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2011年7月

2011/07/31

北京報告(1)・・・サウナの中

 7月下旬に、4日間、中国の北京を訪問しましたの
で、その間に見聞きしたことのいくつかを、書き留め
ておきます。

 北京に着いた日、空港から出るなり外は、霧かもや
に覆われたような視界不良で、もわーっとした暑さに
包まれます。

 まるで、自然のサウナのようですが、聞けば、午前
中に雨が降ったため、外気の暑さで蒸気が沸き立った
状態で、湿度は、70%~80%近くあるだろうと言
います。

 案の定、夕方近くに、かなりの雨が降りますと、サ
ウナの中のような暑さも、視界の悪さも、ぐっと和ら
ぎました。

 こうした天候に対して地元では、サウナ天気という
言葉も使われているようですが、昔はこんなことはな
かったので、やはり、都市環境の悪化が原因ではない
かと、説明を受けました。

 その北京市内の人口は、戸籍に登録されていない、
移動人口と言われる居住者も含めますと、1960万
人で、車の台数は、500万台を超えていると言いま
す。

 このため、例えば、ナンバーの末尾の数字が「2」
の車は、火曜日には走れないなど、車両の規制をして
いますが、それでも朝夕の渋滞は、ますます激しくな
っています。

 北京では、行く先々で、環境や省エネという言葉が
強調されていましたが、その気持ちもわかると言いた
くなるような、北京の天候でした。

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政治家の言葉の重み

 7月の半ば、小学校時代からの友人である、鳩山由
紀夫さんと食事をしました。

 その翌日は、鳩山さんが、勉強会を立ち上げるとい
う日でしたので、食事中にも、仲間の議員からの電話
が入ります。

 その中に、テレビでも顔なじみの議員からの、電話
がありましたので、一緒にいた友人が、彼は最近はど
うかと質問をしました。

 それに対して、鳩山さんが、彼も、昔は発言が軽か
ったけれど、最近は、政治家にとって言葉の重みが、
いかに大切さがわかって来たようだ、と言うものです
から、その言葉の重みに、思わず言葉を飲んでしまい
ました。

 また、せっかくの機会でしたから、6月2日の菅総
理の“辞任表明”の、舞台裏を聞いてみました。

 すると、当日の午前中までに、双方ですりあわせを
した結果、復興基本法の成立と、第二次補正予算の目
処が立ったところで辞任するということで、話がつい
たのだと言います。

 このため、そのことを紙にした上、会談の席で、菅
さんに署名を求めたのですが、菅さんから、鳩山さん
との仲じゃないですか、そこまでしなくても、私のこ
とを信じて下さいよと言われたため、そのまま引き下
がりました。

 それがこの有様ですよと、鳩山さんは自嘲気味に語
りますが、その後、小沢さんからは、だから貴方は甘
いんだ、そういう時は、必ず署名をさせなきゃだめな
んだと、怒られたそうです。

 元トロイカのお三方の、何とも表現しにくい人間関
係を、垣間見た気がしました。

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恩人の金さんはどこに

 韓国系の企業にお勤めの方とお話をしていて、入社
の動機の面白さに、感心してしまいました。

 話の本筋は、日本企業と韓国企業の違いで、幹部の
合議に時間がかかって、すばやい判断が出来ない日本
に対して、この方がお勤めの企業では、リーダーのト
ップダウンで、あっという間に決断が下る、といった
話から始まります。

 このため、たとえ、リーダーの判断が朝令暮改であ
っても、組織はそれに対応できますが、その分、組織
の創造力が弱くなっていますので、結果が間違ってく
ると、取り返しがつかなくなると言います。

 この企業は今、モバイルのデザインや機能をめぐっ
て、アメリカ企業との間で係争中ですが、これも、応
用力はあっても、創造力が弱くなっている証ではない
かというわけです。

 この点、日本の企業は、基礎を大切にする代わり、
それを応用する力が弱いため、ビジネスに向けた事業
化に弱点があります。

 しかも、企業によっては、外国人株主が増えて、ビ
ジネスになるかどうかの結果を、早く出せと迫るもの
ですから、強みだった基礎的な研究にも、あまりお金
をかけなくなって、さらに落ち込みが激しくなったと
の指摘です。

 そんな話を聞くうちに、そもそも、なぜ韓国系の企
業を就職先に選んだのかと興味がわいて、そのことを
尋ねてみました。

 すると、その答えはちょっと面白い話で、大学生の
時、一人で韓国旅行に出かけたのがきっかけでした。

 ソウルに着いて間もなく、なんと、財布からパスポ
ートまで、大事なものが、すべて盗まれてしまったの
だそうです。

 大使館に行くにも、場所がわからないしお金もない
と、途方にくれて座り込んでいると、一人の男性が、
日本語で声をかけてくれました。

 事情を説明すると、日本円で5千円を貸してくれた
上、必ず返しなさいよと言って、名詞を渡してくれま
した。

 名詞を見ると、その男性は金さんという方で、名詞
には、この企業の青いマークがついていました。

 ところが、その後、その名詞がどこかに行って、見
つからなくなってしまいました。

 ただ、名詞にあった、この企業の青いマークを覚え
ていたため、就職にあたって、この企業の門を叩きま
した。

 面接まで進んで、なぜわが社を選んだのかと尋ねら
れた時、このエピソードを話すと、面接の担当者に、
「わが社には、金さんが8千人はいますよ」と、笑わ
れたそうですが、結果は見事採用でした。

 入社試験の面接の答え方として、意表をついた手法
とも言えますが、入社から10数年、あの日の金さん
は、まだ見つからないそうです。

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なれ合いの輪

 震災復興を担当する、松本大臣をめぐる騒動を見て
いて、記者と取材対象の政治家が、仲間意識でつなが
った、なれ合いの輪が出来ているのではないかと、感
じられてきました。

 松本大臣と、宮城県知事との会談の様子は、多くの
方が、テレビやネットの映像で、ご覧になったと思い
ますが、水産関係の特区の陳情に対して、「県で、そ
れコンセンサスを取れ、そうしないと、我々何もしな
いぞ、だからちゃんとやれ」と、大臣と知事の関係で
なくても、常識ではあり得ないような上から目線で、
居丈高に迫ります。

 その上で、お客がくる時には、自分が先に部屋に入
ってからお客さんを呼べ、長幼の序を重んじる自衛隊
なら、そうするぞと、自衛隊出身の知事に、的はずれ
な話をした後、「今の最後の言葉はオフレコです、い
いですね、書いたら、その社は終わりだから」と、居
並ぶマスコミを恫喝しました。

 自分が、記者としてその場にいたら、どう反応した
だろうかと考えたのですが、きっと、大臣ちょっと待
ってくれと、口を差し挟んだだろうと思います。

 ところが、どこの社も、文句を言わないどころか、
大臣のおっしゃる通りオフレコ扱いにして、記事にも
ニュースにもしませんでした。

 その中で、唯一この事実を報道したのが、TBS系
列のローカル放送局、東北放送でした。

 このため、東北放送を見た人が、ツイッターや2チ
ャンネルなどに、このことをつぶやいたため、この情
報は、あっという間に、全国に拡散していきます。

 こうした動きを受けて、世間が騒ぎ始めたため、4
日の午後、松本大臣は釈明の会見を開きますが、そう
なって初めて、マスコミは、一斉にこの話を書き始め
ました。

 翌5日の朝刊では、各社とも横並びの社説で、松本
大臣に批判の嵐を浴びせますが、当日、オフレコの恫
喝を見過ごしたことには、どの社も、ひと言も触れま
せん。

 そこで、どうしてこうした反応になったのかを、考
えてみました。

 松本さんが、部落解放同盟の幹部であることを、理
由にあげる人もいます。

 というのも、マスコミには、記事の内容や人事に、
差別的な取り扱いがあったとして、解放同盟の糾弾を
受けた体験がありますので、良いことではありません
が、解放同盟に対して、腫れ物にさわるような距離感
があることも事実です。

 このため、今回の出来事でも、どこかで、このスイ
ッチが入ったのではないかとの推測です。

 しかし、僕には、今の若い世代の記者やデスクに、
そんな感覚が残ってるとは思えませんでしたので、別
の理由を考えてみました。

 それは、あのようなことが、日常茶飯事で起きてい
るのではないか、そんな中で、「書いた社は終わりだ
から」などという、非常識を通り越した暴言にも、違
和感さえ覚えない体質が、出来上がっているのではな
いかという疑問です。

 そうでなければ、テレビカメラの前で起きているこ
とを、東北放送を除いては全ての社が、無かったこと
にするなどということが、起きるはずはないように思
えるのです。

 しかも、そうした関係の中で、閉じられた情報を得
ることが、自分たちの仕事だといった、誤った特権意
識があるのなら、記者クラブに、取材対象である政治
家を巻き込んだ、とんでもない「なれ合いの輪」が、
出来ていることになります。

 それだけに、僕は、あの時、知事室にいた記者たち
に、どんな思いで大臣の発言を聞いたのか、是非尋ね
てみたい気がします。

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だって帰国子女だもん

 7月初めの日曜日、中学と高校に入学のため、父親
一人を赴任地に残して帰国した、長男家の嫁と孫のも
とを訪ねました。

 インドネシアの日本人学校で、3年の日々を過ごし
た孫たちは、それぞれ、私立の高校と中学に進学しま
した。

 学校生活はどうかと尋ねてみますと、成績が心配さ
れていた下の子も、結構頑張っているようなのです。

 英語、数学、国語の3教科は、いずれも平均点以上
で、すごいねえと持ち上げてやると、「だって、帰国
子女だもん」と、可愛らしい答えが返ってきます。

 それに比べて不調なのが、理科と社会ですが、聞け
ば、なるほどという理由がありました。

 まず理科では、こちらに帰って教わった中に、星座
があったのですが、南半球にいたため、日本の星座の
名前は、さっぱりわからないという理由です。

 また、社会科も、インドネシアの社会について学ん
でいたため、日本のことは、よくわからないと言いま
す。

 「バタック族のことなら、わかるんだけど」と言い
ますので、それは何かと聞くと、スマトラに住む部族
で、魔法の杖にまつわる伝説があるのだそうです。

 なるほど、それなりに理由があるんだなあと納得し
ますと、また、「だって、帰国子女だもん」の、決め
台詞が返ってきました。

 面白かったのは、その社会科の試験の話で、答えを
書き込む問題には手が出ないため、まるばつや選択問
題に、賭けたのだそうです。

 その結果、点数は31点、本人は家に帰ってから、
母親に、「あてずっぽうだけで31点だから、これっ
てすごくない」と、嬉しそうに自慢していました。

 ところが、後日、校内の1年生の順位と、全国の系
列校の1年生全体の順位が出ますと、なんと、校内で
は、238人中238位、全国でも、2千人を超える
1年生のうち、見事、最下位とわかりました。

 2千人以上もいる中で、最下位は滅多に取れないぞ
と、感心しますと、返ってきたのは、やはり、「だっ
て、帰国子女だもん」でした。

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三分の一の明かりの下で

 七夕の翌日、今年も武道館で開催された、松田聖子
さんのコンサートに出かけました。

 前にも書きましたが、今から30年前、わが家が暮
らすマンションの上の部屋に、デビューして間もない
聖子さんが、ご両親と一緒に越してきました。

 それ以来のご縁で、聖子さんのコンサートには、し
ばしば足を運んでいますが、今年のコンサートは、例
年とは、少し趣きが異っていました。

 その一つは、節電への努力で、LEDの使用と照明
の工夫によって、通常のコンサートの、三分の一の電
力使用量になっていると言います。

 確かに、舞台の照明は全体に暗めで、バラードの曲
の時など、薄暗がりで演奏をするバンドの面々は、さ
ぞ大変だろうと気になるくらいです。

 また、この日は、DVDの撮影が入っていたため、
さすがの聖子さんも、コンサートの出だしは、いつも
に比べて緊張気味に見えましたが、アンコールに入っ
て、ちょっとほっとしたのか、一ヶ所歌詞を間違えた
のがご愛嬌でした。

 それにしても、マンションで初めて出会った、デビ
ューの日々から30年、アラ・フィフを迎えている彼
女なのに、舞台を駆け回るスタミナは、まったく衰え
を見せません。

 何よりも衰えないのは、観客の動員力で、2階席に
は立見も出る超満員、アリーナ席で総立ちになった観
客が、曲に合わせて、手にした団扇を一斉に扇ぐと、
館内にやわらかい風が吹き抜けるほどです。

 年代を超えたこの一体感は、どこから来るのだろう
かと、コンサートのたびに、いつも感じさせられるこ
とでした。

 コンサートの後、聖子さんの育ての親とも言える、
サンミュージックの相沢会長にご挨拶をしますと、声
も艶があって凄いと、絶賛されていましたが、数年前
に、大阪城ホールで見たユーミンは、50才の大台を
過ぎてもなお、舞台に作られた、高い螺旋階段を駆け
上っていましたので、聖子さんにも、まだまだ頑張っ
てもらいたいものです。

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2011/07/29

株主の関心は

 ある頼みごとがあって、東京の押上に建設中の、ス
カイツリーを運営する鉄道会社の、本社を訪ねる機会
がありました。

 これまで、あまり関心がなかったため、これといっ
た知識もなかったのですが、東京タワーに代わるテレ
ビ塔を建てるにあたって、あわせて19ヶ所から、手
があがったのだそうです。

 その中から3ヶ所が残って、最後は、現在スカイツ
リーが建設中の、東京の押上と、埼玉副都心との、一
騎打ちになりました。

 結果として、この鉄道会社の本社のある押上げが、
競争に勝ったのですが、埼玉県内にも多くの路線があ
るため、知事に申し訳なくてあわす顔がないと、幹部
の方は、埼玉への気遣いを今も忘れません。

 そのスカイツリーのオープンは、来年の5月22日
ですので、すでに、オープニング初日の、イベントの
準備も進んでいるようですが、当日、どれだけの人が
集まるか見当がつかないため、正直を言って、楽しみ
半分、不安半分なのだといいます。

 確かに、予想を超える人が集まったため、群集が将
棋倒しになったといった事故も、過去にはありますの
で、その不安もわからないではありません。

 その一方で、スカイツリーの入場料金は、早々と決
定をしましたが、料金が高すぎるとの声が、すでに会
社にも寄せられています。

 そこで、株主総会では、このことに関する質問はな
かったのかと尋ねてみますと、質問はあっても、それ
は、料金が高いという指摘ではなくて、株主優待の制
度で、どれくらい料金が割引になるかとの、質問ばか
りだったとのことでした。

 株主も、関心事はそのことかと思いながら、帰りが
けに、あらためてスカイツリーを見上げた時に、株主
優待で、入場料金がどれくらい安くなるのかを、聞き
漏らしたことを思い出しました。

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本当に恐いものは

 知人の紹介で、大学生の時にヨットに乗って、一人
で太平洋を横断した経験を持つ方の、お話をうかがい
ましたが、とても勉強になりました。

 この方は、専門学校を出た後、大学に進学されてい
ますので、2003年、大学4年生の夏から秋にかけ
て、太平洋を横断した時は、20代の後半でした。

 それは、日本人として初めて、ヨットでの太平洋単
独横断を成功させた、堀江さんから数えて、10人目
の快挙だったそうです。

 子供の頃、ヨットマンだったお父さまと一緒に、海
に出た時、遥か向こうに、アメリカという国があると
聞いた思い出が、この一人旅の、そもそものきっかけ
だったといいますから、その思い出は、人一倍のもの
だったのでしょう。

 用意したものは、2リットル入りの、水のボトルを
80本、旅の予定は80日でした。

 なぜ、水を80本に分けたのかと聞くと、重心のバ
ランスをとるためもあるけれど、大きなボトルに入れ
ると、それが使えなくなった時の、リスクが大きいか
らとのことで、いきなり、なるほどと納得してしまい
ます。

 食べ物は、魚を釣ればいいと思って、マグロも釣れ
る、大きな竿を、用意したそうですが、一人で海を漂
っているうちに、自分が生かされているという気持ち
になって、海の仲間である魚を殺すことなど、とても
出来ないと思うようになったといいます。

 これまた、経験者でなければわからない心境で、ま
たまた納得させられました。

 何が一番恐かったかとの、ありきたりの質問もして
みましたが、嵐に遭遇した時は、やらなくてはいけな
いことが一杯あって気がまぎれるため、さして恐怖感
はないのだそうです。

 これに対して、最も恐いのは、風がまったく無くな
ってしまう時で、大海原でただ一人、風よ吹けと叫ん
でも、声は空しく大海に吸い込まれていきます。

 海図を見ると、水深が6千から7千メートルのとこ
ろで、このまま、深い海底に沈んでしまうのかと、恐
怖心から気持ちが落ち込みました。

 最も長い時は、この状態が丸一日続きましたが、風
でロープが、ぎしぎしと音をたて始めた時には、来た
来たと、何ともいえない嬉しさが、込み上げてきたと
いいます。

 霧の彼方に、朦朧としたサンフランシスコの姿が見
えたのは、日本を出てから78日目、10月半ば過ぎ
のことでした。

 その間、大海ですれ違ったのは、2隻の貨物船だけ
でしたが、雨にも負けず、吹かない風にも負けず、当
時の太田大阪府知事から預かった、カリフォルニアの
シュワルツネッガー知事に宛てた親書も、無事届ける
ことが出来たそうです。

 聞けば聞くほど、面白い話で、途中から、少人数で
聞くのがもったいなくなりました。

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ドラキュラの国の回転寿司

 フェイスブックの友達申請の中に、ルーマニアで、
回転寿司を経営しているという方がいて、その組み合
わせの面白さに、何となくうれしくなりました。

 フェイスブックでは、様々なタイプの方が、友達の
申請をしてこられますが、外国にいる方からのアクセ
スも、少なくありません。

 その中に、先日、ルーマニアで外食事業をしている
という、日本の方からのメッセージがありました。

 それを読みますと、40才を過ぎた頃に、友人と一
緒に旅行していて、ルーマニアが気に入ったとのこと
で、最近ある地方に、回転寿司の店を開いたと書いて
あります。

 ルーマニアといえば、ドラキュラ伯爵の故郷で、肉
食のイメージですから、そもそも、寿司屋の商売が成
り立つのか、お米はどこから仕入れているのかなど、
次々と疑問がわきました。

 そこで、早速質問をしてみますと、日本食ブームだ
けに、商売の方は問題ないとのことでしたが、お米に
ついては、ヨーロッパに入っている、カリフォルニア
産のコシヒカリの味が、よくないのだそうです。

 そこで、あちこちと探したところ、イタリアに、美
味しいコシヒカリがあることがわかって、今ではイタ
リアから、お米を買い入れていると言います。

 フェイスブックを始めて、まだ日は浅いのですが、
結構面白い話が手に入るなあと思って、うれしくなり
ました。

 と同時に、こうした話を聞きますと、日本のお米が
勝負できる地域が、世界には一杯あるのではないかと
思えてきて、内向きな日本の農政が、あらためて残念
に感じられました。

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2011/07/24

エンリャク、ジー

 比叡山の僧坊に一泊した翌日は、根本中堂や書院な
ど、延暦寺の中を案内していただきました。

 泊めていただいた僧坊は、素晴らしいロケーション
で、朝起きて窓から外を見ますと、きれいに手入れさ
れたお庭越しに、遠く琵琶湖が見晴らせます。

 朝5時からのお勤めを終えて、朝食の後、阿闍梨さ
まとお話をしていますと、回峰行に向かう、3人の行
者さん立ち寄られました。

 行者さんといっても、若いお坊さんばかりですが、
白装束のきりりとしまった姿を見ますと、こちらのた
るんだ気持ちも、きりりと引きしまります。

 お三方が、僧坊を出発されるのを見送った後、一緒
にいた皆さんと、阿闍梨さまを囲んで、写真を撮ろう
ということになりました。

 若いお坊さんに、カメラのシャッターを切ってもら
ったのですが、「はい、チーズ」にあたる掛け声が、
「エンリャク、ジー」だったので、一層親しみが持て
ました。

 この後、根本中堂を初め、延暦寺の中をご案内いた
だいたのですが、浄土院という、宗祖最澄を祀ったお
寺は、竜安寺のような石庭と苔のお庭が、実にきれい
に整えられています。

 聞けば、このお寺での修行は、比叡山の山中を駆け
巡る、千日回峰のような「動の行」ではなく、じっと
動かない「静の行」で、こちらの方が、精神的には、
ずっと厳しい行なのだそうです。

 それもそのはず、さして広くない浄土院の境内の中
に、12年間籠る行で、その間は、一歩も境内の外に
は出られないのです。

 お勤めは、最澄のお世話で、まるで、まだ最澄が生
きているかのように、毎日の食事を作って、最澄の廟
に届け、しばらくしてからお膳を下げて、それをいた
だく日々だといいます。

 しかも、山に囲まれた境内は、天気の日でも、陽の
さす時間が短いため、庫裏の中は湿度も高く、決して
心地よい環境ではありません。 

 こうした静の行の中で、唯一、体を動かせるのが、
お掃除の時間ですから、ゆっくりと時間をかけて、び
っくりするほど丁寧に、庭の手入れに打ち込むことに
なります。

 どうりで、あんなにお庭がきれいなんだと、納得が
いきました。

 それにしても、想像を超える行だと思いながら、浄
土院を後にすると、案内をしてくれた若い僧侶に、頭
は何日にいっぺん剃るのですかと、いきなり、くだら
ない質問をしてしまいました。

 すると、「みんな、毎日お風呂に入った時に剃りま
すよ、コンビニで、安いシェービングフォームを買っ
てきて」とのお答えで、重苦しい行への想念を、洗い
流すことが出来ました。

 比叡山は、伝統と現代が、見事にかみ合った山でし
た。 

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師弟の間合い

 6月の末、岡山で、両親と兄の法要を営んだ後、比
叡山に立ち寄って、おつき合いをいただいている高僧
の僧坊で、一泊を過ごしました。

 この方は、千日回峰行という荒行を成就して、阿闍
梨(あじゃり)という称号で呼ばれる方ですが、ちょ
っとしたご縁があって、知事の時代から、親しくさせ
ていただいています。

 この日は、岡山の菩提寺で、法要を済ませた後、新
幹線とJRの湖西線を乗り継いで、比叡山の坂本駅に
降り立ちました。

 夕食の、お精進の席を共にしますと、思い出話の数
々を披露して下さいます。

 どういう経緯でそうなったのかは、よくわかりませ
んでしたが、若い頃に、東京の済生会病院で、人間ド
ックの検査を受けた時のことです。

 数日間の食事の内容を書く欄があったので、精進料
理の数々を書き込みますと、こんな模範的な食生活を
しているのなら、検査の必要も無いでしょうと、医者
に突っ込まれたとのことで、お医者さんも、さぞ驚い
たことだろうと思いました。

 ただ、検査の後に医師から、「きれいに処置をされ
ていますね」と言われたため、何のことかと不思議に
思って、問いかけました。

 すると医師は、十二指腸に潰瘍があったけれど、き
れいに処置されているというのです。

 まったく自覚のない話だったそうですが、小僧は、
病気をしたらそれで終わりなので、少々のことはじっ
と我慢をしているうちに、自然に治ったのでしょうと
言われます。
 
 そういうことも、あるだろうとは思いましたが、小
僧さんは、病気をしたら、修行を続けられないと聞い
て、そんなしきたりがあるのかと驚かされました。

 その小僧時代からのお師匠さんは、僧職の世界での
父親にあたる方で、お酒を一切止めたのも、お師匠さ
んのひと言がきっかけだったそうですが、自分には、
子供にあたる弟子が長い間出来なかったため、随分、
お師匠さんの気を揉ませたようです。

 といっても、他の人が心配して、そのことを話題に
すると、いつも、何のことは無いという顔をされてい
たそうですし、ようやく子供が出来て、そのことを報
告に出かけた時にも、「おう、そうか」と、静かに答
えられただけでした。

 ところが、そばでお世話をしているお坊さんに、尋
ねてみますと、本当は、とても喜ばれていたようで、
「これで、いつ死んでもいい」といったことまで、口
にされていたそうです。

 お師匠さんが、病に倒れられたのは、まさにそのす
ぐ後でしたが、その後も床につかれたまま、今も話の
やりとりは可能だといいます。

 そのお師匠さんの病床を、比叡山の大僧正と共に訪
ねた日のこと、大僧正が、お見舞いの言葉をかけます
と、お師匠さんは、「おー、何か困ったことがあった
ら、いつでも言ってきいや」と答えます。

 相手は、今や大僧正、冷や汗をかきながら部屋を出
て、「申し訳ありませんでした、あのような失礼を申
し上げて」と、お断りをしますと、「いやー、御前ら
しくて、お元気でなによりです」と微笑まれたので、
胸をなでおろしたそうです。
 
 偉いお坊さま同士も、師弟の間も、その間合いと息
づかいは、俗世間以上に、機微に富んだものであろう
かと推察しました。

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4千年の歴史

 中国の方のお話を聞いていて、中国4千年の歴史と
いう言葉の意味を、考え直してみました。

 この方は、中国の東北部から来られていますが、中
心部の都市から列車で9時間、さらにバスに揺られて
3時間、地域のお年寄りの中には、汽車を見たことが
ない人もいるいいます。

 こんな話を聞きますと、つくづく中国は広いなと感
心をします。

 また、中国といえば、広い国土だけでなく、4千年
と言われる歴史を持つ国ですが、この方のお話を聞い
ていますと、その歴史そのものが、ひとつに繋がった
ものではないことを、あらためて思い起こします。

 その理由の一つは、他民族による支配で、ひと言に
中国といっても、モンゴル人に100年間、満州人に
200年間と、漢民族の天下ではなかった時期が、長
く続いているからです。

 このため、チャイナドレスと呼ばれる、脇にスリッ
トの入った女性の服も、もともとの漢民族の服ではな
いといいます。

 では誰の服かといえば、それは、満州族のもので、
騎馬民族である女性たちが、馬に乗りやすくするため
に、脇にスリットを入れたのだそうです。

 こうした、他民族による支配の時期に加えて、焚書
坑儒や、共産党政権の下での歴史観などがあって、中
国には、歴史的な文献が十分には残されていません。

 このため、たとえば孔子の研究であれば、今は京都
大学が世界一で、中国は、歴史的な文献と共に、歴史
の連続性も失っていると、この方は指摘されます。

 その話を聞きながら、一昨年中国を訪問した際に、
北京在住の外国人の方が、中国はルーツを失った国だ
と言っていたことを、思い出しました。

 中国のこれからを考える時、こうした過去が、どう
影響をするのか、よく勉強してみたいと思います。

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2011/07/19

馬から獅子まで

 6月半ばの一日、妻と兄嫁を伴って、日光の東照宮
を訪ねました。

 これは、今年のお正月に、裏千家のお初釜で、東照
宮の宮司さんにお目にかかった際、お誘いを受けてい
たもので、東照宮への参拝は、思い出せないくらい久
し振りのことでした。

 宮司さんは、流鏑馬をされるため、話は自然と馬の
話題になりました。

 流鏑馬は、250メートルの距離を疾走する馬上か
ら、矢を継いで的を射る競技ですので、馬を一定の速
度で走らせる技術とともに、鐙に足を掛けただけで馬
に乗る怖さに、どこまで耐えられるかが決め手だと言
われます。

 このため、馬を調教する時に、下手な乗り手が途中
で手綱を引くと、馬は、その場所に来たら速度を落と
さないといけないと感じて、その後もそうするので、
流鏑馬にとっては、とても危険なのだそうです。

 それにしても、的に当てるのは、大変難しいように
思って尋ねますと、不思議なもので、一度当たると、
そのタイミングを体が覚えるので、わりと容易に、的
を射ることが出来るようになるとのお話でした。

 また、この日は、新しいご神馬が誕生した翌日でし
たので、そのことも伺いました。

 すると、神様の前で拝礼をすることで、神馬と認め
られるのだそうですが、本殿の前に立つと、深々と頭
を垂れるし、その後は、自分はもう神馬だという顔つ
きになるし、馬は実に賢いと、宮司さんも感心されて
いました。

 この後、若い神官さんに、境内を案内していただき
ましたが、厩でご神馬が奉仕をしているとのことでし
たので、厩を訪ねてみました。

 すると、美しい毛並みの白馬が、物静かな仕草で、
見ざる言わざる聞かざるの、三猿の欄間に飾られた、
厩の中に佇んでいます。

 聞けば、こうして厩の中に待機して、神様がどこか
にお出かけの際に、神様をお乗せするのがご奉仕なの
だそうで、ご奉仕は、2時間交代だとのことでした。

 いよいよ、陽明門へと向かいますと、その途中の、
踊り場になった場所を区切る石の柵に、まるで柵を飛
び越えてきたかのように、頭を地面に、両の足を柵の
上に向けた姿の、大きな獅子の石像があります。

 当然、柵とは別に、取り付けられたものと思ったの
ですが、よく見ると、柵の石と一体化しています。

 それもそのはず、大きな石を彫って、獅子の像と柵
とを、一緒に作ってあるのだそうです。

 何故かといえば、地震など不測の事態で、石の柵が
揺らいだ時にも、柵が下に落ちて、事故を起こしたり
しないように、重さのバランスをとるための知恵だと
のお話でした。

 その名も、飛び込み獅子と言いますが、昔の人は、
色々と知恵を絞っているなあと、つくづく感心させら
れました。

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ファミレスからの挑戦

 長く外食産業を牽引してきた方から、7月に東京の
八王子にオープンする、野菜や果物の直売店と、レス
トランにかける思いをうかがいました。

 この方が、ファミリーレストランを始めたのは、昭
和40年代の半ばのことですが、その頃は、住む、働
く、食べるなど、暮らしのすべての面に、まだ汲々と
していた時代でした。

 ですから、高い天井や柱のない広い部屋に、明るい
照明、そんな、家庭では味わえない場所を、家族連れ
に楽しんでもらおうというのが、ファミリーレストラ
ンのコンセプトでした。

 それは、猛烈社員と呼ばれ、会社の仕事一筋で、ほ
とんど家にいなかったお父さんと、週に一回、家族が
一緒に、食事を楽しめる場所でもありました。

 それでは、今の時代、消費者が求めるものでありな
がら、家庭では、すぐには手に入らないものは何かと
考えた時、それは、安全と健康と、栄養のバランスで
はないかというのが、この方の目の付け所です。

 殺虫や殺菌に関する、明確で厳しい基準に沿って育
てられた、安全で、鮮度と質のいい食材を、どうして
食べればおいしいかという、情報をつけて提供しよう
というのが、7月に八王子に開く、野菜とフルーツの
販売店で、それがうまくいったら、その仕組みを、全
国の関係者に教えていきたいと言われます。

 といいますと、考え方や目の付け所そのものは、さ
して目新しいものではないと、感じる方も多いでしょ
うが、外食産業の世界で、赫々たる実績をあげてこら
れた方だけに、何か違うものがあるのだろうと、期待
がふくらみました。

 こうして、外食産業のノウハウを基に投げかけられ
た、消費者重視の農産物販売の挑戦が、今後どんな展
開を見せるのか、しっかりと見守っていきたいと思い
ます。


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一気通貫の夢

 天寿を全うして逝かれた、中学以来の、親友のお母
様のお別れの式で、喪主を務めた友の挨拶に耳を傾け
ました。

 彼とは、中学に入った時から、クラスも一緒、柔道
部の部活も一緒、高校に入ってからはバンドも一緒に
やって、青春時代を共に過ごしてきました。

 そんなわけで、彼の家に遊びに行って、そのまま泊
り込んだことが何度もありましたから、お母様には、
とてもとてもお世話になりました。

 昔から、ご自分でも、人形作りのお仕事をされるな
ど、活発で素敵な女性でしたが、花に埋もれた棺をの
ぞき込みますと、昔のイメージそのままの、美しい寝
姿でした。

 お別れの式の最後に、喪主である友が、参列者に向
けた、お礼の挨拶を始めます。

 それによると、10年ほど前から、認知症が始まっ
ていたとのことで、時々おかしな会話も出たようなの
ですが、若い頃からマージャンがお好きでしたので、
ある日彼がお母様のもとを訪ねると、いきなりマージ
ャンの話題になりました。

 たぶん、うつらうつらしているうちに、マージャン
をしている夢を見ていたのでしょう、彼の顔を見るな
り、「一気通貫は何ファンだったっけ」という質問が
飛びます。

 不意を突かれた彼は、一瞬、頭の中が真っ白になっ
て、「えっ、一気通貫?満貫じゃなかったっけ」と、
いい加減な答えをしました。

 するとお母様は、突如目を見開いて、「私が年をと
ったと思って、馬鹿にしたら承知しないよ」と、厳し
く、息子を叱責されたのだそうです。

 その話を聞きながら、そうだよ、面前でもリャンフ
ァンだし、開いたらイーファンしかないぜと、神妙な
顔を崩さないまま、心の中でつぶやいていました。

 お母様は天寿を全うされたし、最後までお見送りも
出来たので、彼も心残りはないだろうと思っていたの
ですが、そんなエピソードを語りながら時折涙ぐむ、
60過ぎの男の姿を見ていて、息子にとっての母親の
存在を、あらためて噛みしめました。


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