仏の顔を二度も三度も
9月の連休の一日、京都の仏師のもとを訪ねて、仏
の顔を何度も拝みました。
お訪ねをしたのは、現代の運慶や快慶にあたる、仏
師の方ですが、同志社大学の英文科卒で、大学を出た
後は、能面を彫っていたという変わり種です。
こうしてしばらくは、能面師としての道を歩みまし
たが、能は人間の喜怒哀楽をテーマにした芸術ですの
で、面を打っているうちに、登場人物の恨みや悲しみ
が乗り移ってきて、やがてその重みを、肩にずっしり
と感じるまでになりました。
そこで、仏様なら喜怒哀楽を超越した存在なので、
そんなこともなかろうと考えて、人間国宝だった仏師
の下に、弟子入りしたのだそうです。
ところがお師匠さんは、弟子たちの仕事に対して、
ここが良いとか悪いとか、ひと言も批評をしてくれま
せん。
このため、ある日弟子たちが、お師匠さんを取り囲
んで、どうして何も言ってくれないのかと、問いかけ
ました。
するとお師匠さんは、真面目な顔つきで、「君たち
は立派な大人だから、小学生のように、一つ一つ口に
出して、注意をするようなことはない」と言った後、
弟子たちの手にした小刀を指差して、「それに君たち
は、刃物を持ってるだろう、だから危なくて、滅多な
悪口は言えないんだよ」と言って、にやりとしたそう
です。
その話を聞いて、さすが人間国宝、なかなかやるじ
ゃないかと感心しました。
この後、仕事場の上の階にある部屋にあげていただ
きますと、そこには所狭しと、木彫の仏像が並べられ
ています。
これは、お師匠さんが大きな仏像を製作する時に、
その原型として彫った菩薩や如来の数々で、運慶や快
慶の時代から、木造であれ鋳造であれ、こうした原型
を作ってから、大きな作品に取り組んだのだと言いま
す。
ただ、原型とはいえ、いずれも立派な大きさの仏像
ばかりですので、仏の顔を二度も三度も、丁寧に拝ま
せてもらいました。
それにしても、人間国宝の手になる仏像が、こんな
場所に静かに並んでいようとは、これまで思ってもみ
ませんでした。
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