黒姫からの帰りに、妻の念願を果たすため、戸隠神
社を参拝しました。
神話の中に、腕力自慢のアメノタヂカラオノミコト
が、天照大神が籠っていた、天の岩屋の戸をこじ開け
て、えいやっと放り投げたという話が出てきますが、
その岩戸は長野県の戸隠まで飛んで、戸隠山になった
と言い伝えられています。
このため、神話のふるさと宮崎出身の妻は、以前か
ら、戸隠神社に参拝したいと言っていました。
その妻の願いに引かれて、黒姫からの帰りに、戸隠
神社に出かけたのですが、一番上の奥社(おくしゃ)
から、一番下にある宝光社(ほうこうしゃ)まで、五
つのお社を回るのには、まる一日かかりました。
午前中に出かけた奥社では、吉永小百合さんのCM
でも名高い杉並木が、参拝者を心地よく出迎えてくれ
ます。
と気をよくしていると、これが大間違い、そこから
は、階段また階段の苦行が待っていました。
何とか階段を登りきりますと、そこには、アメノタ
ヂカラオノミコトを祀った奥社と、もともと地元の神
様だった、九頭竜(くずりゅう)さまを祀った社があ
りました。
いわれを見ると、九頭竜の神様が、岩の戸を戸隠ま
で投げたアメノタヂカラオノミコトを、戸隠に呼んだ
とのことで、神様の話はなかなか壮大です。
その社で、ひと息ついたのも束の間、階段を下り始
めますと、行きはよいよい帰りは恐いで、帰り道の下
り坂は、膝にがくがくと効いてきます。
たまらず、「すごい道だなあ」とつぶやきますと、
妻から、「有難い道だと、言わなきゃだめよ」と、い
つものようにたしなめられました。
思わず、タシナメラレオノミコトだなと、駄洒落を
言ってやろうかと思いましたが、それをぐっと飲み込
んで、黙々と下を目指しました。
定番の戸隠そばを食した後、昼過ぎに中社(ちゅう
しゃ)で、宮司さんにお目にかかりますと、「奥社で
お勤めをする時には、お隣の九頭竜さんから、おい、
俺のことを忘れるなと、頭をポカンと叩かれそうで怖
いのですよ」といったお話をして下さいましたので、
九頭竜さまにもお参りをしておいて良かったねと、夫
婦目を合わせました。
一旦、その日お世話になる宿坊に戻って、ゴロリと
ひと休みした後、午後3時過ぎから再び、残る二つの
社を回ろうと、脱ぎ捨てた靴下を探したのですが、ど
うしても見つかりません。
仕方なく、とりあえずズボンをはいて、さらに室内
を探し回りますと、右足の裾から、ポロッと靴下が滑
り落ちました。
「そんなことだと思ったわ」という、妻の笑い声を
背に、靴下を履くと、バスの通る車道を降りて、天の
岩屋の前で踊りを踊った、アメノウズメノミコトを祀
る、火之御子社(ひのみこしゃ)に立ち寄りました。
その社殿の奥から、神道と名づけられた山道を抜け
ると、やがて宝光社が現れます。
お参りを終えた後、急な階段の参道を通って、バス
道に下りましたが、奥社で消耗し切った脚力を考える
と、下から登っていたら、宝光社まで上がれただろう
かと思うほどの、急な階段でした。
さすがに、帰りの中社前までは、バスに乗りました
が、車内は学校帰りの子供たちで一杯で、顔なじみの
運転手さんと、子供たちとの会話が弾みます。
全国各地、こんな山奥で、子供たちの歓声を聞くこ
とは滅多にありませんので、これも、戸隠のご利益だ
なと、つくづく感じました。
翌朝、同じバスで長野駅まで戻ろうと、バスの待合
所に行きますと、3人のおばちゃんたちが、「なんで
も経験だね、やっぱり来なきゃだめだ」と、楽しそう
に話しています。
松本から来た方々で、観光ではないと言われますの
で、少し尋ねてみますと、地元に戸隠講という農家の
皆さんの講があって、五穀豊穣をお祈りするため、毎
年交代で参拝に来るのだそうですが、今年は、お前た
ちが当番で行って来いと言われて、三人でバスを乗り
継いで来たのだと言います。
その話を聞いて、いまだにこんな習慣が続いている
のかと、ほっと和んだ気持ちになりましたが、妻に引
かれての戸隠参りで、多くの経験を得ることが出来ま
した。