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2011/10/17

クール・ジャパネスクの巨匠

 9月上旬の一日、京都・伏見の造り酒屋で、一風変
わった趣向の会が開かれました。

 それは、古美術品の器を使って、イタリアンを食べ
ようという催しで、伏見の高瀬川沿いに蔵を構える酒
造メーカーが、会場を提供して下さいました。

 大正時代に、蔵は祇園から伏見に移っていますが、
開業は1791年(寛政3年)という老舗で、遠州流
の枯山水のお庭には、マリアの像を土の中に埋め込む
形で作られた、「キリシタン灯篭」や、秀吉ゆかりの
石造りの橋の橋脚など、歴史の香りが散りばめられて
います。

 この日のメインは、古美術の食器で、イタリア料理
とお酒を楽しむ会でしたが、その食事会を前に、古美
術の器を貸し出して下さった骨董屋さんから、北斎に
関する、薀蓄にあふれたミニ講演がありました。

 北斎は90歳で亡くなりましたが、亡くなる直前ま
で、「神様、あと10年、いやあと5年生かして下さ
い、そうすれば一人前の絵描きになりますから」とお
祈りをしていたそうで、それだけでも、絵に賭けた思
いの強さが、伝わってくるような御仁です。

 また、引越しが趣味で、生涯に93回引越しをした
というエピソードは、結構知られた話ですが、ひどい
時には、一日に三回も引っ越しをしたと聞くと、よほ
ど家財道具がなかったのかもしれません。

 とはいえ、お金に無関心だったわけではなくて、段
々と売れ始めた時期には、画家としての通称名を次々
と変えて、前の名前を弟子に売りつけていたと言いま
すから、弟子にとっては、かなり迷惑な師匠だったこ
とでしょう。

 その北斎のベストセラーの一つが、「北斎漫画」と
いう、今で言えば、カット画を集めた画集ですが、あ
まりの人気のため、ご本人が亡くなった後にも出版が
続いたほどでした。

 こうしたベストセラーを回し読みするために、その
時代、江戸には600軒もの貸し本屋があって、それ
が、識字率の向上につながったと言われますので、わ
が国では当時から、クール・ジャパンが文化の一角を
占めていたことがわかります。

 一方、北斎の作品に限らず、ヨーロッパに渡った浮
世絵が、ジャパネスクの名で、かの地の画法に、大き
な影響を与えたことはよく知られていますが、こうし
たことから、これまでに、世界で一番数多くの展覧会
が開かれた日本人の画家は、北斎なのだそうです。

 さらに、21世紀が始まる2001年に、タイム・
ライフ社が行った、20世紀に、世界に影響を与えた
100人の企画の中でも、日本人として唯一人選ばれ
たのは北斎でした。

 こうしてみると、現代のクール・ジャパンを先取り
した、クール・ジャパネスクの巨匠として、北斎の偉
大さには、際立ったものがありますね。

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