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2012年7月

2012/07/31

オリンピックの季節

 オリンピックの季節を迎えて、時折、スポーツ絡み
のこぼれ話が耳に入るようになりました。

 といっても、ロンドン・オリンピックに直接関わる
話ではないのですが、その中から、ちょっと面白いな
と思った話題をご紹介します。

 一つ目は、ある女性タレントにお目にかかった時の
ことですが、今回のオリンピックでも、日本人選手の
活躍が期待されている、トランポリンの話題になった
時、私もトランポリン部だったのよと言われます。

 聞けば、中学に入った時、体が柔らかかったので、
トランポリンが向いていると進められて、トランポリ
ンの部活に入ったのだそうです。

 ところが、トランポリンの練習を始めるまで、すっ
かり忘れていたことがありました。

 それは、自分が高所恐怖症だったことで、部活の初
日に、空中高く飛び上がった途端に、そのことを思い
出して、怖くなってその日限り、早々に退部したとの
ことでした。

 おいおい、それを、元トランポリン部というのかと
思いましたが、とても真剣にお話になるので、真剣に
聞いてしまいました。

 もう一つは、平泳ぎの北島康介さんに関することで
すが、かつて、オリンピックの水泳で銅メダルを取っ
た、女子選手の証言によりますと、彼は、思いのほか
体が硬いのだそうです。

 スタートの時には、膝を曲げて用意の姿勢を取るた
め、見た目ではわかりませんが、膝を伸ばしたまま前
かがみをしても、指先が床につかないくらい、体は硬
いと言います。

 それなのに、水の中に入ると、水を得た魚のように
スイスイと、柔らかい泳ぎを披露するのですから、人
の体は実に不思議なものです。

 などなど、オリンピックシーズンともなると、変わ
り種のネタも含めて、スポーツ絡みの話題がふえそう
です。

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踵の痛みの原因は

 急な運動はいけないと知りながら、思い立って、あ
るエクササイズに挑戦したところ、とんでもないこと
になりました。

 それは、たまたま見ていたテレビで、タレントの武
田久美子さんが、自ら開発した美ボディー・エクササ
イズを、紹介していたのがきっかけでした。

 カニ・エクササイズという名前の通り、両足をがに
股に開いて、つま先立ちで数秒こらえます。

 その上で、踵を上げたまま、何度かスクワットをす
るのですが、結構効き目がありそうでしたので、試し
にやってみようかと思いました。

 ただ、突然部屋の中で始めると、妻に何か言われる
に違いないと思いましたので、ある日の昼下がり、シ
ャワーを浴びた時に髪をを洗いながら、つま先立ちに
なって、スクワットを試みてみました。

 これが思いのほかにきつくて、体が左右に揺らぐた
びに、シャンプーを飛び散らす羽目になりましたが、
それでも何度か、つま先立ちスクワットに挑戦して、
無事に初体験を終えました。

 その後、気持ちよくなって横になった時には、何の
異変もありませんでしたが、夕方からの仕事の準備に
取りかかろうと立ち上がった途端、右の踵のあたりに
ピリピリと痛みが走ります。

 どうしたんだろうと思いながら、仕事に出かけたの
ですが、その夜から、右の踵がかなり痛むようになり
ました。

 インターネットで調べてみますと、踵の複雑骨折か
坐骨神経痛かとありましたが、何と一週間に、5本の
講演と授業があるという忙しい週でしたので、病院に
行く暇がありません。

 仕方なく、踵の痛みをだましだまし、何とか一週間
を乗り切りましたが、その頃、ようやく痛みが和らい
できました。

 そこで、満を持して妻に、踵が痛くなった原因は、
シャワーをしながら挑戦した、美ボディ・エクササイ
ズらしいと打ち明けたのですが、案の定、妻に呆れら
れました。

 美ボディー・エクササイズには、年齢制限をつけて
おいてほしいものです。

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絆なんてどこにあるの

 宮城県の石巻市で被災したご夫妻の講演を、東京で
聞く機会がありました。

 お二人が暮らしていた地区は、長面(ながつら)と
いって、合併によって石巻市に統合された、北上川の
河口にあたる地域です。

 津波で多くのお子さんが亡くなった、大川小学校の
校区内で、大川小学校も、避難場所に指定されていま
したが、ご夫妻は、そこまで逃げる時間がなかったた
め、裏山に駆け上がって難を逃れました。

 しかし、長面地区は、地震で地盤が1.5メートル
沈下した結果、道路も住宅も、海に飲み込まれる形に
なりました。

 このため、ご夫妻は、「海に沈んだ故郷」というタ
イトルで、その体験を綴った本を出版しましたが、そ
れを機会にこのほど、初めての講演会を東京で開かれ
ました。

 その中で、元小学校の教員だった奥さまは、避難し
た時の体験談を語って下さいましたが、幸いだったこ
ととして、三つの点を挙げられていました。

 その一つは、地震の直後に、ご主人が家に戻ってき
て、「逃げるぞ」と声をかけてくれたことで、その時
奥様は、パニック状態になっていて、逃げることさえ
忘れていたと言います。

 ただ、同じ地区でも、家族のことを心配して家に戻
ったために、津波に巻き込まれた人が何人もいたこと
から、大地震の時には、家族は無事だと信じて、一目
散に津波から逃げないといけないという原則を、あら
ためて強調されていました。

 また、逃げる前に時間がなかったため、指定された
避難場所ではなく、裏の山に駆け上って、津波から逃
れることが出来ました。

 自治体が指定している避難場所は、住民がまとまっ
て避難することを想定しているため、距離や高さに問
題のあることが考えられるため、時間がなくてもすぐ
に逃げられる高台を、想定しておく必要があるという
のが、もう一つの教訓でした。

 ご夫妻は、そのまま山の中で、二晩を過ごすことに
なりましたが、たまたまライターを持っている人がい
たため、木切れを集めて、たき火で暖を取ることが出
来ました。

 考えてみれば、3月半ばの東北ですから、寒さは大
変厳しかったはずで、たき火にあたっていても、歯の
根が合わなくなるほど、震えが止まらなかったそうで
す。

 東京でも、直下型地震の発生が心配されている時だ
けに、お二人の体験談は大いに参考になりましたが、
それ以上に、心に残った言葉があります。

 それは、奥さまが言われた、「絆なんてどこにある
の」という言葉でした。

 というのも、長面地区は、地盤沈下で地域全体が水
没をして、トラックが中に入れない状態が続いている
ため、壊れた住宅などの後片付けにも、全く手がつい
ていないのだそうです。

 このため、震災から一年以上もたってなお、復興ど
ころか、復旧への手がかりもつかめていない現状を見
て、地区の方からは、「絆なんてどこにあるの」とい
う言葉が、しばしば聞かれるようになったということ
でした。

 まだそんな地区があるのかというのが、正直な感想
でしたが、「絆なんてどこにあるの」という言葉は、
実に重い言葉でした。

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2012/07/25

ワイルドだったぜ

 ご縁があって、伊豆の伊東のホテルに一泊したので
すが、丁度台風が通過した日で、なかなかワイルドな
夜を体験できました。

 翌日は、大阪に出かける用がありましたので、台風
の直撃を受けたらどうしよう、JRの伊東線が止まっ
たらどうしようと、悩みに悩んだのですが、せっかく
の機会だと思って、ままよとスーパービュー踊り子に
飛び乗りました。

 午後、海沿いのホテルに着いた時には、お天気も良
好で、さっそく、最上階にある貸切風呂から、遠く初
島を望む大海原を見ながら、お湯につかりました。

 空が怪しくなってきたのは、台風が伊勢湾付近に上
陸した頃からで、それと感づいた海鳥たちが、3羽・
4羽と群れを作っては、急いで陸の方へと戻って行き
ます。

 どこかに、安全な居場所があるのだろうかと、空を
急ぐ鳥を眺めていますと、中には、一瞬の強い風にあ
おられて羽をばたつかせる鳥もいて、日ごとは見られ
ない、面白い光景も見せてもらいました。

 その部屋のベランダには、丸い桶のような、小さな
露天風呂がついていましたので、吹きつける風の音を
BGMに夕食をすませると、荒れゆく天候の中で、ベ
ランダの露天風呂に挑戦してみました。

 雨はさほどではありませんでしたが、ゴーゴーと唸
る強風の中で、お風呂の中に立ちますと、ベランダ越
しに、海辺の薄明かりに照らされた、荒れる海が見下
ろせます。

 危ないから早くしゃがんでという、妻の声にせかさ
れて、お湯の中にしゃがみ込みましたが、細かい雨と
強風に顔をさらして入る露天風呂は、相当ワイルドな
趣でした。

 台風は、夜のうちには通り過ぎて、翌朝は、伊東線
もダイヤ通りでしたので、翌日の仕事は無事にこなせ
ましたが、めったにない体験の一夜でした。

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2012/07/14

いじられやすさは第一

 小沢一郎さんが立ち上げた新党の名前は、政党名と
しては、これまでになくユニークなものだったため、
ウエブ上でも、いじられまくっています。

 といっても、僕が、ツイッターなどで見られる範囲
の話ですが、それだけでも、思わず吹いてしまうよう
なつぶやきが数々あります。

 中には、「国民第一」このフレーズを政党名にする
勇気と感性に驚きました、有権者を絶対に裏切らない
政党名だと思いますという、肯定派の方もいらっしゃ
いますが、多くは、いっそ「国民の生活は二の次」で
はどうでしょうかといった、冷やかしタイプです。

 と思って見ていますと、「そもそも、国民の生活が
第一じゃない政党があるんでしょうか」という、根源
的で、目の覚めるような問いかけもありました。

 さらに、このつぶやきに対して、その通りです、他
党にケンカ売ってますねといったものから、「自民党
が政権に復帰するのが第一」とか、「衆院選で民主党
がぼろ負けしないのが第一」といった、本音で語る政
党名だと、投票してもらえないですからねといったも
のまで、反応はどんどんふくらんでいきます。

 そんな中で面白かったのは、事業仕分けでおなじみ
の蓮舫さんもので、蓮舫さんに、「なぜ国民の生活が
第一じゃないとダメなんですか、第二じゃダメなんで
すか」と、小沢さんに尋ねてもらいたいというもので
した。

 一方、有名どころでは、宇多田ヒカルさんが、つい
に政党の名前にもキラキラネームきたかと反応してい
て、こうなると、「くまちゃんの肌触りは世界一」党
の結成も夢ではないなと、盛り上がっていました。

 今のところ、僕の下に届いた最新のものは、「国民
の生活が第一」より「ラジオ体操第一」の方が、よっ
ぽど国民の健康を考えていそうだというものですが、
これに対しては、「ラジオ体操」と「第一」の間に、
「は」とか「も」とかを入れた方が、深みが出るので
はないかとお答えしておきました。

 いずれにしても、政党の名前がここまで話題になっ
たのは、かつてないことで、実に斬新な党名であるこ
とは間違いありません。

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2012/07/10

妻に引かれて戸隠参り

 黒姫からの帰りに、妻の念願を果たすため、戸隠神
社を参拝しました。

 神話の中に、腕力自慢のアメノタヂカラオノミコト
が、天照大神が籠っていた、天の岩屋の戸をこじ開け
て、えいやっと放り投げたという話が出てきますが、
その岩戸は長野県の戸隠まで飛んで、戸隠山になった
と言い伝えられています。

 このため、神話のふるさと宮崎出身の妻は、以前か
ら、戸隠神社に参拝したいと言っていました。

 その妻の願いに引かれて、黒姫からの帰りに、戸隠
神社に出かけたのですが、一番上の奥社(おくしゃ)
から、一番下にある宝光社(ほうこうしゃ)まで、五
つのお社を回るのには、まる一日かかりました。

 午前中に出かけた奥社では、吉永小百合さんのCM
でも名高い杉並木が、参拝者を心地よく出迎えてくれ
ます。

 と気をよくしていると、これが大間違い、そこから
は、階段また階段の苦行が待っていました。

 何とか階段を登りきりますと、そこには、アメノタ
ヂカラオノミコトを祀った奥社と、もともと地元の神
様だった、九頭竜(くずりゅう)さまを祀った社があ
りました。

 いわれを見ると、九頭竜の神様が、岩の戸を戸隠ま
で投げたアメノタヂカラオノミコトを、戸隠に呼んだ
とのことで、神様の話はなかなか壮大です。

 その社で、ひと息ついたのも束の間、階段を下り始
めますと、行きはよいよい帰りは恐いで、帰り道の下
り坂は、膝にがくがくと効いてきます。

 たまらず、「すごい道だなあ」とつぶやきますと、
妻から、「有難い道だと、言わなきゃだめよ」と、い
つものようにたしなめられました。

 思わず、タシナメラレオノミコトだなと、駄洒落を
言ってやろうかと思いましたが、それをぐっと飲み込
んで、黙々と下を目指しました。

 定番の戸隠そばを食した後、昼過ぎに中社(ちゅう
しゃ)で、宮司さんにお目にかかりますと、「奥社で
お勤めをする時には、お隣の九頭竜さんから、おい、
俺のことを忘れるなと、頭をポカンと叩かれそうで怖
いのですよ」といったお話をして下さいましたので、
九頭竜さまにもお参りをしておいて良かったねと、夫
婦目を合わせました。

 一旦、その日お世話になる宿坊に戻って、ゴロリと
ひと休みした後、午後3時過ぎから再び、残る二つの
社を回ろうと、脱ぎ捨てた靴下を探したのですが、ど
うしても見つかりません。

 仕方なく、とりあえずズボンをはいて、さらに室内
を探し回りますと、右足の裾から、ポロッと靴下が滑
り落ちました。

 「そんなことだと思ったわ」という、妻の笑い声を
背に、靴下を履くと、バスの通る車道を降りて、天の
岩屋の前で踊りを踊った、アメノウズメノミコトを祀
る、火之御子社(ひのみこしゃ)に立ち寄りました。

 その社殿の奥から、神道と名づけられた山道を抜け
ると、やがて宝光社が現れます。

 お参りを終えた後、急な階段の参道を通って、バス
道に下りましたが、奥社で消耗し切った脚力を考える
と、下から登っていたら、宝光社まで上がれただろう
かと思うほどの、急な階段でした。

 さすがに、帰りの中社前までは、バスに乗りました
が、車内は学校帰りの子供たちで一杯で、顔なじみの
運転手さんと、子供たちとの会話が弾みます。

 全国各地、こんな山奥で、子供たちの歓声を聞くこ
とは滅多にありませんので、これも、戸隠のご利益だ
なと、つくづく感じました。

 翌朝、同じバスで長野駅まで戻ろうと、バスの待合
所に行きますと、3人のおばちゃんたちが、「なんで
も経験だね、やっぱり来なきゃだめだ」と、楽しそう
に話しています。

 松本から来た方々で、観光ではないと言われますの
で、少し尋ねてみますと、地元に戸隠講という農家の
皆さんの講があって、五穀豊穣をお祈りするため、毎
年交代で参拝に来るのだそうですが、今年は、お前た
ちが当番で行って来いと言われて、三人でバスを乗り
継いで来たのだと言います。

 その話を聞いて、いまだにこんな習慣が続いている
のかと、ほっと和んだ気持ちになりましたが、妻に引
かれての戸隠参りで、多くの経験を得ることが出来ま
した。

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2012/07/09

お馬さんの再登板

 最近は、日本の経済やものづくりの将来を考えると
いった議論が盛んですが、何人かの方とお話をする中
で、なるほどこうした考え方もあるのかなと、感じる
ことがあります。

 その一つは、長野県の黒姫で、アファンの森という
財団を運営されている、C・W・ニコルさんにうかが
ったお話です。

 ニコルさんとは、高知の知事時代からのお付き合い
ですが、今回は、ある頼みごとがあって、久し振りに
ニコルさんの下を訪ねました。

 その頼みごとは、やはり、森林経営や木材の活用に
関することでしたので、本題の方は、すぐに快く引き
受けて下さったのですが、それならばと、逆に提案を
受けたことがありました。

 それは、馬を使って木材を搬出する馬搬、英語で言
えばホースロギングで運営する森の、認証に関するこ
とでした。

 ニコルさんによると、イギリスでは、かつて盛んだ
ったホースロギングを使った森林の経営が、一時は全
国で20ケ所にまで減ったものの、その後小規模林業
が見直されたことから、今では70ヶ所にまで増えた
のだそうです。

 これを受けて日本でも、岩手県の遠野で、馬を使っ
て木材を運び出す林業が試みられている他、宮城県の
東松島でも、同様の取り組みが始まっているというこ
とで、今後は各地に、ホースロギングを使った、小規
模な林業を復活させていきたいと、思いを語られてい
ました。

 実は、政府の国家戦略室も、民主党政権が発足して
間もないおととしの3月に、アファンの森を訪ねて、
ニコルさんから聞いた話を基に、いくつかの検討課題
をまとめているのですが、ニコルさんからは、その話
はまったく出ませんでした。

 考えてみるに、鳩山政権の当時と違って、政権交代
に伴う新しい風がぴったりと止んでしまった、現在の
民主党政権の下では、小規模林業の提案など、見向き
もされない状況になっているのでしょう。

 それに加えて、傾斜地の林地が多いわが国で、ホー
スロギングが成り立つのかとの心配もありますが、林
野庁が進めてきた、規模拡大の政策が壁にあたってい
る今、もう一度身近な資源に目を向けることも、価値
ある視点だと思いました。

 先ほど話に出した遠野では、伐採した木を馬が引く
姿が、一つの風物詩になっていると言いますが、そう
した光景があちこちで見られるようになれば、それも
また楽しそうですね。

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2012/07/08

あつものに懲りて

 マンションの理事会で、周辺の防犯が話題になった
せいか、あらぬことにまで心配が先走って、妻に笑わ
れる羽目になりました。

 うちのマンションのあたりは、昔は人通りも少ない
住宅街でしたが、最近では人通りも車の数も増えて、
それとともに、防犯上の問題で気にかかることも増え
てきました。

 このため、最近開かれたマンションの理事会でも、
玄関の自動扉が開いているうちに、住人の後を追うよ
うに中に入ってきた、見知らぬ人影の写真が話題にな
って、お互いに注意しないといけませんねという話に
なりました。

 帰宅後、妻に理事会での話をしますと、注意深い妻
からは、あなたは結構抜けたところがあるから、マン
ションを出入りする時には、あたりに十分気を配るよ
うにと、釘を刺されました。

 それからしばらくして、外出しようと玄関まで降り
ますと、自動扉越しに見える玄関のガラス扉の向こう
に、正座して座っているように見える、男性の後ろ姿
が見えます。

 マンションの玄関前の、タイル張りの床に正座して
座るとは、尋常な人ではないと思って、さっそく踵を
返して自宅に戻ると、妻に、「大変だ、下に変な男が
いる」と告げました。

 すると妻も、「すぐ見に行かなくっちゃ」と、つっ
かけを履くと、あわてて下に降りて行きます。

 妻を追って、再び玄関に戻ると、自動扉から玄関の
ロビーに出た妻が、「わっはっはー」と笑って、僕を
手招きしました。

 恐る恐るロビーまで出てみますと、タイル張りの床
に座っていたのは、電気か何かの工事の人で、ヘルメ
ットをかぶって、壁に向かって作業中でした。

 妻が小声で、「ヘルメットが見えなかったの」と言
いますので、「だって、ロビーまで出た時に、急に襲
ってこられたら逃げられないから、自動扉の内側から
のぞいたんだ。そうすると、外の扉が邪魔になって、
前かがみになった男性の背中と、正座した足の、足首
から先しか見えなかったんだよ」と、くどくどとした
説明を強いられました。

 あつものに懲りて、なますを吹くという諺がありま
すが、工事中の男性の姿が怪しい人物に見えるとは、
先入観は恐ろしいものです。 

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2012/07/07

オークションマニアのお年寄り

 ジョン万次郎の縁で知り合った、アメリカ在住のお
年寄年寄りは、大のオークションマニアでした。

 この方は、マサチューセッツに住む今年84歳の男
性ですが、百数十年前に、同じマサチューセッツに暮
らした、ジョン万次郎の偉業を、多くの人に知っても
らおうと、来日のたびに、全国の小中高校を回って、
万次郎をテーマにした講演をされています。

 このため、高知の知事時代から、お付き合いがある
のですが、先日久し振りに来日されたため、ゆっくり
とお話を伺う機会を持ちました。

 その際話が、ジョン万のことから、明治の開国へと
広がった時、その方が、黒船に乗って浦賀に来た、
ペリー提督の直筆の手紙を持っていると言われます。

 それは、日本に来る6年前のことで、軍艦の艦長と
して、海軍士官学校を出たばかりの、若い兵士を迎え
た時のことでした。

 その中に、自分が新兵だった時にお世話になった艦
長と、同じ名前の青年がいたため、彼にそのことを尋
ねると、案の定、その先輩の息子であることがわかり
ました。

 そこで、亡き先輩と同様、親しくお付き合いをして
いた未亡人に手紙を出して、その経緯をつづった後、
「息子さんのことはお任せください、私がきちんと面
倒をみます」と綴っているのですが、この方は、その
手紙を持っているというのです。

 聞けば、オークションで競り落としたとのことで、
つけペンで、きれいな字体で書かれているのだそうで
す。

 本物であれば、相当なお値段だろうと思いながら、
さらにお話を伺うと、エジソンが振り出した手形や、
エジソン電機株式会社の株主総会の議事録もあって、
議事録には、会長として、エジソンのサインもあると
のことでした。

 自らオークションマニアだと言われるだけあって、
この他にも、色々なお宝をお持ちのようでしたが、聞
くだけでも、うらやましい趣味だと思いました。

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「TH」サウンドが消える日

 英語教育を、英米のネイティブ中心の英語から、国
際語としての英語に広げようという、取り組みがあり
ます。

 これは、あるフランス人が始めた、グローバルなイ
ングリッシュ、グロービッシュという運動で、わが国
でも雑誌などに取り上げられて、一時注目を浴びまし
たが、その後は、伝統の英語教育を守ろうという勢力
に押されて、少し停滞気味になっています。

 実は、縁あって、そのグロービッシュの運動を、お
手伝いすることになったのですが、内容を知らないま
まではいけないと思って、セミナーを見学に行きまし
た。

 その日話をされたのは、ある大学の英語学の先生で
したが、ネイティブとして、生まれながらに英語を話
す人は、世界に3億人~4億人なのに対して、第二言
語として英語を話す人は7億人、さらに、インターナ
ショナルな言語として英語を使う人は、世界に10億
人いると切り出されます。

 つまり、世界にはネイティブではない英語使いが、
17億人もいるので、ネイティブな英語だけを教える
英語教育は、すでに、世界の流れから遅れているとい
うのです。

 このように、それぞれの国には、それぞれの国の英
語があるので、その表現はネイティブでは使わないな
どと言っていたのでは、いつまでも話せない英語で終
わってしまうと、話は続きます。

 例えば、わが国では、予定していた会合に出席しな
かった相手に対して、「どうして、来なかったんだ」
と問いかけるため、これを英語にしようとする時に、
「Why didn't you come」と言ってしまう。

 しかし、ネイティブの英語では、こうした場合に、
「Where were you(どこにいたんだい)」という言い
方をするため、正統派の英語教育では、ご注意を受け
ることになる。

 では、「Why didn't you come」と言って、相手に
通じないかと言えば、そんなことはないというのが、
この方のご指摘でした。

 それとは逆に、今夜はレストランで食事だと話しか
けたのに対して、外国の人が、「それはいいですね、
美味しんできて下さい」と、不正確な日本語で答えた
としても、話は通じるというわけです。

 このように、グローバル化が進む中で、言葉もどん
どん世界語になっていくので、英語特有の「TH」サ
ウンドも、やがて姿を消すかもしれないというのが、
この方のしめの言葉でした。

 考えてみれば、わが国で生まれたスポーツ柔道も、
世界に普及するのと引き換えに、柔道着はカラー化し
ましたし、ルールも、世界標準に合わせたものに変わ
りました。

 一足先に、国技館の優勝額は、すでに、すべて外国
生まれの力士に占められていますが、それらのことを
思えば、やがて、地球上から「TH」サウンドが消え
る日が、現実になるのかもしれません。

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