の事態を予想していたか
と、質問してみました。

 これに対しては、こうしたことが起きない前に、民
主化を急ぐと良いと思っていたが、結局、こうなって
しまったとのお答えです。

 その上で、日本にいると分からないが、中近東は、
様々な意味で、世界の最前線になっていると言われま
す。

 アメリカをバックにするイスラエルと、パレスチナ
の関係はもちろんのこと、ロシアとユダヤ、ロシアと
イランなど、歴史を背負った、複雑な接点の重なる場
所なので、イラクやアフガンを抱えるアメリカが、手
を出なくなると、アメリカの安全保障上はもちろん、
世界の勢力図にとっても、ややこしいことになるとい
う訳です。

 確かに、世界の石油の、60%が集中している湾岸
地域で、アメリカの影響力に陰りが出れば、日本のよ
うに、外交に弱さの目立つ国は、右往左往しかねませ
ん。

 こうした中で、国内でも、若い世代のグループが、
毎年、イスラエルとパレスチナの子どもを招いて、キ
ャンプを開催するなど、中近東に目を向けた活動が、
芽生えていることは心強い限りです。

 石油備蓄さえ、180日分しかないわが国では、も
っと関心を持たなくてはいけない地域だと、あらため
て教えられました。 

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噂にたがって

 2月下旬、台北市で、元総統の、李登輝さんのお宅
を訪ねましたが、ことのほかお元気でした。

 というのも、事前には、李登輝さんもかなりのお年
で、一つ質問をすると、30分から1時間近く、話が
止まらなくなると、聞いていたのです。

 ところが、お目にかかってみると、見るからにお元
気そうで、こちらが、しっかりとしたあいの手を入れ
て、受け答えをすれば、一つの話題に、そんなに長々
と話されることもありません。

 去年、台湾で行われた、5つの直轄市での、市長選
挙の結果の分析から、巨大化する中国への対応、さら
には、坂本龍馬の船中八策の内容に至るまで、諸々の
話を、実に見事な日本語で話されます。

 特に感心したのは。龍馬が、船中八策の八番目にあ
げている、為替レートの話で、幕末の時代に、為替レ
ートの大切さに言及した、龍馬もすごいのですが、そ
のことを知っていて、龍馬の先見性にふれる、李登輝
さんの知識もすごいと思いました。

 たまたま、その日の夜には、台湾の龍馬会の会食が
あるとのことで、せっかくだから出席しないかと、お
誘いを受けました。

 出席してみますと、かなりの人数の会で、僕にも、
龍馬の故郷で知事をしていましたという、挨拶のお鉢
がまわってきました。

 隣の席の李登輝さんに、夜の会にも、よく出かけら
れるのですかと聞きますと、会食に出ると、食べ過ぎ
飲み過ぎになるので、なるべく出ないように注意して
いると言われます。

 ところが、そう言いながら、出てくる料理はほとん
どたいらげられますし、台湾の宴会には欠かせないウ
ィスキーも、つがれるままにお飲みになります。

 さすがに、巨人は違う、少々お年を召したといって
も、噂にたがって元気そのものだと、その健啖ぶりに
感嘆しました。

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うちにも来てね

 2月の半ばを過ぎたある日、表参道を歩いています
と、中国語らしき旗が、街灯に飾られていました。

 そう言えば、明治神宮でも、洋の東西を問わず、数
多くの外国からの参拝客の姿を見ますが、この日、加
藤清正が掘ったという言い伝えもあって、パワースポ
ットとして有名になった、「清正井」をのぞいてみま
すと、ここにも、外国人観光客の姿が目につきます。

 また、手洗い場から本殿にかけても、そこここで、
中国語や韓国語が行きかっています。

 さすが明治神宮だと感心をしながら、本殿の脇にあ
る、おみくじの箱をのぞいてみますと、明治天皇の御
製を通して、読む者に訓えを伝える、大御心と題した
おみくじにも、英語の解説がつけられていました。

 タイトルは「OHMIGOGORO」で、単なるロ
ーマ字表記でしたが、そのうち、このおみくじにも、
中国語版やハングル板が、登場することになるのでし
ょう。

 帰りがけに、表参道の街灯に飾りつけられた旗を、
あらためて見てみますと、中国語で、心から歓迎しま
すという意味の言葉が書かれていました。

 地元の方に聞いてみますと、明治神宮をはじめ、商
店街をあげて、中国からのお客さんを歓迎していると
のことで、銀座や秋葉原ばかりでなく、表参道にもど
うぞとの、呼びかけなのだそうです。

 途中、オープンカフェによって、道端の席でカフェ
オレをすすっていますと、案内兼通訳の女性に連れら
れた、中国からの団体客が、外に掲げられた店のメニ
ューを見ながら、入るか入らないか、かなり迷ってい
る様子です。

 この一団は、結局、店には寄らずに帰りましたが、
これからは、こうした光景が、珍しいものではなくな
るのだろうと思いながら、残るカフェオレを飲みほし
ました。

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四季の友

 わが家の近くにある和菓子屋さんの、四季の友とい
うお菓子が、このところ、ご進物としてとても喜ばれ
ています。

 このお店は、菊家さんといって、青山の骨董通りに
沿った一角に、軒先の柳の木とともに、昔からのたた
ずまいを残しています。

 30年近く前に、飛行機事故で亡くなった、作家の
向田邦子さんが贔屓にされていた店で、店内には、先
代のおかみさんが店先で、向田さんのお相手をする写
真がかかっています。

 わが家からも近いため、時折、季節のお菓子を求め
に立ち寄るのですが、最近、四季の友という、薄いゼ
リーを挟んだ干菓子を売り出しました。

 といっても、新作ではなく、昔の作品を復活させた
ものですが、表の面は、季節の花やお雛様の、美しい
絵柄で飾られています。

 お店の方にうかがいますと、昔から伝わる版木があ
るそうですが、版画と同じように、一色ずつ刷ってい
きますので、図柄がずれないようにするのが、大変だ
と言います。

 そんな、手間のかかった干菓子ですが、最近このお
菓子を、知人へのお進物に使ったところ、すごい評判
で、可愛らしくて食べるのがもったいないといった、
声をもらいます。

 中には、お菓子へのほめ言葉と一緒に、箱に掛けて
あった、お雛様の絵の入った和紙で、ポチ袋を作った
という話を、手紙で知らせて下さる方もありました。

 何か嬉しくなりましたので、職人さんにも読んでも
らいたいと思って、その手紙をコピーして、お店の方
に渡しました。

 お店には、季節ごとの図柄の、版木が残されている
とのことですので、これからも、季節ごとの四季の友
が楽しみです。

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2011/03/01

トリプル選挙を受けて

 2月の半ば、名古屋市内で開かれた、新聞社が主催
するフォーラムに招かれましたので、いわゆるトリプ
ル選挙の結果を受けての、感想などを語りました。

 もともとは、あまり気乗りのするテーマではありま
せんでしたが、その日は、トリプル選挙が終わってか
ら、1週間余りの日取りでしたので、この話題を外す
わけにもいきません。

 ということで、地域政党、減税、市議会という切り
口で、トリプル選挙の結果を考えてみました。

 まず、この選挙結果を受けて、これは、既成政党に
対して、国民がノーを突きつけた結果で、既存の政党
は、このことを、深刻に受けとめなくてはならないと
いう評価があります。

 それはその通りですが、既成政党への駄目出しは、
今に始まったことではありません。

 20年前に、どの政党の推薦も受けなかった、無党
派の僕が、初めて高知の知事選挙で当選した際にも、
その傾向は、はっきりしていました。

 少なくとも、地方選挙では、政党の影は薄くなって
いますので、地域政党を名乗るまでもなく、有権者に
とって魅力的な候補者がいれば、政党の存在は、ほと
んど意味がなくなります。

 では、減税はどうかと言えば、選挙戦の現場を見た
人に聞く限り、河村さんの演説に有権者が強く反応し
たのは、市議会への批判の部分で、減税の話ではなか
ったと言います。

 そもそも、市議会議員の、報酬の削減で得られる財
源が16億円、これに対して、減税に必要な財源が、
およそ200億円と聞けば、市民の中には、減税はど
うなのかと思う人もあったでしょう。

 そうした背景の中で、あれだけの結果が出た最大の
理由は、何といっても、市議会議員への反発というこ
とになります。

 では、何故そうなるかですが、投票率を見ますと、
名古屋の市長選挙は過去2回、50%~54%余りな
のに対して、直近の2007年の市議会議員選挙の投
票率は、40%を切っていて、政令都市の中でも、最
低の数字になっています。

 それには、市民の側にも一端の責任がありますが、
市議会議員の選挙区は、区単位になりますから、市長
は、50万から60万票を超える得票があるのに対し
て、議員は、最高の人でも1万4千票余り、最低の人
は、4千票足らずで当選しています。

 そうなりますと、限られた地域や、業界団体、組合
など、数は多くなくても、固定の支援者を持っている
議員が、何度も当選して、議会人として、力を蓄えて
いくことになります。

 こうした議員の多くは、自分の支援者だけを視野に
入れて、活動するでしょうから、その議員とは無縁の
多くの市民、中でも、投票に行っていない100万を
超える市民は、ひとたび火がつけば、高い給与を取り
ながら、何もしていないとしか見えない議員たちに、
厳しい判断を下すことになります。

 だから、議会の構成そのものを変えて、市長ととも
に動く議会にしようというのが、現在の地域政党の動
きですが、議会の側が目覚めて、反省と対応を打ち出
さない限り、市民は許してはくれないでしょう。

 そのような地域政党の動きを、どう評価するか、そ
れが、今後にどうつながるかは、今の時点では何とも
言えませんが、関心をもって見守っていきたいと思い
ます。

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内向けと外向けの使い分け

 2月の初め、過去に何度も、ダボス会議に出席した
ことのある元官僚から、日本の政治家の弱点と思われ
る話を、一つ耳にしました。

 毎年、スイスのダボスで開かれる、世界経済フォー
ラムというコンベンションは、今やダボス会議という
名で、すっかり有名になりましたが、ちょうど、1月
の末に、菅総理がその会議に出席したばかりでしたの
で、お目にかかった元官僚の方に、ダボス会議の話題
を投げかけました。

 すると、その方が、ダボス会議と言えば、今も記憶
に残ることがあると言われます。

 それは、かなり以前、まだ自民党政権の時代のこと
ですが、総理が出席できなかったため、野党第一党の
民主党の代表が、日本を代表する形で、国際問題のセ
ッションに参加しました。

 同じ様に、アメリカからも、当時のクリントン大統
領の代わりに、カリフォルニア州選出の、野党の共和
党の議員が出席していました。

 そのセッションの中で、わが民主党代表の発言は、
日本政府の悪口に終始しました。

 これに対して、壇上の共和党議員は、会場の出席者
から、アメリカ政府に対する批判が出た際にも、国と
してのアメリカの方針を、擁護する発言をしたと言い
ます。

 このやり取りを聞いていて、この元官僚は、国を代
表した話をする時には、与党か野党かといった立場を
超えて、国の政策の一貫性を語るという点で、彼我の
政治家は、鍛えられ方が違うと感じたそうです。

 確かにそうだろうな、それが出来ないのが、日本の
政治家の、さらには日本という国の、大きな弱点なの
だろうと思いました。

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