練炭を使って3人の男性を殺害したとして、殺人罪
に問われている女性が、一審の裁判員裁判で死刑判決
を受けたのを見て、民主党の小沢一郎さんの裁判との
関連性を、考えてみました。
何故、この二つの裁判に関連性を感じたのかと言え
ば、まず第一に、二つの裁判とも、司法制度改革がも
たらした形態の裁判だからです。
また、もう一つ、いずれも確たる物的な証拠や証言
のない、状況証拠のみで維持されている裁判だという
点も、似かよっています。
司法制度改革は、裁判員制度の導入にしろ、検察審
査会の議決に、法的な拘束力を与える制度の新設にし
ろ、刑事事件の起訴から判決までの過程に、市民の感
覚を取り入れようとした点に特徴があります。
その中で裁判員裁判は、一審段階とはいえ、判決と
いう司法手続きの最終的な判断の段階に、一般市民が
関わりますので、市民感覚はストレートに、判決内容
に反映されます。
そうしたことから、多くの国民が、被告が犯人では
ないかと感じている事案では、その意に沿った判決が
出やすくなると思います。
これに対して、検察審査会の2度の議決による強制
起訴は、捜査と判決との中間にあたる、起訴の段階に
市民が関わるため、強制起訴となった事件でも、結果
である判決には、そうした市民の思いが、直接反映さ
れるわけではありません。
また、プロの目で見て、裁判に耐えうる法的構成の
上に、市民が加わっていく裁判員制度とは違って、検
察審査会による強制起訴は、プロの目で見て、有罪に
持ち込むのは難しいと判断した事案を、あらためて起
訴するのですから、有罪の可能性は、自ずと低くなら
ざるを得ません。
このため、先月14日に那覇地方裁判所で 検察審
査会による強制起訴の裁判としては、初めての判決が
下されましたが、結果は無罪でした。
「国民感覚や処罰感情からかけ離れない、判断が求
められる」という、検察官役の指定弁護士の主張も、
判決には影響しませんでした。
また、7年前に兵庫県尼崎市のJR福知山線で、快
速電車が脱線して、百人を超える方々が亡くなった事
故では、検察が起訴したJR西日本の前の社長に、今
年1月、無罪の判決が出ています。
ですから、これとは別に、検察審査会の議決で強制
起訴された、それより以前の3代にわたる元社長に、
有罪の判断が下される可能性は、極めて低いと考えら
れます。
そこで、今月26日に予定されている、小沢一郎さ
んの、政治資金規正法違反事件の判決ですが、小沢さ
んに報告をしたという当時の秘書の供述が、裁判では
証拠として採用されなかったことから、無罪の公算が
強いと言われています。
ただ、ここからは素人の疑問ですが、女性被告への
死刑判決のように、物的な証拠や証言がなくても、あ
れだけ重い判決が出るのであれば、政治家と秘書との
関係性から、具体的な証言はなくても、政治資金規正
法の共犯関係を推論し得るという、論理構成は有り得
ないのでしょうか。
というのも、上記の那覇地裁の判決や、JR西日本
の前社長の判決は、いずれも、だますという故意がな
いとか、事故の発生を予見できなかったといった、犯
罪が成立するための要件そのものに関わる判断で、小
沢さんの裁判での証拠採用とは、ほんの少し性格が異
なるように感じられるからです。
また、この点には異論が多いのかもしれませんが、
多くの国民が、何かおかしいと感じている点では、死
刑判決を受けた女性被告と、類似点がないではありま
せん。
裁判員制度も、検察審査会の議決に、法的な拘束力
を与える制度改革も、法律の専門家をはじめとする、
13人の委員による2年間の審議を経て、3年前の5
月に導入をされました。
このうち裁判員制度は、一定の成果とともに、制度
としても定着しつつあると感じられますが、もし、小
沢さんの判決も無罪ということになれば、検察審査会
による強制起訴には、かなりの疑問符がつくことにな
るでしょう。
また、それと同時に、これまで検察官が独占してい
た起訴権限に、国民の感覚を取り入れようという、制
度改革の趣旨も、制度の導入から3年を経ての見直し
の中で、姿を消していくかもしれません。
くれぐれも、誤解のないようにお断りをしておきま
すが、小沢さんが有罪になればいいとか、有罪になる
だろうと言っているわけではありません。
ただ、以上のようなことを縷々考えてみますと、小
沢さんの判決は、政治的にも社会的にも、とても意味
の深い判決だと思えてくるのです。
特に、検察審査会による強制起訴の制度は、8年前
の5月に成立した、検察審査会法の改正によって導入
されたのですが、この法案には、当時小沢さんが代表
代行を務めていた、民主党も賛成していますので、そ
の意味からも、判決の行方が気になります。