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2011年10月

2011/10/24

花占いのように

 中国の政治体制は、変わっていくのか、それとも変
わらないのか、何人かの方にご意見を聞いてみても、
結論はよくわからないままでした。

 いささか旧聞に属しますが、去年の尖閣の問題に対
する感想を尋ねても、三権分立が出来ていない中国ら
しい、いつもながらの、政治優先の反応だと受けとめ
た方もいれば、これまでの中国の対応とは少し違った
ので、「おやっ、何かが変わっている」と、感じた方
もいます。

 そうした、何らかの変化として指摘されることの一
つは、人民解放軍の発言力で、今年北京で開かれた、
日・米・中の三国のフォーラムでも、中国の軍事費が
不透明だとの意見が出されました。

 これに対して、出席していた将軍が、「中国の軍事
費が、なぜ伸びているのか説明しましょう。それは、
人件費が伸びているからで、私の給料は、この4~5
年で3倍に、1万人民元になって、防衛大臣の給料よ
り高くなりました」と、発言したそうです。

 もちろん、人件費をそこまで伸ばすこと自体に、後
に引けなくなるという問題点がひそみますが、将軍が
自分の給料を公表出来るようになったのも、発言力の
増加と見てとれなくはありません。

 一方、国内的には、一人っ子政策の結果、一人当り
のGDPが、十分な大きさに達しないうちに、生産年
齢人口の比率が減少するという、大きな問題を抱えて
います。

 その上、前にタクシーの運転手さんの話でも、紹介
しましたように、上層部の腐敗や不正に対する、国民
の不満はつのる一方です。

 このため、中国問題の研究者の話では、中国の各地
で、年に10万件もの暴動騒ぎが起きているとのこと
でしたが、それが、中国の政治体制に、大きな変化を
もたらすかと尋ねると、その答えには疑問符が付きま
した。

 というのも、かつての東ヨーロッパの崩壊も、今年
中東の各国で起きた独裁体制のドミノ倒しも、いずれ
も、独裁的な政治を行ってきた、政治家個人がターゲ
ットになって、体制がくつがえりました。

 これに対して中国は、中国共産党の一党独裁の国で
すが、個人としての独裁者が、何十年も、政権をほし
いままにしているわけではありません。

 ですから、主席や首相を、その座から引きずり降ろ
したとしても、体制は何も変わりませんし、かといっ
て、共産党に代わる統治の受け皿があるかと言えば、
それがないことを、多くの国民は理解しています。

 といった訳で、中国の政治体制は変わるのか変わら
ないのかを、事情通にうかがっても、まるで、一枚一
枚の花びらを千切っていく花占いのように、最後まで
結果は分かりませんでした。

 その中国は、今年が辛亥革命から100周年にあた
りますので、中国共産党の発足をドラマ化した、テレ
ビ番組が放送されました。

 その番組を見ていた人が、「ああ、こうすれば新し
い党が作れるのか。だとすれば、これを見て、新しい
党を作りたいと思う人が、出てくるんじゃないか」と
つぶやいて、周囲に笑いが漏れたそうですが、そこで
は、リアリティーのある冗談で、終わったとのことで
した。

 さて、花占いの最後の一枚は、いったいどちらなの
でしょう。

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赤飯ライスの思い出

 九州出身の、芸術家の女性から、時代が感じられる
ような、ほんわかと温かい、お母さまの思い出話をう
かがいました。

 この女性の実家は、由緒ある神社の神職でしたが、
彼女が小さかった頃お母さまは、賑やかな町なかの様
子を、あまりよくご存知ではありませんでした。

 ある日、何かの機会に、町の繁華街に出かけた彼女
が、レストランの陳列棚をのぞくと、ケチャップで味
付けをした、美味しそうなチキンライスが飾ってあり
ます。

 トマトケチャップも、チキンライスも見たことのな
かった彼女は、これは何だろうと興味を持って、家に
帰るなりお母さまに、「赤いご飯を丸く盛った上に、
日の丸の旗が立っていた」と、町で見たチキンライス
の、色や形を報告しました。

 それを聞いたお母さまは、「わかったわ、それじゃ
あ、それを作ってあげましょう」と言って、早速作っ
てくれたのですが、出てきたのは、お赤飯を丸く盛っ
て、その上に、つまようじに付けた日の丸の小旗を、
差し込んだものでした。

 これも、お母さまが、それまでトマトケチャップの
存在をご存知なかったからなのですが、それを見た彼
女は、町のお店で見たものはお赤飯だったのかと、妙
に納得してしまったそうです。

 後日、ケチャップの存在を知ったお母さまは、あら
ためて、本物のチキンライスに挑戦して下さったそう
ですが、聞いているだけでも、何ともほんわかと温か
いエピソードでした。

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2011/10/23

風立ちぬ

 京都で、仏師のもとをお訪ねした後、北陸線に揺ら
れて、福井に足を運びました。

 それは、曹洞宗の大本山永平寺で、早朝の座禅の行
に参加するためでしたが、時間があったため、地元の
特産品である、竹人形を紹介する館を訪ねました。

 感心したのは、竹を糸のように細く割って作った、
竹人形の髪の毛で、風になびく髪の流れは、とても竹
とは思えない繊細さです。

 館の中には、人形制作の実演もあって、まだ若い職
人さんが、あの髪の毛と同じ様な、細く割った竹の糸
を、作っているところでした。

 見ると、すでに細くなった竹ひごに小刀を入れて、
ゆっくりゆっくりと、二つに割いていますので、邪魔
にならないように静かに、コツを聞いてみました。

 すると職人さんは、作業の手を休めて、「よく、竹
を割ったような性格と言いますけど、実際の竹は、そ
んなにきれいさっぱりとは、割れないんですよ」と言
われます。

 興味を感じて、さらに耳を傾けますと、「特に、こ
れくらいの細さにまでなると、いっぺんにスパッとは
割れませんから、まるで自転車をこぐように、右に行
ったり左に行ったりしながら、注意深く割いていくん
です」とのことでした。

 そうか、竹を割ったようなという形容詞は、太い竹
に限ったことなのか、竹も細くなれば、竹を割ったよ
うな性格も、結構左右にぶれるようになるのだなと悟
って、館を後にしました。

 メインイベントの永平寺では、夕方と早朝の二度、
壁に向かって座る、面壁の座禅を体験出来ましたが、
朝の座禅の後、午前5時過ぎからは、百人を超える修
行僧が一堂に会した勤行を、本堂の片隅に座して拝見
しました。

 その行を終えた若い僧たちが、本堂を離れる時のこ
と、僧衣の列が前を通ると、さぁ~っと、音にはなら
ない、ひそやかな風が流れました。

 目の前を次々と通り過ぎる、僧の列が起こす風を肌
に感じながら、細く割った竹の糸でかもし出される、
竹人形の髪の流れを思い起こしていました。

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仏の顔を二度も三度も

 9月の連休の一日、京都の仏師のもとを訪ねて、仏
の顔を何度も拝みました。

 お訪ねをしたのは、現代の運慶や快慶にあたる、仏
師の方ですが、同志社大学の英文科卒で、大学を出た
後は、能面を彫っていたという変わり種です。

 こうしてしばらくは、能面師としての道を歩みまし
たが、能は人間の喜怒哀楽をテーマにした芸術ですの
で、面を打っているうちに、登場人物の恨みや悲しみ
が乗り移ってきて、やがてその重みを、肩にずっしり
と感じるまでになりました。

 そこで、仏様なら喜怒哀楽を超越した存在なので、
そんなこともなかろうと考えて、人間国宝だった仏師
の下に、弟子入りしたのだそうです。

 ところがお師匠さんは、弟子たちの仕事に対して、
ここが良いとか悪いとか、ひと言も批評をしてくれま
せん。

 このため、ある日弟子たちが、お師匠さんを取り囲
んで、どうして何も言ってくれないのかと、問いかけ
ました。

 するとお師匠さんは、真面目な顔つきで、「君たち
は立派な大人だから、小学生のように、一つ一つ口に
出して、注意をするようなことはない」と言った後、
弟子たちの手にした小刀を指差して、「それに君たち
は、刃物を持ってるだろう、だから危なくて、滅多な
悪口は言えないんだよ」と言って、にやりとしたそう
です。

 その話を聞いて、さすが人間国宝、なかなかやるじ
ゃないかと感心しました。

 この後、仕事場の上の階にある部屋にあげていただ
きますと、そこには所狭しと、木彫の仏像が並べられ
ています。

 これは、お師匠さんが大きな仏像を製作する時に、
その原型として彫った菩薩や如来の数々で、運慶や快
慶の時代から、木造であれ鋳造であれ、こうした原型
を作ってから、大きな作品に取り組んだのだと言いま
す。

 ただ、原型とはいえ、いずれも立派な大きさの仏像
ばかりですので、仏の顔を二度も三度も、丁寧に拝ま
せてもらいました。

 それにしても、人間国宝の手になる仏像が、こんな
場所に静かに並んでいようとは、これまで思ってもみ
ませんでした。

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2011/10/17

あちらもこちらもたれ流し

 政府の政策決定にも関わりを持つ、著名な学者とお
話をする中で、被災地での復興予算の使い方は、この
ままでいいのかと気になりました。

 この先生は、財政学がご専門ですが、地方から海外
まで、各分野の政策の動向にも詳しい方で、東北の大
震災をきっかけに、各種の事業の手法を思い切って見
直してはどうかとの、ご意見をお持ちです。

 その一つが、下水の処理に関わることで、今回の震
災で、被災地の沿岸部にあった、流域下水道や公共下
水道の処理場が軒並み津波に洗われて、破壊されてし
まいました。

 このためこの方は、これを機会に、大規模な処理場
で汚水を分離して、大量の汚泥を作り出している、現
在の手法をあらためて、ヨーロッパで採用が進んでい
る、合併処理のコンポスト型に変えて、土壌との循環
を図る仕組みにしてはどうかと考えられていました。

 そんな中、財政関係の審議会で関わっている、ある
中央官庁で、下水処理場が壊れて使えなくなった地域
で、上流から下水管を通じて流れてくる汚水に、塩素
を入れて中和させた上、海に流すという案件の説明を
受けました。

 その説明を聞いた先生は、即座に、「そんなことを
しても良いのか」と尋ねたのですが、説明にあたった
役人の答えは、「法律には触れませんので、問題はご
ざいません」というものでした。

 法律には触れないと言っても、それは法律が、そん
な事態を想定していなかったから、規定がないだけだ
ろうと思いながらも、あらためてその理由を問います
と、処理場を再建するのには、3年かかるため、その
間の経過的な措置なのだと言います。

 その説明を聞きながら先生は、津波で壊れてしまっ
たのなら、それを機会に、従来型のシステムを見直し
て、循環型に作り変えるといったアイディアが、なぜ
出てこないのかと、縦割り行政の弊害をつくづくと感
じたそうです。

 というのも、流域下水道と公共下水道は国土交通省
の、合併処理は環境省の担当ですから、政治が新たな
指示を出さない限り、復興のための予算は、従来型の
仕組みの繰り返しになるからです。

 実は、この下水道の件に関しては、現役時代に、こ
の事業を直接担当する、河川関係の局長を務めたこと
のある、国土交通省の幹部OBも、今回の震災後に、
今のシステムでは、復興に時間とお金がかかるので、
システムを見直す必要があると、発言をしているくら
いです。

 これは、ほんの一例ですが、こんな調子では、他の
分野でも、従来型の公共事業をなぞる形で、予算が積
み増されていくばかりでしょう。

 中には、それが必要なものもあるでしょうが、増税
増税といって、財源を増やすだけ増やしたあげく、汚
水と同様、予算も一緒にたれ流されて行くのではたま
りません。

 復興のための増税の是非を、財源の面からだけ議論
するのではなく、実際に、どんな事業に使われようと
しているのか、マスコミの手による、細部にわたる検
証が望まれます。

 そもそも、事業仕分けという名で、政策を見直すの
であれば、復興のための予算を手掛かりにそれを実施
するのが、最も効果的なはずですが。

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20年後の健康談議

 20年余り前、NHKへの就職の際に相談に乗った
後輩と、久し振りに会って旧交を温めました。

 この後輩は、僕が社会部の記者時代に、就職セミナ
ーで話をした時、その話を聞いて、渋谷の放送センタ
ーまで訪ねてきてくれました。

 そんな縁があったため、特段に思い出の多い後輩な
のですが、若くして脳梗塞を患ったと聞いていました
ので、その後の体調はどうかと、ずっと気にかかって
いました。

 でも、会ってみますととても元気そうで、病気の思
い出話も、今後のためになる話題として、楽しく聞く
ことができました。

 その彼に、脳梗塞の症状が出たのは、家での夕食を
終えて、間もない頃だったそうですが、本人は、食あ
たりで気分が悪くなったものだと、信じて疑わなかっ
たため、そのまま早目に床につきました。

 ところが、夜明け方になって、どうも様子がおかし
いと気づいた奥さまが救急車を呼ぶと、彼の目を見た
救急隊員は即座に、脳梗塞が疑われるので、動いては
いけないと支持を下します。

 たまたま、運び込まれた近くの救急病院が、数ヶ月
前から、脳梗塞に対応した専門のシフトを、取り始め
たばかりだったという幸運も手伝って、早速手術を受
けることになりました。

 すると、薄れゆく意識の中で、NHKで仕事も出来
たし、家族も持てたので、一人前の男として少しは世
の中のお役に立てた、だから、このまま死んだとして
も、人生は無駄ではなかったといった思いが、頭をめ
ぐったのだそうです。

 そんなものかと、この道では先輩格の彼の話に、じ
っと耳を傾けました。

 術後にリハビリが始まった頃には、立花隆さんの本
を読んでいて、もっと頭のくたびれない本を読んだら
と、看護師さんに冷やかされたというくらい、回復も
順調で、彼は、間もなく職場に復帰します。

 ところが、脳からの神経の発信力が弱くなって、睡
眠時無呼吸症になったため、夜中にしばしば目が覚め
て、、昼間の仕事中に急に眠くなってしまうという、
後遺症が出るようになりました。

 そこで、医師に勧められたのが、鼻に管をさして、
寝ている間にも、十分な空気を肺に送り込むという医
療機器ですが、これをつけるとぐっすりと寝つけるそ
うで、無呼吸症とは関係なく、一度試してみたいもの
だと思いました。

 ただ、なぜかこの機械は、外国製ばかりだそうです
し、その上、無呼吸症の診断がなく健康保険もきかな
いとなると、ひと月当たりの費用が、かなりの額にな
りますよと、忠告も受けました。

 就職の相談に乗った、当時大学生だった彼と、健康
に関わる話を交わしていることに、20年の歳月を噛
みしめながら、楽しいひと時を過ごしました。

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とらぬ狸と狐の皮算用 

 9月の半ば、永田町の住人とご一緒に、さっぱりと
したお蕎麦をいただきながら、結構脂っぽい話をうか
がいました。

 この方は、日教組嫌いで知られていますが、先日、
ある議員仲間の仲介で、日教組出身の、民主党の輿石
幹事長と、食事を共にしたと言います。

 思いのほか、バランス感覚のある人だというのが、
初対面での印象で、輿石さんが、小沢さんをどう思う
かと聞いてくるので、小沢さんご本人がどう思われて
いるかは分からないが、政治家としては、もう終わっ
ていますよねと答えると、輿石さんも、「そうだろう
なあ」と、うなづいていたそうです。

 その様子を見てこの方は、小沢さんと輿石さんは、
大人がお互いを利用し合う関係なのだろうと、受けと
めたとのことでした。

 一方、菅さんに関しては、各省から出ている秘書官
の名前を、最後まで覚えようとしなかった、といった
エピソードを紹介しながら、総理としてはあまりにひ
どかったので、国民が、政治をこのまま放ってはおけ
ないと、真面目に考え始めたことが、最大の功績では
ないかと、独自の評価を下していました。

 そんな中、次の総選挙がどうなるかといった話にな
ったのですが、その時、この数字を見てくれとと言っ
て、数字を書いた紙を差し出されます。

 何かと思って数字を見ますと、「1回生自民5人、
民主142人」に始まって、小選挙区選出の5回生ま
での議員を、自民党と民主党に分けて、それぞれの人
数が書き込んであります。

 その上で、選挙基盤がしっかりしていて再選が有力
な、現在3回生から5回生の議員は、民主党が96人
いるのに対して、自民党は55人、だから、1回生の
民主党議員が100人落選をして、その分が全て自民
党に変のわったとしても、差はさほど開かないので、
全体として、民主の大敗にはつながらないだろうと、
これまた、独自の分析をして下さいました。

 仮定の条件が様々あることとはいえ、そうなれば、
ますます、ねじれが面倒なことになりそうだと思う一
方、永田町では早くも、取らぬ狸と狐の、皮算用の算
盤がはじかれているのかとうなづきながら、ざる蕎麦
をもう一杯注文しました。

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クール・ジャパネスクの巨匠

 9月上旬の一日、京都・伏見の造り酒屋で、一風変
わった趣向の会が開かれました。

 それは、古美術品の器を使って、イタリアンを食べ
ようという催しで、伏見の高瀬川沿いに蔵を構える酒
造メーカーが、会場を提供して下さいました。

 大正時代に、蔵は祇園から伏見に移っていますが、
開業は1791年(寛政3年)という老舗で、遠州流
の枯山水のお庭には、マリアの像を土の中に埋め込む
形で作られた、「キリシタン灯篭」や、秀吉ゆかりの
石造りの橋の橋脚など、歴史の香りが散りばめられて
います。

 この日のメインは、古美術の食器で、イタリア料理
とお酒を楽しむ会でしたが、その食事会を前に、古美
術の器を貸し出して下さった骨董屋さんから、北斎に
関する、薀蓄にあふれたミニ講演がありました。

 北斎は90歳で亡くなりましたが、亡くなる直前ま
で、「神様、あと10年、いやあと5年生かして下さ
い、そうすれば一人前の絵描きになりますから」とお
祈りをしていたそうで、それだけでも、絵に賭けた思
いの強さが、伝わってくるような御仁です。

 また、引越しが趣味で、生涯に93回引越しをした
というエピソードは、結構知られた話ですが、ひどい
時には、一日に三回も引っ越しをしたと聞くと、よほ
ど家財道具がなかったのかもしれません。

 とはいえ、お金に無関心だったわけではなくて、段
々と売れ始めた時期には、画家としての通称名を次々
と変えて、前の名前を弟子に売りつけていたと言いま
すから、弟子にとっては、かなり迷惑な師匠だったこ
とでしょう。

 その北斎のベストセラーの一つが、「北斎漫画」と
いう、今で言えば、カット画を集めた画集ですが、あ
まりの人気のため、ご本人が亡くなった後にも出版が
続いたほどでした。

 こうしたベストセラーを回し読みするために、その
時代、江戸には600軒もの貸し本屋があって、それ
が、識字率の向上につながったと言われますので、わ
が国では当時から、クール・ジャパンが文化の一角を
占めていたことがわかります。

 一方、北斎の作品に限らず、ヨーロッパに渡った浮
世絵が、ジャパネスクの名で、かの地の画法に、大き
な影響を与えたことはよく知られていますが、こうし
たことから、これまでに、世界で一番数多くの展覧会
が開かれた日本人の画家は、北斎なのだそうです。

 さらに、21世紀が始まる2001年に、タイム・
ライフ社が行った、20世紀に、世界に影響を与えた
100人の企画の中でも、日本人として唯一人選ばれ
たのは北斎でした。

 こうしてみると、現代のクール・ジャパンを先取り
した、クール・ジャパネスクの巨匠として、北斎の偉
大さには、際立ったものがありますね。

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2011/10/12

噂を信じちゃ・・・

 タクシーの運転手さんは、その仕事柄、町の噂話に
詳しいものですが、中国ではどうなのか、出張中に、
何度もタクシーに乗ったという方に、話を聞いてみま
した。

 その方は、この8月に、仕事で広州や北京等の大都
市を回ったのですが、中国でも、タクシーの運転手さ
んは、なかなかの情報通のようです。

 例えば、この7月に、浙江省の温州で起きた鉄道事
故は、テロだったとまことしやかに語る人もいれば、
8月にはある空港で、飛行機に爆弾を持ち込もうとし
た人が、捕まったとの情報もありました。

 このため、一時期空港では、靴を脱がせて検査をす
るほど、警備が強化されたというのです。

 空港の警備はともかく、爆弾を持っていて捕まった
人がいるなどというニュースを、見たことがなかった
ため、そのことを尋ねると、「もちろん、情報はすべ
て当局に押さえられているんだ」と、確信に満ちた答
えが、返ってきたそうです。

 話がテロ事件から、汚職事件に及ぶと、さらに、話
は現実味を帯びてきます。

 その中の一つは、厦門事件という、かつての汚職事
件にまつわる話でした。

 この事件は、貿易会社の社長が、役人や軍人に多額
の賄賂をばらまいて、巨額の密輸や脱税を繰り返した
という事件で、1990年代に摘発を受けましたが、
主犯格の社長はカナダに亡命していました。

 ところが、両国政府の間でこのほど、犯罪人の引き
渡しに関する合意が得られたため、この社長は、中国
に送還されました。

 これを受けて、タクシーの運転手さんの間では、彼
が帰ってくれば、江沢民派の悪事が次々と明るみに出
るだろうと、もっぱらの噂なのだそうです。

 それもこれも、上層部の不正に対する不満がつのっ
ているせいですが、そんな運転さんたちに聞けば、鄧
小平の改革開放の政策によって、確かに、生活は上向
きになったが、役人の腐敗は目に余るとの声が圧倒的
です。

 これは、別の筋から聞いた話ですが、そうした雰囲
気を反映してか、北京で、外国企業を相手に仕事をし
ている方が、北京郊外にあった自宅を、最近、空港の
近くに移したといいます。

 この方は、従来から、中国の将来に悲観的な方でし
たが、いよいよ不満が爆発する日は近づいているし、
その時には、天安門のまわりから動きが起きるだろう
から、万一の際には、情報をいち早くキャッチして出
国できるように、空港の近くに引っ越したというので
す。

 この方の予感も、タクシーの運転手さんの噂話も、
中国では割とありがちな話ですので、当たる確率がど
れくらいかはわかりませんが、日本への影響が特に大
きな国ですから、気にはなる噂話でした。

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韓流の歯並び

 韓国の人気俳優が、自らが出演するドラマをPRす
る番組を見ていて、数日前に、歯医者さんに聞いた話
を思い出しました。

 その俳優は、最近テレビ放映が始まった、レディー
・プレジデントという韓国ドラマで、検事役を務める
クォン・サンウで、このドラマの宣伝を兼ねて、ソウ
ルの市内を紹介する番組に、彼が出ていました。

 何気なくその番組を見ているうち、彼の歯並びの美
しさから、一つ思い出したことがありました。

 それは、最近、ある歯医者さんに聞いた話なのです
が、日本では、虫歯や歯周病で痛んだ歯を治すのが、
歯科医療の中心なのに対して、美容整形が盛んな韓国
では、歯科医療の分野でも、矯正や歯を白くする治療
に、人気があると言うのです。

 そう言えば、韓流ブームのきっかけになった、ヨン
様ことペ・ヨンジュンをはじめ、韓国のスターは、そ
ろって歯並びがきれいですし、歯の色も真っ白く光っ
ています。

 ただ、この歯医者さんによると、中には、画面に映
るところだけを白くして、奥歯の方までは、手入れを
していないスターもいるとのことで、「あと1本、奥
までやればいいのにと、思うことがあるんです」と、
笑われていました。

 その話を思い出しましたので、カメラに顔を向けた
クォン・サンウの、歯並びに注目してみましたが、残
念ながら、歯の奥までは見えませんでした。

 でも、歯の手入れ一つでも、力の入れどころが違う
とは、国民性の違いには、奥歯以上に奥深いものがあ
るようです。


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これも想定外か

 高知の知人が出している、“本物のプロ野球ファン
のためのハイパー・マガジン”と銘打った小冊子の中
に、陸上の女子選手のユニフォームに関する、こだわ
りの考察が出ていました。

 年に数回発行されるこの小冊子は、本来はその名の
通り、プロ野球の話題が中心なのですが、ちょうど韓
国のテグ市で、世界陸上が開催中だったため、筆者が
以前から関心を寄せていた、女子陸上選手のユニフォ
ームに、かなりの行数が割かれています。

 その関心の的は、女子選手ののユニフォームのビキ
ニ化ですが、彼は早速、陸上競技規則にある、競技時
の服装の項目を調べました。

 すると、男子と女子に区別はなく、決められている
ことと言えば、濡れても透けないとか、前と後ろにナ
ンバーカードをつけるなど、ごく限られたことだけで
した。

 そこで、この規則を読んだ筆者は、「濡れても透け
ないもの」と決めた時には、当然、おへそを出すのも
駄目と考えていたはずだが、まさか、ビキニ型のユニ
フォームが出てこようとは想定していなかったので、
明文化をしなかっただけだろうと、一時はやった「想
定外説」を展開します。

 さらに話は、軽犯罪法第1条の、「公衆の目にふれ
るような場所で、公衆にけん悪の情を催させるような
仕方で、しり、ももその他身体の一部を、みだりに露
出した者」という条文にまで及んだ上、女子陸上選手
のビキニ型のユニフォームは、けん悪の情を起こさせ
るものではないので、「よーするに、どんな格好をし
てもよいのである」との、結論に達します。

 となると残る疑問は、ビキニスタイルのユニフォー
ムの方が、記録がよくなるのかどうかですが、それに
対する根拠ある記述はありませんでした。

 それにしても、女子の陸上選手のウエアがビキニに
なったというだけで、これだけ書き込む力も大したも
のだと感心しましたが、実はこの筆者は、元県の職員
ですので、現役時代に、もっと活躍してもらえばよか
ったと、反省をしました。

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