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2012/08/02

仏様はどんな人

 表意文字である、漢字の文字の成り立ちには、それ
ぞれ興味ある理由がありますが、最近相次いで、そう
した物語を聞く機会がありました。

 一つは、「食」という感じにまつわるお話で、話の
主は、「人に良い」と書いて、食べると読むでしょう
と話し始めます。

 その字の通り、食べ物は本来、人の体に良いもので
ないといけませんと、お話は続きます。

 中でも、体に一番良いのは、お母さんが作ってくれ
る食事で、それは、食べ物を作って利益を上げようと
いった、欲がないからですよと言われると、思わずな
るほどとうなずいてしまいます。

 もう一つは、別の方に伺った話ですが、それは、公
と私に関わることでした。

 言われるまでは、特に考えたこともなかったのです
が、「公」と「私」には、共通する字があります。

 改めて、二つの字を見比べていただければ、すぐに
分かるように、それは「ム」という字です。

 この「ム」という字は、手首を上に曲げて腕を腰に
あてた形、つまり、どうだと我を張っている姿を表し
た文字だと説明をされます。

 ふむふむと聞いていますと、続いて、この「ム」に
傘をかぶせたのが、「公」という字ですから、「私」
の我を封じる、「おおやけ」という意味になるのです
よとおっしゃいます。

 そこでまた、なるほど、そう言われればそうだなあ
と、感じ入ってしまいました。

 ただ、その時ふと、「仏」という字にも、「ム」が
使われていることに思い当たりました。

 このため、もし、「ム」の字が、我を張っている姿
を表したものだとすると、仏様は我の強い人というこ
とになるなあ、などと心惑わせながら、つくづく、漢
字の成り立ちは面白いと思いました。

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